books / 2004年04月06日〜

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江戸川乱歩『江戸川乱歩全集第10巻 大暗室』
光文社 / 文庫判(光文社文庫所収) / 2003年08月20日付初版 / 本体価格876円 / 2004年04月06日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 新保博久・山前譲両氏による光文社文庫版乱歩全集第一回配本の一冊(『孤島の鬼』と同時配本)。明智小五郎と小林少年の活躍、そして誕生した少年探偵団と怪盗の知恵比べを描いた初の少年もの『怪人二十面相』に、三十年に亘る深讐綿々たる対決と生得の悪人が地下に築いた一大帝国にまつわる大活劇『大暗室』の二長篇を収録する。
 適当な年齢に乱歩体験がない私にとって二十面相との初対面である。創元推理文庫の乱歩傑作選から本シリーズに跨って大人向け通俗ものに多く触れてきた身からすると、エログロや血腥い要素を取り除いただけのいつも通りの乱歩作品という印象だった。
 この作品の功績は、少年向け読み物に「探偵もの」という概念を齎し、第一作にしてフォーマットを完成させてしまったことにあるように感じる。怪人の跳梁に少年探偵の活躍、挑戦状に始まる正々堂々とした対決、逆転に次ぐ逆転、そして爽快な結末。いずれもここに至るまでの通俗作品で提示されたものばかりだが、その中で少年向け娯楽読み物に適切な要素を抜き出してうまく活用している。
 胸躍らせる、と言うにはこちらがすれすぎて、しかも無数の追随者が未だに現れている作品なので、もはやこれといった興奮は覚えなかったのだけど、翻って安心感のある読書だった。ようやく原点に戻ってきたような感慨というか、一種の郷愁と言おうか。
 併録された『大暗室』は、創元推理文庫版で読んだのがつい最近(昨年の九月)なので、詳細はそちらの感想を参照して頂きたい。ちょっとだけ添えておくと……善玉のほうの有明青年だが、改めて読むと、序盤の言動は自身が正義の人であることを謳いすぎていて、しばしば鼻白む思いがした。手柄話として子供を助けたことを得々と語る正義の人というのは、妙に、気持ちが悪い。

(2004/04/06)


カーター・ディクスン/白須清美[訳]『パンチとジュディ』
Carter Dickson “The Punch and Judy Murders” / Translated by Kiyomi Shirasu

