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 第1幕.『なんのために剣を』 (約二万二千文字) 

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 第2幕.『時の征服者はそうして消えた』 (約二万三千文字)

 第3幕.『初めての友達』 (約一万六千文字)

 第4幕.『魂の穢された日』 (約二万四千文字)

 第5幕.『瞳の奥の夜叉』(約二万千文字)

 第6幕.『その記憶の残滓は願う』(約二万四千文字)

 第7幕.『魔人達の宴』(約二万三千文字)

 第8幕.『諦めぬ人間は愚者か否か』(約二万五千文字)

 第9幕.『王都決戦』(約二万四千文字)

 第10幕.『世界の終わりのはじまり』(約四万ニ千文字)
















 第3幕.『初めての友達』











*******************




 「いちちち……」

 全身擦り傷だらけになった体は、帰路につく足を鈍らせ、ヴェインは休み休み歩を進めていた。
 疲労困憊――さらに、彼の若い体にはもう筋肉痛による痛みが出始めており、今は昼間に川に浸かった時の様に体が重かった。

 (バランもルーウィンの奴も本当に全然、加減ってものを知りやがらねぇ……)

 今となっては何故、ルーウィンが模擬戦の時に手を抜いたなどど自分が思ったのだろうかと、そう疑問に思うヴェインだった。

 ルーウィンは負けず嫌いだ。
 それをヴェインは、彼と共に剣を鍛錬をするようになってから、すぐに気がつくことができた。
 今まで勝ちにこだわってないように見えたのは、ルーウィンの純粋さと出来過ぎた性格が、その負けず嫌いを一生懸命であるだけの様に見せていただけなのだ。
 一緒に剣を交えるようになってから分かった。ルーウィンも自分と同じく、誰にも負けられないと強く思っていることに。
 それは、彼が勇者として生まれてきたことによる責任感であり、覚悟でもあったのだろう。

 だからルーウィンは手加減などしない。
 勇者として、ルーウィンは今まで誰にも負けるわけにはいかなかったのだ。
 それはヴェインが、シフィを守るために最強でなければと思う心と、一体どちらが強いのだろうか。

 「俺は絶対に、あいつより強くなってやる」

 暗い夜道で一人決意を固くしたヴェインは、夜空の月に誓う様に声にだしてそう呟いた。

 「お前のような下種がルーウィンに勝てるわけがないだろう」

 突然、街灯に照らされた住人達の寝静まった夜道に、朗々とした声が響いた。
 
 「……っ」

 思わず声にならない声をあげて、ヴェインは一歩後ずさった。
 気がつかなかったこと自体おかしい現象――目の前に、急に声の主と思われる長身の男が音もなく現れていた。
 威圧感のある双眸に深い眉間の皺、闇に燃える様に浮かぶ紅蓮のコート。
 
 「お前はっ、昼間の……!」

 美しい黒髪は闇の色と同化して、その魔術師の凛々しい顔とコートだけがぼぅと街灯に照らされて、まるで幽鬼の様に夜に浮いている。

 「ああ、誰かと思えば……昼間のルーウィンに対して下種な劣情を抱いていた餓鬼ではないか。……なるほど、なるほど。ルーウィンを食事に誘い、自宅に監禁しようとした奴と同一人物だったとは、これは手間が省けた」

 くくく、と目の前の魔術師は含み笑いを漏らした。

 「……な、なんて? 監禁? れつじょう?」

 ルーウィンの名がでてきたことは理解できたが、その他のことが全く理解できず頭に入らないヴェイン。しかし、頭を切り替えて昼間の雪辱と、ずぶ濡れの寒さを思い出した。

 「というか、お前っ。よくも川に落としてくれたなっ。なんで俺はあんなことされなきゃならなかったんだよ!」

 当然過ぎる抗議を物ともせず、軽く鼻息で返し魔術師は優雅に言う。

 「ふん、貴様が我のルーウィンに対して下賎で低俗な感情、つまり劣情と呼ばれるそれを抱いていたので、制裁を加えただけだ。どうだ、あぁ? 言い訳できるのならばしてみるがいい――ヴェイン・アズベルシア」

 「は、はぁ? 俺が、ルーウィンに、は、はぁ?」

 図星というか、決して言い訳のできない感情にヴェインは言葉を詰まらせた。
 しかし、自分はあの時にこの魔術師と言葉を交わしていない。ただ、橋を歩いていただけだ。
 そうだ、橋を歩いていただけで、突き落とされたのだ――俺は被害者じゃねぇかっ。
 ヴェインは恐ろしい雰囲気の魔術師を負けじと睨み返した。

 「俺は、そんなことは考えていないっ。ルーウィンとはただの……友人だっ」

 「ふん、嘘つきめ。我は、貴様が何を考えているかなどお見通しだ」

 あっさりと見破り、魔術師は見下した視線を向ける。ヴェインはそれから逃れるように下を向いて、「嘘なんかじゃ……」と呟き、思い出したように顔を上げる。

 「っていうか、お前、俺の名前をどうしてっ」

 「名前などすぐに調べられる。……というか、そんなことはどうでもいい」

 「どうでもよくねぇよっ。そんで、なんで俺は突き落とされたんだよっ!?」

 「ええい、面倒だなっ。我は貴様とくだらん話をするために来たのではない。今、貴様の前に現れたのは、他でもない。そう……我は、貴様にルーウィンとの久方ぶりの食事を奪われたのだっっ!! その怒りと悲しみを晴らすために、我は今ここにいる」

 「そんな理由なのかよ!」

 思わず声をあげたヴェイン。キッと親の敵でも見る様に睨みつけ、セウロは語気を荒げる。

 「これ程、真っ当な理由があるか餓鬼がっ。……我がこの一ヶ月、どれだけルーウィンとの食事を楽しみにしていたのか……分かるか!? それを奪ったのだ貴様は! その罪、まさに万死に値する……! ……覚悟はできているのだろうな? あぁ?」

