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従業員は、資源なのか?

近年、従業員は、「人的資源」としてモノのように扱われてきた

従業員教育に悩む経営者は少ないないようだ。
人件費の負担は企業にとって大きい。では、どの程度が適正なのかと聞かれても、スタンダードは作りづらい。

ここに、東京都産業労働局がまとめた「輝く技術、光る企業」(2009年度)がある。
この冊子で紹介された企業(製造業)は、人の生かし方に優れた点が認められる会社であるから、おそらくは、経営状態も比較的に良い企業が掲載されているものと、想像できる。
この冊子には、各企業の売上高と従業員数が記載されている。乱暴なやり方だが、売上高を合計し、それを従業員の合計で割ると、従業員一人あたりの売上高は2千8百万円。全体を二分し、売上高の低い企業だけで平均を出しても、1千5百万円となる。
今日、中小企業の従業員の平均年収は、5〜6百万円程度。ここから推定すると、中小企業の従業員は、自分の年収の2倍程度の貢献を企業に与えなければ、よい従業員と呼ばれないことになる。
この額はかなり大きい。
しかし、それを自覚している従業員は、おそらく少数だろう。

「年収500万円の営業マンをモデルにして、1回あたりの訪問コストを算出してみると、仮に営業マンが1日平均4件を訪問するならば、訪問1件につき1万円もかかる。1日平均8件の訪問でも、1訪問コストは5000円になる。」 との指摘もある(出典:営業力が高まる!「見える」しくみ 吉岡行雄 すばる舎)

近年、小難しい人事評価基準がたくさん出されているが、それが、本当に従業員のモチベーションアップに繋がっているのか、確たる証拠はない。
私は、もっと単純に、従業員にT字型のバランスシートを与えて、右側に自分の年収を、左側に自分が1年間に達成した仕事を記載し、そのバランスが取れているか、質問してみてはどうかと提案している。
通常、新採を採用してから数年間、企業は人件費の持ち出しとなる。しかし、当の従業員はそれに気づかず、「何で、こんなに給料が安いんだ」と不満を感じている。
今の若者はアルバイト経験が豊富だから、給料を稼ぐのは大変なことだということは知っている。しかし、会社に収益をもたらすことは、もっとずっと大変だということは理解できない。
従業員は、所詮、経営者ではないのだ。

私が労働相談担当だった、平成12〜13年当時も、リストラは盛んに行われていた。
あの頃は、「大手の得意先から契約打ち切りを通告されたので、従業員の給料をカットしたい」といったような単純な理由で、簡単に給料削減をできると思っている企業も多かった。

しかし、根拠薄弱な理由で正規従業員の給料を勝手に減らすことはできない。
そこで、企業は短期間で労働条件を見直すことのできる「有期雇用」の従業員を増やす方法をとった。
いつの間にか、30歳未満は全員「契約社員」という企業が増えた。

そんなわけで、ここ30年くらいの間に企業内で起こった人事管理の変化を、そのころ流行った言葉を援用して、今一度振り返ってみよう。

(1)昭和50年代半ば:窓際族
年功序列が制度疲労を起こしていた。誰もが齢を重ねれば能力を向上するというわけにはいかない。しかも、その下に団塊の若手世代が多数、昇任待ちで控えている。
「年齢が高いという理由だけで、年功序列の制度に乗って自動的に上の立場に昇っている人は、退職しろとまでは言わないが、閑職に回ってくれ。その後の進退は、そりゃ、自分で考えてもらいたい・・・」といった、事実上の退職勧奨が行われた。
「年功序列」という制度は崩れつつあった。とはいえ、終身雇用制度にまで、企業が踏み込んで改革したわけではなかった。

(2)平成5〜10年頃:リストラ
リストラという言葉が人員削減と同意語になるのは、この頃だったと思う。
(1)との大きな違いは、若手社員も人員削減の対象となったことだ。このため、企業の従業員は、長期的な人生観を持てなくなった。
某大手企業が、従業員に「退職金の削減で今の給与を維持する方がいいか、退職金を温存した方がいいか」とアンケートした。終身雇用を堅持することで有名な企業だった。ところが従業員側は「給与」を選んだ。「社員が終身雇用にこだわっていないことを知って、こっちがショックを受けた」と、人事担当は言っていた。
同じ時期、企業内ではイジメの対象が、高年齢の“窓際族”から、若手の“お荷物”社員に移った。
ちょうどテレビ番組で、若手芸人をイジメて、それを見物人が笑いの対象にするというのが流行っていた。それと同じようなことが、企業内で再現された。 社内のイジメに起因するメンタルヘルスの問題が表面化した。
また、成績主義の導入で、給料の横並びが崩れた。

(3)平成11〜16年頃:派遣
派遣社員はその前から存在した。
だが、派遣が急激に増えてきた時期は、実は、企業の存在基盤が揺らいだ時期と一致している。
大手の製造業・建設業・金融機関の存続までが安泰ではないといくことを、社会が認識した。ましてや、ごく一般的な中小企業は、いつどうなるかわからない。
そこで、企業は従業員の数を必死で減らした。収益の上がっている企業まで、不安に駆られてリストラを進めた。
その中で「派遣労働」という就業形態が普及した。その一方で、正規従業員には、契約社員化という波が押し寄せた(とはいえ、当初は新規採用から順次だったが)。
社員の数を減らしたって、仕事の量は同じように減ることはない。派遣社員は残業が制限された。法律で残業時間はガラス張りだったので、会社から「残業をさせるだけの予算がないのでさせるな」との、命令が出た。
他社から派遣された社員には残業代を出さなければならないので、残業させるな、自社の社員は残業代は出さない(=当然違法)ので、とことん残業しろという、企業内の構造ができた。
劣悪な労働条件下で終身雇用するのか、給料は安く雇用は不安定で仕事は雑用でも、きちんとした労働条件で働くか、という選択肢を、労働者は突きつけられた。
ここで正規従業員にとって、「愛社精神」という言葉は死滅した。自分が、会社にとって単なるモノであることを自覚したためだ。
そして、「自分さえよければいい」「どうとでもなれ」というモラルハザードの状況が社内を支配した。

