books / 2003年12月05日〜

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マイクル・コナリー/古沢嘉通・三角和代[訳]『チェイシング・リリー』
Michael Connelly “Chasing The Dime” / Translated by Yoshimichi Furusawa & Kazuyo Misumi

1) 早川書房 / 四六判ハード(Hayakawa Novels所収) / 2003年09月15日付初版 / 本体価格1900円 / 2003年12月05日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 ハリー・ボッシュシリーズを中心に、重厚かつ野心的な作品を著し続けるマイクル・コナリーが2002年に発表した、ノン・シリーズ長篇。
 ナノテクノロジーによる精密機器の開発に従事しているヘンリー・ピアスが、同棲していた恋人と別れて初めて受けた電話は、リリーという娼婦へのメッセージだった。新しいアパートメントのために契約した電話番号のかつての持ち主であったと思しいリリーは、インターネットのアダルトサイトに名前と電話番号入りの広告を掲載したまま行方をくらましたらしい。かつて家庭の不幸から姉を連続殺人犯に殺された過去が、ピアスに無益な“追跡”を決意させた。電子アダルト産業の昏い海のなか、果たしてリリーは何処に浮かんでいるのか、それとも遙か底に沈んでしまったのか? だが、ピアスのこの追跡劇は、思いもかけない形で逆に彼を追い込んでいく……
 昨年末頃、映画鑑賞の予習として『わが心臓の痛み』(『ブラッドワーク』としてクリント・イーストウッド監督により映画化)で初めてコナリー作品に触れ、恐るべき手腕に震えたものだが、本書を読み終えてその感慨を新たにした。この作者、驚異的な使い手である。
 キーポイントはふたつの現代的なテクノロジー。一方は既に社会風俗のなかで化物じみた地位を築き上げてしまったインターネット、もう一方は『ミクロの決死圏』を想起させるナノテクノロジー。もはや常識と化した感のある前者はさておき、後者の描写の細やかさと言ったら、元々専門家だったのでは、と錯覚させられるほどだ。しかもただ主人公ピアスのディテールのために消費されるわけではなく、きちんと謎解き小説としての軸に関わってくる。
 実は、ミステリとしての仕掛けは決して複雑なものではない。技術は専門的でも、非常にシンプルな発想に基づいている。虚勢ではなく、私自身読みながら早いうちに仕掛けのベースを見抜くことが出来た。それでも犯人が解らなかったのは、本書の意図が読者との推理ゲームにはないせいだろう。伏線は丁寧にばらまかれているものの、主眼は見も知らぬ女性を追いかけることから生じた危機を巡るサスペンスだ。
 これから読む方には、是非纏まった時間を用意して、一晩なり一日なりで一度に読み切ってしまうことをお薦めする。そうした方が、主人公ピアスの陥る窮地に共鳴してサスペンスを堪能することが出来るし、終盤でのツイストと意外な結末に素直に驚くことが出来る。
 著者のシリーズ作品と同様の重厚なテーマを孕みながら、軽快さとスピード感を備えた一級のサスペンス。もし問題があるとすれば――自ら進んで窮地に飛び込んでいくような主人公の、崇高とか愚かとか言う以前に無邪気すぎる言動にもどかしさを感じることだろうか。著者の人物造型が巧みである証左でもあるのだが、巧すぎるだけに結構苛立つのである。

 単体としても優れた本書だが、作中で幾つもの書籍や映画作品に言及しており、それを拾い上げていくのも楽しい。主人公とその友人が引用する『ミラーズ・クロッシング』の台詞や、主人公が聖書のように捉えるドクター=スースの絵本『ぞうのホートン ひとだすけ』の場面、また学生時代のエピソードに絡むというロス・マクドナルドの『運命』、などなど。詳しくは本書のあとがきを参照していただきたい。
 また、本編は著者としては珍しい単発作品だが、どうやら他の作品に登場するエピソードが裏に潜んでいるようだ。いったいどの作品がどう絡んでくるのか調べてみるのも、本書の楽しみ方の一つだろう。

 ところで。
 海外の作家は巻頭なり巻末なりに長い長い謝辞を記すことが多いが、本書には冒頭にひとりに対する献辞が付されているのみだ。が、三角和代氏のあとがきによれば、本書のナノテク考証における協力者と思しい人物の名前を含む謝辞がまた別にあったらしい。……なんで、そこは訳されてないんでしょう? 何処かに隠れてるのかしら??

