◆文章の表示方法の切り替え◆

改行なし
/改行あり

※実際の小説のようにセリフの後に空行がない方がいいという方は、そのままお読みください。
字が詰まっていてモニタで読むには疲れる、という方は『改行あり』に切り替えてお読みください。


 *改行ありVer*

 第1幕.『なんのために剣を』 (約二万二千文字) 

縦書きで読みたい方はこちらのテキストファイルをダウンロードして、縦書きビューワなどでお読みください↓


◆第1幕〜第10幕・縦書き用テキストファイル


◆第1幕〜第10幕・縦書き用テキストファイル(smoopy用挿絵jpg画像入り)



テキストファイルは圧縮していますので解凍してください。
中のテキストとjpg画像はディレクトリ変えないで読み込んでください。

 第2幕.『時の征服者はそうして消えた』 (約二万三千文字)

 第3幕.『初めての友達』 (約一万六千文字)

 第4幕.『魂の穢された日』 (約二万四千文字)

 第5幕.『瞳の奥の夜叉』(約二万千文字)

 第6幕.『その記憶の残滓は願う』(約二万四千文字)

 第7幕.『魔人達の宴』(約二万三千文字)

 第8幕.『諦めぬ人間は愚者か否か』(約二万五千文字)

 第9幕.『王都決戦』(約二万四千文字)

 第10幕.『世界の終わりのはじまり』(約四万ニ千文字)
















 第7幕.『魔人達の宴』











*******************






 「先生」

 シフィの薄い桃色の唇が微かに動いたのをイザナは、ぼんやりと眺めていた。
 その光景を目にしているはずの彼は、何故か自分の名が呼ばれたことには気がつかず、ただベッドで横になっているシフィの頭を優しい手付けで撫で上げていた。
 感情のない表情は、心ここにあらずといった感じで、現に今のイザナは思考が停止している様な状態に陥っていた。

 「イザナ先生」

 もう一度、シフィの唇が揺れ動き、そこで初めてイザナは辺りをはっとして見渡した。
 視線を巡らすと、いつものごちゃごちゃとした自分の部屋が目に入るだけで、特別なものは何もない。
 神経質なイザナが、きちんと整理整頓はしてはいるため清潔感はあるのだが、本や魔術器具、そして用途の分からない代物などが部屋の許容量を越え、ごたごたと溢れかえっているため、汚い部屋という印象になってしまっている。
 それも、いつものことだ。
 だが――違う。
 いつもとは違う違和感をイザナは、手の平の熱い感触で思いだした。

 「シフィ、まだ熱があるようですね。……かなり熱いですが頭はボーっとしていますか?」

 「ううん、大丈夫」

 「少し冷やしましょうか」

 イザナはベッドの横にあった、水の入った桶に手拭を浸そうとして、それを探すが見当たらず、足元や背後に視線を巡らす。

 「先生……左手に……」

 「……あ」

 シフィの視線の先、自分の左手にしっかりと握られた手拭を見つけたイザナは、それを水桶へと浸してから十分に搾り、シフィの頭へと置いてやる。

 「すいません。少しボーっとしてました」

 言っている傍からイザナの視線は定まらず、シフィの頭に置いた手拭さえも少しずれて彼女の片目を覆って置かれている。
 どう見ても、本調子ではないイザナの様子にシフィは、ぷっと吹きだして笑う。

 「あはは。先生の方がボーっとしてるみたい」

 「はは。そうですね。すいません、少し疲れているみたいです」

 言いながら、シフィの顔のずれた手拭の位置を正す。

 「先生、昨日から私の看病で寝てないんじゃないですか? 少し眠った方が……」

 「大丈夫」

 そう言い、立ち上がったイザナには今はやらなければならないことがあった。
 そう、眠ってなどいられない。
 ここは国より貸し与えられたイザナが一人暮らしをしている部屋。そこにシフィの姿はあるが、勿論ヴェインの姿はない。
 彼は今、王城の牢に幽閉されている。
 ヴェインは治安騎士を含めた、五人以上の人間を殺めてしまった――イザナがそれを知ったのは事件の翌日だった。
 彼の後見人の様な存在にあたるイザナは城に呼び出され、事の成り行きを聞かされた。
 始めはとても信じられずにただ愕然とするばかりだったが、それが『時の賢者』を継いだせいで起こった事故であると知ると、すべて納得することができた。
 おそらくシフィに――しでかしてしまったことさえ、『時の賢者』継承による反動と暴走なのだと、イザナはヴェインが人を殺しているのを一瞬忘れ、密かに安堵さえしていた。

 (しかし……)

 問題なのは、これからである。
 一般人の知り及ぶところではないが、魔術師であるイザナには、いや魔術師でなくともある程度の国の役職に就く者達には、『時の賢者』の壮絶さは周知の事実であり、ジルフやその先代達がどのように生きてきたのかを知っているが故に、それを身内のヴェインに課すことなど、誰よりも彼とシフィを思いやるイザナには到底、無理なことであった。
 だから彼は立ち上がった。背後で僅かに荒いシフィの息遣いを感じながら。
 そして、昨日から何度目になるかも分からぬ同じ言葉を、シフィは呟いた。

 「お兄ちゃん……今日は帰ってくるかなぁ……」

 「……っ」

 イザナの固くつくんだ口は、言葉を発することができない。
 いつからだろう。それは、数日前からだったか――シフィが高熱にうかされて、ここを自分の家だと勘違いし始めているのは。

 「今日は、まだ帰ってこられるか分かりません」

 そう告げるイザナにシフィは残念そうに、目を瞑り言う。

 「そっかぁ……私……お兄ちゃんに謝らないといけないのに……」

 「……な……にを。シフィが一体、何を……謝ると言うのですか?」

 問うイザナの唇は震えていた。
 絶対に、そのことには触れないようにと意識していたイザナの脳裏に、失策という文字が浮かんだ。
 あの晩のことはシフィに思い出させてはいけない。だというのに自分は何故、聞いてしまったのだ。
 激しい後悔がイザナを襲ったが、それと同時にシフィの胸の内を確認したいという、あまりにも残酷な思いが彼の中で同居していた。
 何故、シフィは兄に会いたがっているのか……確認せずにはいられなかった。

 ――数日前、イザナがヴェイン達の部屋を訪れた時、そこで見たもの、それはあまりにひどい状態のシフィの姿だった。
 イザナは目を見開いて、思わず声をあげそうになったが、始め近寄ることができなかった。
 ただ、現実から、その思いやりのかけらもない冷酷な有り様から、目を背けたかった。
 美しい艶のある髪は乱れてべったりとその白過ぎる顔に張りつき、無理矢理に引き裂かれたかの様なただの布切れになってしまった衣服を纏い、荒れたベッドに横たわっていたのは、まぎれもなくシフィだった。

 「シフィっ!」

 そう叫んで駆け寄ることができるまでに、彼は一体どれ程の時間を要しただろうか。
 なんとか震える足に鞭を打ち、シフィの体に手をあてたイザナは、その理不尽過ぎる暴力の生々しい痕を目にして、絶句した。
 冷えきった体に、死人の様に紫になった唇、いくつもの青い痣が首や腕に執拗に残され、さらに散らされた証拠とも言える赤い痕が無情にもベッドに刻まれる様に――まるで見せつける様に滲んでいた。

 「――――――」

 イザナは喉の奥底から、ぶちまける様に全身のエネルギーを絞りつくす程の質量をもってして叫んだ。
 こんなことがあってたまるのか――。
 何よりも儚く。
 何よりも優しく。
 何よりも愛を知り。
 何よりも幸せになるべきで。
 何よりも理不尽にすべてを奪われて。
 何よりも愛されるべきで。
 何よりも可愛らしく。
 何よりも大事にされるべきで。
 何よりも世の暗闇から遠ざけなければいけない。
 そんな少女であるはずの。

