修行報告「気」其の四
ご無沙汰しております。東京は今、ものすごく暑いです。まるで蒸し風呂にいるような暑さです。広島はどうですか。

呼吸法は、あまり時間が取れないながらもいつか覚醒することを信じて日々続けております。最近は、以前よりも呼吸力が増しているような感があります。しかしというかやはり、吐く時の最後の方は胸が苦しくなってきてしまいます。呼吸法に迷いが生じた時は、常に先生が送っていただいたメールや瞑想呼吸法真髄を読み返すようにしておりますが、なかなかどうして最後の方の胸の苦しさを取り除くことに至らないという状況です。胸の苦しさを感じつつも、限界まで吐ききっていけばいづれはその苦しさから解放されるに到るのでしょうか。

最近とても不可思議な体験をいたしました。呼吸法をしていて、顔から胸に至る左側部分で皮を剥ぎ取られるような感じで軽く痛みが生じてそこから気が吹き出すような感じでした。

これからも日々精進し続けていく所存ですので、ご指導ご鞭撻の程宜しくお願いいたいます。
2005年6月 吉日
                      信也・T

.
信也さま

お元気そうでなによりです。修行報告「気」其の四、ありがとうございました。
着実に呼吸法を実践されておられるようで、とてもうれしく思います。
呼吸法はとにかく続けることです。生涯続けることです!
続けるうちに、あらゆる事が理解出来てきます。単に頭の理解でなく、身体で
理解するのです。体得!

武澤塾で稽古するMさんという男性は、入塾以前から気功治療を職業とされる方
ですが、入塾当時61才で気を出し過ぎていたせいか、その当時は虚気の状態で
した。身体は冷えて、肺は硬くなっていました。が、フリーコースで朝に夕にと
稽古に通い続けて11年!もうすぐ72才になられますが、誰が見ても11年前より
も若いと感じています。

その間、Mさんの気感は着実に膨らみ、70才を越えてからの気の変化には、目を
見張るものがあります。胸&額から気の風が吹き出るようになったばかりでなく、
全身を包む気の層は相当に厚くなっています。対気で走る姿はとても70代の走り
とは思えません。スーっと疾風のような走りと申しますか・・
ご本人も、日々の気の変化が楽しくてしかたない、といった様子です。
7月に開催する「24時間瞑想呼吸法の行」にも参加すると張り切っておられます。
百会の大爆発も近いかも?

70才を越えても、それまでの稽古の積み重ねにより、気感はどんどん変化向上す
るものなのです。したがって、若い信也さんがこれからも根気良く瞑想呼吸法を
続けていくと、どんな変化&体験が待っているかもしれませんね。楽しみです。

まだまだ息を吐いていくと、胸の詰まり&苦しさから解放されない・・とありま
すが、もがくその感覚はよく分かります。当初、私自身もそうでしたから。
西野先生が悠々と涼しそうに心地よく息を吐くのに比べ、こちらはもがき苦しん
でいる。いったいこの差はなんなんだ?それを知るには呼吸法を繰り返すしかな
い。百回や千回繰り返したくらいで分かるようなら誰も苦労はしない。
万回繰り返しても、あの(息=域)にはとうてい到達できない。百万遍繰り返す
ことにより、真に西野皓三という呼吸法の達人の凄さが理解出来てきたのです。

しかし、瞑想呼吸法神髄にも書いたように、呼吸の抜けをつかみ取るまでの間に
種々の気感を得ていったのです。信也さんが『呼吸法をしていて、顔から胸に至
る左側部分で、皮を剥ぎ取られるような感じで軽く痛みが生じて、そこから気が
吹き出すような感じでした。』と言っておられますが、正にそのような感覚が全
身、今日はここ、今日はここ、と云うように現れて来たのです。呼吸法を日々、
続けることが呼吸力、すなわち気パワーの蓄積になっていたのです。その蓄積が
驚愕の体験へと導いてくれたのです。

信也さんは現在その道を歩んでいるのです。あせることはありませんが、着実に
歩むことが大切です。胸が苦しいのに無理してヤセ我慢してはいけません。苦し
くなり始めるかな?と感じるあたりから更に緩みを探っていくのです。下に下に
と内臓の緊張を抜くようにしてみてください。苦しくなると云うのは、まだまだ
肉体レベルでの呼吸法だからです。腹式呼吸法のように、横隔膜を絞り上げて吐
く呼吸では、息を吐き切った時点で詰まってきます。詰めるのではなく抜くので
す。そして、両手&両足に意識を集めて、息止めしたときの身体の感覚は「空」。
とりあえずは透明感覚を意識してください。これが実現できたとき、次のステー
ジに進むことができます。

瞑想だけでも結構、自己解放を味わうことは可能ですが、呼吸が伴って、呼吸の
中でゆるみを探って、呼吸で心身が抜けて、本物と言えるのです。なぜなら、単
に瞑想だけで行ったつもりになっていても、ちょっと長息を行うと、息を吐き切
ったところで息苦しくなる。息苦しくなると云うことは、肉体の持つ不自由さを、
否応無しに感じさせられると云うことなのです。

細胞レベルで緩んで、エネルギーレベルで抜けて自由自在となり、否定しても否
定しきれない光の世界を味わうことができるのです。それは究極の安らぎ感なの
です。

 次回、修行報告「気」楽しみにしています。

                            武澤あつよし

.

修行報告「気」其の四