 我のルーウィン――先ほどのその言葉と、イザナが教えてくれた賢者の情報を総合して、ヴェインは目の前の存在に心当たりがあった。いや、とっくに思い当たっていた。

 「お、お、お前……賢者セウロ・フォレストか?」

 「後に様をつけるか、前に偉大なるをつけろクズが。住民が寝静まっている夜の時間じゃなけりゃ今頃、てめぇなんかなぁ……あぁ? こら、聞いてんのかっ!?」

 呆然とヴェインは、目の前のとてつもないプレッシャーを感じさせる魔術師を眺めていた。

 こいつが、イザナの言っていた最強、いや、最凶の賢者。
 溺愛しているルーウィンに近づく者には容赦せず、あのバランにも急に抱擁をしようとしたというだけで攻撃呪文を喰らわせる様な、とんでもない男。

 こいつが、その賢者セウロ・フォレストだというのか。

 ヴェインの賢者に対するイメージは一般的なものだった。
 賢者といえば、気難しそうな老人で、魔術に対し博識で、その物腰と話し方はきっと知識人ということを誰にだって感じさせるようなものなのだろうと。そう、思っていた。

 しかし、目の前の現実はどうだ。
 ガラの悪いならず者の様な言葉を浴びせきて、ゴロツキの様に絡み、しまいには胸倉を掴んでくる不良賢者。
 こんなの賢者じゃねぇと心底呟きながら、ヴェインはどこか吹っ切れて、その胸倉を掴んでいたセウロの手を振り払った。

 「俺に触るなっ」

 「餓鬼が……」

 途端に、賢者セウロ・フォレストから薄暗い夜を這う様な怒気が放たれ、それに心臓を鷲掴みにされてヴェインは息を止める。
 それでも、負けじと声を張り上げた。

 「俺がルーウィンを好きで、妙なことを考えていたらなんだってんだよ! たとえ、それが本当だとしても、いきなり橋から突き落とされてたまるか! それに、こんな夜に待ち伏せして因縁つけてきて、頭おかしいんじゃねぇのかお前!?」

 「……」

 ひとしきり文句を言ったヴェイン。賢者は、少し驚いた風にそんな彼を眺めていた。

 「なんだよっ。やるならやってやるよ……! 考えてみれば、俺がルーウィンと仲良くしてるのを何で、悪いと思わなきゃならないんだ。お前にお伺いたてる意味が分らねぇよ」

 「く、くくく……」

 「な、何がおかしいんだよ」

 急に含み笑いを漏らした賢者セウロは、嬉しそうにさえ見え、そしてそれはどこか鬼気を感じさせた。
 なおも笑い、セウロは冷笑を浮かべた。

 「あっはっはっは! これはいい! 実になぶり甲斐がありそうじゃないかっ。……くく。貴様、明日アカデミーに来いよ」

 「……」

 それだけ言って、闇の賢者は暗い夜道へと背中を向けて去っていった。

 「な……なんなんだよ……」

 じくり、と汗ばんだ体は未だに緊張感から抜け出せずに、あの魔術師の重圧に怯えていた。
 はりつけにされた虫の様に、彼の前では何もできない様な気にさせられてしまう。

 あんなプレッシャーは、あのバランからさえも感じることができない。
 今、ヴェインは理解することができた。
 闇の賢者セウロ・フォレストは、雷神のバランよりも強いのだと。

 「だからって、言いなりになってたまるか」

 奥歯を噛んで闇にそう悔しそうに言うヴェインは、拳を強く握る。
 そのぎゅう、と握った汗ばんだ震える手を見て思う。

 (……勝てないだろうな)

 ヴェインは戦わずしても相手の力量を測れる程には成長しているし、自惚れられる程に馬鹿でもない。

 ただ、絶対に勝てない相手だったとしても、ルーウィンを好いているというだけでゴロツキに様な賢者にやられて、言いなりになってたまるものかと、胸の内で激しく闘志を燃やし始めていた。

 ヴェインは明日に備えて早く寝ることにした。
 
 アカデミーに来いよ――。

 ああ、行ってやろうじゃないか。
 勝てなくても易々と屈服させられると思うなよ――。

 ヴェイン・アズベルシアは過去に理不尽で強大な力によって、すべてを奪われた。
 それ故に、だろうか。
 彼が闇の賢者に怯えながらも抗えたのは。






 賢者セウロは夜の街で笑っていた。今まで自分に反抗的になった生徒など一人もいなかった。
 どいつもこいつも一度、怯えさせれば後は生涯、目を合わせてくることはない。だが、ヴェインは睨み返して言った。やるならやってやると、そんなことを今まで自分に言ってきた人間は初めてで、賢者は嬉しかったのかもしれない。

 闇の賢者は不敵に独りごちた。

 「明日が楽しみだ」

 彼は大切なものを守るためならば、なんだってする。それが、セウロ・フォレストの信念だからだ。
 そして、人は皆、どこかに譲れぬ想いを抱いている。
 ルーウィンが、勇者としての責任感と使命を守り通すのを。そして、ヴェインがシフィを守るために強くなろうと誓っているのも――それが、人としての譲れない心や魂と呼ばれるものに刻み込んでいる想い、信念なのだ。

 様々な想いを夜気に沈ませていくように皆、眠りにつく。
 誰も聞こえはしなかった。賢者セウロとて、それに気がつけなかった。

 街の外から、互いの信念をぶつけ合わせ、響いている死闘の音に。

 そして迫る闇の足音には――誰も気がつけなかったのだ。




*******************




 「紅蓮灼熱業火(フレムロード・タイド)!」

 セウロがそう発した瞬間、ぼんっと空気が弾けて耳をつんざく爆音が轟き、風圧と熱がヴェインのほんの少し隣を掠めていく。
 そして、二回目の爆発音が発したと思うと、後ろの地面が大きく焼け焦げているのが目に入った。

