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 □話し手 後藤 隆一先生 『人間主義経済学序説』著者
 □聞き手 山本 克郎 「小島志ネットワーク」代表幹事

 ロエブルのヒューマノミックス−その1
 −ロエブル思想の誕生とマルクスとケインズの経済革命批判−



 
 前回は、シューマッハーのスモールの思想がテーマで、大きいことは良いことだとし、富と力の拡大を追及してきた近代ヨーロッパ文明の批判でした。それは、価値論と、文明論と、生態論の三つの視点からのお話で、その要点は、無限に拡大するシステムは破綻するということで、共存と循環のシステムに転換しなければならないということが結論でした。しかし、その後の人類は、シューマッハーの問題提起を全く消化できずに今日の危機を迎えているのだと実感しました。
 ロエブルの理論は、問題解決学としてのヒューマノミックスにとって、要の理論でもあるといえますが、既往の経済学との方法論的違いは何か、シューマッハーとの違いは何かについてお話を頂き、その上でロエブルの理論体系としてのパラダイム論と社会システム論に進んで頂きたいと考えます。




 同感です。私が思うに、私たちは、伝統と変化を持つ固有の社会に、何の知識もなく生まれて来たわけで、そこには、混乱や矛盾があるのは当然です。時々、反省的にそれらの問題を整理し、指標を立て、地図を作ることが必要だと思うのです。社会科学の役割の一つはそこにあると言ってよい。
 シューマッハーとロエブルの生きた時代は正にそういう時代で、この二人は,そのような仕事をする最適な人でした。この二人が生まれたのは、第一次世界大戦とロシア革命という大変革期で、一人はドイツ人、もう一人はチエッコスロバキア人でした。第二次世界大戦中のヨーロッパ大陸のヒットラー支配の時代には、二人ともイギリスへ亡命、戦後は国連の複興援助関連の仕事に携わる官僚として共通面もありますが。その後二人の運命は大きく分かれるのでした。
 シューマッハーは戦時中はケンブリッジ大学の留学生でケインズに師事するのですが、敵国人として農場での労働に携わることになります。それが、後に彼の工業と農業の質的差異論や土壌論を展開することにつながったのでしょう。
また彼は、経済顧問としてミャンマーに行くのですが、そこで仏教文化やガンジーの思想と出会って大きな影響を受けることになりました。
 しかし、ロエブルの思想変革の過程はより複雑でより難解なものでした。特に、戦後ソ連での獄中の11年間の思索と研究はその鍵となるようです。 彼は最初ウィーン大学で、限界効用学派の理論を学ぶのですが、大学内には、マルクス経済学からの攻勢が強かったようです。しかし、それに屈する気にはならなかったと言っています。しかし、その後の二つの状況の変化が彼をマルクス経済学へ転向させます。その一つは、限界効用学派の理論が30年代初期の世界大恐慌に対して無力だったという体験です。もう一つはヒットラーの率いるナチスと戦うためでした。それは自然科学と文化科学を貫徹するマルクスの一元論が、より普遍性のあるものとして知的に受け入れられたようです。
 やがて、ナチスドイツの武力侵攻によりイギリスへ脱出し、経済官僚として亡命政権に参画します。さらに、戦後は国連の官僚として、復興計画のための調査研究、会議への参加を経験しました。
 こうして、戦争中のイギリスやアメリカの市民生活と生産力の実態を知り得ただけでなく、戦後のイギリス、アメリカの高度成長時代との比較やソ連の計画経済との比較もできる基礎ができたようです。彼は、当時のイギリスの市民生活の豊かさやアメリカの生産力の巨大さに驚いたと言っています。
 次に、マルクス経済学との関係ですが、彼の転向の最初は純粋に知的なものでした。しかし、やがて宗教的な信念になり、全生活を覆うものとなったと言っています。そこでは、マルクスの言うような、経済的、物質的な事実の法則が、人間の行動を決定するというよりは、人間の信じる理論に従って人間は行動する。その結果、信じるものが事実となると言っています。
 言い換えると、革命は、経済的な矛盾によって起こるというよりは、マルクスの理論を信じることから起こるというのが現実であるというのです。これは、ロエブルがマルクスからウェーバーに再転向したことを意味しています。
 さて戦争が終わって、彼を迎えたチェコは、ソ連の支配下に入り、東西冷戦時代に入って行きました。当時のソ連圏社会主義諸国の経済は、ソ連による上からの一枚岩の計画経済です。その中での国際分業は、上からの割り当て生産によるものでした。これに対してロエブルの祖国の経済復興案は、戦前からの伝統を受け継いで、西欧諸国との自由貿易によるものでした。
 このため、チェコの貿易省第一次官ロエブルはソ連経済相ミコヤンという権力者との衝突をすることになったのです。ミコヤンは、チェコが西欧との貿易をやめてソ連とだけの貿易に転換することを要求し、ロエブルは、それに反対したため、反逆罪として終身刑に処せられるのです。
 ロエブルには、まったく予期せざる独房での思索と研究の生活が始まり、11年間続きます。彼は、ここで戦争中のイギリスで学んできたマルキシズムと、目の前に現れたソ連のマルキシズムとは、どこがどう違うか知りたかったようです。その目の前の現実的問題への関心が、そのまま、マルクスを超え、経済学全体に対する根本的再検討へと続くことになっていきました。
 それは、彼にとって予測を超えた誰にも束縛も干渉もされない真理探究の11年間となり、他に例を見ない真理と心理の実験となったようです。彼がそこから生まれた成果を「ヒューマノミックス」と名づけたのは、独特の深い自覚があったからだと思います。
 ロエブルは、この本のなかで、「二つの経済革命」という章を設け、マルクスとケインズの批判をしています。ヒューマノミックスの立場から見ると、マルクスとケインズの限界と、そのからくりは明白に見えたのです。
 こうして、彼は独力で、近代ヨ―ロッパの知的伝統を超える経済学を創造することになりました。

