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稲作のページ4 (2008年のページ)

2008年4月1日〜2008年**月**日

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2008.4.17 浸種

今年も稲作スタート

4月5日、2kg×2袋を水温10℃の井戸水でつける。

籾はたっぷりと水を吸い込み早いものは0.3mm程度の芽を出し、全員ハト胸状態。今日17日水から上げ、旧型洗濯機の脱水機に2分かけ表面の水分を飛ばす。

いつも思うが籾が目を回さないか心配。

重量は4kgが5.2kgに130%アップ、天候が回復次第種まき。軒下につるしておく。

品種はいつもの富山産コシヒカリ

 

 

2008.4.19 種まき

 

1--2kgの籾を12日間水につけ脱水機にかける→2.48kg(124%重くなっている)になる。

2--320gあまったから(2480g-320)/30箱+=72g播きになる(乾いた籾に換算すると58g/1箱)

3--出芽は自然平置とした。(土の上に並べて自然の温度の中で芽を出させる。ただし5日ほどは保温シートを施用)

4--従年に比べて芽が出るのが遅く何度もほじくりやきもきする。5日ぐらい経過して0.1−1ミリ程度芽が出始める。

5--10日程度で1cm程度に出揃ったのでプールに水を箱上すれすれ程度に入れる。

6--途中3回ほど、酵素+尿素+木酢または黒酢または焼酎を葉面散布。

7--田んぼへ移植当日、ビーム・プリンス粒剤50g/箱施用にて移植

こだわりとしては、健康な苗を作ることそれには

@出来るだけ薄播きにする。

A木酢や焼酎を使い殺菌剤などは使用しないこと。

Bそのためにはプール育苗にする等(絶えず水につかっているため、蒸れたり雑菌などに侵されなかったり、夜間は保温される)

ただし、その薄まきの反動として移植時に欠株が若干出ることには目をつむる。

試しに100g、50g(1箱)播きを1箱づつ播いた。その結果1ヶ月もたつと外見は変わらないが、その茎の太さには明らかに差が出ている。

要は、茎は太く、節間は詰まっていて、硬く、ずんぐりむっくりな苗が理想的である。そのための薄播きである。

 

2008.5.25 植代

5月16日に荒代(田んぼに水を入れて最初に鋤くこと)すきをして、まる八日間水を張っておく。この間に、大きな石は下に沈み表面の草は少し芽を出す。その頃を見計らって、苗を植えるための均平作業(平らにすること)、芽を出した雑草の埋め込み、漏水対策などをかねて植代かきを行う。

反当り、除草剤「シング乳剤500mL」を施用する。そして3−4日間湛水状態で放置して田植となる。

 

夕闇の中に、泥水で鏡のような植代後の田んぼ

 

2008.5.28 田植

植代から湛水状態で3日以上経過しなければ除草剤は100%効果を発揮しない。予定では29日か30日と考えていたが、28日夕刻から雨が降り出すという予報なので、少し早いが田植を実施する。苗は最高の出来でスタンバイOK状態。

苗は天候が不順で特に夜間の気温が低かったこともあり、時間をかけてゆっくりと成長したため第5葉まで出た。葉長20cmの太く硬いし、根も充分に張っている又、品質にばらつきもなく満足すべきものである。

 

幸い天気もよくあせることもなしに2時間程度で終わる。

田植に対やする時間よりも、年に一度の使用前の点検、使用後の水洗いから格納の方がはるかに時間を費やす非効率的な零細農家のパターン。

結果は、植代から間隔が短かったまので少しやわらかい、又予想通り欠株が目立つ。後は恒例のあまり意味がなく無駄な「さし苗」(欠株のところを腰をさすりながら手植する作業)、しかし、これをやらないと精神的に田植をした満足感がない。

データとして、2反弱に、苗箱23箱使用する。

ツバメが盛んに田んぼの上を飛び交うのが、田植期の風物。しかし、今年は、この近辺でツバメを見かけなくなった。うちの巣にも、隣の家の巣にも覗きに来ただけで巣の利用はなかった。あっちこっちと巣があれば観察するが、空き家が多い。

 

田んぼのオタマジャクシの卵が少ない。したがって、当然親カエルの鳴き声も元気なく小さいように思う。畑の作物も生長は遅く、害虫さえも少ない。ただ、山の木に咲く花は非常にあでやかで満ち溢れる。

山は陽で里は陰、そんな感じを受ける。何千年単位のスパンでは一時的な変化で、地球の環境がどうのこうのというレベルではないが、ここ数年単位や人間の一生の単位では大きく変わってきていると思わざるを得ない。

 

2008.6.14 除草剤散布

除草剤はやりたくないといっても、散布せざるを得ない。毎年田植前の代掻き時に乳剤(500ml/反)の後、田植後2週間前後に、粒剤(リボルバー1kg./反)を散布する。これで草は生えない(全く生えないのでなく、支障のない程度には生える)。

手動の散粒機で散布するが、たった1kg.の粒剤を1反(≒1000u)に均一に散布するには少し熟練を要す。以前は3K剤であったが、小型化することにより流通上の経費が安いのであろう。又、匂いなども以前に比べれば無臭に近い。毒性もかなり軽減されているのが感じられる。除草剤は、散布のタイミングや処方箋を守らなければ思うような効果は出せない。