早川書房 / 文庫判(ハヤカワ文庫HM所収) / 2004年03月31日付初版 / 本体価格780円 / 2004年04月08日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 1937年に発表された長篇。ハヤカワ・ポケットミステリで刊行されていたが、2004年に訳文を新たにしてハヤカワ文庫HMに収録された。
 情報部を退き、かつてのパートナーであるイヴリン・チェインと華燭の典を挙げるその前夜、ケンウッド(ケン)・ブレイクは突如、ヘンリー・メリヴェール卿に呼び出された。ポール・ホウゲナウアという元スパイが、国際的なブローカーである謎の人物“L”の情報と引きかえに二千ドルを要求してきたという奇妙な話の裏を探るべく、ホウゲナウアの住居に侵入して欲しい――あした花婿になる人間に頼む用事ではない、と思いながら、かつて世話になったH・M卿の要請では拒むことも出来ない。多くの不測の事態に見舞われながらようやくホウゲナウアの邸宅に押し入ったケンだったが、彼が見つけたのは、服毒して息絶えたホウゲナウアの遺体だった。果たしてこの事件の背景は何なのか? ケンは自らに降りかかる火の粉を払いのけ、無事に教会の鐘を鳴らすことが出来るのか……?
 カーと言えば密室や怪奇趣味がまず思い浮かぶが、本編ではそのどちらもなりを潜めている。その代わりに色濃く表れているのが冒険活劇やスラップスティックの味付けであり、そして『三つの棺』に代表されるような、初期長篇に見られる複雑極まりないプロットだ。
 とにかく話を把握するのが難しい。そもそも主な登場人物でさえまるで何が起きているのか解らないまま、立て続けのトラブルに翻弄される。語り手の設定が元情報員であり、使命も密偵じみているために、スパイ小説をかなり情けなくしたような風情がある。情けなく、というのは、相手が例えば敵対国とか悪事を企む秘密組織とか、所属のはっきりした人物に追われているのではなく、その場その場で警察やホテルの従業員などに疑われたり脅されたりしているだけだからだが、あまりに色々な人物が関わり、新しい疑惑や問題が巻き起こるため、なかなか事態の全容が掴めないのである。
 が、中盤あたりで二人目の被害者が発見され、主人公の逃走劇にピリオドが打たれると、物語は急激に謎解きへと傾斜していく。ようやく再登場したH・M卿を中心にバラバラだった出来事が次第に秩序立てられ、この支離滅裂な事件に筋の通った解決が齎される。ギリギリまでやきもきさせられるが、その分結末のカタルシスも大きい。
 惜しむらくは、序盤から中盤にかけての混乱が強烈すぎたため、きちんと解きほぐされているはずなのに、網からぽろぽろと抜け落ちたものがあるように感じさせてしまうことだ。これほど事件を混乱させ、なおかつ筋の通った犯人像を作り上げた点は素晴らしいが、構築しすぎたがために不自然が生じている。可動部分が多すぎて結果的にギクシャクした動きしかできなくなった絡繰り人形のようだ。
 とは言え、およそ本格ものとは思えない活劇調の序盤に終始付きまとう笑劇のスタイル、その裏に隠れていた真相を(ちょっと不十分ではあるものの)整然と纏めあげるクライマックスと、カーらしさを蔓延させながらほかの作品とは異なる味わいを備えた作品であることは間違いない。こなれた訳文に二階堂黎人氏渾身の解説もあって、初心者にも馴染みやすい一冊のはず。
 但し、序盤のこんがらがりようはただごとではないので、あまり日にちをかけず、一気に読むことをお薦めします。切れ切れに読んでると本気で訳が解らなくなります、たぶん。

(2004/04/08)


西村京太郎『華麗なる誘拐 左文字進探偵事務所 [新版]
徳間書店 / 文庫判(徳間文庫所収) / 2000年07月25日付初版 / 本体価格629円 / 2004年04月08日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 トラベルミステリーの第一人者として知られる著者がそのジャンルに本格的に着手する直前、1977年に発表した長篇。
 開業したばかりの私立探偵・左文字進と妻の史子の目の前で、一組のカップルが服毒死した。喫茶店のシュガーポットに青酸カリの粉末を混入した悪質な犯行は、だがより壮大で悪辣な犯行の序章に過ぎなかった。その数日前、首相官邸に“蒼き獅子たち”を名乗る人物から、途方もない内容の電話がかかっていた。日本国民一億二千万人を誘拐した、身代金として五千億円を要求する――警察はもとより政府首脳陣までが混乱するなか、第二の殺人が起き、遂に事態は飛行機爆破にまで発展する。型どおりの捜査が行き詰まるなか、左文字進は独自の視点から犯人像に迫っていくが……
 とかく軽い読み物としてのトラベル・ミステリーのイメージが付きまとう著者だが、デビューから十年あまりは様々なジャンル・作風に挑戦し、上質の作品を残している。本書はそういった初期の名作に数えられる長篇。
 まず、発端のアイディアからして大胆で、非常に魅力的だ。読んで頂ければ納得するだろうが、この誘拐の手法は見事に盲点を衝いている。そして、それを活かすための手順にも無駄がない。更には、それまで警察とは異なる着眼点から、と言いつつのんびり動いていた探偵役・左文字進が終盤、事件の計画そのものに潜んでいた陥穽を利用して敵を追い込んでいくところまで、見事に決まっている。
 語り口がシンプルで、必要最小限の説明に留まっていることにも留意したい。叙述のうえで多くの視点を用い、しばしば右往左往しているが、文章が簡略であるために混乱することはなく、寧ろ事件の流れをスムーズに把握できる。一人称に依存したり、少数の視点で済ませる作品が多い昨今、こういうタッチはなかなか新鮮に感じられた。
 左文字進らごく一部の主要キャラ以外はあまり外見や言葉遣いなどの特徴付けを行っておらず、被害者はおろか犯人像もあまり掘り下げている印象がないのが少々物足りなく感じられるが、必要よりも多く語らないことで、限られた紙幅からより多くのイメージを喚起させているのも事実だ。文章を飾り立てたり、ひたすら内面を描写するばかりが娯楽ではない、という証左である。