「二つの経済革命」について、
 20世紀は二つの経済革命が実現した世紀でした。一つはソ連型マルクス主義革命。もう一つは、西欧型ケインズ主義革命です。したがって、この二つの革命がもたらしたものが何かを検討することが、この二人の理論の批判になります。ここでのマルクス批判は、ソ連型計画経済の批判です。一方のケインズ批判は、戦後ケインズ化された西欧型自由経済の批判となります。
1、ソ連型計画経済批判
 ロエブルによれば、人間社会にとって、計画という概念は進んだ概念であり、全体的であることが大事です。この理想に最も近いのがソ連型モデルでした。
しかし、この経済システムは、その理想とする価値を何一つ実現できず、20世紀末を待たずに消えてしまいました。ロエブルはその理由をこのシステムの内部矛盾にあることを指摘しています。
 「ヒューマノミックス」の理論では、その矛盾を超えなければならないから、ここで簡単にその趣旨を取り上げておきます。
 計画は、上からの権力の命令、または割り当てとして現れる。それは、総合的なもので、設備投資から、材料エネルギー、労働、資金、需要、供給、技術などすべてにわたって、ただ一つの国家権力から発する命令の伝達として与えられる。その結果、国民は最も大事な主体性、創造性を失い、権力への服従に慣らされる。
 このことは、消費者の需要に応じて技術革新を続けてきた自由主義経済の企業に比べ、生産性が劣り、競争に耐えなくなることにつながります。ソ連の企業でアメリカに劣らないのは、軍需産業と航空機産業だけだといわれていますが、この二つは、計画経済の外にあり、専門技術家の自由が許されていたからです。
なぜ計画経済が非能率なのかと言えば、市場で部品や原料が自由に取得できないので、予備のストックを過剰に抱えることになりますが、これは、トヨタ自動車の看板方式の全く逆の非能率方式なのです。
 また、ノルマを達成し易くするため、工場長は、できるだけ高い原価計算を提示し、これを上の計画機関に受け入れさせることに専念します。また、ノルマが数量で与えられる時は、小さく安いものを作り、ノルマが価格で与えられる時は、単価の高いものを作る。というような 有利な条件を作るために権力者を買収することが伝播し、さらに、その悪の集団の秘密防衛のための派閥を作るという組織的な道徳的退廃にまで発展していきます。このような道徳的退廃は官僚制の陥る宿命的欠陥ですが、官僚主義化は、計画によって強化されるだけでなく、その拠って立つ手段であると言っています。
 さらに、計画経済の致命的欠点は、今日の応用科学による生産段階の最大の革新的生産力である知的能力の発展を阻害することです。知的能力の開発は、自由によってのみ可能となるものですが、計画経済はそれを圧殺してしまう。計画経済は物を対象とするだけでなく、人間自身を対象とし、その自由と主体性と創造性を無視するとロエブルはマルクス革命の計画経済を批判しています。

2、ケインズ革命批判
 結論を先取りして言うならば、ロエブルの理論は、ケインズの理論を土台としながら、その曖昧なところを明確にし、不完全なところを補い、その欠点を克服するために、根本的な哲学、つまりパラダイムの革命にまで到達したものです。ロエブルが、ケインズの功績としてあげているのは、マクロ経済学という社会全体を対象とする分析方法、そこに生ずる矛盾を貨幣の数量的分析によって解明したこと、そして管理通貨という政治的操作のできる手段としての貨幣論を発明したことです。しかし、ケインズは、この理論を、古典派の理論の内部の問題として処理しました。
 ロエブルは、古典派の経済法則という概念を否定しますから、ケインズの根本的な誤りに気がつくのは容易でした。ケインズは、仮説であり、シンボルであるものによって構成されるシステムを、実体的法則として扱ったために、矛盾を克服できなかったのです。ロエブルは、曖昧な理論の中に低迷していたケインズの理論を克服する自覚的主体としての人間を見出すことで一挙に問題解決への道を開くことになったのです。
 それでは、ケインズの曖昧な点、行き詰まった点とは何であったのか。古典派経済学が、需要と供給が一致し、均衡が実現すると考えたのは、貯蓄と投資が自動的に一致すると考えたからです。しかし、貯蓄者と投資者は別人で、行動の動機も違います。それは一致するはずがありません。不況や失業は、投資が不十分だからですが、投資家が投資を増やすにはどうすればよいか。彼らが投資を決定する要因は何か。それは、予想利潤です。予想利潤を増やすのは、長期的には、技術の向上ですが、短期的には、金利を下げることです。そのためには、貨幣の数量を増やせばよいのです。そのためには、銀行から企業への貸し出しを増やすこと、国家の借金を増やし、それを資金源として銀行の貸し出しを増やすことです。これは、銀行を利用して信用貨幣を増やすことです。
 そして、最後は国家の借金の拡大によって財政支出を増やし、高度成長をつづけてゆくということでした。その結果、資源エネルギーの枯渇、自然環境の悪化、そして年金、社会保障の破綻等々、問題が累積してゆく。ケインズにおける問題とは、矛盾を先送りしてゆくことでした。これは革命とは言えません。
それでは、これに対応する真の革命の理論とは何か。それを次回のテーマにしましょう。



(第七回対談に続く)
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