books / 2004年05月01日〜

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江戸川乱歩『江戸川乱歩全集第15巻 三角館の恐怖』
光文社 / 文庫判(光文社文庫所収) / 2004年02月20日付初版 / 本体価格952円 / 2004年05月01日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 光文社文庫版江戸川乱歩全集第七回配本。前巻『新宝島』とのあいだに終戦を挟み、久々の創作復帰にして待望であった少年探偵団ものの戦後一作目『青銅の魔人』とそれに続く『虎の牙』、実に『石榴』以来となる短篇『断崖』にロジャー・スカーレット作品の翻案である表題作の四編を収録する。
 ……自白します、正直、少年探偵ものにはちと、飽きました。
 よく耳にしたことだが、確かに見事なまでにパターン化していて、展開がだいたい解ってしまう。我慢しながら読むのだが、まったく予測通りのうえに終盤は敵役があまりに精彩を欠くので、辛抱したぶんに相応しいカタルシスが得られない。
 ただ、単純な犯罪ものから闘争心に純化していったような『虎の牙』の構造は、その後の娯楽小説(特に少年向けの長篇、更には長期連載漫画)の方向性を先取りており、それ自体は興味深い。しかし、いずれも型に嵌ってしまったキャラクターやストーリー展開は紙幅の短さにも拘わらず冗漫の印象があって、例えば『怪人二十面相』を初めて読んだときのような興奮は感じられなかった。全集に収められているからと言って続けて読むよりは、それぞれ間隔を置いた方が楽しめるように思った。
 久々の短篇『断崖』は、自作解説で乱歩が卑下するほど不出来ではないと思う。確かに、戦前の探偵小説でよく使われたモチーフに単純なひねりを加えただけ、あとは誤魔化しに近い叙述の工夫だけという代物なのだが、東西の探偵小説を研究しただけあって、実に綺麗に決まっている。外力によって書かされた作品と言うが(でもこの頃の乱歩はほとんどの活動がやむにやまれぬ事情によって書かされていたような……)それ故に乱歩の地力を感じさせる一篇でもある。
 表題作については、創元推理文庫版で読んだときに書いた感想に付け加えることがないので、そちらをご参照いただきたい。ただ、同時収録の少年ものよりも遥かに筆が乗っている点だけは指摘しておく。骨格は借り物でも、これこそが乱歩の書きたかった方向性なのだろう。

(2004/05/01)


平山夢明『東京伝説 死に逝く街の怖い話』
1) 竹書房 / 文庫判(竹書房文庫) / 2004年05月05日付初版 / 本体価格552円 / 2004年05月02日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 最近新刊が相次いでいる著者の、『「超」怖い話』とは異なるベクトルの「実話怪談」を蒐集したシリーズ最新刊。角川春樹事務所から刊行されたものを加えると4冊目となる。
 愛読者や編集者の猛烈なプッシュがあったにせよ、これほど刊行ペースが向上しているのは、世の中に不安が満ちていくにつれて生々しくも常軌を逸した出来事が増えているせいもあるのかも知れない。近年とみに報告例が増えている――と言っても、数年前までは潜伏していたケースがマスコミの俎上に載る機会が増えただけだと思うが――DVや児童虐待にまつわるエピソード、裏稼業専門の医院や「連れ去り」の変形など、いわゆる「都市伝説」で語られるような話が実体験として違和感なく受け入れさせる空間の醸成が巧い。
 ただ、これは『「超」怖い話』でも言えることだが、巻数を重ねるにつれてパターン化している印象が強く、先が読めてしまう話も多かった。どの巻にせよ初読のさいのインパクトがいちばん強いのは、この方式の孕むジレンマなのかも知れない。
「花見」や「芋けんぴ」の、いつの時代も変わらず存在する類の悪夢も染みるが、「ツァラストゥラはかく謀りき」のようにもうひとつ“裏”のありそうなエピソードが忘れがたい。だが本書の白眉は巻末に置かれた「ゴミ」と言うべきだろう。はっきりと意表を衝かれて、思わぬ感動が押し寄せてくる。

(2004/05/02)


