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Diary 2011
(月2回程度更新しています)

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PHOTO 青山の空



2011年09月16日

鎮魂の鐘

昨年お願いした喚鐘がやっと出来上がって我が家に届いた。作者は夫の学友の西由三さん。お父様が高名な鋳金作家で、由三さんも後をついで立派な仕事をされている。展示会で鐘をみて、更にその音をきいて欲しくなってしまったのだが、西さんにお話を伺うと、西さんご夫婦の星座を意匠にほどこしてあるという。「それなら、私たち夫婦の星座で作って下さい!」と思わずお願いして待つこと11か月。

お互いの日程が唯一一致した9月11日は、震災から半年、そして9.11から10年。マヤ暦では新たなスピンの始まる1KINの日。そして翌日が中秋の満月。こんなタイミングで届くなんて何だかすごい・・・ まさに鎮魂の鐘であり、新しい始まりを告げる鐘だ。

鐘には星座だけでなく、月や太陽、アンドロメダ星雲まで描かれている。取っ手の部分はなんと龍! わ〜龍まで来ちゃった〜 叩く場所によって音が違ったり、純粋な単音でなく雑味のある音も多いのだが、少しずつこなれてきた気がする。リビングの真ん中に置いてあるので一日に何回となく鳴らしている。ご飯の前にカーン、お茶の時間にカーン、起きたときにカーン、寝るときにカーン、”もう、やってらんないよ”という気分で帰宅した夫がカーン。これ、良いかも〜〜〜☆ 大事に育てていきます。

もう一つ、同じ日に嬉しいものと出会いました。リフレ仲間のMさんがカジュアルアート篆刻展に出品した小皿。篆刻はまったく馴染みがなかったけれど、奥深く、それに加えて楽しさがあります。表情にとんだ青の地に暁の文字。ありがとう、こちらも大事にしますね!

2011年09月06日



帰国して

ウェブアルバムバンクーバー滞在日記、を仕上げて一区切り。何だかもう前世のようです。

ひと言感想を書くなら、「足るを知る・・」を実感した滞在だった。
物でも情報でもその他なんでも、過剰なものや必要以上なものがない。それって、すごく気持ちが良い。たった3週間だもの、勿論実像はわからない。でも、私が自分のニーズとしてくみ取ったのは、そんな感想でした。

そして、人間どこで暮らしても構わないのだという気になった。今まで、ベタッと東京のここにいるのが当たり前で、そうじゃないと出来ないことや不都合なことが一杯あるように思っていたけど、思い込みもしれない。
変化という揺さぶりに対して、以前より柔軟になったのかな。

おうちにいます、また遊んで下さ〜い♪

2011年08月01日

自戒、そしてThis is it!

最近、私の周りで色んなものが壊れた。車、パソコン、ブレスレットのチェーン・・・そして私は自分自身が。喉がちょっとおかしいな、と思ったのに続いて夏風邪をひいてしまったのだ。1週間以上行き倒れ状態で、80歳の母に「お前は不甲斐ない・・」というメールをまでもらった。

身体はただの入れ物だという見方もあるけれど、”この世の身体”がないと何もできない。動いたり食べたり見たり感じたり、しゃべったり喜んだり、げっそりしたりする身体を通してしか物事は伝わらない。この地上で身体を身にまとっているのは、すばらしくクリエイティブでチャレンジングなことなんだよね。

現実には多くの方に大変なご迷惑をかけてしまい大反省です。自戒をこめ8月はきちんとリトリートしてきます。そして秋はまったく別のパワーとエネルギーを蓄えてお会いしますね!
(詳しくはバンクーバー日記でご報告します♪)

やっと起きられるようになって、借りたままの「This is it !」を見た。私はマイケル・ジャクソンの曲をちゃんと聴いたことがなかったけれど、パフォーマンスのクオリティの高さ、プロ意識の高さ(高さというより完璧というべき!)に圧倒された。何よりも、愛にあふれたMJの姿にノックアウトだった。純粋な愛をいっぱい持ってこの世に降りてきたのに、地上は彼にとって住みやすい場所ではなかったかもしれないと思うと、切なくなる。

「誰かがやってくれる?」
「誰かって誰?」
「僕らから始めよう!」
「4年で環境破壊を止めて、地球を守ろう」

「すべては愛のために」
年を経るにつれ重みを増すマイケルの言葉たち。

そして、こんな記事・・
野口健の公式ブログ(7/30記事) 
注)見づらい写真が多いので、気持ちを決めてからご覧ください。

2011年07月19日
青き衣

「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」


世界の頂点にたった”なでしこJAPAN”の活躍に、こんなTwitterがあった。
わ〜、ナウシカだね☆ 
やっぱりこれからは女性性の時代ではないだろうか。善悪、勝ち負けなど2極対立の時代は、どんどん古くなっていくだろう。写真を見てそんな気がした。


