小峰朝常(こみね・ともつね) ?〜?

結城一族。白河結城氏・白川親朝の二男。白川顕朝の弟。通称は七郎。左兵衛尉・三河守・安芸守。
暦応2:延元4年(1339)頃、常陸国小田城に在った南朝方の重鎮・北畠親房のもとに祗候している。
父の親朝が興した小峰家とその所領を康永2:興国4年(1343)11月に譲られて相続し、陸奥国白河郡小峰城主となる。
小峰家を相続する以前の事績は不詳であるが、父と同様に康永2:興国4年より南朝方から北朝方(足利尊氏方)に転じたと見られ、貞和3:正平2年(1347)に陸奥国南域の南朝方の要衝・宇津峰城や霊山城の攻撃に参加している。
一時的に南朝方の北畠顕信にも従った時期もあり、足利尊氏・直義兄弟が分裂して抗争した観応の擾乱に際しては、南朝方に帰順した直義から観応2:正平6年(1351)3月に感状を授けられている。
この頃は朝常自身も去就を決めかねていたようで、この年には北朝方・南朝方の双方から知行の安堵、さらには新恩の給付を提示されるなどの誘いを受けている。しかし最終的には尊氏方として北朝に帰参し、文和元:正平7年(1352)には北朝方の奥州管領・吉良貞家に従って宇津峯城を攻め、翌年にこれを陥落させて北畠顕信を逐った。
貞治3:正平19年(1364)4月、子の政常に所領を譲った。
生没年不詳。道号は大綱寄公。