books / 2004年08月18日〜

back
next
『books』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る


甲斐 透・著/影崎由那・原作イラスト『かりん 増血記(3)』
1) 富士見書房 / 文庫判(富士見ミステリー文庫所収) / 平成16年08月15日付初版 / 本体価格540円 / 2004年08月18日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

『ドラゴンエイジ』連載中の同題漫画をノヴェライズ、単行本とほぼ同時進行で刊行されているシリーズの第三巻。
 吸血鬼一家に生まれながら、嗜好に合った人物――何かしらの“不幸”を抱えた人物を前にすると体内の血が増えて、鼻血にするか誰かに送りこむかしないといけない“増血鬼”になってしまった真紅果林。アルバイト先のレストランでまたしてもドジを踏んでお客に料理を浴びせてしまった彼女だが、どういうわけか相手のお嬢様・松宮キラに気に入られてしまい、夏休みの三日間、孤島にある別荘でキラのメイド兼遊び相手として働かないかと誘われてしまう。“増血”の不安もあって、最近果林の秘密を共有するようになった雨水健太も一緒に雇ってもらうが、一緒にメイド役として島にやってきたまゆみという女性は果林が以前血を送りこんだ相手で、しかもその影響で男遊びに耽るようになっており、果林の胸中は穏やかでない。更に、なんだかキラのお目付役・太刀掛の言動も怪しげだった――たった三日と言うけれど、本当に無事に乗り切れるのか?
 こんどは孤島だ! ……って毎回こんなこと書いてますが、それは要するにこのシリーズがなるべく“ミステリー文庫”という分類にも見合うキャッチーな状況を用意して読者を楽しませようとしている意図の現れなのでしょう。先行する二作と同様にちゃんと謎解きらしき筋書きも用意され、解決編もある。
 但し、今回に関して言うと、いちばん重要であるポイントがちょっと見え見えすぎて、登場人物たちの反応が無理矢理脱線させられているように思えるのがマイナス。もともと原作はミステリではないし、話の眼目は果林の“不幸な人と接すると血が増える”という奇妙な設定を活かしつつほんのりラブコメ風味に演出することにあるので、バランスとしてはこのくらいがちょうどいいのかも知れない。
 原作ファンとしては、レギュラーが果林と雨水ばかり活躍していて、あとは果林の妹で彼女よりずっと吸血鬼としての資質に恵まれている杏樹ぐらいしか出番がないというのがちょっと寂しいが、オリジナルキャラクターの設定が話の進行とうまく噛み合っていて、しかも原作の雰囲気から逸脱していないので、安心して読める。お話の纏まりと整合性では今までの三作のなかでいちばんよく出来ているのでは、と感じました。
 それにしてもこの小説版の果林は原作に比べて油断度が五割増しぐらいになってる気がします。作中いったい何回健太に恥ずかしいところを見られたか君は。

(2004/08/18)


アガサ・クリスティー/麻田 実[訳]『ブラック・コーヒー』
Agathe Christie “Black Coffee” / Translated by Minoru Asada

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2004年01月15日付初版 / 本体価格760円 / 2004年08月20日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 芝居にも興味を示したクリスティーが、初めて手がけたオリジナル作品である表題作と、『ねずみとり』のヒットを受けて執筆した、異色のドラマ『評決』の二本の戯曲を収録。
 極端に対照的な作品を収めた戯曲集である。前者はクリスティー作品の王道と言える、エルキュール・ポアロを探偵役として、結末には国際的な謀略の絡むフーダニットになっている。対して後者は、殺人と裁判が絡んでくるが謎解きの要素はほとんどなく、よく練られた登場人物たちの行動と心理描写が紡ぎ出す愛憎劇の様相を呈している。
 クリスティーらしさ――というか、一般読者がクリスティーに求めるものが凝縮された趣のある表題作だが、芝居として鑑賞した場合の印象は別として、こうして文章の形で読むとあまり光るものは感じられない。クリスティーの舞台と聞いて咄嗟に思い浮かべるものはすべて盛り込まれているが、それ以上のイメージがないのだ。居間のみを舞台にきちんとミステリー・ドラマを展開させる巧さは解るのだが、それ故に小綺麗にまとめただけ、という風に見える。
 一方の後者は、同じ密室劇であるが、謎解きはなくとも起伏に富んだストーリー展開、登場人物の心理に深く分け入るような会話、痛ましくも暖かな余韻を残す結末と、文章のみの体裁で眺めても秀逸な仕上がりとなっている。表題作のように衆目を惹く要素に乏しいので人気が出なかったのも仕方がないとは思うが、いちどは正式な芝居の形で鑑賞してみたい、という気にさせる出来である。
 小説のように、会話や展開で読者の興味を惹きつつじわじわと状況を説明し浸透させていく、という手法が出来ず、冒頭で一気に舞台セットの説明があり、登場人物たちについては容姿の説明もそれぞれの背景についての解説もなく会話が連なる、という形なので、本としては読みづらいことこの上ない。舞台上で動き回る俳優たちの姿を想像しながら、能動的に読むべきものなので、若干体力が要るように思う。