(2003/12/05)
(2004/04/05・一部訂正)


アガサ・クリスティー/松下祥子[訳]『パディントン発4時50分』
Agathe Christie “4.50 from Paddington” / Translated by Sachiko Matsushita

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2003年10月15日付初版 / 本体価格720円 / 2003年12月08日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 ロンドンからセント・メアリ・ミードに帰る途上、車窓に目を向けたミセス・マギリカディは息を呑んだ。併走する汽車の窓越しに、女の首を絞める男の後ろ姿が見えたのだ。車掌も警察も、老婦人の戯言と真に受けなかったが、ただひとり、ミス・マープルだけは違った。問題の列車がパディントンを4時50分に出発するものだと特定し、犯人が屍体をある場所に投棄したあとで隠した、と推理した彼女は、問題の場所――クラッケンソープ家の所有するラザフォード・ホールに、ひとりの女性を送り込んだ。高学歴ながら志をもって家政婦の道を選び、多くの名家から信頼されるに至った彼女ルーシー・アイルズバロウ嬢は、気難しく扱いにくいクラッケンソープ家の人々を瞬く間に籠絡すると、静かに密偵を開始した……
 これほど「先の読めない」ミステリというのもちょっと珍しい。並行する列車の窓に殺人を目撃した老婦人のエピソードから筆を起こしたかと思うと、ミス・マープルの容喙を経て次に大活躍するのは“スーパー家政婦”。そして彼女の手によって屍体が発見されると今度はにわかに田園ミステリの趣を呈し、ミス・マープルと懇意の警部が東奔西走する。視点人物も雰囲気も目まぐるしく変化し、果たしてどこへ牽引されているのか解らない。きちんと論理的な手がかりを明示しながら、実にラスト30ページぐらいまでやきもきさせるのだから、相変わらず素晴らしい手腕である。途中までは、序盤の展開があまりストーリーに役立っていない、と思ったものだが、それまで脇役に徹してきたミス・マープルがふたたび本拠に突入するなり、鮮やかな大技でもって意義を与えるくだりなど、もはや感動的だ。
 手がかりやトリックは小粒、加えて肝心の容疑者たちがミス・マープルやルーシー嬢と比べてどうにも精彩を欠いているため、果たしてこれほどの紙幅が必要だったのか、と首を傾げたくなるのがやや弱みではあるが、全体では水準を上回る出来。クリスティー文庫の刊行開始以来何度も痛感した事だが、改めてクリスティー作品は概して質が高い、と思う。
 だが、作品を読み終えて何よりも強く案じるのは……ルーシー嬢には出来れば“スーパー家政婦”のままでいて欲しいものだ、ということだったり。彼女ともあろう人があんな駄目そうな男を選ぶのはどうだろう。ほんとに。

(2003/12/08)


