cinema / 『シンデレラマン』

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シンデレラマン
原題:“Cinderella Man” / 監督:ロン・ハワード / 原案:クリフ・ホリングワース / 脚本:クリフ・ホリングワース、アキヴァ・ゴールズマン / 製作:ブライアン・グレイザー、ロン・ハワード、ペニー・マーシャル / 製作総指揮:トッド・ハロウェル / 撮影:サルヴァトーレ・トチノ / プロダクション・デザイン:ウィン・トーマス / 編集:マイク・ヒル、ダン・ハンリー / 衣装デザイン:ダニエル・オーランディ / 音楽:トーマス・ニューマン / 出演:ラッセル・クロウ、レネー・ゼルウィガー、ポール・ジアマッティ、クレイグ・ビアーコ、パディ・コンシダイン、ブルース・マッギル、コナー・プライス、アリエル・ウォーラー、パトリック・ルイス、ニコラス・キャンベル / 配給:ブエナ ビスタ インターナショナル(ジャパン)
2005年アメリカ作品 / 上映時間:2時間24分 / 日本語字幕:松浦美奈
2005年09月17日日本公開
公式サイト : http://cinderellaman.jp/
丸の内ピカデリー1にて初見(2005/09/17)

[粗筋]
 1929年、ニュージャージーのブルドッグと呼ばれたジェームズ・J・ブラドック(ラッセル・クロウ)は絶頂期にあった。10戦連続のKO勝ちをもぎ取り、遂にライトヘビー級王座への挑戦権を獲得する。マネージャーのジョー・グールド(ポール・ジアマッティ)に愛妻メイ(レネー・ゼルウィガー)も、そのあとに続く栄光を疑っていなかった……
 僅か四年後、状況は一変していた。アメリカは未曾有の大恐慌に陥り、失業者は1500万人を突破。ファイトマネーを元手に株とタクシー業界に投資していたジム・ブラドックもその煽りを食って財産を失ってしまった。家計のためにメインイベント、地方興行を問わず試合に赴くジムだったが、ボクサーとしてのピークを過ぎている躰に無理を重ねたために勝利は遠のき、右手の骨折を隠して挑んだうえに試合をノー・コンテストにしてしまったことがコミッショナーのジミー・ジョンストン(ブルース・マッギル)の反感を買って、ライセンスまでをも剥奪されてしまう。
 蓄えが費え、食費も公共料金も滞納しはじめていたジムは、傷を癒す暇もなく港へ荷役の仕事を求めに行った。毎日両手の指の数にも満たない人数に許される日雇いの仕事を得るために雲集する労働者に紛れたかつての英雄ジムの姿に、違和感を覚える者も少なくなかった。マイク・ウィルソン(パディ・コンシダイン)もそんなひとりだったが、ギブスを雇用者に見咎められないために靴墨で塗ってまで仕事を求めに来るジムの窮状を理解し、友人となっていく。
 景気は一向に良くならず、ジムの収入も増える様子を見せない。冬に入り、三人の幼い子供達のために暖房が必要な時期に、とうとう電気の供給が止められた。寒さのあまりに体調を崩していく子供達を見るのが辛いメイは一時的に父や妹の元に預ける。しかし、子供に対して「絶対に余所へは預けない」と約束していたジムは、最後の手段として緊急救済局を訪れ、生活保護の配給を受ける。それでも足りない分を、彼を見捨てて久しいボクシング委員会を訪れ、無心してどうにか賄い、子供達を連れ戻すのだった……
 春が訪れ、ようやく右手の骨折も癒えたころ、突然ジョーがジムの元を訪れた。彼がジムに齎したのは、まったく思いがけない一日限りの復帰戦であった――メインイベントであるヘビー級チャンプの防衛戦の前座に予定されていたランク第二位の試合で、対戦相手が急遽辞退してしまい、急すぎるために見つからなかった代役に、ジョーがジムを推薦したのだ。勝ち負けに拘わらずファイトマネーは250ドル。リングに立てることより何より、ジョーの心遣いがジムには嬉しかった。
 既にボクシングに必要なものまで売り払ってしまっていたジムは借り物のガウンにグローブでリングに上がり、観客の奇異の眼差しと失笑に晒される。だが、数分後にその眼差しは一変した。数ラウンドも保たずに倒れるだろう、と目されていたジムは大健闘どころか、対戦相手をノックアウトするという大番狂わせを起こした。数ヶ月の休養と、骨折した右手を庇い左手に頼って働き続けていたことで、ジムの左の拳は格段に強くなっていたのである。
 ジムの勝利に力を得たジョーは弁舌を駆使してコミッショナーにライセンスを返還させ、工面した金でジムに本格的なトレーニングを始めさせる。愛する家族との生活を守るため、リングに復帰する道を選んだジムだったが、メイはそれを決して喜ばなかった……