(2004/08/20)


矢崎存美『ぶたぶた日記(ダイアリー)
1) 光文社 / 文庫判(光文社文庫所収) / 2004年08月20日付初版 / 本体価格476円 / 2004年08月20日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 廣済堂出版刊行のB6判ソフトカバーから始まり、徳間デュアル文庫を経て四六判ハードカバーの『クリスマスのぶたぶた』から約二年半、ふたたび舞台を光文社文庫に移して復活した“ぶたぶた”シリーズ最新第五作。
 初めて講義を引き受けたカルチャースクールの『日記エッセイを書こう』という講座の初日、作家・磯貝ひさみつはあまりの光景に平常心を失う。わずか六人の生徒の一人として、ぶたのぬいぐるみが顔を連ねていたのだ――彼の名は山崎ぶたぶた、外見は一抱えぐらいの愛らしいぶたのぬいぐるみだが、中身は分別のある中年男性。義母の代理として出席した、という彼の姿に驚いたのは無論講師の磯貝ばかりではなくて、ぶたぶたの存在はほかの受講生にもちょっとした影響を及ぼすことになる……
 熱心な愛読者がいるにも拘わらず、どうも“不遇”と表現したくなるこのシリーズ。上記の通り、二年以上の間隔を置いて光文社文庫からの復活と相成った。そのあいだに新作を書き上げた、という情報は流れどなかなか刊行されることがなくやきもきしていた人も多いだろう。サイズ的にも売り場的にも癖のあるデュアル文庫から、一般的にも馴染みやすい光文社文庫から書き下ろしの新作が届けられる、というのはかなり幸いな出来事ではなかろうか。
 舞台を移して仕切り直し、という意識が著者にあったのかどうか、これまで以上に“ぶたのぬいぐるみとして生きる人”がいたらどうなるか、というシチュエーションに対して誠実な描き方をしているように感じる。小学生に幼稚園という多感な年頃のしかも娘ふたりという家庭環境、それ以前に(旧作を読んでも明白なように)否が応でも第三者の関心を惹きやすい容姿や特性でどんな迷惑を被るか、と同時にどんな利点もあるか、という謎に対して真摯に向き合っている、という印象がある。
 また本編で特徴的なのは、エッセイ教室の課題という形で、ぶたぶたの一人称に近い描写が取りこまれたことだ。茶渋が激しく残る、なんてそりゃそうだよな布だもんな体、と笑いつつ盛んに頷いてしまう“体験”が一人称で読めるなんて、こんな嬉しいこともない。
 しかも、そのエッセイの扱い方に関してもぶたぶたの人柄が覗いてくるのが非常に巧い。その詳細は第六回に綴られているが、こうした“負”の面の存在を認識しながら決して描かず、このタイミングでそっと差し出してくるバランス感覚がいい。
 本書にはひきこもりにリストラ、という現代的な問題も姿を見せる。だが、ぶたぶたは無論のこと、周りの人々もその当事者に対して説教臭いことはほとんど口にしない。ただ普通に存在しているだけで、周囲の人々の心をほんのりと柔らかくしてくれる。読者でさえ例外ではない。
 ハートウォーミング、とは本書のような作品のことを言うのでしょう。これからも息長く続いて欲しい――出来れば、ここらで版元も落ち着いてくれると嬉しいんですけどどうだろう。

