修行報告「気」其の二

残暑見舞い大変有難うございます。とても嬉しいです。 最近の僕の状態についてご報告致します。

先生からメールを頂いてからその様に呼吸の仕方を変えてみて、今まで感じたことがなかった感覚がありました。それは、全身に微弱な電流が走る様で又、滝が逆流するような清涼感だったり・・・・・。このような感覚が毎日呼吸法をしていく中で感じられたらと思ったのですが、そのような感覚を得られたのは2度程でそれ以来全く感じることが出来ません。非常に残念でなりません。

冷静に、その時の状態を観察してみるといつもより体が緩んでいて中心をはっきりと捉えているのと、なによりも普段よりもとても良いイメージが出来ているという3点だと思いました。僕としては、ただ先生が言われている通りのことをやっているのですが、しかし良い時と悪い時との差がはっきりと出てしまいます。おそらくどこかポイントがあるのだとは思いますが・・・・・。

2・3ヶ月前までは、肺や喉を絞りに絞って限界まで吐くやり方をしていて、その時は常に手や足に強く電流が走るような感覚があったのですが、今はただ丹田に任せて吐くように心掛け気持ちよくやるようにしています。良い時は先程述べたような感覚で、悪い時或いは普通の時は身体が虚ろになるような感覚、気が走るのではなくぼんやりと満ちていくような感じです。

僕としては、常にはっきりとした感覚がほしいので、今のやり方だといつも気が焦ってしまいがちです。 今の僕の状態はこんなところなのですが、何か良いアドバイスがおありでしたら何卒宜しくお願い致します。また図々しい質問なのですが、このような状態になったら次はこのような感覚を得られ、そしてスパークに至る、或いは何分吐けるようになるとこのような感覚が得られ、何分吐ける様になるとスパークに至る、といった具体的な目安があるととても鍛錬に取り組みやすくなるのですが、その様な目安があるのなら是非教えていただけないでしょうか。 信也・T

.
 信也さま

「修行報告氣 其の2」ありがとうございました。あれ以来、呼吸法を続けておられるか気になっていました。続けておられるようで安心しました。

今回は、やればこその質問内容ですね。息の吐き方というものは、やって・やって・やり抜いて結局、身体で知る。即ち、体得するものなのです。ああやったり、こうやったりと色々と試してみることです。その意味で今回は非常にいい線いっていますね。

「丹田にまかせて吐いていると、全身に微弱電流が走る!滝が逆流するような清涼感!を2度ほど味わった。」とありますが・・いいですね。その感覚を忘れないで、呼吸法を行う度にその感覚に近付けるよう、ゆるみを探っていって下さい。

「身体がゆるんで・中心が見えて・良いイメージに浸れたと」ありますが、これは基本ですので常にそうあるべく心掛けてください。しかし、最初からそう上手くはいかないですね。それでも大丈夫です!!全身に気を巡らせて行う呼吸法は、どんな状態であれ確実に、エネルギーとしてのパワーが丹田に蓄積されていくものなのです。それがいつの日にか開花するときが必ずきます。それを自分自身に言い聞かせて、途切れず呼吸法を続けて下さい。

「苦しいけどギリギリまで強く息を吐いて行くと、手足に強く電流が走る感覚があった・・」とありますが、実はこれも捨ててはならない一つの方法なのです。ただ、まだまだ要領が掴めていないので苦しくなるのです。

「現在は丹田に任せて気持ち良く吐いているけど、強烈な気が走るというような感覚でなく、ぼんやりと満ちていくような感じ・・」とありますが、実はそのまま2〜3ヶ月も続けていると、吐く息のタイムが思うように延びないということに気が付くと思います。気感はそれなりに膨らんできますが、スパークに至るには時間が掛かり過ぎるということになります。

ならば如何にすれば良いか、と云うことになりますね(^3^) とりあえずは、
吐いて 吐いて 吐いて・・・
洩れて 洩れて 洩れて・・・
止めて 止めて 止めて・・・
これを実践してみてください。

「吐いて」→丹田の中心を捉えて、吐く息が自分の耳に軽く聞こえる程度の芯のある息。太陽の光が宇宙空間に広がっていくようなイメージでダイナミックに自信を持って吐く。七分(ななぶ)程度それで吐く。

「洩れて」→まだ吐く息に余裕があるので、無理して横隔膜をしぼって吐こうとせず、体内が緊張していないか点検しつつ二分(にぶ)ほど、息を洩らす。体内は膨らんだ風船のような感覚に近付ける。

「止めて」→両手、両足に意識を集め、身体は「空」と念じつつ、残り一分(いちぶ)余裕を持って息止めを味わう。実は吐く息に緊張が無くなってくると、吐いて+洩れてのタイムの2倍&3倍と息止めを味わうことができるようになる。そうすると不思議なことに、吐いて吐いて吐いてのタイムと、洩れて洩れて洩れてのタイムが、自然とあるいは驚異的に延びてくる。

息止めのとき、体内の「空」が実現できるようになると、吸う息(足裏から巡るエネルギー)が、背骨を震わせるようになってきます。こうなると百会の大爆発は近いと言えます。しかし、いつそう成るとは言えません。延々と瞑想呼吸法を繰り返していて、頭ではもうそろそろ止めようと思っていても、身体が呼吸をするのを止めない&止まらない・・といった状態のとき、運が良ければある瞬間が訪れるとだけは言えます。言い足りない事が多々ありますが最後に一言・・

『瞑想呼吸法とは
   只々、エネルギー的感覚を
         楽しむべきものなり』

                   武澤あつよし

修行報告「気」其の二