books / 2003年10月06日〜

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京極夏彦『今昔続百鬼―雲』
1) 講談社 / 新書判(講談社ノベルス所収) / 2001年11月15日付初版 / 本体価格1150円 / 2003年10月05日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 妖怪シリーズの登場人物、妖怪研究家というより妖怪馬鹿の多々良勝五郎を主人公とした連作。
 俺こと沼上蓮次は古蹟や口碑伝承のたぐいをこよなく愛する、よく言えば在野の伝説蒐集家、悪くいえば道楽者の物好きである。社会的なことがらにまるで疎く、常日頃から妖怪のことしか考えていない多々良勝五郎とともに伝説や史跡巡りをしているのだが、この多々良氏、妖怪のこととなるとまるで後先考えず、強行軍で山中に迷い込むわ妙なお家騒動に首を突っ込むわ、でその都度俺を巻き込む。何より納得がいかないのは、この妖怪のことばかり考えている馬鹿が、時として偶然にも事態を解決のほうへ導いてしまうことがあるのだ――
 独自の哲学に満ち、晦渋な印象のある妖怪シリーズの傍流にあたるエピソードを扱った連作だが、味わいはかなり違う。同じ世界を漂いながらも、視点人物が間抜けだとこうも激しいドタバタ劇に変容するか。
 作品の性質が違うせいなのかはたまた私の嗜好が(しばらく京極作品を読まないうちに)変化してしまったせいなのか、今回特に説明過剰の文章が肌に馴染まなかった。他の作家や作品であればこんなにだらだら書かず数行で済ませるのに、と感じる場面も多かった。ページの隅で文章を一区切りする手法のために無理に行数を増やしているな、と思わせてしまう余分な文章も散見されたのが、そういう意味では更にマイナスに働いている。
 話そのものは面白い。登場人物の煩悶や変遷を繰り返し描き、ペダントリーを盛り込みすぎた長篇シリーズよりも遙かに素直で、軽快なミステリになっている。ただ、途中から手法が見え透いてしまうため、人によっては「最初に予想した真相のほうに話が転がっている」という気分しか味わえないかも知れない。
 だから、あとは多々良勝五郎大先生と沼上蓮次の凸凹コンビによるやりとりを楽しめるかどうか、がポイントだろう。どちらも確かに馬鹿者で、妖怪のこと以外はまるで学習というものをしないから、似たような応酬が頻繁に繰り返される。登場人物が絞られている分、余計にこのふたり如何で評価も自ずと違ってくるはずだ。シリーズ関連作品という観点からは、あの人物との邂逅がひとつの目玉となるが、翻ってその部分だけ本筋のテイストに引きずられている印象があるので、本編を単独のものとして楽しむほどに、そこだけが浮いているように感じるのが勿体ない。
 妖怪シリーズの延長上にありながら、本筋とも『百鬼夜行』とも『百鬼徒然袋』とも違った佇まいを備えた異色作という趣であるが、通底するものが変わっていないのはさすが、というべきか。本書の最大の疵は、ふくやまけいこ氏を挿絵に招いておきながら、2箇所しか女の子を描かせていないことだと思う。

(2003/10/06)


