books / 2003年06月26日〜

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木原浩勝、中山市朗『新耳袋 現代百物語 第四夜』
1) メディアファクトリー / B6判ソフト / 1999年06月29日付初版(1999年07月17日付初版4刷) / 本体価格1200円 / 1999年07月27日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]
2) 角川書店 / 文庫判(角川文庫所収) / 平成15年06月25日付初版 / 本体価格590円 / 2003年06月26日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 現代の怪談実話シリーズ、充実の第四巻。
 単体でも『舞首』や『カセットテープ』、『いぬ』、『天使』など秀逸なエピソードが多く読みどころに満ちた一冊だが、本書の地位をシリーズでも特異なものとしているのは、やはり巻末におかれた大作『山の牧場』編だろう。
 著者自身の体験を、その際の行動や現象への解釈を呑み込みやすくするためにまず枕としてUFOにまつわる話を添える、という構成も異例だが、第三夜で確立され、現時点での最新作第八夜に至るまで徹底した新耳袋“らしさ”を唯一破壊して、極めて物理的で説明的な叙述となっていることもこのエピソードの位置づけを特異なものとしている。
 文庫版の解説で菊地秀行氏が言及するように、『山の牧場』で発見された事実のひとつひとつは、怪奇現象と断言できる性質のものではない。物理法則の中に収まりながら、ただ説明がしがたいと言うだけだ。それがこの条件下で束にさらてしまうと、言葉にするのも忌まわしいほどの超自然現象に昇華されて読者を襲う。著者があまりの恐怖に、第四夜に至るまで封印していた、というのも当然と言うべきだろう。『新耳袋』としての約束が確立されたからこそ収録された、折り紙付きの代表作である。
 なお、この『山の牧場』のエピソードは親本の発売後しばらくしてから、新宿某所にて定期的に開催されているトークライブにて、関係者のひとりを招いたうえで再検証が行われている。その際、改めて確認された事実や記録から削除したために直前まで作者自身が失念していた事実が出てきており、文庫化に際してそれらの一部が加筆されている。親本のあとがきにてイニシャルで呼びかけられ、文庫版あとがきにて遂に実名で呼びかけられている関係者の一件を思うと、このエピソードは未だに過去のものではない。こういう作品が現実として存在していることそのものが恐怖であり、本書の地位を別格のものとしている要因だろう。菊地秀行氏の異例の解説文も、無理からぬところである。

(2003/06/26)


稲川淳二『稲川淳二の最新・超怖い話〜霊怪〜』
1) 角川書店 / 文庫判(ザ・テレビジョン文庫) / 2003年06月25日付初版 / 本体価格476円 / 2003年06月26日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 芸能界を代表する怪談語り・稲川淳二氏がライブでのみ発表した作品、及び未発表作品を中心に集めた最新刊。
 この方はやはりあの顔と語り口があって初めて力を発揮するほうで、語りをそのまま文章に落とした形ではいささか迫力に欠く。そのうえ今回、直前に読んだのが怪談文学の現代における極致のひとつ『新耳袋』だったせいもあって、語り下ろしであるがゆえの文章の拙さが鼻について読むのがしんどかった。
 新作と言いながら類型的な作品が多く、余計な解釈をしてしまったために壊されている話があるのも残念。その一方で、第五話(但し終盤は余計)や第十話のようにすれた読み手でもぞっと来る秀作があり、同時に第十一話のような異色作を受け入れる度量があるのもこの作者の特徴である。
 文章としての質を求めるならば『新耳袋』や『超怖い話』など定評のある、信頼性の高い書き手によるものを選べばいい。稲川氏の著書は御本人の顔と語りを思い浮かべながら軽く読めばいいのであって、それが出来ないなら避けて通ればいい。そういう意味で、形を壊さない安心感というものが本書にはある。

(2003/06/26)


