books / 2004年01月04日〜

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カーター・ディクスン/宇野利泰[訳]『赤後家の殺人』
Carter Dickson “The Red Widow Murders” / Translated by Toshiyasu Uno
東京創元社 / 文庫判(創元推理文庫所収) / 1960年01月15日付初版(2003年06月13日付27版) / 本体価格740円 / 2004年01月04日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 ジョン・ディクスン・カー、カーター・ディクスンのふたつの筆名を駆使し、不可能犯罪の巨匠と呼ばれた著者がカーター名義で著した四番目の長篇。
 斬首刑吏の家系を継ぐマントリング家には、フランス革命の頃に遡る歴史を秘めて封印された一室がある。赤後家――ギロチンの間のふたつ名で呼ばれるその部屋は、複数の人間がいる場合これといった害はないのだが、いざひとりで滞在すると、二時間以内にその命を失うという。実際に複数の犠牲者の名前を後生に留めており、数十年に亘って封印が解かれることはなかった。だが、現当主アラン・マントリング卿が館の売却を決意したことを機に封印を解き、それとともに“呪い”の是非を問うべく、ひとつの実験を試みた。カードによって無作為に選ばれた人物を室内に送り込み、残った面々で後家部屋を監視しながら、定期的に中のものに呼びかけ生死を確認し続ける。二時間、何事もなければ“呪い”は幻であったことになる――名探偵として知られるH・Mことヘンリ・メリヴェル卿も列席したこの実験は、だがギロチンの間に新たな犠牲者を齎すこととなった……
 このところずっとクリスティばかり読んでいたせいもあるのだろう、衒学的で回りくどい文体がなかなか馴染まず、少々手間取ってしまった。訳文の問題なのかもともとなのか、文脈が捉えにくい箇所が幾つもあって、その都度行きつ戻りつしていたこともペースを妨げる。往年の探偵小説特有のこの晦渋さにまったく親しんだ経験のない読者には、たぶん辛い類の作品だろう。
 いったんリズムを掴むことができれば、不可能犯罪の謎への興味と、登場人物の怪しげな、時として滑稽な言動に惹きつけられる。常にひとりでいるときにしか発生しない奇妙な死と、果たしてそれと同一の根を持つのか定かではない現在のふたつの事件を巡る謎解きは非常に入り組み、それでいて解き明かされてみると手がかりはきちんと出揃った上、極めてシンプルな形に整う。魅力的な謎に動かしようのない解決、まさに“探偵小説”の理想的な完成型だと思う。
 ただいかんせん、執筆されたのが1935年であり、本書の訳も1960年のものということもあって、あらゆる点で現在の価値観やテンポと合わなくなっている。こと、作品の重要なキーポイントとなっている狂気の解釈と法的な捉え方が現代と大幅に隔たっており、この点を呑み込めないと解決編を経ても釈然としない思いが残るばかりだ。
 とはいえ、恋愛感情や登場人物のキャラクターに依拠することなく、謎とそれを解き明かす過程のみでほぼ全編を埋め尽くしながら、ある種のロマンティシズムをきちんと備えており、今なお強烈な存在感を誇る名作であることに代わりはない。これこそ純正の探偵小説。

(2004/01/04)


デニス・ルヘイン/加賀山卓朗[訳]『ミスティック・リバー』
Dennis Lahane “Mystic River” / Translated by Takuro Kagayama