三津田信三『蛇棺葬』
1) 講談社 / 新書判(講談社ノベルス所収) / 2003年09月05日付初版 / 本体価格900円 / 2003年10月08日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 幼い頃、私は父に連れられて郷里に帰り、百巳家の子となった。妾の子として歓迎されざる立場を薄々察し、肩身の狭い思いをしながら暮らしながらも、民という軽んじられた老女に懐き、学校に上がったあとはそれなりに親しい友人も作るようになる。だが、私の生活には常に百巳家をめぐる様々な因縁がまとわりついていた。民や友人たちが語る怪談を背景に、私をじわじわと奇妙な出来事が襲いはじめる……
 何がいけないって、いちばんいけないのは初版の帯だ。「地方の旧家に伝わる葬送儀礼を舞台に起きた密室殺人! 密室状態の御堂から人が消えた! 続々と起きる怪事件!」というアオリ、しかも講談社ノベルスというレーベルから殆どの読者が想像し期待するような作品では、基本的にない。私自身はあらかじめ大まかな内容を聞いた上で読み始めたので、その意味での失望はなかったものの、店頭で見つけて衝動買いしたような読者にはどのような印象を齎すものか。
 作品そのものは、雰囲気作りに優れた和製ホラーである。馴染まぬ旧家での生活の有様がねっとりと執着的に綴られ、ひとつひとつの出来事の繋がりが見いだしにくい冒頭は、ある程度通して読まないとペースが掴みにくい。
 その代わり、舞台が整った中盤以降はページを繰る手が急に早くなった。前半で断片的に提示されたものが絡み合い、更に謎を深め、怪しい気配を色濃くする。翻って、冒頭でこの文体と筋運びに馴染めるか否かで、作品との相性も決まってしまうのではなかろうか。
 一方で、ラスト2章ほどの展開は、そこまでの過程を高く評価する人でも賛否が分かれるところだろう。ひたすら超常的な謎を積み上げてきたところへ、突然論理が介入してくる。それでも話は単純な決着に至らないのだが、直前まで因果と怨念と不可思議な出来事が連続していたところへいきなり提示される現実的な解釈に、拒否反応を覚える読者もあるはずだろう。
 その向こう側にある結末も、また人によって微妙な印象を受けるだろう。現実と幻想のバランスをすんでのところで保つようなラストシーンを、私はかなり評価しているのだけど、果たして同じ感想を抱く人がいるかどうか――とりわけ、上に掲げたアオリを読んで購入した人には不満しか齎さないのではなかろうか。
 事前にここを御覧になった方には、あくまで日本独自の風土で描かれたホラーとして読まれることをお勧めする。前述のように、序盤はやや馴染みにくい側面があるが、その不気味な雰囲気は見事。
 しかし、どこよりも精彩を放っていたのは、民や主人公の級友達が語る怪談の部分である。編集者として怪談関係の書籍に携わってきた著者だけあって、並大抵の作家にはない生々しさが漂っていた。

(2003/10/08)


上田次郎『日本科学技術大学教授上田次郎のどんと来い、超常現象 V・I・P用』
1) 学習研究社 / 四六判ハード / 2003年10月10日付初版 / 本体価格1667円 / 2003年10月11日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 テレビ朝日系で二度にわたってシリーズを放送、2002年末には映画化も為され、2003年10月からは従来の金曜11時台から木曜9時台に移動して第三シリーズが放送されることになった人気ドラマ『TRICK』。その作中人物である上田次郎が物語の中で出版した著書と同じタイトルのもと、彼の視点から物語を綴った文章を中心に編集した企画本。
 ――といった趣旨のため、もうあからさまにドラマをひととおり鑑賞していないと解りづらいし、楽しむことも困難な一冊である。ものごとを見えるまま鵜呑みにしてしまい、事件解決には基本的にあまり貢献しない上田だが、本書ではぜーんぶ彼が自分で解決したように書かれている。それ以前に、本書の文章は客観的に言って自己顕示欲の強さと意味のないプライドの高さが多すぎて、物語における上田という人物像を知っていないとただ鼻持ちならないだけだし、おかしみも充分には感じられないに違いない。
 事件のトリックを自ら解明した、という筋書きだが、それぞれの出来事について詳細な説明や検証が行われておらず、超常現象の科学的な解説書として役立つ部分はひとつもない。本書は2002年、映画の公開直前に四六判ソフトで刊行された同名書籍に記事をふたつ追加し、前後の遊びに印刷のサインを入れた豪華本の体裁に変えて再刊したものだが、この記事自体もドラマ本編を見たものでなければ充分には理解できないだろうし、印刷されたサインの情けなさも作品を知っていてこそ頷けるというものだ。
 徹頭徹尾、ドラマをちゃんと鑑賞して事情に通じている者だけが読んでいて面白い本である。文章を読みながら、あの声と仕草が頭の中に浮かぶぐらいになってよーやく本当の意味で堪能していると言える、そんな本だろう。……故に私は、とことん楽しませていただきました。こういう徹底した馬鹿さ加減が大好きです。