東京タワーもジャパンブルーで応援してました!
なでしこJAPANのメンバーは、試合前に震災のビデオを見たそうだ。”誰かのために”という思いが人をほんとうに強くする。逆の例で、内戦や戦争で無差別に子供を狙うのは、子供を失うと戦意を失うからだと聞いたことがある。悲しすぎます・・・
みんなの笑顔のために! いつもそんな気持ちでいたい。



連休を含む4日間、私もスペシャルな日々を送った。南アフリカから招いたリフレクソロジーの講師がお土産にスプーンを下さった。幸せをすくいとり、分かち合う象徴ともいえるスプーンを頂いて嬉しかった。何となく古い鍵のようにもみえる。新しい扉を開ける鍵かも〜 ^^ 
ただ今ヒプノ月間進行中。その人のなかにある光の素晴らしさ☆ 立ち会えることに感謝です。

2011年06月28日


夏至を過ぎて

生まれて初めて梅酵素を作った。区民センターの調理室でワイワイ楽しく作った酵素は、とても元気そう。可愛いわが子という感じで、暇さえあればのぞきこんでいる。あと数日発酵を進ませてから、濾して出来上がり。楽しみだなあ♪
後半は、自然療法のミニ講座。結局、皆波動なのだと思った。

「残念な人」の由来を検索したら、残念度を測るサイトを見つけた。私の結果はこのとおり・・・^^;
あなたの残念な人度は 31.25% 大丈夫です。残念な人だとは思われていません。感覚的なところがあって、論理に弱いところがあるかもしれませんが、それもご愛敬でしょう。

これって、高いの低いの? でも驚いたことに夫のほうが残念度が高かった。結果の違いは左脳と右脳のバランスかもしれない。最近関わったことの多くで、一生懸命頭で考えるより、感情や直感に従った方がずっと結果がよかった。 想像していなかったところまでスーッと進んで鳥肌がたつような感じ・・・ こんな風になるなんて思ってもみなかった、でも確かにそう願った自分がいる!大切なのは、何を求めるか、何にフォーカスするかという意識設定なのだと思う。その意味で、村上春樹のメッセージは素晴らしいと思う。

夏至を過ぎ、現実がどんどん動き始めている。7月は楽しみなことがいっぱい☆ 8月にバンクーバーに発つまで、走り抜けよう!

2011年06月09日


6月の空の下

昨日は素晴らしい空だった。夕暮れまで魔法のように素敵な空と雲が広がっていた。きっと誰か写真に撮っただろう・・と思ったら、やっぱり撮っていた人がいた☆ ああ、きれいだな、と思って空を見上げる、見上げた空の下にたくさんの人がいる・・・それだけで幸せな気持ち!

青山小学校のホタル鑑賞会へ出かけた。この辺りでホタルが見られるとしたら、どこかのホテルのディナー付イベントくらいだろう。子供たちが育てたと書いてあったので、夜の小学校で見てみたかった。行ってみたら風情を味わうというより、しっかり学校行事で、215番の整理券をもらって順番を待ち、20人ずつ飼育小屋に入って観賞した。ぽわんと灯る蛍の光を見たのは何十年ぶり。
うす暗い人工芝の校庭を子供たちが所狭しと走り回っていた。子供って、いつまでも走っているんだね〜と夫と話した。

翌日もまた、子供ってずっと走っているんだね〜という話になった。子供がいないと、こんなことが新鮮なんだな。今起きている色々なことに対して、どれだけ自分は実感を持っているだろう。

ビニール傘しか持っていないのに気がひけて、晴天の日に傘を衝動買いした。ピアノの鍵盤と音符が描いてあってカエルのイラスト付。 もしかしたら子供用? でも隣に同じ柄でもっと小さい傘が並んでいたから、これは大人用に違いないと決め込んでレジへ。カエル君傘をくるんくるん回して歩いている人がいたら、きっと私です。

2011年05月27日


5月の終わりに

母の80歳のお祝いに、妹も加わって3人で箱根に一泊した。雨の予報にもかかわらず天候に恵まれ、緑がとても気持ち良かった。久しぶりのポーラ美術館では、思いがけず海老原喜之助の作品「行軍」に出会った(写真は別サイト掲載のもの) 彼の「ポアソニエール」という絵と、それについて洲之内徹の書いたエッセーが大好きだったので、エビハラ・ブルーに出会えて感激。

