/ 2004年09月09日〜
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ディクスン・カー/宇野利泰[訳]『カー短編全集1/不可能犯罪捜査課』
John Dickson Carr “The Department of QueerComplaints” / Translated by Toshiyasu Uno
東京創元社 / 文庫判(創元推理文庫所収) / 1970年02月17日付初版(2003年03月07日付49刷) / 本体価格600円 / 2004年09月09日読了 [bk1で購入する/amazonで購入する]怪奇趣味と不可能興味に満ちあふれた作品群を上梓しつづけたジョン・ディクスン・カーの短篇集。『新・透明人間』はじめ奇妙な事件のみを調査するために組織されたD三課長マーチ大佐の活躍を描いた六編に、『もう一人の絞刑吏』ほか懐旧談の体裁を取った四編を収録する。
長篇に意欲作の多い著者ながら、創意の豊かさは短篇でも変わらないと痛感出来る作品集である。冒頭の不可解な謎の提示、中盤のサスペンス、そして意外かつ合理的な結末という、探偵小説に求められる三拍子が三十ページ強の尺にきっちりと収まっているのだ。
ただ、連作となるD三課の探偵役マーチ大佐はカーの長篇作で探偵役を勤めるフェル博士やヘンリ・メリヴェル卿と造型にあまり違いがなく、更にこ短篇で使用されているトリックの多くは他の長篇でも確認されるものなので、あまり短篇ならではの楽しさが感じられないのが残念。同じキャラクターにトリックであるなら短く手軽に読める方がいい、という嗜好の方ならこちらのほうが適しているのは疑いないのだけれど。
語り手を配し、過去の出来事を綴るという体裁の後半四作も、トリックは類似のものが長篇などに認められるのだが、時代背景や語り口に趣向が凝らされているので、マーチ大佐の作品群よりも独特の味わいがある。あえてすべての謎を回収しなかったり、名探偵がいたのではありえない顛末を用意したり、と手管もそれぞれに個性的で、マーチ大佐ものよりも余韻が深いように感じた。
しかしいずれにしても完成度の高い作品ばかりで、四十ページ足らずで十編も収録されているのはお得な感がある。短いために衒学趣味の出番もなく、長篇には馴染めないという読者にも好個の一冊である。
稲川淳二『稲川淳二の怖すぎる話』
1) 竹書房 / 文庫判(竹書房文庫) / 2004年09月04日付初版 / 本体価格552円 / 2004年09月10日読了 [bk1で購入する/amazonで購入する]夏の恒例となった著者の語りを文章化した怪談本、竹書房文庫からは今年2冊目となる新刊。
語りを文章化した、という体裁のため毎回簡単に読めるのがいいところでもあり物足りないところでもある。あまり内容の取捨選択というのを行っている形跡がなく、二・三冊捜すと似通ったエピソードが多く収録されている、といった具合になりがちだった。
今回も作りは他の本同様で、薄い内容を擬音や改行の多用でページ数を稼いでいる印象があるのが問題と感じるが、一篇一篇では拾い物と言える作品があった。特に「寂しいプール」というエピソードは、何気ないが因縁の解らない出来事が発生する様が実に薄気味悪く、印象深い。
都市伝説の焼き直しでしかないエピソードや、怪談とは異なるただの“厭な話”に分類されるような話も多く、相変わらず未整理の印象は色濃いが、全体での仕上がりはここしばらくの著者の本のなかでもいい出来に属すると思う。――エピソードひとつひとつの破壊力が大きい『「超」怖い話』や、大量に集めたエピソードから取捨選択を重ね磨き上げた文章で綴った『新耳袋』と比べるとだいぶ劣るのは確かなのだが。
アガサ・クリスティー/中村能三[訳]『茶色の服の男』
Agathe Christie “The Man in the Brown Suit” / Translated by Yoshimi Nakamura
早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2004年01月15日付初版 / 本体価格760円 / 2004年09月14日読了 [bk1で購入する/amazonで購入する]アガサ・クリスティーの長篇第四作であり、全長篇を通して初めてとなるノン・シリーズ作品。