(2003/10/11)


江戸川乱歩『何者 乱歩傑作選15』
東京創元社 / 文庫判(創元推理文庫所収) / 1996年04月26日付初版 / 本体価格534円(2003年10月現在本体価格600円) / 2003年10月14日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 乱歩としては珍しい純正本格の中篇である表題作と、明智探偵が活躍するオーソドックスな長篇『暗黒星』を収録。
『何者』:学生生活最後の夏、「私」は友人・甲田伸太郎に誘われて、結城弘一の家に滞在した。そんな中、響き渡る銃声。金製品が奪われ、弘一は怪我のために不自由な躰となってしまった。不可解な状況を、傷ついた弘一自らが解き明かすが……
『暗黒星』:麻布にある古びた赤煉瓦の館に住まう伊志田家の人々。家族の肖像を捉えた映画上映の場で起きた不気味な出来事を発端に、伊志田家は惨劇の渦中に落ちた。長男・一郎の依頼で事件に携わった明智小五郎もまた、犯人の凶手にかかってしまう。
 前者は乱歩自身が“自註自解”で語った評価に尽きる。乱歩としては決して多くない純本格、但しそれ故に乱歩の体臭が感じにくいのが弱点である。ただ、本格ものとしても、あるワン・アイディアに依存しすぎたがために、終盤で突如読者の知らなかった情報が提示されたり、中盤の論考がいまいち活かされていなかったり、という欠点がある。また、乱歩愛読者にとっては小憎らしい仕掛けがあるのだが、その為に却って単独では成立しにくくなってしまった。『二銭銅貨』などと違って、通俗長篇に近い文法で純度の高い本格ものが楽しめる、貴重な作品ではあるのだが。
 一方の後者は、通俗長篇のフォーマットそのままに近い。当初、どうしてこの2作品がカップリングされたのか理解できなかったが、読み終えて納得した。心憎い組み合わせである――が、些か評論家的な思考が過ぎたようにも思う。これを並べてしまったことで、単体であれば得られたはずの驚きや興奮が半減して、どうしても何歩か退いた視点で鑑賞してしまうのである。
 あまりに通俗ものの型に嵌りすぎていること、動機の提示が唐突であるなど、欠点も多いが相変わらず中盤の引きつけ方は巧い。しかし出色は冒頭の、上映中のフィルムが溶けて、その後の事件を暗示する一幕だろう。不穏な気配を醸成する手管は、まさに乱歩の独壇場である。

(2003/10/14)


京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず)
1) 講談社 / 新書判(講談社ノベルス所収) / 2003年08月08日付初版 / 本体価格1500円 / 2003年10月21日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

