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 ('10/12/25 追記'10/12/27) 
みたび 死の湖からの回生 - ダム湖をゆるがした10日間

クニマス再発見から10日。田沢湖のある秋田県からのニュースとして、まず県と仙北市による「クニマス里帰りプロジェクト」が21日に始動したことが上げられます。ただし記事を読むと、ここでいう「里帰り」はまだまだ田沢湖への帰郷を意味していないことがわかります。

 仙北市は将来的には田沢湖に戻すことを視野に入れながらまずは県内の別
の場所で養殖することに加え、県の魚(内水魚)への指定、男鹿水族館GAO
や田沢湖畔での水槽展示などを提案した。
 一方で県側は、田沢湖の水の酸性が強く中和に時間がかかることを指摘。
養殖についても「せっかく連れてきても死んでしまえば問題」「好まれる環
境やエサも不明。養殖に必要となる水温を下げる装置も県にはない」と述べ、
活動には予算措置など県の方針決定が必要と強調した。
『クニマス:プロジェクト「帰郷」に難題次々 仙北市、養殖など提案も/秋田』(毎日新聞 12月22日)
西湖の漁協のはっきりした態度と対照的です。田沢湖をクニマスが棲める湖に戻す、という合意はまだありません。関係者がはっきりと言わないタブーのひとつ、それは田沢湖がダム湖に変えられた、という事実。もっとも、あらたに堰堤を建設したわけではなく、隧道を掘っただけなので、お手軽発電用貯水湖というべきか。

田沢湖で発電しているのは「田沢湖発電所」ではなくて、小保内(おぼない)発電所。発電所が見えないから、田沢湖を訪れる人にはダム湖という印象がありません。さらに、発電所への取水口も、玉川からの導水口も、捜すつもりでもなければ目に留まらない。

田沢湖が発電用ダム湖だということは、その水利権が発電所の所有者の東北電力にあることを意味します。だから、クニマスの棲めるもとの田沢湖に戻すということは、まずダム湖であることをやめること、取水も導水もやめること、の議論になります。そこは大企業の電力会社、おいそれとはいきますまい。

天皇が誕生日会見で、クニマス再発見について言及されたのは追い風とも言えますが、「現在の状況のままクニマスを見守り続けていくことが望ましい」と付け加えたのは、ふたたび絶滅させないようにとの生物学の立場からのコメントに聞えます。むしろ環境学の視点から「田沢湖を元の姿に戻すことが望ましい」と言ってくれていたら、さて、どんな波紋が立っていたものか。

クニマスの再発見の話題にくらべて、クニマスが消えた田沢湖についての報道が少ないように感じます。上に引用した毎日の記事を掲載したYahoo!は、解説とリンクに、「◇プロジェクトの素案が示された」、「◇田沢湖原産だが、西湖で発見」とのタイトルで一連のニュース記事を紹介したうえで、続いて、

◇田沢湖のクニマスについて
田沢湖 クニマス☆田沢湖 クニマスのご紹介♪♪ - 湖翠ネットコム
幻の魚クニマス - 強酸性水導入によって、クニマスは姿を消す。田沢湖に生命を育む会
玉川強酸性水 - 田沢湖に生命を育む会
と、田沢湖が死の湖になった経緯とその再生運動について、適切な資料を提示していました。これはヤフー編集部の見識というべきでしょう。

湖の再生については、地元秋田の新聞社「秋田魁新報社」もそれを支援する報道を続けていました。今年の2月には5回にわたる連続特集記事を掲載。その第一回目は、

『[毒水流入]景観一変、「死の湖」に』どっぷり雄物川紀行厳寒編 2010/02/13(さきがけon the Web)
そして、奇しくも、クニマス再発見のニュースが報じられる直前の12月11日には、「田沢湖に生命を育む会」事務局長の杉山早人氏を紹介した記事『森の湖取り戻せ(仙北市)』 がありました。こうした人々の努力の積み重ねに応えるかのように、クニマスが自分から姿を現したのではないかと思えるほどです。

全国紙の中でも、毎日新聞は秋田支局の野原寛史記者が、田沢湖側からの報道を続けていました。たとえば、今日の朝刊では、仙北市長会見を以下のように署名入り記事にしています。

(市長は)今後の方針については「今すぐ西湖からクニマスの成魚を受け入れて
保護すべきだという意見もあるが、今はクニマスが今後どうあるべきか、田沢湖
の再生に市と県がどう道筋を作るかの方が大事」と述べ、田沢湖への帰郷に向け
た体制作りを重視する考えを示した。門脇市長は県議時代から湖の再生運動に参
加している。
 一方で、クニマス発見による観光への効果については「クニマスは観光だけで
論ずるべきではない」として、安易な利用には慎重な姿勢を見せた。【野原寛史】
『クニマス:田沢湖への「帰郷」、受け入れ体制重視へ−−仙北市長会見/秋田』(毎日新聞 12月25日)
さらに、地方版では湖の再生運動に取り組む三浦久氏にインタビューして、
今回の課題はクニマスが故郷に戻れるか否かだけではない。かつて人の手で破壊
された自然を、クニマス発見という機会を得た人の手で再生できるかが問われる
試練でもあるはずだ。