 それにしても、このシリーズを読むたびに思うのですが、誰かこれを実写で映画化してくれないでしょうか。文章で微妙な感覚を想像するのも乙ですが、本当に動いて人と絡んでいるところが見たいと思いませんかあなた。ていうか誰もしないなら俺にやらせろ。

(2004/08/21)


田中芳樹『黒蜘蛛島(ブラックスパイダー・アイランド) 薬師寺涼子の怪奇事件簿
1) 光文社 / 新書判(カッパ・ノベルス所収) / 2003年10月31日付初版 / 本体価格781円 / 2004年08月21日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

“ドラよけお涼”こと、警視庁刑事部参事官・薬師寺涼子シリーズの現時点で最新となる第五作。
 薬師寺涼子が実家の法事を厭うあまりに引き受けたのは、カナダ・バンクーバーで発生した法人男女の変死事件の捜査。否応なくお供を命じられた泉田準一郎警部補とともに現地に乗り込むなり、総領事が引き起こした家庭内暴力に乗じて彼を拘束、丁重な尋問で情報を引き出した。殺された男女はアメリカ大陸を追われるように北上しながら、各所で脅迫を繰り返し、その挙句に殺害されたらしい。やがて事件の背後に浮かんできたのは、ハリウッドを牛耳る大富豪グレゴリー・キャノンII世の姿だった。涼子と泉田は導かれるようにして、バンクーバー島ビクトリアの沖、アメリカとの国境近くに存在するキャノンII世の所有する黒蜘蛛島へと足を踏み入れることになった……
 みたび国外に舞台を求めた最新作である。相変わらず飛ばしている涼子嬢だが、今回はちょっと勢いが足りない気がする。ライバル――というより泉田クン同様に物語の日常感覚を代表する格好になってしまった室町由紀子にそのどーしようもない部下にしてオタクのキャリア候補生岸本明、更に『巴里・妖都変』以来レギュラー化しているマリアンヌ&リュシエンヌの戦闘対応メイドも登場し、シリーズとしての体裁は守っているが、前作あれだけ凄まじい無茶をしたあとだけに、基本的に突入と直接勝負しかしていない本書は物足りない、というか大人しく感じられてしまう。
 その代わりに敵方となる“怪物”の存在感はこれまでのシリーズと比較してちょっと特異な印象がある。いままで随分と凶悪で特徴的な化物が登場してきたが、本書のような容喙の仕方は珍しいのではないか。正体が判明するまでの話の振り方も一風変わっている。
 いちばん面白いのはその退治の仕方である。今となってはある理由からけっこう一般に知れ渡ってしまっている気がするこの怪物の特性をきちんと用いた上で、そーすりゃ当たり前だろうという大混乱を最後に持ってきて、それに乗じて悪人も全員抹殺してしまっている――果たして涼子嬢がどこまで狙っていたのかは解らない(きっと作者も考えてない)が、ろくでもない人たちがあっさりと握りつぶされていく様はいっそ清々しくさえある。
 先に物足りない、とは書いたが、それでもお定まりの見せ場は終盤まできっちり盛り込まれている。直接対決でここまで熱戦を繰り広げる薬師寺涼子、というのもちょっと珍しい。総体としては従来の作品よりパワー不足かな、と感じるが、見せ場の多さと怪物の扱いを合わせて、妙な愛着を感じさせてしまう一作である――そう、作中引き合いに出されているB級・C級映画のような。

 ところで、このシリーズの楽しみのひとつは、涼子嬢が泉田くんに対して発する微妙な発言の数々なのだけど、本書にはこれまでで最強クラスのとんでもない一言がありました。そして相変わらず泉田クンはそれに気づいてません。……どっちにしても産む気か?!

