プロフィール

 

祖父母や父は海馬島からの引揚者だった。小さい時から聞かされた島の様子や叔父叔母から聞いた海馬島について、記憶も薄れてきているのでこのサイトに記録として残すこととした。

私の祖父母や父が当時住んでいたのは島最北の泊皿であった。泊皿集落は親戚が部落を作っているようなもの。祖父は漁師をやりながら生活用品を売る小さなお店を開いていた。当時の地図から見ても大きな集落であったことが確認できる。
泊皿は大野湾に面しており東の岬は山中の岬と言われた。山中の岬は絶壁で海伝いでなければいけないところだったそうだ。 泊皿の浜は山中の岬を背にローソク岩、ちょうちん岩があり、海岸は磯で非常に海がきれいだった。海辺に行くには非常に急な坂道を降りていって、プライベートビーチのように漁師の磯舟の舟置き場があり、漁場があった。

その後、引き上げで昭和20年11月14日天塩に住んでいた親戚が稚内から船を2船調達し、吹雪の中へ親類一族救出のため海馬島へ。私の祖父母や父は、その船でロシア軍発見されないよう密航。礼文経由で稚内に引き揚げたのであった。私は稚内で昭和39年に生まれたため戦争や樺太、海馬島のことは知らない世代であるが、小さいころから海馬島のことを聞いて育った。現在は、親戚も海馬島を知る人は少なくなった。少しでもその記憶を残したい。

海馬島WEB管理人  昭和39年北海道稚内市生まれ。現在北海道千歳市在住

メール:   kaiba_island@yahoo.co.jp