アン・ベディングフェルドは考古学者であった父の死により天涯孤独となった。もとよりお金にも退屈な日常にも執着のない彼女が何よりも欲していたのは“冒険”――そんなある日、彼女は駅のホームで男が突如として足を踏み外しホームに転落死するのを目撃する。直後駆け寄って男の死を確認した医師が去ったあと、アンは一枚の謎めいた字句を書き留めた紙片を見つける。そして後日、死んだ男が招待状を携えて向かうところだったとみられる貸家で、やはり訪問客だった素性不明の女の死体が発見されたのだ! この謎めいた展開に冒険心をいたく刺激されたアンは徒手空拳で謎解きに挑む。やがて、向こう見ずなレディの冒険は遥か海を越え、南アフリカへと到達する――
クリスティーは無邪気な書き手だと思う。こと、正統派ミステリという枠を離れ冒険活劇に乗り出したとき、その傾向は顕著となる。冒険小説としては後年書き継がれるトミー&タペンスシリーズの第一作ともなった『秘密機関』が先行しているが、クリスティーの冒険物語に対する憧憬は本書でより剥き身に描かれているように感じた。
何せヒロインであるアンの行動の直感に頼った無分別ぶりは目に余るほどで、こうもスムーズに話が広がっていくのが不思議で仕方ない。特に著しいのは紙片の謎が判明し、彼女が南アフリカ行きの船に乗ることを決意する場面である――まあ、もし現実であんな偶然の一致を目の当たりにしたら、冒険に憧れない平々凡々な思考の持ち主であっても運命の少しぐらいは感じるだろうにしても、御都合主義の誹りは免れまい。
が、そういうものを約束として受け入れられれば、恐ろしくストレートで、しかし愉快でどこか躁状態の奇妙な冒険物語として存分に楽しめる。些か退屈な一幕になりそうな船中では個性的な人々の競演に最初のピンチが待ちかまえ、上陸してからはお約束のように拘束もされる。その隙間を甘くもちょっとビターなロマンスが彩り、終盤には幾つもの衝撃の事実が待ちかまえている、という具合だ。このある意味ベタすぎる要素の詰め込み方がわたしに“無邪気”と感じさせる要因であるが、しかしだからこそ面白い、と感じさせてしまうのも事実。剥き身であるからこそ、クリスティーの作劇技術の高さが窺い知れるのである。
『秘密機関』に認められた政治的背景のいい加減さは本編でも顔を覗かせているが、冒険としての焦点が若干ながらずれているので、あまり鼻につかないようになっているのは、クリスティー自身そのことを自覚しはじめたからなのかも知れない。ミステリ的な仕掛けとの絡め方も含めて、内容的にも文章的にも『秘密機関』より洗練された手触りがある。
クリスティー作品でも異例とさえ言える主人公の跳ねっ返りぶりと、序盤のあまりに都合よく転がりすぎる印象から敬遠する向きもあるだろうが、そういう点まで含めて楽しむのが本書と付き合う正しい態度だと思う。御都合主義に大団円、大いに結構じゃあーりませんか。
小林めぐみ『食卓にビールを』
1) 富士見書房 / 文庫判(富士見ミステリー文庫所収) / 平成16年08月15日付初版 / 本体価格540円 / 2004年09月20日読了 [bk1で購入する/amazonで購入する]彼女は現役女子高生にして新進気鋭(?)の小説家、なおかつ結婚したての新妻さんでもある。システムエンジニアの旦那を籠絡して食卓にビールを加えることに試行錯誤しつつも概ねことのない毎日を過ごしている……つもりなのですが、何故か彼女の前には助けると却って駄目になりそうなシュレディンガーの猫っぽい何かとか小麦粉製の侵略者とかローカル線に似非の無限円環を作ろうとしやがるバカ王子とか、センス・オブ・ワンダー剥き出しの連中が押し寄せる。しかしこのやけに柔軟な思考に恵まれた奥様は、人知を超えたトラブルをこともなく排除してたちまちいつもの暮らしに舞い戻ってしまうのでした……