「死ぬ前に田沢湖へクニマスが戻るのを見たい」と語る三浦さん。県や国が湖水
の中和などに技術と資金を投入しても、湖がかつての姿を取り戻すのは遠い未来
になる可能性が高い。それでも、養殖と並行して湖の再生に取り組み、国内外の
環境再生のモデルケースとなれるよう千里の道への一歩を踏み出してほしい。
『支局の目:歳末版 かつての姿の湖に /秋田』 毎日新聞 2010年12月23日 地方版 
と、クニマス再発見に喜びかつ揺れる地元をレポートしています。

湖の再生運動に取り組んでいる人々からはよく、田沢湖にクニマスが帰る日を生きて目にすることはないだろう、との声を聞きます。何十年、何百年というスケールで考えるべき課題のようです。でも、神社仏閣でさえ、千年後の姿を想像して設計、改修するといいます。ウォルト・ディズニーのこんなエピソードを思いだします。

夢の大事業として命を賭けていたディズニーワールドの完成を見ることなく、
ウォルト・ディズニーは1966年に亡くなった。だが、兄のロイ・ディズニー
が弟の遺志を継いで、5年後の1971年にこれを完成。その広大なディズニー
ワールドの開園式で、ウォルトの友人がロイに言った。
「ウォルトにこのディズニーワールドを見せたかった」
すると、ロイは、
「いや、ウォルトはもう見ていたんだよ」


【追記 '10/12/27】もうひとつのタブー

上のコラムで「タブーのひとつ」と書いたのは、メディアが黙ったままでいたら、いつかもうひとつのタブーを取り上げなくちゃと、そのための布石のつもりでした。

去年再訪したたつこ像が土台まで干上がっていたのを目の当たりにしたばっかりに、どうして?と詮索好きの私はついWeb重箱の角をつつくことになりました。

資料を渉猟しているうちに、現地でもストレートに言えないタブーが二つあるみたいだ、と気付きました。それは田沢湖の現在と過去にまつわるもので、前者が <現在の田沢湖は東北電力が水利権を有するダム湖であること>、そして後者が <過去に導水隧道を掘るのに動員された朝鮮人が過酷な強制労働で多数死者を出したこと>。これらタブーにちゃんと向き合わない限り、田沢湖の再生はないだろうな、とひそかに感じていました。

それが意外にも早く、昨日26日付けの秋田魁新報の編集部コラム「北斗星」が、おそらく一般新聞としては初めて、この避けてきた過去に正面から向き合っていました。

コラムはまず、クニマスが再発見されたことについて、「快哉(かいさい)を叫ぶ一方、<絶滅した理由><その陰であったこと>をいま一度確認する必要があるだろう」と前置きしたうえで、こう述べています。

▼導水路の難工事に従事したのは「募集」という名で強制動員された朝鮮人たち
で、多数が犠牲になった。湖岸に立つ姫観音像は、この犠牲者を慰霊するため
に戦前建立されたことが、趣意書から明らかになっている
           (【北斗星】 12月26日付 さきがけ on the Web)
クニマスは負の歴史の証人としても生き延びて、いま湖の回生のために「さきがけ」ようとしているかのようです。


 ('10/12/18) 
バイク窃盗は偏執的マニアか盗品ビジネスか

No.4'669 豊中市のCYGNUS-X Fiさんは、マンション駐輪場で2度目の被害でした。バイクの窃盗件数はここ数年で減少してはいますが、犯行の手口として、ターゲットをピンポイントで狙っていること、大概のワイヤロックとU字ロックをいとも簡単に切断または解錠していることが目立ちます。その意味で、窃盗犯は偏執的ともいえそうなマニアか、ネットオークションなどでの部品転売を狙うケースが多い、と見ています。

マンションなど集合住宅のバイクが狙われやすいので、たんにバイク所有者個人の問題としてでなく、居住者全員のセキュリティの問題として管理組合あるいは管理会社に対策を提起しましょう。

CBX様へ

今回、同じ場所で2度目の盗難にあい、あきらめきれず登録させていただく
ことにしました。

マンション内大型バイク駐輪場でマンション設置の監視カメラ付の場所で
グレーのパーカー、赤色のシャカシャカパンツに白いスニーカーと、黒い
パーカー、ジーパンと白いスニーカーの2人組が約6分間の間にもって行き
ました。

不幸にも4月に同じ場所でXR100Mを盗難されており狙われていたの
かもしれません。

前輪にワイヤーロック3本、後輪にU字ロック1つ、さらにメットインの中に
ゴリラのアラームを設置していました。ただ、ゴリラのほうに関しては
バッテリーが上がってしまっていたため作動していなかったのです。

