京都へ出るとき、或は戻る時、良く阪急嵐山線を使ったので、嵐山には良く行ったが、嵐山近辺散策はあまり行わなかった。一つに何時も観光客で一杯というイメージが強すぎたかもしれない。
嵐山という山の名前であり、周辺一帯の地名にもなっている。王朝貴族の遊楽の地であった嵐山、その後天龍寺が開山されると門前町の様相を呈し、江戸時代には、桜や紅葉の名所として、茶屋も並んでいた。
鎌倉時代の亀山上皇が、夜、橋の上にかかる月を見て、「まるで月が橋を渡っているかのようだー」たと述べたことに由来するという「渡月橋」は、全長155m、幅約11mの架橋である。かっては、今より100mほど上流であったが、1606年(慶長11)、角倉了以が保津川を開削したとき、現在地に移され、昭和9年に現在の橋となった。平成12年、欄干が総檜製に新調された。
橋の上流が、保津川、下流を桂川と名を変える川は、嵐山近辺では、大堰川とも呼ばれる。古代に川の整備を図ったという畑氏に由来するのだろう。
阪急嵐山線、嵐山駅近く、渡月橋の西側、桂川の川べりは、嵐山公園として、整備されている。公園西側には、茶屋が並んでいて、軽い食事や喫茶、そして本格的な京料理も楽しめる。春は、桜目当ての多くの人で賑う。
京都盆地の西側に位置していることもあり、比叡山の山並みや京都市街地を遠くに望む事ができる。
千光寺(せんこうじ)大悲閣(だいひかく)の沿革
禅宗 単立寺院
1614(慶長19) 嵯峨野にあった千光寺を移築
江戸時代の豪商「角倉了以」が、自らの隠居の地 、そして保津川開削で犠牲になった人達の供養す るためであった。
何時もは、保津川の東側を散策するのが、常だが、この年(2000年)は、東側を歩き、千光寺へと向かった。12月初旬であったこともあり、一頃の人手ではないし、西側を歩く人も少ない。紅葉も終わりかと思ったが、まだまだ楽しめる。対岸の宿や休み所が、紅葉の木々に囲まれているのが、良く分かる。
旅館の嵐峡館から、斜面を登っていくと、そこは本堂と客殿の小さな境内が、嵐山の中腹に拡がっている。そこから、保津川を眺めは絶景だ。紅葉した木々の間から望める保津川、そこを船下りが渡月橋の方に下っていくし、更に、対岸には、トロッコ列車が走っていく。
境内を取り巻く木々の紅葉も、12月になったとは云え、艶やかさが残っている。
天龍寺から、嵯峨野に向かう竹林の中に、ひっそりと佇む野宮神社がある。かって、伊勢神宮の斎宮に選ばれた未婚の皇女が、伊勢に下る前に約1年間こもり、心身を清めた場所だったという。今は、えんむすびや安産といったご利益を求め、若いカップル連れが多くお参りしているが、斎宮に選ばれた皇女たちは、ここで、どのような思いで過していたのだろうか。一旦、斎宮になれば、原則として天皇の崩御。譲位の時以外には都に戻れないし、戻ったとしても生涯独り身だったという。そんな斎宮の悲恋話も残っている。
松ノ木が繁る亀山公園を抜け、「トロッコ嵐山」駅の手前に、小さな山門の大河内山荘がある。かっての時代劇の名スター大河内伝次郎が造営した山荘で、約6000坪という敷地は、回遊式庭園となっている。小倉山の南面に位置して、比叡山や京都市街地を望める絶好の場所にある。さらに、庭園を進み、上がっていくと突然展望が開け、嵐山から保津川を見ることもできる。
更には、茶屋風の休み処では、抹茶で一息できる。都会の喧騒を離れ、静かな時をただ漠然と過す所という感じを抱く。
保津川下りを体験したのは、1999年の6月上旬、梅雨に入る前であった。何時もの様に、阪急嵐山駅から、渡月橋を渡り、亀山公園を抜け、
竹林の中を進んでいくと、トロッコ列車の「トロッコ嵐山駅」に着く。かっての山陰本線の一部であったが、路線が別にひかれ廃線になるところを、平成3年、嵯峨野駅から亀岡駅までの間をトロッコ列車として復活。保津川沿いの沿線風景、更には、車掌さんのユーモアある車内でのガイドなどで、人気を集め、トップシーズンでは、相当前から予約しないと乗車できないという人気ぶりだ。列車も、窓ガラスのない開放的な車両もあり、自然に直接触れての旅情が味わえる。嵐山駅を出発して、トンネルを抜けると、眼下に保津川の流れを見ながら上っていく。何度か、保津川を渡りながら進んでいく。景観の良いところでは、一時停止してのサービスもある。この沿線は、桜でも有名だが、この桜は、駅員や車掌の人達がこつこつと桜の苗木を植え育ててきたものだという。その苦労が報われ、今では桜の季節の名勝地となっている。
約25分のトロッコ列車の旅を終え、トロッコ亀岡駅につき、そこからバスで船着場に向かう。
この時は、梅雨前のシーズンだというのに多くの観光客が船着場にいた。ある程度の待ち時間があったと記憶している。しかし、この日、保津川の水位があまり高くなく、急流を下るという感じではない。それでも、保津川を下り、両岸の新緑や岩などを見ているのは気持ちが良い。トロッコ列車が通過すると、お互い手を振り合っている光景もなごやか。やがて、船が嵐山に近づくと、飲み物、食べ物、土産などを載せた船が近づいてきて、お客の求めに応じて商品を販売している。そうこうしているうち渡月橋が見え、終着となる。
かって、物資を運んだ船が下っていた保津川、その為にも度々開削されてきたことから、「堀津川」の意味から保津川と名がついた。
そんな、保津川は、今では、多くの観光客を乗せた船が下る、癒しの川になっている。