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 第1幕.『なんのために剣を』 (約二万二千文字) 

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◆第1幕〜第10幕・縦書き用テキストファイル


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 第2幕.『時の征服者はそうして消えた』 (約二万三千文字)

 第3幕.『初めての友達』 (約一万六千文字)

 第4幕.『魂の穢された日』 (約二万四千文字)

 第5幕.『瞳の奥の夜叉』(約二万千文字)

 第6幕.『その記憶の残滓は願う』(約二万四千文字)

 第7幕.『魔人達の宴』(約二万三千文字)

 第8幕.『諦めぬ人間は愚者か否か』(約二万五千文字)

 第9幕.『王都決戦』(約二万四千文字)

 第10幕.『世界の終わりのはじまり』(約四万ニ千文字)
















 第8幕.『諦めぬ人間は愚者か否か』











*******************








 それはすべてを飲み込む程の強大な暗黒の渦であった。

 世界から光を奪い尽くし、そこに住まう者達に限りない絶望を与える虚無――生命を創ったと言われる神の決断であった。
 『光と闇の世界』の住人達は成す術もなく、ただその決断に従うしかなかった。
 古の聖戦である。
 古代神ラウペロウズ――創世神――が、この世の安定を保つために、光の真逆の性質を持つ闇を世界に生んだことがすべての始まりだった。

 神は知る。
 光だけでは意味がないのだと。
 闇が存在するからこそ、そこに命は生まれくる。

 光だけでは形ある生命が生まれることができず、肉体を持たない精神体である者達しか存在できなかった。
 精霊達の様な幻想種が住まう世界が『光の世界』であり、人間達が住む世界こそ『光と闇の世界』である。
 そこに『時』を創り、生命に進化という過程を与えることによって、独自の発展を促そうと神は考え、さらに『天』と『大地』を与え、生命が住む世界に磐石な基礎を築いたのだ。

 これが創世記であり、神の最初で最後の過ちでもあった。

 神の過ち――つまり、それは光と闇を引き合わせてしまったこと。 
 光の真逆の属性である闇は、新世界に生命が存在できるように安定を生みはしたが、同時にその世界に過酷を強いる要因となった。
 相反する属性が、世界に相容れぬ存在達の共存を叶えさせたのだ。
 光より生まれた古代種――人間、エルフ、幻想種達と、闇より創られし魔物達。
 喜びと、希望だけで良かったはずの世界に、絶望と差別と悲しみを与えてしまった。

 故に、生存競争という名の種による争いは耐えることがなく、創世神ラウペロウズはその世界の醜さに苦悩し、絶望を感じてしまった。
 自身の不甲斐なさと、創世した世界の不完全さに怒り狂ったラウペロウズは、『光と闇の世界』に大災害と大津波を起こし、すべてを無へと帰して作り直すことを決めた。
 ラウペロウズは破壊神となり、自らの肉体を削ってそこから生みだした『すべてを薙ぐ剣』で新世界に災いを生みだした。
 だが、そこに住まう者達が勿論黙ってはいなかった。
 そう。反旗を翻した人間達は、あろうことか神に抗ったのだ。

 神より力を分け与えられし――

 『光』、『闇』、『時』、『天』、『地』の賢者達の知恵により、『すべてを薙ぐ剣』を奪うことができた『光と闇の世界』の住人達は、破壊神ラウペロウズを討つために神域へと進軍する。

 神は涙を流して嘆いた。

 「おおっ! 世界を支えるために『力』を分け与えた賢者達よ! 私が与えたその力をもってして、このラウペロウズを討つというのか!? 何故、分からぬのだお前達は。もはや、この世界は作り直すことでしか浄化されることはないのだ!」

 住人達は怒り狂った。

 「なにを申される! 勝手にお造りなり、勝手にすべてを無に帰すなど、神の所業とは思えませぬ!」

 すべての種族達を率いて、その先陣で一歩前へと歩み出たのは、光り輝く白銀の鎧を纏った青年であった。

 勇者グレンゼン。

 眩い光を右手に、無を思わせる暗黒を左手に掲げる神ラウペロウズへと、彼は叫ぶ。

 「不完全なっ……子を愛すことができずに、なにが神だろうか!!」

 そして、『すべてを薙ぐ剣』を天へと掲げたグレンゼンへと、五大賢者達の術が降り注いだ。

 「―――――――」

 世界を揺るがす程の質量が爆発を巻き起こし、グレンゼンのラウペロウズへと向けられた最期の言葉を聞き取れた者はいなかった。

 五大賢者の助けを借り、向かい来る破壊神にその神剣をもってして挑んだグレンゼンは、見事に神殺しを成し――世界に安寧の日々をもたらしたのである。

 そうして、住人達は。
 愛しい混沌に支配された争いの耐えぬ安寧の日々を――手に入れたのだ。









 「……」

 ふと目が覚めたヴェインは、すぐに体を半分起こした。
 ひんやりとしたものが顔を撫でていて、それが目を覚まさせたようだ。
 床に直で寝ているの様な固いベッドの寝心地にも慣れ、寝起きはそう悪くはなかった。

 「風か……」

 僅かな月の光が差し込む格子の間から、湿った空気と夜特有の匂いの様なものが、風と共に牢の中に流れ込んできていた。
 起きぬけなのに完全に脳が総動員で機能を果たしている感覚――いやにしゃんとした頭は、さっきまで見ていた光景を容易に振り返えることができた。
 神と人間達の夢。
 生々しいまでの現実感を帯びた物語だった。今もまだ鼓膜の奥で、神と、あのグレンゼンと呼ばれていた男の声が張りついている様な錯覚がある。
 ヴェインは無意識に溜息をついた。
 それは、自分のこの幽閉された身を憂いてのことではなく、今見ていた遥か過去の知識を思ってのことだった。

 「救えねぇ」

 世界の始まりを一人暗い牢獄の中で知った『時の賢者』は、どこか自嘲気味に笑った。

 始まりで、すでに終わっていたんだ俺達の世界なんて。
 不完全で。
 汚くて。
 どうやっても安定を得られなくて。
 片方が幸福でも、もう片方では必ず人が恨み、殺し、飢え、死んでいく。

 完全な『光』の世界だけを求めて涙を流した神を――何故、人間は止めた?

 こんな過酷だけの世界で生きることが辛いだけの世界で。

 それでも束の間の幸せにすがるっていうのか?

 今、幸福な人は笑顔。でも、それはまやかし。
 今、不幸な人は泣く。しかし、それは真実。

 人の脳は悪い方が強く残る様にできている。
 すべての記憶を笑顔に塗り替えていく作業を坦々とこなし、この過酷な世界を『そうではないもの』と誤認していくことが俺達の人生ではないか。
 人生捨てたものじゃない。
 こんな世界にもいいものがある。
 世界は素晴らしい。
 短い生涯に成せる事があるはずだ。

 すべて誤認。
 真実を見ろ。
 つまり、過ちだと気がつきながらでも……。

 希望を持って生きたいのだ人間は。

 ならば俺は。
 
 ヴェインは静かに目を閉じた。


 




*******************







 それは。

 突き抜ける様な青空に、ぽつぽつと僅かばかりの白がゆったりと流れこんできたのに、少年が気がついた時であった。
 一人の男が村へと『迷い込んできた』と少年は思った。
 村の名はスエディラ――王都ラクフォリアへと続く街道の途中にあり、シルドリア大陸を端から端に横断する街道の丁度真ん中に位置していて、行商の中継地点でも広く知られている牧歌的な小さな村であった。
 スエディラは常に人の出入りが盛んな、商いで発展している村だった。だから、外から人がやってくる事自体は珍しくはなかったが、少年がその男を迷い人だと思ったのには二つ理由があった。
 一つは、荷を一切持たずに手ぶらで歩いて来たこと。旅に絶対に必要である食料や、水を持っていないように見えた。
 二つ目は、その風貌であった。
 地面に擦れているのではないかと思う程の長いマントを羽織り、その下にも重苦しいローブを着ている。
 どう見ても長旅には不向きで歩き辛そうなその格好は、まだ歳が八つになったばかりの少年にも、男が旅人ではないと理解できたのだ。
 
 「父さん。あれ……」

 少年は大きな荷馬車の前で、商人と交渉している父へと声をかけた。
 しかし、父は外からやってきた商人に村で採れた野菜や果物を、とんでもない値段で値切られそうになっていて、息子の声が全く耳へと届いていなかった。

