books / 2004年07月23日〜

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平山夢明・編著『「超」怖い話Δ』
1) 竹書房 / 文庫判(竹書房文庫所収) / 2004年07月24日付初版 / 本体価格552円 / 2004年07月23日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 勁文社から数えて15冊目、竹書房から復活してから4冊目にあたるシリーズ最新刊。
 実話怪談本は巻を重ねていくごとにマンネリズムに縛られてしまう、というのはいい加減自明のことと思っていた。毎年一巻という着実なペースを確立し、定期的にトークライブを催して“語り”のスタイルを固めながらも徹底した取捨選択を重ねる『新耳袋』でさえこの軛から逃れられておらず、復活以降年に二冊、そのうえ書き手が『鳥肌口碑』『「弩」怖い話』など同傾向の本を並行して著しているこのシリーズとても例外ではない――と思っていたのだが、ここに来て本書はシリーズの殻を僅かに打ち破った印象がある。
 類書と比べて血みどろで、かなりえげつない怪異が多いという特徴は相変わらずだし、やはり類型から免れていないエピソードも少なからずある。「石呑み」「傀儡」「国道のトンネル」あたりの描写には鬼気迫るものがあるが、基本的には類型を脱していない。
 その一方で、新機軸と呼べるエピソードがここに来て登場しているのが出色だ。「八重洲にて」の意表を衝いた展開、「登山」「冷蔵庫」の奇妙なおかしみを湛えた体験、「四人目」から数編に跨る、巷間でよく知られたオカルト知識に端を発しながら異様な展開を見せる出来事など、似ているようでいて従来のスタイルから一歩突き抜けたようなエピソードが多い。
 とりわけ凄まじいのは「タロじ」だ。ベースはありがちなのに、じわじわと浸食される感覚は格別の怖気を誘い、最後にはサプライズまで用意されている。あまりに出来すぎた展開に、創作ではないか? という勘ぐりまでしたくなるが、この完成度では仮に創作であったとしても異を唱える気にならない。
 マンネリと言いながら復活後も安定したクオリティを保っているこのシリーズだが、本書はそのなかでもかなりハイレベルな仕上がりになっている。まさに怪談ジャンキーに対する極上の贈り物――だが、不慣れな方が初めて手を取るには、もしかしたら問題の多い一冊かも知れない。

(2004/07/23)


柴田よしき『少女大陸 太陽の刃、海の夢』
1) 祥伝社 / 新書判(NON NOVEL所収) / 2004年07月30日付初版 / 本体価格1200円 / 2004年07月27日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 大戦と自らが製造したウイルスによって人類は死滅、生活に適さなくなった地表から逃れ築いたのは、女性のみが生存を許された地下世界だった。ことし、この世界の法で成人にあたる十三歳を迎える少女・流砂(ルイザ)は、やがて決定しなければならない職種に悩み、容姿も知性も秀でた先輩・大河に憧れる、彼女にとってごく普通の生活を送り、それがずっと壊れないものだと信じていた――その日までは。親友・美沙(ミーシャ)と共に公園で“叛乱”の計画と思しい密談を耳にしてしまったことで、流砂の平穏な日々は終わりを告げる――
 冒険ファンタジー、と銘打っているが、充分に“終末SF”として通用する作品だと思う――少なくとも本書については。
 人類が終末を迎えるに至った背景は有り体だが、冷凍した精子を利用して女性のみの社会を築いた地下世界、という設定はなかなか独創的だ。しかも物語が進むに従って、終末を迎える原因と地下世界に終焉を齎す契機とが微妙に絡みあい、精神的に追い込まれることで成長を促される流砂の姿と相俟ってかなりのカタルシスを齎す。
 ただ、本書単独で読んだばあい、幾つか放り出されたような締め括りをされた要素が多いのが気にかかった。すべてが一点に収束していくのではなく、壮大な物語の一章としての結論に近づきながら、登場人物たちはそれぞれ別の展開を目指している。この趣向はあるテーマに絞った群衆劇であれば頷けるところなのだが、本編は主に流砂の視点から綴られ、カタルシスも彼女にとっての決着であって全体の決着でない、という印象が強いことがちょっと物足りなかった。最も彼女を振り回した数人のキャラクターの顛末は示されぬままだったし、逆に自分なりの結論に辿り着いた人々はあまりに方向が違いすぎて戸惑いを覚える。
 しかし、この物語は『小説NON』誌上での連載で今後も継続していくらしい。つまり『少女大陸』というシリーズのあくまで端緒となる作品であって、これが括りというわけではない。ならば、この散り散りになったクライマックスも納得がいくし、一方で単独でも既に多く孕んだテーマや問いかけに唸らされる。少なくとも「大陸じゃないじゃん」というツッコミは通用しない。
 女性のみで構成された地下社会、という設定が強烈だっただけに、そこを飛び出したあとでいったいどのような展開が待ち受けているのか、最終的に辿り着くべき場所はどこなのか……いっそう気になる。待機しているシリーズの多い著者ゆえ、次の登場はかなり先になりそうだが、ゆっくりと待ちましょう。そんな気にさせてくれる、重量級の“第一章”である。

