books / 2003年09月06日〜

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恩田 陸『蛇行する川のほとり』
1) 中央公論新社 / 新書判三分冊 / 2002年12月10日(1)、2003年04月10日(2)、2003年08月25日(3)付初版 / 本体価格各476円 / 2003年09月05日読了 [bk1で購入する(1)(2)(3)/amazonで購入する(1)(2)(3)]

 美しいふたりの少女、香澄と芳野に誘われて、毬子は川のほとりにある香澄の家を訪れた。夏休みの九日間、ここで合宿して、演劇部で使用する背景を仕上げるために。秘密めいた空気を纏う香澄と芳野に、香澄に執着し毬子を敵視しているような月彦と、毬子に奇妙なアプローチを仕掛けてくる暁臣が絡むと、楽しかった合宿はいつしか過去の忌まわしい記憶を反芻する時間に変貌していった……
 著者ならではの情景描写と透明度の高い少年少女像が光る佳作である。「秘密」をそれぞれに抱え、互いに猜疑と思慕とを綯い交ぜに持ちながらギリギリの距離で接する主人公たちを、一巻(一部)ごとに視点を変えながら、穏やかな筆致で切り出していく。
 デザインから作品の雰囲気を盛り立てているが、惜しむらくは仕掛けの処理である。そもそも三分冊も必要とするほどストーリーもプロットも規模は大きくのだが、最初にされて然るべき解釈をいったん避けて最後のサプライズにしたような印象が強く、ややピントがずれてしまった。
 三分冊、という方法を重視するのならば、一冊一冊の間隔をこれほど開けずに月刊か、隔月刊ペースで刊行して欲しかった。私自身は二巻・三巻と立て続けに読んだからいいようなものの、このイメージと余韻を保つのにあいだ四ヶ月はあまりに長い。
 しかし、既に全巻出揃った時点で言えば、デザイン・文章・プロットとも端正な仕上がりで、やや小振りな印象はあるものの秀作と呼んで差し支えない。全巻揃えても近頃のハードカバー新刊より若干安いくらいなので、割高感も思っていたほどには感じなかった。重厚なミステリを望む向きには物足りないだろうが、透明度の高い青春小説ふうのミステリーがお好みであれば間違いなくお薦め。

(2003/09/06)


ビル・プロンジーニ/木村二郎[訳]『幻影』
Bill Pronzini “Illusions” / translated by Jiro Kimura

1) 講談社 / 文庫判(講談社文庫所収) / 2003年08月15日付初版 / 本体価格752円 / 2003年09月08日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 日本で一時期ドラマ・シリーズも制作されていたハードボイルド“名無しの探偵”シリーズの、1997年に発表された長篇第24作。日本での訳出は2000年に刊行された22作『凶悪』以来となる。
“わたし”のかつての相棒であり、のちに喧嘩別れしたエバハートが死んだ。愛車のなかで、自分の心臓を撃ち抜いた拳銃を手にして、グローブボックスに遺書を入れて。自殺以外の可能性を疑いようもない状況だったが、エバハートが最後に交際していた女性ボビー・ジーンの願いで彼の仕事場や住居の荷物を整理しているうちに、疑問が頭を擡げるようになる。一方、“わたし”の事務所には、死を間近に控えた息子のために、消えた妻を捜し出してもらいたいという依頼人が現れた。“わたし”は公私双方で、心を削られるような事件に関わる羽目になった……
 先の邦訳作品『凶悪』以来待ち焦がれていた新訳である。何故、本編でも微かに触れられているらしい第23作『Sentinels』が飛ばされたのかが解らないが、或いは厳選したものだけを輸入しようとしているのかも知れない。濃密で重みのある作品だった。
 冒頭から非常にトーンは重い。実際にシリーズのかなり初期から登場していたキャラクターの自殺、というエピソードを持ってきただけあって、他の作品ではありえないほど描写が真に迫っている。出所の異なる事件を並行して扱うという趣向だが、“わたし”の内的葛藤を背景に両者が分かちがたく結びついていて、終盤まで緊密に関連し続ける、その処理の巧さも出色だ。
 事件の謎そのものはそれほど難しいものではない。丁寧な取材の痕跡は窺えるが、わりとシンプルで、実質的にはいちばん解りやすい位置に落ち着いている、という印象がある。いちおう密室らしきものも登場するが、本格ミステリ風の決着を期待するとかなりの肩透かしを食うだろう。だが、ふたつの事件が共鳴しあうかのように同時に収束を迎え、それらに対して“わたし”が下した決断は沈痛で、深く長い余韻を齎す。決して難しい謎ではないからこそ、こうまで重みが沁みてくるのかも知れない。物語の様々な要素を束ねた題名も含めて、まさに練熟のハードボイルドである。
 訳文も雰囲気をよく伝えていて好感触だったのだが、ところどころ妙にだらだらとした文章があり、いまいち文脈を捉えにくい箇所があったのが気に掛かる。原文がそういう感じだったのか、一種のケアレスミスなのか、少々判断に迷った。