1) 早川書房 / 四六判ハード(ハヤカワ・ノヴェルス所収) [bk1で購入するamazonで購入する]
2) 早川書房 / 文庫判(ハヤカワ文庫HM所収) / 2003年12月31日付初版 / 本体価格980円 / 2004年01月10日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 2001年に発表され同年のアンソニー賞を受賞、間もなくクリント・イーストウッド監督によって映画化もなされた話題作。
 1975年、アンバランスながら友情を築きつつあったジミー、ショーン、デイヴの三人が喧嘩したその日、警察を装った男達が現れた。デイヴが彼らの車に乗せられ、四日後に無事戻ったとき、三人の関係は既に別のものに変わっていた。それから25年後、密接な交流の絶えていた三人は、思いがけない形で濃密な接点を持つことになる。ケイティという少女が、家出を予定していた前の晩に公園で襲われ殺されたのだ。ジミーは彼女の父親だった。ショーンはこの事件を担当する刑事となった。そしてデイヴは、警察の容疑者リストに名前を連ねていた……
 込み入った謎解きを期待すると、ちょっと肩透かしの思いを抱くだろう。主題となる少女の殺人事件にはちょっとしたアイディアが用いられており、驚きの要素も多少は盛り込まれているが、その出来事自体は主題のある側面を強調するための断片に過ぎない。何せ、粗筋で記した“三竦み”の状態に陥るまでに紙幅の半分を費やすのだから。
 従って、主題はあくまで、不幸な出来事に遭遇した三人の少年のその後と、彼らを取り巻く人々の心の変遷そのものだ。一時期はただの犯罪者として刑務所暮らしを経験し、いまは堅気の身になりながらも、かつての知性と凶暴さを兼ね備えた男としての顔を二重写しにするジミー。有能な刑事となったが、ある一線で主観的になれないために私生活でトラブルを抱え込んだショーン。そして、あの経験を乗り越えて普通の男としての幸福を手に入れたかに見えたデイヴもまた、時折顔を覗かせる記憶が自分の内側に齎したものに怯えている。ケイティという少女の死を契機に彼らと、彼らや事件に関わった人々の“暗部”が彼ら自身を襲いはじめる。その苛烈な様と、運命の悪戯と言うべき事件の顛末を描いている。
 単純な謎解き主体のミステリとして読めば、メインとなる三人以外の心理にも深く踏み込んだ描写は冗長に過ぎる。だが、思う様にならない運命と折り合いをつけながら生きていく人々の群像として捉えれば、入り組んだプロットと細やかなディテールとを堪能できる。ただ出来事を列記しただけでは伝わらない事件の深層を、ひいては一見平穏に見える生活の暗部そのものに目を向けた、正しく広義の“ミステリ”と呼ぶべき作品だろう。解かれるべき謎は、少女を殺した犯人の正体だけではないのだ。
 ラストシーン、パレードを背景に描かれる登場人物たちの言動は、そのパレードが華やかに感じられるほどに深い余韻を残す。

(2004/01/10)


ジョン・ディクスン・カー/三田村 裕[訳]『三つの棺』
John Dickson Carr “The Three Coffins” / Translated by Hiroshi Mitamura

早川書房 / 文庫判(ハヤカワ文庫HM所収) / 1979年07月15日付初版(1994年02月28日付11版) / 本体価格602円(2004年01月現在本体価格680円) / 2004年01月13日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 ロンドンはラッセル広場に居を構えるシャルル・グリモー教授のもとに出没したひとりの脅迫者。人づてにその噂を聞きつけたギデオン・フェル博士はハドレイ警視らとともに教授宅を訪れるが、まさにそのとき、グリモーは自らの書斎で死の淵に瀕していた。書斎に犯罪者の姿はなく、折しも先刻まで降りしきっていた雪の上に犯人のものらしき足跡さえない。ハドレイ警視がグリモーの弟を名乗る脅迫者のもとに使いを送ったところ、彼もまた何者かの銃弾によって息絶えていた。ふたつのさながら奇術の如き犯行に対峙したフェル博士が導き出す、醜悪極まりない真相とは……?
 フェル博士による「密室の講義」の章を含んだ、本格ミステリファンならばいちどは読んでおくべきと言われる古典中の古典傑作、だが恐ろしいことに私はこれが初読です。それというのも、密室講義じたいは他のあまた存在するミステリガイドや評論、はたまた一部の新本格作品でその概要は紹介されているし、また小説としての勘所である密室トリックも、同様のガイドブックやミステリクイズの類で見知っている。ついでに言えば、みんな読んでるものにいまさら手を出すのも……という天の邪鬼な思いもあって、長らく敬遠していたのでした。
 が、いざ読んでみたところ、密室講義の詳細は無論のこと、トリックそのものも完璧に忘れていたため、けっこう新鮮な気持ちで読むことが出来た。故に余計に感じたのかも知れないが、文章や表現がかなり荒れている。非常に詩的な表現、ペダンチックな文章があったかと思うと、ごく普通の描写が投げやりだったり半端だったり、意味が取りにくい箇所が多く、ペースが掴みにくい。登場人物がいったい何に驚き何におののいているのか、判断に苦しむ場面が多いのだ。
 だが、謎解き小説としての緻密さ、完成度は群を抜いている。なまじ「密室の講義」という箇所が有名すぎるために色眼鏡で見ていたが、トリック単体でも充分に読める。幾つもの要素を複雑に織り込み、追求された「不可能犯罪」の様相は神懸かりの域に達している。有名な「密室の講義」という考察にしても、このトリックの衝撃を確かなものにするための補助に過ぎない。
 古典的本格推理小説のマニュアルとも言うべき「密室の講義」自体も一読の価値があるが、それらを踏まえた上で大きくツイストさせた謎解きの衝撃は今なお色褪せていない。いや寧ろ、謎解き以外の要素が拡張してしまった作品が多く存在する昨今だからこそ、存在意義があるように思う。それだけに、訳文のせいか原文の問題なのか解らないが、読みづらい文章が惜しまれる。

