books / 2004年07月05日〜

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木原浩勝、中山市朗『新耳袋 現代百物語 第五夜』
1) メディアファクトリー / B6判ソフト / 2000年07月16日付初版 / 本体価格1200円 / 2000年06月28日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]
2) 角川書店 / 文庫判(角川文庫) / 平成16年06月25日付初版 / 本体価格590円 / 2004年07月03日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 現在第九夜まで刊行されている好評実話怪談シリーズ、2000年刊行の第五巻。百物語を語ることで出来する怪異を扱った章、戦争にまつわる怪異を扱った章など、九十九のエピソードを全十一章に分けて収録。
 この前巻にあたる第四夜に収録され、未だに尾を引く連作『山の牧場』で一種の頂点を極めてしまった本書だが、それに続く本書ではやや基本に戻り、連作よりも粒で光るエピソード中心に収められている。僅かな呟きが恐怖を際立たせる「ひとこと」や、何ら因果や因縁の類のないはずの部屋に起きる怪異を扱った第九章など、連作の体裁をとらされたエピソードも存在するが、基本的には一個一個独立した話となっている。蒐集したエピソードを取捨選択し、徹底的に遂行して分類した著者の苦労が偲ばれる。
 また、第一章では第一夜の後日譚やそれに関連して発掘されたエピソードを集め、上記のように本書同様の百物語を語ることで訪れた怪異を扱う第六章があり、新耳袋の存在そのものが齎したエピソードが登場したことも本編の特色のひとつだろう。語られるからこそ怪異が更に擦り寄ってくる――というのは、マニアにとっては堪らない現象である。故に、もともと怖いものが嫌いだ、と仰言る方にはしんどく感じられるだろうけれど。
 あとがきによれば最も執筆に苦心し、縛りがあるために生きた言葉で語ることが出来なかったと著者が述懐する第十一章だが、しかしだからこそこの章は新耳袋の精神をよく映した鏡のような存在感を発揮する。怪異のエッセンスのみを抽出しながらその裏に数多のドラマを秘めたこの一群の出来事を最終章に置いたことこそ本書の白眉と言えよう。

(2004/07/05)


木原浩勝、中山市朗『新耳袋 現代百物語 第六夜』
1) メディアファクトリー / B6判ソフト / 2001年06月06日付初版 / 本体価格1200円 / 2001年06月15日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]
2) 角川書店 / 文庫判(角川文庫) / 平成16年06月25日付初版 / 本体価格590円 / 2004年07月07日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 現代の実話怪談を代表するシリーズ第六巻の文庫版。章立てを「守にまつわる十二の話」「音にまつわる七つの話」など漢字一文字で揃えたフォーマットを新たに採用した巻でもある。
 前巻は初心に戻りつつも、怪談の存在そのものが呼び起こす怪異を多く採りあげるという形で作品世界の膨張を窺わせる一冊になっていたのに対し、本書では一転、怪談がそれぞれ単独で成立するものが増え、別の形で初心を取り戻したような印象を受ける。同じ根っこから生じた複数のエピソードを別々に語るのも手法ではあるが、やはり細かな怪異が何の解決もせずしかし拡散もせずに厳然と存在しているのが、怪談の原点ではなかろうか、と思う。個人的には、ドラマ版も印象的であった「狐風呂」、人同士の絆がそのまま怪異となって怖くも妙に微笑ましい「約束」が記憶に残る。
 そうして粒を揃えた本書で一章だけ論って語るのは著者にとって本意ではなかろうが、しかしその存在感は本文のなかでも認めていることなので、採りあげても構うまい。本編のハイライトは二十話と実に五分の一に及ぶ長篇の体裁をとった最終章である。京都にあるマンションで継続的に発生し、それを取材しようとした著者ら関係者の身にも起きた怪異を併せて収録しているが、最終的に建物の内側に留まらず拡散していく様が凄まじい。テレビ局の取材に対してあからさまな警告を発しながら、本書に収録されることを許したのも――或いは一種の警告なのかも知れない。だから間違っても場所を探り当ててマイクロバスをチャーターして集団で乗り付ける、なんてことはしないようにしましょう。後生だから。せめてひっそりと愛でましょう。

