六日目
パリへ移動
ロストバゲージ

サントチャペル
ノートルダム寺院

 
七日目
ルーブル美術館

 
八日目
ベルサイユ宮殿

大・小トリアノン
王妃の村里
エッフェル塔
夜のサイクリング

 
九日目
アリーグルマルシェ
オルセー美術館

モントルグィユマルシェ
誕生日
帰国

 
 グラン・トリアノン
 
正殿の観光を終え、次は離宮を見ます。ルイ14世は運
ザ・遠近法と言った感じの途中の小道
河を船で移動し離宮に行ったそうですが、我らは歩きかプチトラン(ミニバスのようなもの)。プチトランは6ユーロ。こんなにおもちゃのような乗り物なのに高い!もう何度目か分かりませんが、ユーロ高のせいで、約1000円ですよ。シャレになりません(^^ゞ
ちなみに現在(1ユーロ約120円)なら約700円と妥当な金額。夏の為替相場は異常だったんですよね(T-T)
普段なら、高いから歩きだー!となるところですが、もう足が言う事を聞きません。ここは涙を呑んでお金で解決です!
乗ってみて正解、プチトランは少し迂回して行くのでしょうが、それにしても遠い。歩いていたら途中で行き倒れになってましたね、きっと(笑)
 
グラン・トリアノン外観
ルイ14世が愛人モンデスパン婦人と軽食をとるために作った「磁器張りのトリアノン」を改修してつくったのが現在のグラントリアノン。トリアノンとはもともとここにあった村の名前だそうです。宮殿を造るために村人たちは立ち退かされました。ひどいですね〜。
改修後、モンデスパン婦人の後に寵姫になったマントノン夫人と度々訪れ、静かな時を過ごしたそうです。
ルイ14世は、それまで女性が好きで派手な性格でしたが、穏やかで信心深いマントノン夫人と出会ってからは、すっかりその性格が直り、王妃が亡くなった後、秘密裏にマントノン夫人と結婚したと伝えられています。
 
王の寝室
さて、そのように静かな生活を送った・・・と言う割にはやはり豪華な宮殿です。とはいえ、ベルサイユ宮殿とは違う、人間が住んでいたような生活感があります。ルイ14世も、若い時はあの豪華な宮殿でも気合負けしなかったんでしょうが、歳とってからはやはり圧迫感もあったんでしょうねー。
 
右は王の寝室。ベルサイユの寝室よりはシンプルですよね。
ちなみに、家具調度類は革命時すべて持ち去られたため、現在置かれているベッドはチュイルリー宮殿にあったナポレオンのものだそうです。
そうそう、この部屋のそばに「鏡の部屋」という大変美しい部屋があるのですが、なぜか写真を撮り忘れ。このあたりから体力の限界を超え、写真もいい加減ということに、HPを作りながら気付きました(^-^;)
 
回廊
列柱回廊に出ます。柱のピンク色の大理石が大変きれい。暖かい感じがしますよね。このピンク色の大理石は宮殿中に使われ、この離宮の代名詞になっています。
ルイ14世はこの離宮建造に大変な力を注ぎました。しばしば直接指揮し、この回廊も付け加えさせたそうです。
 
イングリッシュガーデン調
回廊の前には美しい庭園があります。公式HPには「宮殿の装飾の主役はなんと言っても花」と書いてあります。現在も庭園には色とりどりの花が植えられています。正殿の幾何学的な作りこまれた花壇ではなく、野趣あふれる花が自由に咲いている感じ。ステキです。
 
優しい花々とマントノン夫人にかこまれ、穏やかな余生を送るルイ14世の姿が目に浮かびますね(^-^)
 
下の写真はルイ・フィリップの家族の間です。黄色を基調にしたした大変美しい部屋でした。
もとはブルゴーニュ公妃の控えの間だったそうです。ブルゴーニュ公妃とはルイ14世の孫の嫁。ルイ14世ははこの女性を大変可愛がっていたそうです。
夫婦仲も良く、子供も3人いたようですが、当時流行したはしかに感染。まずブルゴーニュ公妃が、6日後には王太子だったブルゴーニュ公爵、そして半月後には次男が病死と言う悲劇が起こります。
仲良しだからすぐうつっちゃったんでしょうね。肖像画を見るととても優しそうな女性です。お気の毒です。
 
ルイ・フィリップの家族の間 ブルゴーニュ公妃
 
泉の間
多分泉の間という名前の部屋です。
彫刻はあるのですが、ベルサイユと違い、目立ちすぎず上品な感じです。
グリーンのカーテンがとてもきれいでした。
 
各部屋に英語とフランス語で説明を書いた立て札があるのですが、この辺りまで来ると疲れで全く読む気になれず(^-^;)
 