ついでに、麦を収穫した。出来てみれば小麦らしく手で刈り取ったものの、どうして穂を落とすか今は麦を作っている人もなく、子供のころの記憶をたどるが定かでない。年配者(私も年配者ですがもっと年配者)に聞くと、「つちのこ・槌の子?」(図参照)でたたくとか、「昔の稲作14脱穀」で出てくるロータリーハンマーのようなものでたたいたなぁ〜という返事。今日、そんなものもないし、捨てるのももったいないし、仕方なくコンバインを引っ張り出し、ガソリンをいれ準備に1時間も要したが1−2分で処理完了。今回は掃除もせず又時間をかけて収納。収穫は10kg.。サテ、麦茶には向かないらしいが、とりあえず炒って麦茶を奥さんが作ったが、色も薄く味もなく、全く飲み物にもならない。粉にしてパンを作ろうかとなったが、製粉機は1万円ぐらいするらしい。現在熟考中。それでも4月の青麦を福祉の花活けの材料にして好評を得た。

2008.6.21 肥料散布

出穂(穂が80%以上出ること)を今年は気温が低いと思い8月12日に設定。(昨年実績は8月11日)昨年の刈り取りの稲藁以外一切今日まで無施肥できた。待望の肥料散布である。出穂から逆算して50−45日の間に一発施肥を基本としている、井原式「への字」稲作を実践している。

稲は、1粒の苗から12−13本の穂を出す。しかし、初期のぶんけつした茎が全て穂にむすぴつくのでなくなく初期の細い茎は枯れてしまう。この農法は、初期に肥料をやらずに枯れてしまう初期の細いぶんけつをささずに、先ず太い親茎を作りそれらから太い子どもの茎を出す。・・・

とかの、講釈は百姓一人一人が持っているノウハウであり、こだわりである。それらはどこにも通用せず、我田、我が心のみに通用するもので、地域、気候、土質、水質、田植の時期、・・・、によって異なるからである。この講釈を田んぼの土手でたれながら暇談義というか、井戸端会議というか・・・これらで休憩しているから過酷な百姓も出来るというわけである。

それはさておき、散布肥料は大阪北部JAのマップ20kg./反・過石20k/反を背負い動噴で散布する。マップの中にはN成分12%、すなわち2.4k含有されている。少し少ないのでようすを見て40日以内にもう一度散布予定。

2008.7.1 出穂まで42日、欲を出し、硫安4K(N成分0.84K)/反を追肥する。これで合計3.24kg散布したことになり、稲藁などを含めると4K弱でないかと思う。これでN成分は施さない。

コシヒカリは淡い緑から濃い緑へと変身をとげぐんぐん?ぶんけつを開始しだした。他所は、もうぶん決するな、穂の準備をしろと、水を切り干している時期である。我田はジャブジャブ源流のミネラルを含んだ水を入れ、これから目標平均20本程度の茎を作る。

そう、うまいこと行くかな???

 

2008.7.21 出穂まで22日

 

前回7月4日以来、ほとんど毎日田んぼは見回っているが、土手の草を刈っただけでほとんどすることなし。初期は天候不順だったが7月には言って好天続き、病気の気配もなく株数も平均20株は確保されて炒るようす。

稲作ほど手のかからない農業はない。ここまでは順調。後10に程度でチッソ抜きの肥料を散布予定。

 

2008.8.8 ほぼ出穂

 

ほぼ、出穂です。

今年は、あまり面倒を見ることは出来ませんでしたが、世間一般にもれず今までのところは作り始めてから1-2を争うできばえです。

出穂予想は12日でしたが、10日は出穂宣言です。上空には、雀対策用として縦横無尽に糸が張ってあります。その3次元の幾何学模様は、雀から見るときっと素晴らしくきれいだと思いますが、そんなことで寄ってこられたら困ります。今年は昨年の3倍は貼りました。たかが雀ということなかれ・・・(詳しくは2007年度参照)

 

 

 

 

 

稲穂がたれ始めています。出穂から12日、天候さえよければ稲は勝手に育ちます。あっちこっちで穂が出てきて、すずめの群れも移動して少なくなったような気がします。替わってイノシシがやってきます。とりあえず電気柵(手前の赤い線)で撃退します。

出穂から40−45日後の稲刈りが理想的ですが9月の連休あたりとなりますか。都合のよい日にぼちぼちやります。

2008.9.14

稲刈り

とりあえず、今年は終えました。

忙しかったのと、7月のはなの散歩をかねたトレッキングで、鹿のにおいにはなが反応して急にリードを引っ張ったのと、タイミング悪く片側が沢になっていて落ち葉で滑った。そのとき尻を打ったのが原因と思われるが足が痛い。骨には異常が無いと医者の判断だが、回復が遅い。早く直さなければ晩秋からのトレッキングができない。

そんなこんなで、若者二人の応援を得てとりあえず取り入れは済ませた。

収穫データーの整理は、雪が降り出すころ静かな深夜にウイスキーをなめながら、やる事にしよう。

2008.10.14

イノシシあばれる

この2週間ほど、この地域は鹿とイノシシの戦いである。畑は掘り返すは、田んぼの土手は壊すは、家の石垣は崩すは、やりたい放題である。左上の写真は家庭菜園に侵入20坪程度の食物は全滅に近い。野菜、芋類は食べない、目的は「ミミズ」である。ひたすらミミズを求めてミニブル程度の破壊力はある。農家にとって、一番困るのは田んぼの土手を壊すことだ。20キロ程度の石など簡単に転がす。写真右は我が家の土手を壊しているところ、これらが土手すべてに広がっていく。後手後手を引きネットをかぶせていくが、労力はあっても資金が続かない。