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ミリタリーグッズ 日本陸軍・軍人記念品 ★ な行 |
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JGMM0027 梨本宮守正王・皇族・陸軍大将・元帥・組皿 梨本宮家より御下賜された組皿です。京染付で、梨本宮の梨の模様が美しく染付され、真ん中に寿がデザインされています。珍味盆である漆箱は時代のスレが有りますが、組皿に傷はありません。漆箱のサイズは正方形で23cm×23cm、高さ7cm。外の木箱のサイズは28.5cm×28.5cm、高さ10cmで大きく重たいです。送料はヤマト宅急便で60サイズでお送りします |
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梨本宮守正王(なしもとのみやもりまさおう)皇族・陸軍大将・元帥 |
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JGMM0028 梨本宮伊都子妃・色紙 梨本宮守正王陸軍大将・元帥の夫人、梨本宮伊都子妃の直筆色紙です。額はありません。サイズは正方形で24cm×27cm。送料はクロネコヤマトメール便で160円です。 |
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梨本宮伊都子妃 皇族の梨本宮守正王陸軍大将・元帥の夫人。侯爵鍋島直大公の次女として明治15年2月2日誕生。明治33年11月28日守正王殿下と結婚。第一王女方子妃は、大韓帝国最後の皇太子李垠殿下と結婚した李方子妃殿下。伊都子妃は、守正王亡き後も梨本家を守り、「最後の貴婦人」として振舞い、1976年(昭和51年)8月19日に94歳で逝去した。死後、「梨本宮伊都子妃の日記―皇族妃の見た明治・大正・昭和」が出版された。私的な日記だが、あえて遺族が発表した。内容は、私的な日記である故に、胸の内に隠しておくような内容まで掲載されている。また、上流家庭の妃の世間のものの見方も、そのまま記されており、話題を呼んだ。 |
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JGMM0076 奈良武次陸軍大将・男爵・侍従武官長・額(真筆) 男爵・侍従武官長・奈良武次陸軍大将の真筆の額です。押印が三つあります。古いものです。額の裏には但し書きがあります。その中に「昭和八年拾壱月拾七日」(昭和8年11月17日)と記してありますので、平成二十二年の現在から七十七年前のものです。奈良武次陸軍大将は昭和天皇の信任が厚く、東宮武官、東宮武官長、侍従武官長を歴任しています。古いものなので時代のくすみ、汚れ、裂け目等がありますので御了承のうえお求めください。横37.5センチ、縦48.5センチ。送料はヤマト宅急便100サイズでお送りいたします。 |
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奈良武次(なら・たけじ)陸軍大将・男爵・侍従武官長 1868年(慶応4年)4月28日栃木県生まれ。明治22年陸軍士官学校(旧11期)卒、陸軍砲兵少尉。陸軍砲工学校高等科卒(2期・恩賜)。日清戦争出征。明治29年砲兵大尉。明治32年陸軍大学校(13期)卒。参謀本部、陸軍省軍務局、明治34年砲兵少佐。砲兵連隊大隊長、ドイツ駐在。日露戦争出征。軍務局、明治38年砲兵中佐。ドイツ駐在、明治43年砲兵大佐。陸軍省高級副官、軍務局砲兵課長。大正3年陸軍少将。支那駐屯軍司令官、青島守備軍参謀長、軍務局長。大正7年陸軍中将。第一次世界大戦講和会議に陸軍委員として出席。その後、東宮武官、侍従武官、大正9年東宮武官長、大正11年侍従武官長を歴任。大正13年陸軍大将。昭和8年男爵。昭和14年退役後、大日本武徳会会長、枢密院顧問、軍人援護会会長を歴任。昭和21年公職追放。昭和37年12月21日死去。享年94歳。 著書に「侍従武官長奈良武次日記・回顧録」(全4巻・柏書房)があります。昭和天皇が皇太子時代のヨーロッパ訪問から、5.15事件、満州事変勃発まで、大正9年から昭和8年まで、常に昭和天皇の傍にあって記録した近代史の画期的証言として注目されています。昭和天皇から深い信頼を得ていました。 |
