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戦勝国側のウソ話に騙されている日本人

 いまの日本人は戦勝国側のウソ話に完全に騙され、他国から 「日本は昔、アジアの国々でたいそう悪いことをしたな」と迫られると、何も言い返せず下を向くことしかできません。     日本人は戦勝国側の都合のいい主張に、一切反論できない民族となってしまったのです。

 ジャーナリストの髙山正之氏はロサンゼルス特派員時代、あるパーティで米国人スタッフから先の「日本悪者説」を突き付けられた際、「いや別に」と否定します。    すると相手は鳩が豆鉄砲を食らったような表情で「いや日本はひどいことをした。 日本は朝鮮を植民地にしたではないか」とムキになって反応したといいます。

 そこで髙山氏は《植民地(Colonize)ではなく、あれは併合( annex)だった》、 《米国がテキサスを手に入れるときの併合し同じだ》、 《それに日本の統治はうまくいった。 少なくとも フィリピンを植民地支配した米国に何かいわれるほど非道なことはしていない》ともう一度否定します。

 すると彼は真っ赤になって言い返します。 「米国はフィリピンを開花(Civilize)させた。 いいことをした。 しかし日本は朝鮮で残酷なことしかしなかったではないか」、それに髙山氏はお言葉ですが、と言い返します。  《米国はフィリピン人を独立させてやるからと騙して宗主国のスペインと戦わせた。 スペインが降伏すると米国は約束を反故にして フィリピンを米国の植民地にした》、 《怒ったフィリピン人が抵抗すると軍隊をだして彼らの虐殺を始めた。 彼らの家族も捕まえて家に火をつけ拷問して殺した

 《米国スペイン戦争は1898年4月に始まり8月にはスペインが降伏しているが、戦争はなぜかその後4年も続き、1902年に終わっている》、《何をもって終わったかというとフィリピン人の抵抗が鎮圧され、 もう米国の植民地支配を認めますと言った時まで続いた》、《しかもその4年間で米軍はレイテ、サマールの二つの島の島民を皆殺しにするなど 「20万人のフィリピン人を殺した」と上院の公聴会の記録に残っている》

 《朝鮮は違った。 セオドア・ルーズベルトは、東洋最後の秘境と見なされ貨幣も用をなさない朝鮮はもはや国家の体をなしていないとはっきり発言して米公館を閉じ、 日本に任せている。  日本は 学校を作り、電気を引き、 工業を興して真の意味のCivilization、つまりあなたのいう開花を行った》そう説明すると、 彼は「日本は朝鮮を植民地にしてひどいことをしたのは事実だ」と吼えて、「もうこの話はやめだ」といいます。

 日本をしたり顔でくさして、旗色が悪くなると、怒り喚く。 髙山氏も少々むかついたので、 《百歩譲って日本が朝鮮をフィリピン並みの植民地にしたとしても、それでも日本が悪いというのは、もしかしてあなたは日本が植民地を持つことを許せないと思ったのか。   植民地を持つのは白人国家の特権と思っているのか》と畳掛けます。  彼は顔を真っ赤にして四文字の言葉をなげかけて、どこかに行ってしまったそうです。

 この話の「米国人スタッフ」を「反日的日本人(残留進歩的文化人)」に入れ替えれば、 現代日本にもそのまま当てはまります。  この米国人スタッフとはのちに再開する機会があったそうで、彼はあのあと、 フィリピンと朝鮮の歴史を調べて 髙山氏の言い分が正しいのを知ったとアッサリ非を認めてきたといいます。   ここは反日的日本人と真逆なところです。(2025.8.27)


「朝鮮の植民地」は日本人には有効な決め言葉

 髙山氏の言い分を認めた「米国人スタッフ」はこう付け足します。 「初対面の日本人に朝鮮の植民地の話をすると、みんな申し訳ないという。  そういう形で 付き合いの主導権を取ってきた。  反発されたのは今度が初めてだった」と。 そして、 「日本人には有効な決め言葉だったのに」と笑っていたそうです。