1年に2台という災難とシグナスに関してはローン返済中という事実だけが
重くのしかかっています。

近所の悪がきが乗り捨てて出てくることを祈っています。(海外輸出や
ネットオークションでばらばらでないことを祈ります)

警察も組織的な犯行の可能性が高い(犯行時間的に)から見つかる可能性は
低いが豊中警察では盗難件数が増加しているので特別捜索班を設けたって
言ってました。

ちなみに監視カメラに映っている犯人の姿の画像は持って帰っていきました。

本当にどうしていいかわからないままヤフー検索でバイク盗難を入力したら
希望の光のようにCBX様のサイトを見つけました。

登録宜しくお願い致します。


 ('10/12/17) 
ふたたび 死の湖からの回生 - そしてクニマスは生き延びた

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今日のYohoo!ニュースのヘッドラインのひとつに、まさかと目を疑いました。それは嬉しい驚きでもありました。その見出しとは『クニマス発見 対応に追われる』

実際の記事のタイトルは「クニマス:西湖に生息「大変なお宝」 漁協、対応に追われる/山梨」(毎日新聞 12月16日(木)11時54分配信)。えっ? 田沢湖で見つかったんじゃなくて、富士五湖の西湖? クニマスって田沢湖の固有種だったんじゃなかったの? 記事によると、

クニマスの成魚は約30センチ。秋田県の田沢湖にだけ生息する固有種。1940年ごろ、
田沢湖に強酸性の水が入り、死滅したとされていた。同漁協には35年、田沢湖からクニ
マスの卵が10万粒送られた記録が残っている。
今になって見つかるとはどういうことかと思ったら、「昔から黒っぽいヒメマスがいて、クロマスと呼んでいた。まさかクニマスとは、誰一人思っていなかった」(地元の漁協関係者)という。山梨日日新聞の報ずるところによると、
田沢湖観光協会がクニマスの生息情報を求め、1995年に100万円の懸賞金を出した際、
5匹ほどのクロマスを県水産技術センター忍野支所に持ち込んだ。ただ当時の判定はクニマス
と認められず、長く存在を忘れていた。
『幻の魚 15年前は違うと判定』(山梨日日新聞 2010年12月16日) 
なぜ誤った判定がされたのか、詮索はされていないようですが、興味深いのは、この世紀の発見を受けての現地の対応。
西湖漁業協同組合は「絶滅種」を狙った釣り客が増えることを憂慮。同日、組合員による会議
を開いて禁漁区を設定して保護する方向で検討することになったという。
(同上)
これはクニマスが生き延びていた西湖からの視点。もうひとつ興味深いのは、クニマスが死滅した田沢湖の視点からの記事がまだ見当たらないこと。

去年田沢湖を訪れたとき、それまで知らないでいたこの湖の悲しい歴史を知ることとなりました。(『東北の旅 田沢湖 - 死の湖からの回生』 2009年10月14日) しかも、田沢湖がどのようにして死の湖になったのか、詮索することをどこかタブー扱いしている空気があります。今やクニマスが発見されたからには、当然話題になるべきことは、田沢湖にクニマスを蘇らすことのはずです。

けれど現在田沢湖はクニマスの戻れるような湖ではありません。そんなことはないだろう、湖畔には魚が群がっていたぞ、という観光客もいるでしょう。けれど、観光客の足元に寄ってくるあの魚は、放流した魚のうちで酸性水に強いウグイ。淡水が流れ込む湖岸近くでかろうじて生きているもの。ニュース記事ががここまで言及していないという事実そのものも、詮索する意味があります。

いずれにしろ、クニマスが生存していたということは世紀の大発見。前回のコラムの最後に書いたように、たつこ像は龍神が「湖の回生のために水の精に姿を変えた」のだと、ほんとうに言える気がしてきました。そしてクニマスが田沢湖に戻ったとき、たつこ姫はふたたび龍に身を変えて、湖中に帰っていくことでしょう。


 ('10/12/9) 
クロスのボールペン

修理に出していたクロスのボールペンが無償で修理されて戻ってきました。

私は30年来のクロスユーザー。気に入っているのは、たかが文房具なのに永久保証されていること。つまり、機構上の故障はいつまでも無償修理してくれる (unquestionably guaranteed against mechanical failure, regardless of age)、替え芯なども製造終了がなくてずっと購入できる、というポリシーに感心したこと。もっとも、そのデザインのシンプルさと完成度に、愛着を感じることがいちばんの理由ですが。

では、よっぽど高価なボールペンを持っているかというと、クラシックセンチュリーシリーズの中でも低価格帯の「メダリスト」と「クローム」が常用のクロス。クロスのこのボールペンは小ぶりなので、私はよく落としたり、なくしたりしました。ですので、あまり値の張るものは携帯できません。