『今昔続百鬼』から二年振り、長篇としては『塗仏の宴 宴の始末』以来五年振りとなる、“妖怪”シリーズ最新作。
 白樺湖畔に佇む、由良家の邸宅。先代である博物学者由良行房が自宅に職人を置いてまで作らせたという数多の剥製が立ち並び、近隣の人々からは「鳥の城」と呼ばれていた。現在の当主は、生を受けてから五十余年、この「城」から殆ど足を踏み出すことなく、書斎に蓄えられた書物によって知識を得た博識の儒学者である由良昂允。彼が娶ろうとした女性は、過去四回にわたって悉く、初夜ののちに死体となって発見された。
 その日、昂允は五人目の花嫁・薫子を城に迎え入れようとしていた。常に同じ条件下で繰り返される「殺人」に、親類も警察もある種の怯えを隠しきれない。黒く禍々しい鳥が主のように人々を睥睨する城に、不安を存在理由とする作家関口巽と、熱病で視力を失った異能の探偵榎木津礼二郎と、古書肆にして拝み屋の中善寺秋彦が招かれたとき、真実が白日の下に晒される……
 長い。兎に角長い。
 京極作品、とりわけデビュー以来書き継がれている“妖怪”シリーズにとって、縦に置いても倒れない厚みは看板のように捉えられている。かくいう私自身も毎回それを楽しみにしている部分があるのだが、それも物理的な「厚み」が作品世界の「厚み」に貢献している、という予感があってこそのものだろう。別に文鎮にしようとか凶器代わりに用いようなんて理由で望んでいるわけではない。
 そこで、本書における物理的な「厚み」が作品世界の「厚み」を形作っているか、と問われると――首を傾げたくなる。既にあちこちの感想で出ているとおり、他の作家であればより少ない枚数で描きうる内容だと感じた。こと序盤、三つの一人称で同じ時間帯、或いは同じ事件についての見解をそれぞれの視座から綴っている箇所は、興味深くはあるのだがやはり「同じ事を繰り返し語っている」ようにしか感じられない場面も多々あり、京極作品の「長さ」を予め受け入れている向きであれば別だが、本書で初めて出会う人にとってはただ晦渋で読みづらいものとしか映らないのではないか。読む面白さが正面に出てくるのは、京極堂こと中善寺秋彦が登場し林羅山についての講釈を繰り広げる場面からである。
 人に勧めるうえで困るのは、個人的にはこの「長さ」が全く不要なものとは断じにくいことだ。その異様な真相を受け入れる心理的土壌を読者に用意させるための説明や世界観作りを、伏線を丁寧に張り巡らせることで達成するという意図も感じられたのだが、それ以上にこの解決編のボリュームに見合う紙幅を費やす必要があったように思えてならないのだ。
 中善寺の長広舌による解決編のページ数は実に100に及ぶ。本編の中で最も「長さ」が苦痛にならない箇所はここであり、やや遠回りながらもいちばん解りやすい描写を心がけている、と認められるのもここなのである。この長さ、過剰とも思える丁寧さがあるからこそ、読者は異様な真相を受け止めやすくなる。仮に本書が新書判にして400ページほどの、比較的手頃な長さだったとしても、この長さは必要だったと感じられる。だがその場合、全体の四分の一にわたる解決編は感覚的に更に長くなり、余計な苦痛を伴うものになるだろう。その意味で、実際の尺に対しては、この解決編の長さは適当なのだ。
 ただ、そう捉えても、枚数を絞ることは可能だったと考えられる。シリーズものという縛りから外せば関口視点による文章は更にスリムになっただろうし、もうひとりの主要人物である元刑事の視点からの文章は、彼の個人的事情・心情の解説がやや長すぎるきらいがあり、この両者を絞り込むだけでも、三分の一は減らせたように思う。そう感じさせてしまった点で、たとえ必要であってもこの尺は瑕になる。
 といったわけで、今回ばかりは、さすがに「迂遠」のそしりを免れないように思う。尤も、その傾向は『鉄鼠の檻』あたりで伺われ、長篇の前作『塗仏の宴』二冊や番外編『今昔続百鬼』で既に顕著になっていたわけで、そうした作品群に触れて覚悟を決めた読者であれば、さした悩みにはならないだろう。寧ろ、その「迂遠」さも楽しみのひとつに変えられるとも言える。
 シリーズを継続して読んだ人には嬉しいが、切れ切れに読んだ方、或いは本書で初めてシリーズに触れる人にはかなり長ったらしい作品ではないか、と思う。途中で不条理な心持ちを味わいたくないのなら、やはりもっと前の作品から順々に読むのが良さそうだ。

 個人的には、途中でおおもとの絡繰りが読めてしまったため、余計に長く感じたという難点もあったりする。ただ、解ったうえでも、それを理路整然と解きほぐしていく京極堂の長広舌には感嘆したし、充分楽しめたのですが。
 常軌を逸した真相を取り囲むように追い込んでいくプロットは秀逸だが、それでも瑕はある。ある人物がある一点に気づいただけですべての犯行が防げたのに、その点に誰も言及しなかったこと。また、恐らくそこまで看破していたはずの京極堂の言動に、やや真相と不釣り合いの点があること――例え真相の解明を目的とせず、関係者の不幸を望まない彼と雖も、だからこそ予防措置を講じるべき場面で、ああした曖昧な行動をするべきではなかったのか、と感じる場面がある。
 ただまあ、後者については条件ひとつで京極堂の口出しがなくとも回避できた可能性があるとも取れるし、前者はその「瑕」があるからこそ物語の不条理さが強まる、という側面もある。仕掛けを十全に活かすためにはいずれも有効な要素であり、だからこそ題名に説得力が付加されているとも言える。「瑕」であって「瑕」でない、ということ。なんだかちょっと狡いよーにも思いますが、その大胆さも魅力のひとつかも知れない。