 「……」

 なにがそう思わせたのか。少年は、ゆっくりと村の正面入り口を抜けて、中へと入って来たその男に怯えていた。

 「お、お父さんっ……」

 「ラント、今お父さんはとても忙しい。後にしなさい」

 そう言ってなんとか商人の首を縦に振らそうと声を張り上げる父は、自分の足へとしがみついている息子が震えていることには気がつかなかった。
 とうとう目の前まで来てしまったローブの男を見て、少年の震えていた体が今度は完全に硬直して、身動き一つできなくなった。
 それは、その男の『技』――の様なものであった。魔力など一切使ってはおらず、実は技とも術とも言えない様なものであったが、少年の様な未成熟な生き物にはとても効果的な『攻撃』だった。
 男が放っていたのは単なる『威圧』であった。その細い眼光から発せられたそれは、確かに少年の動きを封じ、その心にとてつもない恐怖を植えつけていた。
 野生を無くし、長く生き過ぎて警戒心の薄れた大人達は、その『威圧』には全く気がつくことができない。
 男は少年の目の前に来ると、その固まって一点しか見ることができなくなった眼を見つめて微笑んだ。

 「怖いのかい?」

 少年はとうとう涙を流し始め、しゃくり声をあげだした。
 しかし、それにも父親は気がつくことはなく、今もなお声を張って商談をしている。
 ローブの男は少年の目線に合わせ、しゃがみ込んでその頭を撫でた。

 「実に正しい反応だ。草食動物はどれだけの絶望的状況に陥っても諦めることをせず、肉食動物から逃げようとしたり抗ったりする。『諦める』という行動は、人間にしかできないとても美しく洗練された行為なのだ。……ああ、私は思うのでございますよ。食される側の気持ちを理解したいとね。それはきっと……えも言われぬ程に、甘美な絶望と恐怖を抱いた感情なのでしょうね……どうしても私はね、それを他者から味わってみたいのですよ。それには、弱者を相手取らなければならないのでございますよ。あなたの様な子ウサギなんかをね……くくく」

 きゅっと少年の喉が高い音を鳴らし、それと共に早鐘を打つ心臓の音も、目の前の男にはしっかりと届いていた。

 「いつ聴いても美しい音でございます。恐怖が奏でる心音というものは。……しかし、ねぇ? あのヴィンセントという野獣男は馬鹿の極地ですよね。何故、自分より強い者と戦いたがるのでしょうね? そんなことをすれば恐怖や絶望を相手から感じることができないですし、この美しき心音を聴く暇もありませんです。……なにより『狩り』の楽しみを存分に味合うことができませんよね? んんー? 『狩り』とはなにかですって? くっししし、それはねぇ……」

 ローブの男は徐に立ち上がり両手を大きく天へと向けて大声で叫んだ。

 「このぉっ、私ぃっ、ウィズ・サイラスが皆さん方、子ウサギをぜぇぇぇんぶ美味しく頂きますするでございます狩りなのですよぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 それは、魔人ウィズ・サイラスの魔人たる力を行使した狩りであった。
 僅かな詠唱の後に、魔術師は放つ。

 「砲撃光(リオン・スペリオ)ぉぉぉぉ!!」

 ウィズの叫びと共に右手から溢れだした眩い閃光が、巨大な砲弾となり少年の隣を高速で流れていった。
 耳をつんざく様な爆音と、体が吹き飛びそうな程の風圧が巻き起こる。
 嘘の様な、一瞬の出来事だった。
 少年の父と、商人の男と、その隣に置いてあった荷馬車が綺麗さっぱり無くなってしまっていた。

 「きゃああああ!!」

 途端に光の砲弾が流れていった方とは逆の方角から女性の悲鳴があがり、少年は消えた父はどこに行ったのだろうと考えながら、ぼんやりと首を回した。
 真っ赤な炎の柱が天へと昇っていた。燃えているのは村の住居で、人々は逃げ惑い、辺りは騒然とした空気に包まれていた。
 少年ラントはまた元の方角へと向き直る。
 きっと父が何食わぬ顔で立っているのだろう。そう思っていた。
 しかし。

 「ばあぁ」

 「ひっ……!」

 舌をだして両手を顔の横で広げ、おどけた顔をしてラントを脅かしたのは、彼の大好きな父ではなかった。

 「うひゃひゃっ。とっても怖がっていますねぇ! 素敵ぃっ! ステキぃぃ! その恐怖、素敵でございます! うひひひひ、ひゃああああああ!!!」

 体を大きく揺らしながら、びくびくと痙攣して、その恐怖という快楽を男は咀嚼する様に楽しんでいた。
 事実、この殺人鬼ウィズ・サイラスにはどんな食事や、快感よりも、他者の恐怖心を感じることが生きている上での至上の喜びであった。

 「安心してくださいよ。少年、キミはこのぉ私のメインディッシュぅぅ。この私に恐怖を伝えるための道具が必要です。それがキミです。故にキミはまだまだ殺されませんですよ」

 ウィズ・サイラスは少年ラントをこの舞台の最初で最後の観客へと仕立て上げていた。
 それがこの男のいつもの楽しみ方なのだ。

 「お、お、お父……さんは?」

 「お父さんっっっ!!」

 そう少年の言葉を反芻して、「ああっ」と演技がかった動きで頭に手をあてながら、ウィズは悲しみにくれた様な顔をして首をぶんぶんと振る。

 「あなた、キミ、少年っ! お父さんはもうこの世にはいないのです! でも、あなた、キミ、少年っはこれからも人生を諦めずに強く生きなければなりませんのです! それが人というものなのですから! さあっっっこの地獄で、この私に恐怖を届けておくれなさいましぃぃぃぃ!!」

 どんどん、とウィズの『両手』からそれぞれ別の色の魔法が打ちだされた。
 右手からは先程と同じ、ラントの父を消し去ってしまった光弾。そして、左手からは赤く燃え滾るマグマの様な炎の塊。
 全く別種の術が、ウィズの両手から同時に放たれていた。
 村人達はあるいは消し飛ばされ、あるいは燃やし尽くされる。
 ラントは何人もの人間が、あっさりと殺されていく様を見ていると、どこかそれを現実だとしだいに受け止められなくなっていった。

 「……っ」

 息を飲み、ただ呆然とその光景を震えながら眺めていることしかできなかった。
 誰よりも逞しく、強いと思っていた父が死んだ?
 それも、あんな一瞬のことで? 
 これ程までに、あっけない死に方があっていいのだろうか?
 そんな事を考えながら、光弾により吹き飛ばされる人々と、焼かれる人々をラントは涙を流しながら見ていた。

 「……ううぅ……お父さんっ……」
 
 少年の心の模様で酔っていたウィズは、人々に魔法を放ちながらも、しっかりと気づいていた。
 いや、それが彼の最も重要な楽しみなのだから、気がついていて当然であった。

 「お父さん……ううう……あああ……」

 嗚咽混じりに涙を落とし、地面へと崩れた少年を見て、ウィズはびくりと体を大きく反らした。

 「あっ……あああっっ……!! あーーー!!」

 恐怖が絶望へと移りゆく様を見て、ウィズの中で快楽が絶頂に達してしまっていたのだ。
 自らの快感を抑えきれずにウィズは舌を出し、口から唾液を垂らしながら虚ろな目で、体を掻き毟り、その絶頂の余韻を感じていた。

 「うううぅぅん、きっもっちっっイイぃぃぃぃぃぃ!!」

 その情念すべてを魔法に込めるかの如く、彼はまた同じ魔法を大粒の唾液を撒き散らしながら、詠唱する。

 「生まれ来るは月夜の雫から……一滴の涙が恒星となり、煌き輝く陽よ、光の精霊よ、その力を今、滅爆させよ!! 砲撃光(リオン・スペリオ)ぉぉぉぉ……ん!!」

 ウィズの右手より放たれた光弾に直撃した村の男は、足首から上が綺麗に消え去り、この世に残ったのは靴と僅かな肉だけとなった。

 「ぐ、あああああっっっ!!」

 そして、左手から噴出した火炎弾を浴びた者は一瞬で火だるまになり、絶叫してのた打ち回りながら、やがて黒い墨となってぴくりとも動かなくなった。

 「おっつ! もんすごーくお疲れ! 人生お疲れですよ皆々様方ぁぁああああ゛あ゛!!」

 狂人の魔法には、全く『間』というものがなかった。
 さながら、夕食の支度をしながら鼻歌を唄うかの様に――快楽に浸りながらウィズは、その片手間に両手から魔法を、しかも異なる術を放っている。
 普通では絶対にできない魔術――それが、この魔人の『特殊能力』なのだ。
 この不可思議な能力故に、彼は魔人達と、ディール達と共にいることができた。
 いつの間にかスエディラの村は、そのすべてが恐怖と絶望に飲み込まれていた。
 男の炎から逃れようと建物に逃げ込んだ人々は光弾に建物ごと押しつぶされ、外へと飛び出した者達を待つのは焼け死にであり――その致死の二択を理解した人々がとる行動をウィズはすでに読みきっていた。