 「我はこの魔法しか使わん。見ての通り火炎の魔術だ。爆発した瞬間さえ避けられれば、あとはちょっと火だるまになる程度だから、全くもって安全な魔法といえるだろう」

 どこがだよ、と多くの生徒が心中ツッコミたいのを堪えて見守る中、賢者は目の前で剣を構える少年、ヴェインにそう言った。

 よく晴れた空の下で、いつもの模擬戦が行われていた、がそれはいつもとは雰囲気が違った。いつもならば、ヴェインの相手はルーウィンで、そして周りを囲む生徒は皆、ほとんどがルーウィンの応援をしている。ほとんど、というのはここ最近ヴェインを応援する者達も、ぽつぽつと現れ始めているからだ。
 だが、今ここにはルーウィンはおらず(どういうわけか周りにもいない)、ヴェインは応援されるというよりも、むしろ憐れみと同情の視線を投げかけられていた。

 賢者に目をつけられて、ご愁傷様――だいたいの生徒はこう思っており、まだヴェインを嫌っている生徒は、ざまあみろとほくそ笑んでいる。
 ヴェインは真顔で言う。

 「……というか……なんで俺は、あんたと戦うことになってんだよ」

 「あぁ? 貴様、昨日我と戦ってやる、みたいなこと言っていたではないか。何を今さら――それに、言っただろう『特別授業』だと。成績優秀な貴様を評価し、魔術科の講師でもある我が、直々に鍛えてやろうというのだ」

 「そんなこと授業潰して勝手にやっていいのかよっ!?」

 「心配するな。剣術科の講師の許可は得ている。名目上は『魔術師との戦闘において、基本的な戦術の立て方』だ」

 「め、名目って、あんたソレ完全に目的は俺を痛めつけることって言っちまってるも同じじゃねぇかっ。……だいたい、こんなのルーウィンが黙っちゃいな……あれ……?」

 そこで、ヴェインは、ふと気がついた。周りの生徒達の中にルーウィンの姿がないことに。

 「ルーウィンはどこだよ……?」

 「我がちょっとした頼みごとをした。安心しろ。次の授業の時間まで帰ってこない。貴様のボロ雑巾の様な姿を見させまいと、我からのせめてもの配慮だ。……ありがたく思え」

 賢者セウロは自分の優しさを噛み締め、感動して満足げにウンウンと頷いた。

 しまった。やられたっ――ヴェインは唇を噛んだ。
 どれだけ、この魔術師が無茶苦茶でも、きっとルーウィンが止めてくれるだろうと、ヴェインは少し期待していたのだ。しかし、その期待は虚しく散った。こうなると、もはや最強と言われている存在との戦いを覚悟するしかない。
 
 (いや、そんな覚悟は昨日とうにしたじゃないかヴェイン・アズベルシア。俺は、こんな無茶苦茶な奴の言いなりになるもんかっ。……そうだ、いつもの剣の稽古だと思えば、いいんだ。そうすれば、理不尽な言いがかりだろうと我慢できる。――いや、むしろこんな奴と戦える機会なんてそうはない。これは『いい機会』だ)

 前向きに考え、逃れようのない苦行を修行へと変換させたヴェイン。
 
 「分かったよ……。やってやるっ。やればいいんだろうっ」

 模擬用の剣を抜き放ち、やけくそ気味に言い放つ少年の姿に、賢者は陰湿に言葉を返す。

 「そうとも。貴様には、それしか道はない。それに、昨日は『やるならやってやる』とこの我に――あれだけの啖呵を切ったではないか」

 周りの生徒達の、息を呑む音が聞こえた。皆、ヴェインに対し思っているだろう。
 この賢者にそんな事を言ったのか――正気か、と。

 (いや、俺だって、こんな奴に喧嘩なんか売りたくなかったさ。ただ、あそこまで言われて黙っていられなかったし……ん? というか、俺は喧嘩売られた側じゃないのか? そもそも始めに川に落とされたのは俺で――なんで、俺はこんな理不尽な目に遭ってるんだ? そりゃあ、確かに昨日は勢い任せて、この恐ろしい賢者に色々言ってしまったが、それは何というかまあ、勢いというやつだし……。こいつは俺に、それだけの事を言わせるようなことをしでかしてるじゃないか。……うん、俺は悪くない。被害者だ。……そうだ。なんか……そう思うと、腹立ってきたな……)

 「はっ! よく考えれば、俺は全く悪くないんだっ。全部、お前がルーウィンを独り占めしたくて、一人で騒いでるだけじゃねぇかっ!」

 「……」

 ぴたりと、風が止んだ気がした。
 今までワイワイと騒いでいた周りの生徒達も、お喋りを止めて『ソレ』に魅入っていた。

 「言いたいことは、それだけか?」

 ギロリと、賢者セウロの瞳孔が開き、まるで肉食獣が獲物を狙うかの様にヴェインを捕捉した。
 闇の深淵の瞳に覗き込まれて、ヴェインは凍りつく。

 (なんて……目をしてやがる……)

 どくん、とヴェインの心臓が生命の危機を知らせるかの様に、大きく飛び跳ねた。
 昨日、橋の上と、夜に会った時に感じた以上のプレッシャーだった。
 
 「貴様がどれだけ理不尽だと感じようとも、そんなことは関係ない。我は守りたいものは守る。ルーウィンに想いを寄せるものなど、この世に我一人で十分だ。他の存在など所詮、空蝉に過ぎん。貴様の底の浅い想いなど……いずれ、ルーウィンを裏切り、落胆させるに決まっている」