(4)平成11年年〜:偽装請負
上記と併行して、水面下では、偽装請負という雇用形態が進んでいた。
製造業への労働者派遣が解禁されたのが、平成16年。しかし、かなり前から違法状態が野放しになっていた。
こうした状態を見て、国は、法律上「製造業への派遣をきちんと認めてコントロールをした方がよい」と判断した(たぶん)。

これだけ雇用の流動化が進んでしまうと、働いている立場から見れば、就労先は「ウチの会社」ではなく、「給料を出してくれるところ」という位置づけになる。
こんな状況で「仕事をちゃんと覚えろ」と叱れば、「だったら辞めます」といっていなくなってしまっても、当然だ。
若者は、その仕事がしたいわけでも、その会社が好きなわけでもない。貯金が底をつきそうなので、仕事に就いただけなのだ。

「会社」は終の棲家ではなくなった。たまたまそこにいるだけの所だ。
そう思って育ってきた若者を教育するのは、簡単ではない。

従業員を単なる数ではなく、人として尊重する職場は、強い。

もう、今から20年以上前になる。
都庁が完成した直後に、「都庁炎上」をテーマにした小説が出た。タワーリングインフェルノのような話だ。
第一庁舎の上部に職員と一般都民が残される。第二庁舎の屋上にヘリで消防車を運び、そこからハシゴを第一庁舎まで伸ばして、避難者を助けるという話だった。
そこで、神がかり的な活躍をするのが、日頃「ダメ職員」の烙印を押されていた平凡な係長だった。実は、彼はカンフーの達人だったというオチである(出典:新都庁大火災パニック 生田直親・・・たぶん)。

平凡で目立たない人間が危機存亡「いざ!」というときに、別人のように活躍するというストーリーは、他にもある。

一般的にデパートでは「ハコ売り」といって、ブランドごとのブースを作り、1ブース1ブランドで販売をする。エルメスの売場にはエルメスの商品だけ展示するという方法だ。
伊勢丹は、この垣根を取り去り、複数メーカーの商品を並べると同時に、従業員を接客の専門プロとして育成し、一人ひとりの従業員が「自分か何をなすべきか」を判断して行動するシステムを作っているという(出典:売り場で人が育つ伊勢丹方式 溝上幸伸 パル出版)。

落ちこぼれ社員を任された営業所長が、その営業所をトップセールスに導いた話もある。
ダメ社員はダメ社員なりにそれぞれの得意分野を持っており、その能力が十分発揮できるよう所長か誘導していったのが、成功のポイントとなっている(出典:奇跡の営業所 森川滋之 きこ書房)。

渋谷109のカリスマ店員が社長になったという話を引き合いに出し、「ショップスタッフは店舗という舞台の主役です」「大切なのは、舞台に上がった以上、一人ひとりが主役という気概を持って、役割を果たしていくことです。」とイトーヨーカ堂の元販売促進部主任だった丸木伊参氏はコメントしている(出典:「売り場のプロ」はこうして生まれる! 丸井伊参 日本経済新聞出版社)

こうした成功話に共通するのは、そこで活躍している人物が、難しい資格試験の合格者ではなく、ごく平凡か、むしろ社会的には高く評価されていない人間であること。そして、その人たちが、「主体的に仕事に取り組む」状況に置かれたこと。そして、その動きを、企業が阻害しなかったこと、である。

どうだろうか。
先に述べた社会全体の流れは、これと逆行しているのではないか?
個々の企業では、いかにして従業員が自立し、自分で考え、自分で行動するかに腐心している。
ところがだ、社会全体のスケールで見たとき、働く人間は、単なるワーキングパワーでしかなくなる。

会社の人事担当はこう反論するかもしれない。
「そんなことを言っても、今の若者の中にやる気のある人間がいたとしても、独立志向が強いから、せっかく教育してもすぐに辞めてしまう」

しかしながら、従業員を「何も考えない安い労働力」だという評価を下し続ければ、その企業には、未来は来ない。内部から腐っていく。
従業員をモノとしか考えないようだと、その従業員も「会社は収入を得るための手段」としか考えなくなる。そんな従業員が、どうして1千万円を越える販売額に繋がるだろうか。

「お店のパートだって、スキルが上がれば4人いるところを3人でできるわけです。できない子が4人いるより、できる子が3人のほうがお客さまには満足していただける。だったら、4人分の給料を3人で分け合えばいいじゃないですか。」という意見は、かなり説得力がある(日本レストランシステム会長大林豁史氏、 村上龍 カンブリア宮殿 日本経済新聞出版社)。

わが国が高度成長期に入る前の、商業の世界は「暖簾分け」で増殖していた。
優秀な従業員をいっぱしの経営者にまで育て上げ、資金を提供して独立させる。それが、普通だった。送り出す側の商店主にとっても誇りだった。
そんな時代にもう一度戻らないと、この国の企業は、立ち直れなくなる。

人は「資源」ではない。人は、あくまでも人である。

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