(2003/10/21)


加門七海『江戸・TOKYO陰陽百景』
1) 講談社 / 新書判変形 / 2003年09月18日付初版 / 本体価格1300円 / 2003年10月22日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 オカルトにこだわる著者が雑誌『TOKYO・一週間』に連載した、東京のいわば裏名所ガイド。七福神に天狗、河童を祀る土地、ハチ公像の風水的解釈まで、独自の観点で紐解いていく。
 一貫して伝奇小説や怪談を手がけ、神仏にまつわるエッセイの類を多く著している方だけあって、該博な知識を発揮しつつ文章は平易で読みやすい。各所の由来や因縁をかなり茶化した筆致で描きながら不遜な印象がないのは、本当に敬意を払っているからだろう。世間的に知名度の低い寺社仏閣のみならず、意外な場所の意外な事情について触れられているので、仮にオカルトや宗教的なもの、風水などに興味のない方でも、それなりに楽しめてしまうはず。
 また、本文をきっちり踏まえた上でちゃんとギャグとして成立している挿絵も楽しい。209ページ写真の碑のうえに乗っかっている猫二匹(実物)がラヴリー、とか歪んだ読み方も出来る。深い知識を入れるには紹介された各所をきっちり回るとか、関連書に触れていくほうがいいだろうが、オカルト知識の基礎を気楽に目の当たりに出来るという意味で、入門書的に考えることも可能ではなかろうか。
 何はともあれ、渋谷界隈の方は早急にハチ公像を東向きに直した方がいい、ということで。
 ちなみに私は、本書に登場するスポットに存在した幼稚園に通い、近接する小学校に通い、その端っこにある高校を卒業し、今もその密集地帯に住んでます。怖。

(2003/10/22)


アガサ・クリスティー/矢沢聖子[訳]『スタイルズ荘の怪事件』
Agathe Christie “The Mysterious Affair at Styles” / Translated by Seiko Yazawa

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2003年10月15日付初版 / 本体価格640円 / 2003年10月27日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

『そして誰もいなくなった』『オリエント急行の殺人』をはじめとする名作を著した、ミステリー界の元祖女王が1920年に発表した初の長篇。その後著者を代表する探偵役となった、ベルギー人の名探偵エルキュール・ポワロの初登場作品でもある。
 傷病兵として戦線を退きイギリスに戻ったヘイスティングズは、友人ジョン・カヴェンディッシュの招きで、彼の養母エミリー・イングルソープが所有するスタイルズ荘を訪れた。老婦人は昨年アルフレッド・イングルソープという怪しげな男と再婚しており、またジョンは妻のメアリとの仲がどうにも芳しくなかったりと、あちこちに不穏な気配が漂うなか、事件が起きる。解決のために立ち上がったのは、ヘイスティングズの友人でありエミリーに恩義のあるベルギー人紳士エルキュール・ポアロだった――
 クリスティー作品は本作の旧訳(田村隆一)含め、主要な数作品のみ読んだきりで止まっている。それもミステリ読みとしてごく初心者の頃の話で、今回の復刻に当たって新たに訳された本書から改めて着手してみようと思ったのだが――驚いた。まさか、これほどまでに巧緻な企みに満ちた作品だったとは。
 新訳とは言うものの、原文の雰囲気を損ねないようにした結果なのか、文章は全体的に生硬な印象がある。また、のちの参考と言いながらごく普通の日常をことさらに取り立てて描いてみたり、中盤やたらとポアロの捜査ばかり見せているあたりは流石に古めかしく感じる。
 だが、ポアロのみならず個性の際立った登場人物たちと、実に生き生きと描かれた田園での生活風景は、いま読んでも衰えを感じさせない。それに加えて、ミステリの定石を完璧に踏まえた上で幾重にも細工を施したプロットは、いっそ新鮮な興奮を覚えたほどだ。
 弱点としては、やや専門知識に属する仕掛けが幾つか用意されているにもかかわらず、読者にそれを仄めかす描写が見られない(或いは殆ど目立たない)ことが挙げられるが、決して大きな傷ではあるまい。寧ろ、黄金時代に突入する以前、まだ読者との推理ゲームというスタイルが確立される前に、ここまで定石を確立させ更にツイストまで加えたような作品を書き上げてしまった才能自体が賞賛に値する。多少専門知識に偏っていたとしても、責める理由にはならないだろう。
 ミステリとしての定石を逸脱してしまった作品が横溢している今だからこそ、読む価値のある作品だと思う。未読の方は無論のこと、十何年とか数十年前とかに読んだという方もこの機会に再読することをお勧めする。仮に楽しめなくともとも、自分の嗜好を確認する手助けにはなるはず。