 その、シフィが、穢されるようなことなど、あって、たまるのか。

 「――っ、――っ」

 呼吸荒く、世の理不尽な暴力のすべてに恐怖し、体を震わせるイザナを次に襲ったのは、その身には過度な溢れ尽くす程の『憎しみ』であった。
 この様な理不尽なことは、すべて滅されなければならない。
 心の底からその悪意に対して、邪悪とも言える程にイザナは、全身全霊の悪意をもってして対処しようと決意した。
 恨み、憎しみを背負い復讐してやると――握りこぶしを作り、彼女をこんな目に遭わせた者を八つ裂きにしてやる、そう心で誓いをたてた。
 まさに、その時。

 「せ……んせ……」

 「シフィ……」

 いつの間にか流していた涙が、彼女の白過ぎる顔に雫となって落ちる。
 それをシフィはゆっくりと指で撫でて、どこかボンヤリした顔で言った。

 「暖かいね先生の涙」

 「あ……」

 たまらずに抱きしめていた。
 そのシフィの完全に冷えきった体は、それでもイザナにとっては、かけがえのない暖かい炎――自分が生きるために、心の暖をとるために必要な、かがり火とも言える大切な存在なのだ。

 「先生、お兄ちゃんは……?」

 「そうだっ……ヴェインは!?」

 イザナは、はっとなって荒れた部屋の中を見渡した。
 そこにヴェインの姿はなく、代わりに床には前日の雨に濡れた靴で侵入した者の足跡が滲んで残っていた。
 シフィを襲ったのは、こいつ――!
 そしてヴェインはどこへ――?
 その二つの思考で埋め尽くされたイザナの頭の中に、強烈な矢の様な言葉が打ち込まれる。

 「お兄ちゃん、私に優しく……してくれなかった」

 ぎょっとして、シフィが下腹部をいたわる様に擦っているその姿を見たイザナは、眩暈を感じて頭を振った。
 なんと、今、彼女はなんと言ったのだ。
 まさか、そんなことが……ありえるはずが――ない。
 シフィの仕草から感じた予感を、イザナは頭の中から消し去りたかった。
 そして、その予感を確認することが躊躇われる中で、それでも押し寄せてくる不安な心が聞かずにはいられなかった。

 「シフィ。あなたをこんな目に遭わせたのは……」

 知らない男だと、どれ程言って欲しかっただろうか。
 それでも、どこか顔を赤くさえして、シフィは困ったように言ったのだ。
 その時、イザナの中のかがり火が一つ消えた。

 そして数日後の今――。
 彼はシフィに背を向けたまま問うていた。

 「……な……にを。シフィが一体、何を……謝ると言うのですか?」

 聞いてはならない様な気がした。
 おそらくヴェインは正気ではなかっただろう。しかし、今やこの兄弟の絆は断ち切られているはずで、だから事情を知らぬはずのシフィが兄を恨むことも至極当然の、真っ当な感情なのだ。
 だから、決して――。
 
 「私、お兄ちゃんに怖いとか言ったり、泣いちゃったり……たくさんしちゃって……きっと、お兄ちゃん……傷ついてると……思うから」

 ――彼女は、シフィは許されてはならないはずの行為を、許してさえしまえるのではないか。それを危惧したイザナは、やはり聞いてはならなかったと固く目を瞑った。
 そして、音が出る程の勢いで振り返り、

 「あなたはっ……」

 思わず語気が荒くなってしまったイザナは一度、言葉を止めてから、ふぅーと息を吐いてなんとか平静を保つ。
 今のシフィに対して責めたてる様な口調で、言葉を発するという愚を犯しそうになった自分を恥じ、そして彼は静かに言った。

 「ヴェインのしたことを……許してしまうというのですか?」

 「……私は……怖かった。……あんなお兄ちゃん……見たことがなかったから……」

 おそらく高熱でしっかりと思考力が働いていないのだろう。
 虚ろな目をして言うシフィの言葉は、それだけに心の奥底の本音であるのだとイザナは感じていた。

 「でも……私……嫌じゃ、なかった……お兄ちゃんに、なら……。それにお兄ちゃん、なんだか、辛そうで……苦しそうだったから……私、心配……なの」

 「シフィ……」

 すべてを許してしまうこと。
 それはこの世の中で最も高尚な愛の形ではないのだろうか。
 家族や、身内、共に育ち生きてきた者がもし犯罪を犯してしまったとしても、そこですぐに繋がりを絶てる者など、むしろ少ないのではないだろうか。
 自分の家族なら何をしても無条件に許し、包み込み、諭そうと――それこそが、しかしそれは――。
 すでに何人も殺してしまっているので幸いというべきかどうかは疑問だが、それでもあの時のヴェインが正気でなかったことは、この後の二人にとって関係を修復するには都合が良く、唯一の鍵となるだろうとイザナは思っていた。
 『ヴェインはあの時、正気ではなかった』
 理由が理由だけに賢者の話はシフィにはできないかもしれないが、それでもそのことを伝えたならば、きっとシフィは最愛の兄を許せるはずだ――しかし、イザナのその期待はむしろ彼には納得しがたい形で、すでに成し遂げられていた。
 シフィはとっくに、もしかしたらあの晩、行為が行われているその瞬間から、すでに兄を許していた。

 「シフィ……あなたは、なんて……」

 なんて存在なのだ。
 その少女の中に無償の愛を見たイザナは、自身の穢れきった魂がその目の前の存在に救われている様な気がして――いや、救われている――思わずベッドの前でひざまずいた。
 そして、真っ直ぐシフィを見たイザナの目には、もう復讐の心などなく、いつもの彼に戻っていた。

 「シフィ。ヴェインに会いたいのですか?」

 「……うん、会いたい。……お兄ちゃん……お兄ちゃんに会いたい……」
 
 それが彼女の願いと言うならば。
 イザナは迷いを感じさせない動作で、すっくと立ち上がった。
 
 「分かりましたシフィ。私が、ヴェインを連れて帰ってきます。ですから……少し待っていてくれませんか?」

 「うん……私、待ってる」

 そう反芻する様に頷いて言ったシフィの頭を撫でたイナザは、再度彼女に背を向けた。
 しかし、今度はもう振り返ることはなく、決意をこめた眼で部屋を後にした。

 後ろ手にばたんと閉めたドアの前で、虚空を見つめたまま無表情で固まっているイザナは思う。

 (会わせる? 会わせるだって? 完全に隔離の状態にあるヴェインにどうやって? 王に……いや、バラン様あたりに頼み込むしかないでしょうか)

 しかし、たとえバランに頼んでもヴェインに会うことは難しいのではないか。
 少し考えてイザナは、事の難解さをひしひしと痛感していた。
 『時の賢者』にとって、最も大事なのは『始め』なのだ。
 混乱し、どうしようもない絶望を背負ったジルフは、あれでも当初の頃に比べると大分とマシになったと聞く。それは、他の賢者達と会ったり、様々な療法で彼の心の中の不安や絶望を消そうとしたからだという。
 他国はそれをシルドリアの洗脳だと非難するが、それは『時の賢者』の事情を知らぬが故だ。
 おそらくヴェインは城で『治療』を受けている。それが、彼にとって良いことなのかどうかは分からないが、それでもこれから生きていく上では仕方のないことだ。
 しかし、だからこそ今ヴェインをシフィに会わせなくてはいけないと、イザナはそう確信していた。
 今のヴェインは……シフィに嫌われてしまったと絶望している。
 それはヴェインにとっては、なによりも耐え難い現実だ。故にこのまま時が過ぎ去ってはいけない。
 シフィがすでにヴェインを受け入れ、許しているのだという、その情報こそが、彼にっとって何よりの『治療』になるはずなのだから。
 どんな『治療』よりも、妹との絆がまだ健在だということの方が彼にっては、生きるにたる動機になり、絶望に沈みゆく心を救えるに違いない。

