御朱印
※書き手が数人おりますので同じ形とは限りません。ご本尊 元三大師
元三大師堂、ご本尊の御朱印です。元三大師堂の御開帳は1月3日、2月3日、9月3日のみとなっております。
ご本尊 弥陀三尊
廬山寺 御内仏殿の本尊弥陀三尊の御朱印です。通常拝観にてご覧頂くことが可能です。
紫式部邸宅址
境内地のほとんどが、かつて紫式部が住んでいた邸宅があった場所だとされています。
洛陽三十三觀音霊場会 第三十二番 如意輪觀音
廬山寺の霊場本尊如意輪観音は元金山天王寺の本尊である。
金山天王寺とは用明天皇(586)の御宇に、聖徳太子によって大阪・四天王寺、三重県伊勢の天王寺、東京谷中の天王寺と共に全国四ヶ所に建立された天王寺の一つである。当初の本尊如意輪観音並びに伽藍等は数度の火難に遭遇し、久しく廃絶に帰したが、承願元年(1207)に烏丸一条北に再建され、承久年中(1219)に上立売室町東に移転するその間、本尊もその当時の大阪・四天王寺の本尊[飛鳥時代]を模倣造立し、旧観に復する。
天正13年(1585)、廬山寺二十二世超空上人が今出川通り七本松に移され、明治7年(1874)二月官許によって廬山寺に合併され現在に至る。現存の本尊如意輪観音は鎌倉時代の作であるが、飛鳥仏の姿貌を残す霊験の顕著なること炳として日星の如く、諸願よく成就す、これをもって古来より来たり、詣でるもの雲の如く集まり、常に香華耐えることはなしと云われる。 現在はお前立ちのみ、元三大師堂内に安置されている。
本体は京都国立博物館の常設展示会場にて展示。御詠歌: これもまた くらいもたかき てんのうじ さながらにはや くもいなるらん
洛陽三十三所観音巡礼について
洛陽三十三所観音巡礼は、後白河天皇が、広域で巡礼が困難な西国三十三所巡礼に代わるものとして平安時代末期に定めたのが 起源だといわれています。
詳しくはこちらのホームページから→ 洛陽三十三所觀音巡礼公式ホームページ京都七福神 金山毘沙門天
境内西の大師堂は元三大師像を本尊として、左右に不動明王、金山毘沙門天、薬師如来像を安置しています。
この毘沙門天は聖徳太子作と伝えらています。 太子は父・用明天皇なきあと皇位継承問題で排仏派の物部守屋らと戦いました。そのとき戦勝祈願したのが毘沙門天でした。戦いに勝った太子は仏教をひろめるため四つの天王寺を築きます。大阪四天王寺はあまりにも有名ですが、京都北山に建立したのが金山天王寺で、本尊を如意輪観音とし、脇侍に毘沙門天像を安置したと伝えます。その後、金山天王寺がどういう軌跡をたどり廃寺となったかはわかりません。
廬山寺は天慶年間(938-947)北山に創建され、洛北の地を転々として天正年間(1573-1593)現地へ移ったと伝えられています。そして、金山毘沙門天像を廬山寺で祀るようになったのは明治元年からといわれます。ルート
大黒天(妙円寺)-弁財天(妙音堂)-毘沙門天(廬山寺)ー福禄寿(遣迎院) -恵比寿神(護浄院)ー寿老神(革堂)ー布袋尊(大福寺)