 「……」

 言葉が、出なかった。
 言いたいことはたくさんあったが、ヴェインはセウロの瞳に己を封じられる様に、その場に張りつけにされた。
 
 そこで、賢者セウロはふぅ、と一度息を吐く。
 呪縛のような戒めが急に解かれて、ヴェインは膝をつきそうになるのを堪えた。

 「教えてやるよ――我のモノに手をだした者がどうなるのかを」

 ダンと地面を踏み締めて闇の賢者は、ヴェインの眼前へと一足で駆けた。

 (速っ……)

 思うと同時にヴェインは後ろへと跳躍するが、そこに容赦のないセウロの拳が腹へとめり込んだ。

 「うぐっ、はっ……」

 胃にせり上がるものを感じならヴェインは、いきなり魔法ではなく肉弾戦できたセウロに戸惑い、先手を打たれてしまっていた。

 「まず、始めに言っておいてやる。魔法など使わなくとも、貴様など我の敵ではないのだ」

 「こ、の……!」

 傷みに堪えて剣を振り、相手に距離をとらせるヴェインは、なんとか立ち上がって剣を構える。

 「紅蓮灼熱業火(フレムロード・タイド)」

 感情なく呟かれた賢者の呪文。瞬間、横っ跳びをしたヴェインは、今まで自分がいた場所が爆発するのを見て、背筋に冷たいものが奔るのを感じる。
 
 (あの野郎、俺を殺すつもりかよっ)

 間を置かずに迫る風圧に、ヴェインは察知する。

 「……っ」

 ぐんと、膝を曲げて目の前に迫っていたセウロの右ストレートを屈んで避ける。
 バランやルーウィンとの実戦が役に立った瞬間だった。

 賢者は魔法を放つと同時にこちらに駆けていたのだ。
 
 「このっ!」

 「ふん」

 反撃にでたヴェインの突きを、あっさりとわきの下に挟んで止めたセウロは、冷徹な視線を向けて挑発的に言う。

 「ボヤボヤするなよ。三下のザコ野郎が」

 「うるせぇこの陰険魔術師めっ!」

 せめて口だけでは負けまいと、言葉を返して掴まれた剣を抜こうとするヴェインだったが、賢者のわきの下から模擬用の剣はぴくりとも動かなくなった。

 (こいつっ……なんて力してやがるんだっ!?)

 諦めたヴェインは剣を手放して殴りかかり、それを簡単に相手の手の甲でいなされて体勢を崩した。
 さらに、追い打ちでセウロはそこに足払いをかけた。

 「あ、だっ」

 頭から地面に叩きつけられたヴェインを見下ろすように眺めて、賢者は手の平を向ける。

 「ここでさっきの魔法を唱えたら、貴様の頭はこっぱみじんに吹き飛ぶんだがなぁ」

 「わあああっ。やめろバカっ」

 残酷な笑みを浮かべて言われた言葉に、ヴェインは血の気が引いていく。
 死の恐怖から瞬時に逃れるべく、ヴェインは寝たままゴロゴロと転がり、飛び起きて距離を離した。
 
 「はぁ……はぁ……」

 息を切らして相手を見ると、模擬用の剣を持ってニタニタと笑っている闇の賢者。
 
 「冗談だ小僧。……ほれ、こいつがないと貴様は何もできんだろう」

 目の前に投げられた模擬用の剣が音を立てて地面に落ちる。
 ヴェインは、無表情にその落ちた剣を眺めていた。

 「ほら、どうした。早くそれを拾って、我を倒してみろ」

 余裕綽々たる態度で構えさえとらずに、ヴェインを楽しそうに見ている最強の賢者。

 (……最強)

 ヴェインは思っていた。いつも――最強になりたい、と。
 この目の前の男がヴェインが目指すべき最強の象徴。そして、何よりヴェインがセウロに強く感じたのは――。

 (こいつは、俺と同じだ……)

 ルーウィンを溺愛し、近づく者から守ろうとするセウロに、ヴェインは自分がシフィを守ろうとする姿を重ねていた。

 「……」

 「小僧、何か言いたいことでもあるのか?」

 まるで、少年の心の内を覗いている様に賢者は言う。

 「いや、あんたやってることとか無茶苦茶だけど……まあ何か理解は、できるかなって思って」

 いきなり妙に落ち着き払った態度でヴェインは言った。
 少し驚いた風にした賢者だったが、すぐにいつもの調子を取り戻す。

 「あぁ? なんだ、いきなり。今さら命乞いしても許さんぞ」

 ヴェインはただ、その賢者の強さに惹かれ、聞きたくなっていた。

 どうして、そこまでルーウィンを守ろうとするのか。
 どうして、そこまで強くなることができたのか。

 「……一つ聞いていいか?」

 「駄目だ」

 あっさり否定され、二の句が継げないヴェインは、なんとか気を取り戻して問う。

 「な、なあ、あんたは何故そんなに強くなれたんだ? ルーウィンを……守るためか?」

 もし、そうなのだとしたら何かを守るために強くなりたいという自分の気持ちは、間違っていない。
 ヴェインはそう証明したかった。

 「……ふん。何故、我が貴様のような餓鬼にそんなことを言わなければならない」

 「いいじゃないか。教えろよ」

 「やかましい」

 吐き捨て、セウロは手を掲げる。

 「そうだな……。我に一度でも攻撃を当てられたら教えてやっても構わんぞ。さあ、かかってこいよザコが」

 そんなことは絶対に無理だとでも言うように賢者は笑う。それに対し、ヴェインはいたって真剣な顔で言った。

 「じゃあ、ついでに俺が攻撃を当てられたら、ルーウィンと友達になるのも認めてくれよ」

 「ふん、馬鹿馬鹿しい。そんなことは無理に決まっているだろう。貴様は、今から我に一方的にやられるだけなのだから。……――だが、まあ……いいだろう。もし我に攻撃を当てられたら、ルーウィンと友人になることを認めてやってもいいぞ」