江戸川乱歩『算盤が恋を語る話 乱歩傑作選11』
東京創元社 / 文庫判(創元推理文庫所収) / 1995年10月20日付初版 / 本体価格437円(2003年06月現在本体価格500円) / 2003年06月27日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 日本探偵小説界の礎となった巨人・江戸川乱歩が、いわゆる通俗長篇・怪奇小説を中心に手掛けるようになる以前の、試行錯誤をしていた時期の短篇を集めた作品集。『二銭銅貨』とともに森下雨村に託された実質的な処女短篇『一枚の切符』、かの明智小五郎が登場する論理的作品『黒手組』、内気な中年男の奇妙な恋愛風景を描いた『算盤が恋を語る話』など、趣向に富んだ十編を収録する。
 本書は『人でなしの恋 乱歩傑作選12』と同時刊行され、両者でもって初期のあまり顧みられない短篇作品をだいたい網羅した恰好になっている……はず。もし探偵小説家としての江戸川乱歩の精髄に触れたいのであれば、この二冊よりも同じ創元推理文庫から刊行されている『日本探偵小説全集2 江戸川乱歩集』や『D坂の殺人事件 乱歩傑作選2』を読む方がいい。そのうえでより深く乱歩作品に親しんでいきたい、という人が本書や続く『人でなしの恋』に着手するのが普通の道筋だろう。
 自註自解での自虐的な言及を見るまでもなく、本書に収録された作品は代表作と較べると完成度も衝撃度も劣る。が、どの作品も本格探偵小説を志した論理性を備え、或いは何らかのどんでん返しを仕掛けて既成の価値観をひっくり返そうという意欲が確かに刻み込まれており、後年明確になってくる窃視願望やサディズム・マゾヒズムの兆候が薄いぶん、乱歩のこのジャンルに対する意気込みを窺わせる作品が揃っている。
 完成度こそ『二銭銅貨』に譲るが論理の陥穽というものに早くも着眼していた『一枚の切符』、暗号に執着した数編、逆転と運命の皮肉を物語る『恐ろしき錯誤』などの数編、そしてまだ国家のための探偵でも子供達のヒーローでもなく、虚心に謎解きを愛していた頃の明智小五郎が登場する『黒手組』と『幽霊』――いずれも代表作と較べるべくはない、といえども間違いなく読み応えのある作品ばかり。また、大正末頃に書かれた作品としては珍しく、いまでも平易な印象を損なっていないことも特記するべきだろう。

(2003/06/27)


いかりや長介『だめだこりゃ』
1) 新潮社 / 四六判ハード / 平成13年年04月刊行 / 本体価格1400円 / [bk1で購入するamazonで購入する]
2) 新潮社 / 文庫判(新潮文庫所収) / 平成15年07月01日付初版 / 本体価格438円 / 2003年07月01日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 ドリフターズのリーダーとして、『8時だよ全員集合』『ドリフ大爆笑』のバラエティ番組を大ヒットさせたいかりや長介氏が初めて自らの言葉で綴った、誕生からグループ結成、そして現在に至るまでの半生。
 ドリフターズがそもそもロカビリーバンドであった、ということを知らないという人も増えただろう。かくいう私も、元々彼らがミュージシャンとしてビートルズ来日公演の前座を務めたことがあるということは知っていたが、そのジャンルや実力などは知らなかった。知る機会がなかった、というのが正確なところか。本書は簡潔かつ誠実な文章で、ドリフターズ結成(というより中途参加)と現在のメンバーが固定するまでの経緯、テレビ番組出演からの大ブレイク、そして俳優業の比重が高くなっていった昨今までを語っている。
 二流以下のミュージシャン、素人芸と自らを卑下するような文脈が多いが、実際読んでいくとそう感じる。だからこその練り込んだコントであり、『8時だよ全員集合』を支えたキャラクター性の確立があったわけだ。その経緯を無駄なく、解りやすく綴った手腕はなかなか巧い。
 コントでは風刺性や時代性を取り入れぬよう努力していたというが、バンドとしてやっていく上での意識やコント作りの考え方、という形で時代を捉えていこうという努力が垣間見え、そこからそれぞれの時代の空気が匂ってくる点もなかなか興味深かった。
 メンバーとの関係や世評に対する意識など、まだまだ言葉をぼかしているな、と感じられる部分もあるが、そういう曖昧さも含めて著者の不器用な誠実さが滲み出た好著だと思う。年輪もあるのだろう、タレント本にありがちな臭みや嫌味がないのもいい。