このブルーの色だけあれば何もいらないような気がした。絵をみるとき、私は色彩を見ているのだと思う。音楽に関してもそう思う。音だけあれば曲はいらない、みたいな。以前から、好きな演奏家は音色が好きなのであって、どう弾くかという解釈にはまったく興味がなかった。
音や色はつきつめると光だと思う。

先日ヒプノセラピーの練習をしたときのこと。
途中からストーリーがなくなってしまったので、ただただこんなイメージを見たというだけですが。
最後に地表に立ったとき、空も大地もまっ暗で人も生き物もなく、夜というより世の終わりといっても良いような異様な雰囲気だった。
光が欲しい・・と思い、息子と一緒に祈ると光が生まれ、それがどんどん広がり、暗闇に埋もれていた人やが生き物が気づいて祈りはじめ、その連鎖が地球をおおうように広がり、夜明けのように光がさしてきた。あまりに美しい光景だった。

終わりではなく始まり・・・
自分のなかに、こんな原風景をみつけて嬉しかった。

2011年05月09日

証(あかし)

今年のNコンの課題曲は震災後ということもあってすごく心に響く。東北は合唱に熱心な土地で、被災地の中学合唱部員がこの曲を歌っているシーンではジーンとしてしまった。作詞作曲したFlumpoolのナイーブな感性も好きです☆  
若い世代のほうが、見るべき方向を見失わずにいるのではないだろうか。
大人、ダイジョブですか?

5月がきて緑が一気に芽吹き、足元から空から、あふれるようにメッセージがやってくる。つながるものとは一瞬でつながる。それぞれが本質で生きて良い時代の扉は、すでに開かれている。そう思うかどうかだけ。
絶対大丈夫、一緒に頑張ろうね!

2011年04月21日


春よ来い

震災にちなんだ番組で、ユーミンの「春よ来い」が紹介された。「春よ来い」が流れる部屋で、阪神大震災のとき高校生だった男性が「この曲が心の支えになった」と語り、そう言いながら、ぽろぽろ涙をこぼしているのだった。あれから何年もたち30歳を超えた大人になっても、そうやって悲しさは溢れてくるんだな・・と切ない気持ちになった。

歌って素晴らしい。もう整理したつもりで心の中にしまいこんでしまった感情を、素直に出してくれるから。泣きたい感情があるのなら、いつまでだって涙をこぼして良いと思う。

5日間連続の「ヒプノセラピー年齢退行プロコース」を受講した。背負う必要のない荷物を下ろすたびに、どんどん自分が軽くなってくるのが分かる。楽に自分らしく生きるのを制限しているのは、周囲の環境や人間関係ではなく自分自身なのだ。

そろそろ人にセッションをしていく準備を始めなくてはね。潜在意識の素晴らしいメッセージを(人から教えてもらうのではなく)自分自身で受け取って、本来の輝きを見つける・・・ こんな素敵なことはないから。

2011年04月03日

はやぶさ最後の写真  
 & Song for Japan
 
2010年6月13日に、7年間かけて60億キロを旅した探査機「はやぶさ」が帰還した。あのときは日本中がそのニュースで湧き立っていた。今日のテレビ番組で偶然見るまで、すっかりそんな話題は忘れていたけど、あれからまだ1年も経っていないのだ。

はやぶさが大気圏突入約50分前に、最後の力を振り絞って撮った写真がある。カプセルを切り離した衝撃でふらつく機体を2時間かけて修正し、送られてきた1枚の写真には、故郷の地球がかすかに、でも力強く写っていた。

白黒だけど、せつないほど美しい。
私たち皆の故郷。

Song for Japan Man - Yomigaere! / マン - 甦れ!(応援歌)
とてもハートフルで素敵な歌です。しかもスウェーデンから日本語で届いたもの☆
”足跡流されても、きっと将来への道残るさ”

2011年03月25日


Keep in Love

自然の脅威の前ではなす術を持たない、という無力感にさいなまれている人、苦しむ人を目にしながら胸を痛めることしかできない人、すべての原因を作り出したのは結局自分たち自身ではないかと打ちひしがれる人へ・・・

その気持ちはすべて愛からくるものです。
マザーテレサも言っています。「愛の反対語は悲しみや憎しみではない、無関心だ」と。
たとえ、危機迫る最後の瞬間に自分だけが助かろうとしたとしても、心の奥底には愛の灯がともっているのです。無力感、悲しみ、自責の念にフォーカスするのではなく、その奥にある「愛」にだけ心を集めて下さい。
どんなにあなたの意識がそれを否定しようとも、愛は確かに宿っています。
そして実体があるのは愛だけなのです。

