佐久間信盛の嫡男。通称は甚九郎。駿河守。
父・信盛と共に織田信長に仕え、天正2年(1574)の伊勢国長島一向一揆攻めなどに従軍した。
のち、石山本願寺攻めの主力となった信盛の補佐にあたったが、天正8年(1580)8月に本願寺攻めの際の不手際を叱責された信盛と共に追放された。
不干斎と号して大和国十津川に隠遁していたが天正9年(1581)の信盛の死後に許され、信長の嫡子・信忠に付された。
のち織田信雄に仕え、天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦で羽柴秀吉方の滝川一益と戦った。
信雄の没落後は秀吉に仕えて御咄衆となり、のちに徳川家康に仕えた。
寛永8年(1631)4月27日没。76歳。
茶人としても名高い。