(2004/08/21)


倉阪鬼一郎『42.195 すべては始めから不可能だった』
1) 光文社 / 新書判(カッパ・ノベルス所収) / 2004年07月25日付初版 / 本体価格857円 / 2004年08月22日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 エーデル貴金属に所属する二流のマラソン選手・田村健一の長男・悠太が誘拐された。田村に対する犯人側からの要求は、東京グローバル・マラソンで2時間12分を切る記録を出すこと。さもなくば息子は死ぬ。田村の自己記録は2時間16分、若い頃の彼であればまだしも、既にアスリートとしての盛りを過ぎた田村に四分も記録を縮めるのは至難の業だった。警察の捜査の進展を望みながらも遂にレース当日を迎え、田村はスタートを切る。果たして犯人の狙いは奈辺にあるのか、警察と田村がそれぞれに苦悩するなか、事件は思わぬ展開を見せた――
 ミステリを書く者ならいちどは手がけてみたい誘拐ものである、がそこは倉阪氏、かなり癖のある組み立てで責めてきた。
 題名通り、物語の大半はマラソンのレースと並行して展開する。下された指令を必死で守り通そうとする選手の姿と制約された時間のあいだに推理を繰り広げ犯人を追いつめんとする捜査陣の姿を同時に描く様はサスペンスフルで、ページを繰る手が止まらない。
 誘拐事件のアイディアも非常に独創的だが、それを理詰めで解き明かす根拠が全般に乏しく、クライマックスでの解明もいささか直感頼りに見えるのがちょっと勿体なく感じられる。時間制限もある以上、暢気に推理を披露したりしている余裕はないわけで、その意味では非常にリアルなのだが。
 一貫して考証は丁寧な倉阪作品だが、本編は特に細やかで、マラソンの国際的な試合の模様やその周辺の状況を描く様が真に迫っている。ほぼ全篇シリアスに統一された雰囲気は従来の倉阪作品とは違った趣だ。
 ――が、最後の謎解きに至って、突如とんでもない事態に発展する。まさに意外な結末としか言いようがないが、意外すぎてそう簡単に受け入れられるものではない。確かに伏線は張られているし、どの結論よりもある意味では筋が通っているのだが――読み手の主義によって評価は百八十度異なるだろう。私は(もうちょっと丁寧な伏線を用意して欲しかった、という注文付きながら)充分に許容可能な決着だと思うが、万人にとってもそうだとは口が裂けても言えない。
 解決編近くまでの緊張感に満ちた展開は読み応え充分だが、最後の最後でかなり好みが分かれてしまう作品である――とりあえず、目の前に卓袱台を置いて読むのは避けた方がいいです、万一のために。

(2004/08/22)