「救済はその瞬間直ちになされた。
祈りは祈ったその時に聞き入れられた。」

それを聞いても、感情や意識はついていけないでしょう。怒りすら覚えるかもしれません。

しかし、あえて言い切るならば
祈りが足りない・届いていないのではなく、祈りへの絶対的な信頼を持つだけ・・・
救われていない・救いようがないのではなく、救済への絶対的な信頼を持つだけ・・・
それこそが、小さな奇跡、新しい現実を作っていくのだと思います。
これは私の信念です。

私たちの体は放射能を内在しています。
コントロールを失って苦しむ原発が、自分と響きあう”もうひとりの私”であるならば、自分を愛するのと同じように愛を送ってください。

Just keep in love.

2011年03月21日

94.6% again

地震から1週間、厳しい現実は変わらないけれど、あるいは本当の厳しさが増しているのかも知れないけれど、おととい頃から何故かふっと落ち着いた。
それまでは何をしても集中できず宙に浮いているようで、自分が自分の中心にいない異様な感じだった。信頼できる情報に行きあたらない、という意味ではない。
自分の中心がぶれていると、物でも情報でも環境でも、すがって安心できるものを探してしまう。どんな状況にいても、心の静けさは外に求めるのではなく自分の中にしかないのだ。この週末に受け取った確信的なメッセージはまだあるけれど、自分の中にしまっておきます。一緒の時間を過ごしてくれた仲間たち、ありがとう!

放射能について、現状レベルだったらタバコを吸う方がよほど危険・・と言われているけど、まったく問題ないと言い切るのはどうなんだろう。どんな量でも発がん性はあり、線量に比例してがんを発症するのははっきりしている。(by国際放射線防護委員会)
「基準値」だって、”原発を使わなくてはならない以上どこかに安全基準をもうけなくては”と発想されたものだから、いくら慎重に設定されたとしても”**以下は大丈夫です”という絶対値ではないだろう。急性症状はなくても5年後10年後の晩発障害や遺伝としてあらわれるかもしれない。そこまで視野にいれた限界値なんて分からないのではないだろうか。

被災地で、3日いると1年間の限度量をこえるような人がそれを知らされないとしたら不幸だと思う。
過去の裁判では、原発事故が起きた場合50km圏内の安全は保障できないという判決が出ている。複数基の事故を想定したものか私は知らないけれど、そのとき安全性を論証できなかった保安委員会は、すでにオフィスを福島原発から50km離れたところに移した。

私たちの体には6000-7000ベクレルの放射能が存在するそうだ。(人体に含まれるカリウム40という放射性物質による) 私たちは放射能と響きあって存在しているのかもしれない。

アンケートによれば、日本の復興を信じる人は94.6%、もちろん私もその一人です。
心からの祈りをささげたいと思います。

2011年03月13日
3.11

震災で亡くなられた方のご冥福と一日も早い救済と救援を心から祈ります。

平穏な日常が一日で吹き飛んでしまった。
自分たちは思っているよりずっと不安と恐れを感じているのだと思う。この先も何が起きるかわからない・・

不安と恐れ、無力感で不安定になっている自分を許そう。
そして何が起きるか分からないこの先には、喜びや希望も含まれていることを思い出そう。
不安と恐怖ではなく、愛と光に基づいて自分のできることだけをやろう。

この「冷静に」っていうのは、想像した未来やできないことへの焦りなど、「ここにないもの」に振り回されず、とにかく「ここにあるもの」に従ってうごく、っていうことなのかもしれない。
人知を越えたものと遭遇したときは、それと同等になることを望んでもどうしようもなくて、むしろ、人知の範囲をできるだけしっかりやることだけなんだろうと思いました。(一部抜粋) by石井ゆかり

明治神宮に行ったら、路上で救出と復興を願う寄せ書きをしていた。
生きて下さい」  一言、そう書いたものがあった。
生きてください!

