中村一氏(なかむら・かずうじ) ?〜1600

姓は藤原氏。父は中村一政。通称は孫平次。従五位下・式部少輔。
早くから羽柴秀吉に仕え、天正元年(1573)に近江国長浜のうちに2百石を与えられた。
天正5年(1577)8月、堀尾吉晴とともに大坂石山本願寺の一向宗徒を天王寺に破る。
天正12年(1584)の春に、雑賀一揆のおさえとして和泉国岸和田城主となり、翌年(1585)の四国征伐で阿波国木津城攻撃に参戦する。7月に近江・伊賀国のうちに6万石の所領を与えられ、近江国水口城主となった。同月、従五位下・式部少輔に叙任。またこの頃、豊臣秀次付きの年寄衆となる。
天正18年(1590)の小田原征伐には山中城の戦いで家臣の渡辺了の活躍などもあって抜群の功績を挙げ、同年7月13日に17万石5千石で駿河国府中城主となった。
その後、文禄3年(1594)に伏見城などの工事を担当し、翌年(1595)7月には秀吉の駿河直領の代官となった。
秀吉の晩年の頃には生駒親正・堀尾吉晴とともに、五大老に次ぐ要職にあって重きをなした。
慶長5年(1600)の関ヶ原の役には東軍に加わったが、7月17日に突然に病死した。