(2004/01/13)


牧 逸馬/島田荘司[編]『牧逸馬の世界怪奇実話』
光文社 / 文庫判(光文社文庫所収) / 2003年12月20日付初版 / 本体価格838円 / 2004年01月15日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 昭和初期に谷譲二、林不忘、牧逸馬の三つの名義を駆使して、僅か数年のうちに文壇の寵児となり富を築いた長谷川海太郎。彼が外遊時に蒐集した膨大な文献に基づき、牧逸馬名義で発表した怪奇実話から、島田荘司氏が選りすぐったものを一冊にまとめた。編者による評論も収録する。
 集められているエピソードは切り裂きジャックにタイタニック号沈没、マリー・セレスト号と“浴槽の花嫁”事件など、程度に違いはあれど概ね有名なものばかりである。だが本書の特筆すべき点はこれらを昭和初期に、資料に当たりつつかなり正確に記していることだ。切り裂きジャックの項では、現在も唱えられている説をきちんと採りあげて紹介している。やや芝居がかった文体、ドラマティックに仕立て上げたいがために施したと思しき潤色のあとも見出され、純粋な資料としてはかなり傷があるが、実話をきちんと処理した読み物としての精彩は未だ損なっていない。
 反面、時代的なものばかりとは言えない欠点も見出される。初出が明記されていないので確信は持てないが、恐らく本書に収録された文章はいずれも雑誌に連載されていたものなのだろう、章が変わるごとに既述の趣旨を幾度も反復している場面があり、かなり煩雑な印象を受けた。また、「テネシー州、猿裁判」では1925年頃に行われた進化論を巡る裁判を採りあげて当時の民衆の無知蒙昧ぶりを揶揄しながら、「切り裂きジャック」の項などで容貌や出自に犯罪の素因を見出すような古い類の暴論が散見され、執筆された時代を踏まえた上でないと受容しにくい面も多々ある。
 また、編者は資料的なものとしても実用に耐えると判断して収録作を選んだようだが、そうした時代変遷を踏まえた考慮が為されていない点も気にかかった。初出が明記されていないこともそうだが、各編の章題を編者の意向で改題したとあり、それはそれで構わないとしても、初出掲載誌などとともに初出時の題名、また巻末の評論で編者が言及する「切り裂きジャック」事件の項にある「衝撃的な重大記述」に関する話といった必要なデータを付記するなど、資料の用途を考えるならもっと細やかな配慮が欲しかった。
 本文、巻末の書き下ろし評論共に熱の籠もった文章であり、いったん嵌れば非常に楽しい読み物なのだが、本書に関して言えば編集レベルでの手抜かりが認められ、少々勿体ない仕上がりだった。可能であれば補筆していただきたいところ。

(2004/01/15)


カーター・ディクスン/加島祥造[訳]『弓弦城殺人事件』
Carter Dickson “The Bowstring Murders” / Translated by Shouzou Kajima