 

 
(写真は1月のニュージーランド)

2011年02月06日


せんせい

急な依頼で、子供のためのオーケストラ・コンサートにエキストラ出演した。小学生くらいだと、先生の言うことはとりあえずちゃんと聞くんだな〜と妙に感心した。いくつかの小学校の生徒がステージにあがるのだが、同じ公立なのに学校によって驚くほど子供の雰囲気が違う。地域性もあるだろうけど、先生たちの指導の影響も大きいのではないかと思う。忌野清志郎みたいな子供はいないのかしら・・・

今週は自分が各種先生方と濃いお付き合いをしてしまった。腕の不調に続き、腰を痛めたのでございます。しまった!と思った時はもう遅く・・しかし、週末のコンサートはキャンセルできない。何としてでも治そうと、鍼・マッサージその他あらゆる方法を試した。そのなかで、凄いと思ったのはやはり「ロルフィング」と「均整術」 
残念ながら、どちらも説明しがたいものなのでロルフィングはこちらのサイトの林望先生の体験談をご覧ください。私は初回を受けた帰り道、スキップして踊りだしたいような気分になった。中村さんの施術はいつも、身体を持つ喜びを思い出させてくれる。「身体ってこんなに気持ちが良いものだったんだ!身体はやっかいなお荷物なんかじゃないんだワン♪」と世界の中心で叫びたくなるのです。

そして均整術。体位を変えたり、ちょこちょこっと押したり曲げたり、何をどうしているのか分からないままハイ終わり。長くても30分はかからない。痛めた部位が治るにはそれなりの時間が必要だろうと思うのに、あっという間に快癒する。サイトも作らず助手もおかず長年一人でやっている先生の施術は、今回もまさに大村マジックだった。

「はい、これで大丈夫です」と言われたものの、翌日の本番は8Kgを超える楽器と荷物を持って2時間弱かかるホールまで行かなくてはならない。途中でなにかあったら・・という不安をぬぐえない私に、先生は「いつもやっていることは大丈夫です、心配ありません」と言われた。前日は鍼灸院で「これはひどいですね。いつ次がきてもおかしくない状態ですよ」「やっぱり、そうですか、そうですよね〜^^;」という会話をしたばかりなのに・・・
確かに楽器を弾いていてギックリ腰になったことはない。身体が楽器との付き合い方を知っているのだ。先生の言葉をきいて、自分の意識の中で治ることへのスイッチが入ったような気がした。

施術者の一言は大きい。うっかりするとネガティブな表現になる。クライアント側も、ポジティブな表現は気休めにしかならず、ネガティブな表現のほうが受け入れやすかったりする。患者が本来持っている治癒力を発動するような言葉は本当に大事だ。そんな言葉を自分も探していけたらと思う。
頭より先にスイッチを入れて頂いた身体は素直に快方に向かっているのだから。

2枚め写真は頂きもののChanakara Tea. チャクラに対応したブレンドティー。パッケージの色も楽しくて美味しいです

2011年01月05日




50歳からの・・

読もうと思った本のタイトルがうろ覚えだったので、パソコンで検索した。タイトルの一部に「50歳からの」という言葉が入っていたはずなので、それで検索すると、ものすごい数がヒットした。50歳からってこんなに大変なのかい!?と思い切り引いてしまった。何歳でコレをしましょうという本は多いから、どの年代の人もそれなりの目標を持ちたいのだろうけど・・もしかして日本だけの現象なのかしら??

年明けの旅行先はニュージーランド。不思議な幸せ感に包まれる国だった。最後に寄った町で、胸に金のハートを抱いているかわいい人形を見つけて引き寄せられるように買った。お店の人が苦労してショーウインドウから取り出してくれた人形は、昨日飾ったばかりだという。きっと私を待っていてくれたんだね☆ 素敵な空と雲、丸い虹のかかった太陽、定番むれむれ羊クンたちetc、たくさん写真を撮りました(撮りすぎた!)
 
帰国後まもなく、リフレ仲間が施術を始めたサロンを訪ねて、レイキとミックスしたセッションを受けた。実は年末から右腕のしびれと鈍い痛みがとれず、ちょっと不安になっていたところ。旅行で腕を休ませても治らなかったので、一度整形外科で見てもらおうと思い始めていた。

セッションはとても気持ち良くて、改めてレイキもリフレも好きだな☆と思った。そして「私の足が語っていたこと」は、私を勇気づけ安心させてくれた。腕の症状は、何か深刻なことが起きているのではなく、もう手放して良いと伝えるためにやってきたのだと思う。太陽が沈むとき、最後に燃えるような残光を残すのと似ているかもしれない。
確かにそれはありました、でも、一日が終わってもう去っていきます・・
 

私は不調の意味をあれこれ頭で考えて、まるで不調を釘づけしているようなものだった。頭より、心と体の方がちゃんとわかって先を行っている。すごいよね!!
セッションを境に、痛みは段々まろやかになりつつある。
かといって放ったらかしにできないのが私の年齢。腕も足も、日々鍛えて使いましょう。