 色々と発見の多かった本書だが、一番の収穫はヘイスティングズだったように思う。この人物の勘違い男っぷりは、ワトスン以上に所謂「ワトスン役」のひな形に近い。どこか島田荘司作品の石岡にも似ているし、これに自己嫌悪という性質を付与すると京極夏彦作品の関口になる。

(2003/10/27)


江戸川乱歩『緑衣の鬼 乱歩傑作選16』
東京創元社 / 文庫判(創元推理文庫所収) / 1996年11月22日付初版 / 本体価格660円(2003年10月現在本体価格760円) / 2003年11月01日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 数日前から奇妙な“影”の到来に怯えているという笹本静雄と芳枝夫妻。偶然から事情を打ち明けられた探偵作家の大江白虹と新聞記者の折口幸吉はふたりを守る手助けをしようとするが、両人が構える暇もなく笹本夫妻を魔手が襲った。刺されたはずの静雄は消え、犯人と目される緑衣の怪人もまた衆人環視のなかで行方をくらました。どうにか危機を脱した芳枝は伯父であり、犯人と目される夏目太郎の父・夏目菊次郎のもとに身を寄せるが、大江や菊次郎の秘書・山崎の奮闘も虚しく、次なる惨劇が発生する……この怪事件を、やがて登場した探偵・乗杉竜平が解き明かす。
 本書はイーデン・フィルポッツが発表した長篇『赤毛のレドメイン家』を乱歩流に翻案した作品である。今でこそパクリだなんだと煩くなっているが、この当時は訳出されない作品や一般読者に馴染みのない(馴染みにくい)作品を、執筆者の流儀に添って書き直したものが少なくない。本邦探偵小説の先陣を切った黒岩涙香にしてからが翻案を主に手がけていたし、大乱歩は本書をはじめ『三角館の恐怖』、『幽鬼の塔』がある。れっきとしたスタイルのひとつなのだ。
 肝心の内容は、あまり「翻案」という雰囲気はない。……正直に言えば『レドメイン』じたい読んだのが昔過ぎてどの辺まで原典に沿っていてどの辺から乱歩流の潤色なのか解らない、というのもあるのだが、言い換えればそのくらいに自然な仕上がりになっている。寧ろ、予備知識がなければ従来通りの、それも通俗ものとしてはかなり筋道の通った作品という感想を持つはずだ。
 欠点としては、通俗ものとしては筋が通りすぎているせいなのか、真相が看破しやすい点が挙げられる。それだけに、乱歩特有のノリが楽しめないと中盤以降は退屈に感じる可能性は否めまい。何せ、いちばん判然としている真実を避けて狂奔しているだけなのだから。
 その一点にさえ拘泥しなければ、通俗長篇に馴染まない人まで含めて、かなり幅広い層に受け入れられる作品だろう。通俗長篇としては珍しく、明智探偵が登場しない(名前だけはちょこっと出た……気がする)ことに不満を覚える向きもあるかも知れないが、その穴は新たに駆り出された乗杉竜平に、優れた道化ぶりを見せてくれる大江白虹が埋めてくれる。
 なお、原作である『赤毛のレドメイン家』は現在集英社文庫版[bk1amazon]と創元推理文庫版[bk1amazon]が現在入手可能。併せて読むと、色々と発見がある……かも知れません。