 (必ず……二人を会わせてみせます。それが……それが私のしなければいけないことなのですから……)

 シフィの病気を治すために、王都の魔術師となったイザナ。
 二人を養うために、王都で教鞭を執った。
 イザナにとって二人にしてやれることが、人生のすべてだったのだ。
 ヴェインがいつか思った無償の愛というやつは、確かに真にイザナの中に存在していた。
 その愛が生まれた発端――過去は彼の胸の内に深く仕舞い隠されて、決して二人に知られてはならないのだが、それでも理由がどうであれ、無償の愛を捧げる彼は本物の聖人だろう。

 だから彼は、二人を救うために手段を選ぶはずはなかった。






*******************





 「うおーい」

 生き物が蠢き、獣達の息遣いさえ傍に感じられる様な生命溢れる森に響き渡ったのは、低く野太い男の声だった。
 男は声をあげながら、無警戒に早足で森の奥へと進んでいく。
 ぎらぎらとした野性的な眼で辺りを見渡して、木陰から自分を狙う獣達を威圧しながら、男は再度声を発した。

 「旦那よーいっ」

 木々が揺れる程の声量に鳥や小動物が驚き、その場から慌てふためき逃げていく。
 
 「なんでい、どこにいやがんだよ」

 ばりばりと顎の髭を音をたてて掻きむしったその男は、一見して旅人にも見えなくはないが、その厳つい顔が彼を普通の人間には見せなかった。
 その大柄な体と、はち切れそうな太過ぎる両椀を始め、男の肉体はどう見ても武を極めんとする武道家そのものだった。
 事実、男は旅の武道家の様なものだった。

 「ふー」

 面倒臭そうに溜息を吐きながら、またすぐに藪の中を進もうと歩き出した。
 瞬間、彼の巨体が禍々しく冷たい殺気を感知し、大きく身震いする。

 「……とっ!」

 すぐに背後のただならぬ気配から逃れるべく、振り向きざまに横合いへと跳躍した。
 どすどすと鈍い音がして、今まで男がいた場所に数本のナイフが閃いて地面に突き刺さる。
 ぽかーんと大口を開けて青い顔をした男は、血の気が引いていくのを感じはしたが、すぐに全神経を集中させて辺りを警戒する。
 ぴんと張り詰めた自身の感覚が辺りの気配を察知し、一瞬で自分以外の人間が近くにいるのを知覚した。

 「上かっ!」
  
 男が気配に気がついて、言葉と共に送った視線の先。
 木の上で白き夜叉――ディールが、無表情に下を眺めながら音もなく佇んでいた。
 大男は構えを解いて、苦笑いで言葉をかける。

 「……旦那、相変わらずなご挨拶だな」

 「貴様は相変わらず反応速度が鈍いな。何度言ったら、もっと警戒心を強く持てるのだ?」

 しゅんと風を切りながら一足で飛び降りたディールは、大男の前まで歩くと、短く告げる。

 「仕事だ。ヴィンセント」

 待ってましたと言わんばかりに、にやりと口元を歪ませたヴィンセントと呼ばれた男は応える。

 「おうっ。そう聞いたから来たんだぜ旦那。……しかし、なんでこんな森の中で待ち合わせなんだ?」

 「少し事情がある。厄介な魔法をかけられてな。王都に近寄れん」

 忌々しそうに吐き捨てたディールに、魔法の知識が毛ほどもないヴィンセントは小首を傾げた。
 そして、すぐに頭を切り替えて目を輝かせた少年の様に言った。

 「で、俺の相手は誰なんだ? どいつと本気でやり合えるんだ?」

 「変わらんな。……貴様の頭の中には、やはりそれしかない」

 「がっはっは! 当然、戦以外のことなんか考えても意味がねぇでしょ。……で、旦那。俺の相手は?」

 「そう急くな。場合によるが……王都の治安騎士。もしくは闇の賢者、または両方だ」

 「はぁ!?」

 素っ頓狂な声をあげた大男はしばらく無言になり、そして――肩を揺らして大声で笑い出した。

 「ぶはははははっ! そいつぁいい! そりゃあ死にに行くようなもんだ! 王都に乗り込もうってのかい!! がははっ、こりゃあ傑作だっ」

 腹を抱えて大袈裟に笑っているヴィンセントと呼ばれた男に、ディールは笑みを浮かべて言った。

 「やけに嬉しそうだな」

 「あたりめぇじゃねぇですかい!! 戦は戦でも、俺ぁ特に負け戦が大好きなんだ! ……いいぜ、いいぜ、いいぜ! 久々の大仕事だ……!」

 武者震いで体をぶるぶると大きく震わせて、ヴィンセントは興奮気味に右の拳を掲げて猛る。

 「こいつでぶん殴ったら闇の賢者様もお陀仏ってなもんよっ」

 「当てる事ができればな。お前の攻撃は隙が大きい」

 「む……」

 ディールの冷静な言葉に水を指されたヴィンセントは少し冷静さを取り戻し、思い出した様に尋ねる。

 「それで……どうして、王都の連中とやり合うんですかい?」

 「なんだ気になるのか? ヴィンセント・ノマアール。お前は戦えればそれで良いのだろう? 難敵との生と死ぎりぎりのやりとりが好きで好きで仕方のない戦闘狂――それが、お前ではなかったのか?」

 「……へへへ。ディールの旦那さすがによく分かってら。だがよ……さすがの俺も、相手が賢者やあの雷神のバランってくらぁ、理由くらいは知っておきたいと思うぜ?」

 「それもそうだな。……まあ、兼ねてからの望みとなる例の物を手に入れるためだ」

 ディールのその言葉を聞いたヴィンセントは、かっと目を見開き、次にすぐに目を閉じて今度は脱力して大きく息を吐いた。

 「今日は驚かされてばっかりだぜ……。そうですかい、ついにアレの在りかを探し当てたんですかい」

 そう言ったヴィンセントがどこか少しばかり寂しそうに見え、それを不思議に思ったディールは問う。

 「気に入らんか?」

 「いや……俺は旦那にアレを手に入れてもらいたいと思ってるんですがね。あんたの願いは、あんたに生きる理由を貰った俺達全員の願いでもあるしな。……ただ……」

 「ただ……なんだ?」

 急に気持ちを落ち着け真摯な目を向けるヴィンセントは、己の恩人に哀れみとも言える感情を抱いていた。
 家族、友人、故郷――ヴィンセント・ノマアールは、戦争でそのすべてを失った。
 ある領地で武を極め、戦では常に先陣で戦い連戦連勝の勇敢な戦士であった彼も、国を失えばあとは堕ちるだけ。
 落ちぶれ逃れているうちにその高潔な精神さえも失ってしまっていた。
 そうしてヴィンセントはただ破壊の限りを尽くす悪党に成り下がり、連日連夜奪い殺し周ったあげく、その道程で同じ修羅の道を行くディールと出会った。
 無謀にも白き夜叉に戦いを挑んだ彼は、あっさり返り討ちに合い――そしてディールに認められ、忠誠を誓ったのだ。

 (旦那がアレを手に入れたら……旦那は……)

 「いや……なんでもねぇや」

 ディールに伝えたかった言葉を飲み込んだヴィンセントは、柄にもなく感傷的な自分を心の中で笑った。
 追求されるだろうかと思った彼だったが、目の前のディールがすでに別の所へと気を向けていることに気がついた。
 何かを察知して、目を細め森の中を楽しそうに見渡している。

 「おっ」

 同様にヴィンセントも気がついて声をあげた。
 流れる空気の中に僅かに混ざった薄暗い感情と違和感を、久しぶりに感じる同胞の『匂い』を二人は確かに感じていた。
 そして。