 「村の外に逃げて関所の衛兵を呼ぶんだ!」

 そう大声をあげて数人を誘導していた勇敢な青年は、恋人の手を繋ぎながら外へと向かって駆けていた。関所などとうに、この魔術師に破壊の限りを尽くされているということも知らず。
 入り口からほとんど動かずとも村を半分ほど壊滅させてしまっていたウィズは、隣で泣きじゃくっていたラントの襟首を掴んで、その逃げていく一団へとゆっくりと足を向けた。
 そして、道徳心を欠片も感じさせない壊れきった笑顔をたたえてウィズは笑って言った。

 「さぁ、逃げろ逃げろ逃げろぉ。逃げてみてごらんですよぉ」
 
 絶対にこの自分の敷いた檻からは逃げられない、彼はそう心の中で呟き、狩りによる快楽を存分に味わっていた。
 そして、その脱出を試みていた一団に絶望が襲う。

 「ぐっ」

 がん、と何か固いものが鼻先に当たった青年は、衝撃に顔を抑え、すぐに目の前を確認した。
 村の外に広がる広大な平原と、嘘のような能天気過ぎる青空だけが目に映っていた。

 「なっ、何もないのにっ……どうして!?」

 青年と村の人々は、確かに目の前に何もないことを確認していた。しかし、青年がぶつかった様に、他の者達も同じように顔や足を打ち、それより先に進むことができなかった。
 その固い透明なモノをすぅと撫でた青年の恋人である女性は、悲愴な表情で皆に訴えた。

 「駄目よ……これは結界よ……!」

 「結界!? 一体どうすれば!?」

 青年は叫びながら、なんとかその透明な壁を壊そうと、がんがんと強く殴りつける。
 しかし、結界はびくともせずに彼らの行く手を阻んでいた。
 そして、「ああっ」と後方からわざとらしい嘆く声が聴こえて、村人達は振り返る。
 いつの間にか、透明の壁の前で立ち往生する村の者達の後ろに、ラントを抱えたウィズが面白くなさそうに佇んでいた。

 「おお……魔法の知識がある者がいてしまいましたか……。これは、つまらないっ! ああ、つまらない!!」

 「うわああああっっ!!」

 恐怖でへたり込む者。別の方向へ逃げ、透明の壁にぶち当たり倒れる者。そして、恋人を抱き寄せて、なんとか守ろうと蛮勇を奮う青年。

 「お前はっ! なんだってこんなことをするんだ!!」

 叫び問う青年に、ウィズは目を見開いた。
 そして、すぐに大きく口を開いた。

 「ああ、恐怖を……! 知らないことっ!! 無知ということが、とんでもない恐怖というものを生み出しますのに!! 結界だと知ってしまうと……ああああああっっっ勿体無い!! 知らなければぁ、さらなる恐怖を感じさせられたというのに、にわか仕込みの知識で恐れる者達に解答を与えてしまった愚かなその女ぁぁ! 万死にぃ万死にぃ値するぞぉぉぉ!!」

 快感を感じるためだけに殺しまわっていた魔人が、たった今始めて、はっきりとした殺意を解き放っていた。

 「……っ」

 青年は心臓が押し潰される様な恐怖を身に感じていた。
 しかし同時に彼は絶対に守らなければならない者を胸に抱え、この狂った殺人鬼に立ち向かうだけの勇気を奮わねばならないと意を決していた。
 青年の覚悟を感じて、さらにウィズは強く落胆して、大きく頭を振り乱した。

 「がああっ!! なんだ、なんだ、そのつまらない感情は! 貴様らは獲物だ! この私に狩られるだけなのですよぉ! そしてこの少年が、絶望を私に届ける案内人だ! さあ、少年っ。彼らの苦しみを焼き付けろ! そして、この私に恐怖と絶望を届けきるのです!」

 首根っこを掴んでいた少年を地面へと投げ捨て、ウィズはそう捲くし立てたがラントはいつの間にか意識を失っていた。

 「ああっ!! 使えない!! ちょっと快楽休憩っ! ちょっと快楽休憩です! だから、お前達はとりあえず……ぶっち殺しておきますよおお!!」

 「やめろお!!」

 右手を村人達へと向けたウィズに、青年は飛び掛った。
 恋人が彼の名を呼んだ瞬間、青年の姿は光弾に包まれ、消えてしまった。

 「ああああっ間違えた! より苦しんでいる姿を見せるために、左手で燃やしてやらねばいけないと思っていたのに……つい、ねぇ?」

 頭を掻きながら「失敗、失敗」と笑いながら言った魔人は、恋人を失い放心して座り込んだ女性へと左手を向けた。
 人を殺すことになんの躊躇いもないウィズに、村人達は怖気立った。

 「あ……」

 恋人の死を受け入れられない女性が涙を流そうとも、狂気の魔術師は喜びに満ち溢れていた。
 そして、すべてを焼き尽くす業火の左手から、無情にそれが放たれようとしていた時、きりきりと弓の張る音がウィズの耳へと届いていた。
 ひゅん、という高い音がいくつか同時に鳴った。

 「……なんですっ!?」

 すかさず疑問の声と共に横合いへと飛んだウィズは、彼にとって最もつまらないモノを見た。
 数本の矢が飛んできた方角――十数人もの村人と、そして元々この村を護衛していた駐在の兵士が、武装して魔人を向かい打つべく挑もうとしている光景があったのだ。
 ウィズは矢を避け、着地した瞬間に発狂するかの如く叫び散らした。

 「おおおおおおおっ!! 恐怖って素晴らしいぃぃぃ!! なのにぃぃぃ何故えええええ!!」

 もはや狂人の意味を成さない言葉など、村の者達は理解するつもりは毛頭なかった。

 「次の矢を放つんだ!!」

 兵士の号令と共に、後ろへと控えて矢を構えていた村人が一気にそれを放った。
 常人ならば絶対に逃れられぬ無数の矢が、ウィズへと降り注ぐ。

 そして。

 魔人の真の力を彼らは見ることになる。
 それは、彼らが生きるために絶望に抗ったからであろうか。
 少し前に目を覚ましたラントは思っていた。
 一体、この場でどのような選択が正しいのだろうかと。
 生きるか死ぬか誰にも選べないこの場所で――ただ、どのように死ぬかだけは選べるこの場所で――。
 ならば、戦って死にたいとそう思うラントもやはり。
 魔人に弓を引く者達がきっと本当に『生きている』者達なのだと、彼は少年ながら理解していた。

 (希望を持って生きたいんだ人間は。ならば僕は……!)
 
 少年は立ち上がった。

 




*******************
 






 一つの報告がたった今、王都へと届けられた。
 それは、にわかには信じ難い凶報だった。
 穏やかだった王城は、すぐさま空気が変わり、ぴりぴりとした切迫した緊張感に包まれ、何人もの重役や騎士達が城を走り回っていた。
 どしどしと重たい足音を響かせながら、光り輝く金色の鎧を着た大男が、その慌しい城内を落ち着いた表情で進んでいる。
 街の警護にあたる治安騎士団の副団長であるこの男――レオドルフ・セントフィードもたった今、報告を受けて城へと呼び出されていた。

 「……」

 いつにない緊張感を漂わせる城内の空気。そして伝令を届けた兵の慌てぶりからして、かなりの事が起こったのだとレオドルフは思っていた。
 しかしレオドルフは顔色一つ変えることはなく、今はいたって無表情であった。
 数人の兵と、役人達が行き交うその間を早足で歩いていくレオドルフが訪れたのは、王の間であった。
 すでに開け放たれていた部屋の前で一度止まった彼は、大声で到着を伝える。

 「治安騎士団副団長レオドルフ・セントフィード。ただいま到着しましたっ」

 玉座にはいつもと変わらぬ落ち着いた様子の王と、そして隣には左右に賢者セウロと、ジンジャライの姿があった。その二人も静かにレオドルフへと視線を送っている。ただ、その周りの大臣や、将軍だけが慌てふためき騒いでいる様にレオドルフには見受けられた。

