筒井定次(つつい・さだつぐ) 1562〜1615

筒井順慶の養嗣子。小泉四郎・藤松・藤四郎と称す。伊賀守・従四位下・羽柴伊賀侍従。伊賀上野を領有した。
通説では父は慈明寺順国(よりくに)だが、箸尾高春とする説もある。母は筒井順慶の妹。大和国慈明寺城に生まれ、元亀3年(1572)に順慶の養子となった。織田信長に仕え、その女を妻とした。
天正12年(1584)に人質として大坂城に入って羽柴秀吉に仕え、同年に没した順慶の後嗣となって大和国郡山城主となった。小牧・長久手の合戦四国征伐に功があった。
天正13年(1585)に伊賀国上野に20万石を与えられ、伊賀守に叙任。さらに羽柴の姓を与えられた。
九州征伐小田原征伐文禄の役にも従軍し、文禄の役においては渡海せずに肥前国名護屋に駐屯した。
慶長5年(1600)の関ヶ原の役では東軍に属して従軍しており、この間に居城が西軍方に奪われたが、戦後に本領を安堵されている。
しかし、晩年には家臣・中坊秀祐と争ったため、失政を咎められて慶長13年(1608)6月に陸奥国磐城平に配流、鳥居忠政に預けられた。酒色に溺れて素行がおさまらないためとも、キリシタン信仰を訴えられたためともいわれている。
慶長20年(=元和元年:1615)3月5日、大坂冬の陣に際して大坂方に内通したとの理由で自刃を命ぜられた。54歳。