夫婦の危機 モンゴル ツァスト峰登山

計画書を見た奥さんが「こんな変な所いくの」と、言うので「いくわけないだろう。」と答えた。
別居状態となる。口もきいてくれない。結婚生活20年最大の危機。

モンゴル ツァスト峰登山と夫婦の危機。1998年。

ツァスト峰はモンゴル西部のアルタイ山脈にあり、北緯50度(樺太ぐらい)、東経90度の位置である。
標高は4200mだが、高緯度にあるので夏でも雪をかぶっている。
1998年の夏、高校山岳部のOB10人で、1週間の予定だった。

モンゴル前

この登山計画を知ったのは1997年の暮れ頃であった。
計画書はよく読まなかったが、海外の山。それも、外国人未踏峰だという。
これは、直感的に危ないと思った。
計画書を見た奥さんが「こんな変な所いくの」と、言うので「いくわけないだろう。」と答えた。
この時点では本当にいくわけなかった。
年が明け、計画書をもう一度読むと、1日に標高差1000m以上を登らなければならない。
10年前でも、ちょっときついかなあと、思えるぐらいだ。
しかも、氷河。氷河の急斜面でバテたらアウトだ。下ることもできなくなる。
しかし、誰かが背中を押した。としか、考えられない。つい、ふらふらと、後輩の森山君に電話する。
是非、参加して欲しいということであった。詳しい計画書を送ると言われたが、それは断った。
家族にはまだ秘密である。というか、もう一人の私自身にも秘密である。

夫婦の危機

2月になり、パスポートが家に届き、奥さんに白状せざるを得なくなった。
「これから、断ることはできないの?」「今度3月に、上越の山で訓練する。その結果をみて、決める。」
この頃から別居状態となる。口もきいてくれない。
結婚生活20年最大の危機。
結局、奥さんが怒ったのは相談なしで決めた事が大きな理由だったのだが、
この時、体力的にも技術的にも自信がなかったし、登るという現実感もなかった。
相談できる状態ではなかったのだ。
上越の訓練はさんざんであった。途中、両足がつり、皆に先にいってもらう。
一人で下山しようかとも思ったが、だまし、だまし、頂上まで登った。
このままでは、本番は無事には終わらないという事が分かったが、奥さんには内緒であった。
計画がどんどん進む中、私の心の決着はついていなかった。
4月になって、マラソンを始める。タバコもやめた。
起床時間は以前の1時間前。朝食後の皿洗いをする。
通勤を車からマラソンにかえる。片道4Km×2。たかが、4Kmなのに途中で歩きたいと思った事もあった。
足が重くスピードがでないので息が苦しくならない。ピーク時の体力の百分の1ぐらいだ。
2週間目ぐらいで効果が出てくる。息が苦しくなるようなスピードが出るようになる。これで、十分の1ぐらい。
家族に内緒で6月に丹沢の塔の岳に行く。
標高差1200mを2時間半で登った。これで、ピーク時の半分ぐらいだ。
この頃には体重も7Kgほど減り、いつしか奥さんの反対もなくなっていた。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。