(2003/11/02)


アガサ・クリスティー/田村隆一[訳]『牧師館の殺人』
Agathe Christie “The Murder at The Vicarage” / Translated by Ryuichi Tamura

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2003年10月15日付初版 / 本体価格800円 / 2003年11月10日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 私ことレナード・クレメントの暮らす館で殺人が起きた。殺されたのは、治安判事のルシアス・プロズロウ大佐。狭いセント・メアリ・ミード村のなかでも格別に忌み嫌われていた人物だった。一見単純に思われた事件は、プロズロウの若く美しい妻アンと、彼女と不義密通を重ねていた画家のロレンス・レディングが相次いで罪を自白したことと、住人たちの噛み合わない証言のために混迷の様相を呈していく。事件の謎を解いたのは、村のすべてを知悉するかのような詮索好きの老嬢ミス・マープルだった。
 クリスティーを代表する探偵役ミス・マープルの初登場作品。ミステリ読書歴もだいぶ長いのだが、クリスティー作品は代表作ばかり読んでおり、これがミス・マープルとの初めての邂逅だったりする。
 語り手の気性にも起因しているのだろうが、やや情景描写が淡泊な嫌いがある。妙に生活に倦んだようなところのある牧師を取り囲む癖のある人々が延々繰り広げる会話が中心となっており、訳文がやや古いせいもあってか意味の取りにくい場面も少なくなかった。
 ミステリとしての精度は高い。根本にある仕掛けはシンプルなのだが、それを事件に関係のあるもの、無関係なものが起こす様々な行動によって色づけし覆い隠して、なかなか真相を読み解かせない。それを終盤で解き明かすミス・マープルの語りが平明で腑に落ちるのが早いのも、また快い読後感を齎す。
 その一方で、解決編あとの展開がまたあっさりしているのがちょっと勿体ない。事件以外で読者が一番気になっている部分について決着をつけている点は巧いのだが、出来れば解決編で示唆されている直後の駆け引きをもうちょっと書き込んで欲しかった。全般にクリスティーという書き手は文章にやや雑な印象があるのだが、ここでもその一面がしこりを残しているように思った。余分なペダントリーがないため、平易で読みやすいのも確かなのだが。
 と、基本的に楽しみながらも、実はなかなか読むのが捗らなかったのは――読んだ順序がいちばんの間違いだったかも知れない。これだけは断言しておきましょう、『スタイルズ荘の怪事件』と続けて読んではいけません。

(2003/11/10)


夢枕 獏=文/村上 豊=絵『陰陽師 首』
1) 文藝春秋 / 新書判変形 / 2003年10月15日付初版 / 本体価格1333円 / 2003年11月10日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 2003年10月に映画版第二作が公開されるのに合わせて刊行された、村上豊氏によるフルカラー挿絵つきの絵物語第二弾。『陰陽師 龍笛ノ巻』収録の「首」に基づく。
 例のごとく杯を傾ける安倍晴明と源博雅のもとを、賀茂保憲が訪れた。現役を退いた陰陽師である保憲は、藤原為成という人物に取り憑いた「首」を自分に代わって祓って欲しい、と晴明に請うた――
 艶やかな文章に、絵巻物のような趣のイラストが非常によく馴染んだ、見栄えのいい書籍である。単独のお話として見ると、事件の導入と解決とを保憲と晴明とに振り分けた必然性に欠く、火消しの手法が有り体で晴明ほどの使い手を必要とするものとは思えない、といった傷があるが、シリーズの一編として眺めると、安定した筆運びが嬉しい。
 どちらかというとファンサービスのような趣の一冊だが、上品で高級感のある絵本と思って手に取ってみるのも一興だろう。軽くあっさりと読めて、棚に置いても佇まいが美しい。

 ところで、bk1の著者略歴、デビュー年を誤記してます。正しくは1977年、のはず。恐らく文春文庫あたりの著者略歴にある52年を昭和ではなく西暦の略と誤読したせいでしょうが……1952年デビューじゃ大ベテランでわないか。

(2003/11/10)


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