過去に修理に出したことが、やはり30年ほど前に一度だけありました。それはコーポレートギフトのモデルだったので、中の保証書の送付先(アメリカ本社)に送ったら、ちゃんと修理されてきて、同時に、日本法人があるので今後はそちらで修理を承ります、という文面がありました。その古いクロスは、だれかに譲ったか、なくしたかして、今のはせいぜい20年ほどしか使っていないもの。使い捨てボールペンが100円で買える時代ですが、一生使い続けることができることの価値を買います。

今回は30年間で2回目の修理。新宿の勤務先の近くの「世界堂」に持ち込んだとき、故障は芯が固定されなくなったことだけでしたが、受付の人が、

「クリップもゆるくなっていますが、ここも直しますか?」
というので、「直してもらえるならお願いします」。さらに、「見積もりはいかがしますか?」。あれっ、クロスって以前は無償修理だったけど、今では有償になったかな、と思いつつ、それでも、クリップ修理が入るから、まあいいや、と
「修理費用にかかわらず、即修理お願いします」
まさか、新品を買うよりも高くつくことはあるまい、手数料とか送料など、実費を負担するのは構わないし。

2週間ほどで、修理が上がった旨連絡がありました。受け取りに行くと、無料とのこと。しかも、クリップ部分は修理できないので、キャップ部分そのものを交換しました、という。これは「機構上の保証」から外れる思っていたのに、サービスしてくれたかな。

今までクロスの歴史などを調べたことなどなかったけど、クロス日本法人のHPには、以下の紹介文がありました。

1946年、創業100周年を記念して『センチュリー ペンシル』を発表。
そのエレガンスなフォルムと円錐型のキャップトップの「センチュリー 
ライン」はその後クロスを代表するデザインとなり、1953年に発表された
「センチュリー ボールペン」は「アメリカの筆記具の代表的モデル」
とよばれるほどのヒット商品となりました。また、1949年には筆記具の
「機構上永久保証制度」を導入。品質に自信を持つクラフトマンシップ
の精神を象徴する制度として、今日まで続いています。
Cross Company of Japan, Ltd.『クロスのご紹介』
さて、クロスのボールペンを取り上げたのは、もちろん、バイクに引き比べてのことでした。同じモデルを作り続ける必要はありませんが、せめて自社製造のバイクが走っている限り、メーカーはそれができるだけ長く走り続けられるよう、消耗部品を提供してもらいたい、と思ったことでした。クラフトマンシップ---久しく耳にしなかったことばが光ります。

 ('10/12/5) 
マイカーは金食い虫;生涯維持費は3千万!?

3日のYohoo!ニュースのトピックスの「マイカー維持費、生涯で3千万以上」(だったと思う)という見出しの記事に、おやっと思ったライダーも多かったのではないでしょうか。たしか、経済>自動車産業のカテゴリーにあったはずなのに、いまではニュース一覧に表示されなくなりました。でも、「マイカー 維持費 3000万円」などとキーワードで検索すると、まだヒットしてくれます。記事のタイトルは、じつは『年間マイカー維持費はタクシー初乗り1100回分との試算』(12月3日(金)10時5分配信)、ニュースというよりは、コラム、あるいはオピニョン随筆、とでもいう内容で、「週刊ポスト2010年12月10日号」からの転載のようです。

計算の根拠はどうかしら、と記事を読むと、200万円の車を5年ローンで購入すると毎月35,000円で年間42万円。それに駐車場代、車検、保険、自動車税がかかり、車を動かせばガソリンや消耗品と整備費用、高速代や出先での駐車料金が加わる。これらを合計するとおおよそ年間80万円、というもの。

記事では「高価な車種に乗っていなくても、マイカーにかかる費用は生涯で3000万円を超える」とあるので、どうやら生涯とは40年ほどをみているのでしょう。そして「つまり家が一軒建つほどの出費になる、とんでもない“カネ食い虫”なのです」と、車メーカーがカチンとくるような物言いです。それでニュース一覧から抹消されたのかな。

ライダーならすぐに自分のバイクと比べてみたことでしょう。自動車税は年間34,500円。それが自動二輪なら軽自動車税がたったの4,000円。しかも、駐輪場代は私のマンションの場合だと月500円。もっとも、これはもともとミニバイク置き場。スペースがあるのでちゃっかりナナハンを置いているもの。まあ、原付き2台分を払ってもいいと思ってはいるけど、それはともかく、ようはバイクの維持費は車に比べたら格安なのだ。

記事は、だからバイクに乗り換えなさい、という結びではもちろんなくて、「場合によっては、マイカーを持たずタクシーやレンタカーを使う方が経済的です」と論をすすめて、それがタイトルになっています。結びは、「いまはマイカーを持たない30代以下の世代が増えているが、これは極めて現実的な選択といえる。旧来の常識にとらわれず、固定資産の見直しを進めてほしい」。