早川書房 / 文庫判(ハヤカワ文庫HM所収) / 1976年04月30日付初版(2003年04月15日付11版) / 本体価格660円 / 2004年01月19日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 大学教授になった今でも冒険に対する憧れを抱くマイクル・テヤレイン博士は、友人である英国博物館長ジョージ・アンストラザー卿に請うて海を臨む古城・弓弦城を訪れる。狂気じみた言動を繰り返す主人のヘンリイ・スタイン卿を筆頭に、あまり愉快とは言えない人々が集うこの城にテヤレインらが到着したその晩、早くもふたつの屍体が城内に転がった。奇怪な状況で発生した殺人事件の謎を解き明かすために召還されたのは、科学捜査に固執せず独自の手法で幾つもの事件を解決に導いたという犯罪学の権威、ジョン・ゴーント。スタイン卿の蒐集した甲冑群がうつろな眼差しで見つめるなか、異様な事件は異様な形で発展していく……
 既に『夜歩く』でデビューしていたジョン・ディクスン・カーが、カーター・ディクスン名義(もともとはカー・ディクスンだったそうだ)で初めて発表した長篇。『赤後家の殺人』にも脇役として出演したマイクル・テヤレイン(テアレン)にジョージ・アンストラザー卿は登場するが、その後カーター名義でのお抱え探偵役となるヘンリ・メリヴェル卿は登場せず、その個性をやや先取りした犯罪学者ジョン・ゴーントが探偵役を務める。
 カー名義でのキャリアがあるからか、雰囲気は既に完成されており、探偵役が違うことを除けば後年の作品と印象はさほど変わらない。H・M卿とは正反対に落ち着いた人柄の探偵役であるせいか、事件の陰鬱さをそのまま映してトーンが暗いのが、後年の作品から入った人間には少々物足りなく感じられる。
 謎解きの過程は整然としているものの、今日の観点でいうといささか偶然に頼りすぎていたり、物理的すぎるトリックが主体となっているのが引っかかる。物理トリックでも、主題や謎解きと分かちがたく結びついているならいいのだが、鏤められた魅力的なアイテムがすべて有効に使われているわけではないのが物足りなく感じられる一因だろう。
 だが、よく考えられた道具立てに、後年のような狂騒的な雰囲気がない分落ち着いて読み進められる点、そして終盤の過剰に理屈的にならない、しかし明白な論理展開によって、平易で親しみやすい娯楽作品に仕上がっている。どうしても時代や舞台背景の違い、そして古くなった訳文に引っかかりがちだが、手頃なサイズといかにもな雰囲気と相俟って、格好の入門編になるのではなかろうか。いきなり『三つの棺』や『火刑法廷』などの超重量級から入って、あとはただ下るだけ、というよりずっとましなように思うが如何なものか。

 誤字脱字は出版物の宿命とはいえ、刊行から30年近く経とうというのに、誤字脱字がかなり残っているのが気にかかった。最近の版で文字の組み直しでもして、狂いが生じたのでしょうか。特に気になるのはp234、“脳ます”。……なんか、ワザとだと思えなくもない。

 なお本書には解説代わりにドナルド・A・イェイツによる密室論を収録している。1970年代ぐらいまでの密室のミステリの歴史が簡潔に把握できるいい文章だが、古典的名作のオチを平然と割っているのに何の断りもないのはいい加減どーにかして貰えないものか。
 これから読む方のためにネタバレしている作品をざっと挙げると、エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人』、コナン・ドイル『まだらの紐』、イズラエル・ザングウィル『ビッグ・ボウの殺人』、メルヴィル・デヴィッスン・ポースト『ドゥームドーフの謎』――まあ、だいたいネタそのものが有名すぎていまさら原典に当たる必要あるか、と思われるようなものばかりなのだが、それでも注意することにこしたことはない。
 が、個人的に解せないのは、買った順番通りならこのあとに読むはずだったカーター・ディクスン『爬虫類館の殺人』のネタを思いっきり割ってくれてること……どうしてそんな、狙いすましたように……しくしくしく。

(2004/01/19)


