六日目
パリへ移動
ロストバゲージ

サントチャペル
ノートルダム寺院

 
七日目
ルーブル美術館

 
八日目
ベルサイユ宮殿

大・小トリアノン
王妃の村里
エッフェル塔
夜のサイクリング

 
九日目
アリーグルマルシェ
オルセー美術館

モントルグィユマルシェ
誕生日
帰国



ヴェリブの問題点
今日は一日ベルサイユ宮殿へ行く予定。早めに起き、近所のパン屋さんでまたまたクロワッサンを購入。(でも昨日のお店の方が美味しかった!) 食事を済ませます。
 
アンヴァリッド入り口
通常だったら歩いてすぐのサンジェルマンデプレ駅からPERのC線で一直線なのですが、またしても工事中。アンヴァリッド駅までいく必要があります。こんな時こそヴェリブ♪便利〜!歩いて二分ほどのヴェリブのステーションへ行きます。
 
アンヴァリッドまで15分ほど。「さてさて、自転車を返して電車に乗ろう♪」・・・と最寄のステーションへ行きます。すると・・・うわあー、自転車が一杯で返却できないではないですか〜〜!最寄のステーション(ボルヌに書いてあります)を探し、そちらへ。うう、でもここも一杯。なんと・・・、結局皆考える事は同じ、パリのあちこちからアンヴァリッドまで自転車で人が集まった事で、自転車置き場のバランスが崩れちゃってるんですね。
結局この日は四台全ての自転車を返すまで3時間ほどかかってしまいました(遠くまで返しに行って、帰りは歩きになっちゃうので・・・)
 
う〜ん、これは大きな問題点。自転車を移動する専用トラックもあるようなので、各ステーションの台数をきちんと管理しないと、せっかくの「乗り捨てOK」が仇になっちゃいますね。
 
 ヴェルサイユへ
思わぬところに落とし穴。開門と同時に入場する位の勢いでいたのに、思い切り遅れています。
駅で切符を購入。
ベルサイユ宮殿は電車と入場券がセットになったチケットがあり、カルトミュゼを買わないなら、とてもお得です。なかなか購入できないと聞いていたんですが、窓口に大きく案内が書かれ、係員もヴェルサイユに行く人全員に薦めていました。楽々買えそうです。私達はカルトミュゼで入るので電車の切符のみ購入。
 
この人はとても上手でした
やっと電車が出発。この感じだと、ヴェルサイユに到着するのはお昼前ぐらいです。実は早めに行って、マリーアントワネットの個室を見るガイドツアーに参加したかったんですよね〜。もう無理かなぁ。
 
ちょっとがっかりしているとどこからかサックスの音が。おお、男性二人組みが演奏しつつ車内を巡回しています。
なんかいい感じ。この旅行中、大道芸(?)というのか、こういうパフォーマンスをする人にたくさん会いました。いいですねー、こういうの(^-^)
文化の香りがだだよいますねぇ♪
 到着〜!
ピンク色はやめればいいのに。
やっとヴェルサイユに到着。もうすっかりお昼です。中に入ると食事も大変そうだから、駅のそばにあったマックで昼食。人の流れに沿って宮殿に向かいます。しばらく歩くと、見えてきました。金色に輝くヴェルサイユの門と宮殿です。
うーん、予想以上に華やかな色。ピンク色なんだ、ヴェルサイユって・・・と思いながら良く見ると、なんと正面はハリボテ。工事中なんですね。いや〜、心の中で「変な色」って思ったんですよ。家族の手前言えなかったけど(笑)
 

 
うわー大行列(>_<)
さらに歩いていくと、左手には大変な数の人。これ、一体何時間待ちなんでしょうか!?チケット購入の列です。カルトミュゼや電車の窓口でチケットを購入した人は「チケットホルダー」の列へ。こちらは全然並んでません。
これはラッキー。カルトミュゼ万歳!(笑)ちょっと高いけど、この列を避けられるなら安いもの。
みんなもカルトミュゼ買えばいいのにと言いながら、大行列を横目に、予想外の速さで宮殿に入る事ができました。
 
まずは宮殿内のインフォメーションで(イヤホンガイドレンタル所のそば)マリーアントワネットのガイドツアーについて質問しました。でもやはりもう定員に達してしまっていました(T-T) 時間を考えれば仕方ありませんね。
(ガイドツアーの予約場所がよく分からなかったのですが、ここのインフォメーションでも予約ができるそうです。)宮殿の見学順路を聞き、いざ出発。まずは北翼へ。でもここは今ひとつでした。やはりメインはグラン・アパルトマンです!
 
