結城成朝(ゆうき・しげとも) 1439〜1462

下総国結城氏第13代当主。結城氏朝の四男。通称は七郎。初名は重朝。中務大輔。下総国結城城主。
永享12年(1440)から翌年にかけての結城合戦において、足利安王丸春王丸兄弟を奉じた父・氏朝らが拠った下総国結城城が落城した際、乳母に懐包されて落ち延びて佐竹義憲の庇護を受けたが、文安4年(1447)に足利成氏が鎌倉公方に任じられるとともに結城氏の再興も成り、その翌年から成氏に仕えて成朝と改名した。
享徳3年(1454)12月、成氏の命を受けた成朝の手勢が関東管領・上杉憲忠を討ったことで享徳の乱が勃発し、幕府からの支援を得た関東管領軍に圧されて下総国古河城に逃れた成氏の主力と目されていたが、のちには関東管領の上杉房顕に通じて幕府方に寝返り、寛正3年(1462)12月に結城氏の重臣である多賀谷高経に暗殺された。享年24。法名は天江永城。