(2004/07/28)


三谷幸喜『三谷幸喜のありふれた生活3 大河な日日』
1) 朝日新聞社 / 四六判並製 / 2004年07月30日付初版 / 本体価格1100円 / 2004年07月28日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 日本初の本格的シット・コム『HR』が終わったと思えば休む間もなく2004年の大河ドラマ『新選組!』の執筆がスタートし、並行して久々の『古畑任三郎』がありミュージカル『オケピ!』再演があり……厄年を過ぎて更に多忙な人気脚本家の日常雑感を描いた連載エッセイ、第三巻。巻末には『新選組!』の主役・近藤勇を演じる香取慎吾との対談を収録する。
 変わり者である自分をよく知った著者による、自虐的な一面がほどよく笑いに繋がった相変わらずの好著である。自分のキャラクターをよく解っているがゆえの行動にあとづけで言い訳しているよーな項もあるが、それもまた妙に可笑しい。およそ人気脚本家らしくない姑息さというか小心さというか、そういう負の面を悪し様にではなく、まるで手慣れぬ技を披露する手品師のようなはにかみがちの姿勢で披露しているのだ。
 役者の個性に合わせて脚本を書き、本来エッセイなどには適していないと自認する著者だが、それはちょっと違う。脚本家ならではの簡潔だが的確な文章が、このほどよく軽くほどよく含蓄のあるエッセイというスタイルによく似合っている。加えて著者は喜劇作家であり、常にどうにか“笑い”に繋げようとする姿勢がいっそう親しみやすさと読みやすさを招いているのではないか。
 日常を描いた章も、仕事の悩みや裏面を描いた章も、はたまた尊敬するどなたかを描いた章も、安定したおかしみと知性を含んだエッセイ集である。堅苦しいことは考える必要もなく、さらっと読めるのがいいのです。
 ただ、読めば読むほど、この方は長尺のシリーズものよりも単発、あるいは短いエピソードの積み重ねによる短期間のシリーズものが合っているような気がするのだが……何にしても、巻末での香取慎吾との対談でほのめかされた企画が実現するなら、私自身は幾つかの理由から早い段階で鑑賞をやめてしまった『新選組!』の最終回だけは観ておこうかな、という気になりました。

(2004/07/28)


アガサ・クリスティー/真崎義博[訳]『ポアロ登場』
Agathe Christie “Poirot Investigates” / Translated by Yoshihiro Masaki