(2004/07/07)


天城 一[著]/日下三蔵[編]『天城一の密室犯罪学教程』
1) 日本評論社 / 四六判ハード / 2004年05月20日付初版 / 本体価格2800円 / 2004年07月11日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 デビューから半世紀超、一貫して密室犯罪という本格ものの一手法を堅守した作品を著しながら、これまでいちども自著を持たなかった天城一初の作品集。かつて私家版として刊行された『密室犯罪学教程』に“実践編”として収録された短篇十本からなるPART1、それらを踏まえて説かれる“理論編”のPART2、そしてデビュー作をはじめPART1収録作品にも登場した摩耶正を道化役とした作品群十編を収めたPART3によって構成されている。
 題名通り、ひたすら密室ものに耽溺した内容である。理論編は当然ながら、実作さえも創作論を剥き身のまま練り上げたといった趣で、一冊まるごと理論のみで形成された印象がある。
 こと、理論編に籠められた気迫には圧倒される。ただ、構成上この章の前に配された実践編に収録された作品郡はともかく、そのあとに置かれた摩耶を探偵役とする一連の作品群や高木彬光『妖婦の宿』鮎川哲也『赤い密室』ザングウィル『ビッグ・ボウの殺人』カー『妖魔の森の家』といった作品のネタバレを無造作に行っている感があるのは気になる。論ずる上で他の作家の作例があったほうが通りがいいことは確かなのだが、直前に作品名を挙げるのではなく理論編の冒頭、或いは各章の頭あたりで言及が欲しかったところだ。尤も、この著書を購入するような人間は既にあらかた目を通しているか、ある程度割り切った上で読んでいるようにも思うのだけど。
 著者は乱歩のトリック至上主義や、対照的なリアリズム信奉によって“探偵小説”が誤解を被ってきたと説き、“探偵小説”が備える革命性や文明批判の能力を強く訴えているが、そこにはそれ以前に“探偵小説”と呼ばれるものの定義がそもそも混乱しているという事実をあまり認識していない、或いは故意に無視している印象があって、熱意は伝わるが安易に頷けない。
 とは言え、この文明批評的な言及を含む理論編の「むすび」ひとつを読んでも、著者が“探偵小説”に捧げた並々ならぬ情熱は充分に伝わる。脱線が激しいが、その脱線のなかに天城一という作家が探偵小説というものに寄託していた想いが犇々と感じられるのである。
 ただ、そうした強烈な情熱が却って実作からリーダビリティや、フィクションとしての拡がりを奪っているという事実もあるようだ。著者がデビューした当時やその後の発表媒体の束縛もあって原稿用紙十数枚からせいぜい三十枚程度に限られた紙幅に密室を成立させるための伏線や各種のペダンティズムを押し込んでいることが、しばしば文章を極度に省略させ前後関係が解りにくくなっている。同時に、本来強調されるべき密室という謎について訴えるスペースさえ削られているから、読者が謎解きに挑戦しようと考える間もなくいきなり解決編に突入してしまう、或いは摩耶の果たして本筋と関わりがあるのか解らない演説に付き合わされ、困惑しているうちに話が締めくくられてしまう傾向にある。
 詰まるところ、小説パートでさえ密室犯罪小説の理論で構成されており、読者の側でもそれを念頭に心を決めて取り組まねばならない。謎解きの興奮やクライマックスの驚きを気軽に楽しみたい、という向きにはとことんお薦めできない作りだが、本格ミステリというものにはこういった取組み方も存在する、という理解のために一読することもまた一興ではないか。
 いずれにせよ、手に取る際にはそれ相応の覚悟が必要な、渾身の一冊である。