 グランアパルトマンを一緒に見学しよう!
グランアパルトマンについては、言葉で語るより写真です。何しろ立派。見学順に写真をメインにご紹介します。一緒にグラン・アパルトマンを見学しましょう!(*^_^*)
まずは王室礼拝堂です。
ルイ14世時代に建てられたものです。二層になっていて、階上席は王族や要人の席、下の席はその他の人のためのものです。
 
興味深いのは天井画。ドーム型の部分に描かれているのですが、正面から見ると平面に見えるように描いてあります。
右の写真にマウスを当てると天井画が見えます♪

 
 
礼拝堂2階部分の隣はヘラクレスの間です。ヴェネチア共和国から送られたヴェロネーゼ作『パリサイ人シモンの家の宴』(左の写真)を飾るために作られました。
天井画はフランソワ・ルモワアンヌ『ヘラクレスの神格化』空の青と堂々たるヘラクレスの姿が美しい画です。
 
 
右に曲がるとコの字型の王のグラン・アパルトマンの入り口になります。最初の部屋は豊穣の間
冬用のビロードの壁紙が豪華。ベルサイユでは夏と冬にそれぞれ壁紙を張り替えていたそうです。
天井画にはこの部屋から行けた「骨董品と逸品の小部屋」の所蔵品が描かれています。(左の写真の右端の丸い食器入れなど)
 
 
 
となりはヴィーナスの間。この部屋は正殿で夜会が行われる時、軽食をとる部屋として使われたそうです。銀食器に盛られた果物やお菓子がテーブルに所狭しと並べられたとか。
左の写真はローマ皇帝姿のルイ14世。天井画はこの部屋の名前の由来になった『神々と超大国を従わせるヴィーナス』の絵が描かれています。
 
 
 
次はディアナの間。ビリヤードが上手だったルイ14世が、ここにビリヤード台を置き楽しんだとか。
 
暖炉の上にシャルル・ド・ラフォス柵の『イフィゲネイアの生贄』対面の壁にガブリエル・ブランシャール作のエンデュミオーンの眠りを見守るディアナ』が飾られています。
ベルリー二作のルイ14世の胸像も。
 
 
次はマルスの間
もともと衛兵の間として使われていたため、天井画などは勇壮な物が多いです。
 
1684〜1750年頃には暖炉の周りに楽士の演奏台がありました。正殿の夜会にはここで演奏会が開かれたそうです。
左はルイ15世の妃、マリー・レクザンスカの肖像画。ドレスが豪華です。
 

 
次はメルキュールの間。ここはベルサイユ宮殿でもっとも豪華な部屋といわれ、当時は銀製の調度品が置かれていました。初めここは王の寝室でした。ルイ14世が亡くなったときはここに遺体が一週間安置されたそうです。
現在はルイ14世の頃の様子が再現され、ルイ・フィリップが注文した寝台が置かれています。
 
 

 
次はアポロンの間。ここには玉座が置かれ、接見にも利用されました。リゴー作のルイ14世の肖像ががあります。その対面には人の良さそうなルイ16世の肖像画。絶対王政を確立させた強い意思を感じる14世と大人しそうなおじ様という感じの16世。二人の顔つきを見ただけでも、この二人の歩んだ人生を想像させられるものがあります。
 
天井はシャルル・ド・ラフォス作『太陽の戦車』
 

  
次は戦争の間。これはオランダ戦争の勝利をテーマに作成されました。
 
暖炉はベルサイユの内装を担当したルイ14世の主席画家ルブランのデザイン。暖炉の上野大きな円形の浮き彫りは、オランダ戦争時、フランス軍がライン川を渡った際のローマ皇帝の紛争をしたルイ14世。
これ、ベルサイユのばらで出てきたオスカルの肖像画のモデルですよね?母の世代の女性は懐かしいかも(^-^)
 
この部屋の次はいよいよ鏡の間(回廊)です。鏡の間へ行く入り口は小さいので、この部屋は大渋滞でした(>_<)
 

  
そしていよいよ鏡の間です。位置はコの字型の一番奥の一辺になります。
1686年完成。全長73m、幅10.5m、高さ12.3mの回廊の庭園側の壁に17の窓があり、その反対側の壁には578枚の鏡が壁一面を覆っています。、窓から入ってきた光を反射し、部屋全体が明るく照らされています。当時鏡は金より貴重といわれていました。どれだけ強い権力を持っていたか分かりますね。
 
両側に置かれた大燭台はマリーアントワネットが1770年輿入れしてきた時に作られたもののレプリカ。天井画はルイ14世が直接統治する絶対王政をテーマにしたものになっています。