 「血の臭い……来たか」

 にやりと笑ったディールの声に応える様にその違和感が増大し、不吉を孕んだ風が森の中をびゅうと吹き抜けた。
 びしびしと肌に突き刺さるような殺気を受け、ヴィンセントは喜々として猛々しく吠える。

 「がはははっ! こんなに殺気丸出しでくるたぁ……この俺を挑発してんのかぁ?」

 「あはは。嫌ですよヴィンセントさん。あなたの様な面倒臭い人と戦いたい人なんて、ここにはいませんから」

 「全く同感だ」
 
 言いながら、がさがさと木々を揺らし現れたのは、二人の男だった。
 一人は栗色の毛をした爽やかな青年。
 もう一人は陰気な気配を感じさせる魔術師。
 それは常人には感じ取れる様な感覚ではなかったが、確かにその現れた二人は不吉の元凶の様な風を纏っていた。
 二人は、ディール達に向かい合うように並んだ。
 ヴィンセントを小馬鹿にした台詞を吐いたのは、爽やかな笑顔で笑う青年の方。彼の風貌はいたって普通――だが左目の下の縦に二つ並んだホクロが印象的な、とても綺麗な顔立ちの美形だった。
 美男と言っても差し支えなかったが、その美しさに反して彼の放つ殺気は異常を極めていた。

 「リー・ホラン。てめぇ相変わらず優男だな。そんでもって、この鼻が曲がりそうな血の臭いどうにかなんねぇのか?」

 その青年をリー・ホランと呼んだヴェインセントは、先程の言葉の仕返しとばかりに鼻で笑って言った。
 しかし、リーはその言葉に大きく吹きだした。

 「あははっ。匂いますか? やだなぁ。ちょっとそこで何人か殺してきたんでね。いや、でも血の臭いなんかまだ良い香りじゃないですか? 僕はヴィンセントさんの汗の臭いの方がよっぽどヤだなぁー。……っていうかヴィンセントさん、ちゃんとお風呂入ってます?」

 「なっ、なにおぅ!?」

 「だって、この距離で臭ってきますよ。僕、不潔な人は殺したくなっちゃうんで、しっかり清潔にしてくださいね」

 「ぬぬぬっ……! 相変わらずムカつく野郎だ。てめぇ、今ここで勝負つけてやらぁ!!」

 今にも掴みかかりそうな程に顔を真っ赤にして怒るヴィンセントと、それを見てむしろ楽しんでいるリー・ホラン。
 隣で佇んでいるもう一人の眼鏡をかけた長身の男が口を開く。

 「やめろリー。馬鹿に関わると、お前まで汗臭くなった上に脳が筋肉になるぞ」

 「あはは。そうですねウィズさん」

 「なんだと! ウィズてめぇもう一度言ってみろ!」

 ウィズと呼ばれた男はヴィンセントの言葉など聞こえていないかの様に、ディールの前まで歩み寄り、恭しく頭を下げた。
 その様な気品溢れた所作や、小奇麗な魔術師の服がウィズという男を王城で魔術師をやっていてもおかしくはない程に、利発で良くできた人間に見させたが、彼の切れ長の眼もやはりどこかディールや、リーと同じく普通の人間が絶対的に持ち得ない修羅の気を感じさせた。
 ウィズは頭を上げ、女性的なさらさらと流れる髪を神経質な仕草で後ろにかき上げ言う。

 「ただいま到着しました。ディール様」

 「よく来たなウィズ・サイラス。リー・ホラン。道中、王都の騎士共と出くわさなかったか?」

 「いえ」

 応えたウィズ・サイラスと呼ばれた男は、隣の二つホクロの青年リー・ホランに「お前は見たか?」と尋ね、彼はそれにのほほんとした笑顔で首を振った。

 「追われているのですか?」

 「ゼスはどうした?」

 問うウィズの言葉には答えず、ディールは質問を質問で返した。

 「俺なら来ているぞディール」

 瞬間、森の中に一つの気配が生まれた。
 勿論、言葉を発したのはその場の誰でもなく、今の今までその存在を察知できなかったヴィンセントは、大きく体を震わせて驚きの声をあげた。

 「うおっ……」

 「驚き過ぎですってー。あはは。しゅっぎょーぶそくだなぁヴィンセントさんはー」

 そう言いながらくすくす笑うリー・ホランに、「うるせっ」と返したヴィンセントだったが内心、気が気ではなかった。

 (ちっ……! なんて野郎だっ……)

 確かに気配を察知する能力に関してはこの中では断トツでビリのヴィンセントではあったが、相手が言葉を発するその瞬間まで感知することができなかったなんてことは初めてのことだった。
 声の主はヴィンセントの真後ろの木陰から現れ、リーとウィズの横を通り過ぎ、ディールの前まで歩み寄った。
 
 「久しぶりだなゼス。……かなり、腕を上げたようだ」

 「お褒めに預かり光栄……とでも言えばいいか?」

 ゼスと呼ばれた男は、腰まである黒髪を馬の尾の様に揺らし、漆黒に煌く甲冑に身を包んでいた。
 その、磨きぬかれた鏡の様な黒い鎧と、首に巻いた大きなマントは墨を垂らした様に黒一色。緑に溢れたこの森の中で、それらは異質な程にくっきり浮かび上がって見えた。
 さらに浮かびあがっていたのはそこだけ色の違う顔で、ゼスと呼ばれた男は整った顔をしていたが、どこか疲弊した表情で、眉間から左頬には弧を描いた古傷があり、その両眼は場の誰よりも鋭く世界を睨みつけていた。
 眼に宿るは尊敬でも、敬愛でもなく、ただの憎しみだけ――それはすべて目の前のディールに向けられている様に見えた。
 恨みのこもった様な目で自分を見る男に、ディールは思わず感嘆の言葉をもらした。

 「ほぅ。ますます魔力を上げたようだなゼス。……ダークナイトとしての資質はやはり俺の見立て通りだったというわけだ」

 「そのようだ。……今なら貴様の首も取れるだろうディールよ」

 「なんだ、この俺を恨んでいるのかゼス?」

 意地の悪い表情でディールは自身の加虐心が、疲弊したゼスを見る度にくすぐられているのを感じながら、目の前の彼に言葉を向けた。
 そんなディールの思惑に気がつかずに、自制心の枷が今にも外れてしまいそうな程に、ゼスの心は恨みで暴走を始める。

 「貴様っ……俺をこのような目に遭わせておいて……! 恨んでいるのかだと!? ……貴様は、この俺が……どれだけの……!」

 「人間を殺したか……か? ダークナイトとしての道程は険しかったようだなゼスよ。……しかし、自身の最も大切なモノを手にかけ、魔道に堕ちなければ極められぬその剣はお前にはうってつけだ。……お前の様な卑怯者にはな。くくく……」

 ディールの言葉にゼスの呼吸は次第に荒くなり、ぶるぶると震える手が腰の大剣へと伸びる。
 そんな彼の様子に構うことなく、白き夜叉はゼスの心に楔を打ちつけるかの様に言葉を続ける。

 「誰にも負けぬ力が欲しいと言ったのは貴様だぞゼス。恋人を殺し、家族を殺し、知人を殺し、他人を殺し、そして最後に己を殺し、魔と契約を結んで力を得るダークナイトの道を選んだのは他でもない……貴様ではないのか?」

 「ディール!!!」

 しゅんと空気を斬って黒い騎士より抜き放たれた剣はやはり黒く、その大剣の切っ先は契約を交わした主へと向けられた。
 ディールは陰惨な笑みを浮かべ、口元を斜めに吊り上げて言った。

