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ミリタリーグッズ 日本陸軍・軍人記念品 ★ さ行 |
古本・古物等、10000円以上お買い上げの方プレゼント品があります!
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JGMM0037 酒井鎬次・陸軍中将・掛軸(直筆) 東條英機と対立したことで知られている酒井鎬次陸軍中将の直筆の掛軸です。箱はありません。少し折れ染みがあります。本紙の大きさ:約39cmx147cm。詳しくは写真を御覧下さい。送料はヤマト宅急便で60サイズです。 |
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酒井鎬次(さかい・たかつぐ:) 陸軍中将 明18・11・4〜昭48・3・2。陸士卒(18期)。大正12年陸大卒(24期恩賜)。陸大教官、昭和9年陸軍少将。歩兵第24旅団長。昭和12年中将。第109師団長。東條と陸士1期後輩の独立混成第1旅団長酒井鎬次は戦車用兵でしばしば東條と対立し、諸兵科との連携を軽視する東條を馬鹿呼ばわりしました。東條が力をつけると酒井は閑職に左遷され、昭和15年には予備役に編入されました。 |
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JGMM0005 白川義則陸軍大将(陸軍大臣)・砲弾花瓶 戦前の古いものです。旧日本軍の砲弾でできた花瓶です。男爵・白川義則陸軍大臣による「天壌無窮」の書が銘記されています。「昭和戌辰之冬」と銘記があり戦前のものです。直径9.5cm 高さ23.5cm。送料はヤマト宅急便で60サイズです。 |
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白川 義則陸軍大将 1869年1月24日(明治元年12月12日)は愛媛県松山出身。男爵。陸軍士官学校(1期)卒、陸軍大学校(12期)卒。1909(明治42)年陸軍大佐。1913(大正2)年中支那派遣隊司令官。1915(大正4)年陸軍少将・歩兵第9旅団長。1916(大正5)年人事局長。1919(大正8)年陸軍中将・陸軍士官学校長。11月、二宮忠八の飛行器模型を認めました。二宮の発見が合理的な天才的考案であることが専門家によって証明されました。1921(大正10)年第11師団長,1922(大正11)年第1師団長、陸軍次官兼航空局長官1923(大正12)年兼航空本部長。1923(大正12)年関東軍司令官、1925(大正14)年陸軍大将。1926(大正15)年軍事参議官。1927(昭和2)年4月20日〜1929(昭和4)年7月2日陸軍大臣(田中義一内閣)。1932(昭和7)年上海派遣軍司令官。4月29日上海・虹口公園での天長節祝賀会に出席、尹奉吉が起こした爆弾テロのために重傷を負いました。5月23日勅語を賜りました。5月26日上海兵站病院で爆弾テロで受けた傷が元で死去しました。 |
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JGMM0068 杉原美代太郎陸軍中将(勲一等旭大綬章)・砲弾花瓶 戦前の古いものです。旧日本軍の砲弾でできた花瓶です。杉原美代太郎陸軍中将が昭和8年〜9年の第七師団長時代に記念に贈呈したものです。昭和11年には勲一等旭大綬章を受けています。日本帝国陸軍の記念品として和室等に飾っておけば価値がもっと出てくると思います。直径9.5cm 高さ23cm。重さ1.2キロです。送料はヤマト宅急便で60サイズです。 |
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杉原美代太郎(すぎはら・みよたろう)陸軍中将・工兵監(勲一等旭大綬章) 東京都出身。明治33年11月陸軍士官学校卒業(12期・恩賜)。明治39年12月陸軍砲工学校高等科卒業(恩賜)。大正9年8月陸軍省軍務局航空課長。大正11年4月陸軍工兵大佐。大正13年12月陸軍省軍務局工兵課長。大正15年軍務局防備課長。昭和2年7月陸軍少将・技術本部第二部長。昭和7年1月工兵監、4月陸軍中将。昭和8年8月第七師団長。昭和10年8月予備役。昭和11年7月勲一等旭大綬章。 |