 「来たかレオドルフ」

 レオドルフに声をかけたのは、近くに控えていたゼネ将軍。
 元々厳つい顔をしている将軍だが、今は眉間に深い皺を刻ませているため、その厳つさがかなり増している。そんなゼネ将軍を見たレオドルフは、尋常ではない事態が起きたのだと改めて認識した。
 
 「バランの馬鹿が牢なのでな。お前を呼んだのだ」

 言うゼネは、本当に呆れかえった様子で溜息をついた。将軍のその態度に、バラン命であるレオドルフはゼネの言葉を訂正させたかったが、王の御前であることと事態の重さを考え、なんとかおし止まった。
 治安騎士団副団長レオドルフ・セントフィードの最大の長所は、なんと言ってもその冷静さであろう。彼は余程の事が起きない限り顔色一つ変えることはなく、常に冷静沈着に物事を見定めることができる。
 しかし、それもバランのこととなると話は別だ。今のように少し馬鹿にされただけでも、レオドルフには我慢ならないのだ。
 それだけ彼にとって、バランは特別な存在であった。
 なぜなら、バラン・ガラノフ・ド・ピエールがいなければ、レオドルフは騎士でさえなく――いや、とっくに死んでいたかもしれない――故にそこまでバランに心酔するのも仕方がなかった。
 そんなバランがこの緊急事態に牢にいて、自分に声がかかった。それは自分が、バランの代理であるということだ。決して気の抜けない局面であるのは間違いはなかった。
 相変わらず何を考えているのか計り難い男だと、そう思いながらレオドルフを見ていたゼネは単刀直入に言った。

 「レオドルフ。お前には東のスエディラへ行ってもらう」

 「私をスエディラへ? 一体なにがあったのですか?」

 頷いたゼネは王の隣に控えていたセウロへと目を向け、言葉を続ける。 
 
 「スエディラが攻撃を受けているらしい。村はほぼ壊滅状態だという。……他国の進軍も考えられる」

 「他国の!? そんな馬鹿なことがあるわけが……第一、『らしい』とは? 不確かな情報なのですか?」

 レオドルフの言葉にゼネは首を振り、自信なく静かに言う。

 「詳細は不明だ。村に入れなかったと商人達から連絡があり、目視で村が魔法による攻撃で破壊されていたのを確認している」

 「魔法……。賊か、それとも他国か……どちらにせよ、私の任務はそやつらから村を救うことですね」

 「馬鹿かお前は。お前の役目は斥候だっ。状況を確認して引き上げることが任務である。その後のことは我々が決める」

 「……」

 黙り込んだレオドルフを見て、ゼネは静かに言う。

 「村はもう間に合うまい」

 そう告げ、将軍はレオドルフに背を向けた。
 
 (ゼネ将軍は頭は固いが、正義感は強いと……確か、バラン様はそう言っていた)

 レオドルフはバランの言葉を思い出しながら、ゼネ将軍の握り拳が震えているのをしっかりと見ていた。

 「賊だろうと他国だろうと、我が国へと危害を加えたものを許しはしないっ」

 怒りをおし留めながら言ったゼネの言葉に、レオドルフは拳で強く胸を叩いて応えた。
 そんな二人のやりとりを見ていた王は、彼らに聴こえぬ様に隣のセウロに命じた。

 「何か嫌な予感がする。セウロ、お前もレオドルフに同行してやれ」

 「はっ」

 王の命に間髪入れずに返答したセウロ。彼もどこか王と同じく、何か妙なものを感じていた。
 しかし、そこですぐにジンジャライが異を唱える。

 「王、なりませんぞ。スエディラへの攻撃は、他国の侵略の可能性があります。もしそうならば、これは陽動……つまり囮でありましょう。そこに賢者を向かわせては断じてなりませんぞ」

 「しかし、ジンジャライ。私は悪い予感がするのだ。……治安騎士とて失うわけにはいかん。セントフィードの長男はバランのお気に入りだ。私の采配で奴を失っては、牢にいるバランに面目が立たんぞ」

 ああ、と大袈裟に頭を抱えたジンジャライは大きく首を振って言う。

 「なにを仰います王。あなたは王であり、兵はあなたの駒なのです。王はバランを一目置いているようですが、バランとてそれは同じですぞ。奴もレオドルフも単なる兵隊なのです。賢者の価値と比べるまでもない」

 「……」

 相変わらずいけ好かないことを言うジジイだ――と賢者セウロは腹の内で呟いた。
 しかし、それでもジンジャライの思考を、この国を一番に考えての賢明な判断だとしか思えず、セウロは認めるしかなかった。

 (確かに……我が出陣してしまえば城はがら空きだ)

 王の傍につき、王を守護することが賢者セウロにとって最大の使命であり、命に代えても果たさなければならない任務。
 盲目の魔術師ジンジャライもかなりの腕を持つ魔法使いではあったが、彼一人だけに王の守護を任せることはセウロにはできなかった。
 もし、ジルフを殺めた者が城に侵入したら、おそらく太刀打ちできるのは自分だけしかいない。セウロはそう確信していた。

 「それに、レオドルフには偵察のみを遂行しろと、ゼネに命令させております故、万が一もありますまい」

 「……余の助言役を任されているお前に、そこまで言われたならば仕方あるまい」

 「いえいえ、出すぎた真似だと存じてはおりますが、これも国のため。お許しくださいませ」

 ジンジャライは見えぬ目で、しっかりと王に向かって恭しく頭を下げた。
 おそらくこの老人は、国の利だけを優先するその覚悟が、この城に居る誰よりも高い。だから、王もセウロも彼の言葉を返せなかった。
 こうして、レオドルフは治安騎士の一部隊を率いて、スエディラへと向かうことになった。
 そのジンジャライの判断が確かに正しかったのだと、彼らは後で知ることとなる。








 王都で重役達が頭を抱え走り周っていた頃、魔人達一行は街の正門から南の平原にいた。
 余程目の良い人間でも、王都からでは彼ら四人の姿は米粒程にも見えぬ距離であったため、ディール達は誰にも気がつかれてはいなかった。
 見渡す限りの青い空と、白い雲に緑の絨毯がどこまでも伸びて風に揺ぐ。
 その北に大きくそびえ立つ王城と城下町を見やり、ディールは言った。

 「イザナという男から連絡が入りしだい、お前達には街へ入ってもらう」

 無言で頷いたヴィンセント、リー、ゼスは今はとても静かだった。
 ゼスにいたっては目を閉じ、瞑想に近い状態で気を静めているし、リーは始終笑顔を絶やさず、ただヴィンセントの荒い鼻息の音だけが聴こえていた。

 「賢者セウロ・フォレストと、ジンジャライという魔術師に気をつけろ。特にジンジャライだ。……目が見えぬからといって、油断していると命はない。奴もまた、絶大な魔力を持っている魔術師だということを忘れるな。……あとは、お前達ならば問題ないだろう。おそらく国一番と言われているバランという騎士は、陽動にかかり王都にはいないはずだ」
 
 そう言ったディールの策は、まさしく王都の戦力分散であった。
 スエディラへは軍隊および、隊長や将軍が一人もしくは二人程派遣されるならばよしとしていたディールだったが、その目論見はジンジャライの勘の冴えによってあっさりと破綻していたが、彼らはまだ知らなかった。
 村へと向かったのは治安騎士の副団長と、治安騎士十数名のみなのだから、彼らの作戦は始めの始めで大コケしてしまった――と言ってもいいはずだった。
 しかし。

 『ディール』

 ニアを介し『捧戟福音(ラバンセディアッジュ)』の術でディールの脳へと、イザナの暗い声が届いた。
 すでに一度、外に出てディール達と落ち合って手筈を聞いていたイザナは、その策の一番始めの報告を今届けていた。

 「イザナか。王都に動きはあったか?」

 『あなたの目論見は失敗ですよディール。陽動にかかったのは少数部隊と治安騎士の副団長だけです』

 そう言ったイザナの声には、不安の色が強く滲み出ていた。
 自分の行動に自信が持てず、しかも雲行きの怪しい事態に、イザナは明らかに焦っていた。

 『どうするのですか? 王城には賢者も隊長格の騎士も、将軍も皆揃っていますっ。そんな中からどうやってヴェインをっ……』

 「……」

 イザナの報告により、ウィズ・サイラスの仕掛けた陽動にかかったのが単なる偵察部隊だという事実を知ったディールは、むしろ可笑しげに含み笑いを漏らして言った。

 「くくく……。ウィズめ。お前にとっては最高の舞台となったな。……そして」

 ディールは後ろにいる男を見た。
 これからの戦いを想像して、鼻息荒く両の拳をガンガンとかち合わせている男。
 興奮状態にあるのか、目は赤く血走り、緊張か武者震いか体がぶるぶると音をたてる程に震えていた。
 ヴィンセント・ノマアールは、ディールの意味あり気な視線に気がつき言った。