芦辺 拓『妖奇城の秘密 -ネオ少年探偵シリーズ(1)-
1) 学習研究社 / B6判ソフト(エンタティーン倶楽部所収) / 2004年06月30日付初版 / 本体価格800円 / 2004年08月22日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 学習研究社の学年誌に掲載されたシリーズ“ネオ少年探偵”初の単行本。発表順ではシリーズ二番目の作品となる。
 久村圭・八木沢水穂・桐生祐也は校外学習で訪れた山の中に城らしきものが佇んでいるのを発見した。冒険好きの三人はさっそく写生の名目で出かけるが、どういうわけか城に着くなり、途中で行き会った千代川清美先生もろとも閉じこめられてしまう。封印がいい加減だったのを幸いに脱出した圭たちは、厳重に戸締まりされた部屋に閉じこめられた美少女を発見、助けようと扉を開いた途端――カーテンの向こうから悪魔のような服を纏った何者かが現れて、少女を攫ってしまった! 窓の外は断崖絶壁だというのに、悪魔も少女も痕跡すら残さず消えてしまった……
 同じく閉じこめられていた清美先生を助け出して、命からがら脱出した圭たちだったけれど、そんな彼らを更に意外な事実が待っていた。山の中にあったはずの城はとうに廃墟になっていて、人が住んでいたはずはないというのだ――果たして、あの城はどうやって消えたのか? そして悪魔は、攫われた少女の運命は――?
 まさしく正統的な“少年探偵”ものである。ですます調の平易な文体に冒険と謎また謎、対するべき敵は悪魔の装束で身を固め、薄幸の美少女まで現れる。芦辺作品の多くで探偵役を務める森江春策も助手の新島ともかと共に登場し、少年たちの推理と冒険を影から手助けする。江戸川乱歩が諸作で完成させた少年探偵もののガジェットを徹底的に引き継いでいるのだ。
 乱歩作品は多くが結末を準備せずに書き継いでいたせいもあって仕掛けに破綻が生じたり、少年探偵たちの能力や大人達の対応にやたらと不自然なところが見出されたりするが、本編ではそうした問題点はほぼ払拭されている。“妖奇城”と名付けられた城の消失に関する設定と展開には色々と疑問の余地があるように思うが、そこに辿り着くまでの少年たちの行動やその後の展開、またそれ以外のトリックや謎解きにはほとんど間然するところがない。警察が少年たちの言葉を鵜呑みにしない点、また実績もない彼らに何もかもを委ねようとはしないことなど、大人が少年ものを読んで「こんなことあるわけないだろー?」と首を傾げたくなるような要素はほぼ廃したうえで、きちんと子供達の冒険ものとして成り立つような工夫がなされている。紙幅の短さも却って味方しているのだろう、警察の地道な捜査や終盤の後始末などの些末な描写はすべて省かれているお陰で物語の勢いも良く、読み始めたらラストまで一気呵成に読めてしまうのもいい。
 惜しむらくは、せっかく三人もいる少年たちのキャラクターがいまいち確立されておらず、また三人いることの利点が物語上あまりなかったことである。圭・水穂・祐也の活躍がなければ解決しなかった事件ではあるが、どうせここまでかっちりと決めたなら、彼らひとりひとりの見せ場も欲しかったところだ――見せ場という意味では、何と新島ともか嬢が従来の芦辺作品からは想像も出来ない活躍を見せているのがなかなか面白かったが。
 とは言え、昨今の一般作品にありがちな悪戯な大ヴォリュームではなく、手頃でなおかつスムーズに読みこなせる探偵小説を、現代の求める水準に見合う形で書き上げてしまったこと自体が既に凄い。これ以上を望むよりは、この質でコンスタントに発表してくれることが何よりも有り難いと思えるのだが如何か。
 ――そういうわけなので、早いとこシリーズ第一作『電送怪人』第三作『謎のジオラマ王国』も単行本化していただけると大変嬉しい。無論、藤田香氏の美麗な装画つきで。

(2004/08/23)


アガサ・クリスティー/羽田詩津子[訳]『アクロイド殺し』
Agathe Christie “The Murder of Roger Ackroyd” / Translated by Shizuko Hata

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2003年12月15日付初版 / 本体価格680円 / 2004年08月24日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 エルキュール・ポアロを探偵役とした長篇第三作にして、クリスティー初期最大の問題作。クリスティー文庫収録にあたって訳を改めている。
 イギリス郊外の平和な村キングズ・アボットで変事が相次いだ。地主のロジャー・アクロイドと親しい関係にあったフェラーズ夫人が自殺とも取れる状況で急死し、間もなくアクロイドもまた殺害されたのだ。事件当夜、アクロイドの亡くなった前妻の連れ子であり、いまはロンドンに暮らすラルフ・ペイトンがこっそりと舞い戻っており、事件発覚後は姿を消してしまったことから彼の犯行が有力視されるなか、ロジャーの姪であり最近ラルフとの婚約を受け入れたフローラは、探偵業を退きキングズ・アボットでカボチャ栽培をはじめたエルキュール・ポアロに調査を依頼する。ポアロはフェラーズ夫人を診断し、アクロイドとも親しかった医師のジェームズ・シェパードを助手として捜査を開始した……
オリエント急行の殺人』『そして誰もいなくなった』とともに、クリスティー作品で最も有名な作品の一冊である。かくいう私自身、その知名度の高さゆえにミステリ初心者の時に読んでおり、もうどのくらいぶりか解らないほど久し振りの再読となる。その感想は、というと。
 ……意外と、普通だった。有名すぎる野心的な試みについて当然の如く知りながらの読書だったが、それはほとんど問題にもならなかった。犯人や仕掛けを知っていても、充分に楽しめる。
 基本的に良く出来た本格探偵小説というのはそうしたものだが、特に本書のようなアイディアを盛り込んだ作品であればこそ重視される点であり、読み返してまったくと言っていいほど破綻がないのに驚かされる。伏線やレッド・ヘリングを見つけるたびに頭のなかで付箋をつけ、その動きを検証しながら読んでいたのだが、実に無駄なく結末の意外性に奉仕しており、アイディア抜きにしても完成度は非常に高い。ポアロが犯人を割り出すために用いる論理も中期以降のような人間心理をもとに考察する、時として恣意的に陥りがちなものではなく、クイーンやカーの一部作品を彷彿とさせる整然とした論理であり(やや飛躍は認められるが)カタルシスも大きい。
 しかしそうして冷静に読み解いていくと、実はこの野心的と見られる本書も、ある重大なアイディアを除けば『スタイルズ荘の怪事件』や『牧師館の殺人』と同様の田園ミステリの枠内に収まっていることに気づく。被害者は吝嗇な地主で義理の息子や庇護を受ける義理の妹やその娘など金銭的なトラブルを抱える係累がおり、更に恋愛問題も関わってくる。その中で展開するドラマの扱いや、導き出される推理や結論の精度は高い、といっても、大筋では寧ろクリスティー、ひいては黄金時代の探偵小説の標準的な組み立てをなぞっているに過ぎない。
 とは言えこのアイディアを、ほとんど文句のつけられないレベルで完成させた手腕はさすがミステリ界の女王、と言うほかない。私自身は初読のさい、このアイディアを知らないままでいられた比較的幸運な読者に類するが、仮に不運にもアイディアを知らされてしまった読者であっても楽しむことは充分に可能だと思う――ただ、そんな風にいちいち伏線やまやかしを検証しながら、という読み方はかなり特殊なので、自分には受け付けられない、という方には無理強いしません。いっぺん挑戦してみてもいいとは思うけど。