一般人はここまで〜
最後はコテルの回廊です。両脇にはトリアノンやベルサイユの庭園を描いた絵がかけられ、その中には回廊の名前の由来になった画家コテルの作品もあります。
明るくシンプルでとても美しい回廊です。
 
この先は大統領専用エリアのため立ち入り禁止。回廊の中に入る事もできません。サルコジが来たりするんですかね〜。
ちなみに一般人の我らが見られないこの先がちょっとだけ見られるHPがありました。
京都大学電子図書館です。白黒なのが残念ですが、やはりとてもキレイなようです。
 
 マリーアントワネットの離宮(プチ・トリアノン)
外観。
この離宮は1768年、ルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人のために建てられました。しかし完成時にはすでに夫人は亡くなった後でした。
その後、ルイ16世からマリーアントワネットに贈られました。ルイ16世はアントワネットに「花の好きな貴方に花束を贈ろう。」と言ってプレゼントしたそうです。ロマンチックですね♪
 
アントワネットはこの離宮を大変気に入り、庭にあった学術的にも大変貴重でかつ高価だった温室を移動させ、イギリス風の庭に改装します。中もすっかり自分好みに作り変え、お気に入りの人たちを招待して楽しみました。王ですらアントワネットの招待なく、ここを訪れる事はできなかったそうです。
身分は高いのにここに来る事を許されなかった貴族達は、アントワネットをうらみに思うことになります。
民衆のみならず、味方の貴族にすら嫌われてしまうんですね。 
花束を持つアントワネットの肖像
入ってすぐの控えの間にはとても有名なマリーアントワネットの肖像画があります。これはアントワネットお気に入りの画家ヴィジェ・ルブラン夫人の作。数多くの王妃の肖像画を残しています。のちに著した回顧録の中にマリーアントワネットの肖像画について「王妃様の肌は本当に透き通っていたので、影ができなくて困った」と書いています。このの肖像画もアントワネットの美しい肌がとてもよく表現されています。
 
ヴィジェ・ルブランは画家だった父に早くから才能を認められ、著名な画家に師事し、才能を開花させます。画商だったルブランと結婚しますが、結婚生活は不幸なものでした。しかし、一人娘のジャンヌを大変可愛がり、数多くの肖像画を残しています。王妃の画家となってからは貴婦人達がきそって肖像画を頼むようになり、大金を手にするようになりました。
ルーブルにある娘と一緒の自画像
 
革命時には亡命しますが、彼女の高名はヨーロッパ中に広がっており、各地の宮廷で大歓迎されました。しかしながら、やがて夫を、そして最愛の娘を失い、大きな打撃を受けます。それでも終生、旺盛な制作意欲は衰えませんでした。フランスのロココ趣味が世界に広がったのは彼女の功績も大きいと言われています。
 
 
小さくて可愛い部屋
これは二階にある小会食の間。ここにある調度類は本当にアントワネットが使ったものだそうです。部屋の中央にはアントワネットが得意だったと言われるハープが。
とても小さな部屋です。こんなに小さければ、本当に少人数しか呼べなかったでしょうね。
目と鼻の先にあるのに入れなかった貴族達。それは腹も立ちますよね(^-^;)
 
次は王妃の寝室です。小花模様のファブリックがとても可愛い。全く古さを感じない、しゃれたお部屋です。窓からはアントワネットが恋人フェルゼンと密会したと言われる「愛の殿堂」が見えます。
いやー、でも、こんなに丸見えな所で密会するでしょうか?!ちょっとありえないですよねぇ。
ちなみにこの離宮には王妃の寝室はあっても王の寝室はありません。アントワネットのためだけの離宮だった事がよく分かりますね。
これもピンボケですな。くくぅ(>_<) 愛の殿堂
 
壁にはメデューサのうき彫り
これでプチトリアノンは終了。わずか10部屋しかない小さな離宮です。鋳物で作られた豪華な階段を下ります。
ちょっと見にくいのですが、欄干にある丸い浮き彫り部分にアントワネットのイニシャル「MA」をデザインした紋章があります。
 
小さいけど、とてもステキな離宮でした。調度も当時の物があり、興味深いです。やはり宮殿って、建物だけじゃなく、豪華な調度があってこそ美しいですよね。そういう意味ではベルサイユより当時の生活が想像できました。
 王妃の村里(アモー)
人工物とは思えない洞窟
さて、次は王妃の村里へ。プチトリアノンの裏手にあります。すぐ見つかりそうなんですが、木が沢山植えられ見えないので、ちゃんと地図を見ずに適当に歩いていたら迷いました(^^ゞ
夫は「もういいんじゃないの〜、村は・・・(T-T)」と思ったそうです。子供ももう限界。でも、あと一息頑張ろう!次にこれた時、村里だけ見にベルサイユへ来るわけにも行かないじゃないか!(どれだけ貧乏性なんでしょうか!)
 