(2004/07/11)


上田次郎『日本科学技術大学教授上田次郎のなぜベストを尽くさないのか』
1) 学習研究社 / 四六判ソフト / 2004年07月12日付初版 / 本体価格1200円 / 2004年07月12日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 深夜枠から映画化を経てゴールデンタイムに進出、安定した人気を誇るスラップスティックなミステリ・ドラマ『TRICK』。その作中人物である日本科学技術大学教授・上田次郎が最新シリーズのなかで発表した著書『なぜベストを尽くさないのか』を現実に発売してしまった企画本。上田教授が日々の暮らしのなかで尽くしたベストを抜粋して綴る第一章、自らの経験と照らし合わせて人生の法則を語る第二章、どこかで見覚えのある人物からの相談に応える第三章、更にポエムと略年譜まで添えた、究極の人生指南書。
 前作『どんと来い、超常現象』は上田の視点からドラマのエピソードを綴りなおしたもので、本編のストーリーを知っているほどそのおかしみが増すという代物だったが、本書はその気になれば原作を知らなくても楽しめるに違いない。自己顕示欲と誇大妄想が横溢し、それを隠そうとしてまったく隠れていない、こんな本は滅多にお目にかかれるものではない。ときどき本気でそういう人の書いたものを読むと、笑う以前に薄ら寒さを覚えるものだが、本書はその点、解った上で書いているので、馬鹿さ加減を存分に楽しむことが出来る。ここに書かれている一部の理論はともかく、行動そのものをマジに取る人はそうそうあるまい。とことんネタとして楽しめるのだ。
 当然ながら、ドラマを見ていればより楽しめること請け合いである。どこまでも本気っぽい語り口は本人の表情を思い浮かべさせずにおかないし、随所に劇中で語られた逸話も挿入されているあたりが憎い。人生相談のパートでの相談者はほぼ全部がドラマに登場した人物になっているのも巧い。上田教授の交友関係を想像するに、仮に本当にこの本を著したとしても、実際相談者として名前を連ねるのはこんな案配に事件関係者ばかりになりそうだ。作品世界のなかでなら充分にリアリティを保っているのである。
 最後の最後で上田教授と山田奈緒子のロマンスを匂わせてしまったあたりはちょっとどうかな、と首を傾げたが、このくらいはご愛敬、というか一種のサービスであろう。実の詰まり具合では、これまでに刊行されたどの『TRICK』関連本よりも優れている。ファンなら読んで損はなし、オリジナルを知らなくてもネタとして充分賞味可能です。

(2004/07/13)


アガサ・クリスティー/乾信一郎[訳]『パーカー・パイン登場』
Agathe Christie “Parker Pyne Investigates” / Translated by Sinichiro Inui

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2004年01月15日付初版 / 本体価格680円 / 2004年07月13日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

