|
ミリタリーグッズ 日本陸軍・軍人記念品 ★ た行 |
古本・古物等、10000円以上お買い上げの方プレゼント品があります!
あ | か | さ | た | な | は | ま | や | ら | わ |
写真をクリック! | ||
JGMM0088 大正天皇・皇后・御即位大禮(掛軸) 戦前の古い掛軸です。明治天皇崩御を受け、大正と改元。三年後の大正四年十一月十日、京都御所で大正天皇、貞明皇后の即位の禮が行われました。それを記念して製作された掛軸です。上部に御即位大禮勅語と明治天皇の肖像画、下部に大正天皇と貞明皇后の肖像画があります。全体的にはきれいですが、古いものなので、シミ、シワ、汚れ、破れなどありますのでご了承の上お求め下さい。掛軸の幅48センチ、長さ163センチ。送料は定形外郵便で580円です。 |
||
写真をクリック! |
||
JGMM0023 貞明皇后(大正天皇の皇后)・大宰府御参拝(写真・実物) 大正十一年三月二十一日、貞明皇后(大正天皇の皇后)陛下大宰府天満宮御参拝の写真。大阪朝日新聞社謹写頒布。複製ではなく当時の写真の実物です。古いものなのではっきり分からない箇所もありますのでご了承ください。横27センチ、縦21センチ。送料はクロネコメール便で160円。 |
||
貞明皇后(ていめいこうごう)旧名:九条 節子(くじょう さだこ) 1884年(明治17年)6月25日 - 1951年(昭和26年)5月17日)は、大正天皇の皇后。1900年5月10日、宮中の賢所に於いて、神前で挙式。御成婚祝の新居として赤坂離宮が建造されました。1901年4月29日迪宮裕仁親王(のちの昭和天皇)出産。1902年6月25日 淳宮雍仁親王(のちの秩父宮雍仁親王)出産。1905年1月3日光宮宣仁親王(のちの高松宮宣仁親王)出産。1912年(大正元年)7月30日皇后となりました。1915年12月2日 澄宮崇仁親王(のちの三笠宮崇仁親王)出産。昭憲皇太后の後継者として、蚕糸・絹業を奨励し、救癩(ライ病、すなわちハンセン病)事業に尽くしたことでも知られています。大正天皇との夫婦仲は至って良好で、慣例を打ち破って夫の身辺の世話を自ら見たといわれています。 后腹の皇子4人は稀有の例というべきです。 天皇の死後、貞明皇后は日課の如く、午前中の大部分を大正天皇の遺影を安置した部屋で過ごし、「生ける人に仕えるよう」な有様だったと、皇后所生の秩父宮が証言しています。皇室や神道のしきたりや伝統を大切にしていたといいます。 |
||
写真をクリック! |
||
JGMM0006 高瀬啓治・陸軍大尉・陸軍大学校首席卒業者の講演の冊子(実物) 旧日本陸軍の陸軍大学校首席卒業者の講演の冊子。本文13ページ。表紙には演題と「昭和十一年十一月三十日陸軍大学校卒業式ニ於テ 陸軍歩兵大尉 高瀬啓治講演」と記してあります。 高瀬啓治大尉は陸士38期、陸大48期。陸大首席卒業者です。首席卒業者は卒業式において天皇陛下の前で、御前講演を行います。その講演記録を陸軍大学校が冊子にしたものです。当時のもので実物です。表紙に多少のヤケがありますが、本文にはシミなどはなく、きれいです。送料はクロネコメール便で160円。 |
||
写真をクリック! |
||
JGMM0036 多賀宗之・陸軍少将・遺墨集(非売品) 明治時代の軍人で作家の私的な画文集です。東京の息子さんが陸軍騎兵少将であった父、多賀宗之氏の亡くなった後、宗之氏の私的な随筆をまとめて遺墨集として発行したもので、非売品。昭和10年発行。52頁。大きさ:約12×19センチ。明治・大正期に支那へ赴任していた陸軍少将多賀宗之氏が人生の金言や、当地で感じた随筆、画などを書きとめていたもの。経年によるイタミ・汚れがあります。送料はクロネコメール便で160円。 |
||