 本書は、今年2004年04月17日より公開予定の映画『恋人はスナイパー[劇場版]』の原作としてクレジットされている。もともとテレビ映画として二本が製作・放映されたシリーズの続編映画であるから、かなりの潤色が施されていることは想像に難くない。それで、先入観を植え付けられる前にと本書に手をつけたのだが――見たところ、巧くやればかなり綺麗に融合できるのではないか、という気がした。予告編から推測するに、原作通りに遂行された誘拐計画を阻むために、タイトルロールである狙撃手が招かれる、という話なのだが――
 興味がおありの方は、原作ともども映画を御覧になるか、発売済のノヴェライズ[bk1amazon]を参照してください。なお、ノヴェライズの刊行に併せて、本書も新書判がリニューアル刊行されてたりします[bk1amazon]。ちょうど文庫版で買った直後に気づいたのですが、なぜか軽い殺意を覚えました、なぜか。

(2004/04/09)


早見裕司『精霊海流』
朝日ソノラマ / 文庫判(ソノラマ文庫所収) / 2004年03月31日付初版 / 本体価格571円 / 2004年04月09日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 著者のライフワークである、玉川上水のほとりに暮らす“弱”能力少女・水淵季里を主人公とする都市幻想小説シリーズ最新作。
 身を投げるつもりで訪れた図書館で、比嘉告未は水淵季里と出会った。沖縄から転校してきた自分を虐げる級友と同類と見てはねつけた告未だったが、むしろ季里が自分に近い境遇にありながら気遣ってくれたことに思い至り、打ち解けていく。季里の“保護者”である相沢恭司や文芸部の友人たちとも親しみ、ようやく東京に馴染んだ気分になっていた告未だったが、季里たちが家に訪ねてきた誕生日から、彼女のまわりで異変が起きはじめる。ついには家族共々沖縄に帰っていったが、しばらくして季里の元に助けを求める手紙が届いた。“力”のために人混みに出るだけでも消耗する季里は、意を決して沖縄へと発った――
 筆致は穏やかで透きとおっているのに、描かれているものにはヒリヒリと切羽詰まった手触りがある。“少女者”を標榜する著者だけあって、思春期にある女の子たちの描写は実に巧い。いたずらに愛らしく描くのではなく、子供から大人になりつつある不安定な年頃の心理や表情を、時には無情なくらい的確に描いている。ただ、今回は肝心の、季里とともに重要な位置につく告未が少々、無垢な女の子のステレオタイプになりがちで、キャラクターとしての存在感がいまいち足りなかったのが残念。
 だが、本編最大の問題は告未のキャラクター面での弱さではなく、告未と彼女の家族を悩ませ、季里が対決することになる“脅威”の背景を、後半に関係者の会話だけで説明していることにある。伏線をもっと多く用意する、或いは小出しにするなどしてじわじわと迫っていく形をとればまだしも、ああしてクライマックスで急激に提示してしまっては興醒めになる。そうでなくても事件の背景としては凡庸な部類にあり、また作品がそれを意外なものに見せるという方向性にないため(そのこと自体は悪くないのだけど)、安易な印象を受けてしまうのだ。決着の場面にしても、もっと少なく的確な言葉で済ませていれば、絢爛たる出来事が更に引き立ったのではないか、と思う。
 語られていることは著者が常々訴えている内容に添っており、それ自体は秀逸だ。いまでもいわゆる“内地”の人間には馴染みの薄い沖縄の風土や歴史的背景を物語の主題と絡めて描くことで、自然に作品世界に溶け込ませている。一連の怪異現象の扱いも、安易な呪文やひとつの宗教的背景に偏った描き方をしておらず、研究の成果が窺える(それだけに終盤の“祈り”が冗長で無駄に思えてしまうのだけど)。シリーズ常連キャラクターも、大活躍とまでは行かなくともそれぞれに見せ場があって、作者の愛着が窺えて快い。――それが解るからこそ、会話や構成の拙さが今回目立っていることが勿体なく思われて仕方ないのだ。