(2003/09/09)


綾辻行人+有栖川有栖=監修『新本格謎夜会[ミステリー・ナイト]』
1) 講談社 / 新書判(講談社ノベルス所収) / 2003年09月05日付初版 / 本体価格840円 / 2003年09月10日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 綾辻行人氏のデビューを皮切りとする「新本格」ムーブメントの誕生から15年を数える2002年、東京と神戸の2箇所で開催されたイベント『新本格 ミステリフェスティバル』の模様を再現した一冊。綾辻・有栖川両氏原案監修による謎解きイベントに、新本格作家諸氏を集めてのトークイベント、現地で展示された写真を収録している。
 イベントの雰囲気を再現している、という意味ではたぶん満点に近い出来だろう。実際に参加したライターによるレポートに、トークイベントの和気藹々とした雰囲気が伝わってくる。それぞれの作家のコメントにも個性が垣間見えて面白い。ただ、それ故にこの辺のくだりは本格ミステリ全般の愛読者にしか楽しめないような印象があるのも致し方ないところか。
 メインとなる謎解きイベントは、大元となる密室トリックがちと安易だが、他の部分で推理クイズとして秀逸な着想があって、なかなかよく出来ている。全体としては中篇ぐらいのネタなのだが、こういう形だと読み物としても楽しめる。
 参加できなかったファンへのサービスという印象の濃い一冊だが、そういう意味では充分に役割を果たしていると思う。個人的に東西のトークイベントで「フィーリングカップルのランプがつかない人」を務めた喜国さんに拍手を贈ります。

(2003/09/10)


ボストン・テラン/田口俊樹[訳]『死者を侮るなかれ』
Boston Teran “Never Count Out the Dead” / translated by Toshiki Taguchi