 「どうしたんですかい? やけに嬉しそうじゃねぇですかい」
 
 「いや、なに。陽動が失策しただけだ」

 「え……」

 ぴたりと両手の動きを止めたヴィンセントは、口を開けて放心気味に問う。

 「そ、それって……あれか? まさか……」
 
 「そうだ。これから向かう城にはお前の大好きな強敵がたくさんいるぞ」

 その言葉を聞いた瞬間、どくんとヴィンセントの体が、大きく波打つ様に揺れ動いた。
 もしヴィンセントの力を縛る見えぬ枷があるとするならば、たった今それはすべて外されただろう。そして、彼の魔人が魔人たる所以の、真の力が解き放たれたのだ。

 「うっ、うっ、うおおおおおおおっっっ!!!」

 瞬間的にディール達は、両耳を手で塞いだ。でなければ、おそらく彼らの鼓膜は破れていただろう。それ程の声量で叫んだヴィンセントは、肉体すべての細胞が膨れ上がり、活性化していくのを感じていた。

 「ほう……」

 思わず夜叉が感嘆の声を漏らすほど、そのヴィンセントの変化は如実に現れていた。
 ばきばきと骨の軋む音と共に、筋肉が弾けんばかりに盛り上がり、大きさを増していた。

 「がああっ、あああっ、あああああああああ!!!」

 咆哮は大気を揺るがし、空へと空砲となって打ち上げられ、それは王都に住まう人々の耳にも届く程の絶大な声量だった。
 これから、隠密行動をとろうとしているディール達には全くもって、ありがたくないヴィンセントの行為だったが、誰も咎めはしなかった。
 こうなったヴィンセントを止められる者は、おそらくこの中にもいないだろう。

 『な、なんですかっ……今の声は……』

 かなり不安げなイザナの声に、これ程までに機嫌の良いディールを見たことがあるだろうかと、リー・ホラン達に思わせる程に、彼は嬉々として答えた。

 「くくく……安心しろ魔術師イザナ。貴様の心配など単なる杞憂だ。俺達はあっさりと、簡単に、さして労力も使わず『時の賢者』を奪うことができるだろう。あとは、お前の働き次第だ」

 元よりディールは、陽動による戦力の分散などに、微塵も期待していなかった。
 独特の趣向と気質により、隠密行動が激しく苦手なウィズ・サイラスに、別の任務を与えていた方がいいだろう。単に、そう考えただけの話で、どうせならば少しは役に立ってもらおうと、陽動を任せただけなのだ。
 始めからディールは、誰が王城にいようと『時の賢者』を手にいれられると確信している。 

 『…………』

 イザナの固まったはずの決意は、いつしかまた揺れ動き、迷い始めていた。果たして本当に、今ヴェインを奪い返すことを彼らに委ねてしまってもいいのだろうかと、自問自答を心の中でひたすら繰り返していた。
 シフィに会わせてやりたい。それも、今すぐでなければならない。
 何故だか、イザナはそう思ってしまったのだ。でなければ、シフィとヴェインは――。

 二度と会えない。そんな気がしたのだ。

 「さて……では俺達は今から王都へと向かう。お前は俺達を迎え入れるために門で待て」

 『……え……ええ……』

 もはや自らの意思さえ信用できないイザナに、有無を言わさぬディールの命に抗うことはできなかった。

 迷い、戸惑い、恐れ、不安が渦巻いていたとしても。
 イザナには確たる想いがあった。
 ヴェインとシフィを幸せにする――それだけが、彼が今生きているすべてで、それこそがイザナの完全なる無償の愛の正体だった。
 愛することが生きることのすべて。
 これにまさる究極の愛など存在するのだろうか。
 ディールは、強制的にイザナへと言葉を伝達していた魔術を断って、同胞に告げる。

 「さあ、楽しめ貴様ら。目に入った者は殺せ。厄介な相手ならば、街の外に誘き出せ。俺が始末してやる」

 「へへへ……今回はディールの旦那に獲物はいませんぜ」

 言ったヴィンセントに、「そうそう。皆、僕達が殺しちゃうからね」と満面の笑みでリー・ホランがつけ加えた。

 「やれやれ。ではゼス……この二人と、後のことは頼んだぞ」

 ディールがそう言うと、そこで始めてゼスは閉じていた両目を開け、物憂げな表情を宿した。
 そんな様子の彼に、ディールは苦笑して問う。

 「なにを考えていた?」

 「……そのヴェインという少年のことを。……『時の賢者』となり、後は搾取されるだけの命……俺と同じだ」

 そのゼスの呟きに心底、大笑いしてやりたかったディールだったが、今は敢えて堪え、ゼスの思考に波長を合わせた言葉を送った。

 「ならば、王都から連れ出せ。俺達の元にいれば、少なくと自由は約束される」

 ディールの心にもない言葉に、ゼスは決意を宿した目で頷いた。

 「どちらも地獄ならばっ……」
 
 そして、魔人と人間達の避けられぬ戦いが始まる。

 





*******************







 まず、始めに彼はその光景を信じられなかった。いや、信じたくはなかった。
 いつもならば出入りする馬車と、人々でごったがえしている村の狭い門には人影すら無く、外にまで響いている活気溢れる村人達の声も聞こえなかった。
 いや、人などいるはずもない。
 こんな所に、もはや、人がいるはずがないじゃないか。
 レオドルフは、首を横に振りながらそう思った。
 あの行商で栄えた賑やかなスエディラの村が、まるで幾度の戦火に巻き込まれたかの様に、今はただの焼け野原と、瓦礫の山と化していた。
 スエディラへは、何度となくバランと共に巡回に来たことがあるレオドルフには、それを目前にしたとしても、にわかには信じられない光景だった。
 村を遠巻きに見ていた治安騎士の一団は皆、もくもくと上がる黒い煙をただ呆然と見ていた。
 
 「馬鹿な……」

 馬上でそう呟き、しばし放心していたレオドルフだったが、すぐに我に返り、後ろの兵達に命を出す。

 「村へ入り、生き残りの救助にあたる!」

 「レオドルフ様っ。我らの任務は村の様子を見てくるだけだとゼネ将軍に……」

 「だから、生き残りがいるか様子を見に行くのだ!!」

 「わっ……たっ……」

 とてつもない剣幕で怒鳴ったレオドルフに圧され、馬から落ちそうになった部下はなんとか体勢を立て直し、後ろの兵達へと声を張り上げた。

 「こ、これより村に入る! 各員、賊の攻撃に注意し、隊形を整えろ!」

 その兵の声を聞きながらレオドルフは、腰の剣の鞘を強く握りながら思った。

 (賊だというのか……? もし、これが賊の攻撃によるものだとして……。襲撃から我々の到着までの時間は、半日もなかった。……その間に、これだけの破壊の限りを尽くすとは一体……)

 賊のその、破壊こそが目的であると言わんばかりの所業に――いや、その悪意に――レオドルフは僅かに、眩暈を起こした。
 村からあがる黒煙を見ながら、馬を走らせるレオドルフの胸に広がるのは、完全なる悪意に対する憎悪であった。

 「許しはせんっ……」

 もし、何かしらの意図があって村を襲ったとしても、ここまで壊滅的な破壊をする意味など、レオドルフには到底、理解できなかった。
 ただ破壊と殺戮を目的とした者の犯行――これは、そうとしか思えない。

 「我々の領土内での、この様な鬼畜な行為っ……! 許しはせん!」

 声を荒げ、レオドルフと治安騎士団は村の門へと到着した。
 轟々と燃える紅い炎から、黒々とした煙があがり、ばきばきと何かが壊れる音が辺りに響いていたが、人々の叫び声や姿は全く見えなかった。

 「……っ」

 遅かったのか――しかし、彼はどちらにしろ今、自分達がするべきことしかできないのだと、冷静に判断した。
 レオドルフは一度馬を止め、手綱を引いて来た道の方へと振り返り言う。