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2004年07月15日付初版 / 本体価格720円 / 2004年08月01日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 ベルギー出身でもと警察官、退官後はイギリスで自尊心豊かな私立探偵を営む、卵形の輪郭に形を整えた髭が特徴の小男、エルキュール・ポアロ。相棒の退役軍人ヘイスティングズとともに巡り会った14の事件を綴る、クリスティー初期の作品集。クリスティー文庫収録に合わせて訳を改めた。
 クリスティーを代表する探偵役ながらキャラクターとしての人気はミス・マープルの次に甘んじ、探偵役としての評価よりも作品の質によって知られがちなポアロだが、こういう形で事件簿を並べられるとやはり存在感は大きい、と痛感する。事件のひとつひとつが小振りであるだけに、探偵役としての信頼性とキャラクターの完成度がはっきりと解る。愛嬌のある容姿と尊大な物言いから最初は依頼人らから侮られがちだが、最終的には犯人(事件)を屈服させ関係者を感嘆させる様が痛快に描けるのは、こういうキャラクターをクリスティーという書き手が扱ってこそのものだろう。
 しかし、ひととおり読んでみてより強く感じるのは、ヘイスティングズという相棒にして語り手の、見事なまでの“ワトソン”ぶりである。なんと間抜けで単純で、愛すべきキャラクターであることか。ポアロを敬愛しながらも常にどこか見くびっていて、事件序盤でのポアロの謎めいた行動を理解出来ず「今回こそは失敗か」とびくつき或いは嘆き或いは揶揄し、最終的にはまたしても度肝を抜かれる羽目に陥る。ポアロに対して「学習しない」と批判的なことを口走り事件簿にそうも記しながら、客観的には彼のほうが遥かに何も学んでいない。あれだけ長いこと一緒にいれば、意味不明な行動にこそ隠された意図があると察知してもいいはずなのに。ポアロの行動よりも彼の言動のほうに危うさを感じてしまうのは私だけではないはずだ。この賞賛に値するくらいの“ワトソン”役ぷりは、現代の日本を代表するミスター・ワトソン、島田荘司描くところの石岡くんをも凌駕していると言っていい。
 前述の通り事件のひとつひとつは小振りで、長篇のような大胆さも精妙さも堪能出来ないが、何だかんだいいながら圧倒的な存在感と完成度を誇るポアロという探偵役に、絶妙なるワトソン役ヘイスティングズのやり取りが隅々まで楽しめるという点で興味深い一冊である。長篇ではポアロという探偵役にいまいち魅力が感じられない、という方には是非とも本書を手に取っていただきたい。

(2004/08/02)


福澤徹三『壊れるもの』
1) 幻冬舎 / 四六判ハード / 2004年07月30日付初版 / 本体価格1500円 / 2004年08月03日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

『幻日』(『再生ボタン』に改題のうえ幻冬舎文庫に収録予定)で静かながら衝撃的なデビューを飾った著者の書き下ろし長篇。
 大手百貨店に勤める西川英雄はいいようのない不安を感じていた。職場では幇間に徹しきれないがために上司から疎まれつつあり、折からの不況の影響もあって仕事ばかりが多く周囲の詰まらないミスに苦しめられる。新興住宅地で購入したばかりの家は、周辺の住人との交流が乏しいうえに出入りが激しく、妙な気配に包まれている。娘の麻美は父親を軽んじ、妻の陽子との関係も冷たくなりつつあった……
 説明の難しい作品である。全体を支えているのはシンプルなひとつのアイディアなのだが、それをじわじわと伝えていくために描かれる事象は卑近で切実な出来事ばかりだ。主人公である英雄の境遇に、読んでいて身につまされる人も多いだろう。職業はぜんぜん違うし立場もまるで異なるのだが、気持ちが解って中盤読むのが少々辛かった、個人的に。
 そうした作風であっても、『幻日』で見せた怪しい気配をじわじわと醸しだす筆致は健在だ。これといった怪異は起こらないのに、肌の粟立つような瞬間が繰り返し訪れる。ごく日常的な出来事の積み重ねで不気味さを演出しているのだが、言うほど簡単ではない。
 最大の鍵となるアイディアはさほど込み入ったものではなく、慣れた人なら中盤以前で察知することは出来るだろう。ゆえにそこがサプライズとならず物足りない印象を受ける可能性もあるが、その終幕に至るまでの丹念な描き込みこそが読みどころであり、本書の本懐ではないか、と思う。
 ただ個人的には、あのラストのカタルシスを活かすために、過程にもっと残酷な展開を用意しても良かったのでは、とちょっと感じた。その一方で、あまりに度を超した悪夢はこの曖昧な不安から奈落へと落ちていく感覚が薄れてしまう危険もあり、これはこれでいいようにも思う――多分その辺は好みと、書き手の資質の問題なのだろう。
 いずれにしても、経験に裏打ちされたバランス感覚が絶妙に活きた秀作である。夏の夜、一気に読んで堪能するのが最良ではないでしょうか。