1) 文藝春秋 / 文庫判(文春文庫所収) / 2003年09月10日付初版 / 本体価格857円 / 2003年09月17日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 イギリス推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞、「このミステリーがすごい! 2002年版」と三つの栄冠に輝いたデビュー作『神は銃弾』に続く最新作。
 1987年の秋。一人の少女によって砂漠に連れ出された警官は、背後から銃撃を受けて埋葬された。辛うじて一命を取り留めた警官は、だが別の嫌疑によって警察を追われ、失意のうちに行方を眩ました。
 それから12年後。元警官・ヴィクは広場恐怖症のジャーナリストからの電話によって覚醒を促される。砂漠にほど近い土地に建設計画が立案された学校を巡る献金疑惑を調査していたジャーナリストは、過去の殺人未遂に行き当たると同時に、ジャーナリスト志望の女を死なせていた。突破口として引きずり出されたヴィクは、過去の悪夢との再会を余儀なくされる――自分に事実上の死を齎した母子との対面という形で。そして、生き残りを賭けた復讐劇が始まる……
 ざっと粗筋にしてみるとハリウッド調だが、中身も実にハリウッド映画テイストである。裏の事実を隠しながらねっとりと語り継がれる事件の内容は、凄惨ながらけっこうシンプルで、その謎自体は決して牽引力に富んだものではない。また、同じ文脈に複数の視点が登場するため、しょっちゅう混乱させられる。作り手の意識があまりに映像的すぎるのだろう、それこそハリウッド映画を鑑賞するような感覚で、場面のひとつひとつを想像しながらであれば実に巧妙だと感じられるのだけど、文章だと雑然とした印象ばかりが先に立つ。
 が、異様な熱気を備えた文体は、いったん慣れると麻薬的な魅力を発揮する。ある部分を除けば常に読み手の裏をかく展開も(それこそ「ハリウッド的」という形容を用いた大きな理由のひとつでもあるのだが)、ページを繰る手を急がせる。
 とりわけ、登場人物のインパクトが強烈なのだ。いちど埋葬され死の淵を覗いた男と、その男を殺そうとし、他人を支配する術に長けた女と、彼女からいちどは遠ざけられながら心を縛られ続けたかつての少女。この三人の魂を削るような神経戦だけでも充分な読み応えがある。男を呼び戻した広場恐怖症のジャーナリストなどの脇も、実によく固まっていて、薄汚れながらも魅力的だ。
 シンプルすぎるストーリーをやたら込み入った文章で綴り、どうしても雑然とした印象が拭えないが、それにも勝る熱がすごい。強烈に人を選ぶ内容ゆえ万人にお勧めすることは難しいが、とりあえず「ノワール」という言葉に魅力を感じる向きや、馳星周、ジム・トンプソンといった名前に食指を誘われる方であれば一読の価値はあるだろう。

(2003/09/17)


折原 一『被告A』
1) 早川書房 / 四六判ハード(ハヤカワ・ミステリワールド所収) / 2003年09月15日付初版 / 本体価格1800円 / 2003年09月19日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

『五つの棺』(のち増補されて『七つの棺』)でのデビュー以来、『倒錯のロンド』、『沈黙の教室』、『冤罪者』など様々な趣向を凝らしたミステリを発表し続ける著者が、2003年09月に書き下ろしで刊行した長篇。
 被害者の傍らにトランプのカードを残していくという手口から「ジョーカー殺人事件」と呼ばれるようになった一連の犯行の嫌疑を掛けられた田宮亮太。犯行を否認する彼だったが、執拗な取り調べに遂に自供をはじめる。だがそれは、法廷を舞台にした逆転劇への布石だった。田宮の言動は、彼の犯行を確信していた被害者の会の人々のあいだに疑惑を芽生えさせる。
 一方、息子を誘拐された教育評論家・浅野初子は、犯人の意図の分からない指示に振り回されていた。手口と状況から、これがジョーカーを巡る五番目の事件であると確信しながら、息子の命惜しさに警察はおろか親しい人間さえ頼ることが出来ない。果たして、初子は無事に息子を取り戻すことが出来るのか、そしてジョーカー事件の真犯人とはいったい何者なのか……?
 騙されるまい、と念じていても騙される。そういう状況ほどミステリ読者にとって悔しくも幸せな一瞬はあるまい。しっかり重心を落として身構えていたはずなのに、見事な背負い投げを喰らわされた一冊である。
 読み終えてから見返すと、冒頭から実に周到に伏線が張り巡らせてある。些細な行動に覚える違和感が、ラストシーンに至ってほぼひとつ残さず収束している。作品の性格故、どこがどう収束していくのか語れないのが辛いが、収まりが悪い、と感じる描写のほとんどに意味があった、ということだけは言い添えて構わないだろう。
 考えようによっては、これまでの折原作品の集大成的な意味合いがある、とも言える一篇である。折原作品に触れたことのない人にも無論のこと、むしろ何冊か読んできたような方にこそ積極的にお薦めしたい。