カーター・ディクスン/砧 一郎[訳]『ユダの窓』
Carter Dickson “The Judas Window” / Translated by Ichiro Kinuta

早川書房 / 文庫判(ハヤカワ文庫HM所収) / 1978年03月31日付初版(1994年03月31日付八刷) / 本体価格602円(2004年05月現在777円) / 2004年05月05日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 1938年に発表され、カー名義の『三つの棺』とともに著者を代表する長篇。
 狷介な老人エイヴォリー・ヒュームが殺害された。発見されたのは窓にはシャッター、扉にはボルトが下ろされた密室、内部にはヒュームの遺体とともに、彼の娘メアリーに求婚するため訪れていたジェイムズ・アンズウィルの姿があり、ヒュームを死に至らしめた矢にはくっきりとジェイムズの指紋が残っていた。ヒュームがアンズウィルの悪い噂を聞きつけたらしいという証言に最悪の状況証拠に、被告人側弁護人として登場したのは、十五年振りにその任で法廷に立つというヘンリー・メリヴェール卿。卿は如何にしてこの若者を窮地から救い出すのか、そしてことあるごとに卿の口走る『ユダの窓』とはいったい……?
 読んだことがなくてもこの作品の密室トリックは知っている、という方は相当数おられるでしょう。かくいう私も、恐らくはミステリというものを本格的に読み始めるよりずっと以前に、クイズ集のような本で繰り返し説明され、いい加減読んだつもりになっていた。
 が。やはりカーの創造したトリックは、作品のなかに当て嵌めてこそ真価を発揮する。本編はほぼ全編が法廷での論争を描いているが、この密室トリックが効果的である理由は、それが見事に被告人となった若者を窮地から救うために役立てられているということだ。どのように――と説明してしまえばそれこそ興を削ぐことになるが、そこに至るまでの道筋の相も変わらぬ無駄のなさといったら。
 肝心の犯人特定の論理展開は少々恣意的で、条件付けが消極的に過ぎる嫌いがあるが、本編の狙いはH・M卿の珍しい法廷への登場であり、密室トリックそのものを法廷の場で如何に活用するかにあったと思われ、従って真犯人を巡るやり取りは、寧ろミステリとして書かれたが上の約束、と言うべきではなかろうか。最終的なカタルシスのためにきちんと犯人は示されるし、そこに至る伏線も充分に張り巡らされているものの、本書を傑作たらしめているのは法廷を舞台としたメリヴェール卿独特の活躍だ。
 もう口が酸っぱくなるくらいに繰り返し言っていることだが、やっぱりもう一回書いておこう。トリックを知っているからって本編を読まずにいるのは、大変に勿体ないことです。また、密室トリックの創意のみに気を取られてしまうことも然り。

 ところで、本編は『パンチとジュディ』で無事にイヴリンと永遠の誓いを立てたケン・ブレークが語り手となってますが、結婚前夜に大変なトラブルに見舞われたそちらと違って、話の進行にはまっったくと言っていいほど貢献しておりません。読者に代わって、必要なところで疑問点を質し説明を補強しているだけ。楽な仕事だなあ。

(2004/05/05)


アガサ・クリスティー/宇野輝雄[訳]『教会で死んだ男』
Agathe Christie “Sanctuary and other stories” / Translated by Teruo Uno