 「なんだ俺を斬るのかゼス? 『己の中の本当に大切なモノ』をすべて失う代わりに大量の魔力と力を得る古代の禁呪をかけた俺を斬れば、お前のその力は無くなってしまうぞ? それだけではない。禁呪の契約に反したその行動で、蓄積していた魔力はお前に跳ね返り、その身を滅ぼすだろう。……なに、誇ることだゼスよ。お前の様にすべてを捧げて犠牲にし、力を得られる人間などそうはいないのだから」

 「ぐっ……う、ううっ……」

 どしんと大きな音をたて、地面に刺さった黒き大剣は、彼の心が折れたことを示していた。
 もう一度ディールへと剣を向けることはゼスにはできないだろう。
 それは、そこにいる誰もがそう思っていた。
 誰もディールには逆らえない。

 ある者は恩を感じ、敬愛し。
 ある者は、その狂気に惹かれ。
 ある者は、力を欲し。
 ある者はただ快楽のために彼に付き従う。

 故にディールは、彼らにとっては絶対的な存在で、神であり悪魔であったのだ。
 世界から消え失せたはずの古代の禁呪をいくつも自由に扱い、賢者すらもその手にかけることができたこの夜叉が何者なのか。
 それはこの同胞――下僕――達も知る由はなかった。

 かつて、民からも慕われた蛮勇ヴィンセント・ノマアールは、今や戦いでしか心を埋められず。単なる羊飼いの少年だったリー・ホランは、自身の狂気をディールによって目覚めさせられ狼となり、ウィズ・サイラスは元より快楽殺人者で、バルトゥークの国で名を馳せた聖騎士ゼス・ジールレイルは、漆黒に彩られ闇へと堕ちた哀れなダークナイト。

 そんな彼らをまた死地へと誘うべく、ディールは当たり前の様に言った。

 「では、仕事にかかろうか」

 夜叉のその一声で始まるのだ。
 魔人達の宴が。







*******************






 「どうしてヴェインに会わせてくれないのですか!?」

 玉座の間の固く閉ざされた大扉の前で、普段ならば決して大声などあげるはずもない人物の切迫した声が響いていた。
 眉間に皺を寄せ、懇願する様な表情ですがりついたイザナは、自分が最も信頼を寄せている人間に頼み込んでいた。

 「お願いしますバラン様。どうしても、会わなければならないのです……!」

 「しかしだな……。知っているだろうイザナ殿も『時の賢者』の特異性は」

 「そんなことはどうでもいいのです!!」

 ぴしゃりと雷が落ちる様に怒鳴りつけられた雷神の二つ名を持つバラン・ガラノフ・ド・ピエールは、思わずたじろいで言葉を飲み込んだ。
 いつも落ち着き払っているイザナからは想像ができないその姿に、城内の誰もが不思議がって一体何事だと不審な目を向けていた。
 イザナにくってかかる様に怒鳴りつけられたバランは申し訳なさそうに頭を下げた。

 「すまない。イザナ殿。……我輩もヴェインの後見人であるキミには、彼に会ってもらいたいのだがね……。ジンジャライ殿が今は誰にも会わせるなと」

 「バラン様……あなたなら分かってくれるはずですっ。ヴェインの妹のシフィが……彼女が兄に会いたがっています。……彼女は病気なのです。今、兄に会わなければ……彼女はもたないかもしれないのですっ」

 彼女はもたない――そう言ったイザナの言葉は嘘ではなく本心だった。
 シフィの病に、さして変化はない。しかし、あの夜から彼女はほとんど食事を摂っていなかった。
 ただ、「お兄ちゃんと……一緒に食べたいな」と繰り返すばかりで、イザナの作った食事に手をつけないのだ。
 食事を摂らないこともそうだが、イザナの懸念はそれだけではない。
 シフィは熱に浮かされて今の部屋を自分の部屋だと間違えているし、その他にもいくつか言動にも妙な点がある。
 今までこんなことはなかった。だからこそ、イザナはシフィの病状にさえ変化はなかったが――どこか彼女の様子に、一刻の猶予もならない気がしていた。

 「お願いしますバラン様……」

 「……」

 瞳に涙を溜め祈る様に言うイザナに、情だけで生きてきた様なこの騎士が頑なに決まりを守ることなどできるはずもなく、バランは一度目を瞑り、すぅと息を吸って、かっと目を見開き言った。

 「分かった!! この我輩に任せたまえ! 今すぐにヴェインに会わせて」

 「ならんぞバラン!!」

 先程の比ではない雷が、横合いからイザナにとって救いとなるバランの言葉を打ち砕いた。
 雷を放った張本人は廊下の端から、目が見えぬとは思えぬ確かな足取りで二人の前にやって来た。
 盲目の魔術師、または預言者ジンジャライは厳しい顔で、見えぬ目で虚空を睨んでいた。

 「情にほだされ王の命に背くつもりかバラン」

 「それは違うぞジンジャライ殿。民の不幸を退けるが、我輩達の使命ではないか。今……一人の少女が兄の帰りを待っているのだ!」

 もらい泣きとは思えぬ程の大粒の涙をぶぅあっと流しながら、大仰な仕草で天を仰いだバランは言い、それにウンザリした様な溜息を漏らしたジンジャライは、確固たる拒絶をもって答える。

 「おぬしは『時の賢者』の始めの教育に重大な欠損を与え、この世界の人々の幸せを壊すかもしれぬ愚を犯してまで、その男の願いを叶えたいというのか? 治安騎士団団長バラン・ガラノフ・ド・ピエールよ。心して答えよ!」

 「しかしっ! 一人の少女の願いを叶えずして」

 「黙れ痴れ者が!!」

 王城全体に響いたのではないかと言う程の声量で怒鳴ったジンジャライに、バランは今度こそ言葉を失った。
 バランとて理解していた。
 自分の言葉にはなんの重みもなく、本当に世のことを考えているのはどちらなのかということを。
 それでも、彼にも意地はあった。
 預言者でもなく、賢者でもない。ただの情に溢れただけの男である彼にも、譲れぬものがあった。
 自分を頼りにしている者の本気の願い。それを聞き入れ、その願いを叶えると言ったこと――この男に二言はない。
 バランは隣で、悲しみに暮れた表情をしているイザナの肩を叩き、笑顔で言う。

 「言ったろう? 我輩に任せておけと。必ず会わせるとも。ヴェインは我輩の友人でもあるのだから」

 そして、固く閉ざされた玉座の間の扉をバランの豪腕が掴み、一気にそれを開け放った。
 がしゃんっと、けたたましく響いたのは大扉の鍵がこじ開けられた音。

 「何をする気だっ! バラン!?」

 見えぬ目でも扉が壊されたと察知して問うジンジャライ。それに構わず、鍵をぶち壊した玉座の間へとずかずかと遠慮なく入っていくバラン。
 困惑しているイザナは焦りながらも、それに着いて行く。
 その先では、事の成り行きを部屋の中から聴いていた闇の賢者セウロ・フォレストと、シルドリア王。
 二人は何の感情も感じさせない様な無表情な顔で、バランを見つめていた。

 「バラン、お前はこの王の間に入ってくるのは、いつも唐突だな」

 淡々と言う王に、バランは膝をつき頭を下げ、後ろのイザナもそれにならう。
 閉ざされたこの玉座の間に無断で入ることは、問答無用で死罪に値するはずであるが、バランが取り押さえられないのは、彼がやはりこの国と王にとって特別な存在だからだ。
 王も分かっているのだ。
 人道的な、人としての優しさに傾き過ぎているバランの言葉が、真実にすべての者が歩むべき道であることを。
 しかし、それではすべての人間は救えず、国は成り立たない。王たる者は非情にならなければならぬ時がある――この正義感溢れるバランにはそれが分からない――いや、分かっているのだ。しかし、納得できないのだろう。
 だから王も、セウロもただ静かにバランの言葉を待っていた。