(2004/08/24)


江戸川乱歩『江戸川乱歩全集第1巻 屋根裏の散歩者』
光文社 / 文庫判(光文社文庫所収) / 2004年07月20日付初版 / 本体価格1000円 / 2004年08月30日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 最新全集2004年07月配本。伝説的な第一作『二銭銅貨』、その後江戸川乱歩作品の看板となる探偵役・明智小五郎を世に輩出した『D坂の殺人事件』、恋愛をテーマにした『日記帳』『算盤が恋を語る話』など、デビュー直後数年間の、初期作品ならではの気概と多様性に富んだ短篇全23篇を収めている。
 作家の精髄はデビュー作に詰まっているというが、乱歩にしてもそれは変わりないようだ。大正十二年、はじめて世に問うた作品『二銭銅貨』から大正十四年十二月発表の『接吻』まで収録された本書こそ、本全集のなかでも最も濃密に乱歩らしさが凝縮された一冊と言っていい。
 後年と比較すればまだまだ“本格探偵小説”を著そうという情熱があり、追いつめられて執筆したと思しい作品であっても何らかのトリックや謎解きを導入する意思が見られるが、各作品に付された自註自解には既に自虐的な見解が覗く。実際、これだけ短い期間にも拘わらず、分類上ほとんど同じトリックや同じ様式の結末が幾つも見受けられ、この時点から乱歩の創作生活につきまとう悩みが表面化していたことが解る。
 だが、まだ駆け出しであった乱歩の熱意が、等しく作品に力強さを齎しており、読み応えは格別だ。一貫して探偵小説的な興味が盛り込まれる一方、『パノラマ島綺譚』をはじめとする作品群に認められる変身願望・異世界への憧憬の要素が早くもあちこちに姿を見せ、一方で恋情をテーマにした『日記帳』や『接吻』など、後年の乱歩作品では珍しくなったタイプの作品も並んでいる。無秩序とも言えるが、その混乱ぶりがよけいに方向性を模索していた当時の乱歩を想像させて興味深い。
 その後も代表作として各種のアンソロジーに幾度も収録される作品が『二銭銅貨』『屋根裏の散歩者』『人間椅子』など複数収録されており、同時に決して芳しくない出来の作品も併録した本書は、乱歩という作家を理解する上で格好のテキストと言えるだろう。加えて、後年の通俗長篇や幻想短篇に頻出する悪趣味極まるシチュエーションがまださほど多くなく、描く上での抑制も効いているので、そうしたものに苦手意識のある読者にも馴染みやすいはず。

(2004/08/30)