なんのことはない、こういうコラムが出てくる背景は、マイカーを買うゆとりのない層が増えているという経済事情でした。そもそも、「マイカー」ということば。マイバイクなんて言わないのに、マイカー、マイホームという言い方には、それを持つこと、買うことが人生の目標のひとつといわんばかりの、押しつけがましさがつきまとう。

たしかに車は金食い虫だと思う。だが、それは車そのものから来ているというより、この国の車をめぐる権益と行政が歪んでいることから来ている部分が大きい。維持費で我慢ならないのが、高速料金、次いで駐車場代、車検制度と自動車税。この記事には、こんなコメントもあります。

「地方など、どうしても生活に自家用車が必要ならば、軽自動車への乗り換えをおすすめします。エコカーも燃費がいいですが、車体費用や税金を考えるとまだ軽自動車のコストの方が低い」
揚げ足をとるわけではないが、これは論理が逆。日本の独自クラスである軽自動車は、車がなくては生活できない田舎の需要によって育てられてきたのだ。地方の経済と生活は軽自動車と軽トラが支えている、と私は感じている。だから、強いて言うなら、上の文章はこうすべきでなのだ。
「大都会など、どうしても自家用車を持ちたい人には、地方にならって軽自動車への乗り換えをおすすめします」
以前、県別の四輪人口比のグラフを示しました。(『成熟社会のバイク所有率』2010年4月20日)そこに見える事実は、四輪保有率は全国的に50%前後、つまり2人に1台の割合で普及しているのに、東京都は25%ほど。東京都といっても農村地域も郊外住宅地域もありますから、都心にかぎればもっと低い数字になるはずです。

ここに、都会では車は不要、という結論を読み取ることもできますが、それよりも、日本という社会が東京一極集中になっていること(一極でなくて東京、大阪の二極でもいいけど)、そのために、所有率は低いけど、人口絶対数の大きい都市圏ではステータスシンボルとしての車を売らなくてはならず、かつ買替を迫らないとメーカーの製造と販売の歯車が狂ってしまう、という構図を見ることもできます。

土日祭日の高速上限1000円が始まると、東京から一斉にマイカーが移動するようになりました。これでマイカーの買替需要もいくらか喚起したように見えますが、今度は慢性化した渋滞が問題になるとともに、繰り出すマイカーの増加でCO2削減の議論もお預け状態になった感があります。

いずれにしろ日本では、二輪に遅れて四輪がいま転換点にきていることだけは確かです。


 ('10/11/21) 
ルーブルに新たな三美神画

2ヶ月前にルーブルの三美神像をとりあげましたが、そのせいもあって、三美神情報に敏感になりました。11月18日のBBC Newsの記事の見出しにすぐ目がとまったのも当然でした。

"Louvre makes 1m euro painting appeal"
(18 November 2010 Last updated at 08:01 GMT)

The Louvre Museum, in Paris, is appealing to the public to help raise 1m euro 
(£853,000) to keep a 16th Century oil painting in France.

Owners of The Three Graces, by German Lucas Cranach the Elder, have agreed to 
sell for 4m euros (£3.4m) to the Louvre which has so far raised 3m (£2.6m).

『ルーブル美術館、絵画購入に100万ユーロ募金』(BBC News 11月18日)

パリのルーブル美術館は、ある16世紀油彩画をフランスが保持すべく、100万ユーロの
募金を一般国民に呼びかけている。

ドイツの画家ルーカス・クラナッハの描いたこの三美神の所有者は、ルーブルに400万
ユーロで売り渡す契約をむすんだが、ルーブルがこれまで集めた資金は300万ユーロ。
400万ユーロというと日本円で5億ほどでしょうか。ルーブルの収蔵品はこうして1点1点収集されてきたものなんでしょうね。このクラナッハ(1472 - 1553)の三美神(The Three Graces 1531年)は37cm x 24.2cmとかなり小さなもので、現在は個人の所有するもの。来年の1月31日までに残りの100万ユーロを集めないと、絵は一般の販売に出されてしまうので、今回BBCのニュースに取り上げられたのでしょう。

寄付をした人は、ルーブルのHP、および出版物に名前を掲載するそうです。そこまでして手に入れる価値を、ルーブルはこの絵に見ているということか。


 ('10/10/29) 
オークション監視も綿密に

バイク窃盗犯にとってネットオークションはパーツの「盗品蚤の市」のようなもので、購入者も盗品と分かって買っていることもあるでしょう。しかし出品されているバイクパーツを物色する者もいれば、盗品の出品を監視している被害者とその味方もおります。 No.4'640 XR100 MOTARD について、読者の方から以下の情報が寄せられました。

