−3月−

−タイムマシン6−
もし交通事故を起こしたとしたら,もう一度その日の朝に戻って1日をやり直したいと思うはずです。そのつもりになって朝を迎えると,事故を起こす前の時点に自分がいると思うだけでありがたくなってきます。普通の日でも,これから先,前方不注意で事故を起こすかどうかは自分しだい,という時点に戻っているのだと思うのが「今すぐに叶えられるタイムマシン」です。「訴えてやる!」と思った瞬間は,まだこれから先どちらの道を選ぶかを決める前の時点に自分はいるわけです。それは,愚かな道を選んでしまって後悔している未来の自分からみれば,とてもうらやましい状況になります。

−タイムマシン7−
どちらの道に足を踏み出すか,という時点に自分がまだいる状況の有利性が本当に分かっていれば,後で後悔しない選択もできるかもしれません。しかし,とかくその時の激しい感情が理性に勝ってしまい,愚かな選択をしてしまうこともあります。これは相手との問題のようで,実は自分自身の中の「甘え」との戦いに負けたに過ぎません。そんな自分の中の「甘え」を達観できるようになった時点から今の時代にタイムスリップしたいものだと思います。

−授業1−
道徳の授業に出ているクラスの担任に新採の先生がおられます。先日,私の授業中に何かをメモされていました。後で話を聞くと,私がほめた回数と,指示,指導と思われる回数を数えてみられたそうです。

−授業2−
そんなものを数えられていたのか,とドキッとしながら,回数を聞くと,ほめた回数が36回とのことでした。そして,「子どもの数よりほめた数の方が多いんだなあと感心しました。」と変なほめ方をされました。

−授業3−
それから,「まだ本を開いていない人がいるので,待って下さい。」という類の指導と思われる回数が3回だったとのことでした。私はそんなチェックをされているとは知らず,いつも通りに授業をしました。しかしこうして教えてもらうことで,自分の授業パターンを客観的に知ることができました。36回ほめることが多いのか普通なのかは分かりませんが,私の場合,その理由の1つには「恐れ」があると思います。

−授業4−
もし授業中に「うぜぇ!」とか「だるーい。」というような声が聞こえてきたとしたら,教える側の心は傷つきます。また,興味なさそうに本も開かずそっぽを向いていたり,「分からん!」と言うような児童がいると,自分が否定されたような気になったり,無力感を感じたりします。そういう状況に対する恐れがあるのではないかと思っています。

−授業5−
こういう言葉や態度は教える者を傷つけるだけでなく,周囲の児童の気分まで陰鬱にさせます。本人は悪気もなくほとんど無意識の行動であったり,日々の習慣になっていることもあるようなので,もしこういう場面が見られたら,それは「マイナス言葉」と言って周りの者の気持ちまでマイナスにするのだという説明をまずします。そして,その後徹底的にその言葉や態度を撲滅するキャンペーンを張っていきます。

−授業6−
今までは担任をしていたので,あからさまなマイナス言葉が聞かれたことはなかったのですが,今年度は初めて,道徳の時間だけ教室に行くことになったので,こちらの素性も知らずに最初のうちはワークシートを配ると,「またか。」と言ったり,「最悪。」と言ったりする子がいました。きっと他の時間にもこんな言い方をすることが許されているので,つい言ってしまうのでしょうが,ほんの一人だけでもこういう言葉は聞き捨てなりません。

−授業7−
何かプリントを配り始めると,「書く」活動を面倒くさがる子が「またかぁー。」と平気で聞こえるように言ったり,教師の言動の何かにつけてトゲのあるツッコミを入れてくる子がいます。こういう不快な反応は,その場ですぐに駆逐していかないと,こういう状況が1年中続くことになります。

−授業8−
マイナス言葉が聞かれた場合,すかさず「あー,やっぱりここにもいたか。どこのクラスにもこういうやつが必ずいるものだ。人の気分をすごーく悪くさせるやつが。」とまず牽制のジャブを送り,周りの子どもたちに「ねぇねぇ,みんな,この子っていつもこういうことを言うタイプ?」と聞きます。すると大体「そうそう。」とうなずきます。これだけでも周りの子と共感関係を結ぶことができます。周りを味方につけるのは喧嘩の常套手段です。最初の出会いで,猿山のボスは誰なのかをはっきりさせます。もっとも,全く反道徳的な行為を道徳の時間に行っているともいえますが。