蒲 松齢[著]/志村有弘[訳]『聊斎志異の怪』
角川書店 / 文庫判(角川ソフィア文庫) / 平成16年08月25日付初版 / 本体価格552円 / 2004年09月02日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 中国で十七世紀末に成立した奇談集『聊斎志異』のなかから、特に奇怪なエピソードを選出、現代の読者に通りやすいように字句の解説や意訳を交えて新訳・編集した書籍。また、『聊斎志異』に題材を得た芥川龍之介『酒虫』、太宰治『清貧譚』『竹青―新曲聊斎志異―』と、その原典となったエピソードをともに収録している。
 名前は知っていても具体的な内容は知らなかったので、取っかかりにと読んでみたのだが……たいそう変である。奇談集なのだから変でいいのだが、変の度合いが度を超している。
 怨みを抱いて死んだ人間が霊となり或いは鬼となって祟りをなしたり、死んだあとに旅立つ世界があるといった基本的な部分では日本と似通った価値観があるようで、そういう意味で違和感を覚えることはない。一ページから三ページ程度のエピソードには現代の『新耳袋』に通じる味わいのものも認められる。
 が、十ページ以上のエピソードとなると、大河ドラマの様相を呈してくる。しかも、死んだ人は簡単に戻ってくるし、素性を知らぬまま出逢った幽霊と結婚してしまい、事情が分かっても同衾するし、場合によってはその状況で生者の妻を紹介してしまったりと、ほとんどファンタジーである。現代の常識的な想像力を超越した展開であり、その逸脱ぶりが却って新鮮でさえある。
 原文を知らずに読んだのだが、それでもかなりの意訳や文章感覚の違いがあるように思う。原典やそのテイストを留めたものを読む気はしないがその一端に触れてみたい、或いはとっかかりが欲しいと考えている方にはうってつけだと思う。巻末に芥川・太宰の翻案とオリジナルを並べる趣向も面白い。

(2004/09/02)


上野正彦『保険金殺人 死体の声を聞け』
角川書店 / 文庫判(角川文庫) / 平成16年08月25日付初版 / 本体価格476円 / 2004年09月06日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

『死体は語る』(文春文庫) [bk1amazon]を著してから現在まで、元監察医としての知識と経験をもとにした著作を多数発表し、監察医制度の内実と有用性を啓蒙してきた著者が、保険金目的の殺人や偽装犯罪をテーマに手がけた著書。2000年にぶんか社より『死体の叫び 保険金殺人鑑定』のタイトルで刊行されたものを改題したもの。
 ミステリ読みや作家志望、現役のかたでもこの著者の作品を読むと勉強になることは少なからずあると思う。素人考えで描いた殺人やトリックは、こういう人物にかかれば名探偵が登場するまでもなくあっさりと見破られてしまうものなのだ(無論、それを承知でフィクションとして割り切るのもまた読み方・書き方のひとつであることには留意されたい)。
 和歌山毒入りカレー事件や長崎・佐賀の保険金殺人など、今でも聞けば「ああ」と記憶を蘇らせるような有名なケースを発端に、現在でも著者の元に寄せられる依頼のなかから方向性の近しいエピソードを紹介し、保険金殺人の難しさや、それに対応しての監察医制度の充実を訴える本書には、他の著作のような謎解き的な楽しみは薄い。監察医制度のない土地でいかに悪質な犯罪が見過ごされているかを衝き、問題意識を呼び起こすことがまず主眼とされている。ために、法医学的な面では旧作を読んだ人間にとっては既に馴染みのある症例報告が多いので、そういう意味での楽しみは乏しい。
 が、保険制度との絡みで読み解いていくと発見の多い一冊である。それを総括するような格好で、保険金制度の闇を描いた『黒い家』でデビューした貴志祐介氏との対談が巻末に置かれている。既に現場を離れて久しい親本発表当時にも保険金制度に関する情報収集を怠っていなかったという貴志氏と著者との対談は、それまでの本文で炙り出されていた問題点を更に明確にしており、見事な人選と感じた。
 エピソードひとつひとつの処理が簡潔で紙幅も普通の小説本より薄手、読み物としても手頃で親しみやすい。それだけによけい著者の志の高さが窺える好著である。

(2004/09/06)


back
next
『books』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る