江戸川乱歩『悪魔の紋章 乱歩傑作選20
東京創元社 / 文庫判(創元推理文庫所収) / 2003年10月31日付初版 / 本体価格740円 / 2003年12月09日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 昭和十二年から十三年にかけて雑誌連載された、通俗長篇の一冊。
 明智小五郎と世評を二分する名探偵・宗像隆一郎博士の助手木島が、委ねられた事件の捜査中に毒殺された。日を同じくして、製薬会社の取締役川手庄太郎氏に齎された殺人予告は現実のものとなる。まず川手氏の次女雪子が、ついで長女妙子が殺人鬼の凶手にかかり命を落とした。いずれの犯行現場にも、さながら存在証明のように三重渦巻状の指紋が残されている。いまひとりの助手小池までが殺害されるに至って、宗像博士は川手氏を人知れず地方に連れ去り、匿おうと画策するが……。
 探偵側の犠牲が発端という切り出しは珍しいが、それ以降は相変わらずのスピーディかつ目まぐるしい展開。当初は探偵役が明智ではないせいか、微妙に雰囲気も異なっている。被害者や関係者よりも探偵の視点が多かったり、探偵の行動が全般に後手後手に回っていたり、という具合だ。その一方、猟奇趣味なガジェットは相変わらずで、果たして無事大団円に漕ぎ着けられるのかという不安と、乱歩らしいプロットへの安心感が同居する奇妙な長篇となっている。
 犯人・探偵共に行動が行き当たりばったりでほうぼう破綻しているし、トリックも単純すぎて「どうして誰も気づかなかった?」と首を傾げつつ苦笑するようなものばかりだが、真相に気づかなければ紆余曲折の激しいプロットとサプライズが堪能できるし、気づいたとしてもその背景と実際の行動の微妙な齟齬からくるトホホな感じが楽しめる。そうしたものを許容させてしまうあたりが、乱歩のこうした長篇の良さと言えるだろう。いわゆる通俗長篇のなかでも本書は特に無茶が著しいが、その分乱歩らしい嗜好が最も解りやすい形で盛り込まれており、脂ののった長篇である。……但し、乱歩作品に対して何らかの愛着がないと、ちょっと辛いかもしれないが。

 今回の読書における私の最大のミスは、読みながらちょっとずつ感想文を仕上げようと思い立ち、初出を確認するために早い時点で乱歩の自註自解に目を通してしまったこと。……皆さん、決して真似をしてはいけません。1行で答えが書いてあるから。
 たとえ粗筋だけで薄々察していたとしても、ご注意を。解説も同様にネタバレ込みなので、大人しく本編からページ順にお読みください。

(2003/12/09)


甲斐 透/影崎由那・原作イラスト『かりん 増血記(1)』
1) 富士見書房 / 文庫判(富士見ミステリー文庫所収) / 2003年12月15日付初版 / 本体価格540円 / 2003年12月11日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

『ドラゴンエイジ』誌上に連載中の漫画『かりん』のノベライズ第一巻。
 真赤果林は吸血鬼の家系に生まれながららしいところが全くなく、それどころか嗜好に合う人間に出会うと体内の血が増えて、誰かに注ぎ込まないと収まらなくなるという厄介な体質の持ち主だった。記憶を消すこともままならず、近頃は同級生の雨水健太に造血衝動なのか恋愛感情なのか解らない感覚を抱いてしまって、学校生活も落ち着かない。そんなある日、果林の通う学校に財閥の御曹司が転校してきた。驚いたことにその御曹司は三ヶ月前に耐えきれず噛みついた少年で、しかも朧気な記憶を頼りに果林を探していたらしい。衆目をまったく顧みない御曹司のアプローチのせいで女生徒にはやっかまれるわ雨水を含めての三角関係だと騒がれるわ……
 まず漫画版を読みましょう。まる。
 ……冗談でも何でもなく、あくまで番外編を志した作りなので、原作の内容を知っていたほうが楽しめるのは確実である。こと、ヒロイン・かりんや同級生の雨水健太にまつわる描写は、その背景を知っていた方がいい。
 だが、そうして原作に触れたあとだと、前半ちょっとテンポが悪いのが気にかかる。説明的な文章や、世界観を理解させるための日常描写が、絵一枚で説明しきってしまう漫画版に比べるとどうしてもまだるっこしい。また、御曹司で美男子で更に女生徒の間で囁かれる誘拐暴行事件といったお定まりの要素が、約束をなぞりすぎているためにむず痒さを覚える。正直に言うと、私はちょっと苛々した。
 その分、説明を終えた中盤以降は快調で、ページを繰るのが楽しくなる。お約束通りのガジェットを、この設定ならではのやり方で処理していて、けっこうな満足感も味わえる。四方八方丸く収まりすぎとか、かりんと雨水以外のキャラクターの描き込みが足りないとか、もっと弾けた内容でも良かったんじゃないかとか、細かい嫌味はあるものの、原作ファンには概ね不満のない仕上がりだ。単体で読む、というのを止めはしないが、折角読むなら漫画版と併せて手に取ることをお薦めしたい。
 ちなみに、この作品のノベライズを富士見ミステリー文庫から刊行すると聞いたとき一抹の不安を覚えましたが、どうやら辛うじてミステリになってます。本格派ではないし、そんなに手の込んだものではありませんが。