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2003年11月15日付初版 / 本体価格800円 / 2004年05月07日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 道化芝居が事件の鍵を握る『戦勝記念舞踏会事件』、一家の因縁を巡る事件『呪われた相続人』、リゾート地での盗難を描いた『二重の罪』ほか、エルキュール・ポアロが活躍する作品計十一篇に怪談『洋裁店の人形』、ミス・マープルものの表題作の、1951年と1961年に跨って発表された作品全十三篇を収めた短篇集。
 クリスティーの短篇ときっちり向き合うのは、『火曜クラブ』に続いて二度目となる。長篇にばかり馴染んでしまうと、基本的なスタイルは変えていないクリスティーの作風があまり短篇に合っていないのでは、という感覚を抱いてしまう。
 彼女の描く犯罪は豊かな常識感覚に支えられ、心理の綾を織り込む技に長けている。その複雑さを短篇という尺で充分に表現するのは難しいのではないか、と思うのだ。長篇では「おお、なるほどっ!」と膝を打たされるポアロの論理展開も、短篇の形では満足な検証が行われず、どうしても駆け足の印象を齎す。長篇同様に容疑者が常に複数存在するのも、その都度覚え直さねばならないということで、何となく面倒に感じられてしまうのだ。
 だが、事件それぞれの企みの深さは相変わらず折り紙付きだ。解説によると、のちに長篇に改作されたのでは、と判じられるほど大がかりなものもあるのだが、基本的にはこの尺でこそ活きる、というシンプルかつ切れ味のある仕掛けが用いられており、クリスティーの高いバランス感覚を窺わせる。一方では『呪われた相続人』のような、構想次第では幾らでも膨らましようのある素材を濃密に詰め込んだ作品もあり、なかなか油断がならない。相変わらずの簡潔だがよく練り込まれた文章、安定した事件のクオリティと相俟って実に贅沢な一冊である。
 私がいちばん惹かれたのはいま挙げた『呪われた相続人』と、女性らしい日常感覚を盛り込みながらじわじわと逸脱していく秀逸な怪談『洋裁店の人形』。それにしても、と苦笑させられるのは、大半がポアロものであるにも拘わらず、表題に採りあげられているのが僅か一篇のミス・マープルものであるということ――クリスティーが愛着を持っていたこの老婦人の前にあってはポアロも形無しなのか。

(2004/05/07)


海猫沢めろん・著/ぴぃちぐみ・原作/鬼ノ仁・画『左巻キ式ラストリゾート』
1) イーグルパブリシング / 新書判(PUMPKIN NOVELS所収) / 2004年04月20日付初版 / 本体価格880円 / 2004年05月11日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 2003年夏に発売された、『ぷに☆ふご〜』のキャラクターや設定を解体・再構築した、異色のノヴェライズ。
 12人の妙な少女ばかりが暮らす異世界の学園に、ユウは記憶を失った状態で迷い込んだ。学園の理事長である赤城宇紗菜が強権を振りかざしてユウに命じたのは、連続する強姦事件の調査。“トーチ・イーター”と名乗る連続強姦魔の正体は誰か? そして、ユウはいったい何処からここに辿り着いた……?
 ……うわ、意外にも感動してしまった。
 過剰な引用と過剰な論理、そして意味もなく過剰な性描写の果てに過剰なクライマックスが待ちかまえる、普通の感覚では想像できないような作品である。あまりに行き過ぎていて、濃厚なエロにも次第に倦んで中盤少々弛んだ印象さえ齎してしまうが、それも怒濤のラストに辿り着くとどうでも良くなってしまう。
 もともと原作が自覚的に流行の“萌え”要素をパッチワークで繋ぎあわせた挙句に誕生した鵺のような代物であり、それを敷衍した本編がこのような物語と解決に辿り着いたのは至極真っ当な結果だと思う。解明の鍵となるパーツが(恐ろしいことだが)既に古びてしまっているのと、設定が恣意的であるために十全に理解できる人が少ないだろうこととか、そもそもそのヒントとなるべき描写が均質な性表現に埋没しているのであまり意味を為していない(もーちょっとキャラクターの特性に応じた描き分けが必要だったんじゃ)という、けっこう根本的な問題点も感じたのだが、そこまで完全を期すると逆にエロゲのノヴェライズという枠から完全にはみ出しかねないところで、なかなか難しい。
 とは言え、ふんだんに盛り込まれた雑学的要素が築き上げるスラップスティックな作品世界は、それだけでなかなかに楽しい。ゲームやアニメの引用に混ざって脳科学や認識論、ドラッグの知識等々がかなり無秩序に投げ込まれているのだが、それが独特な妙味を醸し出している。
 無秩序もここまで徹底すればひとつの秩序になりうる。本道を歩く人々にとっては理解不能の代物かも知れないが、アニメとエロゲと萌えとミステリの境界線をうろうろしているような人間には自虐的な快感を呼び覚まされるような読後感があるはず。時代を一歩でも外れたらたぶん実感の出来ない種類の、今だからこそ完成し得た一種のメタ・ミステリと言ってみることも可能。
 まあ、正直、とてもではないがごく普通の読者にはお勧めできませんが、個人的には大変面白かった。
 ――で結局、犯人は    ということでOK?