 ついでに率直に書いてしまうが、このタイトル、響きはいいが作品の本質をほとんど反映しておらず、正直なぜこれを選んだのかよく解らない。シリーズものであるのにキャラクター紹介を載せなかったり、カバー折り返しの著者名のスペルが誤っていたり、挿絵の構図が似通っていたり(二人並んだ時の位置関係がほとんど同じ、特に季里と告未が並んでいる場面はほとんど季里が左・告未が右で、視点からの距離感ぐらいしか変化がないのは問題)……ちょっと、全般にチェックが甘いのではないかと感じます。新しい挿絵の方の絵柄じたいは、旧作の川原由美子氏の雰囲気を踏襲していて良かったのですが……

(2004/04/09)


アガサ・クリスティー/宇野利泰[訳]『ポケットにライ麦を』
Agathe Christie “A Pocket Full of Rye” / Translated by Toshiyasu Uno

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2003年11月15日付初版 / 本体価格720円 / 2004年04月11日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 投資信託会社を経営するレックス・フォテスキューが、自らのオフィスで変死した――ポケットにライ麦をつめて。狷介な性質から家族との対立も少なからず、ここ何ヶ月かは無謀な投資によって会社の経営状態さえ悪化させていた彼のまわりには、殺害動機が余るほど転がっている。事件を担当するニール警部は、レックスを死に至らしめた毒と同じ名を持つ“水松(いちい)荘”を中心に丹念な捜査を続けるが、そんな彼を嘲笑うように第二、第三の事件が発生する。やがて、関係者に縁を持っていたミス・マープルが現地を訪れると、彼女はまず不気味な事実を指摘する。連続する事件は、マザー・グースの童謡をなぞっているのではないか……?
 ミステリの定番と言われる“見立て殺人”もの、だが、同類他作と比べてあまり派手さを感じないのは、ミス・マープルが登場するまでその点にまったく言及されず、彼女が口にしてからも表立って訴える場面が乏しいからだ。それも当然で、現実に“見立て殺人”が起きたとしても、犯人自らが声高に表明でもしない限りは半信半疑で口にするのも憚るのが自然なことだろう。そういう半端な状態で描かれながら、しかし同時に童謡をなぞらえることに必然的な理由が与えられているのはさすが。
 また、わたしがこれまでに読んだマープルものと異なるのは、常通りに郊外の館を主な舞台にしながら会社経営などの都市的な側面が作られていることと、ミス・マープルの存在が控えめに描かれていること。ミス・マープルという人物、愛らしいことは確かなのだけど、その方法論が雑談を軸にした情報収集と、セント・メアリ・ミードで交流した人々との類似を起点にした推理だったりするので、彼女が前面に登場する作品はしばしば四方山話が文字通り山盛りとなり、その所帯じみた会話が少々鬱陶しくなることがしばしばある。そのため、通常の警察による手続きで判明することは警察に語らせ、必要な箇所だけミス・マープルの方法論で拾っていく、という本書のスタイルは、展開を非常にすっきりさせる。これはあくまで好みの問題でしかないが、同様の理由からマープルものに苦手意識を抱いているような方には、馴染みやすい作品だと思われる。
(ちなみに、『パディントン発4時50分』もミス・マープルよりスーパー家政婦のルーシー嬢の視点から語られることが多かったが、この作品では当初からミス・マープルがブレーンとして行動しているので、やはり所帯じみた印象がある)
 他の作品と比べると少々飛躍が過ぎるようにも感じたが、相変わらず心理的な手がかりを併用しての推理はシンプルながら唸らされるものがあり、切れ味は鋭い。ひとつだけ不明瞭な点を残してしまったものの、作中で現れた(事件とは直接関わらなかった)疑惑をきちんと片づけていることも好印象に繋がっている。
 だが、本書の最大のポイントはラストシーンではなかろうか。ある登場人物の手紙を効果的に用いたこの幕切れは、これまでに読んだクリスティー作品のなかでも特に秀逸。同時代に活躍したカーでは出し得ない“毒”と、その底に覗くミス・マープルの、ひいてはクリスティーの優しい眼差しを感じさせる、醜くも美しいエンディング。個人的には、この結末があるというだけでこれまでに読んだクリスティー作品のベスト3ぐらいには入れたい、と思う。