(2004/08/03)


三津田信三『シェルター 終末の殺人』
1) 東京創元社 / 四六判仮フランス装(ミステリ・フロンティア所収) / 2004年05月25日付初版 / 本体価格1700円 / 2004年08月05日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 目醒めたとき、私――三津田信三はシェルターの内部にいた。東京創元社に依頼された作品を取材するため訪れた地で突如放射線量率計が上昇する異常事態に遭遇、追われるようにシェルターに逃げ込んだ際、したたか頭を打ち付け倒れていたのだ。中にいたのは私を含めて六名――いずれもシェルターを内包した迷路を見学していた人々であり、それが初対面のはずだった。だがシェルター内部に籠もって三日目、ひとりが密閉された室内で首を吊った姿で発見されると、ひとり、またひとりと殺されていく。外部の様子さえ窺い知れず、他に生存者がいるのかも解らない極限状況で、なぜ殺人事件が発生するのか?――
 なんとゆー罪な本であることか。特にp80から10ページ以上にわたって繰り広げられるミステリ映画・イタリアンホラーなどに関する論議の魅力的なことといったら。この一節だけで非常に幸せな気分を味わいました。
 それ以外にも、全体を通してある種のマニアに訴えかける素材が詰め込まれている。無論、最たるものは本格ミステリ、それも密室殺人ものに対する愛着だ。状況そのものが極限的な密室であるのに、更にその中で密室が構成され自殺としか思えない殺人事件が発生する。序盤は視点人物である三津田と星影という登場人物のあいだでだけディスカッションが行われるが、その議論の内容は見事なまでに正統的な本格ミステリの手順を踏んでいる。映画ほど綿密に作例を持ち出すことはしていないが、ミステリ愛好家であればあるほど頷ける点が多い考察が繰り広げられる。
 反面、イタリアン・ホラーやミステリものに興味が乏しいほど琴線に触れるものがない、という危険があるようにも感じた。完全なる密閉状況であり、そこにいる人々とビデオ室に揃えられた映画類ぐらいしか描写するものがないためだが、それだけに思いっ切り読者を選んでいると言えよう。このことは、強烈なクライマックスについても言える。
 個人的には、序盤の記述に疑問を感じてしまったことと、インターネット某所での書き込みとを合わせた結果、かなり早い段階で狙いに気づいてしまったのだが、そのアイディアを支えるために繊細な伏線が張られていることには感心した。だが、極端であると同時に決して特異な着想ではないために、却って人によって評価は割れるように思う。
 読者それぞれの好き嫌いは分かれるだろうが、実に周到な計算の行き届いたミステリであることは間違いない――ただ個人的に惜しいと思うのは、頻出する密室トリックが全般に軽すぎること。実効性にも疑問を感じることが多かったが、ミステリのトリックは一種の様式美なので多少実現が困難であるくらいは問題とは考えない。ただ出来れば、様式美であればもう少しバリエーションは欲しかった――物語の展開からすると、そうするのもまた難しいとは承知しているのだけど。