(2003/07/01)


江戸川乱歩『人でなしの恋 乱歩傑作選12』
東京創元社 / 文庫判(創元推理文庫所収) / 1995年10月20日付初版 / 本体価格437円(2003年06月現在本体価格500円) / 2003年07月01日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

『算盤が恋を語る話』に続く、江戸川乱歩のマイナーな初期短篇を収録した作品集。いち早く心理学的な展開を導入した『疑惑』、残酷な悪夢を静かで美しい筆致で描いた『踊る一寸法師』、倒叙ものの秀作『灰神楽』、一人称の訴えるような語りかけが印象的な表題作を含む全十編。
 基本的な感想は『算盤が〜』に対して記したものと変わりない。のちに主軸となる通俗長篇や先行作品と比較しても更にシンプルで、研ぎ澄まされた描写が目立つ。ミステリに限らず怪奇幻想ものと呼ぶべき作品もワン・アイディアに支えられており、趣向としてもすっきりしているのが特徴的。
 常に読者の評価を気にかけ、理屈っぽさが勝るほど興味を持たれないという事実から次第に怪奇幻想にスライドしていったというが、本書に収録された作品群を見てもその点は明白である。だが、『疑惑』や『灰神楽』のような、後年木々高太郎や鮎川哲也が多く手掛けるに至るスタイルに先鞭をつけているあたり、もしこの方向にも力を注ぎ続けたらどんな作品をものしたか、という興味は湧く。その場合、今日とはまた違った評価を得ている――どころかミステリを巡る状況にも大幅な違いが生じていただろうけれど。恐らくは純探偵小説に対する世間の無理解が、後年そうした作品を手掛ける若い書き手の庇護者としての乱歩を育てたのであり、確立された名声なくしてそうした姿勢の徹底も有り得なかったわけで。
 脱線してしまったが、本書は先行する『算盤が〜』とともに、そうした探偵小説の庇護者乱歩の背景を窺い知るに相応しい一冊となっている。乱歩のあとに乱歩はなく、また乱歩なくして本邦の推理小説の活況もまた有り得なかったのだ。

(2003/07/03)


平山夢明『怖い本(4)』
1) 角川春樹事務所 / 文庫判(ハルキ・ホラー文庫) / 2003年07月18日付初版 / 本体価格660円 / 2003年07月11日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 勁文社から刊行されていた伝説的な怪談本シリーズ『超怖い話』より、著者が手掛けた記事を纏めた作品集の第四巻。発表済みの四十編に書きおろし十話を加えている。
「怪を語れば怪が訪れる」と言われるが、やって来る怪異のほうも相手を選んでいるように思う。『新耳袋』では最新刊の第八夜に「血みどろ」という表現が一箇所だけ登場し、その事に驚いていた愛読者がいたほどだが、対する本書は「血」というモチーフが頻出しズタズタになられた方が多く登場する。顔が真ん中から裂けて歯と舌が見える、なんていうのも本書ならでは、という気がする。
 ただちと惜しむらくは、本書に限って割と似通った話が集まってしまったことである。前述のズタズタになられた方が多く登場するほか、有り得ない場所から発見される髪の毛や物に纏わる因果など、反復と見える場面が多くなり意外性に欠いてしまっている――尤も、これはシリーズに限らず各種怪談本を読み漁った私自身にとっての弊害でもある。また、別のシリーズの著者がいみじくも語ったとおり、この手の連作は続けるほどに敷居が高くなる傾向にある。総集編として本書が最後になるのは残念だが、同時に致し方のないところとも言えよう。共同執筆者とともに竹書房にて復活させた『「超」怖い話』シリーズでは新しい雰囲気を持ったエピソードの登場を期待したいところ。
 また、このシリーズの落ち穂とも言える『東京伝説』と併せて読むと、著者が如何に変わった、そして怪異蒐集家(なんて呼び方があるのか知らないが)として理想的な交友関係を築いているのが窺われる。並行して読み、そうしたところを探ってみるのもなかなか楽しいかも知れない。
 私のお気に入りは、書き下ろしである最終話「面接」。珍しいタイプの話ではないが、何の説明もないのがいい。