江戸川乱歩『江戸川乱歩全集第4巻 孤島の鬼』
光文社 / 文庫判(光文社文庫所収) / 2003年08月20日付初版 / 本体価格933円 / 2004年01月22日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 さきごろ、『幻影の蔵』で日本推理作家協会賞評論部門賞を受けた新保博久・山前 譲両氏による、二十一世紀に入って初めての乱歩全集第一回配本。出生に謎を秘める婚約者が殺害されたことからひとりの青年がとある孤島に端を発する奇々怪々な事件に巻き込まれていく表題作と、猟奇渉猟を戯れとする若き資産家が友人とうり二つの人間を目撃したことから始まる『猟奇の果』を併録する。
 表題作は乱歩自身は決して望まなかった通俗長篇のはしりとなった作品だが、多くの愛好家が(珠玉の短篇は別として)最高傑作に挙げる名編である。今日的な見地からすると極めて微妙な問題を多く孕む素材が多数盛り込まれており、どうにも危なげな手触りがある。乱歩の作品には大小を問わずそうした差別問題に抵触する要素が含まれることが多いが、本編は特にその比率が高い。
 ただ、『孤島の鬼』におけるそうした描写は危険な魅力に満ちた世界観の醸成に役立っており、また語り手である箕浦や、彼に同性愛を抱く諸戸道雄、それぞれのなかにあるマイノリティー的な要素と呼応しあって、一種独特のもの悲しさを生んでいる。極めて醜悪な本質を備えた事件にも拘わらず、またそのわりにかなり予定調和の印象が色濃い決着にも拘わらず、それが鼻につかないほどに、登場するすべてのものに愛情と共感とを注いだ乱歩の姿勢が、本編を未だに光芒少なからぬ名作にしているのだろう。
 対して、併録された『猟奇の果』は聞きしにまさる失敗作である。『湖畔亭事件』など初期の中短篇に通じるムードを備えながら、早いうちに底を割ってしまい無理無理に話を繋いでいる印象のある前編。その破綻ぶりを補うために題名を『白蝙蝠』と変え、明智小五郎を招請して『蜘蛛男』などの通俗的で冒険の要素を含んだ物語に方向転換を図るものの、結局前半の伏線はおろか後半で示した描写さえも満足に回収できないまま有耶無耶に締めくくられてしまった後編。全体の筋をあらかじめ決めることをせず、あとづけで回収していく連載での執筆方法が、最悪の形で乱歩の足を引っ張ってしまった作品であることは確かだ。
 しかし、本書の解説で述べられているように、だからと言って閑却視するには惜しいムードが満ちた作品でもある。なまじ追い込まれて無理矢理に書き継いだだけに、そうした乱歩の欠点をどの作品よりも剥き身に晒していること、二通りの作風が継ぎ接ぎされたことで、結果的に乱歩の作風の変遷を鳥瞰できる構成になっていることがその原因だろう。
 今後、乱歩作品に深く親しみたいと考えられる向きには、乱歩が本格的に通俗長篇に移行する過渡期に執筆され、それ以前とそれ以降の乱歩の作風を最も赤裸々な形で描いた本編を読む意義はある。こと、この前後に『蜘蛛男』や『幽霊塔』を読んでみると更に興趣は増すと思われる。そこまで興味はない、と思われる方は…………まあ、こういう乱歩もいたのだと、寛容な姿勢で臨んでいただければ幸い。

 なお、『猟奇の果』は本書が唯一入手容易な版であるが、『孤島の鬼』は創元推理文庫版の傑作選、角川ホラー文庫、春陽文庫と本書を合わせて実に四種類の版が存在する。二編収録されている本書が最も割安だが、創元版は初出時の挿絵を全点復刻しており、本書とはまた異なった楽しみ方が出来る。初めて発表された当時の禍々しい迫力に触れてみたい方は、そちらも手に取ってみることをお薦めする。

(2004/01/23)


アガサ・クリスティー/清水俊二[訳]『そして誰もいなくなった』
Agathe Christie “And Then There Were None” / Translated by Shunji Shimizu

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2003年10月15日付初版 / 本体価格640円 / 2004年01月23日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 1939年に発表され、以来綾辻行人『十角館の殺人』、今邑 彩『そして誰もいなくなる』など多数の追随者を生み出した、ミステリの古典的傑作。
 デヴォンの海岸にある無人島・インディアン島を訪れた、それぞれに縁もゆかりもない十人の男女。招待した当人の姿がないことに戸惑う彼らが初めて食堂に集まったとき、蓄音機が十人の“罪”を並べ立てた。来るはずの迎えの姿が見えないなか、マザーグースの詩に合わせて、ひとり、またひとりと招待客が殺されていく――館の主にして殺人犯、オーエン夫妻の正体は? 招待客は果たして生きてこの地を出られるのか……?
 という粗筋を書くのも億劫になるくらい人口に膾炙した名作であり、いまさら感想というのもどうかと我ながら思う。十数年振りの再読だが、前の本を読み終えてから一日足らず、ちょこっとずつつまんでいくつもりがいつのまにやら食い入るように読み耽っていて、気づけば最後の一ページ。緻密なサスペンスと圧倒的なリーダビリティ、犯人を知っていても展開を覚えていても楽しめる抜群の面白さ。携帯電話やネットワークが存在する現代に至ってもまだ賞味に堪える完成度の高さは、まさしくオールタイム・ベストの名にふさわしい。
 清水俊二氏の簡潔で整った訳文も作品世界に馴染み、その読みやすさを更に完璧なものにしている。今回の再刊に当たって幾つかの作品の訳を改めているが、本書はあえて従来のままとしたのも頷ける。
 ただ今回久々に読み返してみて思うのは、読者の側に与えられる手がかりがやや乏しくはないか、ということ。解決編ではきちんとヒントが与えられていた、と記されているがその実、犯人に辿り着くための根拠がすべての事件できっちり提示されているとは言いがたい。無論、事件の全体像から解き明かすのもひとつの方法であり、それはクリスティー作品ではお馴染みのものではあるのだが、些か物足りなさを感じたことは明記しておきたい。
 だが、そうした不満を含めても、登場人物たちの疑心暗鬼を招くことで形成された複雑な人間関係、その上に編み上げられた恐怖感と緊張感、そして結末の意外性に至るまでの驚異的なプロットの完成度が覆されるわけではない。
 何よりも特筆すべきは、この完成度を最小限のヴォリュームに纏めていること。長大化した昨今のミステリに慣れた者にとって、この分量でこの完成度と質的な重厚感を実現していることこそ最大の驚きとなるのではなかろうか。発表から65年を経た今でも、本書の価値はまだ減じていない。