 なお、造血するときの血液型の不適合は、とかそこまで細かいことを気にする人には向いてません。基本的にコメディなんですってば。

(2003/12/11)


平山夢明『東京伝説 狂える街の怖い話』
1) 竹書房 / 文庫判(竹書房文庫) / 2003年12月05日付初版 / 本体価格552円 / 2003年12月17日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

『「超」怖い話』シリーズの落ち穂として編まれた、非現実的な要因のない極めてリアルな体験談集。角川春樹事務所で刊行されたものから数えると三冊目にあたる。
 暗澹とした世相と治安の悪化を反映するように、刊行のペースが速まっている。「ミミズのハンバーガー」に類するような都市伝説的なエピソードが減り、サイコな人々の話が増えているという傾向も加速しており、性善説寄りの人ほど嫌悪感を覚える内容になっている。反面、こうしたシリーズものにはありがちなことだが、巻数を重ねるにつれてパターンが生まれてしまい、読み続けるほどにエピソードごとに受ける衝撃が和らいでしまっている感も否めない。しかし、本書を単独で読む分には気にならない問題だろう――おそらく、免疫のない人にはじゅうぶんショッキングな話ばかりだ。
 うがった見方をすれば、体験者が捏造したと思えるような話も幾つかあるのだが、そういうものが創られる背景じたいがそもそも恐ろしい。どちらにしても、俗世の暗黒面をよく映し出したシリーズと言える。
 大半が陰鬱か凄惨な結末を迎えるのだが、一方で奇妙にいい余韻を残す話が幾つかあるのが面白い。個人的なベストは「犬女」だが、奇妙な余韻という意味で冒頭の「五分間の人」、トリの「万引き屋」も捨てがたい。

(2003/12/17)


元田隆晴・編著『病怨 医療関係者、心霊体験告白!!』
1) 竹書房 / 文庫判(竹書房文庫) / 2003年12月27日付初版 / 本体価格524円 / 2003年12月21日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 好評の現役医師による怪奇体験集第六弾。前巻と同様に、医療関係者からの体験談を集めると共に、特別企画として『ブラックジャックによろしく』の人気漫画家・佐藤秀峰氏との対談を収録する。
 基本的な印象は前巻と変わりない。つまり、密度が薄れ、全体にありがちな話が増えてしまい、白けた印象が残る。ただ、前よりは「説明のつかない出来事」が集まっていて、怪談好きの渇にある程度は応えられる内容となっている。
 他の怪談集と同様に、携帯電話やパソコンといった新しい機材を介しての怪奇現象が多くなっていることに興味がそそられる。ほとんどはその必然性もなく、ただ写真などを介していたものが単純にパソコンモニターなどに移っただけなのだが、そんななかに『ペースメーカー』のようなエピソードが入ってくるとなかなか衝撃的だ。ただ、似たように新しいメディアを介した怪奇談でも、『ウイルス』は少々都市伝説的に過ぎて、承伏しづらい気がする。
 前作の反省をある程度踏まえて、堅実に仕上げた本となっている。あまり掘り下げた感じはなく、安易の誹りを免れない面もあるが、怪談のシリーズものとしては上等の方ではなかろうか。
 ただ、特別企画の佐藤秀峰氏との対談は、それなりに面白さはあるものの、どうして本書に収録したのか意味がよく解らない。怪奇現象や不思議な話の交換もなく、ただ「意外な交流」を紹介したかっただけのような……。