(2004/04/12)


江戸川乱歩『江戸川乱歩全集第16巻 透明怪人』
光文社 / 文庫判(光文社文庫所収) / 2004年04月20日付初版 / 本体価格933円 / 2004年04月13日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 光文社文庫版江戸川乱歩全集の第9回配本。人間を透明にする薬品を開発したと称する怪老人と明智小五郎との対決を描く『透明怪人』、あの怪人が名を変え復活し新たな計画に乗り出す『怪奇四十面相』、今度は異星人襲来だ! の『宇宙怪人』、以上三つの少年向け長篇と、いずれもリレー小説の第一回として執筆された『畸形の天女』『女妖』を収録する。
 ひらがなの「ですます」調文体というのがこれほど読みづらいものだったとわ。『怪人二十面相』一篇限りだった第10巻に対して、三篇も並んだ本書はなかなかきつい。
 ただ、『怪人二十面相』には目立っていたぎこちなさとわざとらしさは、本書収録の三作ではだいぶ補われている。やっていることが子供騙し、しかもかなりとんでもないトリックが使われていて現実味はまるでないのだが、あとに何が起きるか解らないという恐怖感と、真相に一歩一歩迫っていく冒険小説的な趣向は見事に完成されている。敵方の大言壮語も『宇宙怪人』ぐらいまで来るといっそ潔く、昨今の小綺麗に纏まってしまったフィクションでは味わえない類の大風呂敷がとことん堪能できる。無茶もここまで徹底していると爽快ではないですか。……単純に「開き直り」と取れなくもないが。
 ところで、編者が註釈で盛んに首を傾げるほど、『怪奇四十面相』に登場する四十面相には粗忽な言動が目立つ。が、これは明智探偵よりも小林少年の敵手として四十面相を描いたがゆえの弊害ではなかろうか。この作品に限らず、少年ものでは読者として捉えているのが子供達であるせいか、敵もまた明智以上に子供達を意識している感がある。いまのすれた読者の目からすると、所詮はレベルをそこまで下げているだけ、なのだけど、たとえ子供であってもたゆまぬ努力と智恵と勇気さえあれば怪人にだって対抗できる、という純粋なメッセージのようなものが感じられて、妙に歯痒くも快い。
 残る二篇はいずれもリレー小説の冒頭として執筆されたもので、発端しか収録されていないのでくだくだしく感想を述べるのは避ける。ただ、解説で指摘されているとおり、同時収録された少年もの三篇にも濃密に窺われる“隠れ蓑願望”を、乱歩自身納得のいく形で描いた掌篇であり、そう考えるとなかなか興味深く読める。あとをうまく引き継いでもらう必要のために大風呂敷を広げることなく、乱歩らしくもしかし地に足のついた筆致である点にも注目したい。

 それにつけても大友少年はいま何処に。

(2004/04/13)


ディクスン・カー/井上一夫[訳]『皇帝のかぎ煙草入れ』
John Dickson Carr “The Emperor's Snuff-Box” / Translated by Kazuo Inoue