(2003/09/19)


北森 鴻『支那そば館の謎』
1) 光文社 / 四六判ソフト / 2003年07月25日付初版 / 本体価格1500円 / 2003年09月22日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 鮎川哲也賞と日本推理作家協会賞を獲得した著者が2003年7月に発表した作品集。
 有馬次郎は京都・嵐山の奥の奥にある知名度の低い山寺、大悲閣千光寺の寺男。かつて広域窃盗犯として鳴らしていたが、千光寺の住職に諭されて足を洗ったのだ。細々と平穏に暮らしたい彼だが、意味もなくやって来てはお茶請けの蓄えを貪っていくみやこ新聞文化部の記者折原けいと京都府警の穀潰し碇屋警部ともども繰り返し事件に巻きこまれる羽目に……。
 コミカルな必殺仕事人、という趣。基本的に語り手である有馬次郎が、ときどき昔の稼業の面影を覗かせつつ、遭遇した事件を望む望まざるとに関わらず解決していく、というものである。冒頭から設定がしっかり組まれているのだが、キャラクターが本格的に走り出すのは第四話「不如意の人」あたりからで、コメディとしては消化不良の印象が残るところが勿体ない。
 各編の謎やトリックはいずれも京都の地域性を活かしたもので、はっきり言って地元の人間でもない限り事前に解き明かすのは不可能だ。だが、新妻千秋が語るとおり、持てる知識を駆使して推理するのが定石だし、充分とは言えないがそれぞれにこっそりと伏線が張ってある。何より、その仕掛けと利用法自体が面白いので、呆気に取られつつも頷かされてしまう。
 ただ、途中からレギュラー入りする、或いは作者の自虐心の吐露とも思える登場人物のせいで、その特殊性が浮ついたものに感じられるようになったことも否定できない。反面、シリーズものとしての面白さが際立ってきただけに、話の数が足りないようにも思えた。シリーズキャラクターと仕掛けがもっと密に噛み合った続編を期待したいところである。願わくば、例えば有馬次郎氏が現役に復帰するか否か悩んだりとか、折原嬢を挟んで誰かと誰かが三角関係になったりとか、そういう類のシリアスな展開がありませんように。
 私のベストは……選ぶのが難しいが、強いて言うなら第四話「不如意の人」か。

(2003/09/22)


泡坂妻夫『比翼』
1) 光文社 / 四六判ハード / 2001年02月発売 / 本体価格1700円 / [bk1で購入するamazonで購入する]
2) 光文社 / 文庫判(光文社文庫所収) / 2003年08月20日付初版/ 本体価格514円 / 2003年09月23日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 紋章上絵師であり奇術師でもあるという複数の顔を持つ著者が2001年に発表した、バラエティに富んだ作品集。本職である紋章上絵師の周辺に存在する仕事や人々に焦点を当てた「一の部屋/職人気質」、奇術を題材にした「二の部屋/奇術の妙」、幻想的な恐怖を綴る「三の部屋/怪異譚」、恋心と情欲の深さを描いた「四の部屋/恋の崖」の四章に分けて、全十一本の短篇を収録している。
 泡坂氏の基本的な作風を鳥瞰できる、好個の入門書だろう。一篇一篇の完成度は例えば亜愛一郎シリーズや曾我佳城シリーズ、それに各々のシチュエーションに統一した作品集と較べて劣るが、しかしいずれも平均値の高さを伺わせて快い読み応えがある。
 一貫していのは、現在と過去の対比から謎を抽出し物語を編み上げていくというスタイルである。簡潔な文章で現在と過去とを重ね合わせる手管には、若い作家には醸し出せない枯れた味わいがある。
 往年の作品のような込み入った仕掛けや明確な解決のある筋が少ないので、そういうものを求めると消化不良になるだろうが、娯楽小説としての完成度は確かだ。終盤に似たような趣向を持ってきてしまった作品が何点かあることだけが勿体ないが、それでもかなりの満足が得られるはず。
 個人的なベストは「胡蝶の舞」と「花の別離」の二篇。とは言えどの作品もかなり印象的で較べがたいのだが。

