台湾新幹線。みほの文化祭の前日11月2日
これは、フィクションです。
台湾新幹線開通 2005年10月の新聞から。
台湾新幹線は台北から高雄までの全線345kmを90分で結ぶ。運賃は飛行機代の6割の安さ。
導入車両は、JR東海の「700系のぞみ」改良型で、最高時速350Km。
車両以外の信号・コンピュータシステムなど、すべて、日本のものが使われる。
最初、車両を含むシステムは、価格面から欧州勢が(ドイツ、フランスの欧州高速鉄道連盟)圧倒的優勢にあった。それで、受注はほぼ確実とみられていた。
しかし、性能や安全面から日本の新幹線を見直す意見が台湾内で強まり、
大逆転で日本に受注が決定した。
ヨーロッパの高速鉄道は事故が多発している。
最大のものは、1998年,ドイツの高速鉄道,
インター・シティ・エクスプレス(ICE)の脱線事故である。
時速200キロで走っていた高速列車が脱線し、死亡した犠牲者は102人にのぼった。
日本では、三島駅で高校生が指をはさまれて、ひきずられ亡くなった死亡事故だけである。中越地震で脱線しても死亡者はいなかった。
韓国ではフランスのものを導入した高速鉄道(最高時速300Km)が2004年営業を開始している。
日本の新幹線 the Shinkansen
東京〜大阪間の開通が東京オリンピックの1964年。
時速200kmを越す鉄道はこれが世界初。
これに刺激を受け、ヨーロッパ各国も高速鉄道の新設に取り組み始めた。
10数年後の1977年、イタリアに世界で2番目の高速鉄道が開通する。
こうして、日本の新幹線は自動車に押されて、斜陽産業であった世界の鉄道に陽の光をあてた。エネルギー節約の範を示したのである。
しかし、アメリカは無関心であった。
時速500kmのリニアモーターカーの実験はしているのだろうか。
月へ行ったんだから、本気になれば、そんなの簡単?でもないかな。
日本の新幹線のすごさはそのスピードではなく、5分間隔で走らせる超過密ダイアにある。日本人の几帳面さが現れている。
初めてのデート・・・の前のみほの文化祭・・・の前の日。2005年の11月2日
雅夫は「世界最速の日本の新幹線が台湾新幹線に抜かれた。」というニュースを見て、思った。
日本の技術が世界へ広がるのは良い事だ。どこが一番でもいいではないか。
去年のオリンピックに日本男子バレーは出場できなかった。
しかし、クイック攻撃、時間差など、すべて日本が開発したものだ。
平和の祭典オリンピックでもイラク戦争は中止されなかった。
平和な世界はいつ訪れるのだろうか。
そして、9月の雅夫の高校の文化祭の時の事を思い出していた。
雅夫の高校は県庁のある浦和だった。
雅夫の所属する山岳部は展示を行っていた。
山の装備、ピッケルやアイゼン。過去の部誌などを置いていた。
山岳部の部誌は1年間に行った山行の記録や山に関するエッセイなどを
1,2年の部員が手分けして書く。
ただ、3年生は何を書いても良いというルールがあった。
アメリカがイラクに侵攻した03年の部誌には3年生が、
そのアメリカの攻撃に関する文章を書いていた。
アメリカ国民に謹んで進言す。貴国 大統領はイラクを攻撃しようとしています
半分ふざけた書き方なのでみほには見せたくなかった。
やっと、みほに明るさが出てきた時である。
しかし、2年生の雅夫には、先輩をさしおいて、それを予め隠しておく事はできなかった。
「この部誌もらえないの。」とみほが言いながら、その部誌を手に取ろうとした。
みほは詩でも小説でも文章を読むのが好きである。
「高校生の書いた文章って、興味があるわ。」
「これは、1冊しかないし、僕が高校に入る前の先輩たちが作ったものだから。」
先輩達の書いている事はもっともだが、みほに見せるわけにはいかない。
「こっちの去年作ったものなら、たくさんあるからいいよ。」
「雅夫君の書いたものもあるの。」
「モチロン。ダカラ、コッチノヲ アゲルカラ、ヨンデミテ。」
みほは04年度の部誌を手にした。
「雅夫君の目の前で読むのはやめておくわ。感想は後でメールする。」ということで事無きを得た。
次はみほが見なかった先輩の文章とみほが読んだ雅夫の文章です。
UFO基地での会話-戦争と平和5へ続く
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。