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JGMM0085 鈴木荘六陸軍大将・扇子・肉筆書「軍人勅諭」(印刷) 3500円 戦前の古い扇子ですが、やぶれ、シミなどもなくきれいです。陸軍参謀総長などを歴任した・鈴木荘六陸軍大将の肉筆書が印刷されています。書は「軍人勅諭五箇条」です。「帝国在郷軍人会会長 陸軍大将鈴木荘六謹書」と書かれています。また「有功章拝受記念・森」とも記してあります。鈴木荘六大将は昭和5年に退役後、帝国在郷軍人会会長に就任していますので、その当時の扇子です。送料は定形外郵便で390円です。 |
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鈴木荘六(すずき・そうろく)陸軍大将(勲一等)・陸軍参謀総長 元治2年(1865年)3月16日新潟県三条市生まれ。三条尋常小学校上等科卒。代用教員後、明治12年須頃尋常小学校校長。新潟師範学校卒、三条尋常小学校主席訓導。明治20年陸軍教導団(下士官養成所)卒、砲兵第2連隊。明治23年7月陸軍士官学校(1期)卒。陸軍少尉。明治24年4月陸軍大学校(4期)入学。明治37年日露戦争で第2軍参謀。陸軍大学校教官。大正3年陸軍少将、騎兵第3旅団長。大正7年陸軍中将、第5師団長。大正12年台湾軍司令官。大正13年8月陸軍大将、朝鮮軍司令官。大正15年3月陸軍参謀総長。昭和5年停年退役、枢密院顧問官、勲一等旭日桐花大綬章。帝国在郷軍人会会長、大日本武徳会会長を歴任。昭和15年2月死去。享年76歳。鈴木荘六大将は識見が高く、高潔で、軍人らしい軍人として衆望を集めました。参謀総長まで登りつめましたが、部下への情も深く慕われました。退役後は、郷里の発展にも力を注ぎ、また、かつての部下や知人の世話をしながら過ごしました。当時は郷里(現在の三条市)に胸像も建てられていました。 |
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JGMM0082 杉山元陸軍大将・元帥・陸軍大臣・書(刺繍軸) 戦前のかなり古いものです。杉山元陸軍大将・元帥の書「萬歳」です。木製の共箱付きです。刺繍軸です。「北支那方面軍記念」と記してあります。昭和13年に北支那方面軍司令官に就任した杉山元大将が記念に作った刺繍の掛軸です。高島屋で製作されたものです。共箱のふたの裏に「高島屋謹製」とあります。古いものですが、保存がよく、ほぼきれいです。戦前の帝国陸軍の将星の記念品として保存しておけば時と共に価値が出ると思います。掛軸のサイズは幅37センチ、縦170センチ。送料はヤマト宅急便で60サイズです。 |
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杉山元(すぎやま・げん)陸軍大将・元帥・陸軍大臣 明治13年1月1日福岡県小倉生まれ。陸軍士官学校12期、陸軍大学校22期。インド駐在武官。大正七年飛行第2大隊長。陸軍省軍務局航空課長。「陸軍航空隊育ての親」と呼ばれました。昭和3年軍務局長。12師団長、陸軍航空本部長。昭和11年教育総監、大将。昭和12年陸軍大臣。昭和13年北支那方面軍司令官。昭和15年〜19年参謀総長。昭和18年元帥。陸軍大臣、参謀総長、教育総監の三長官を全て経験し元帥になったのは帝国陸軍史上二人しかいません(もう一人は上原勇作元帥)。昭和19年小磯内閣で再び陸軍大臣。第一総軍司令官。昭和20年9月12日戦争の責任を取って自決。関連書籍は「杉山元帥伝」(原書房)、「杉山メモ(上・下)」(参謀本部編・原書房)があります。 |
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