(2004/01/23)


ジョン・ディクスン・カー/白須清美・森 英俊[訳]『グラン・ギニョール』
John Dickson Carr “Grand Guignol” / Translated by Kiyomi Shirasu & Hidetoshi Mori

翔泳社 / 四六判ハード(SHOEISHA MYSTERY所収) / 1999年04月05日付初版 / 本体価格2000円 / 2004年01月25日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

『夜歩く』には原型となった中篇が存在した。ダグラス・G・グリーン氏によって明らかとされながら、発表媒体が学芸誌であったため長年幻であり続けた表題作を訳出、ほか同様に本格デビュー前のカーが手がけた短篇二本に掌篇一本、更に長篇アンソロジーの序文として執筆された評論「地上最高のゲーム」をも併録した、ファン垂涎の一冊。
 カーのもったいぶった、いささか高姿勢な文体はかなり読者を選ぶ。それも手慣れていない初期のものとなると尚更のように思われる。従って、大半が本格的なデビューより前に執筆されたこのオリジナル作品集ほど、初心者にとって取っつきにくい本もないかも知れない。
 一方で、カーという作家の持つ特色と彼の傾向を見事に凝縮した一冊であるのも確かだ。表題作では謎解き小説――それもとりわけ「密室」という謎にかける意欲を示し、ふたつの短篇では幻想・怪奇描写の嗜好と歴史ロマンへの少々幼稚な憧れをまざまざと見せつける。選集の序文として記しながら、筆を尽くしてカー自身の本格論を語った評論は、カーが理想としつづけた探偵小説像を浮かび上がらせる。
 読書家でないひとに薦めるには大いに躊躇われるが、ある程度読書力を備えていて、その上でこれからジョン・ディクスン・カーにカーター・ディクスンという作家の作品群に触れようか悩んでいる人にとっては、相性を占うことの出来る一冊となりそうだ。表題作のどこか生硬で大味な作りに寛容になることが出来、些か身構えすぎ当時も今も決して普遍的な定義を示しているとは言い難い評論にも(それを前提とした上で)共感することが出来るのであれば、六十を超える長篇も充分に楽しめるだろう。
 なお、収録された評論には、言及される作家や探偵たちのプロフィールなどが末尾に添えられており、これから1900年代初頭の英米ミステリに触れようとする読者にとって格好のガイドとしての役割も果たす一方で、けっこう安易にネタばらしをしている箇所も多々あるので、留意が必要となる。編者の気遣いによって未読作品のネタばらしがなるべく目に留まらない工夫もされているが、カーが活躍していた頃の大らかさというか粗雑さを窺わせて、なんとなく微笑ましいというか、困ったもんだというか。

(2004/01/25)