 髙山氏によれば、米国人スタッフのいう「初対面の日本人」は新聞記者であり、総領事館のスタッフ、つまり各省庁からの役人であり、 一流企業の駐在員など世論にコミットする世界の人々だといいます。  そんな彼らは 朝鮮併合の中身も近代史も何も知らず、 特派員に至ってはあやふやな知識しかないのに微妙な国際問題をさもまともそうに記事にしているのです。   こんな不甲斐なさに髙山氏は「アジアを苦しめた」のも「フィリピンで20万人も殺して植民地にした」のも欧米諸国であり、 「特派員はそういう流布された嘘を糾すために現地に来ているのではないか」と憤ります。

 日本の政治家にも石破茂のような 本当の戦争の歴史も知らず 一方的な反日歴史観を持つものは大勢おり、 先の「米国人スタッフ」のような手合いのキラーワード(日本叩き説)に平伏してしまい、謝罪させられ言いなりとなっています。  そして『旧大日本帝国が1910年に韓国を併合したことにより、 長い朝鮮の歴史を受け継ぐ大韓帝国は消滅し朝鮮民族は独立を失った。 この経験が韓国の人々にどれほどの負の感情を抱かしめたか。  我々は国家や文化を奪われた人々の心情を決して忘れてはならないと思います』などと、的外れの戦後史観にすっかり洗脳されているのです。    いかに戦後の歴史教育が酷かったか窺えます。

 「歴史の中身」表面からでは単純に評価できません。  「歴史は常に勝者のものであり、その勝者が 「WGIP」によって日本人に罪悪感を刷り込み、日本国民に 「日本は絶対悪で、中韓はその被害者」という戦後史観を刷り込み、 なんでも「悪者」にされる国にしたのです。

 裁判とは名ばかりの復讐劇だった東京裁判で、ウェブというオーストラリア人裁判長が 「日本は侵略国家だ」と言ったため、日本の新聞はその言葉についてこれまで一切の検証もせず、それを真に受け戦後80年になっても 日本を侵略国扱いすることを止めません。   日本はアジア独立の道筋をつけたというのに、日本人はその歴史は封じられ、新聞・テレビを見て、 そうか日本は侵略国家だったのか、東南アジア・中国でそんなひどいことをしたのかと、いまでも思い込んでいるのです。

 日本は日本側の立場に立って過去の戦争を検証し、本当は何があったのか研究する機会が奪われてきました。  その結果、 日本人は戦勝国側のウソ話に騙されていることに気付かず、政治家からして 「我が国は侵略国家」と宣言し、 総理大臣が嬉々として犯罪国アピールする国となっています。

 それもこれも 「日本の立場も考慮した本当の歴史」は、教科書も政治家も新聞もテレビも、誰も教えてこなかったから いまだに「日本悪玉論」が蔓延り、、 近現代史本に至っては、 戦勝国側の立場で書かれているものが大部分で、日本をくそみそに悪者扱いしているものばかりです。

 これでは到底 日本人が戦争の真実を知ることは叶いません。  それもこれも、 歴史は常に勝者のものであり、 メディアもプレス・コードで報道機関を厳しく統制したGHQ時代の影をいまだに引きずり、 勝者側の言いなりになっているからなのです。(2025.8.27)


  

日中戦争は「日米戦争」だったことを知らない日本人

 白人列強による植民地支配に終止符を打ったはずの日本は、戦後は 「戦争犯罪国家」にされてしまいましたが、その理由については「日本は中国支配を目論み侵略した」とされてしまった 支那事変(日中戦争)だけ見ていてもわかりません。  そもそも 日支事変(日中戦争)は「日米戦争」です。   したがって、なぜ日本が侵略国家とされてしまったかは、米国の行動を見れば分かります。

 当時、世界中の有色人国家を植民地支配していた白人列強は、日清戦争で勝利し 中国近代化を支援する日本を見て、 「支那の日本化は自分たちのアジアにおける権益を危うくする恐れがある」として、日本を潰さないと自分たちが持つ アジア利権が危うくなると危惧します。    実際、中国も当初は日本を受け入れ、多くの支那人留学生を日本に送り込んでいました。