東京創元社 / 文庫判(創元推理文庫所収) / 1961年08月18日付初版(1999年03月26日付47刷) / 本体価格500円(2004年04月現在定価567円) / 2004年04月18日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 1942年に発表され、あのアガサ・クリスティーをも脱帽せしめたという長篇。
 フランスで暮らすイギリス人女性イヴ・ニールの婚約者の父モーリス・ロウズ卿が殺害された。事件の夜、血の付いた夜着を纏い、そこにモーリス卿の頭蓋もろとも叩き潰された骨董品のかぎ煙草入れの破片が付着していたことから、イヴは警察に最重要容疑者として目をつけられる。だが、彼女には本当は不動のアリバイがあった。死者の真向かいに暮らす彼女の寝室から、モーリス卿の殺害されていた書斎が見えるのだ。そのとき彼女の寝室には、別れたばかりの夫ネッド・アトウッドが押し入っていた。しかし、イヴの無辜を証明するはずのネッドは、イヴの邸宅を抜け出す際に階段から転落し、その影響で昏睡状態に陥っている……どうすればイヴはこの窮地を抜け出せるのだろう……?
 珍しく、かなり早い段階で犯人が解ってしまいました。わたしはふだん、たとえ本格ものでもその場その場で証拠やヒントを細々と検証することはせず、解決編で驚いたあとで細部を確認するように心がけて読んでいるのですが、今回は色々あって読むのに日にちを費やしたぶん、余計に考える時間が増えてしまったようで、突如気づいてしまったのです。
 だが、そうして犯人がきっちり指摘できて、なおかつ過程に不満を抱く余地がなかった、ということは、謎解き小説としての完成度が高い証拠となる。序盤から大胆に伏線やヒントを鏤めながら、不可抗力で窮地に追い込まれていく女性の視座をメインに綴っていくことで、巧妙にサスペンスを醸成している。本筋となる殺人事件以外に、幾つかの疑惑や確執を盛り込むことで、うまく読者の目をも眩ませている。一見複雑なようでいて、主軸となる仕掛けは非常にシンプルであることにも注目したい。そのシンプルさを巧く装飾しているがゆえに物語は緊迫を維持し、カタルシスが単純明快なものとなっている。
 本編はカーの近代物では珍しく、フェル博士が登場しない。代わって容疑を受けるヒロイン同様にイギリスからやって来た精神科医が、犯人検挙の実績がある人物として捜査に容喙する。もともと緊張感に満ちたストーリー展開に、探偵像の違いもあって、他のカー作品に見られるような笑劇風のイメージは薄く、また必要以上に衒学趣味に陥ってもいない。文章面でも従来の晦渋なタッチが薄れ、カーの怪奇趣味に苦手意識があるような読者でもスムーズに作品世界に馴染むことが出来るはずだ。
 少々精神医学の方法論が、古めかしさを差し引いても恣意的に過ぎることや、捜査関係者の言動が不用意すぎるといった欠点は認められる。だが、その程度はフィクションにおける潤色として充分に許容範囲のうちにある。カーがいわゆる怪奇趣味や不可能犯罪のみではなく、本来の目的を覆い隠す仕掛けとストーリーテリングの達人であったことを示す秀作である。

 乱歩はいちど本編を高く称揚したが、のちに「手品的」としてやや評価を下げ、やはりほかの密室もののほうが優れているような論調に切り替えている。だが、わたしの目には寧ろほかの密室ものなどよりずっと実現が容易であり、シンプルであるからこそ有効な仕掛けであるように思えた。昨今流行りの手法の雛形というイメージもあり、そういう意味でほかの――例えば『爬虫類館の殺人』や、高度に複雑化しすぎた『三つの棺』よりも、現代の読み手には親しみやすい作品ではなかろうか。

(2004/04/19)