(2003/09/23)


倉阪鬼一郎『学校の事件』
1) 幻冬舎 / 四六判ハード / 2003年07月30日付初版 / 本体価格1500円 / 2003年09月23日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 架空の地方都市を舞台に、常軌を逸してしまった人々が繰り広げる様々な騒動を描いた《事件》シリーズ第三作。
 青山県吹上市は人口約六万人、これといった取り柄のない地方都市である。事件らしい事件も起きなかった平和な、別の言い方をすれば退屈極まりないこの土地で、とある学校の教師が尋常ならざる犯罪に手を染めてからというもの、椿事が相次いだ。住人の想像を絶する事件の果てに、いったい何が待ち受けているのか……?
 もともと「地方のフリークさん大集合」と表現したくなるシリーズだったが、本書は特にその性格を強めているように思う。六部構成だが、合わせてページの半分以上を占める冒頭二篇の際立った異常性が作品のイメージを決定づけてしまっているせいだろう。
 そのせいか、シリーズの他の作品と比較して「笑い」の要素が薄れてしまった。「笑い」を誘うための過剰さは相変わらず盛り込まれているのだが、今回は行きすぎていてツボに入らないことが多かった。自覚無自覚を問わず、加害者被害者共に痛々しくて見ていられない。いちばん酷い目に遭う人物がおおむね記号化しているのは、余計な感情移入を呼ばないという点で的を射た手法なのだが、それ以外の人物もステレオタイプになりがちで、翻って記号化した人物にも何某かの背景を想像させるような状況が出来てしまっているから、無関心でいるのが難しい。必定、あんまり「笑えない」状況に陥る場面が多いのだ。
 無論この著者のこと、きちんとプロットにもちょっとした仕掛けがあり、連作として楽しめるのも確かなのだが、謎の提示から解明に至る、とか全体を通して覚える違和感がラストで解消される、といった手続きを踏んでいないため、やや二義的なものに甘んじている印象がある。それ自体楽しめるのだが、ごく一般的な読者には「だから?」という感覚しか与えないかも知れない。
 再読すればその過剰さが笑いどころになるのは確実だし、相変わらずのマニアックなサービス精神には頭の下がる思いだが、初読でしかも倉阪作品にあまり馴染んでいない読者だと、引いてしまう可能性もなきにしもあらず。すでに文庫化している『田舎の事件』から読んで、肌に合うと感じた方は順々に本書まで手を伸ばしてみては如何だろうか。
 個人的には吹上市を全滅させるぐらいまでやって欲しかった……

(2003/09/23)