 それがあるときから、急に中国は日本に対し反抗的になっていきます。  ここには米大統領セオドア・ルーズベルトによる 日本潰し戦術がありました。   米国は 義和団の乱で清から取った賠償金で北京に精華大学をつくり、 そこから日本を目指していた支那人留学生を、顎足つきで米国に引っ張っていったのです。      彼らは米国で学んだあとに戻って蒋介石陣営に入り、以後、 米国の意向に沿った親米反日の政策を遂行していくのです。

 米国で学んだ孔祥熙(こうしょうき)や胡適(こてき)がその代表格で、とくに胡適は「米国を引き込め」と盛んに蒋介石に吹き込んだ人物です。  こうした歴史は、日本と中国、 さらに「日本悪玉一色」の近現代史だけ見ていても分かりません。  日本の教科書や近現代史本は、 「日本軍が中国を支配するため武力侵攻した」、「蒋介石は期待していたソ連やドイツの支援が全く来ないことを理由に南京から成都という中国の東側にある地域に逃亡した」 といった表面のごく一部しか見ていないのです。

 日本を潰そうとしたのは米国だけではありません。  ドイツも支那軍に最新鋭の武器と戦術を与え、日本にぶつけます。  アメリカも 少しは日本に未練があった蒋介石に武器とタップリのカネを与え裏切らせ日本と戦わせています。    それが日本人居留区を襲わせ日本を激怒させた第二次上海事変です。

 当初、蒋介石はこの戦いに乗り気ではなかったとされますが 張治中(ちょう じちゅう)という人物が執拗に日本租界への攻撃を要請し、これにシブシブ蒋介石が同意したという説があります。    すぐ隣にはアメリカ、フランスの租界が広がっていましたが、彼らは屋上から日本人と中国人の戦争を見下して酒盛りをしていたともされます。

 米国は1932年1月28日の第一次上海事変直後、杭州に飛行学校を作り米人教官を派遣しています。    そして、この第二次上海事変では米国が養成した支那空軍が、黄浦江にいた日本の巡洋艦「出雲」を襲いますが、三機が撃墜され、二機は「出雲の弾幕が怖くて」(ジョン・パウエル『在支25年』)適当に爆弾を落とし、 外灘(バンド・上海にある一大観光スポット)にいた支那人ら数百人を殺しています。

 支那兵の余りの操縦下手にルーズベルト(FDR)も呆れ、その後は米軍操縦士に支那人を装わせて飛行機を飛ばすことになります。   それが世にいう「フライング・タイガー」です。  そのころにはドイツが手を引き、 米国が代わって支那地上軍の強化も担当しています。  つまり、ここも フィリピンと同じに、米国が装備から訓練まで面倒見て、支那兵を米軍の代わりに日本軍と戦わせた、 という歴史があったのです。(髙山正之「変見自在」2025.8.26)

 
 

戦勝国の史観に大人しく従う日本

 GHQの「次はない」、つまりに日本を擁護する記事は二度とまかりならん、という恫喝で「転んだ」、 戦後日本を「侵略国家」に仕立てた最大の黒幕・朝日新聞は、以降180度思想転向し、 一方の言い分だけ鵜呑みにして、もう一方の当事者からは取材もせず主張も聞かず、検証など一切せず、「日本は東南アジアや朝鮮を植民地支配した」、 「日本は中国や東南アジアで残虐行為を働いた」などと、太陽が東から上ると同じくらい当然のように 嘘っぱちの歴史を並べ立てる反日新聞になり果てました。

 そんな朝日新聞の主張を疑いもせず信じ込む、戦後79年目に誕生した自民党政治家の中で史上最悪の総理大臣・ 石破茂は、よせばいいのに「...50年談話、60年談話、70年談話を見てきたし、 関わったこともあるが、そこにおける積み重ねは大事にしたい」と、自身の戦後80年談話発出に意欲を見せます。     立憲民主党の野田佳彦代表も「...私は10年刻みで談話を出すべきとは思っていなかったが、たまたまこの80年というのは、歴史を忘れた、風化しているかのような発言や行動が多すぎる」 と石破の後押しします。