 「……本当だな?」

 ヴェインは足元の剣を拾い、賢者の顔色を窺う。

 「ああ。まず無理だがな。では、我が勝ったら今後一切、ルーウィンと口をきくな。いいな? ……あと」

 そこで賢者は何やら言いにくそうに顔を赤らめた。

 「い、一応、先に言っておくが……認めると言っても友人レベルだぞ。それ以上は認めん!断じてなっ」

 「そ、それ以上ってなんだよっ」

 こちらも妙な想像をしてしまい赤い顔で返すヴェイン。 

 「セウロっ!」

 突然、どこからか現れたルーウィンの声が赤い顔で睨みあっている二人に、割って入った。
 戦う二人を囲む様に見物していた生徒達の間を抜けて現れたのは、息を切らせたルーウィンと、後ろにはバランが着いていた。

 「ルーウィン。この時間は我が頼みごとをしていたはずですが……」

 少し、戸惑いながらセウロは駆け寄ってきた勇者に言い、後ろに着いていたバランを睨みつける。

 「貴様、バラン。もしや、ルーウィンに余計なことを言ったのではないだろうな?」

 「ふぅはっ。我輩はただ、セウロ殿とヴェインが模擬戦をするらしいではないかと、ルーウィン殿に言っただけだ。そしたらルーウィン殿はそんなことは知らないと言うしな。こうして我輩も共に確かめに来たまでよっ。……いやぁ、人が悪いなセウロ殿。模擬戦をするというのに、ルーウィン殿に用事を任せるなど」

 ちっ、と舌打ちをしたセウロはヴェインにしか聴こえなかったが、「髭め。後で燃やしてやる」と呟いていた。
 ルーウィンは特に怒っている風でもなく、ただ不思議そうにヴェインとセウロを眺めている。そして、落ち着いた様子で賢者に尋ねた。

 「セウロ。これは、どういうことですか?」

 「すいませんルーウィン。手違いだったのです。魔術師との戦闘を経験させるための模擬戦を、剣術科と行うことを予定をしていたのですが、ルーウィンに用事を頼んだ後に、その模擬戦の日が今日であると気がついたのです。ああ……今からルーウィンに教えに行けば授業には間に合わない……そう思った我は、泣く泣くこうして授業を行っていた、というわけです」

 「……」

 唖然としているヴェインを含めた生徒達は、どれだけ嘘だと叫びたかっただろう。だが、誰も声は出なかった。
 ヴェインは思い出していた。イザナの言った――『誰も闇の賢者には逆らえないのです』という言葉を。

 傍若無人な賢者は、優しい笑顔で申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べた。

 「申し訳ありません。ルーウィン」

 彼が謝るのはこの世でルーウィンだけだった。
 そして、ルーウィンは。

 「なんだ、そうだったんですね。しかし、良かったですっ! 模擬戦が終わるまでには間に合えてっ」

 セウロの言葉をあっさりと信じて背後で、どたたたたとズッコケている生徒達に、勇者は天然故に気がつかない。

 「ヴェインっ! 頑張ってくださいねっ。セウロはとっても強いですよ!」

 嬉しそうに声援をおくり、はしゃぐルーウィンを見て、ヴェインはもうどうにでもなってくれという気持ちになった。
 そして、ルーウィンの後ろにいた髭の騎士が、ずいと前に出る。

 「ヴェインっ!!」

 一喝する様なバランの声に、周囲の人間はビクリと体を震わせた。

 「気合をいれねばセウロ殿には勝てんぞ! さあ、今こそ見せてやるのだ! 我輩とルーウィン殿との熱き剣の鍛錬の成果をっ! おおおおおっ!!」

 バランは、半ば放心状態に見えるヴェインを奮い立たせる様に、声を張り上げた。

 「……言われなくても本気でやるさっ。さあ、さっさとやっちまおうぜ賢者さんよっ」

 いい加減、この理不尽な茶番を終わらせたくてヴェインは腹をくくった。せめて、重症だけは避けてやると。

 「ふふふ、運が悪かったな餓鬼。ルーウィンにその無様な姿を晒すがいいっ。さあ、かかってこいっ!」

 大仰な動作で両手を掲げ、呪文詠唱に入り、賢者は周囲の観客に告げた。

 「死にたくない奴は離れていろっ」

 「セ、セウロっ。その呪文はっ」
 
 焦りの声をあげるルーウィン。
 賢者を中心にして、風がつむじとなって巻き起こる。暴風は周りの木々を揺らし、生徒達は立っていられなくなり悲鳴をあげる。
 あのバランさえも顔を引きつらせ、乾いた笑いを漏らしていた。

 (やばい呪文だってのかっ!?)

 ヴェインは全速で駆けた。
 どんな大層な呪文であれ、それが完成する前に叩いてしまえばいいだけである。事実、それが剣士が魔術師に勝つ一番有効と言える手段であった。
 幸い距離は近く、次の瞬間にヴェインの剣がブツブツと呪文を唱えている無防備なセウロに届いた。

 「はぁぁあああ!!」

 バキィィンとヴェインの剣がセウロの一寸先で何かに弾かれる。

 「なっ!?」

 ニヤリと笑った賢者は呪文を続ける。

 「『忌まわしき悪なる者どもよ……腐れ死んだ異形の神々よっ。眼前の敵を打ち砕くならば――』」
 
 「ヴェインっ! 逃げてくださいっ。セウロが今唱えているのは、最強と言われる攻撃魔法で、山一つくらいならば消し飛ばすくらいのものですっ」

 「なっ、なっ! ア、アホなのかコイツはっ!? ここは街の中だぞ!?」

 焦って斬りかかったヴェインの剣は、またも何かに弾かれて賢者に届くことはない。

 「駄目なんですヴェインっ! 強力な呪文を詠唱する際には、膨大な魔力が渦となって結界の様に術者を守護するんですっ。普通の剣ならば、打ち破れるかもしれませんがっ……。その剣ではっ……」