 
ここでは歴史的な会談が多数行われました。1871年、ここでドイツ皇帝が即位。そして1919年、ベルサイユ条約で帝政ドイツは終わりを告げました。歴史マニアの長男が「帝政ドイツが始まり、終わった部屋か・・・」と感慨深げにつぶやいていました。そういう見方もありますが(笑)、母は豪華さにウットリでした♪
 
鏡に向かってポーズ(笑) グランカナル(大運河)が正面に見える
 

 
鏡の間の真ん中から左に折れ、王の寝室を見学できるようになっていました。工事箇所が多数ありましたので、これもイレギュラーな事なのかも。
 
1704年、ルイ14世がここを寝室と定めました。王の寝台の上には『王の眠りを見守るフランス』という王冠をかぶった女性の浮き彫りが彫られています。
 
1789年の革命時、ベルサイユ宮殿に押しかけた群集に対し、この部屋のバルコニーにルイ16世とマリーアントワネットが出、民衆に姿を見せる事で騒ぎを収めました。

 

 
王の寝室の隣は閣議の間です。ここでは毎週日曜日と水曜日に閣議が、火曜日と土曜日に財務会議が行われました。
青いテーブルクロスと金の装飾が調和しとてもきれいでした。
 
 

 
 
閣議の間を見学すると、また鏡の間にもどります。
そして鏡の間の突き当りには平和の間があります。ここは戦争の間と対になってつくられました。正面暖炉の上にはフランソワ・ルモワンヌの絵『ヨーロッパに平和をもたらすルイ14世』が飾られています。
 
ルイ15世時代にはマリーレクザンスカがここで日曜日ごとに演奏会を開いたそうです。
 

 
平和の間から右に折れるとコの字型の最後の一辺、王妃のグラン・アパルトマンになります。最初の部屋は王妃の寝室です。
ブーシェ作の天井画は王妃のマリー・レクザンスカのためにルイ15世が注文したもの。部屋の基本部分と天井はこの頃のものです。
後にこの部屋の主になったマリーアントワネットは、このような様式を古臭いとして全て改装、壁紙とベッドはマリーアントワネット時代の復元です。
ベッドの左右には壁紙が貼られた隠し扉があり、革命時に民衆が押しかけたときには、この扉から間一髪で王の部屋に逃げたそうです。
 
他の部屋と違い、可愛らしい小花で統一された内装は、女の子好みの可愛さ。プチ・トリアノンもこんな感じなので、アントワネットの趣味なんでしょうね。
重厚さがなくなったと非難される事も多いようですが、いやいや、こんな宮殿があってもいいですよね〜。(^-^)
 
 

 
次は王妃付き貴人の間です。この部屋は王妃の接見などに使われました。この部屋の調度品は1785年にマリーアントワネットのために作られたもの。正面にはヴィジェ・ルブラン作のマリーアントワネットの肖像画、左には赤い服を着たルイ15世の娘、アデライード王女の肖像画かけられています。
 

 
次は大会食の間です。ここにも王妃お気に入りの画家ヴィジェ・ルブランの絵がかけてあります。
残念ながら私達が行った時は外されていました。
このベルベットの洋服の感じを実際に見てみたかったので残念。
写真は公式サイトより。
 

 
次の部屋は王妃の衛兵の間です。常にここに詰めている為に折りたたみベッドや武器などが置かれていました。革命時、宮殿に乱入した暴徒から王妃を国王の部屋に逃がすため、ここで戦い、多くの衛兵が命を落としたそうです。
いくつか扉がありますが、ダミーがあります。偽の戸は取っ手がありません。
 

 
コの字型の部分の最後の部屋は戴冠の間です。
当初この場所には礼拝堂がありました。その後衛兵の大広間になりました。現在の部屋はルイ・フィリップの時代のもので、彼がダヴィッドに注文したナポレオンの戴冠式の絵に由来しています。
ルーブルにも同じ絵がありますが、ジョゼフィーヌの後ろに立っている女性の一人のドレスの色が違います。対面には『ワシの軍旗の配布』がかけられています。ナポレオンが一番輝いていた頃の絵ですね。
 

 
これでグラン・アパルトマンは終わりです。王妃の階段と呼ばれる美しい大理石の階段を下り、外に出ました。
階段の手すりのむこうには、巨大な絵があります。まるで階段の向こうにも部屋があるみたい。おもしろいですね。
 
それにしても本当に豪華でした。ただ、革命後に一回荒れているので、どこが修復なのか、オリジナルなのか分からないのが残念。調度品もほとんど散逸しているようですが、往時はそれぞれの部屋が意匠を凝らした工芸品で飾られ、今よりはるかに美しかったんでしょうね。