(2003/07/11)


平谷美樹『百物語 第二夜 実録怪談集』
1) 角川春樹事務所 / 文庫判(ハルキ・ホラー文庫) / 2003年07月18日付初版 / 本体価格620円 / 2003年07月16日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 2002年に上梓した、著者自身の体験を大部分として全百話の怪談を集めた『百物語』。一冊のみのはずが、同書が呼び水となって友人知人、人伝に多くの実話が集まったという。本書は聞き書きの形式で、話の方向性ごとに全九章プラス二章に纏めた怪談集である。
 ……と書いたものの、正直、これは駄目。
 前作を読んだときにも感じたことだが、文章は巧い。引っかかるところがなく、文章的にはスムーズに読める。
 だが如何せん、話そのものが面白くない。百話集めたというが、例えば『新耳袋』や『「超」怖い話』シリーズであれば、同じ系統の話としてひとつに纏めてしまうものを、別人だからというだけで分けて複数として捉えてしまうのはどうだろう。第九章の採話068、077、097など、明らかに纏めて一話にするべきものである。また、単なる体験談の域を出ず、怪談と呼ぶほど話としても恐怖譚としても成立していないものが大半で印象に残らない。通常怪談というのは「何かを見た」だけで成り立つものではなく、「見た」ことに関連して何かが発生する、或いは当の体験者か関係者の反応があって初めて体裁を整えるものであり、ただ赤い光を見た、とかでは不足もいいところなのだ。ただの目撃談だけで成り立たせようとするなら、目撃したものがどう考えても常識では有り得ないもの、また想像を超えるようなものでなければ難しい。『新耳袋』における宙に舞う首や、自転車で走る人の背に突き刺さった人間など、そのくらいのレベルがなければ通用しない。
 見た怪異とその後の出来事とに客観的な繋がりが見出せない、または時間的・距離的に隔たりがありすぎるというものを平然と結びつけて語っている話が多いのも問題である。あくまで当事者が奇怪に感じた、恐怖を覚えた話を集めたとしているため、それでも構わないと言うことも出来るが、しかし怪異とその後の出来事とのあいだに、当事者でなくとも漠然と感じられる関連性がきっちり表現されていなければ、読者が恐怖を感じることは無理だし、興味を抱くこともないだろう。この牽強付会が特に著しいのは第四章「死の予兆」で、それぞれ当事者にとっては関連性があると考えられることかも知れないが、例えば夫の夢を見て数日後に夫の会社の人間が亡くなった、という話、家族の夢を見るとその一年後などに不幸が起きるなどという話にどれほどの説得力があるだろうか。眉唾どころか錯覚としか感じられない。体験そのものを疑う、というより、著者の語り手としての技術か、冷静な判断力が欠けているとしか思えないのだ。
 また、著者の態度にも色々と疑問を感じる。最たるものは、体験者の氏名をイニシャルにしておきながら、自分との関係などを明記してしまっていること。無論本当の関係を改竄しているものが殆どなのだろうが、その関係が体験談に関わりがない限り、省いてしまえばいいことなのだ。余計な繋がりを書いてしまうから話が散漫とする。例えばこの百物語が全体でひとつの趣向を為すフィクションであるならば関係を明記するのも構わない。だが、当事者に迷惑がかかるという配慮を本気でしているならば、それ以前に純粋に怪異のみを描きたいと思うのならばどうしてイニシャル程度で誤魔化そうとするのか。
 本書と前作を見る限り、怪談集としての体裁も整っていなければ、読み物としての質も低い。怪談好きを自称し、怪談であればどんなに忙しくても一日か二日、合わせて二・三時間で読み切ってしまう私が読むのに数時間を費やしているあたりから、その出来は推して知るべし、だ。一晩で読み切って発生する怪異を期待するのは勝手だが、何かが起きるほど本書に不吉な気配は感じられないし、寧ろ怪異に対して礼を失している、とさえ思う。
 本書は前作から一年の間隔をおいて上梓されている。その点、『新耳袋』と同じだが、幼少の頃から怪談蒐集を志して現在も毎日のように専門的に取材を繰り返しているあちらに対し、本書の平谷氏は恐らくメインのSF小説執筆の傍ら、空き時間を利用するか、期間を決めて集中的に蒐集していると思われる。蒐集できる量に膨大な違いがあるのだ。
 もし次も考えているのであれば、一年などと言わず、二年三年と間隔を置くべきだろう。そのあいだに定期的に取材を繰り返し、明確な分類と取捨選択を行った上で上梓しなければ、とてもではないが怪談集の名に値する出来にはなるまい。
 一章を割いて綴られたとある旧家の怪異、「様々な怪異」として扱われた幾つかのエピソードには単体で出色と思われるものがあるだけに、全体の不備が残念でならない。続刊を検討されるのなら、前述の通り二年三年と時間をとって取材を続けるか、いっそのこと平谷氏単独での著書にせず複数の執筆者を募るべきだろう。

