「ひらがな」や「かたかな」について
【万葉がな(まんようがな)について】
日本には固有の文字はありませんでした。そのため、中国から漢字が伝わってからは、漢字を使って日本語を書き表しました。特に奈良時代には、苦心して日本語に漢字をあてました。このようにして使われた漢字を「万葉がな(まんようがな)」と言います。
たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにそ
田児之浦 従 打 出 而見 者 真 白 衣
ふじ のたかねに ゆきはふりけ る
不尽能 高嶺 尓 雪 波 雰 家留
「万葉がな」には、2種類があります。
●漢字の意味をとって用いたもの
→ 真白(ましろ)、高嶺(たかね)、雪(ゆき)
●漢字の意味とは別に表音文字(ひょうおんもじ)として用いたもの
→ 不(ふ)尽(じ)、波(は)、家(け)留(る)
※ 表音文字(ひょうおんもじ)
一字一字が音を表すだけの漢字のこと
【かなの発明】
◆ 「ひらがな」ができるまで
上の「万葉がな」のうち、漢字の意味とは別に表音文字(ひょうおんもじ)として用いる万葉がなの形がくずれ、草書体(そうしょたい)となり、それが進んでさらに簡単になった文字が「ひらがな」である。
以 → 以 → い
漢字 草書体 ひらがな
◆ 「かたかな」ができるまで
漢字のへんやつくりの一部分を使った文字が「かたかな」である。
伊 イ尹→イ
かたかな
【漢字から「ひらがな」へ】
安 |
以 |
宇 |
衣 |
於 |
加 |
畿 |
久 |
計 |
己 |
左 |
之 |
寸 |
世 |
曽 |
あ |
い |
う |
え |
お |
か |
き |
く |
け |
こ |
さ |
し |
す |
せ |
そ |
あ |
い |
う |
え |
お |
か |
き |
く |
け |
こ |
さ |
し |
す |
せ |
そ |
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太 |
知 |
州 |
天 |
止 |
奈 |
仁 |
奴 |
禰 |
乃 |
波 |
比 |
不 |
部 |
保 |
た |
ち |
つ |
て |
と |
な |
に |
ぬ |
ね |
の |
は |
ひ |
ふ |
へ |
ほ |
た |
ち |
つ |
て |
と |
な |
に |
ぬ |
ね |
の |
は |
ひ |
ふ |
へ |
ほ |
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末 |
美 |
武 |
女 |
毛 |
也 |
爲 |
由 |
恵 |
与 |
良 |
利 |
留 |
礼 |
呂 |
ま |
み |
む |
め |
も |
や |
ゐ |
ゆ |
ゑ |
よ |
ら |
り |
る |
れ |
ろ |
ま |
み |
む |
め |
も |
や |
ゐ |
ゆ |
ゑ |
よ |
ら |
り |
る |
れ |
ろ |
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和 |
遠 |
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わ |
を |
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わ |
を |
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【漢字から「かたかな」へ】
阿 |
伊 |
宇 |
江 |
於 |
加 |
畿 |
久 |
介 |
己 |
散 |
之 |
須 |
世 |
曽 |
ア |
イ |
ウ |
エ |
オ |
カ |
キ |
ク |
ケ |
コ |
サ |
シ |
ス |
セ |
ソ |
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多 |
千 |
州 |
天 |
止 |
奈 |
二 |
奴 |
禰 |
乃 |
八 |
比 |
不 |
部 |
保 |
タ |
チ |
ツ |
テ |
ト |
ナ |
ニ |
ヌ |
ネ |
ノ |
ハ |
ヒ |
フ |
ヘ |
ホ |
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万 |
三 |
牟 |
女 |
毛 |
也 |
伊 |
由 |
江 |
與 |
良 |
利 |
流 |
礼 |
呂 |
マ |
ミ |
ム |
メ |
モ |
ヤ |
イ |
ユ |
エ |
ヨ |
ラ |
リ |
ル |
レ |
ロ |
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輪 |
井 |
宇 |
恵 |
呼 |
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ワ |
ヰ |
ウ |
ヱ |
ヲ |
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【男文字と女文字】
平安時代は、公式の文書は文書はすべて漢字で書かれており、漢文は男性の一般常識(いっぱんじょうしき)とされていた。日記も一日の出来事を記録しておくのが普通であり、公的な記録簿の性格をもっていた。そのため、男性は日記も漢字で書かれることが普通であった。そのため、男性は漢字(男文字)、女性はひらがな(女文字)を使うことが多かった。
紀貫之(きのつらゆき)が、「土佐日記(とさにっき)」で「男が書くという日記というものを女も書いてみようと思う。」として男なのに女のふりをして書いたのは、土佐日記(とさにっき)がひらがなで書かれていたためである。紀貫之(きのつらゆき)はひらがなで土佐日記(とさにっき)を書いたことへのはずかしさがあったために、男であるのに女ふりをしたと考えられている。
だが、紫式部(むらさきしきぶ)の「源氏物語」、清少納言(せいしょうなごん)の「枕草子(まくらのそうし)」、藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)の「蜻蛉日記(かげろうにっき)」など、ひらがなによる優れた文学が多く生み出されるようになると、ひらがなもどんどん使われるようになった。