 「だーっ! バラン、真剣を貸してくれっ」

 「今は持っておらんな」

 「ま、まじかよっ!? どうすりゃいいんだよ!」

 「このままでは、街は半分は消し飛んでしまうなぁ」

 なんともない様に言うバランの言葉に、わぁーとクモの子を散らすように我先にと逃げていく生徒達。
 頭を抱えたヴェインは、駄目で元々、何度も模擬用の剣で賢者の結界を破ろうと挑む。

 「てめぇっ、最初からまともに戦うつもりなんかなかったな!! ちくしょう。舐めやがってっ」

 「……」

 「なんとか言いやがれ、この野郎っ!」

 ばし、ばし、と剣が結界に弾かれる音と、風の吹き荒ぶ音、そして賢者の詠唱が続く。

 「ヴェインっ! セウロは強力な術を使う時にはトランス状態になるんです。ですから、何も聴こえてはいないんですっ。……おそらく、セウロも街に被害をを出さないようには、考えがあるのだとは思いますが……。いったん、ここは降参して逃げてくださいっ」

 「……」

 ヴェインの剣が止まる。

 (降参……? まともに戦えてすらいないのに?)

 ここで逃げれば、ルーウィンと友人ではいられなくなる。そう、約束してしまった。一度くらいならば攻撃を当てられるだろうと。そう、安易に考えて。
 しかし、賢者セウロには、まともに戦うつもりすらなかったのだ。

 (これは完全に、してやられた)

 ヴェインは拳を震わせ、握った剣を何度も結界に叩きつける。

 ルーウィンは引かぬヴェインに声を張り上げた。

 「ヴェインっ! 逃げてくださいっ!」

 「いやだっ! 俺は逃げないっ!」

 「なっ!? 何を言ってるんですっ! このままではっ」

 「うるせぇっ!」

 ヴェインは一心不乱に、剣を振り続けた。
 岩を棒切れで叩いている様な感触――そんな、どうしても勝ち目のない手応えの中、それでもヴェインは引けなかった。
 
 (また、理不尽に奪われるっていうのか!? いつも、そうだっ。強大な力は俺の何もかも奪っていくっ! シフィの人生を奪い、俺の家族を奪い、今度は初めてできた友達を……奪っていくっていうのか……!! そんなことっ。させてたまるかあああ!!)

 ぴくり、と賢者セウロの眉が動いた。

 「うあああああっっ!!」

 ヴェインの渾身の乱舞は、暴風の中で結界に弾かれ続け、やがて賢者の術式は終わりを迎える。

 「『暗黒なる……そなた等の憎悪を幾許か晴らさんために』」

 珍しく取り乱した風に、ルーウィンはバランにすがりつく様に言う。

 「術式が終わってしまうっ。バ、バラン……大丈夫ですよね? セウロは考えがあってのことですよね? まさか、授業で街を吹き飛ばしたりしませんよね?」

 「――……」

 賢者のやる事だから、人死にだけは出ないだろうと高をくくり、事の成り行きを見守ろうと思っていたバランだった。
 しかし――。

 (だが……セウロ殿はルーウィン殿のことになると冷静さを無くす。……それに呪文が呪文。おそらく、角度は調節しているだろうが怪我人が出んとも限らんしなぁ……)

 そう思い、溜息を漏らしたバランは、ルーウィンに頼もしく頷いた。

 「いいかねルーウィン殿。今から我輩の言うことを――」

 耳打ちして何やらルーウィンに言い、それを驚いた顔で聞いている勇者は、焦りの表情を浮かべる。

 「そ、そんなことでいいのですか!?」

 「ああ、我輩を信じたまえ」

 さあ――と、最も信頼を寄せる自らの師にそう言われたルーウィンは、剣を振り続けるヴェインとセウロに決意を込めて向き直った。

 「ちくしょおおおおおっ!」

 術式の完成をヴェインも肌で感じていた。
 吹き荒ぶ風は激しさを増し、賢者の周りでは、ばちばちと小さな稲妻が起こり空気を帯電させる。

 すぅぅと流れる様な動作で賢者セウロの手がヴェインの方に向けられて、その手の平に光の玉の様なものが収束を始める。
 目を閉じたまま、嵐の中心で手を掲げるセウロは、まさに暴虐の神。

 (し、死んで、しま――)

 ヴェインの脳裏にシフィの優しい笑顔が映り、次々に過去の思い出達が総動員で出迎えを始める。

 (走馬灯なんか見てる場合かっ! 俺は、こんなアホな死に方してたまるかああ!!)

 安全そうな賢者の背後に逃げるか――と思ったヴェインの足は、張り付いた様に動かなかった。
 周囲の魔力と稲妻を帯びた風による重圧は、激しさを増し、もはや身動きをとることさえ出来なくなっていたのだ。

 身動きがとれないことに、剣を振るうのに必死で気がつけなかった――。ヴェインは今度こそ、死を覚悟した。
 バランが叫ぶ。

 「術が完成したっ! ルーウィン殿、今だっ!」

 すぅ、と息を吸ったルーウィン。
 同時にセウロが、最後の呪文を読み上げる。

 「『我は力を貸そうっ。クロウ・ギ』」
 
 収束していた宝玉の様な光が、巨大に膨れ上がる。

 そして、それは放たれた――。



 「僕は、セウロがだーい好きっっっ……ですっ!!!」



 刹那――ばちん、と閉じていた目を音が出そうな勢いで開いたセウロは、堪らず絶叫した。

 「ルバ……う、うおおおおお!! ええっ、我もルーウィンが大好きですともぉぉぉっっっ!!」

 世界が光に包まれた。

 無音。

 暴風の中心で叫んだ賢者の収束させていた力は、弾け飛ぶ様に世界を真っ白にさせる程に発光した。

 上下も分からぬ光の中でヴェインは叫び、地面と思われる所にうずくまった。
 やがて、どごごごごと大気を振るわせて、世界が激しく明滅を繰り返し、目の前が見るようになるまで、しばらく時間がかかった。