 前述の通り、本書の読みどころのひとつはイタリアン・ホラー映画の蘊蓄が続く一節である。その切り出しにはマリオ・バーヴァとダリオ・アルジェント作品がいちばんいい箇所に揃えられ、他に無数のホラーやサスペンス映画の作品名が有名無名問わず並べ立てられた棚の様子を2ページほど費やして徹底的に綴られる。
 で、そのうちダリオ・アルジェントの作品名を連ねた一節には、きっちり『デスサイト』の名前が見える。いま読めば不思議には感じないが、しかし冷静に考えるとちょっとおかしい。何故なら、これの日本での発売は2004年07月に入ってから、しかもあくまで邦題であり、英題は『The Card Player』だったはず。だがしかし、本書の発行日は05月25日、店頭に並んだのも同時期である。いったいいつ情報を仕込んでいたのか、いやそれ以上にこの物語はいったいいつの出来事なのか。
 たまたま読んでいる最中、著者にお会いする機会があったので(ていうか、本当はそれまでに読み終えられたら〜などと思っていたのですが間に合わず)確認したところ――校了後、本当にギリギリのタイミングで差し替えたのだそうです。が、たぶんこの頃はまだ情報が錯綜していたせいで、本当は『デス・サイト』とナカグロ入りであるべきところが抜けており、それがとても悔しそうなご様子でした。重版がかかれば直るところではありましょうが、これはこれで面白いと思ったり……色んな意味で。この妙味を堪能したい方は書店に走りましょう。

 もひとつついでに、ネタバレ気味のひとりごと。
 映画『アイデンティティー』とネタが被っているのも事実ですが、仕掛けに対する伏線の張り方は本書のほうが格段に上です。私はむしろ岡嶋二人『クラインの壺』を連想しました。

(2004/08/05)


ジョン・ディクスン・カー/斎藤数衛[訳]『囁く影』
John Dickson Carr “He Who Whispers” / Translated by Kazue Saito

早川書房 / 文庫判(ハヤカワ文庫HM所収) / 1981年06月30日付初版(2000年09月15日付二刷) / 本体価格700円 / 2004年08月08日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 密室・不可能犯罪の巨匠カーの1946年の作品。
 著名人の中の好事家だけで構成された〈殺人クラブ〉の会合は、その日奇妙な形で開催された。本来の構成員は姿を現さず、ゲストとして召還されたマイルズ・ハモンドと証言者として招かれたジョルジュ・アントワーヌ・リゴー教授、それにバーバラ・モレルだけ。バーバラとマイルズの要請に応えてリゴー教授が語ったのは、戦争直前のフランスに居を構えていたイギリス人の一家ブルック家で発生したあまりにも不可解極まる殺人事件の顛末だった。マイルズにとって他人事であったはずのこの事件は、だがその明くる日、ブルック家に秘書として勤め、異様な疑惑の対象として事件でも重要な役柄にいたフェイ・シートンが、マイルズの募集に応じて司書になるべく訪ねてきたことでにわかに接近する。そしてその夜、思いがけない形で第二の事件が発生した――!
 オカルティックな様相を呈する事件、あまりに不可解な犯行現場、そして濃密なロマンスの芳香と、まさにカーの独壇場とも言うべきプロットである。客観的に語られていた事件がひとりの女性の来訪によって突如主人公たちの間近に迫ると、まさに間髪おかず第二の事件が発生する。緊張感に満ちた展開で、いっときも読者の興味を逸らさない。
 露悪的な趣味に彩られた事件ながら、実は他のカー作品と比べて非常にロマンティックな物語でもある。過去の事件の裏に隠された心理的な出来事もさることながら、その事実によってフェイに心を寄せながら困惑をも拭いきれないマイルズと、様々な理由から彼らふたりにアンビバレントな感情を抱くバーバラ、三者の揺れ動く感情が作品全体に醜くも甘い味付けを施している。
 ゆえに一歩間違えば恋愛ものとして終始してしかねなかったこの物語が、反面カーらしく不可能と怪奇趣味に満ちあふれた色彩を損なっていないのは、リゴー教授という功労者あってのことのようだ。学術的にトリックやオカルティズムを採りあげている人物であるだけに、事件の性質から猟奇的な側面を抽出し、見事に登場人物たちを攪乱している――しかも当人にこれといった自覚もなく。芝居がかっているが、それ故に見事なまでの道化役っぷりである。上の三者に彼が絡んだお陰で、カーらしさの横溢する娯楽長篇となっている。
 第一の事件のトリック自体は、この当時としても決して独創的なものではないが、その扱いの巧さには改めて唸らされる。第二の事件のほうは果たしてここまで巧くことが進むか――しかもかなり犯人の企図が及ばず偶然からああいう形になった、という側面が色濃いので、解決にも俄には頷けないが、しかしそうなるに至った過程は、張り巡らされた伏線によってきちんと保証されている。あそこまで徹底的ではないが、その手の込みようは『三つの棺』をかすかに連想した。
 本編はカーのお抱え探偵役・フェル博士の事件簿のひとつではあるが、今回フェル博士は脇役として主人公たちをサポートしているに過ぎない、といった印象だ。例によって僅かな根拠から早い段階で事件の真相に肉薄し、それを裏付けとしてマイルズたちに行動を示唆するのだが、寧ろ物語の混乱ぶりを助長しているといった風情だ。が、そのお陰で本編はよりドラマティックになっているとも言えよう。あまり版を重ねていないのが不思議に思える秀作である。