 「王っ! 無礼を承知でお願い申し上げます!」

 「なんだバラン」

 「ヴェイン・アズベルシアを少しの間だけこの我輩にお貸しいただけませぬか!」

 「それで、どうするというのだ?」

 王の目はただの一欠けらも感情を宿していなかった。
 少しでもバランの想いに触れてしまえば、王とて人としての情に流されるかもしれない。

 (気をつけねばならない。この熱き男は、他者の心を激しく揺さぶり、奮い立たせるカリスマを持っている)

 王はバランの想いを警戒していた。その想いが間違っていないと、王自身も理解しているだけにそれを危ういと思っていた。
 バランは膝をついたまま、それでも背筋を伸ばして凛と言った。

 「ヴェインの妹君の願いを叶えるためにっ」

 「それはならんぞバラン。『時の賢者』はもう失うわけにはいかんのだ。そして、この大事な時期に親族に会わせるわけにもいかぬ」

 「王! 少女は病を患っているのですぞ! 今、兄に会わせなければっ……」

 「それは聴こえていた。……セウロ、説明してやれ」

 バランの真剣な目を見続けていると気をやられる――そう思った王は、頭を抱えてセウロに託した。無論、傍目にはバランの言葉に呆れきって相手をしていられないといった風に見えたが。その実、王の良心は限界だった。
 王の言葉に隣で静かに控えていた賢者セウロは、一歩前へ出てバランを見下ろした。
 やはり、そこには何の感情も感じられない目をした賢者がいた。
 心情的にはバランに賛成であったとしても、それは最善ではない。そう理解していたセウロも、やはりバランの心に今は触れたくはなかった。
 だから突き放す。

 「諦めろバラン。今、ヴェイン・アズベルシアは『時の賢者』としての最も大事な時期にある。ばらばらな不安定な心を繋ぎとめ、人としての感情を取り戻さねばならない。そんな時、家族や関係の濃い者と会わせるべきではない……何が起こるかは想像がつかん」

 セウロは静かに独り言の様に淡々と述べた。
 それでも、バランは立ち上がって前へ一歩出て、尚も言った。

 「王! ヴェイン・アズベルシアを少しの間だけこの我輩にお貸しいただけませぬか!」

 「理屈ではないこの男を鎮めるのは難しいな。セウロ、取り押さえろ」

 「はっ」

 王と賢者は『最善』の傀儡――しかし、そうでなければ国は成り立たない。
 イザナは後悔していた。
 あのバランに本気で頼み込めば、こうなることなど少し想像すれば分かったはずだ。
 彼はいつだって弱い者の意見に本気で耳を傾ける。

 (私は……なんてことを……)

 「バラン様っ……」

 心配そうな声をあげるイザナに、バランはやはり笑顔を向ける。

 「そんな声をだすなイザナ殿。我輩達は間違ってはいない。……そして……王もセウロ殿もな。だが今、我輩達は引けぬっ!」

 そして、あろうことかバランは王の前でその腰のものを抜き放った。

 「王と民に忠誠を!! イザナ殿は手を出すなよ! 今、シフィ殿にはキミしかおらん!」

 「バラン様っ!」

 彼を止めなければと声をあげたイザナは、後ろから二人の兵に羽交い絞めにされる。
 それを見たセウロはバランに目配せしてから、その兵達に告げた。

 「その者は即刻城から摘まみだせ。……しばらく城には入れるな」

 「はっ!」

 命令を受けた兵に引っ張られ部屋を連れだされていくイザナは懸命に振り返り王へと叫んだ。

 「やめてください! バラン様、あなたは何故そこまでっ……! バラン様は悪くないのです! すべて、この私がっ……」

 ばたんと扉が閉められた王の間に、外からまだイザナの叫びが聞こえている。
 そんな中、剣を抜き放ったバランは、にやりと笑いセウロに礼を述べた。

 「ありがとうセウロ殿」

 「なんのことだ。それで……貴様はどうするのだ?」

 「無論、我輩はこのまま捕まるとも」

 バランはそう言い、剣を床へと放り投げて両手を挙げた。
 やはり、そうするだろうと思っていたセウロと、王は大きな溜息をついた。

 「我輩の力では、セウロ殿を打ち負かしておし通るのは不可能。だからと言って、このままイザナ殿の願いを反故にすることもできぬ。故に、牢に閉じ込められていなければ、我輩はヴェインとシフィを会わせようとするだろう。……さあっ! 牢にぶちこみたまえっ!」

 最後の言葉を、扉の前で待機していた兵に向かってバランは叫んだ。
 それに答えるように、おどおどしながら兵はバランに近寄ってきたものの、本当に牢へ連れて行くべきか判断できないでいた。
 自分達の隊長なのだから、無理もない。
 そんな兵を見かねた王は、やれやれと言った。

 「言う通り牢へ連れていけ。……バラン、頭が冷えたら出てくるがいい」

 「申し訳ございませぬ」

 頭を下げ、バランは兵に自分の退室を促した。

 「……」

 セウロ・フォレストは確かに見ていた。 
 あのバランが一瞬だけであるが、本気の殺気をこちらへと向けてきたのを。

 (いや……あのバランが忠誠を誓った王に本気の殺気を向けるとは到底思えん――おそらく、どうしようもない現実に向けたのだ。……それだけに、救いたかったのだろう。イザナを。シフィを……ヴェインを)

 セウロがそう思う中、王は静かに深呼吸をして気を落ち着け始めた。
 そこで、部屋を今まさに出て行こうとしていたバランが足を止めて言った。

 「王。本当の優しさとは、なんでしょうか」

 ぎくりとして突然、王は心臓を鷲掴みにされた様な感覚に陥った。
 兵に連れられ部屋を出て行こうとしていたバランの眼が真っ直ぐに、自分を射抜いていた。

 「……バラン……」

 名を呼んだセウロの目が――そこまでにしておけ――とバランに告げていた。
 もう一度、深く礼をしたバランは玉座の間を後にした。

 「……はっ……あっ……はぁ、はぁ……」

 呼吸を忘れていたかの様に、荒い息で肩を揺らし始めた王に、セウロは労わる様にかしずいた。

 「まったく……バランめ。酷なことを……」

 愚痴の様にそう発した王は、ゆっくり深呼吸する。
 そして、自分の最も信頼し、愛している息子の様な存在のセウロに言った。

 「私は、王だ」

 「ええ、あなたは王です。故に今の判断は何も間違ってはおりません」

 ――心を読み取れるセウロには、王がどういう言葉を待っているかなど手に取る様に分かり、その言葉で王は少し落ち着きを取り戻した。
 先程の気丈さなど忘れた様に、気を抜いた表情でぼそりと王は言った。

 「……セウロ。そのシフィとかいう少女の様子を、見に行ってやれ」
 
 「分かりました」

 王も人の子――だからこそ、ジンジャライの様な人間が王の傍にいなければならない。
 セウロもできるだけ王の負担にならぬ様に、心を凍らせる時はそれに徹しなければならないと、今の出来事で再認識した。

 (しかし、やはり――どこかバランの様に、真っ直ぐに感情に任せ動いてみたくなるものだ。……人というものは)
 