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JGMM0035 西尾壽造陸軍大将・歴史写真 歴史写真昭和16年5月号の表紙に、支那派遣軍総司令官・西尾壽造陸軍大将の写真を掲載しています。中の頁では、1年余り南京で支那全土の皇軍を指揮してきた西尾大将が3月17日、帝都に凱旋して陸相官邸で杉山参謀総長、寺内大将、山田教育総監と並んでいる写真も掲載されています。その他、蒋介石軍の将校三名が奥さんとともに捕虜になった写真、航空総監・山下奉文中将がヒトラー総統と会見している写真などもあります。送料はクロネコメール便で80円です。 |
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西尾 壽造(にしお・としぞう)陸軍大将・東京都長官 1881(明治14)年10月31日生、1960(昭和35)年10月26日没。鳥取県出身。明治35年陸軍士官学校(第14期)卒。陸軍大学校(22期)卒。日露戦争に従軍、負傷。大正12年陸軍大学校教官、陸軍大佐。昭和4年陸軍少将、歩兵39旅團長。昭和7年参謀本部第4部長。昭和8年陸軍中将。昭和11年参謀次長。昭和12年近衞師團長、第2軍司令官。昭和13年教育総監。昭和14年陸軍大将、初代支那派遣軍総司令官兼第13軍司令官。昭和16年3月17日列車で東京駅に到着、昭和天皇に軍状を奏上。昭和18年待命。昭和19年7月25日〜昭和20年8月23日東京都長官。戦後、A級戦犯に指名される。昭和23年12月釈放。 |
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JGMM0002 乃木希典陸軍大将・胸像 山口県長府出身の乃木希典陸軍大将(日露戦争軍司令官、後に学習院院長)の胸像です。明治天皇崩御に際し殉死。立て襟の三八式軍衣を着用しています。肩章は大将の3つ星の肩章、勲章は大勲位菊花章でしょうか。像の材質は石膏です。部分的にホツがあります。傷部分のペイントで、かなり目立たなくなると思われます。高さは45センチあります。古いものです。送料はヤマト宅急便で60サイズでお送りします。 |
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JGMM0003 乃木希典陸軍大将・石膏額
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JGMM0065 乃木希典陸軍大将・写真画報 山口県出身の乃木希典陸軍大将(日露戦争軍司令官、後に学習院院長)の写真画報です。大正15年二月十一日発行。菊香会本部発行。サイズは大きく、横26.3センチ、縦38.5センチあります。70頁。明治天皇の写真、乃木大将の軍歴と生涯を物語る写真と説明文、エピソードが多数掲載されています。静子夫人の水墨画、東郷平八郎の書、乃木大将の書、英国皇帝裁冠式参列(東郷平八郎・乃木希典)の写真など、珍しいものがあります。乃木大将殉死の新聞記事も掲載されています。乃木大将の資料として役立つものが多数あります。送料はクロネコメール便で240円です。 |
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JGMM0053 乃木希典陸軍大将・肖像画 山口県長府出身の乃木希典陸軍大将(日露戦争軍司令官、後に学習院院長)の肖像画(プリント)です。明治天皇崩御に際し殉死。古いものと思われます。裏は白紙です。中央に横に折れ目が有ります。戦史の資料として額装して保存しておけば価値があると思います。横27センチ、縦39.5センチ。古いものです。送料はクロネコメール便で160円です。 |
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乃木希典(のぎ・まれすけ)陸軍大将 1849年(嘉永2年)〜1912年(大正元年)長州藩出身(山口県下関市長府)。 江戸麻布長府毛利上屋敷で誕生。子供の頃、左目を蚊帳の先で傷つけ失明。1866年(慶應2年) 第二次長州征伐小倉口の戦闘に参加、1877年(明治10年) 西南戦争において陸軍少佐で連隊長として戦闘中、軍旗を西郷軍に奪われる、1892年(明治25年) 日清戦争に従軍、1898年(明治31年) 陸軍大将。1904年(明治37年) 日露戦争で第三軍司令官。大将の二人の息子、長男・勝典、二男・保典が戦死した。1905年(明治38年) 旅順要塞降伏、旅順開城。ステッセル将軍と水師営の会見、奉天会戦。1906年(明治39年) 学習院院長、1912年(明治45年) 7月30日 明治天皇崩御、同年(大正元年)9月13日夫婦で殉死 。 |
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