 最後にもう少し付け加えておこう。
 文章は巧い、と記したが、しかし同時に言葉の誤用、不用意な表記や不親切な書き方が目立った点も指摘しておくべきだろう。前後の内容から推して本家や親類の家ぐらいに書くべきところを「実家」と書いていたり、怪談本文に関係を書いて分けた方がいいところを章冒頭の前書きともいうべき箇所で説明してしまったため固有名詞の繋がりが見えなくなったりで、話に集中できなくなった、話の焦点がぼやけてしまったということが非常に多かった。
 それと……今回は、巻末の座談会も退屈だった。こんなものに紙幅を割くぐらいなら、本文をもっと研鑽して欲しい。

(2003/07/16)


平山夢明『鳥肌口碑』
1) 宝島社 / 四六判ソフトカバー / 2003年08月09日付初版 / 本体価格1200円 / 2003年08月06日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

『「超」怖い話』シリーズ、『東京伝説』シリーズなどの実録怪談集を手掛け、また「生理的に厭な話」を書かせて当代随一の作家である著者の新作。『「超」怖い話』で採り上げたような超現実的な怪異を「怪の鳥肌」として、『東京伝説』で採り上げたような生身の人間の狂気や悪意に端を発する出来事を「狂の鳥肌」として、二部構成で収録している。
 高レベル安定、というより、従来の文庫版ではなく四六判で刊行されることを意識してか、全般に優れたエピソードが収録されている印象がある。
 だが、こういう形に二部構成で纏めると、やはり「人間の狂気」のほうが際立って映ってしまうことが、怪談愛好家としてはちょっと勿体なく感じる。「赤猫」や「椅子」のようなさりげない怪異、「チャイム」や「中央線奇譚」のような人間の機微を覗かせる話、「邂逅」「夜の声」「肝試し」のような不気味な決着を迎える話等々、「怪の鳥肌」も粒ぞろいなのだが、「狂の鳥肌」に含まれた「手びねり」や「コンタクト」のように、動機がすべて明確でなくても間違いなく人間が行い、それが生々しい形で傷跡を残しているエピソードのインパクトが強烈すぎ、後半を読んでいるうちに前半の「説明のつかない怪異」の印象が乏しくなってしまうのだ。
 両者の傾向がきっちり分かれすぎているため、『「超」怖い話』の系統だけ読んでいた、或いは『東京伝説』の生々しさが好き、と嗜好がはっきりしている読者ほど馴染みにくいだろう。翻って、まだ平山氏の実録怪談に接したことのない方にとっては、どちらが自分の嗜好に合うかを試す絶好の一冊になるはず。どちらの作風にも慣れている読者ならば、一冊で二冊分堪能できる本書に不満を感じないはず――但し、結局価格も二冊分なんですが。

(2003/08/09)