……変な作品集、と言う以外に言葉が出て来ません。このテイストは一時期の竹本泉マンガに近い感じがあります。ただし、あちらは宇宙人を持ち込むことなく日常の延長上で強烈なツイストを施しますが、こちらは日常の延長上にごくフツーにSF的価値観を取りこんでしまっている。どっちにしても荒技であることには変わりないのだが、それを無理なく綺麗に……というかコミカルにこなしているのがいい。
女子高生で新進気鋭の作家でしかも新婚さん、という設定がシリーズの視点人物を統一するぐらいの役にしか立っていないが、ここまで徹底するとそれもまた味になってしまっている。同級生にはあだ名のみとは言えひととおり名前が出てくるのに、最後まで肝心の“私”の姓名が出てこないので、なんだか身近な誰かが書いているような奇妙な錯覚さえ感じさせる――無論、こんな感情の赴くまま行動している奴が近くにいると、楽しい一方迷惑かも知れないけど。それを思うと、終盤でようやく名前の出てくる旦那の器量が窺い知れようというものだ。
起きていることはいちいちとんでもないのだけど、概ね科学や従来のSF知識をきちんと踏まえており、その設定自体は極端な破綻を来さないように考えられているのも好感触である。しかもそれがあんまし押しつけがましくないのは、ある意味ヒロインである“私”の人徳なのかも知れない……んなことはないか。
ミステリーはミステリーでも、謎解きではなく雑誌『ムー』とかで扱われそうな方向性のミステリーであるが、これもまた良し。これを書いている現時点で既に第二巻の発売が予告されているが(たしか10月頃予定)、このまんまのんびりまったりと続いて欲しいシリーズである。剣康之氏のイラストも、新婚さんらしい艶めかしさと女子高生っぽい軽さと、ついでに何が起きても不思議でない雰囲気をうまく増幅してます。
それにしても、ぢょしこうせいが平然とビール飲んでんじゃねって。
綾辻行人『暗黒館の殺人』
1) IN・POCKET(講談社・刊)2000年03月号〜2004年05月号連載 ※休載4回 / 2004年06月14日読了(当時の感想)
2) 講談社 / 新書判・上下巻(講談社ノベルス所収) / 2004年09月05日付初版 / 本体価格各1500円 / 2004年09月22日読了 [bk1で購入する(上)(下)/amazonで購入する(上)(下)]こんなに間隔を置かずに再読したのは初めての経験のような気がします。あまりに間のない再読ゆえ、基本的な感想は前のときと変わりませんのでそちらを参照していただきたい。
――で済ますのも申し訳ないので、再読して気づいたことを簡単に挙げておくと。
まず、連載版で読んでいたときにも感じたことだが、やはり前半=上巻が冗長すぎる。広大な舞台、深甚な設定に繋げるために予め叙述しなければならないことが沢山あったのも事実だが、あまり波がなく事件が発生するまで約400ページが費やされる。あとあと無駄にならないと解っていても、このスタイルに慣れているか耐性のある読者でなければかなり辛い序盤であることは間違いない。
翻って、ほとんどの真相について記憶していても、終盤400ページほどの迫力は凄まじいものがある。初読のさいにも記したとおり、そのトリックや発想は前例のあるものだが、構築美とその結末に齎されるカタストロフィは、ここまで付き合ってきた読者の労苦に充分報いるものであると思う。
バランス感覚、切れ味の面からも初期作品や『時計館の殺人』『霧越邸殺人事件』を超えているとは言い難いが、変わることなくファンを標榜してきた読者の要求には充分に応えうる作品となっている。
それにしても、初読時は迂闊にも気づかなかったが、主体となるモチーフにダリア・ニコロディの名前が隠れてます。これってもしかして……『インフェルノ』を本気でやりたかった、ということなのか?←飛躍しすぎです
加門七海『203号室』
1) 光文社 / 文庫判(光文社文庫所収) / 2004年09月20日付初版 / 本体価格476円 / 2004年09月24日読了 [bk1で購入する/amazonで購入する]『うわさの神仏』などフィールドワークに基づいた著書も多い加門七海が、自らの体験も盛り込んで書き下ろしたホラー小説。