北村 薫『語り女たち』
1) 新潮社 / 四六判ハード / 2004年04月15日付初版 / 定価1680円 / 2004年04月19日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 とある空想癖のある男が広告を打った。奇妙な体験を持つ女性を募り、寝椅子に横たわりながら男は彼女たちの言葉に耳を傾ける。窓外の景色が季節とともに移ろうさまを傍目に、女たちが訪れては不思議な物語を落としていく……
 女性による語り、という縛りで統一された幻想小説集。現実で説明がつくもの、体験者の幻想と見えるもの、あからさまに異世界へと足を踏み入れてしまうもの、と立地点にやや差違は認められるが、いずれも劣らぬ奇妙な話揃いである。著者の『空飛ぶ馬』をはじめとする“私”シリーズや『覆面作家』シリーズといった本格ミステリとも、『スキップ』などのようなSF風ドラマとも趣が異なるが、その鋭くも優しい情景描写や小説・詩への深い造詣を覗かせるエピソードなど、著者特有の味わいが確かに感じられる。個人的には前半の、二桁にも満たないページ数の作品で埋め尽くし、砂浜に散らばる砂金を集めたようなイメージを強めてくれればより良かったのでは、と感じるが、少々贅沢すぎるだろうか。
 どれがいちばん、とは言い難い佳品揃いだが、映画好きとしては「四角い世界」に愛着を覚えずにいられない。映像と音として語られる台詞と文字として綴られる字幕との綾。僭越ながら、非常に良く解る、と言ってしまいたい。新しい手が加えられれば――また手を加えた者の思いが強ければ強いほど、物語は別の色彩を帯びる。その微妙な深層を描いた、卓越した掌篇である。

(2004/04/19)


田中芳樹『巴里・妖都変 薬師寺涼子の怪奇事件簿
1) 光文社 / 新書判(カッパ・ノベルス所収) / 2000年01月発売 / 定価820円 / [bk1で購入するamazonで購入する]
2) 講談社 / 文庫版(講談社文庫・所収) / 2004年04月15日付初版 / 定価600円 / 2004年04月21日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 講談社文庫書き下ろしの作品からスタートした好評シリーズの第三作。2004年04月現在、五作目までが刊行されている。
 パリの大学で行われる特別講義の講師として、警視庁の麗しきお荷物・薬師寺涼子が招かれた。二週間は息抜きが出来る、と安堵した泉田準一郎警部補だったが、当然のように随行を命じられ、そして到着早々、いつもの如く人知を超えた事件に遭遇してしまった。空港で旅立つところだった老人の肩に見たことのない生物が取り付き、老人の耳から脳味噌を吸い出して殺害してしまったのである。涼子は被害者の勤務先の主であり、日本企業のフランス支社で総支配人を務める藤城奈澄に目をつける――
 近年作者からいちばん愛されているのか、順調なペースで巻を重ね、さきごろはハンドブックも刊行されたシリーズの三作目である。
 このシリーズに限らず、著者のここ数年の作品は敵味方の構図が定型に陥りがちという欠点があるのだが、それ故に主人公たちの無茶苦茶な言動がストレートに著者の思想を反映して、共鳴するところのある読者には爽快感を齎す。
 こと、自らの財力と知性も自信に繋がっているとは言え、容姿端麗なヒロインが怪物もろとも権力に依存する悪党を蹴散らしていくさまが実に快い。薬師寺涼子というキャラクター、唯我独尊だし人を人とも思わないし、と間違いなく近くにいられたらこの上なく迷惑な存在だが(踏まれたいという人もけっこういそうだが)、それが嫌味にならないのは彼女の論理が一面的ながら真実を衝いているからだろう。
 いつもと異なり、涼子らの権力が存分に及ばない外国を舞台にしているが、それ故に余計彼女本来の逞しさが際立った物語となっている。同時にわずかな弱さも晒しているが、それすら手練手管と迫力だけで乗り切っていくさまは、『創竜伝』などのドラゴン兄弟以上に力強く映る。言葉の壁のために、日本ではまだしも対等に近い存在感を示す室町由紀子が今回かなーり気の毒に思えたが、まあこれは致し方ないところか。
 事件の推移は少々類型的だし、サプライズの要素の繰り出し方が唐突でしかも非常にあっさりと片づけられてしまっているためどうもプロットの組み立てに緩さを感じてしまうのだが、そうした涼子のキャラクターと、彼女に半ば嫌々(でも実はまんざらでもなさそうに)従っている泉田の常識的な造型が、作者が『創竜伝』などで折に触れ剥き出しにする主義主張とうまく重なり合って、結末にきちんとカタルシスに結実している。
 著者の主張には極端な面もあり、賛同できない向きにはどうしても受け入れられない性質もあるので、そういう方にはやはり楽しめない作品である点はいつも通り。だが、それ故に今も変わらず愛読者であり続けているという方、既に薬師寺涼子というキャラクターに魅せられているという向きならばきっちりと楽しめる、安定感のある一冊である。