セウロは心の中で、そう一人ごちた。







*******************







 ニアはその寂しい背中をずっと追いかけていた。
 王城の門から出て、とぼとぼと歩いて帰路につくその男が、王都の魔術師であるのはニアには分かったのだが、何故ディールが彼の様子を探れと言ったのかまでは全く分からなかった。
 ただ、街の情報屋に調べさせた男を監視しろというディールの命令に従い、ニアは訳も分からず目の前の男を追っていた。
 教えられた街の情報屋を訪ねたのは、昨晩のことで、つまりヴェインが事件を起こしたその日にディールはすでに動いていた。
 言われるがまま、街で名のある裏の情報屋を尋ねたニアは、勿論始めは子供だと笑い馬鹿にされた。だが、ディールの名を出して、ある言葉を言うと途端に情報屋の男は顔を真っ青にして震え上がってしまった。
 どういうわけか、お代は結構ですと言ってニアを丁重に扱い、ディールに言われた調べ物をすぐさま終わらせて、情報を調達してきたのだ。
 始終、呼吸荒く脂汗をかいてビクついている男を見て、ニアは改めて自分の主が特別で、恐れを抱かれる存在なのだと認識した。
 何故だか、そんな男の様子を見て、ニアは自分の主を誇らしく思っていた。
 そういうわけで手に入れた情報通りに、王城のアカデミーの建物に住んでいる男が出てくるのを待ち――今に至る。
 ディールが求めた情報は――『ヴェイン・アズベルシアの家族』。
 それが、今目の前にいる男なのだ。
 何故、その男を追いかけているのかは分からないが、きっと重要なことなのだ。
 ニアは、気を引き締めてイザナの後を追っていた。
 朝から追いかけているその男は先程、城の兵とすれ違い挨拶を交わした時にイザナ先生と呼ばれていて、子供であるニアから見ても、うっとりするくらいに美しい男だった。
 西日に輝く彼の金髪は今はとてもキラキラとしていて、その美しい彫刻の様な物憂い表情も見ているニアの胸を僅かに高鳴らせた。
 しかし、イザナと呼ばれたその男の表情は暗く、落ち着きなく城と街を行ったり来たりしていて、どこか挙動不審だった。

 『――ニア』

 「わっ! ディー様っ……」

 主以外の男のことを考えていて後ろ暗かったのか、ニアは突然声をかけられて、心臓が飛び出そうなくらいに驚いていた。

 「私、あの男を見張っています。見張りを続けています。……お役にたてたでしょうか?」

 『それはこれからだ。あの男の様子はどうだ? 簡潔に答えろ』

 簡潔にと言われても、ニアはあの男が城で何をしていたのかまでは見てはいない。さらに、街でもただうろうろしていた様にしか見えず、どう言えば主の望む答えになるのか、困り果てて黙り込んでしまった。

 『あったことをそのまま話せ』

 ちっと舌打ちしたディールは、苛立ち気にニアを急かした。
 そんな主の言葉にすぐ涙目になってしまったニアは、仕方がないので見ていたままのことを報告した。

 『……そうか』

 ――ああ、怒られる。
 そう覚悟し、彼女は身を固くして断罪の言葉を待った。
 しかし、聴こえたのは我が主の含み笑いだった。

 『よし、王城と街を行ったり来たりしているのだな。……いいかニア。今から俺が言う通りに、あの男に話しかけろ』

 ディールはニアへと、悪魔の様な策を話し始めた。

 





 「はぁ……」

 途方に暮れて夕焼けの街をうろうろしているしかないイザナは気が重く、シフィの待つ家に帰るに帰れなかった。
 もう、あのシフィの目で「お兄ちゃんは?」と尋ねられることに耐えられそうにない。
 はっきり言うべきだろうか?
 ヴェインは今すぐには帰ってくることはできない。
 だから、シフィはそれまでに体を元気にして待っているんだと。

 「……」

 言えるのだろうか?
 果たして、今のシフィにそれを言ってしまっていいのだろうか。
 ヴェインが正気でなかったのなら、今のシフィもそうと言えるのかもしれない。
 熱に浮かされているせいか。それとも、あの夜のショックで変わってしまったのか。
 ただ、今ヴェインとすぐには会えないことを伝えてしまうと、何かが終わってしまう様なそんな気がしてイザナは迷い、苦しんでいた。
 まるまる二日、ほとんど食事を摂っていないシフィは、そろそろ限界だ。今日こそは絶対に、無理矢理にでも食べさせなければいけない。そう思いつつも、イザナの足は家路へとは向かなかった。

 (ああ。私はなんて弱いんだ。……ここまで来て現実逃避をしているというのですか。無関係なバラン様まで巻き込んでしまって……最低だ。……ヴェインとシフィをこの身に変えても守ると誓ったはずなのに……私は……!)

 己の無力に打ちひしがれて、イザナは黄昏時で暮れかけた天を仰いだ。
 光り始めた二つの星に、ヴェインとシフィの姿を重ねて、こみ上げてくるものに耐えながら、なんとか家路に足を向けようと――振り返ったところでイザナは、一人の少女と出会った。
 シフィより、少し年上くらいだろうか。
 明らかにこちらに意識を向けて視線を合わせくる少女と目が合うと、彼女はニコリと笑った。
 シフィの様に肌が白くて可愛らしい少女で、すぐにとたとたと足音をたててイザナの方へと小走りで駆けて来た。

 「こんばんは!」

 「……こんばんは」

 なんとか作り笑顔で挨拶をしたイザナは、それ以上のことは今は無理だと悟り、そのまま素早く去ろうとする。
 しかし、その少女に服の裾が掴まれ、引き戻される。
 どうやら自分に用があるようで、それを振りほどく元気もないイザナは、諦めて少女に向き直って話しかけた。

 「なにか用かい、お嬢ちゃん? もう暗くなるから、家にお帰り」

 「うんとね……。……私、お兄さんに伝言があるの。……伝えてもいい?」

 「伝言?」

 まさかバランが何か手を打ってくれたのだろうかと、都合良く考えを巡らせたイザナは、すぐに大きく頷いて少女の両肩を持って言う。

 「あ、ああっ。是非、聞かせてくれないかいっ」

 「良かった。……えっと、じゃあ言うね」

 少女はコホンと咳を鳴らし、そして――『ソレ』は発せられた。

 『よく聞け王都の魔術師イザナよ』

 「……っ!」

 どきん、と心臓が跳ね上がったイザナは思わず、一歩飛び引いた。

 (今の声は何だ……?)

 目の前でなんともない様な笑顔で笑う少女からは絶対に発せられない様な、低い大人の男の声だった。
 それも、少女の唇は全く動いておらず、イザナには今の現象が理解できなかった。

 『驚くな。王都の魔術師イザナ』

 「だ、誰だっ……!?」

 辺りを見渡すイザナだったが、明らかにその男の声は目の前の少女から発せられていた。
 その発信源は口でもなく、喉でもない。勿論、腹話術の類でもなかった。
 僅かに流れる魔力を察知して、イザナは少女を凝視して、信じられない様に言った。

 「誰かが……魔術でキミに声を送って……いるんだね?」

 こくりと少女が楽しそうに目を細めて頷いて、また男の声が場に響く。

 『その通り。さすが日々、研究に勤しんでいるだけはあるなイザナ』

 「お前は誰だ」

 先程と同じ問いを、今度は冷静になった頭で見えぬ相手へとぶつける。
 それを一笑に付し、男は答えた。

 『俺はディール。斬首者Dと言えば分かるか?』

 「ディール……斬首者……はっ」
 
 まさか――イザナは口をぱくぱくと開閉させ、信じられないと首を振るう。

 『お前ほどの男なら知っているだろうイザナよ。くくく……俺もお前を知っているぞ。……まさか、こんな所にいるとはな。お前の正体を知っている人間は周りにいるのか? ん?』

 「あ……あ……わ、私は……」

 震えながら、驚愕して後ずさるイザナは信じられなかった。

 (私を知っている……私の過去を……)

 『驚くな。王都の魔術師イザナ』

 笑いながら先程と同じ言葉を発したディールは、愉しげに言葉を続ける。

 『今は貴様の正体はどうでもい。……それよりも、お互い面倒な事態に巻き込まれたようだ。俺は今、呪術ヤミノキズを受け、王都に入れん。貴様は、捕らえられた家族に会いたい。そうだろう?』

 「なに……を……」

 思考回路が機能せず、イザナは目の前の男の言葉をうまく理解することができない。
 それよりも、自分の過去を知っている人間がいる。
 それは誰だ。この声の主だ。こいつは誰だ。
 消さなくてはならない。こいつが、この私の過去を知っている。こいつが、いれば、私は――!