沖村清美はこの春、東京の生活様式に憧れを抱いて上京、ひとり暮らしを始めた。城と定めたのはユニットバス付き、フローリング一間のアパート。懐の許す範囲で少しずつ家具を揃え体裁を整っていった清美だが、少しずつ奇妙で、不快な現象が起きはじめる。鼠の足音、床を暖める足の気配、夜毎清美を苦しめる悪夢……親しい友人のいない暮らしのなかで味わう、些細だが確実な恐怖は、じわじわと清美を追いつめていく……
……こ、こいつぁ、本気で怖い。浅はかな憧れで上京してきた清美の言動は序盤少々鼻につくが、それ故に細かな心理描写がリアルだ。東京の性質をこうと決めこんでしまったがゆえに思うように友人関係を築くことが出来ず、計り知れない恐怖を味わいながらもそれを親身になって相談出来る相手がいない。その事実が恐怖の上に積み重なってじわじわと彼女を押し潰していくさまが実に生々しく迫ってくる。
自らも多くの奇怪な体験をしていると語り、実話怪談の著書もある作者らしく、個々の怪奇現象はささやかであったり錯覚と捉えられそうだったりしながらも、それだけに却って迫真の凄みがある。特に、隣に住む男の訴えである事実を悟らされるくだりなど、パターン通りながら提示のタイミングが絶妙で、主人公に同調しながら読んでいると押し潰されるような想いがするはずだ。
繰り返される怪奇現象に、希薄な人間関係ゆえの無理解や無関心にも苦しめられるという連鎖が続く。そうして一貫した描写の先にあるものが、中盤のささやかながらも残酷極まる“悪意”さえ呑みこんで更におぞましい。これもホラーでは有り体のパターンに変化をつけた結末ではあるのだが、そこまでの描写に筋が通ったうえでこのラストに繋がっているだけに、怖さもひとしおである。
自らも体験者であり、多くのエピソードをまとめた著書があるほどの著者ならではの、地味ながらも強烈なホラー。この値段でこのクオリティ、ホラー好きを自称するなら手にとって損はありません。
矢口史靖『スウィングガールズ』
1) Media Factory / B6判ソフト / 2004年09月01日付初版 / 本体価格1000円 / 2004年09月24日読了 [bk1で購入する/amazonで購入する]『ウォーターボーイズ』で一世を風靡した映画監督・矢口史靖。その彼が久々に手がけたコメディタッチの青春映画を、自ら小説化した作品。
鈴木友子は万事飽きっぽく、サボることに脳細胞のすべてを駆使するような女の子。夏休み、補習授業をサボりたい一心で吹奏楽部の弁当を野球場まで運んだところ、時間を使いすぎて弁当を腐らせてしまい、吹奏楽部を食中毒で病院送りにしてしまった。結果、ほかの補習組の女の子たちもろとも応援伴奏の代打をやらされることになってしまう。はじめは厭々だったけれど、少ない人数を補うために吹奏楽部の生き残り・中村拓雄が選んだビッグ・バンド・ジャズに次第に魅せられていき、いつしか演奏することの楽しみに目醒めていった。けれど……
先に映画版を鑑賞し、まさに痺れるような出来映えに惚れ込んでしまい、先に買ってあった本書も無理矢理ローテーションに組み込んで読み切ってしまった。あくまで映画監督が本業である著者の作品だけあって、小説としては決して巧くないのだけど、物語を十分に理解したうえで噛みくだいて文章化しているので、流れが明快で読みやすい。そのままでは読みづらくなる東北弁の台詞に標準語のルビを振ることで理解を助けるようし向けているのも、作品に独特のリズム感を齎していると言えよう。
展開は完璧に映画版と一致しているが、ところどころ映画の筋を補完するようなエピソードが挿入されている。たとえばバイトがきっかけでいちどは離脱してしまった主要メンバー以外の女の子たちのその後や、数学教師・小澤の心理的変遷、映画では登場しなかったスウィングガールズの演奏場面、などなど。文章があって初めて理解出来るものもあれば、恐らくは撮影まで行いながらも尺や流れを考慮して削られたのであろうエピソードも点綴されており、物語の背景を深めると共に製作者側の配慮らしきものを想像する、といった読み方も出来る。
もともと物語がよく練られているので、展開も早く普通の小説としてもけっこう楽しめる。いかにも素人っぽい――というより、そういう配慮をあまりしない映像畑の書き手らしく――視点がかなり安易に動きまわるが、ストーリーと会話のテンポの良さも手伝ってあまり気にならない。初めての小説作品なればこそ、の勢いのようなものも感じられ、熱の籠もった良質の読み物である。