(2004/08/09)


田中芳樹『クレオパトラの葬送 薬師寺涼子の怪奇事件簿』
1) 講談社 / 新書判(講談社ノベルス所収) / 2001年12月21日付初版 / 本体価格740円 / 2004年08月10日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 現在著者がもっとも安定して書き継いでいる、ドラよけお涼こと薬師寺涼子の事件簿の第四作。
 警察上層部はあまりに有能すぎる“お荷物”である刑事部参事官・薬師寺涼子を一時的にでも現場から隔離するために、彼女を特殊な任務に就かせた。南米のラ・パルマ共和国で首相を務めるまでにのし上がったがその横暴を極めた政治のために国民に忌み嫌われ、ルーツである日本に逃亡してきたホセ・モリタが、何を思ったか豪華客船クレオパトラ八世号で香港に渡るという。闇組織との取引や資金洗浄が疑われるホセ・モリタの動静を監視することが涼子の任務だったが、すっかりお涼お気に入りのオモチャと貸した趣のある泉田準一郎警部補は不安を募らせる。そんなあからさまに涼子の忌み嫌う類の人間と接触させれば、目を覆うような事態になることは想像に難くない――案の定といおうか、出航当夜、早速常軌を逸した殺戮が幕を開けるのだった……
 田中芳樹という作家は“死んでくれても構わない”悪党を描くのが巧い。しかも全員どこかしら小心で、正論で対抗されれば口を噤み雑言で応えるしか芸を持ち合わせず、危難に陥ればあっさりと命乞いをする。なかにはギリギリまで虚勢を崩さないある意味あっぱれな者もいるが、所詮は虚勢で最後になるといい音を立てて折れてしまう。『銀河英雄伝説』や初期の短篇を除けば、田中芳樹作品を愛読するという人はおおむねこういう部分を楽しんでいるのではなかろうか。
 ただ、そういう悪人描写の性質上、どうしてもイデオロギーに抵触せざるを得なくなる。極端に走りがちな著者のロジックは心理的な反発を招く場合も少なからずあるし、それが受け入れられなければ楽しむことは不可能だろう。そういう意味ではっきりと読者を選んでいる。
 しかしこの薬師寺涼子シリーズの場合、ヒロインの完成度、というかブッ飛び具合が突き抜けているので、他の作品と比べるとあまり鼻につかない。加えて、この天真爛漫という表現も出来そうなお嬢さんが、上記のようなステレオタイプの悪党を紙切れの如く蹂躙する様が、この上なく痛快だ。
 そんな感じで形が出来ているため、現在までシリーズ五作のうち四作までを読み終えたが、すべて基本は同じスタイル――言語道断の悪党が出て来て、未知の怪物を操り或いは融和し、周辺に脅威を撒き散らすが、最終的に涼子らによって蹴散らされる――で構成されており、本編でもそれは変わらない。マンネリであるのも事実だが、現実を敷衍して更に醜悪にした悪役の造型は今回もよくもここまで、という域に達しているし、オカルト知識に属する化物との戦いぶりもきちんと考えられており、楽しさも維持している。
 だが、このシリーズ最大の見物は、涼子と語り手・泉田クンとのやり取りであろう。表向きは泉田警部補が涼子の乱暴狼藉をひたすらフォローし、周辺とのバランスを保ちつつ彼女の無理難題をどーにかこなしていく、という様相を貫いているが、その裏にある涼子のちょっと常軌を逸していると思えるくらいの泉田クンに対する信望の厚さを読み取ると、一挙手一投足が実に微笑ましかったりする――無論、表面的にやってることは相当無茶苦茶で、あれほどの金持ちのくせにプレゼントを要求したり、ホットパンツ姿で肩車させたまま格闘の挙に出たり、とほとんど奴隷同様の扱いなのだ、が。
 十年一日の如くの展開と涼子の泉田に対する扱い。でもそれだからこそ単純に面白い、と言えるシリーズなのである。個人的にはどんどん“いい人”と化していくライバル未満の室町由紀子嬢も好きです、ええ。
 どこかの記述によると、第六作は祥伝社からの刊行になるとか。作中の国境どころか出版社の垣根も簡単に越えてしまうお涼さまの活躍はとーぶん留まるところがないようです。