 ちなみに「うまい棒」はチョコレート味がお薦め。なのに食堂の品揃えからそれが抜けていたのがショックでした。

(2004/05/11)


角田文衞『平安の春』
講談社 / 文庫判(講談社学術文庫所収) / 1999年01月10日付初版(2002年04月19日付5刷) / 本体価格960円 / 2004年05月13日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 平安期を中心に研究を続けている歴史学者である著者が、多くの文献を読み込んだなかから得た知識や考察・雑感を、平易な文章で綴った学術エッセイ集。
 題名通り平安時代を中心としたエッセイである。上には平易、と書いたが、多少の知識は必要とするはずた。が、それでも美しい言葉で綴られた平安王朝の人々の生活様式や意識の変遷は、史書や研究書とは比べものにならないほど生々しくて、実感的である。藤原道長らの栄耀を実現する礎を作った師輔という人物の実像を詳細に分析し、保元の乱の遠因を作った専制君主白河法皇の異様な生涯を暴く筆致には推理小説的な楽しみさえある。
 最近思うところあって平安期に関する研究や文献、小説の類を読み漁っていたが、そのなかでも読みやすさと楽しさにかけては本書が随一だった。いずれネタ元にさせていただく目論見があるのであまりお薦めしたくはないが、しかし良書として息長く読み継がれて欲しい、とアンビバレントな心境になったりする。
 何にしてもまさしく恨めしいのは応仁の乱、である。あれさえなきゃ、或いは最も謎の多い平安期の民衆生活に関する史料も残存していたかも知れないのにぃ。そしたらこんなに苦労しなくても済んだのにぃ。

(2004/05/13)


アガサ・クリスティー/中村能三[訳]『ベツレヘムの星』
Agathe Christie “Star over Bethlehem” / Translated by Yoshimi Nakamura

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2003年11月15日付初版 / 本体価格480円 / 2004年05月13日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 ミステリ界の女王アガサ・クリスティーが、聖書を題材に手がけた短篇と詩を収録した作品集。マリアと天使の対話を描いた表題作をはじめ、現代の夫人が心の安らぎを選るに至るまでを描いた『水上バス』、新たな千年期の到来と聖者を重ねる『いと高き行進』など全10篇を収める。これまでハードカバーでのみ刊行されていたが、個人全集の体裁も兼ねたクリスティー文庫の発刊に合わせて、中村銀子氏の口絵・挿絵とともに今回初めて文庫化された。
 クリスマス・ストーリーという表現がなされており、クリスマスは好きなくせに宗教色そのものには抵抗を示す厄介な日本人のひとりとして若干苦手意識を抱いていたのだが、素材が何であれクリスティーの巧さは変わらないらしい。題材こそ間違いなく聖書だが、そこに独自の視点とひねりを加えて、実にビターな読み物に仕立てている。
 或いは主語を省き、或いは背景を隠して終盤にそっと差し出すテクニック、淡々とした表現のなかに幾つもの意味を添えて提示する表現力などなど、なまじ明白なトリックや込み入ったロジックがない分、ただのミステリ作家に留まらないクリスティーの才能をまざまざと見せつけた作品集と言えよう。
 聖書についてはまだ勉強を始める前の私だが、キリスト生誕や十三人の聖者といった著名なエピソードを独自に料理した本書は、そんな私にとっても平明で解り易く、信仰云々を別にしても感じるところの多い本である。

(2004/05/13)


サラ・ウォーターズ/中村有希[訳]『荊の城』
Sarah Waters “Fingersmith” / Translated by Yuki Nakamura

1) 東京創元社 / 文庫判・上下巻(創元推理文庫所収) / 2004年04月23日付初版 / 本体価格各987円 / 2004年05月29日読了 [bk1で購入する(上)(下)/amazonで購入する(上)(下)]