サラ・ウォーターズ/中村有希[訳]『半身』
Sarah Waters “Affinity” / translated by Yuki Nakamura

1) 東京創元社 / 文庫判(創元推理文庫所収) / 2003年05月23日付初版 / 本体価格1060円 / 2003年09月04日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 サマセット・モーム賞をはじめとする各賞の候補・受賞作となった、著者のデビュー第二作。
 父の死と結婚の失敗から一時鬱ぎこんでいたマーガレット・プライアは、薦めを受けてミルバンク監獄の女囚たちの慰問を始める。貴婦人として暮らしてきた彼女には想像を絶する過去と待遇とに同情と怖れをないまぜに感じるマーガレットだが、そのなかにひとり、不釣り合いなほど静謐で神秘的な雰囲気を備えた少女を見つける。彼女の名はシライナ・ドーズ――霊媒としてそれなりに恵まれた生活を送っていたはずのシライナが収監された理由は、暴行と詐欺。彼女がいったい何故? マーガレットが抱いた小さな好奇心は、やがて頻発する奇妙な出来事によって、執着へと変貌していく……
 既に世評のかなり高い作品なので今更何をかいわんや、まして本書の巻末に掲載された解説以上に何か語るべきことが残されているか、という気分なのだが、自分で読んだうえで改めて「名品」と呼びたくなる一冊である。
 レーベルは創元推理文庫、世間での扱いもミステリだが、有り体な殺人事件や際立った謎は登場しない。メインとなる語り手・マーガレットの過去を織り交ぜながら、シライナの関わった事件と彼女の奇妙な来歴が随所に仄めかされ、その端々に謎めいた要素が鏤められている、といった具合である。格別な事件は起きないが、主人公の憂鬱な言動に、その周囲の人々の無神経とも無邪気とも言える態度、そしてそこに絡んでくるシライナの謎めいた佇まいが、淡々とした筋運びにも拘わらず読み手を飽きさせない。
 秩序良く張り巡らされた伏線は終盤、急激に収束し、美しくも残酷な真実を浮き彫りにしていく。謎が解かれることよりも、突如開けた視界の向こうに見えたものの恐ろしさに愕然と立ち尽くす、と表現する方が適当に感じられる結末である。そこに、およそ一般的な推理小説などでは考えられぬ余韻が漂う。
 描かれているテーマはいずれも普遍的だが、その配列と描き方が緻密で美しい。ジャンル名などに関わりなく、記憶に留まるだろうと感じさせる傑作。

(2003/09/04)


大石 圭『呪怨2』
1) 角川書店 / 文庫判(角川ホラー文庫所収) / 2003年07月10日付初版 / 本体価格590円 / 2003年09月05日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 2003年前に劇場版が公開されるやいなや斯界の話題を浚い、サム・ライミ監督に見出されてハリウッドでのリメイクが決定した『呪怨』。早くも公開された第2作を、前作同様に大石圭がノベライズした長篇。
 ホラークイーンのふたつ名で呼ばれる女優・原瀬京子はある日、婚約者と共に交通事故に遭い、婚約者は昏睡状態、自分は彼とのあいだに身籠もった子を流してしまう。それから繰り返される悲劇のきっかけは、京子がゲスト出演したテレビの心霊番組の撮影で、「呪われた家」を訪れたことにあった……
 ノベライズとしての前作で得た呼吸をそのまま引き継いで、実に堂に入った筆致である。前作はビデオ版第一作・第二作に劇場版第一作までをフォローしなければならなかったせいもあって潤色や再構成が著しかったが、本編は構成も基本的な筋も原作からあまり離れていない。
 むろん、独自の解釈はあるのだが、前作以上にそれらがよく活きているように感じた。特に、原作でいちばん首を傾げた箇所については、読み物として納得のいく形に書き換えられており、今回は部分的に原作を超えた仕上がりとなっている、と言ってもいい。
 反面、オリジナルにも顕著だった散漫さは拭い切れておらず、全体としての恐怖感は前作からだいぶ退いてしまったように思う。各章の冒頭に挟まれたエピソードや、伽椰子・俊雄の“怪奇を齎す側”の視点からの描写も、小説化された過程で必要になってきたとは言えあまりに情緒的で、おのおのの現象にあった“理不尽さ”を磨り減らしている場合が多かった。結末に施されたアレンジも、人によっては否定的な印象を受けるだろう。私自身は面白い組立だと思ったが、それでも怖いとは感じなかった(この点は原作も同様)。
 しかし本書の最大の問題点は、「袋綴じにした意味がほとんどない」ことじゃなかろーか。確かに先に読んだら興醒めなのだけど……犯人当てミステリほどじゃないです。

(2003/09/06)


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