だが。
どんなによく書けていても、やはり音楽の魅力は音楽そのものを聴いて初めて伝わるものだ。映画抜きで触れても充分に面白い一冊だが、読んだが最後、映画本編にも触れてみたくなることは間違いない。かく言う私自身、もう一回映画館に走りたくなってきました。
アガサ・クリスティー/加島祥造[訳]『ナイルに死す』
Agathe Christie “Death on the Nile / Translated by Shozo Kajima
早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2003年10月15日付初版 / 本体価格880円 / 2004年10月05日読了 [bk1で購入する/amazonで購入する]アガサ・クリスティーが中近東を舞台に描いた二番目の長篇であり、その中でも特に評価の高い1937年の作品。
母方の祖父から莫大な財産を相続し、富と美貌とを兼ね備えることとなったリネット・リッジウェイがついに伴侶を迎えた。それは当初、周囲が憶測していた貴族の青年ではなく、サイモン・ドイルという魅力的だが金にも職にもあぶれていた若者であり、つい先日までリネットの親友ジャクリーン・ド・ベルフォールの恋人だった人間だった。ドイル夫人となったリネットは夫ともにエジプト旅行に赴いたが、行く先々に姿を現すジャクリーンのためにノイローゼに陥る。加えて彼女の周囲には、様々な思惑を秘めた人々が集いつつあった。そして、ナイル川を行く観光船のうえで、遂に悲劇は現実のものとなる。一部始終を見届ける結果となったポアロは、中近東の地を舞台に輻輳する人間関係を解きほぐし、真相に肉薄していく……
あまりやることの多い時期に読むべき作品ではありませんでした。著者に訳者にクリスティー財団の理事長が繰り返し述べるように序盤だけはゆっくりじっくり読むとしても、それを含めて数日のうちに一気に読んだ方が良かったように思う。
類型的なキャラクターを用いながら複雑極まりない人間関係を形成していくのはクリスティーの十八番だが、本編は特にその輻輳ぶりが凄まじい。事件に至るまで本文庫の文字組みで250ページ以上を費やし、そこまでに徹底して伏線を張り巡らしている。事件が起きなくとも、随所に隠された悲劇の気配が独特の緊張感を醸しだしており、読み応えがある。実際に事件が発生し、別件で乗り合わせていたレイス大佐ともどもポアロが捜査に着手してからの展開はなおさらだ。ポアロたちが本格的に乗り出してからも狭い船内で凶行が繰り返され、緊張感は頂点に達する。
これだけ積み上げたあとだから、解決編の迫力もまた強烈である。複雑に絡みあった人間関係には殺人事件とは異なるドラマが存在しており、発掘品から無駄なものを取り除く、というポアロの方針からそうした周辺の真実が順繰りに解き明かされ、そしてラストには単純かつ明確な真相だけが残る。この段階になると、多くの読者も犯人の正体とトリックに辿り着くことが出来るだろう。そして、シンプルながらいかに効果的な方法が用いられていたのか悟り、唸らされることは間違いない。
そのあとには犯人とポアロとの語らいがあり、最後には衝撃のクライマックスが待ちかまえる。しかし、それさえも実はかなり早い段階に伏線が張ってあるのだ。その周到極まる手管には、ただただ脱帽するほかない。
すぐさま再読三読したくなる、驚異的な傑作である。様々な事情から、『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』と比べて一般受けを狙った作品、という思いこみがあったのだが――あまりに浅はかな認識でした。ごめんなさい。
加藤 一『禍禍 〜プチ怪談の詰め合わせ〜』
1) 二見書房 / 文庫判(二見文庫所収) / 2003年10月30日付初版 / 本体価格524円 / 2004年10月09日読了 [bk1で購入する/amazonで購入する]『「超」怖い話』で平山夢明氏の共同執筆者として活躍するほか、単独でも多くの怪談本に携わる著者が、他のシリーズではなかなか採りあげられない「思考停止」タイプの短くも不気味な(でもときどき笑える)エピソードばかり92篇も収録した、文字通りプチ怪談の詰め合わせ本。