小さな小道を10分ほど歩いたでしょうか。やがて池が見えてきました。
 
あちこちにおとぎばなしに出てきそうな、かわいらしい家が建っています。家の階段や窓辺にはゼラニウムをはじめ様々な花が咲き乱れ、とてもキレイ!しかも、どこから見てもビシッと構図が決まってます。誰が撮影しても絵葉書みたいな写真が撮れそう!
 
王妃の家 かわいいですよね〜!
 
お花がいっぱい!
これ、嫌いな女の人いないんじゃないでしょうか。本当に可愛い!めちゃくちゃ気に入りました!アントワネットと言うとゴージャスなドレスや宝石を想像してしまいますが、小花模様のファブリックを好み、ここで木綿のドレスに麦藁帽子という姿で遊んでいたそうです。まあ、超豪華なおままごとではありますが、自分なりの美意識がしっかりとあった人だということは分かります。
 
 
ステキな風景。人工物とは思えない
当時、王侯貴族の間に農村の生活を真似する流行が起こり、ここにも実際に農家の一家が住み農業をしていたそうです。それを見てアントワネットは楽しんでいたとか。
また右の塔は、当時は王妃の館から回廊で続いていて、ここで釣りを楽しんだという話もあります。
また、外側は非常に素朴に作ってありますが、中は当時最高の技術で大変美しい部屋となっていたとか。(内部は未修復のため見学不可)
 

 
絵本みたい
市民はパンも買えない状態だったのに、その生活を(豪華に)真似するなんて酷い話です。でも、ここを建設するために使ったお金は20億とか。大金だけど、以外に小額。アントワネット以前の王妃は自分の城を作ったり、離宮を建てたりしているのですから、それに比べたらアントワネットだけが浪費家だったとも言えませんよね。
結局、その程度のお金で革命がおきてしまうということは、すでにフランス王政が行き詰っていたということなのでしょう。アントワネット一人を責めるのはかわいそうかな・・・。まあ、中で賭博をやっていたとか、お気に入りのポリニャック伯夫人に大変なお金をあげたりとか、他にも色々やっていますけど(笑)
これでベルサイユ宮殿見学は終了。最近修復が完了した金色に輝く門を見ながら帰途に着きます。
いやいや、それにしても本当に豪華。ルイ14世お金使いすぎですよ(笑)
足はもう棒のよう。一体何歩歩いたのかな?毎日強行軍だから疲れが抜けないです(^^ゞ
 ヴェリブでサイクリング
帰り道でお土産を買いながら駅へ。アンバリッド駅で下車します。またまたヴェリブを借ります。こういうときは本当に便利。足を地面につけなくていいだけでずいぶん楽です(どれだけ疲れているんでしょうか(T-T))
まずは父が楽しみにしていたエッフェル塔へ。お土産のページで紹介したエッフェル塔の置物を針金に沢山通して売っている人が何人もいます。みんな買ってました、うちも別の場所で買いましたが(笑)いい商売になるんでしょうね。
エッフェル塔は東京タワーのイメージで、それほど期待していなかったのですが、意外に良かったです。もともとパリ万博の記念建造物として建てられた物なんですよね。電波塔ではなく芸術作品なんです。塔の下でよく見ると細かい所まで模様があり、とてもキレイ。なるほど芸術だということが分かります。
 
堂々たる姿です きれいなアーチ
 
コンコルド広場
ゆっくり見ていると、だんだん暗くなってきました。疲れたしセーヌ川沿いをサイクリングしながら帰るとしましょう。セーヌ川をライトをつけた船が行きかいとてもきれいです。
しばらく走るとコンコルド広場に到着しました。うーーん、素晴らしい。ライトアップされ、夕暮れの青い空の中に浮かび上がるオベリスクは、言葉で言い表せないほど美しかったです。後ろを振り向くと欧州連合を記念して青く照らされたエッフェル塔、古代ギリシャ風の国民議会も見えます。
 
 
ブルボン宮(国民議会) アレクサンドル三世橋とエッフェル塔
 
息を呑むほどキレイ。疲れも吹き飛びます。一生忘れられない景色がまた増えました(^-^)