“あなたは幸せ? でないならパーカー・パイン氏に相談を。リッチモンド街17”新聞の一面に掲載されたそんな謎めいた広告に引き寄せられて、様々な人が彼を訪ねる。夫の不倫に悩む中年婦人、冒険に飢えた退役軍人、愛する妻の不貞に苦しめられる夫、金の使い道が解らない富豪夫人……パーカー・パイン氏は鮮やかな手並みで彼らの悩みを解消していく。その後、中東へと休養旅行に赴いたパイン氏の遭遇した事件六つを含む、全十二編を収録した短篇連作である。
 序盤六作はポアロやミス・マープルものとも、冒険ものとも異なるクリスティー作品としては一風変わった趣のエピソードが並ぶ。謎解きの要素もあるが、謎をかけるのは犯人や事件ではなく主にパーカー・パイン氏だ。彼は依頼者の持ち込んだ相談に対し、様々な策を弄してその解消を目論む。この解決の仕方が実にうがっていて、彼の企みを見抜こうと試みればそのまま探偵小説の醍醐味が現れる、という仕組みである。
 極めて面白い趣向だが、継続が困難であるのも想像がつく。最初のエピソードは挨拶代わりにシンプルな作戦が実施されるだけだが、第二作からいきなり新たなアイディアが盛り込まれ、第三作・第四作と進むごとに方向性が混乱していく。読者はその意外な展開にただただ驚いていればいいのだが、作者の苦心は想像するだに辛い。
 結果、七作目からは著者の中期以降に多い、中近東を舞台にしたトラベル・ミステリに変貌してしまい、独自性を喪ってしまった。それまでのパイン氏の“芸風”を踏襲した、些細な証拠や堂に入った人間観察から真相を見抜く手管には感嘆させられるものの、序盤の一風変わった“何でも屋”的な活躍とそのちょっと捻った、しかし痛烈な結末と比べるとどうしてもインパクトに欠く、というのが正直な感想だ。
 とは言え、スパイものの趣向を日常レベルに導入したかのような序盤六作の試行錯誤ぶりはクリスティーの幅広い才気を窺わせるし、後半六作にしても、実は『メソポタミアの殺人』をはじめとするポアロらの中近東ものの先駆であったという意味で興味深い。同じ理由でポアロやミス・マープルと比べて埋没してしまうのも事実ながら、クリスティーを語る上で無視できない“道化役”であり作品群である、と感じた。

(2004/07/13)


平山夢明『つきあってはいけない』
1) 角川春樹事務所 / 文庫判(ハルキ・ホラー文庫所収) / 2004年07月18日付初版 / 本体価格640円 / 2004年07月15日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

『「超」怖い話』や『東京伝説』シリーズでお馴染みの著者が十代女性を対象にした雑誌『ポップティーン』に連載した、恋愛や友人関係に端を発する恐怖の出来事を綴る、いわば『東京伝説』シリーズの特別編。友達に紹介された奇妙なアルバイト、どこかおかしな印象の付きまとう男や一見ごく普通に見える彼氏の別の顔など、身近なアプローチから異様な事態に巻き込まれた少女たちの体験談を収録する。
 取材のベースは『東京伝説』などと同じ文脈で行われているためだろう、手触りは基本的にそれらと大差ない。あくまで体験者を掲載誌の読者と同じ十代から二十代前半ぐらいの女性を中心に絞り、特に恋愛や友人関係に端を発するケースに絞って抽出したというだけだ。
 だが、それ故に『東京伝説』シリーズと同様、というかそれ以上に、現代のリアルタイムに近い風俗や、彼女たちの生活の歪んだ側面を生々しい形で切り取っていることは見逃せない。こんな危険そうなアルバイトがごろごろ転がっているという状況も、流されるようにそこに飛び込んでしまう彼女たちの姿も、それ自体がほのかに怖気を誘う。世の中こんなにサイコが多いのか。
 一部にはミステリばりのどんでん返しが用意されているエピソードもあって、ちょっとできすぎじゃないかと思わされる面も否めないながら、サイコ的な人物が多発するわりに先が読めないことも異様な魅力に繋がっている。
 著者の代表作となりつつある『東京伝説』シリーズは、読み重ねていくにつれて人間不信に陥っていく危うさを孕んでいるが、本書は特に恋愛関係を多く扱っているため、より悪い方向へ疑心暗鬼を生じてしまう可能性がある点、注意を喚起しておきたい。人を見る眼は常日頃から養っておきたいものです。
 個人的にとりわけ印象深かったのは、「元カノ」というエピソード。題名こそ平凡ですが、…………まあ気になる方はご一読ください。

(2004/07/15)