因果関係が解るよりも何の説明もつかないほうが怖い、何の霊感もない人が突発的に体験する出来事よりも恒常的に経験していて鈍感になっている出来事のほうが客観的に怖い、詰まるところ原因究明という発想が働かなくなる「思考停止」状態に陥った怪談のほうが怖い、というスタンスで本編は綴られている。他人からすればどうしてそこからもっと踏み込まない、原因を究明しないと思えるような話だが、当事者からすればもうそれ以上は考えたくない、というのが素直な感想だろう。
同じ著者が手がけているのに、『「超」怖い話』と本編とで受ける印象がかなり異なるのは、そうした因果関係の説明がないこともさることながら、あまり血みどろであったり目玉がでろんとはみ出していたり、といった陰惨な描写がないせいもあるのだろう。『超怖』でイニシアティヴを取っている平山夢明氏との個性の違いが、こういう形で表面化しているのも興味深い点だ。
検証してみると、本編のテイストは『超怖』よりも、怪談本のもう一方の雄『新耳袋』に近い。怪異描写の抽出に尽力した『新耳袋』と比べると、「右後ろの人」のような客観的に可笑しい話を剥き身のまま提示しているあたり、“怖いものは嫌い”と公言してしまう著者のキャラクターが現れている。
プチ怪談であるだけに『「超」怖い話』に散見するような重量級のエピソードはないが、粒は揃っており怪談ファンにとっては充実した読後感の得られる一冊である。著者には気の毒ですが、今後も怖い話に追い廻られて続刊発売の運びとなることを願いましょう。
唐沢俊一[編著]『怪奇トリビア 〜奇妙な怪談傑作選〜』
1) 竹書房 / 文庫判(竹書房文庫) / 2004年10月06日付初版 / 本体価格552円 / 2004年10月13日読了 [bk1で購入する/amazonで購入する]『トンデモ本』をヒットさせた“と学会”に所属し、現在はヒット番組『トリビアの泉』のスーパーヴァイザーにも名前を連ねる著者が、戦後から二十年ほどのあいだに刊行されたカストリ雑誌を渉猟、今日は却ってあまりお目にかかれない類のB級怪談ばかりを集めたオリジナルアンソロジー。著者書き下ろしの短篇のほか、表題に違わぬB級豆知識も収録する。
いかがわしく低劣で、しかし肩肘張る必要なく楽しめる、という明確なコンセプトの元に編纂された作品集であり、その名に恥じぬ(?)実に珍妙な作品ばかりが収録されている。どれもたいてい着想ばかりがぶっとんでいて文章は未整理、構成は破綻していて結末はお粗末ときているが、少なくとも読んでいるあいだ、妙な楽しさがあるのは事実だ。
それはたぶんどの作品も、著者が読み手の求めている方向性に忠実であるためだろう。明らかに終盤おかしな展開をはじめ、どう考えてもあり得ないハッピーエンドに辿り着いてしまう『物を喰べるお尻』や『からみつく蛸娘』、始まった時点でネタがほぼ割れている『ゴミ箱のなかの裸女』に『機械人間の狂恋』、目的も展開も結末も支離滅裂な『洞窟の魔女』――だが、読み手がなんとなくこうだったら面白い、と思う方向へと話が進むので、その破綻に抵抗を感じないのだ。
さすがに編著者書き下ろしの短篇二本はオチこそ雑でも知識や文章力の面で一歩抜きん出ているし、設定的な無茶は多いがSM趣向をアイディアとして昇華させることには成功している『涙は宇宙空間に輝く』やある意味極北の完成度を示す『恐るべき美貌』など侮りがたい作品も収録しており、こうした猥雑な作品を擁護する熱気の籠もったあとがきもあって、読後感はかなり充実している。題名につられて内容を想像できないまま買ってしまった不幸な読者に対しても、ひととおりオカルト方面のトリビアを挿入することで報いており、配慮の行き届いた一冊である。
作品の完成度や著作としての一貫性を求める向きにはさまざま不満の出る作りだろうが、作り込んだ完璧な物ばかりでは肩が凝るという方、編著者の愛好するB級C級の作品群に抵抗がない、或いは少なからず共感するところがある、という方にはお薦めする。