さだまさし『いつも君の味方』
1) 講談社 / 四六判ハード / 2003年09月13日付初版 / 本体価格1600円 / 2003年09月24日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 年間180本を超えるコンサートで日本各地を回り続ける著者が、デビュー以来に出逢った人々の想い出を中心に綴る書き下ろしエッセイ。
 さだまさしといえば歌よりもトークが長い、と言われるくらいで、さながら落語のように話がネタとなって繰り返し語られることが多い。ゆえに、こうして書き下ろしでエッセイを発表しても、往年のファンには今更と感じられる話ばかりになってしまう……というイメージがあったがさにあらず、本書は折りに触れ語られる名エピソード「退職の日」や、やはり憧れの人として幾度も引き合いに出す「ナガシマシゲオ」、そして初期のさだまさしコンサートを支えた「福田幾太郎」を除くと、比較的耳新しいエピソードが並んでいる。
 新しいエピソードが主に「会えなくなってしまった人」であるのが象徴的だ。錚々たる面々の名前が並ぶ「おじいちゃまの膝」の印象が強烈だが、大阪ホテルプラザの最期を看取った「最後の客」が特に素晴らしい。著者の交流のありようと、ホテルに携わり或いは関わった人々との別れを短いなかに描ききっている。
 著者の手掛けるエッセイは、なまじステージ上での喋りが手慣れているせいか、確かに自身の手になる文章らしいのだが、どうも生身の口調や舞台のうえでのアドリブをそのまま引っ張ってきてしまったように、構成が乱れがちになる欠点(味にもなっていたが)があった。が、『自分症候群』のライナーノートやファンクラブ会報に掲載していたような余技としてではなく、本格的な小説を志して『精霊流し』や『解夏』を執筆したあとだからか、文章的にも構成的にも洗練された印象がある。読み心地は良くなったがちょっと寂しいな、などと思っていたら、急に力の抜けたような「『ぺー』」が入っていたりするのがまた嬉しい。
 全体的にやや湿っぽくなりがちな話が並んでいるのがステージトークを良く知る者には物足りないが、長編小説を経て文章・構成が洗練され完成度は非常に高くなった。さだファンならずとも楽しめるはず。
 同題のシングルをBGMに読むと更に素敵です。

(2003/09/24)


江戸川乱歩『大暗室 乱歩傑作選13』
東京創元社 / 文庫判(創元推理文庫所収) / 1996年01月19日付初版 / 本体価格631円(2003年09月現在本体価格680円) / 2003年09月27日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 発端は、海上で起きた凶事であった。有明男爵の財産とその細君・京子に懸想した大曾根五郎は、遭難という非常事態を利用して有明を殺し、生還後その後釜に座った。やがて大曾根と京子のあいだに竜次という子が生まれると、大曾根は有明の忘れ形見である友之助までも手にかけようとするが、それをすんでのところで、遭難により死んだと思われていた有明男爵の忠臣・久留須左門が止めた。旧悪を暴かれ窮した大曾根は家に火を放ち、京子を焼き殺し久留須を二目と見られぬ容貌に変える。
 それから二十数年後。とある飛行競技大会に、圧倒的な技量を見せつけ、危険と紙一重の争いを繰り広げるふたりの美青年の姿があった。お台場でかたや悪の美徳を語り、かたや正義の志を語ったそのふたりこそ、大曾根竜次と有明友之助の成長した姿であった。ここに、因縁の戦いの火蓋が切って落とされたのである……
 1938年に発表された長篇である。ちょうど中国との戦争が始まり、検閲の陰が出版界に落ちるようになった時期ゆえに描写が薄まっている、点という割り引いても、全体に物足りない印象だった。冒頭の修羅場から因縁の対決に至るくだりは往年の活劇を思わせて興奮させられるが、その後の推移はやや安易と感じられ、盛り上がりもほかの通俗長篇と比べて甘い。
 いちばんの原因は、乱歩らしい背徳の美に彩られた悪役に対して、善玉のほうが精彩を欠いていることだろう。白馬に乗って現れたり、前半で登場するヒロインを守ると誓いつつも結局手を拱いていたり、自らの知恵よりも迫力のある参謀と警察権力頼みでものごとを解決しているあたり、悪役と並べるとかなりの遜色がある。
 悪役の犯罪じたいも決して手の込んだものではないため、果たして本当に解決不能のものだったかという疑問を残す。こと、乱歩のほかの作品とのリンクを目論んだと思しい描写があるために、余計奇妙に感じられるのだ。
 様々な制約がありながらもなお強烈な乱歩流の耽美描写があり、また後年発表された作品に敷衍されるモチーフの原型が認められたりと興味深い点も随所にあるが、ほかの作品と比べて見劣りすることは否めない。翻って、この作品で初めて乱歩作品に触れるとか、久々に読むという方には、確かに漂う乱歩の空気とソフトな手触りが心地よいかも知れない。

(2003/09/29)


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