 『ほう……。そんな眼もできるのだなイザナ』

 「……っ」

 (私は……なにを……)

 今の一瞬、イザナの思考はたった一つのことだけに的を絞られていた。
 この声の主を殺すこと。それだけしか考えれなくなっていた。

 『話を続けるぞ。……そう、俺がお前に声をかけた理由が聞きたいだろう? 単刀直入に言おう。イザナ、俺達に手を貸せ。そうすれば、貴様はあのヴェインという小僧を助けることができるぞ』

 「なっ……! 何を言っている!?」

 『俺はすべてを知っている。病気の娘を兄に会わせたいのだろう? 俺はなあのヴェインという小僧を手に入れなければならんのだ』

 「手に入れるだと!?」

 『安心しろ。俺は時の賢者となったあのヴェインという小僧に少し用があってな。だが、ある知識を引き出せれば、すぐに去る。俺はどうしても、あの小僧に聞かなければならないことがあるのだ。だから、王城からあの小僧を奪ってみせる。貴様はその手伝いをすればいい。簡単な話だ』

 (奪う……? そんなことができるというのか――いや、しかし相手はあのディールという。それが本当だとしたら、確かにそんなことができるのは世にこの男くらいかもしれない)

 イザナは悪魔の声に耳を傾け始めていた。
 皆――そうだった。
 ヴィンセントも、リーも、ウィズも、ゼスも皆同じ様に、彼の魅惑的な見返りに眼を曇らせてしまうのだ。
 恐ろしきは、絶対的に取り引きに応じるであろう状況までに切迫した相手にしか声をかけないディールの狡猾さだろう。
 皆そうやって籠絡されていくのだ。この悪魔の様な白き夜叉に。
 ニアも、そして次に狙われるヴェインもそうなってしまうのか。

 『俺はさっきも言った通り、王都に入ることができん。だから、貴様は俺の同胞達を街に招きいれろ。……なに簡単な作業だ。すでに手筈は整っている。貴様はほんの少し細工をすればいいだけだ。そして、最後に外で待つ俺のいる所まで小僧を連れてくればいい』

 「……本当にヴェインを連れだせるのですか?」

 『ああ。疑り深い奴だ。さすがに、昔の癖は抜けていないか?』

 「黙れ!!」

 イザナの怒声に目の前のニアが、びくりと肩を跳ねさせる。
 はっとしたイザナは、すぐに気を落ち着けて言葉を選ぶ。

 「お前の策にのってもいいぞディール」

 『ほう』

 急に威勢が良くなった。そう思ったディールは唇を嫌らしく舐めまわし、遠く離れた場所で声を張るイザナの姿を想像し、自身の加虐心がくすぐられるのを感じていた。

 (無理矢理にでも己を立て直し、蛮勇をかざす者ほど潰し甲斐のある者はいない)

 その寒気を感じる程の人の道から外れた趣向に酔いつつ、ディールはそれを抑えてイザナの言葉に耳を傾けた。

 (今は駄目だ。先に仕事を済ませねばな……くくく)

 「だが……しかし、王城にはあの闇の賢者様や、雷神のバランと騎士団がいるのです。あなたの同胞がどれ程の腕かは知りませんが、彼らを相手にヴェインを奪うことなど到底無理です」

 『そこはお前は考えなくていい。すでに策は練ってある。賢者を足止めする策も、戦力を分散させる術もいくらでもある。……その隙に俺達はあの小僧を奪えばいい』

 「………」

 イザナは気がついていた。
 なによりもこの男は、絶対的にそれを成す事ができるという確信をすでに得ている。
 いくつもの策を練っていること、そこまで考えているということ。それらも確かに凄いが、それよりもそれを可能だと確信しているこの心の強さは何だ?

 (この男なら……確かに、それができるかもしれない。……しかし、私は本当に……それでいいのか……)

 『よし、ではまず貴様には街の外に来てもらおう。場所はその娘が案内する。そこで俺達と落ち合い、作戦を聞かせる』

 「……分かった」

 イザナは心が定まらないまま、それでも確かに頷いて言った。
 これしか、今すぐシフィに、ヴェインを会わせる方法がない――焦りと、悪魔の囁きでイザナはいつもの冷静さを欠いていたことに自身で気がつけなかった。
 それも、この夜叉の策であった。

 『決行は……明日だ』

 ディールの声が重たくイザナへと圧し掛かり、それが彼の迷いを断ち切った。









 「上手くいったみたいですな旦那」

 「ああ……くくく……面白いな、あのイザナという男」

 こんなに愉しそうなディールを見るのは久しぶりだと、ヴィンセントは逆に背筋に寒いものを感じたが、それよりも戦いが近いことが彼の気持ちを強く昂ぶらせていた。
 太陽の沈んだ暗い夜の森で、一団は焚き火を囲み、静かにそれぞれの時間を過ごしていた。
 しかし、今の今まで静かだった森は、この一人の男のおかげで台無しとなる。

 「ああっ! 遂に明日、強ぇ奴らと戦えるんだな旦那! おおおおっ! もう今日は眠れねぇぜ!」

 ぶんぶんと豪腕を宙へと振るわせて、吠えるヴィンセントを鬱陶しそうに見ていたウィズは、ディールに声をかけた。

 「ディール様。私は弱い者を追いつめ殺すことに美学を感じております故、明日の作戦で私にはそのような役をお申し付けください」

 「くく……相変わらず下衆だなウィズ。勿論、貴様にはとっておきの舞台を用意している」

 「ありがたき幸せ……!」

 感激のあまり身を震わせ、主に深くを礼をしたウィズは嬉しそうに座り込み、後はぶつぶつと誰にも聴こえぬ独り言を呟き始める。
 かなり危な気なその彼の様子には、仲間の皆は見て見ぬふりをするのが常であった。

 「ねぇねぇディール様ぁー。僕は誰と戦わせてくれるんですかー? ちゃんと、殺せる相手じゃないと嫌ですよ〜?」

 おねだりする子供の様に、ディールの腕にしがみついて言うリー・ホラン。
 ディールにこんなことができるのは、この青年くらいであり、他の者が徐に腕など掴めば、次の瞬間に殺されていても不思議ではない。
 何故なのかは他の同胞達も知り及ぶところではないが、どこかリーは相手の緊張感を解く性質を持ち合わせているのは確かだった。
 ただし、その緊張感を解かれた相手はほとんど殺されてしまっているのだが。

 「リー。お前の相手は、かなり楽しめる相手にしてある。明日まで楽しみにしていろ」

 大まかな作戦はもうすでに皆に伝えてあるが、誰の相手をするのかは決行間際まで伝えないのがディールの趣向だった。
 その方が直前まで気を引き締め、力を高めておけるだろうという彼なりの計らいだった。
 
 「うわー、たっのしみだなー。僕の相手はどんな声で泣くのかな? どんな声で死ぬのかな? ねぇねぇ、ディール様聞いてよ。この前ね、ある村で殺した子供の断末魔がさぁー」

 嬉々として外道を極めた話に華を咲かせるリーはいつものことで、次の相手を思い浮かべて汗まみれで拳を振るうヴィンセントもいつものことで、にやにやと嫌らしい笑みをこぼして独り言を呟いているウィズも全くいつも通りで――そんな中で、一人外れた場所で物憂げにしているゼスの姿も、すべてが今まで通り。
 これが彼らの日常。

 魔人達の宴。

 (一体、いつまで続くのだろうか……この修羅の道は……)

 黒き騎士は、そんな宴の中で天の月を仰ぎ、小さく呟いた。

 「我らを……裁きたまえ」
 
 そして、夜叉もまた月に宣言する。





 「さて――戦いの始まりだ」






 





第8幕へ



HOMEPAGE TOP