 「よし、俺が先陣で入る。敵を発見したら合図を」

 「やあやあやあっ! なんとっ、団体さんのお越しだ!」

 突然、真後ろからあがった陽気な大声に、レオドルフはびくりと体を揺らして、すぐに馬を蹴り、馬ごと後ろへと向き直った。
 兵達の見ている先、レオドルフが見たのは、とてつもなく異様で異質な――あり得ない光景だった。
 一人の魔術師風の男が佇んでいた。今、治安騎士へと陽気に声をかけたのも、この男だろう。

 「いやあ。こんな格好で失礼するよ。王都の諸君。少しばかり、私ははしゃぎ過ぎたようだ。しかし、まあ、それも仕方のないこと!」

 「…………」

 その男の言葉に即座に答えられる者は、誰一人としていなかった。
 どうして、何故、理解不能だった兵達が次に感じた感情は、『恐怖』だった。
 
 「ん? どうしたぁ? そんなに、皆さん目を真ん丸に見開いてぇー」

 それも無理はなかった。
 魔術師の男、ウィズ・サイラスは右手に少年を抱えていた。それは、驚くべきことではない。
 そして、その身なりも王都にいる魔術だと言われても、誰も疑わない程に、小奇麗なローブを纏っていたし、髪や顔立ちも綺麗なものだった。
 しかし、その表情は明らかに一目で狂人だと分かる程に、危険な笑顔を宿し、さらに異質なのはその左手だった。

 「レ、レオドルフ様っ……あ、あれはっ……」

 思わず一人の兵が、そう叫ぶのも無理のないこと。
 なぜなら、ウィズの左手は今、その華奢な体には似つかわしくない程に、太い丸太の様な腕があったのだ。
 黒々とした毛に覆われ、人のものとは思えない豪腕。そして、指の先にはとても鋭利で長い爪が五本伸びていて、ウィズのものではない血が大量に付着して、したたり落ちていた。

 「人間の腕ではない……!」

 そう言ったレオドルフの言葉に反応して、ウィズは笑った。

 「きひっ、ひっ、ひひひひゃあははははははははは!!」

 「み、みんな逃げてええええ!」

 叫んだのはウィズの右手で、襟首を掴まれていた少年ラント。
 その瞳には強く、揺ぎ無い反抗の炎が生まれており、少年は命を捨ててでも、この『敵』を倒すことを心に決めていた。しかし、今のラントでは目の前の新たなる犠牲者達に、そう叫ぶことしかできないのが現実だった。

 「遅すぎるのでありますですよぉ!」

 強大な炎がウィズ・サイラスの黒々とした左腕から、膨れ上がるように出現した瞬間、レオドルフは叫ぶ。

 「魔法だ! 散れっ!!」

 どん、と大きな音がして、それが発射されると同時に、レオドルフは驚愕していた。

 (詠唱はなかったはずだ! なのに、何故、魔法が撃てた!?)

 爆風に煽られ、馬から転倒しながらも華麗に受身を取り、すかさずその腰の大剣をレオドルフは抜き放った。
 歪な刀身に、不気味ささえ感じる異国の装飾が施された魔剣で、レオドルフの一族はこの剣を『魂喰らいの剣』と呼んでいた。
 響く魔術師の高笑いと、治安騎士達の焦る声、そして少年の叫び。
 吹き荒れる砂塵が晴れ、見えた光景。たった一発の魔法で、五人は戦闘不能に陥ったと瞬時にレオドルフは判断を下し、とにかく仲間達の体勢を立て直させるべく、まず時間を稼ぐことを優先する。
 その歪な大剣を魔術師に向けて、レオドルフは一喝した。
 
 「不意打ちとは卑怯な! 私は王都治安騎士団副団長レオドルフ・セントフィード! 貴様は何者だ! スエディラを襲撃した賊の一人か!!」

 治安騎士達の慌てふためく様子を見て、腹を抱えて笑っていたウィズは、レオドルフの言葉を聞き、彼を見て、下から上までゆっくり舐め回すように視線を送ると一息、ふぅとため息をついた。
 そして、静かに呟き始める。

 「ああ、だから私はね。勇気ある者、恐れを知らぬ者が大嫌いなのですよ。一体、なんだと言うんですかねぇ? 不意打ちが卑怯? はぁ? はははっ、お前は知っているのかっていう話ですよ。不意打ちをされた後に、された者達の慌てようと、恐怖がどれだけ楽しいのかっていうのをねぇ?」

 「何をごちゃごちゃ言っている!? 貴様は何者だ!! 名を名乗れ!」

 「名を名乗れ!? くひゃははははははっ、いいですよ? 名乗りましょうか? くくく」

 「何が可笑しい!?」

 真剣に相手の動きを見ているレオドルフと、無警戒に笑いながら体を揺らしているウィズ。

 (いつでも斬れるはずなのに……なんだ、この重圧はっ……)

 今までに感じたことのない嫌な感覚に、レオドルフは神経を研ぎ澄ませ、目の前の敵に集中した。

 (なんでもいい。話しで時間を稼ぐ。こいつの相手は……私一人でやるんだ!)

 もはや、相手が一人で、一軍に匹敵する程の術者であるというのをレオドルフは見抜いていた。彼がその判断を下せたのは、いつも間近で賢者セウロ・フォレストを見ていたからであり、だからこそ彼は一人で戦うことを決意していた。
 腕のたつ魔術師相手に、多勢で挑んでも被害が増すばかりだ――かつて、セウロがそう言っていたのをレオドルフは覚えていた。

 「私はウィズ。魔術師ウィズ・サイラス。これでいいか? レオドルフとやら」

 「ウィズ・サイラス……貴様達は何故、スエディラを襲った!?」

 「貴様達? 私は一人だが?」

 「一人……だと?」

 (これだけの破壊を、一人でやったというのか……)

 目の前の男から感じる威圧感が、それを嘘ではないと物語っていた。
 ふとレオドルフは、ウィズが右手で抱えていた少年を見て言う。

 「……その少年は?」
 
 それが、自分のことだと感づいたラントは暴れ、大きく体を揺らして叫んだ。

 「騎士様っ! こいつはっ……村の皆を……父さんやっ……皆をっ!」

 そう伝えるのが精一杯だった。そして、少年ラントが、今まで堪えていた悲しみや怒り、そのすべてが突如、瓦解した。
 少年の願いは、せきを切って溢れ出す。

 「あああっ……騎士様……僕は、どうなってもいいっ……だから、こいつを……こいつだけはっ……!」

 命をかけて戦うと決めた少年は、必ず目の前の父の仇を自分の手で討つと、そう誓っていた。
 しかし、ほんの少し前、村の人々がウィズに虐殺されていく中で、ラントは理解した。自分では、この男から逃れることもできずに、ただ仲間達を見殺しにすることしかできないのだと。
 だから、ラントは託した。そのすべてを目の前の黄金の騎士へと。
 そして、レオドルフは、大剣をウィズへと向けて、誓った。

 「少年っ。私が必ず、君を助ける! だから……諦めるな!」

 「……っ」

 ――諦めるな――。
 レオドルフのその言葉にラントは、はっとして顔をあげた。いつの間にか涙は止まっていた。
 少年は気がついた。
 そうだ――無力であることと、何もせずに諦めることは大きく違うと。だから、自分にもまだできることがあるはずだ。
 そう思えたのは、レオドルフの強い意志を宿した眼にあてられたからか。
 ラントは、この戦いを最後まで見届けることを誓った。

 「少年を放せ!」

 レオドルフの言葉を、つまらなさそうに聴いていたウィズは、右手のラントをゴミでも捨てる様に、あっさりと放り投げた。

 「少年っ!」

 「大丈夫ですよ。かすり傷程度でしょう」

 ふぅ、とため息をついたウィズは、どこか沈んだ面持ちでレオドルフをへと言葉を発した。

 「いやぁ……それよりも、参りましたよ。やっと村の者すべて殺し尽くして、私へと恐怖を届ける役割を果たし終えたこの少年に、そんな風に希望を与えてしまうことができるなんてね……。私は、最後に、絶望と恐怖に震えながら死んでいく、その少年を見ようと、それはそれは、もう……楽しみにしていたのです。とっても、とっても、私は楽しみにしていたのでございますよ? なのに、なのになのにっなのになのになのにっなのにぃぃぃぃぃ!! なのに、何故、最後の最後でそれを、ぶち壊してくれやがりますですかああああ!!!」

 魔力がウィズ・サイラスの中で爆発的に増大していくのを、辺りの空気の重さから悟ったレオドルフは、後ろの兵達へと声をあげた。

 「できるだけ離れていろ! こいつは私一人で抑える!」

 「む、無茶ですっ、レオドルフ様っ! 魔術師相手に一人では……!」

 そう止める兵の声は、もう彼の耳には入ってはいなかった。ただ、目の前の敵へと剣を向けて、相手の出方をうかがっていた。

 (詠唱なしで火炎の魔法を放った……! 他の呪文も詠唱なしで唱えることができるのか!?)