江戸川乱歩『江戸川乱歩全集第8巻 目羅博士の不思議な犯罪』
光文社 / 文庫判(光文社文庫所収) / 2004年06月20日付初版 / 本体価格1048円 / 2004年07月20日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 江戸川乱歩全集2004年06月配本の本書は、昭和六年から八年にかけて発表された作品群を収める。この時期の乱歩を代表し、昨今では最高傑作のひとつと看做される幻想的短篇の表題作を皮切りに、全集の附録冊子に連載された新しい“パノラマ島”譚である『地獄風景』と跳梁する殺人鬼の物語『恐怖王』の短めの長篇二本、雑ながら趣向を凝らした短篇『鬼』、デビュー以前の草稿を掘り起こした短篇『火縄銃』、乱歩としては珍しく途中で参加したリレー長篇『殺人迷路』の一部、捲土重来を期しながらあまりの密度に中絶してしまった曰く付きの『悪霊』、通俗長篇では安定した仕上がりとなった『妖虫』の全八編を収録する。
 乱作による質の劣化と相次ぐ休載や連載中断などなど、最も混迷していた時期の作品群だが、乱歩の“体臭”がよく滲み出たものが多く収録されており、解説で語るとおり一種乱歩作品のカタログのような趣を示した一冊である。何せ短篇の代表作二篇にオーソドックスな中篇と通俗長篇、更には一種伝説となっている中絶作まで収めているのだから。
 生前はあまり言及される機会のなかった表題作や、当人は「若書き」と切り捨てるが創意と完成度は間違いなく高い『火縄銃』、細部の処理が雑ながらトリックを軸にきちんと本格探偵小説に仕立てた『鬼』、この三つの短篇のみでも充分に一読の価値があるが、注目は僅か連載三回で途絶えてしまった『悪霊』である。それ以前の乱作を反省し休養期間をおいての連載ながらけっきょく書き継ぐことが出来ず、自作解説でも忸怩たる思いを綴っている作品だが、描写の密度の濃さは『孤島の鬼』あたりと比較しても遜色がない。心霊学会に所属する女性の怪死、それに続く降霊会での奇妙な出来事など、ディクスン・カーを彷彿とさせるシチュエーションが圧倒的な熱気で描かれており、ほとんど発端にも差し掛からず途切れているというのに決して不満を抱かせない――寧ろ、ここまで詰め込んでしまっては確かに書き継ぐのは至難の業だったろう、と同情する。或いは無理矢理書き上げていれば、強引だったり尻すぼみだったりで評価を落としていたかも知れない。愛読者としては奇妙な感慨を覚えずにいられない、ある意味非常に乱歩らしさが他のどの作品よりも深々と味わえる一篇と言えよう。
 対して、ファンのみの目に触れるという意識からか弛緩した印象の強い『地獄風景』や、無理矢理完結させたとしか見えない『恐怖王』は数段落ちる仕上がりである。前者はまだ乱歩が楽しんでいるのが解る出来であるのが幸いだが、後者は呻吟の果てにけっきょくぐちゃぐちゃになったのが一目で分かり実に痛々しい。題名に用いられたモチーフの意味づけが行われておらず、それに対する世間の反応も従来以上に大袈裟で不自然さが目立ち、終盤の展開も粗だらけだ。題名のモチーフが不徹底という点では『妖虫』も同様ながら、こちらは見え見えながらもミステリらしい仕掛けがきちんと描かれており、締め括り方も整っているので遥かに完成度は高い。確かにこの頃の乱歩は、全集の一篇として過去に書いた短篇(火縄銃)を引っ張り出さねばならなかったほどに絶不調だったのだ、ということを実感させる作品でもある。
 そしてラストの長篇『妖虫』である。初読時の感想はあまり芳しくなかったが、約1年振りに読んでみると、意外と感触は悪くなかった。不自然さは多々あれど、明智小五郎という探偵を封印しながらも通俗長篇としては安定した読み心地と、整った結末を持った作品である。まあ、駄作や中絶作など半端な作品が前に並んでしまっただけに、余計に抱く印象が良くなってしまったのかも知れないが、それはそれで編集の勝利と言えるだろう。
 しかし、見方を変えると、これだけひとりの作家の美醜を双方あますところなく収めた本というのもちょっと珍しい。不出来な作品が多いが、そのくせ一読妙な満足感を味わえる巻である――ただ、満足できるのは乱歩作品の愛読者ぐらいかも知れませんが。