(2004/08/10)


倉阪鬼一郎『呪文字』
1) 光文社 / 文庫判(光文社文庫所収) / 2004年08月20日付初版 / 本体価格495円 / 2004年08月10日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 作家・守渡季里(もりわたり・すえさと)は死病のために幾許もない余命を、遺作完成のために費やすこととした。だが、用意した長篇「時の血はここに蘇る」は遅々として進まず、担当編集者の薦めもあって引き受けた短歌同人誌『呪文字』連載のエッセイ「書かれざる言葉を巡る無為な言葉」はまるで天から光が降り注ぐかの如くに言葉が溢れ勝手に書き進む、という状況が続いていた。摩耗していく命に焦りを感じながら日々を過ごしながら、守渡は長篇の舞台となる美濃の地へ取材に赴くが……
 言葉に淫する著者の本領発揮とも言うべき長篇である。まず謎めいた文章――というより文字が連なるエッセイがあり、そのあいだを繋ぐように守渡の死に対する不安と焦りが描かれる。折り重なることで炙り出されるのは、言葉を紡ぐという“営み”に内在する恐怖だ。後半に進むに従ってエッセイは意味不明の度を増していくが、特に第一回で描かれる不安は、ある程度文章を書き続けた経験のある人間であれば共感し、恐れを抱く場面である。
 結末50ページほどが袋綴じになっているという試みは著者としては初めてのはずだが、なるほどここは封印してあったほうがいい。直前で暗転した世界はここで更に深みへと突き落とされ、二度と戻れなくなる。その後の展開は短篇を含む倉阪作品の常道とも言うべきもので格別な新味はないが、本編の場合はより徹底して趣向が凝らされており、迫力がある。
 ただ、かなり苦労の多い趣向であったとは思うが、隠されている秘密そのものはさておき、何をしたいのかという輪郭は透き見えてしまうので、袋綴じを外したときの驚きがやや薄く感じられるのが残念だった。もっとある意味鬼気迫るような隠し方はなかったものか、と考えてしまうが――さすがにこれは要求が厳しすぎるかも知れない。
 怖いというよりは忌まわしさが先に立つクライマックスはやはりホラーと呼ぶより幻想小説という区切りが似つかわしく思う。いずれにしても、袋綴じや文字組みに至るまで熟考された趣向によって、ちょっとひねくれた読者をいっとき楽しませてくれるエンタテインメントに仕上がっていることは確実。