 「――…………」

 …………。
 
 目を開けたヴェインは、まず最初に妙なものを見た。

 ひしっとルーウィンに抱きついて、なでなでとその頭を撫でている賢者の嬉しそうな姿。
 次に空の上の大きな雲に、丸い綺麗な穴が開いているのが目に映った。
 丁度、露店で売られているドーナツの様な形に、まん丸な穴の開いた雲。
 そんなものを、生まれてから一度も見たこともなかったヴェインは、それがセウロの呪文が貫いた跡だと理解するのに、時間はいらなかった。

 「は……ははは。……はははは」

 へなへなと力が抜け、腰が抜けて立ち上がれないヴェインは、辺りがどこも損害を受けていないかを見渡して、ひっくり返っていたバランが、すっくと立ち上がるのを見つけた。

 「バラン」

 「ふぅわっは。ヴェイン無事だったかね。……しかし、空に穴を開けてしまうとはなぁ」

 手をかざしてドーナツ雲を見ながらバランは豪快に笑った。

 「無茶苦茶だ……。あの野郎」

 (とても――勝つことなんか無理だ)

 ヴェインは脱力して剣を落とし、嬉しそうにルーウィンに抱きついているセウロを見ていた。

 「しかし、最後まで引かないとは……。我輩でも、あの術だと分かれば隣の町まで逃げるというのに……。キミは勇敢だねぇ」

 さすがに、ここまでとは思っていなかった、というのも正直な話だが、ヴェインはたとえそうだと分かっていても、引かなかっただろう。
 最後の、足が張りついて動けなかったあの瞬間まで、逃げたくはなかったのだ。

 「……やっと友達ができたと思ったんだけどな」

 これでヴェインはルーウィンと口さえ利けなくなった。

 約束を破れば、また賢者は自分の前に立ち塞がるだろう。
 そんなことは容易に想像できたし、何より勝負をしてまで約束したことを反故にするのは、彼自身が許せることではなかった。

 力いっぱい、地面を殴りつけて唇を噛んだヴェイン。その肩に、バランは優しく手を置いた。

 「恥じることはない。大健闘だったとも。初めての魔術師との勝負……。若輩者の剣士は皆、呪文を唱えている魔術師に立ち向かえないものだ。呪文を止めなければと思いつつも皆、近づいている途中で魔術が完成することを恐れるからだ。だが、キミは恐れず、術を止めようとした。……見込みはあるさ」

 「慰めはよしてくれ。……俺はルーウィンとは、もう口が利けない。あんたとの修行もこれまでだ」

 「ヴェイン……」
 
 潔くヴェインはすべてを振り切る様に立ち上がり、ドーナツ雲を見て言う。
 
 「……今まで世話になったな。ありがとうバラン」

 二人に気がつかれぬ様に、静かに立ち去ろうとするヴェインの背を呼び止めたバラン。

 「待ちたまえよヴェイン。キミは勘違いをしている」

 「……勘違い?」

 「誰が勝負が終わったと言ったのかね? ほれ。セウロ殿は今、とても隙だらけではないか? 好機だと思うがね我輩は」

 にやり、と笑ったバランは続ける。

 「賢者に勝つ力は、そのうちつければいいさ。――まずは、今は勝負に勝ってきたまえよ」

 「……」

 ヴェインは拾う気力すらも無くして放っていた剣を拾い上げて、「や、やめてくださいセウロっ」と、嫌がるルーウィンに無理矢理、頬擦りしている賢者の後ろに歩み寄り――。

 こつん、と。

 模擬用の剣を、その無防備な頭に振り下ろした。

 「……俺の、勝ちだ」

 「はっ!?」

 背後のヴェインの言葉で我に返った賢者セウロは、驚愕の顔で振り返った。

 「わ、我はなにを……?」

 頭の上の乗っかっていたヴェインの剣を掴み、目を見開いた賢者は理解した。

 「……ま、まさか……。この、卑怯者めっ!」

 「まだ、勝負は終わってないってのに……隙だらけの、あんたが悪いんだぜ? ……これで、俺はルーウィンとこれからも友達だ」

 「こ、この餓鬼っ……!」

 初めて、してやられたと口惜しそうにしている賢者を見て、ヴェインは少しすっきりした様子で剣を下ろした。
 不思議そうに、二人を見ていたルーウィンは、小首を傾げる。

 「何を言っているんですかヴェイン。ヴェインは僕の友達ですよ? これからも、ずっと」

 えへへと笑って、勇者は眉間に皺を寄せている賢者を見る。

 「勿論、セウロともずっと一緒です。バランも。皆、僕の大切な友人なんですから」

 「……ルーウィン」

 その言葉で、この理不尽なすべてが報われた様に感じたヴェイン。
 感動して、抱きつきたい程の衝動に駆られたが、無論それをぐっと堪えた。今抱きついてしまえば、本当に賢者に殺されかねない。
 
 「ちっ……」

 舌打ち混じりにセウロは、三人に背を向けて言う。

 「――授業は終わりだ。次の授業に向かうがいい。……それと……ルーウィン。今日は我が食事を用意してますので、外で食べないでくださいね」

 「分かりましたセウロ。……すいませんセウロ。……実は僕、さっきセウロが何も考えなしに呪文を使っているとばかり、思っていて……ちゃんと空に撃つつもりだったんですね。……セウロは、ヴェインや生徒達に後学のために最大の呪文を見せていたんですよね?」

