東寺の沿革 |
金堂
講堂
五重塔
交通量の多い九条通りに面した南大門をくぐると、正面に大きな伽藍に圧倒される。金堂である。796年(延暦15)に創建されたが焼失し、1486年(慶長8)に秀頼の発願により片桐且元が奉行となって再建された。金堂内部には、密教らしからぬ 薬師三尊像(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)と本尊の台座周囲には、十二神将像がめぐらされている。真言密教の根本道場である東寺に何故薬師三尊か不思議だが、東寺の歴史から考えれば、最初は官寺として創建されたことを考えれば理解できる。真言密教の道場に変えたとしても、元々から祀られていた仏像はそのままにせざるを得なかったのだろう。そう考えれば、東寺の歴史の一端を見る思いの金堂である。
金堂の北側にある講堂は、空海によって825年(天長2)に着工され、835年(承和2)頃完成したが、その後自然災害などで大破し、さらに焼失したが、1486年(延徳3)に再興された。講堂の内部は、大日如来を中心とした立体曼荼羅となっている。巨大な二十一体の仏像に圧倒されてしまう。奈良・東大寺の三月堂内とは違った荒々しさを感じた。
中央に五智如来ーーーー大日如来を中心に、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来、阿閦如来が四方を囲む
右となり五菩薩ーーーー金剛波羅蜜多菩薩を中心に金剛宝、金剛法、金剛業、金剛菩埵の菩薩像が四方を囲む
左となりは、五大明王ーー不動明王を中心に、降三世、軍茶利、大威徳、金剛夜叉の明王像が四方を囲む
これらの両脇には四天王、梵天、帝釈天が守っている。右脇には、持国天、梵天、多聞天で、左脇には、増長天、帝釈天、広目天
まさに真言密教の仏像が一堂に祀られている。
南大門をくぐった東側に大きくそびえる五重塔、東寺のシンボルというより、京都に来たという実感をわかせる存在になっている。883年(元慶7)に竣工した五重塔も、その後何回かの焼亡を繰り返し、1644年(寛永21)に五代目となる再建が徳川家光によって寄進され、現在に至っている。内部は、心柱を大日如来に見立て、その周りを金剛四仏、八代菩薩像が安置された密教の世界が広がっている。周囲の壁には、真言八祖像が描かれている。今でこそ、時の流れで色あせてしまっているが、再建当時は、さぞ艶やかな極彩色で彩られていたと思われる。この五重塔、心柱が建物と独立し、建物も地震に強い構造になっているとのこと。構造力学的な事は良く理解できないが、日本のこうした大きな建物には、昔から地震に強い構造物が多い。実体験に根ざした経験則が伝わってきていたのだろう。
西門近くにあるのが大師堂。空海の住房跡で、秘仏の不動明王が安置されている。1379年(康暦元)に焼失後、翌年再建された。創建当初の寝殿造りの意匠を残しているという。
東寺の塔頭で、もっとも格式が高い。本堂には、唐の国から持ち帰った五大虚空菩薩が本尊として祀られている。客殿は、北政所の寄進により再建された書院造り。床の間には、宮本武蔵筆の鷲の図、襖には竹林の図が描かれている。今では、かなり色あせているが、吉岡道場との決戦後3年間潜伏していたときに描かれたわけだから、武蔵が未だ若い頃の作品でこれだけの絵を描いていたことに驚く。客殿の南側には、空海が唐からの帰国を表したという枯山水の庭となっている。
五大の庭