多賀宗之(たが・むねゆき)陸軍少将・江蘇省督軍顧問・作家 高知県出身。明治26年7月25日陸軍士官学校卒業。明治45年2月14日承徳駐在。大正5年6月6日南京駐在。大正6年2月19日参謀本部附(江蘇省督軍顧問)。大正7年1月17日陸軍歩兵大佐。大正11年8月15日陸軍少将・参謀本部附。大正12年3月30日予備役。著書に「支那の軍情 」(兵林館・1931)、「天皇と世界及び吾人」(嶽陽互助育英会・大正14年)、「赤裸の支那」(新光社・昭和7年)、「家庭軍事談」などがあります。 |
||
写真をクリック! |
||
JGMM0007 寺尾務・陸軍少佐・陸軍大学校卒業式の講演の冊子(実物) 旧日本陸軍の陸軍大学校卒業式における講演の冊子。本文5ページと付録の「寡ヲ以テ衆ヲ撃破セシ戦例」の表組みがあります。表紙の右上には「延泉大尉」と書入れがあり、「秘 規則適用 用済後焼棄」と印刷されています。また、表紙には演題と「昭和十一年十一月三十日陸軍大学校卒業式ニ於テ 陸軍歩兵少佐 寺尾 務講演」と記してあります。 寺尾務少佐は陸大48期ではないようです。39名の卒業者名簿にはその名前が見当たりませんので。卒業式の講演記録を陸軍大学校が冊子にしたものには間違いありません。当時のもので実物です。表紙に多少のヤケ・シミがありますが、本文にはシミなどはなく、きれいです。送料はクロネコメール便で160円。 |
||
陸軍大学校 上級指揮官及び参謀の養成機関で旧陸軍の最高学府。明治15年に開校しました。明治18年に第1期が卒業、昭和20年8月4日第60期の卒業で終戦により閉校しました。 陸軍大学校についての本はこちら。 |
||
写真をクリック! |
||
JGMM0043 秩父宮雍仁殿下・陸軍少将・純銀盃(昭和11年・弘前駅) 純銀盃です。「領秩父宮殿下賜金 弘前駅 昭和11年12月7日」と刻印があります。青森県弘前駅と思われます。 また「純銀」の刻印もあります。直径約6センチです。古いものなので変色してます。画像で状態を良くご確認の上お買い求めください。送料は定形外郵便で240円です。 |
||
秩父宮 雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう) |
||
写真をクリック! |
||
JGMM0039 寺島・陸軍・煙草入れ 陸軍の煙草入れです。戦前のものです。材質は、紫檀製だと思います。蓋裏に、「仙台陸軍教導学校卒業記念」、「寺島」と星のマークが入っています。箱は敷板に、接着してあります。珍しい形の煙草入れです。教導学校は陸軍の下士官を養成する学校です。横15センチ、縦13.5センチ、高さ4.2センチ。送料はヤマト宅急便60サイズ。 |
||
写真をクリック! |
||
JGMM0031 東條英機・陸軍大将・首相・香炉 太平洋戦争の指導者、東條英機陸軍大将・首相の香炉です。箱付き。金属製の香炉の側面に「陸軍航空総監 兼陸軍航空本部長 陸軍中将 東條英機」と刻印があります。東條が陸軍中将で航空総監に就任した時期は1939年頃で、この香炉は就任時に関係者に配ったものと思われます。複製ではなく当時の実物です。材質は真鍮のようです。箱は上部が一部壊れています。香炉は古いものなのでくすみはありますが、ほぼきれいです。太平洋戦争の指導者の歴史的記念品として保存しておけば価値があります。香炉の直径9.5センチ、高さ8.5センチ。送料はヤマト宅急便で60サイズ。 |
||
写真をクリック! |
||