(2004/07/20)


平谷美樹『百物語 第三夜 実録怪談集』
1) 角川春樹事務所 / 文庫判(ハルキ・ホラー文庫所収) / 2004年07月18日付初版 / 本体価格660円 / 2004年07月21日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 2002年に最初の巻が刊行され、それが呼び水となって翌年の続刊を招き、とうとう三度目の刊行も適ってしまった、SF作家・平谷美樹氏が自らと周辺の人物の体験のみを蒐集した怪談集。
 毎年言っているような気がするが、本書も印象は散漫である。又聞きや都市伝説的な素材があったり、“ホテル”と一区切りにして様々な現象を十把一絡げにしてしまったために怪異の本質が掴めず「怖い」という感覚を得ることも共感することも出来なくなったエピソードがあまりに多い。これも毎度ながら、作者の一人称で語られたり、作者自身の推測がそれと解る形で提示されてしまうのも興を削いでいる。「飛行機の上空」や「転がる火の玉」、「偽の記憶」などのエピソードは著者の主観を入れてしまったことでかなりインパクトを損なっているし、第二章全般や「ホテル」、「ゴールデンウィーク」の題名で括られた箇所は、個別にするか別の括りを用意した方が良かったというものが多い。なまじ本人がそういうものに馴染んでいるせいか、叙述や編集に混ざる“主観”がことに鬱陶しく感じられるのだ。
 ただ、そうした主観を排除すれば目を惹くエピソードも多く、主観をあまり絡めなかったお陰で成功しているもの散見される。「目覚まし音楽」「天井の手形」「踏切事故」「キャンセル」、また一目で分かる異様なものの目撃談ではない、現実で説明がつきそうでつかないものばかり集めた第十章あたりは比較的良質なエピソードが認められた。
 また一章丸ごと白眉と言ってもいい最終章がある。もともと都市伝説に出るような蔓延する形の話であるのだが、ある事実に触れているがために、どうやら著者や経験者、その周辺の人々にも影響している節がある、という内容で、本書はそのエピソードをどうやら無事に書き終えるところで幕を下ろす。この、いったい“何”がそれほどの禁忌となっているのか解らないが、それを避けることでどうにか回避する状況をそのまま反映した描写が、実に怖い。著者とその周辺の人々の体験のみを綴る、というシステムが初めて完璧な形で活きた一章である。相変わらず全体としては散漫と評せねばならないが、これ一章があるだけでだいぶ面目を施したと思う。
 本書でひとまず一区切りにする、という。次があるとすればまた百話集まったときとのことだが――ただ(作者の主観で)集まった百話をそのまま羅列しただけでは価値はない。精選して描写も研ぎ澄まして、初めて怪談集としての質は高まる。それが出来ないののなら、こういうものは書かない方が身のためだと思うのだけど。
 何にしても、ある意味この形式の“限界”をも自ら証明した感のある最終章のお陰で、だいぶ印象が改善されているのは確か。上記のような欠点は相変わらず随所に見られるものの全体の仕上がりも前二巻と比べれば良くなっており、有終の美といっていいのではないでしょうか。

(2004/07/21)


アガサ・クリスティー/宇佐川晶子[訳]『愛の探偵たち』
Agathe Christie “Three Blind Mice and other stories” / Translated by Akiko Usagawa