 初邦訳『半身』が絶賛された著者の最新作であり、CWAの歴史小説部門であるヒストリカル・ダガーを受賞した作品。前作同様ヴィクトリア朝のイギリスを舞台に繰り広げられる、妖美と醜悪が混ざり合った物語。
 ロンドンの下町で小悪党に囲まれ掏摸として育ったスウに、ある日詐欺師である通称<紳士>が壮大な儲け話を齎した。ロンドンから列車と馬車を利用して数時間を要する辺鄙な土地に建つ朽ちかけたブライア城に暮らすのは、膨大な書物に囲まれ研究に明け暮れる老人と、彼に扶養される令嬢モード・リリー。<紳士>はモードが結婚後に相続できる遺産目当てに彼女を籠絡しようとしており、スウにその手伝いを頼んだのだ。報酬のために住み慣れた土地を離れ、侍女としてモードの側に仕えるスウ。慣れぬ環境に戸惑いながら辛抱していた掏摸の少女だったが、しかし、甲斐甲斐しくモードの世話を見ているうちに、少しずつ彼女の心境は変わっていった。やがて待ち受ける、おぞましくも狂おしい宿命を知るよしもなく。
 ……まあ本当に粗筋の書きにくい話だ。まだこれは序盤も序盤、上巻の百数十ページ程度しか反映していないが、このあとを書いては思いっ切り興を削ぐのが想像できてしまう。
 漠然と表現してしまえば、前作『半身』同様に、ヴィクトリア朝前後に執筆された数々の文学作品を彷彿とさせる、骨太のドラマである。確かなディテールによって再現された、絢爛でありながらも陰湿で荒涼とした往年のイギリスの情景と、その舞台に繰り広げられる陰惨たる悪夢の連続。登場人物がどんどん救いようもない状況に陥っていく様にいつしか魅入られて、油断するとページを繰る手が止まらなくなる。私自身は上下合わせて二週間以上を費やしてしまったが、それは個人的な事情があったからで、合わなかったからとか私には面白くなかった、という理由ではないことはお断りしておく。
 作品には大きな秘密が幾つも隠されているが、その謎解きが焦点とはなっていない。だが、何度も明かされる秘密の衝撃と、巧みな伏線によって齎される逆転の妙味によってミステリとしか言いようのない雰囲気を醸し出している。
 生易しいハッピーエンドなど予想させない異常な展開と、その果ての隠微な余韻を留めるラストまで、見事に実の詰まった大作である。上下巻というヴォリュームに手を出しかねる人もあるだろうが、ほとんど気になることはない、と保証する。この厚みがほとんど無駄になっていないのだ。
 ……ただ、話が進むに従って、だんだん『牡丹と薔薇』に思えてきたのは内緒だ。

(2004/05/29)


宮部みゆき・文、黒鉄ヒロシ・絵『ぱんぷくりん 鶴之巻』
PHP研究所 / B6判変形上製 / 2004年06月18日付初版 / 本体価格952円 / 2004年06月04日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]
宮部みゆき・文、黒鉄ヒロシ・絵『ぱんぷくりん 亀之巻』
PHP研究所 / B6判変形上製 / 2004年06月18日付初版 / 本体価格952円 / 2004年06月04日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 宮部みゆきが黒鉄ヒロシを挿絵に迎えて上梓した、初めての絵本。『鶴之巻』には神様たちの妙な目論見を描く「宝船のテンプク」、ずっと片腕を上げっぱなしの招き猫たちの当然の反応っぽい「招き猫の肩こり」、社に比べてないがしろにされがちな鳥居の反乱「鳥居の引越し」を、『亀之巻』には絵皿の竜をめぐる物語「ふるさとに帰った竜」、自分の顔が気にくわないだるまの話「怒りんぼうのだるま」、綺麗なお菓子に秘められた逸話「金平糖と流れ星」を収録。
 作者当人が気晴らしに執筆したというだけあって、素材が目出度いのに合わせて中身には微塵も暗さがない。いずれも縁起物の来歴にはあまり拘らず、自由に発想を広げていて、軽いながらも何とも快い後味が残る。民話のペーソスを保存しつつ、短いなりに作者一流の捻りを加えた作品もあり、そのあたりはさすがと唸らされる。
 各編お話としては非常に短めで、楽に書いているな、といった印象は拭いがたいが、細かな設定を抜きにした筆致はこちらの肩の力も緩めてくれる。何よりほぼ全頁に載せられた黒鉄ヒロシの、雑なのか繊細なのかよく解らない個性的かつ奔放な挿絵が、その爽快感を更に高めている。
 扱っているものもそうだが、この本自体一種の縁起物と捉えるのがいいだろう。読んだり眺めたりするのもいいが、機会があれば慶賀のさいの贈り物に用いてみるのも一興かも知れない。