(2003/12/21)


山田奈緒子『超天才マジシャン山田奈緒子の全部まるっとお見通しだ!』
1) ワニブックス / 四六判ソフト / 2004年01月09日付初版 / 本体価格1200円 / 2003年12月22日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 2003年12月、好評のうちに第三シリーズが完結した人気ドラマ『TRICK』関連本。シリーズのヒロインで、色々と意地汚い真似をしでかしつつも不可解な事件の解決に一役買ってしまう貧乏マジシャン・山田奈緒子が、これまでに関わった事件の顛末を語った談話を、そのまま文章に落としたという趣向の企画本である。
 同様の企画本として、ドラマのなかで登場するもうひとりの主人公・日本科学技術大学教授上田次郎が著した『どんと来い、超常現象』になぞらえたものが、既にほかの出版社から刊行済み(私の感想はこちら)だが、本書はそれを山田奈緒子の視点から作り直したもの、と言って差し支えあるまい。つまり、ドラマとして語られた事件を、すべて山田奈緒子の視点から綴ったものという体裁を取っている。
 異なるのは、第二シリーズ終了後、映画版公開直前に最初のヴァージョンが発売された上田版では第二シリーズまでの事件しか取り扱っていないが、本書では映画版を除いた第三シリーズまでのすべての事件を網羅している点である。
 冒頭にドラマでの展開を踏まえた奈緒子のライフスタイルが、如何にも彼女らしい言葉の飾りでもって表現されているのはなかなか面白いが、一方事件の記述については、上田本と厚みにあまり違いがないためか、必然的に個々の記述が薄くなっている。かなり端折られているし、せっかくの奈緒子視点という設定なのに、ドラマで語られた以上の事実や彼女の心理、感情が綴られていないのが物足りない。本のデザイン、フォント、表紙の写真のシチュエーションに至るまでなぞらえているだけに、上田本ほど内容に飛躍がない点で劣った印象を与える。また、もともと奈緒子の語り口調は一冊の本を支えるには適していないこと、ドラマと比較すると台詞や描写がかなり(上田の妄想に合わせて)ひねってある上田本と比べると事件を正直に語りすぎていることが、なまじドラマを愛好していた身には退屈で、終盤読むのが辛くなった。
 ドラマでもお馴染みの、奈緒子の間違った語彙(コンセプト→コンセント、スリット美香子→スキャット美香子、などなど)が本文に反映されていたりと、あちこち彼女の表情や声が脳裏に浮かぶような作り、山田奈緒子と女優・仲間由紀恵の対談の微妙なリアリティなど、楽しめるところも多いのだが、折角ここまで凝ったのだから、上田本と一緒に読むともっと作品世界が膨らむような仕掛けが欲しかった。最低でも、物語のなかで登場したマジックの丁寧な解説ぐらいはあってもよかったように思う。それだけで、“マジシャン山田奈緒子の著書”というアイデンティティは確立できただろうに。
 ドラマをすべて鑑賞した人間が、しばらく経ってから作品のことを回想したり、ドラマ本編と比較しつつ鑑賞するぶんには楽しめる。が、上田本含め作品世界にどっぷり浸ってきたような状況ではちょっと読むのに気力がいるだろう。私個人にとっては、おーむね楽しかったんですけどね。