(2004/08/10)


芦辺 拓『紅楼夢の殺人』
1) 文藝春秋 / 四六判ソフト(本格ミステリ・マスターズ所収) / 2004年05月30日付初版 / 定価1950円 / 2004年08月17日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 中国四大奇書のひとつに数えられることの多い、近世中国のとある一族の盛衰のさまを描いた『紅楼夢』。その世界観と設定を下敷きに展開する、本格探偵小説。
 今より遡る、とある時代の中国。現朝廷開基の功績から高らかな権勢を誇る賈家であったが、このたび賈政の娘・元春が皇帝陛下のもとに召し上げられるに至って頂点に達した趣があった。賈貴妃の帰郷に合わせて建造された大観園は彼女の要望によって“金陵十二釵”のふたつ名で呼ばれる賈家の麗しい婦女子たちの住居として保存され、その現世とは切り離されたかのような絢爛たる暮らしぶりはまさに賈家の勢力を象徴するものであった。だがある日、不穏な文言の書状が齎され、俄に漂った異様な気配のなか、大観園で殺人事件が発生する。相次ぐ不可解な惨事に挑むのは、執事頭の子息から司法官となった今朝の包青天こと頼尚栄と、大観園唯一の男子であり、当時としては一風変わった才覚を備えた賈宝玉――
 約二年半ぶりとなる完全書き下ろし長篇にして、現時点での芦辺拓作品の頂点と言い切っていいかも知れない。
 舞台は過去の中国、それも『紅楼夢』の登場人物と世界観を引き継いでいるので、そうしたものに馴染みのない読者にとっては固有名詞、調度の数々などがなかなか染み渡りにくく、序盤は少々取っつきづらい。しかし、かなり早い段階から不穏な動きが露見し、畳みかけるように殺人事件が発生すると、途端に牽引力を増していく。その合間に状況描写や伏線の導入と併せてきちんと原典である『紅楼夢』に登場する要素を違和感なく鏤めており、知らず知らずのうちに作品世界に惹きこまれてしまう。本格ミステリの様式に拘りながらも“物語至上主義者”を標榜する著者ならではの手管である。舞台の絢爛さ、華麗さに合わせたかのような、事件ひとつひとつの不可解さと美しさもまた印象深い。
 一方で不満に思った点がふたつある。ひとつは、その舞台の豪華さと個性的・魅力的な登場人物の多さのわりに、個々の見せ場が少なかったこと。もうひとつは、事件がそれぞれ発生した際の不可解な佇まいに対して、解決場面での見せ方が物足りなく感じられること。いずれも、こうしたテーマを本格ミステリで扱う際に必ず直面するジレンマのようなものであり、極めて完成度の高い本編にあっても払拭は出来なかったように思う。
 だが、そのあとに控えるクライマックスには誰しも衝撃を覚えることだろう。本格ミステリ、探偵小説などと呼ばれるジャンルに愛着のある読者であれば尚更のはずだ。前述したトリック解明の印象の乏しさを乗り越える強烈なインパクトを備えながら、嫋々たる余韻を湛えてすらいる。どこか虚しく、儚い結末でありながら不思議な力強さと前進的な意欲を感じさせるのは、その解決編における著者の高い志ゆえである。
 ここ数年は長篇でも短篇でも“探偵小説”という構造そのものを題材とした作品群を多く著し成果を上げていた著者だが、本編はそのひとつの到達点であり、今後のマイルストーンの役割をも果たす重要な作品となるに違いない。その指向性ゆえに普段から本格ミステリ或いは探偵小説と呼ばれるものに馴染んでいない読者には十全に伝わらぬものがあるように思われるのが残念だが、物語としての完成度も高く、序盤の取っつきづらささえ乗り切れば存分に楽しめるはず。

(2004/08/17)


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