JGMM0073 東條英機・陸軍大将・首相・肉筆書 太平洋戦争の指導者、東條英機陸軍大将・首相の肉筆書です。扇型をしています。日の丸の上に「必勝必成」という文字が書かれています。陸軍大臣・東條英機と署名があります。陸軍恤兵部と印刷文字で記されています。東條英機が陸軍大臣になったのは昭和15年7月ですが、戦時中のものと思われます。古いものなのでかすれ等ありますが、ほぼきれいです。太平洋戦争の指導者の歴史的記念品として保存しておけば価値があります。長さ46センチ、幅14センチ。送料はクロネコメール便で160円。 |
||
写真をクリック! |
||
JGMM0080 東條英機・陸軍大将・首相・肉筆の扇 太平洋戦争の指導者、東條英機陸軍大将・首相の肉筆の扇です。戦前のものです。「忠」と一字だけ書かれています。東條首相は、天皇に対して身命をかけて忠義を尽くすことを信条としていました。当時常日頃、天皇に対する忠義を至上のものとして周囲の者や部下に説いていました。英機と署名してあります。戦時中のものと思われます。古いものなのでかすれ等ありますが、ほぼきれいです。太平洋戦争の指導者の歴史的記念品として保存しておけば価値があります。送料はヤマト宅急便で60サイズです。 |
||
東條 英機(とうじょう ひでき)陸軍大将・首相 新字体で東条 英機とも書きます。1884年7月30日(戸籍上は12月30日)東京生まれ。 1948年12月23日処刑。日本の陸軍軍人、政治家、第40代内閣総理大臣。位階勲等は陸軍大将従二位勲一等功二級 。統制派。東京裁判でA級戦犯、処刑。1905年陸軍士官学校卒業(17期・クラス50人中42位)。1915年陸軍大学校卒業(27期)。1921年ドイツ駐在。1933年陸軍少将、陸軍省軍事調査部長。1935年関東憲兵隊司令官・関東局警務部長。1936年陸軍中将、翌1937年関東軍参謀長。1938年、板垣征四郎陸軍大臣の下で、陸軍次官・陸軍航空総監・陸軍航空本部長。1940年から第2次、第3次近衛内閣の陸軍大臣。1941年に第40代内閣総理大臣兼内務大臣・陸軍大臣に就任、陸軍大将。この年『戦陣訓』を作成し布達。1948年11月12日、極東国際軍事裁判(東京裁判)で絞首刑の判決を受け、12月23日、巣鴨拘置所(スガモプリズン)で死刑執行、享年64。辞世の句は「我ゆくもまたこの土地にかへり来ん」。東條英機の評価は分かれています。敗戦で処刑されましたが、日本が戦勝国であれば、祖国の英雄として、凱旋したでしょう。 |
||
写真をクリック! |
||
JGMM0042 鳥尾小弥太・陸軍中将・枢密院顧問・書(直筆) 鳥尾小弥太は長州藩士で維新後陸軍少将、中将。元老院議官、枢密院顧問官(履歴の詳細は写真で御覧下さい)。長州藩士として維新後は陸軍の中枢にあり帝国陸軍の構築に尽力しました。西南の役では中陸軍事務取り扱いの職にありました。額入りの書です。書のサイズは33×26センチです。落款は解説の中の落款と同じです。写真参考にしてください。 書の中央に折り目がありますのでご了承ください。額のサイズは横44センチ、縦32センチ。送料はヤマト宅急便で60サイズです。 |
このページのトップに戻る |
JGMM0088 大正天皇・皇后・御即位大禮(掛軸) | |
戻る |
陸軍大学校主席卒業者の講演の冊子・高瀬大尉(実物) | |
戻る |
JGMM0036 多賀宗之・陸軍少将・遺墨集(非売品) | |
戻る |
陸軍大学校卒業式の講演の冊子・寺尾少佐(実物) | |
戻る |
貞明皇后(大正天皇の皇后)大宰府御参拝(写真・実物) |
戻る |
JGMM0043 秩父宮雍仁殿下・陸軍少将・純銀盃(昭和11年・弘前駅) | |
戻る |
JGMM0039 寺島・卒業記念・煙草入れ | |
戻る |
|
JGMM0073 東條英機・陸軍大将・首相・肉筆書 | |
戻る |
JGMM0080 東條英機・陸軍大将・首相・肉筆の扇 | |
戻る |
JGMM0042 鳥尾小弥太・陸軍中将・枢密院顧問・書(直筆) | |
戻る |