  いやいやいや、とツッコミたいヴェインとバランだったが、今はその雰囲気を壊すのが躊躇われた。

 「まあ、そんなところです」

 ぬけぬけと言った賢者は、ちらりとヴェインを見て、どこか優しく呟いた。

 「……貴様の初めての友人を大事にするがいい」

 そう言い残し、賢者は嵐の後の静けさの如く、静かに去って行った。

 「……」

 とんでもないことが山程起こり、濃くも長い壮絶な時間だった。
 呆然とセウロの背を見送っていたヴェインは、その彼の言葉にひっかかるところがあった。

 「俺、あいつにルーウィンが初めての友達なんてこと言ったっけ?」

 「ふぅはっは。セウロ殿は心が読めるのをヴェインは知らんのかね?」

 「ええっ?」

 バランの言葉に驚いたヴェインに、ルーウィンも同意する。

 「あはは。驚きますよね。でも、本当ですよヴェイン。闇の賢者は代々、その身に宿す膨大な魔力によって、人の気持ちまでも、ただ近くにいるだけで感じてしまうのです。……ですから、セウロの前では隠し事はできないので気をつけてくださいね」

 悪戯っぽく笑みを向けるルーウィンの言葉に、ヴェインは固まっていた。

 (そうか……俺は……橋の上で……。だから、あいつは……)

 ヴェインはあの時、橋の上でルーウィンのことを考えていた。

 「だからって、やり過ぎだよなぁ……」

 自分の思いを通すのに、人はここまで頑なになる必要があるのだろうか。ヴェインはそう疑問に思った。

 少し難しい顔をしていたからだろうか。
 ルーウィンはヴェインが怒っているのだと感じ、悲しげに言った。
 
 「ヴェイン。もし……何か怒っているのなら、許してあげてください……。セウロは、どういうわけか周りの人に勘違いされやすくて……。でも、本当はとてもいい人なんですっ。……たまに、口が悪い時がありますが……。でも、それは彼の本心ではなくて……。だから、許してあげてくださいね。……人の気持ちや、考えていることが分かるというのは……時に、とても辛いことだと思うんです。だからっ……」

 ああ、分かるさ。あいつは似ているから――ヴェインはそう思う。

 (あんたのこと少し勘違いしてたかもな……)

 「別に怒っちゃいないさルーウィン。……俺はあいつに似ている奴を知っているしな」
 
 心が読める――。
 皆、そうだと知っていても、最後のヴェインの攻撃をセウロがわざと受けていたことには気がついていなかった。
 そもそも、周りにいる人間の感情が否応なしに自身に流れ込んでくるセウロにとって、不意打ちなど成り立つはずがないのだ。
 セウロは気がついていた。
 バランが、ヴェインに勝負は終わってないと言ったことも、今を好機だとヴェインをけしかけたことにも。だが、彼は敢えてルーウィンに抱きつき、それに気がつかないふりをしていた。

 賢者セウロは心で聞いていた。理不尽にすべてを奪われてきたヴェインの――今度は初めてできた友人まで奪われて堪るかという心の叫びを、彼は聞いていたのだ。
 その友人を失いたくないという純粋な想いをセウロは感じ取っていた。

 すべては賢者セウロの手の平の上。

 ヴェインを脅したのも、とんでもない呪文を唱えたのも、すべては彼のルーウィンを友人と想う心の本音を探るためだった。
 今まで、似たような方法で試された人間は皆、途中でルーウィンのことなどどうでもいいから、助かりたいとしか考えなくなっていた。

 初めてだった。死ぬかもしれない瞬間まで、ルーウィンを――大切な友人を奪われまいと、剣を振り続けた男は。
 セウロは、術の途中からヴェインのことは、とうに認めていた。
 それどころか賢者セウロは、ヴェインをもはや気に入ってさえいる。なぜなら、ヴェインはセウロを理解したから。
 そう、ヴェインの――自分が、セウロと似ていると共感している感情も、賢者に伝わっていたのだ。
 賢者は他人にそう思われたことなど、生まれてから一度もなかった。それは、初めての経験だった。
 こいつは、俺と同じだ。そう感じたヴェインの感情に、セウロは驚愕していた。
 ルーウィンを溺愛し、近づく者から守ろうとするセウロ。それに、ヴェインは自分がシフィを守ろうとする姿を重ねていた。

 セウロは本当に心の底からヴェインを認めていたのだ。

 そう、賢者は正気だった。ただ、ヴェイン・アズベルシアを試していた。
 賢者は無茶苦茶だと思われても、たとえ嫌われてもルーウィンの友人を見定めなければ気がすまなかったのだ。

 彼はこうやって今まで人々の心を探ってきた。
 どんな人間でも追い詰められれば本心を曝け出す。それをセウロは知っていた。

 そして――ヴェイン・アズベルシアは勝った。初めて、強大な力から自分の大切なものを守ることができたのだ。
 たとえ、それが賢者の策略の上のことだったとしても、ヴェインは死ぬことを恐れずに戦い、そして最後まで諦めなかった。
 だから、ヴェインはやっと何かから解き放たれた様に喜んでいた。
 強大な力に奪われることこそ彼のトラウマで、自分の力で大切なものを守ることこそ、彼の目的だからだ。

 そこまで、賢者が知っていたかどうかは分からない。

 ただ、心の底から喜んでいる少年の想いの波動を受け止めて、賢者は優しく微笑んでいた。

 決して、誰にも見せることのない優しい笑顔で。

 それを見れば、誰だって信じるかもしれない。

 セウロはとっても、優しいんですよ――というルーウィンの言葉を。




 





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