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天龍寺

太閤秀吉の最後の花見となった醍醐寺の桜

醍醐寺の沿革
 
真言宗醍醐寺派総本山
 874年(貞観16)  理源大師聖宝が、醍醐山に小堂を起こす
 907年(延喜7)   醍醐天皇の御願寺となる
             応仁の乱で荒廃したが、豊臣家により復興

醍醐寺といえば、桜であるが、醍醐寺に初めて参観したのが2002年、桜も既に散ってしまった5月の下旬であった。地下鉄醍醐駅を降りると駅前は近代的なショッピングセンターやマンション街になっていて、醍醐寺を訪れるという感覚との違和感を覚えたものだ。醍醐山の山上を上醍醐と麓の下醍醐に分かれている。下醍醐の金堂、五重塔を見、秀吉が花見をしたというやりやまを越えると、上醍醐への登り道となる。秀吉の花見があまりにも有名になってしまった醍醐寺だが、本来は、空海の孫弟師にあたる理源大師が草庵を結んでの真言密教の山岳修験の道場が始まりだ。理源大師は、若い頃から山岳修験の練行をつみ、修験道当山派の開祖とされている。そんな醍醐山、上醍醐までのきつい登りに汗を流すと、開山堂や如意輪堂などの堂宇が並ぶ山上の浄地、醍醐寺草創の地に辿り着く。山上からは、宇治方向から大阪方向を望む事ができる。山上の清々しさを身に包み、下醍醐へ降りる。下醍醐の桜を見に行ったのが、翌2003年の四月だった。さすがに桜の名所で、多くの花見客で賑わっていた。秀吉が醍醐の花見を催したのが、1598年(慶長3)の3月15日(旧暦)、伏見城を出発した行列には正室北政所、淀殿、前田利家の妻まつなどの始めとした侍女1300人が次々と醍醐寺に到着したという。この時の桜700本は、秀吉が近江・河内・大和・山城の各地から移植させたという。そんな話を聞くとその艶やかで盛大な花見の宴が思い浮かぶ。しかし、そうした花見の宴をしている時も、朝鮮での戦いが続いていた。秀吉の失政といわれる朝鮮の役、そんな戦いが続いている時の花見の宴、何故にこの様な華やかな宴を行ったのだろうか。秀吉は自分の死期が近い事を知ったのだろうか、6歳の幼い秀頼の将来の身に不安を感じたのだろうか、そんな諸々の不安を吹き飛ばすためだったのだろうか。この花見の宴の五ヶ月後62歳で死去し、やがて豊臣家は亡んでしまう。まるで、豊臣家の最後の大きな花火を打ち上げたような豪遊だ。真言密教と山岳修験の道場として草創された醍醐山、時代が下がって秀吉による醍醐の花見とまったく異なった世界を見せてくれる。
醍醐味の語源は、ここ醍醐寺からきていることを知った。上醍醐の清滝宮近くに湧き出る名水を「醍醐味なり」と感嘆した老翁がいたという。この醍醐とは、牛や羊の乳から精製した濃厚甘美な液汁のことで、今のヨーグルトのようなものであり、薬用に供されていたという。仏教界では、牛乳を精選する五段階の味を、「乳味」「酪味」「生酥味」「熟酥味」「醍醐味」といい、醍醐味が最高のレベルとされていた。この醍醐の味に似ていたのだろうことから、醍醐味となり、醍醐という地名の由来にもなったとか。面白い話である。

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上醍醐

准胝堂

如意輪堂

清滝宮拝殿

1605年(慶長10)に如意輪堂から出た火は、開山堂、五大堂を焼く尽くした。しかし、豊臣秀頼は、翌年僅か数ヶ月でこれら堂宇を再建してしまったとい。これらの工事を請け負ったのが、小田原攻めの際の一夜城などを築いたといわれる土木工事専門集団だったという。この集団こそ秀吉の遺産だっといえる。

西国三十三観音霊場第十一番札所。

876年(貞観18)に創建され、1606年(慶長11)に再建。

空海が唐・長安の青龍寺から勧請した密教の守護神を、寺の鎮守として祀った社と云われている。1439年ごろの再建。

開山堂

如意輪堂と同じに再建。

五大堂

理源大師が開いた国家鎮護の祈願道場で、昭和15年に再建。

薬師堂

理源大師が醍醐天皇の勅により造営。約200年後の1121年(保安2)に再建された山上最古の建造物。

下醍醐

五重塔

金堂

弁天堂

五重塔は、951年(天暦5)の建立以来、幾多の火災を免れてきた京都最古の木造仏塔である。この五重塔の内部も東寺の五重塔と同じ真言密教の世界が表されているという。上層の屋根の大きさが徐々に小さくなる均衝のとれた屋根逓減率、太い木割などから重量感と安定感のある外観となっている。この塔は、16世紀末の2回の大地震で傾き、放置されていたが、豊臣秀吉によって修復された。
金堂は、紀州・満願寺本堂を移築し、1600年(慶長5)に完成。

三宝院の庭園

三宝院は、平安末期に開かれた醍醐寺の塔頭で、元は五重塔の近くにあったが、応仁の乱で焼失、途絶えていたが、秀吉によって復興された。秀吉は、復興の際自ら造園を指揮したという。

醍醐の桜

霊宝館内の桜

三宝院前の桜

花見客で賑わう参道

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