 ただし。
 ディープなファンにとってみると、実は第三シリーズ最終話の扱いがちょっと面白い。本書の発売時期がそもそも最終話放送直後(翌々日から、次の週いっぱいぐらい)に全国の書店に並びはじめたこともそうだが、肝心のドラマ自体が放送のかなりギリギリまでかかって撮影されていたらしく、そうした要因が重なった結果だろう、本書での記述と実際の放送での内容を比べると、妙な差違があるのだ。
 何せ堤監督を中心とするスタッフの作品は「脚本通りにならない」という傾向があるらしく、現場でどんどん変更が加えられていくそうだ。変更のほとんどはギャグらしいのだが、それでもギャグ(その場のノリ)を優先するかシナリオを優先するかで、内容はだいぶ違ってしまう。撮影と同時進行で本書を編集していたのなら、最終回あたりは脚本を素材とする以外になく、それ故あちこちに違いが認められるのだろう。
 どの辺が異なっているのか、はここには詳述しない。気になる方は録画したものなどを参考に見比べてみてほしい。ざっと見た印象だが、本書と同時期に発売されたノヴェライズでも同じような差違が存在している。
 あ、2004年04月発売予定のDVD・ビデオと見比べた場合については保証の限りではありません。たぶんかなり手が入っているでしょうから、或いは本来の脚本寄りに修正される可能性も否定できませんので。

 それにしてもゴシック体のみの本文はやっぱり、非常に読みづらい。ベースとなっている上田本からして同様の体裁なので仕方ないと言われたら否定できないのだけど、それなりに深みに嵌った本読みとしては、どーにも拒否反応を覚えてしまう。次があったら、もうちょっと考慮していただきたいところ。
 ……どうせ、あるんでしょ? 本そのものは知らんけど。

(2003/12/22)


三津田信三『百蛇堂 怪談作家の語る話
1) 講談社 / 新書判(講談社ノベルス所収) / 2003年12月05日付初版 / 本体価格1200円 / 2003年12月22日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 作家でありD社に勤める編集者でもある三津田信三は、知人の編集者を介してひとりの男と出会った。彼――龍巳美乃歩が齎したのは、彼が生まれ育った百巳家を巡る、世にも稀な長尺の怪異譚だった。かねてからホラーや怪談にまつわる書籍を手がけていた三津田は、長篇怪談と呼びうる体験談に興奮し、是非とも出版したいと龍巳に呼びかける。やがて三津田の元に届けられた原稿は、だが三津田の予測を超えて恐ろしい形で彼と彼の周囲の人々に影響を及ぼしていった――
 題名は違っても、完璧に前作『蛇棺葬』と補完しあう内容である。それも刊行順通り、『蛇棺葬』→本書と読まなければ、効力を発揮しない作品だ。
 そもそも『蛇棺葬』で綴られた内容を、語り手が語り終えた時点から物語が始まっており、読者があちらの内容をひととおり理解しているという前提で叙述が行われている。それどころか、前作を読まなければ終盤のサプライズも――意味は理解できるだろうが――本当の意味で驚くことは出来ないはずだ。一方で、『蛇棺葬』において覚える違和感や不自然さを説明している箇所が本書に多々存在する。『蛇棺葬』とセットで意味を持つ作品であり、単独で読むのはけっこう不幸なことだと思う。
 そうしてセットとして考えると、日本の土壌に根付いた実に優秀なホラー作品だ。練り込まれた「百巳家」とそこを中心とした集落に存在する習俗や言い伝え、そこに発生する異様な出来事。それらを綴った原稿に触れた三津田や、彼の同僚である玉川夜須代、友人の飛鳥や祖父江に降りかかる怪事。いずれも実話怪談の文法をきちんと踏まえて、その上で常に読者の予測を裏切る、或いは越える展開を用意して、これでもかとばかりに投げつけてくる。
 あまりによく練られていることが却って災いして、語られている状況の根っこがどうしても理解できないまま読み進めていくと、やたら不条理な出来事ばかりが起こり、なんだか解らないままに登場人物が恐怖し右往左往しているだけの話に見えてしまうだろう。文脈から恐怖を追体験できる経験や想像力を求められる、という意味でやはり読者を選ぶ作品だが、よく作られたホラーや幻想小説が好きだ、という自負がある方なら挑戦してみる価値のある作品だろう。
 挑戦、という言葉を用いてしまうのは、二冊合わせて二千円を超えてしまうこと、また紙幅としても700ページを上回ってしまう点があるからだ。このねっとりとまとわりつくような「闇」を表現するためには決して多すぎる枚数ではないのだが、たとえホラーを愛読していても、これだけの厚みに手をつけるのはやはり「挑戦」だと思う。どうせ読むならば二冊一気に、他のものを間に挟んだり、長いインターバルをおかずに読んで欲しい。
 ただ、これは『蛇棺葬』単体でも言えることだが、終盤で明かされる「真相」が、そこまで読者を牽引してきた怪異を大きく変質させてしまうため、人によっては「理」に落ちてしまいそれまでの興趣が壊された、と感じる危険がある。よくよく考えれば、単純に「理」で解き明かしたという話ではなく、より深い暗闇を物語の向こうに透かす結論であるはずなのだが、そのサプライズがあまりに急激で強烈であるために、読み方によってはそこまでの衝撃を中和してしまうようだ。
 その点、覚悟しておく必要はあると思う。が、その結末を見届けるためだけにでも、700ページを越える長尺を耐えるだけの価値がある作品だろう。『蛇棺葬』だけで止めている方は、是非なるべく早いうちに読むことをお薦めします。