 「なにをっ! 反抗的なっ! 眼を! しているのか! 貴様はぁぁ!! つまらんですよ! さっさと恐怖するのです! この私に! そうだ! お前が死ねば、今度こそ、あの少年は完全に壊れるでしょう! くひひゃひゃっ! そうだっ! 楽しみを後にとっておいたとでも、思えばいいでしょうっ! さあ――私、ウィズ・サイラスがあなたのお相手をしてあげましょうっ!」

 「……ふっ!」

 レオドルフは火炎の呪文を寸でのところで避けて、そのまま斬り伏せるつもりで、剣を水平に構えたまま、ウィズへと姿勢を低くして詰め寄った。
 熱が前方で圧縮され、焼ける様な熱気が、ウィズの黒い左手へと生まれくる。

 「死ねぇぇぇえええ!」

 どんと膨れ上がったそれは、まさしく闇の賢者セウロ・フォレストが得意とする魔法の一つ『紅蓮灼熱業火(フレムロード・タイド)』だと、レオドルフは理解した。

 (やはり、呪文の詠唱を必要としていない! しかし、賢者でさえ詠唱が必要であるはずの呪文を、どうしてこいつが……!)

 解せぬまま、レオドルフは読んでいた通りの軌道で飛んできた火炎を、体を反らして避け、『魂喰らいの剣』を地平線と平行に振るった。
 鎧の下にバラン以上の鋼の筋肉を持つレオドルフが、本気で踏み込み、しかも両手持ちで大剣を振るったならば、例え剣で受けたとしても、剣ごと体を真っ二つにされてしまうだろう。
 それ程の威力の剣を、ウィズは、難なくその左手で受け止めていた。

 「なっ……!?」

 「惜しかったねぇ? この左手は特別製でねぇ? 見たら分かるでございますでしょ? そんな、ちんけな剣じゃ傷一つつけられないんですよ」

 「その左手は……魔物の……デーモンの手か? どうやって……そんなものを……」

 「なんだ。頭まで筋肉の騎士かと思えば、意外と賢いんですねぇ。……そう、これは正真正銘、デーモンの手。そして、デーモンの爪は、そんじょそこらの剣など簡単に止めてしまえるんですよ。こうやってね、ちょっと力を加えれば、折ることなど……造作もないのですよっ!」

 「……」

 ギチギチとウィズのデーモンの左手が軋み、ばきばきと音を鳴らして、それはあっさりと砕け散った。

 「な、なにぃぃ!?」

 驚愕の声をあげたのは、ウィズ・サイラス。
 彼の言う通り、それは造作もなく折れた。
 しかし、折れたのは、ウィズ自身のデーモンの爪の方であった。

 「ふんっ!!」

 その好機を逃すまいと、レオドルフは大剣をウィズの心の臓へと突き立てた。

 「ごふぅっっ!」

 剣はウィズの胸を裂き、背を破り、激しい鮮血が柱となってレオドルフの顔に浴びせられた。
 僅かに揺らぎ、倒れこむウィズの体。

 「や、やった……!」

 声をあげたのは事の成り行きを見守っていたラント。
 魔術師の絶叫が辺りに響き渡る。

 「ぎぎゃああああああああ!! い、い、痛ぇでしょうがああ!! 痛いでございますでしょう!?」

 口から血をぼたぼたと溢れさせながら叫ぶウィズに、レオドルフは冷たく言い放つ。

 「悪いな。私のこの剣も特別製でな。……貴様は殺した人間に詫びながら、地獄で罪を償え」

 「ぐ、ううあ、あああっ……こ、この私がああ! ぐあああああ! ちくしょおおおおお!!」

 レオドルフはトドメとばかりに、胸に差し込んでいた剣を右回りへと捻じ込んで、息の根を止めるべく力を込めた。

 「くくく……なんちゃって」

 急にぴたりと絶叫を止め、ウィズはにやりと笑った。

 「……っ!」

 悪い予感がして、瞬間的に背後へと飛ぼうとしたレオドルフだったが、目の前に出現した火炎を避けることができずに、その全身で浴びた。

 「ぐおおおおっ!」

 「騎士様っ……!」

 思わず叫んだラントは、そのすべてを託した騎士が、父と同じ様に消えないでと、ただ一心に願った。
 焼ける様な灼熱の火炎球に、レオドルフの巨体は大きく弾き飛ばされて、地面をすべる様に転がっていく。
 その敵の無様な様子を見たウィズは、吹き出して、大きく体を揺らして笑って言った。

 「ははははっ! 残念でしたねぇ騎士様。……剣が折れなかったことは予想外でしたが、そちらも私の心臓を刺して、殺せなかったことには驚いたようですね。……って、もう死んでいるのですかね? きひひっ!」

 その生死を確認しようと、吹き飛んだレオドルフに近寄ろうとしたウィズを止めたのは、治安騎士達の声。

 「レオドルフ様をお守りしろ!」

 離れていろと言われはした治安騎士達だったが、勿論、大将を置いて逃げることなどできるはずもなく、近くで様子を見ていた彼らは、レオドルフの危機に一斉に戦場へと躍り出た。

 「やれやれ、ザコが……わらわらと、わらわらとぉぉぉぉ集まってきましたですねぇ!」

 「分散して攻撃すれば勝機はある!」

 そう言った一人の騎士の言葉を嘲笑うかの様に、ウィズは呪文を詠唱する。

 「生まれ来るは月夜の雫から……一滴の涙が恒星となり、煌き輝く陽よ、光の精霊よ、その力を今、滅爆させよ!!」

 (この魔法はっ……!?)

 セウロがよく唱えていた、聴きなれた火炎の魔法ではなかった。
 痛みに耐えながら何とか体を起こしたレオドルフは、悲痛に叫ぶ。

 「やめろ! 逃げるんだお前達っ!!」

 「砲撃光(リオン・スペリオ)!!」

 異なった爆音が重なり合い、ウィズの両手より、光弾と火炎球が出現した。
 分かれて、ウィズを一斉に攻撃しようとしていた治安騎士は、現れた二つの魔法に驚愕した。
 その光景を信じられず、ある者は馬を止めたが、しかし、もはやどちらにしろ避けようがなかった。
 光弾は直進して、数人の騎士をこの世から消し飛ばし、火炎球を受けた者は、レオドルフの様に吹き飛んだり、その身に炎を纏ってもがき苦しんだ。
 
 「ひひゃははははっ! 貴様らとは火力が違うんですよぉ! 火力がぁ! ははははっ!」

 「うう……ああ……」

 二つの術が炸裂した後に残ったのは、僅かに息がある騎士達のうめき声だけで、ウィズはその彼らへと、両手を向けて陰惨に笑みをこぼした。

 「さて、やはり鎧なんか着てる奴には、『紅蓮灼熱業火(フレムロード・タイド)』じゃあ一撃では殺しにくいですねぇ。……まあ、さっさとトドメをさしてあげますよぉ。ひゃあはははっ」

 「やめろ! 貴様の相手は私だ!」

 倒れる仲間達の前へと駆け、レオドルフは、ウィズの前へと立ち塞がった。

 「おっと、まだ生きてやがりましたですか。やはり、鎧なんか着ている奴には右手ですねぇ」

 「貴様のその魔法、なんとなく正体が掴めたぞ。……右手で放った魔法は、詠唱が必要だった。……つまり、左手の火炎はそのデーモンの力というわけだな」

 「くくく……ご名答ですねぇ。……その通り。月並みですが、冥土の土産というやつです。教えてさしあげましょう」

 「……」

 レオドルフの頭に、バランの力強い言葉が響いた。

 ――相手が油断し、勝利を確信している時にこそ、反撃の糸口がある――

 (分かっています。バラン様……。しかし、それでも、もし……届かないのであれば……)

 『魂喰らいの剣』を握る手に、力をこめてレオドルフは仲間を守るため、少年を助けるために、自分のすべてを賭けることを決意した。

 「……魔術師の弱点は詠唱中の隙です。それを無くすには魔族の力を得るのがてっとり早いんですよ。……まあ、デーモンなんて馬鹿の一つ覚えみたいに火炎の魔法しか使えませんが、それでも時間稼ぎには十分です。……というわけで、このウィズ・サイラスに隙はなく――しかも、デーモンの手を移植したことで、格段に魔力が上がりましてね。他の魔法の威力も、とっても上がったんですよ。あとは、そう……死に難くもなりましたしねぇ」

 (心臓を一突きにしたのに、死ななかったのはデーモンの耐久力を備えているからだというのか……? 馬鹿な……! それでは、こいつは一体どうすれば倒すことができる? もう一度、捨て身で……いや……奴の『砲撃光(リオン・スペリオ)』は、とてつもない威力だった……。おそらく、あれを生身で受ければ助かるまい)

 詠唱中に軌道を読み避けることはできるが、その間を埋める火炎の魔法が厄介で、そちらに気を取られれば『砲撃光(リオン・スペリオ)』を喰らってしまいかねない。
 魔法を使えないレオドルフにとって、ウィズはかなり相性の悪い相手であるのは確かだった。

 「んー? どうしますか? 相打ち覚悟で飛び込んできますか? いいですよーそれならば、先程みたいに、私に一太刀浴びせられるでしょう」

 「……」

 (そう……一つの手はそれだ。だが、心臓を刺しても死ななかった相手に……それで勝てるか?)