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2004年07月15日付初版 / 本体価格640円 / 2004年07月22日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 クリスティーの戯曲の代表作『ねずみとり』の原作である『三匹の盲目のねずみ』を筆頭に、四篇のミス・マープル譚、二篇のエルキュール・ポアロの事件、トリに日本語版の表題作にされたハーリ・クィン氏の事件簿と、バラエティに富んだ作品を収録した短篇集。
 二十年強に跨って発表された、“愛”をテーマの一端に据えた作品ばかりを集めた……という惹句だが、クリスティー作品って大半どっかにそう言う要素があるじゃん、というツッコミはさておき、あまりそういうテーマに拘る必要もなく、安定して質の高い作品ばかりが収められており、全篇ほとんど飽きることがない、それがまず凄い。今日ではありきたりとなってしまい、裏が読みやすい事件が多いのだが、必要な材料はすべて提供し、決して勘だけでは解かせず、何らかの材料や証拠、終盤でのサプライズをきっちり用意しており、丁寧な仕事ぶりが光っている。
 オーソドックスな仕掛けやストーリーが並ぶが、それぞれ趣向が異なっている。英語の表題作である『三匹の盲目のねずみ』は、紙幅の大半が設定の紹介に割かれてしまったきらいがあるのが残念だが、素晴らしいのは終盤、雪に閉じこめられたゲストハウスで、滞在している人々が互いに疑心暗鬼となっていくその様である。互いが互いを犯人として疑い、結果的に孤立していく過程の説得力ときたら。見所であるこのくだりが全体からすると短めに片づけられてしまうこと、また性急すぎるためにサプライズがやや機能していないことが引っかかったが、その気になれば見抜くのは難しくない仕掛けゆえ、このヴォリュームが最も適当なのかも知れない。
 続くミス・マープルとポアロの作品群は、いずれもそれぞれ個性に似合った事件との出会い方、解決の手法を取っている。巻末であり、表題作ともなったクィン氏の事件は――実はこれが彼とは初対面なので、彼らしい事件なのか否かが判断できないのだが、事件の内容そのものはありきたりながらクリスティー独特の企みを秘めていて読み応えがある。初心者にとってはカタログのような役割を果たす作品集と言えよう。

(2004/07/22)


関西テレビ放送・編著『恐怖の百物語 第1弾』
二見書房 / B6判並製 / 2004年07月15日付初版 / 本体価格457円 / 2004年07月22日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 1991年に関西ローカルで放送された際、数々の怪奇現象を実際に呼び寄せてしまったという伝説の番組『恐怖の百物語』。虚飾を廃し体験者や取材者の語りのみで構成された番組であり、本書はそのなかから体験談を抽出、文章化した単行本より、1994年刊行の第三巻を軽装版として復刻したものである。
『新耳袋』や『「超」怖い話』はいずれも体験談を執筆者のフィルターを通すことによって純化しているが、こちらは体験談として語られたものを基本的にそのまま(という体裁で)文章化しているので、ケレン味や芝居っ気が発揮されていて、なんだか懐かしい雰囲気がある。むかしテレビなどで語られていた体験談ってこんな感じだったよな、と妙な感慨に耽ることしばしばだった。
 そういう体裁であるだけに、内容的にも有り体のものが多い。病院で亡くなった人の霊であったり、たまたま訪れた山やマンションからついてくる“怨霊”であったりで新味には欠く。また体験者がそれぞれ自分の立場や解釈を謳ってしまっているのが少々鼻についた。信じているとか信じていないかは、それが体験する際の状況に影響でもしていない限り語る必要はないのだが、いずれもこれが一回きりの出番であるという気負いがあるせいなのか、いちいち口にしてしまっているのが邪魔なのである。
 その代わり、いわゆる“奇妙な体験”に属する、怖いとかおぞましいとかそういった感覚から離れた種類の体験談はなく、語り手が本気で恐怖を感じたであろう出来事ばかりを、しかも当事者の口で語っているので、下手な再現VTRなどがあるよりもより剥き身の恐怖感が行間に滲んでいる。
 あまり怪談に馴染みのない人にとっては充分涼気を味わえるであろうし、既に怪談スレしてしまった人にとっては初心を呼び覚ましてくれるような一冊である。ところどころわざとらしさが窺えるぐらいはご愛敬だろう。

(2004/07/22)


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