カゲヒナタ Episode 2
「あのバカ派遣が」
中島は独り言を吐いた。
「くそ、バカが」
もう一度、今度は大きく。
そして怒りにまかせてアクセルを踏み込んだ。
つい先ほどのことだった。
派遣社員が一人、電話を取り次ぎそこねた。クライアントから電話があったことを中島に伝えるのを忘れていたのだ。
クライアントは激怒していた。小さな手違いから、プロジェクトが一つ、あっさりと崩壊した。
中島は派遣社員を怒鳴り散らした。派遣社員は泣き出した。泣いてオフィスを飛び出した。
その結果、仕事を台無しにされたのみならず、中島は職場で悪者扱いされることになったのだった。
「とりあえず直接謝りに行ってくる」
非難の視線を背中で撥ね返しながら、中島は営業車に飛び乗った。
いつしか目の前は交差点。歩行者さえいなければ、信号を無視して突っ込みたいくらいの心境だった。
そこに異変が生じた。
「ブ、ブレーキ。ブレーキってどうやってかけるんだ」
急いでブレーキをかけなければならないと、そればかりが頭を駆け巡るのだが、では、どうすれば車が止まるのか、それが中島には分からない。
もう間に合わない。
「うわーっ」
ハンドルから両手を離し、横断歩道を渡る親子連れから目をそむける。
やっとブレーキのかけ方を思い出せたのは、それは人を撥ねたショックのせいかも知れなかった。
「中島部長、逮捕されたんだって。人撥ねちゃって、そのまま逃げたからって。あんなことあった後だから、同情する気もなれないけどね。ねえ、涼子? どうしたの? もしもし? 聞いてるの? もしもし? もしもし?」
人気の無い屋上で、涼子は座り込み、携帯電話を取り落としていた。受話口からは女性の声が漏れ続けている。
涼子の目の前には、白髪に黒い振袖姿のカゲヒナタがいた。
「お前の望みが叶ったようだな。これでお前はやっていけるんだろう。もう二度と、変な考えは起こさないことだ」
寂しげにカゲヒナタが笑う。
「ち、違う、私、私じゃない。私、そんなこと望んでなんかいない」
おびえる涼子の視界に既にカゲヒナタの姿は無かった。