Yahooのオークションにて、出品者: [XXXXXX]で
XR100 MOTARD のPARTS が 出品されてますが、
盗難の車体からのPARTSじゃないでしょうか?
出品者: [XXXXXX]の方の出品PARTSもあやしいですが?
早速XR100 MOTARDさんに連絡さしあげたところ、以下の返事をいただきました。
ご連絡ありがとうございます。
早速該当出品者の出品物をチェックさせて頂きましたが
残念ながら私の愛車のパーツでは無いようです。
ですがこうやって協力して下さる方が居るという事にとても勇気付けられました。
協力者の方にもよろしくお伝えくだされば幸いです。
ありがとうございました。
寄せられる情報をすべてここで紹介することはできませんが、メールをいただいていなくても、なんらかのかたちで協力いただいているすべての「味方」のみなさんに、あらためてお礼申し上げます。ありがとうございます。

 ('10/10/28) 
窃盗グループの下見は綿密

1週間ほど仕事で海外に出ておりましたが、その間被害報告がなく、更新も必要ありませんでした。更新しようにも、現在Biglobeは海外からのFTPアクセスを制限しているので、海外からサイトを更新するには別途手続が必要で、怠惰な私はそれを怠ってしまっております。海外出張中はあまり時間のゆとりがないことや、国やホテルによって、ネット接続(とくにLAN接続。私のPowerBook G4はWiFi対応していない)ができたり、出来なかったり。まだまだ「いつでも、どこでも」というわけにはいきません。 帰国するなり、No.4'641 横浜のKTM DUKE2さんから被害報告をいただきました。添えられたメッセージを紹介いたします。バイク窃盗件数は減ってはいますが、周到にターゲットに狙いをつけて犯行に及ぶ手口は変わりありません。

CBX管理者さま
横浜の[S]ともうします。
今月27日に60,000Km乗ったバイクが盗まれました。
バイクに乗ることが生活の一部になっていたので、
へこんでいます。

静岡に介護が必要な母親がいるので、
定期的に通う足にも使っていました。
もちろん峠で楽しんだりもしていました。

ロッカーアームのベアリング交換、リアサスのOHが必要な時期でもあり
メンテナンスを考えていたところでした。
(ある意味、「しなくてよかった」なんですが)
それにしても、腹が立ちます。

強固なU字鍵でアースロックが必要ですね。
バイク本体に鍵だけでは窃盗団に太刀打ちできません。
緻密に下見を繰り返していたみたいです。
隣に停めていたBMW(私のではありませんが)は無事でした。

盗難にあったバイクは下記です。
よろしくお願いいたします。


 ('10/9/20) 
パリの休日その3 オルセーの『世界の起源』

オルセーはかつてのオルセー駅を改造して、1986年に開館した美術館。おもに19世紀後半の絵画彫刻を展示しており、とくに印象派の有名な作品が集まっていることで知られています。ですので、画集や美術全集などでなじみの名作の、ひとつ実物を拝んでこよう、くらいの気持ちで向かいました。そもそもオルセーになにが展示されているか下調べもしないで。

実際に訪れると、この駅舎そのものの価値に気づかされます。エッフェル塔もそうですが、それまでの石の建築にたいして、鉄の建築美を追求しようとした文明的転換を感じることができます。やはり産業革命が、経済、すなわち人々の生活、ばかりかやがて文化、芸術に目に見えて構造的な変化を反映したのが19世紀ではなかったか、と思います。

時代の変化をいち早くとらえるのはやはり芸術家で、19世紀のその潮流は、新古典主義、写実主義、印象主義などと、命名の妥当性には議論があるかも知れませんが、おおまかな流れと変遷を代表しています。

残念だったのは、ここオルセーだけが館内撮影禁止ということで、ここに掲載する写真はありません。そのかわり、でもないですが、オルセーのWebサイトでは8分の美術館紹介ビデオ(英語のナレーション)が見れます。

ただの現物確認のつもりでも、やはり実際に目の前で見る作品には、思うところがあります。とくに私が学生なりたてのころ池袋のデパートで開催された絵画展で初めて見て、絵にたいする考えが変わったルノアールの舞踏会の絵に、ここで再会したのは感慨がありますが、なぜかあのとき見たのよりも小さく感じたのは、私が大きくなったから、ではもちろんなく、展示されている絵の高さによるものです。

さて、そんなふうに感慨にふけることを予定していただけでしたが、1点だけ思いがけない作品が展示されていました。クールベ『世界の起源』(L'Origine du monde、The Origin of the World 1866年)と名づけられた裸体画、というよりも、あらわなトルソ。作者がクールベでなく、またこれ単独で展示されていたとしたら、あるいは禁断の画とでも烙印が押されそう。最初に目に飛び込んできたとき、裸体画を見慣れた私でもドキッとしました。

まあ、Webサイトでとりあげるにはほとんどマニアックな世界と受けとめられそうなので、作品自体の立ち入った評価と議論は控えますが、しかし、19世紀ヨーロッパ絵画の変遷の中ではとても象徴的な作品と言えるかも知れません。