 「迷っているのですか? ひひひっ、どうして、こう……貴様の様な人間は、こんな風に絶対に死んでしまうような局面でも、そうやって冷静でいられるのでしょうねぇ? それは、生物として壊れていますよ? 恐怖は生物として、真っ当な感情なのですから。さあっ、今すぐ諦め、私に恐怖するのですよぉ!」

 「黙れ。私は貴様の様な、人の道を外れた輩には屈しない! そして、仲間を傷つけ、罪のない人々を殺した貴様を、絶対に許しはしないっ!」

 「許さないと……どうなるんですかねぇええ!! 教えていただけますですかああ!!」

 先に仕掛けたのはウィズだった。
 詠唱なしの火炎球を放ち、すぐさま『砲撃光(リオン・スペリオ)』の詠唱を開始する。
 致死の連携技にレオドルフは、剣を掲げ、そして声高らかに叫んだ。

 「――開放っっ『術式アルティマ』!!」 

 それは、呪文であっただろう。しかし、魔術師であるウィズにも聞き慣れない、セントフィード家のみに代々伝わる伝承の言葉だった。
 レオドルフ・セントフィードは紡ぐ――絶対に使用してはならないと言われた禁術の戒めを解く呪文を。
 まるで、その言霊に呼応する様に、レオドルフの剣が魔力を開放し、変形していく。

 「うおおおおっ!!」

 レオドルフの気合いを込めた叫びと共に、辺りに突風が巻き起こり、空気が帯電して気配を変える。
 バキバキッと音を鳴らし、剣の鞘部分が、まるで生き物のように蠢いて、やがてそれは獣の口のようなものを鞘の真ん中に出現させた。

 「……!?」

 『砲撃光(リオン・スペリオ)』を詠唱しながら、その様子を見ていたウィズは、レオドルフの剣から開放された、とてつもない魔力に背筋を凍らせて、眼を大きく見開いた。

 (なっ……なんですかぁ!? このとんでもない……魔力は!?)

 ウィズより放たれた火炎球が、レオドルフに迫り来るが、彼はそれを避けようともせずに、冷静に告げた。

 「今の私には、まだ貴様を倒すだけの力はない……。だから、使わせてもらうぞ! 『魂喰らいの剣』を!! 悪く思うなウィズ・サイラス!!」

 そのままレオドルフは剣を手前に構えると、まるでそこに吸い込まれていく様に、火炎球は消えて無くなった。
 ウィズは相手の凄まじい魔力と、わけも分からず一瞬で消された自分の魔法見て、激しく取り乱し、右手を掲げた。

 「馬鹿なっ! まだ、こっちがありますもんねぇぇ! 砲撃光(リオン・スペリオ)ぉぉぉぉ!!」

 デーモンの左手を移植したことにより、格段に威力を増したウィズの魔法は、まさに悪魔の砲撃。
 すべてを無に帰すその恒星の如き光弾を、キッと強く睨み、黄金の騎士はその剣に奔りだした雷と、風を全身に纏いながら、今にも暴発しそうな魔力を抑え込み、そして――。

 解き放つ、その言葉を叫んだ。

 「デス……ブリンガー!!!」

 レオドルフの目の前まで迫り来ていた恒星の光弾を、一瞬で飲み込む程の質量が、『魂喰らいの剣』より開放された。



 その威力は、ウィズの砲撃光(リオン・スペリオ)を遥かに凌ぎ、恒星を飲み込む流星となって、狂気の魔術師へと向けられた。

 「な、な、な……!? なんなのですかああああ!? これはああああああ!!!! ありえない! ありえないでございますよおおおおおおおおおおおお!!」

 剣の獣の口から放たれた衝撃波は、凄まじい勢いで、辺りを白と黒で明滅させて、大地と大気を揺るがし、爆音を奏でて奔っていく。
 それは、あの賢者セウロ・フォレストが、王都で放った最強の呪文『腐死霊帝王爆砲(クロウ・ギルバリオン)』を凌駕する程の威力で、こんな力をレオドルフが持っているなどとは、ウィズは全く思いもよらなかっただろう。

 「…………っ」

 自らの肉体が、消し飛ばされ、ぼろきれになっていく中で、ウィズ・サイラスは真の恐怖を感じて微笑んでいた。

 ああ――これが、本当に恐ろしいということ。
 ――これが、本当に怖いということ。
 ――他人を通して感じるよりも――

 「遥かにっっっ、うぅぅんっ、あ、あ、あ、かっ、感じるじゃありませんかぁぁぁ……! あ、あ、ああああああああ!!! ぬおおおおおっっっっ……!」
 
 人の恐怖に酔っていた悪魔は、真の恐怖を知り、そして、地獄へと堕ちた。
 その声が耳に届いていたわけではなかったが、レオドルフは消えていくウィズに向けて、言葉をかけた。

 「……恐怖は……はぁ……はぁ……人が、生きるために必要な感情で……貴様の様な楽しみ方をするものじゃ……ないっ」

 眩い光が柱となり、地平線の向こうへと走っていき、やがて地震かと思うほどの振動と轟音が響いた。それは、その魔力の流星が大地へと降り注いだ衝撃だった。
 剣から溢れ出る膨大な魔力は、ウィズ・サイラスを消し去った後も、しばらく消えることはなく、やがて流れる川の水が枯渇する様に途絶え、消えた。

 「はぁ……はぁ……。あ……が……はっ……」

 しばらく、荒い息でなんとか立っていたレオドルフだったが、急に視界が真っ白になったのを感じ――そのまま、意識を失った。

 「騎士……様?」
 
 大きく、ぐらついて後ろへと背中から倒れこんだレオドルフに、うずくまり、震えていたラントは立ち上がって駆け寄った。

 「騎士……様っ……!」

 「レオドルフ様っ……!」

 なんとか立てるまで回復した治安騎士数名も、同じく駆け寄って、意識を失ったレオドルフの傍に着いた。
 レオドルフは憔悴しきった顔で目を閉じて、完全に意識を失っていた。

 「こ、これは……」

 兵達には、それが絶対に使用してはならないと言われていた禁術を使った反動であるということは分からなかったが、それでも、すぐに医者か魔術師に見せなければならない状態だと判断した。

 「レオドルフ様を……早く王都へ! まだ、使える馬はあるか!?」

 そんな、バタバタと慌て始める兵達をよそに、ラントはレオドルフの横にひざまずいて、頭を下げて言った。

 「騎士様……ありがとうございます……僕の、お父さんの仇を……討ってくれて……本当に……」

 少年は、今度は涙を流さなかった。
 震え、うずくまってはいたが、ラントは父の仇がレオドルフの技に消される様を、その目にしっかりと焼きつけていた。
 いつか、自分も必ず――この人の様に、最後まで諦めずに立ち向かえるだけの強さを手に入れるんだ。
 ラントはレオドルフに、もう一度、礼を言った。

 「ありがとう……勇者様……」

 少年ラントにとって、レオドルフ・セントフィードは――世界を救った勇者グレンゼンの様に、眩く光り輝いて見えた。

 誰だって、勇者になれるんだ。
 諦めさえしなければ――。

 この、少年の心を、世界を諦めかけているヴェイン・アズベルシアに見せることができるならば。

 あるいは――。

 しかし、それは――交わらぬ時の、瑣末な残滓の願いに過ぎなかった。










 





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