−授業9−
周りの子の同意を得た後,その周りの子たちをほめます。「みんなはすごいね。今一人だけ書くことをいやがった人がいたけど,本当は他にも書くことが好きじゃない人がいるはずです。でも,他の人たちはいやだと言わず,やらなければ,と思っているのでしょう。その心が賢さをつくり出します。すごい!」授業妨害になる言葉は即座に駆逐すると共に,そういうことをしない行動を評価することで未然防止を図ります。

−授業10−
今までは担任をしていたので,安心してのどかに授業をしていましたが,今年度のような週1ペースの授業の場合は,授業妨害発言による授業の停滞化,陰鬱化に対する未然防止をいつも意識していました。それが36回のほめ言葉として表れたのかもしれません。

−授業11−
マイナス言葉に対しては見逃さず,全体の場に引きずり出し,その醜さ,臭さ,汚さを認識させていきます。「そういう言葉は匂うんだよ。周りの者が臭くてかなわなくなる。みんなのやる気が薄れていく。みんなの迷惑になる。たのむから,やめてくれないかなぁ。」と,睨みをきかします。しかし,その後は必ずその子を中心にほめていきます。

−授業12−
授業妨害になるようなマイナス言葉も,徹底駆逐とその後のフォローで5月頃からはどのクラスでも平穏に授業を行うことができるようになりました。学級を持たず,道徳専科という初めての経験でしたが,いくら注意しても変ににやけて,いい加減な態度だった子や本も開かずぼーっとしていた子が段々授業に入り込んできてくれるようになった手応えや,暴力事件,授業中の立ち歩き,教師への暴言等,学校中で一番の問題児だった子が,道徳の時間には私語もせず何度も発表をし,早く終わると「もう終わるのか。」と言ってくれたことなど,この1年は思い出深い1年ではありました。

−ウマイ話1−
俗に「早寝早起き朝ご飯」が学力と相関関係にあると言われています。成績をアップさせるには朝ご飯を食べること。朝,パンよりご飯を食べておく方が頭の働きに有効である。これはすごい話です。

−ウマイ話2−
このすごい話に真実味を与えたのが,昨年43年ぶりに実施された全国学力テストの「毎日朝食をとる子どもは全くとらない子どもより平均正答率が20ポイント高い」という結果です。しかし,先日の新聞に,この結果から,生活習慣の改善を学力向上と結びつける風潮を疑問視する意見が載っていました。「相関関係は必ずしも因果関係ではない」という内容です。「毎日の朝食と子どもの好成績はともにその家族の生真面目さの反映で,原因と結果ではない,などと推測することも可能だろう。」と。

−ウマイ話3−
その新聞によると,ある大学の教授の談話として「朝食を毎日とることは,きちんとしたリズムで生活するということ。成績に好影響を及ぼすことは当然あるでしょうが,必ず良くなるというものでもない。過剰な期待は禁物です。」という言葉を紹介しています。

−ウマイ話4−
確かに,例えば「少人数制にした方が学習効果が上がる」ということが真理ならば,小規模の学校ほど学力が高くなるはずです。しかし,そういう事実を聞いたことはありません。40人でも効果の上がる学習方法があるでしょうし,4人でも効果が出ない学習方法もあるでしょう。

−ウマイ話5−
件の新聞には「子どもはきちんと朝ごはんを食べた方がいいに決まっている。食卓で親子の会話がはずみ,子どもがその日を元気で過ごす。それで十分ではないか。」「何の分野にせよ,「これ1つでこうなる」というウマイ話は,世の中にそうあるものではない。」とありました。これらは全て理論的で穿った意見に思われます。しかし,何事も,最初に気づいて取り組み始めた時の思想と,その後の亜流にはこのような批判が入り込む差が生まれてくるものです。

−ウマイ話6−
子どもの成長を真剣に考えて実践をしていれば,学力を少しでも高める要素があると思われるものにはすぐに反応するものです。教師の仕事は実践と研究です。誰に言われるでもなく,自らの経験と感覚から手応えのある確実な教育を検証を繰り返しながら常に改善していくのは,教師として当たり前の仕事です。生活習慣と学力の関係についてこだわり,取り組みが始まったのはそういうごく当たり前の作業に過ぎません。誰が「朝ご飯さえ食べれば学力が上がる」などと考えるでしょう。少しでも子どもに力をつけたい。そのために利用できるものは何でも利用していく。それは,「ウマイ話」とは随分かけ離れた「努力」なのではないかと思います。

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