ヨーロッパ絵画ではルネサンス以降裸体画は見慣れたものですが、それでもまだタブーと制約があり、とくに女性のヌードは神話や歴史上の挿話の中でしか描くことが許されませんでした。それは社会のモラルのためといいますが、ようするにキリスト教倫理のしばりとみることができます。ほんとは全裸の群像が描かれたミケランジェロの最後の審判(システィーナ礼拝堂)にフンドシの修正がされたこともひとつの象徴ではあります。

マネの裸婦像『オランピア』(1865年サロン出品)がなぜセンセーションと非難を呼んだのか、私たちにはピンと来ませんが、それが、神話のビーナスではなくて、現実の女性の裸を描いたから、というのが理由だと知ると、ああそうか、と納得するよりも、そんなことで、とあきれ返るのが健康な日本人のセンスでしょう。それだけ裸体表現に不自由を強いられていたように見えますが、見方を変えると、新古典主義の絵や彫刻だって、女神を装ってじつは現実の生々しい女体を表現していたのではないか、と穿ってみたくなります。先のプラディエ『三美神』にしてもそう。髪を解いてしまえば『三人の美少女』。

そう思うと、新古典主義はその中に写実主義を内包しているように見えるし、写実主義はリアリズムとして、タブーを破ることを志向する宿命なのかも知れません。それまで、裸婦像を描く画家は陰部の処理に気を遣った形跡があるが(日本の週刊誌のグラビアヌードと同じか)、公衆向けの絵画はともかく、このようなエロス追求型のジャンルは、私的あるいは個別に注文のできる新興階級(つまりお金持ち)が台頭していた背景もあるのではないか。

同時に見逃せないのが、19世紀中ごろ、写真技術が誕生したこと。肖像画やヌードは急速に絵画から写真あるいは動画へと、その担い手が移って行きます。そして、写実という競争舞台で写真に破れた絵画が、やがて印象派を生みだしたことは周知です。ちなみに、photograph(光による描画)を「写真」と意訳したことからは、日本では「写実」がなかったところへフォトグラフがいきなり導入されたことが分かります。

そう思うと、写実主義が行き詰まり、新たな模索の中で生まれた印象派絵画を代表するのがモネの『印象、日の出』(1872年)の昇る朝日であるのが、どこかシンボリックです(これは日の出ではなくて日没だという説もあるらしいが)。そして、公に知られることの無かったクールベのこの作品は写実主義の行き着いた終着駅であり、これ以降、エロティシズム寄りの絵画はその地位を写真にすっかり譲り渡すことになります。

この作品でもうひとつ注目すべきはその題名です。『The Origin of the World』と聞いてだれもが連想するのが1859年に出版され、センセーションを巻き起こしていたダーウィンの『種の起源』(On the Origin of Species)。クールベは、人はだれもがここに起源がある、これがほんとの『天地創造』だ、と突きつけたのかも知れません。

『世界の起源』のたどった経緯についてはWikipediaに詳しい。なお、この日本語版wiki英語版の翻訳で、一部追加および更新漏れがある。Wikiの記載によると「絵はがきのセールス順で言えば、『世界の起源』はオルセー美術館で、ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』に続いて2番目に人気のある作品である」という。意外と人気なんだ。

 ('10/9/19) 
パリの休日その2 オランジェリの睡蓮

オランジェリ美術館はルーブルとオルセーに近接していて、3館をみな見学する来場者のために、共通パスが割引で販売されています。その名 Musee de l'Orangerie から想像できるように、もともとは柑橘類の温室だった建物を、モネの睡蓮を展示するために改装したものといいます。

いつだったか、「日本人がいちばん好きな画家は誰か?」というアンケート集計の結果をNHKかなにかのTV番組で見ていたことがあります。それが印象派の画家であろうことは容易に予想がつきましたが、結果はルノワールでもなく、ゴッホでもなく、なんとモネだったのは、きっと「睡蓮」が日本人の趣向に会っていたこともあるでしょう。

そのモネの睡蓮の連作(Les Nympheas > L'ensemble de l'Orangerie)が壁画のように楕円の間いっぱいに展示されているのがオランジェリ美術館。2部屋あります。

Nympheas of Monet

実際にこの睡蓮の間に入って間近で絵を見ると、なにが描かれているのか分からないくらい細部が消えています。すこし距離を置いて見るのがいいようです。じっさい、晩年のモネは白内障のために視力が落ちたが、「視力が悪くても、大画面に描き、遠くから眺めれば何とか制作できる」(wikipedia)ことがわかり、この連作を完成させたといいます。

モネが睡蓮を描き続けたのは日本趣味(ジャポニズム)の影響もあるのでしょうが、それとともに睡蓮のフランス語名(un nymphea, les nympheas)に愛着があったのではないかと想像します。NympheaとはNymphe(ニンフ 妖精)から来ているもので、いわば「水の精」。学名でも、スイレン科 Nymphaeaceae、スイレン属 Nymphaea とあり、日本の固有種のスイレンは「ヒツジグサ」とも呼ばれます。羊ではなくて未。未の刻(午後2時ごろ)に咲くからというが、あまり語感がよくありません。