[感想]
 監督・脚本・主演はすべてアカデミー賞に輝いた『ビューティフル・マインド』と同じスタッフ、そこへ『コールド・マウンテン』のレネー・ゼルウィガーが加わり、1930年代のアメリカ大恐慌時代に実在した人物をモデルに描いたドラマ。しかも宣伝では久し振りの本格的な感動作であるということを前面に押し出している。これだけ条件が揃うと、映画マニアとしては逆に身構えてしまう。
 だが、確かにこの作品、本当に良質である。
 大恐慌時代、いちど引退に追い込まれたボクサーが親友の助けによって一夜限りリングに戻り、やがて“シンデレラマン”と呼ばれるまでになる――というアウトラインを聞いて誰しもひととおり筋を想像するだろうが、ほぼそのままの話に過ぎない。しかしそのディテールを必要最小限のモチーフで、しかし細部は丹念に描き出し、20年代の栄華から一転、食うにも困る窮状に追い込まれていくさまと、そのなかで必死に生きていこうとする人々の辛さや相反する喜びとを巧みに観客に伝えていく。本編のアイディアは新人の脚本家クリフ・ホリングワースによるものだそうだが、このあたりの整理の巧みさと叙述の味はおそらくロン・ハワード監督と安定したクオリティの脚本を著し続けているアキヴァ・ゴールズマンの功績と思しい。
 やがて機会に恵まれたジムは、貧困の生活から得た左の拳とハングリー精神で勝利をも手中にしていく。その過程に失業者たちが彼の勇姿に託す希望や、妻のボクシングに対するアンビバレントな感情を絡めて物語は膨らんでいき、クライマックスの感動に繋がっていく。この呼吸とバランス加減が絶妙で、ドラマの教科書とも言っていい端正な仕上がりとなっている。
 ただ、久し振りと表現されるほど圧倒的な感動作かと聞かれると微妙だ。実は同じ時代、似たように大衆の希望を託されたヒーローを登場させた作品が、ほんの二年ほど前に作られている。トビー・マグワイアが主演し、挫折から奇蹟の復活を遂げたジョッキーと競走馬を描いた『シービスケット』である。方向性も物語の展開もほぼ一致しているこの作品を連想する人はたぶん他にもいるはずで、この点から考えても“久し振り”というのは少々大袈裟と感じる。他にも『炎のメモリアル』『ミリオンダラー・ベイビー』など、やや種類はずれていても近いタイプの感動を齎す作品はあったはずなのだから。
 折角『シービスケット』の名前を出したので、続けて比較で論じさせて頂くが、しかし『シービスケット』よりも本編のほうが、その感動に親しみが感じられる。その理由は、あくまで夢や誇りに情熱を託していた『シービスケット』に対し、本編の主人公ジムの動機付けが、家族としての生活を守ること、妻や子供達のミルクのために金を稼ぎたい、という思いにあることだ。たまたまそれがボクシングという一種のショービジネスに基づいており、結果として似たような境遇の労働者たちの希望を託されるかたちとなったが、根っこにある原動力はほかの労働者たちと変わらない。だからこそ彼がヒーローとなり得たのであり、より身近でリアルな感動を呼び起こしているのである。
 シンプルなドラマであるだけに、大恐慌時代の出来事のディテールもさることながら、人物像の確かさも重要となってくる。その点、揃ってオスカーを獲得しているラッセル・クロウとレネー・ゼルウィガーの演技は秀逸だし、貧困層を演じるエキストラたちに至るまで渇望を瞳の光に宿したさまは説得力を齎している。しかし、誰よりも素晴らしかったのは、マネージャのジョー・グールドを演じたポール・ジアマッティである。友人のために道を切り開く姿を厭味なくしかし存在感たっぷりに表現し、リングサイドで彼を懸命に鼓舞するさまは、試合の迫力をも高めている。
 そして、ドラマ部分の堅牢さに明確なクライマックスとカタルシスとを齎すボクシング場面の迫力も素晴らしい。夫の怪我、或いは死に対する不安を抱きながら家で待つメイ=レネーの佇まいが心に迫ってくるのも、拳での殴り合いが真に迫っているからこそだ。ドラマとしての質と映像としての迫力も備えた本編、ひさしぶりかどうかは兎も角、確かにアカデミー賞候補に挙がってもまったく不思議のないクオリティを備えている。願わくば、『アメリカン・スプレンダー』『サイドウェイ』と高い評価を得ながらアカデミー賞とは無縁だったポール・ジアマッティにオスカーを!

(2005/09/17)


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