 なお、本稿では三津田氏を作中人物と捉えて、基本的に敬称を略しております。ご了承を。

(2003/12/23)


アガサ・クリスティー/村上啓夫[訳]『ポアロのクリスマス』
Agathe Christie “Hercule Poirot's Christmas” / Translated by Hiroo Murakami

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2003年11月15日付初版 / 本体価格800円 / 2003年12月25日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 南アフリカでのダイヤモンド関連事業で財をなしたシメオン・リーが、クリスマスを前に子供達とその家族を自分の邸宅ゴーストン館に集めた。さしもの傑物も老境に至って気弱になったかと思われたが、集まった子供達への態度は相変わらず苛烈だった。我が子を軟弱者だとののしり、数年振りに遺言を書き換えることを仄めかしたイヴの夜、シメオン・リー氏はその生涯に相応しい壮絶な死を遂げた。頸静脈を割かれ、密室となった自室を満たした血の海のなかで息絶えていたのである。地獄絵図と化したゴーストン館に現れたのは、休暇で警察本部長のジョンスン大佐を訪ねていた私立探偵エルキュール・ポアロ。家族同士の確執に幽霊まで絡んできたこの事件、彼はいかにして解き明かすか……?
『ABC殺人事件』あたりで確立された、物理的な手がかり以上に心理的な痕跡を重視する作風を踏まえた作品である。いや寧ろ、そのふりを装いながら繰り返される終盤のツイストにこそ真価がある、と言うべきか。クリスマスのために久々に家族が集まった館、という極めて私的な席で発生する殺人と、それを契機に顕わとなる確執。田園ミステリの王道たる雰囲気を解決編に至るまでもよく纏っている。
 どーも読んでいる間かなりぼんやりしていたせいか、読み終えた直後は「どのへんがクリスマス的趣向やねん」と思ってしまったのだが、霞 流一氏の解説を読んでよく解った。それは肝心の謎解きで明かされるようなものではなく、道具立てや叙述といった構想レベルで施されていた趣向だったわけだ。まさにサンタクロース以外の者には侵入しえなかったような密室を装われ、サンタクロースの衣裳を思わせる血で染められた犯行現場。他ならぬ犯人が、犯行に際して用いた小道具の数々。他にも色々とあるようだが、どのへんがどうだ、と触れてしまうと種明かしにもなりかねないのが歯がゆい。何にしても、ある意味ほかのどんな作品よりも企みに満ちた佳作なのだ。
 平和にクリスマスを過ごしたい、という向きは、なるべく外した時期に読まれるべきだろう。翻って、クリスマスというものの“善意”を安易に受け入れることを拒むひねくれ者にはこの上なく相応しい一冊である。