岩井志麻子『私小説』
1) 講談社 / 四六判ハード / 2004年01月20日付初版 / 本体価格1500円 / 2004年01月26日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 日本ホラー大賞と山本周五郎賞を受賞した著者による、官能的な連作短篇。月に一度、一週間ほど、小説の取材という偽りの免罪符でベトナムのホーチミンを訪れ、10も若い愛人と爛れた時間を過ごす“私”。別れた夫と彼に連れ去られた息子、いま現在の恋人であり担当編集者でもある日本の男、そしてやがて近くて遠い国で巡り会ったもうひとりの男。若い頃の性的な記憶をいまに重ねながら、“私”は奇妙な時を過ごす……
 近年著者が繰り返し主題に採りあげる、著者自身を思わせる主人公とベトナムの愛人の奇妙な交流を描いた連作。ホラーで登場した著者だが、本書をジャンルに当てはめるとすれば官能小説だろう。
 但し、これでもかとばかりに卑猥な描写を連ねるのではない。ベトナムの風土を思わせて濃密ながらもその性愛はどこか乾いている。安ホテルに始まり、愛人の家、愛人の別居する妻の実家と様々な場所で情を交わし、無邪気に日本人の女があることを誇る愛人と、そのことに深いこだわりを抱いていないように見える周囲の人々を淡々と描く筆致は、ねっとりとしながら同時に諦念でからからに乾いているような感触がある。
 各編にはこれといった結末が用意されず、まるでこの倦怠感に満ちた“日常”が延々繰り返されるように幕を引く。だが最終話に至って突然、すべての物語がひとつの出来事に結束し、思いもかけない決着を迎える。なまじ著者自らの経験をなぞるように綴られているだけに、約束されたような終幕に驚かされる。
 一見、点数稼ぎのような作品であってもきちんと締めくくることが出来るあたりが、この作者の巧さであり、強さだろう。もし語られていることの大半が事実であったとしても――それもまた、著者の才能の一部には違いない。或いは、“業”と言うべきか。

(2004/01/26)


カーター・ディクスン/後藤安彦[訳]『青銅ランプの呪』
Carter Dickson “The Curse of the Bronze Lamp (Lord of the Sorcerers)” / Translated by Yasuhiko Goto

東京創元社 / 文庫判(創元推理文庫所収) / 1983年12月23日付初版(2003年09月26日付6版) / 本体価格800円 / 2004年02月02日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 考古学者とその娘がエジプトの遺跡から発掘した青銅のランプには、お定まりの血塗られた逸話が纏わっていた。曰く、それを所有する者には災厄が訪れる、と……予言者の叫びを無視して、考古学者の娘ヘレン・ローリングはランプを携えてイギリスに帰国する。だが、考古学者の娘は自宅である邸宅セヴァーン・ホールの玄関をくぐった次の瞬間、跡形もなく消え失せた。エジプトでヘレンと偶然の邂逅を遂げたH・M卿が捜査に着手するが、老探偵が手を拱いているあいだに、またひとり関係者が姿を消して……
 かのエラリイ・クイーンとの問答のなかから生まれたという、それだけで涎の出て来そうな作品だが、その上に扱っているのは人間消失である。
 殺人であれば密室に屍体が残るが、それすらも存在しない状況では、関係者は消えた人物の生死すら詮議しながらことの真相を探らなければいけない。その不安と、ふたたび関係者を見舞うかも知れない“呪い”への侮りと相反する恐怖を巧みに織り込んだ、職人芸を思わせる長篇である。
 ただ、謎の魅力に反してトリックそのものは少々精彩を欠いている。単純で、多くの綱渡りをしながら成立しているトリックのため、どうしても御都合主義という印象を拭い切れていない。最初の事件からふたつめの事件への展開の仕方などは、さすがに大家と呼ばれる著者だけあって見事な筋運びだが、仕掛けとしてはカー(ディクスン)の作品群にあって決して秀でたものではない、と思う。
 にもかかわらず読み終えての印象がいいのは、解決編の鮮やかさによるものだろう。とりわけ、ここしばらくに読んだカー作品のなかでも、本編終幕でのメリヴェル卿ほど颯爽と見えた探偵役はいない。
 やや精彩を欠く、とは言うものの、伏線の張り方は相変わらず巧いし、ギリギリまで徹底した怪奇趣味を用いながら、すっきりとした後味を残す解決編と、当時の著者が探偵小説作家として如何に充実していたかを示す傑作だと思う。

 感心する一方、現代の日本ではたぶんこのトリックは成立しないだろう、とちょっと苦笑せざるを得ない。恐らく本編のトリックは(以下ネタバレのため伏せ字)『シンデレラ』のミステリ風応用(ここまで)という観点から着想したものだろうが、たぶん、日本の、とりわけ最近登場した書き手が筆を取ったら、こうはいきません。問題は、技術じゃないのです。

(2004/02/02)


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