(2004/06/04)


江戸川乱歩『江戸川乱歩全集第9巻 黒蜥蜴』
光文社 / 文庫判(光文社文庫所収) / 2003年10月20日付初版 / 本体価格933円 / 2004年06月05日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 水谷準・大下宇陀児らとのリレー小説の第一回として執筆された『黒い虹』、美しくも残酷な女賊と名探偵・明智小五郎の一種凄絶なロマンスとも言える対決の様を描き、舞台・映画などで繰り返し採りあげられる通俗ものの代表作『黒蜥蜴』、人の姿をした野獣が跳梁する長篇『人間豹』、この頃の乱歩としては珍しい本格探偵小説風味の中篇『石榴』の、1934年から翌年までにかけて発表された全四編を収録する。
 当人の認識はさておき、このあたりがいちばん作家としての乱歩に脂がのっていた時期ではなかろうか。連作としては疑問視される完成度だったらしい『黒い虹』だが、異様な怪しさを湛えた描写は、その後の決着なしでも充分に読ませるし、当時はあまり評価されなかったという中篇『石榴』にしても、乱歩らしい要素を随所に盛り込みながら端正な謎解き小説のムードを実現しており、最上とは言えないまでも充分なクオリティを示している。
 だがやはりこの巻の白眉は表題作でもある『黒蜥蜴』だ。作品の骨格は従来の通俗ものと同様、シンプルな仕掛けと活劇描写に依存している娯楽小説に過ぎないのだが、明智小五郎と対決する女賊・黒蜥蜴のキャラクター造型がとにかく傑出している。男言葉と女言葉を混ぜた独特の口調に、凄惨な美をこよなく愛する独自の価値観、そして頭脳戦に魅力を覚えるがあまり、やがて追う側の人間である明智に対して立場を超えた恋愛感情に似たものまで抱くに至る心理描写。その独創的なキャラクターは、のちに創出された怪人二十面相はおろか、明智小五郎でさえ凌駕する。
 独創的とは評したが、今となっては彼女のようなキャラクターも決して珍しくはない。だが、そうしたキャラクターの原型をこの時代に完璧な形で提出した事実こそ注目に値する。完成度としては三島由紀夫の脚本による戯曲のほうが上であろうが、そうした作品群の原点に存在する本編、乱歩ファンならずともいちどは触れてみていい。
 ――ただ、ちょっと疑問に思うのは、この事件が明智小五郎という探偵の事件簿にあって、いったいどのあたりに位置づけられているのか、ということ。女賊・黒蜥蜴と擬似的な恋愛関係を結ぶに至る彼だが、これに先行する長篇『魔術師』で出会い、『吸血鬼』でその関係を深めた(――と記憶してるんですけど……)文代さんという人物の影が本編には見いだせず、だがほぼ同時期に連載されていた『人間豹』にはきちんと姿を現しているのはいったいどういうことか。『黒蜥蜴』のほうをシリーズから逸脱した一種のパラレル・ワールドとして捉えれば解決する問題ではあるが……こうして一緒に収録されていると、なんだか名探偵の乱倫を目の当たりにしているようで、少々妙な心地になるのでした。
 もう一本の長篇『人間豹』については、以前創元推理文庫版で読んだときの感想に付け加えることはないので、そちらを参照していただきたい。

(2004/06/06)


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