 以下、余談。
 本書でのポアロ初登場の場面で、ポアロは訪問したジョンスン大佐と“カートライト卿の事件”について語っている。その後、ゴーストン館の事件を担当するサグデン警視も、ポアロと会うなりこの事件を話題にしている。
 実はこれ、私がついこの前に読んだ『三幕の殺人』で扱われていた事件のことなのである。言及があるのはこの一幕ぐらいのものなのだが、ただ「クリスマス前後に読むならこれ」と考えて手に取っただけの本書がそーいう形で繋がっていたことに驚いた。発表年からすめと五年くらいの隔たりがあるのにねえ。
 ……そういや、『三幕の殺人』最初の舞台となる<カラスの巣>は、最新式の“セントラルヒーティング”が施された邸宅でした。そんなところまで……

(2003/12/25)


芦辺 拓『殺しはエレキテル 曇斎先生事件帳』
1) 光文社 / 新書判(カッパ・ノベルス所収) / 2003年12月20日付初版 / 本体価格819円 / 2003年12月28日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 約1年振りとなる新作短篇集。徳川の治世に町民文化を花開かせた大坂の町を舞台に、上方における蘭学の基礎を築いた曇斎先生こと橋本宗吉に、寺子屋の師範を足がかりに学問への意欲をみせる若者平田箕四郎、そして南蛮渡来の珍品稀覯品を商うことで有名な店の好奇心旺盛な嬢さん疋田屋真知が、立ち現れる謎解きのために東奔西走する。三人の出会いと有名なからくりを巡る殺人事件の謎を描く「殺しはエレキテル」、男女の密会場で発生した陰惨な事件「幻はドンクルカームル」、あの偉人も登場する不可能犯罪テーマの「闇夜のゼオガラヒー」、ほか全六編を収録。
 著者初となる捕物帳だが、文体と話運び、そしてトリックが巧く噛み合ってテンポのいいシリーズに仕上がっている。捕物帳といえば江戸、という先入観があるが、町民による文化が江戸以上に完成され、題材となった橋本宗吉のみならず魅力的な歴史上の人物が集った大坂という舞台は捕物帳というスタイルにも、また著者が前々から取り上げている体制の問題にもよく馴染んでおり、まったく違和感がない。それぞれが水を得た魚のように活発に動いている。
 作品ごとに当時の東洋趣味的な香り漂わせる先端科学をひとつ費やしていく、という手法はどうしてもトリックの方向性を固定してしまうため、謎解きとしてはやや意外性に欠いてしまう印象があるのが惜しい。また、現代の常識感覚と隔たりがあるために、解決場面で登場人物と驚きを共有できないこともままあった。何作か、トリックの企図するところが共通しているのも引っかかりを覚える。
 だが全体としてみると、謎解きの意外性よりも曇斎先生の知識で誰かが窮地を脱する過程のほうに興味がいっており、ミステリというよりは疑似科学冒険ものの方式を敷衍したシリーズ、と捉えた方がしっくりくるように思う。そうして考えていくと作を追うごとに著者の筆がより馴染んでいくのが解り、トリを飾る「恋はトーフルランターレン」などは極みに達しているという感想を抱いた。遭難する美少女に巧まれた暗号、そして起死回生の大仕掛け。敵方のレギュラーともいうべきあの人物(とりあえず名前は伏せておこう)の扱いとも相俟って、その爽快さは格別の感がある。
 著者の丁寧な取材ぶりと講談調を思い起こさせる文体、それに舞台設定が理想的に重なった好著。

(2003/12/29)


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