それに対して、モネのスイレンは水の精のごとく、水面で踊っているように見えてきます。失明直前のモネには、ほんとに妖精が見えていたかも知れません。


 ('10/9/18) 
パリの休日その1 ルーブルの三美神像

ヨーロッパに出張しておりましたが、先週の土曜パリでフリーになったので、ルーブル、オルセー、オランジェリの美術館を訪問できました。

ルーブルは7年前に訪れているので、今回は急ぎ足での見学。パリは気候がよく、まだまだツーリストのシーズン。ミロのビーナスやモナリザの前には団体のツアー客が多く群がりますが、そこは修学旅行と同じで、ひとところに長く留まることができないスケジュールらしく、有名作品の前で記念写真を撮るや、さっさと引き上げてくれるので、ツアー客のコース以外は静か、というか、閑散としています。

前回ミロのビーナスとともに印象に残った三美神の彫刻の間は、やはり見学する人も少なくて、ゆっくり見ることができます。この三美神像はどこから見ても完璧なポーズと艶めかしさで、つい周りをぐるぐる回ってしまいます。18世紀ころの作品だったと記憶しますが、作者名も、美術史上の位置にも無頓着で、ただ眺めて感嘆。ミロのビーナスよりもぐっとそばで見れるだけ、距離感がないことも気に入っています。

なお、ミロのビーナスもそうですが、この三美神像も光のあたり方がいいようです。他にもすぐれた彫刻が展示されているのですが、なかなか光の当て方まで気を配りきっていないところが惜しまれます。

【追記 9月19日】作者が分からないままだと気持ち悪いので調べました。作者の名は James Pradier、スイス生まれのフランスの彫刻家、1790〜1852年。この三美神は1831年の作品。18世紀と書いたけど、実際は19世紀。アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres)に師事した、とあるが、その影響による新古典主義の作風か。

 ('10/9/5) 
脳トレの代償

ちょっと以前に、バイクに乗ることが脳を活性化するという研究レポートがニュースに取り上げられて、バイク乗りを喜ばせたことがありました。えっ?知らない?それは、ひょっとして知らなかったのではなくて、記憶が飛んだのかも。研究結果に反証の事例を与えそう。

とまあ、それは(半分)冗談として、今回はボケと脳トレについての新説の紹介。

BBCの科学関連記事は、はやぶさの記事にも表れていましたが、よくまとまっていることと、最新の話題を分かりやすく取り上げています。とくに、常識や通説に挑む内容を好んで紹介する編集方針があるようです。ですので、「解説」ではなくて、「今なにが争点なのか」がわかって、謎解きに誘われるような知的興味を呼び覚ましてくれます。

そのBBC News 9月1日付けの記事はパズルとボケの関係。「パズルやクロスワードをやっている人はボケが始まるのが遅くなる一方で、いったん発病するとその進行が早まるようだ」と示唆する研究結果を紹介しています。

While there has long been speculation that "exercising" your brain 
could protect against Alzheimer's, there has been little evidence 
to back this up.

Now US researchers who followed more than 1,000 people suggest 
the more mentally active may delay the disease. But once symptoms 
appeared, decline was quicker, the research suggested.
"Puzzles and crosswords delay dementia, study suggests"
(1 September 2010 Last updated at 23:07 GMT)

<脳トレはアルツハイマーの防止になると考えられてきたが、それを裏付ける
事実はほとんどなかった。

最近米国の研究者が千人を対象に行った研究によると、頭を使うほど病気の
発症が遅くなる、しかし、いったん症状が出ると、ボケの進行はより早まる
事例が認められるという。>
なんだか、氷河の溶けた水が、脳トレの土砂にせき止められているような場面を想像してしまいます。持ちこたえられなくなった氷河湖が決壊すると、いっきになだれ落ちるということか。

脳トレという命名から、まるでトレーニングか体操のように聞えるけど、じつは与えられた問題を考えるという受け身の訓練。会社務めも、ノルマ達成という意味では似たような「脳トレ」を強いられているケースもあるかも。定年後、ボケる会社人間がいる(らしい)のも、どこか共通項の匂いがする。そういえば、冷戦終結という激動の80-90年代に脳を酷使したであろうレーガン元大統領、サッチャー元首相が、引退後そろってアルツハイマーが発症したのも、氷河湖を連想させます。

そう考えると、バイクによる脳の活性化は、じつは脳トレとは違う次元の話。バイクに乗ることはまず、自分の意志と趣向から来ている自発的な運動であること、さらに、バイクを走らせることは、脳だけでなくて、五感をはたらかせ、鋭くする行為であること。それが脳へのいい刺激にもなっている、ってことなんだろうな。




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