 にしても、どこまで鈍感なんだ泉田くんは。あんなあからさまに告白されてるのに本気で解ってないのかお前は。

(2004/04/22)


アガサ・クリスティー/石田善彦[訳]『メソポタミヤの殺人』
Agathe Christie “Murder in Mesopotamia” / Translated by Yoshihiko Ishida

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2003年12月15日付初版 / 本体価格760円 / 2004年04月25日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 不安に怯える妻を看病して欲しい――仕事のためにバグダットに滞在していた看護婦のエイミー・レザランは、現地で遺跡の調査隊を指揮している考古学者エリック・ライドナーのそんな依頼を受けてヤリミヤ遺跡にある調査隊宿舎を訪れる。ライドナー氏の妻ルイーズは調査隊に波紋を投げかけるほどの魅力と知性を兼ね備えた女性であり、エイミーはたちまち彼女に惹かれた。だが、確かに何らかの妄想に取り付かれている様子はあるものの、病気かどうかは判然としない。戸惑いながらもエイミーが宿舎に留まって一週間を経たある日、突如として殺人事件が発生した――招かれた私立探偵エルキュール・ポアロはいかな真相を導き出すのか?
 舞台をどこに設定しようと、一人称人物が誰であろうと、クリスティーはクリスティーだ、という話。
 クリスティー作品が国際的政治的に疎く、物語の構造に保守的な側面があることは周知の通りだが、当時活動していた看護婦という視点人物を用いたせいで、その側面が強調されたきらいがある。彼女の男女観や、いわゆる発展途上国に対する見方は、いかにも先進国に属する人間にありがちな奢りが垣間見えて、あまり快いものではない。三人称や、他の設定では埋もれていたそうした特質が、本書においては特に顕著に感じられた。『メソポタミヤの殺人』と題しながらも描写が遺跡調査隊の内部に限られ、ほとんど空気が感じられないのも勿体ない。
 ミステリとしてのクオリティは相変わらず高い。ちょうど本書に先んじる『ABC殺人事件』で完成された、事件の様相や関係者の心理・性格から真相を解き明かしていくという手法を駆使し、思いがけない犯人に辿り着く。ただ、例に挙げた『ABC〜』や、あとに続く『ひらいたトランプ』などに比べると少々恣意的な印象があるし、また決定的な根拠に乏しいことが引っかかる。何より、ここで提示される大胆なトリックが確かならば、よくよく調査すれば幾つか証拠が見つかったはずで、そこにまったくポアロが着目しないというのは(幾ら彼が古いスタイルに固執していたとしても)ちょっと不自然に思われる。
 と、些か辛めの評価を書き連ねたが、物語全体のバランスやいずれも動機らしきものを推定できる容疑者たちの多彩さ、何より被害者そのものの魅力的な描写など、クリスティーという作家の巧さも随所に横溢しており、相変わらずのリーダビリティの高さもあってファンにも初心者にも親しみやすい作品に仕上がっている。古い価値観に支配されているものの、未だに有効で真似のしがたい毒も含まれていて、すれっからしを自称するミステリ読者にも楽しめるはず。

 この事件のあと、ポアロ氏は英国への帰途であの有名な事件(読んでのお楽しみ)に巻き込まれたのだそうです。事件が名探偵を呼ぶのか名探偵が事件を呼ぶのか、とはよく言われることですが……確率高すぎ。

(2004/04/26)


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