 このように戦後日本には「戦勝国の史観にすっかり騙された」ままの 「日本軍残虐説」の旗振り役を務める残滓(残りカス)政治家が居座り、 21世紀においても相も変らぬ「日本国は侵略戦争を起こした」のだから「戦争責任を痛感し懺悔」せよ、騒ぎ立てるのです。

 そもそも、中韓が日本を口撃するため持ち出してくる数々の歴史問題とやらは、 「でっち上げ歴史物語」であり、 もともと 「歴史問題」なるものなど存在しません。  中韓の「歴史カード」は「政治カード」なのです。    日本は敗戦国となりましたが、1982年までは現在のように首相がペコペコ頭を下げ 「戦争責任を認め謝罪する」ことなどありませんでした。

 その理由は当時の国民は先の戦争は一言でいえば「アメリカによる日本潰し」であることを理解していたからです。    1972年(昭和47年)9月、日中国交正常化交渉で中国を訪れた田中角栄総理は、 北京で行われた晩さん会の席で 「中国人民に多大の迷惑をかけた」と述べ中国側の顰蹙を買います。    表現が軽すぎるというわけです。

 しかし、日本国代表の総理大臣とすればこの程度の表現が精一杯の発言なのです。 田中総理は 「国家が自らの非を認めることなどあり得ず」、 「条約」のみが国家間における行動様式という国際常識をわきまえていたのです。   そんな状況は1982年の「教科書誤報事件」でひっくり返ります。

 これ以降日本は『日本の戦争責任論』が喧伝される時代が訪れ、 「戦勝国の歴史を押し付けられ」、 なんでも「悪者」にされる国になり果て、この悪影響を受けた日本のリベラル政治家は 「戦勝国側の一方的な史観」に騙され、 日本だけ悪者にしている近現代史を真に受けています。  「先の戦争の本当の姿」を理解できず「全て日本が悪い」という視点でしか見ておらず、 戦後の「日本悪者説」にすっかり惑わされているのです。

 そもそも、戦勝国側の史観を信じ込む連中は「先の戦争=植民地を巡る争い」という一番重要な部分が見えていません。  したがって 帝国主義、植民地主義、さらには人種差別という世界に終止符を打った日本の功績戦勝国側が隠蔽させていることも知りません。  それでいて祖国を戦争犯罪国扱いした挙句、 「戦争を2度と起こさない」という安易な結論だけ振りかざし過去を総括した気になっています。  このまま 「植民地問題は闇に葬られ」、日本が「アジアの解放者」から「侵略国家」 にされたまま敗戦国の立場に逆戻りさせられてしまう事態は絶対に阻止しなければなりません。

 日本の保守層を敵に回す石破首相も、もともと 危うい史観を持つ政治家であり、 日韓併合についても一方的な反日歴史観を持つ人物で、石破による 「歴史問題再燃」も懸念されています。   過去にも日本は歴史に無知すぎる政治家たちによって、 侵略国家の立場に追いやられてきました。 その中でも石破に匹敵する愚かな政治家が、 社会党党首でドサクサに紛れ首相に担ぎ上げられたご都合主義政治家の権化・村山富市で、 「日本は侵略国家である」と決めつけた トンデモナイ首相談話(村山談話)を出した人物です。(2025.8.2)

 
 

蒋介石も毛沢東も、米国現地兵の一人

  支那事変(日支事変/日中戦争とも)当時、圧倒的に強力な日本軍と戦っても勝ち目はないと見た蒋介石の国民党は、 中国奥深くの重慶へ引きこもり、戦いは 泥沼の持久戦となっていました。     当時の日本はもはや日中戦争の目的さえ判らなくなっており、 外交によって終わらせようと考え、中国に対して和平工作(汪兆銘工作)を仕掛けますが、 和平交渉は失敗に終わっていました。

 中国国民党への物資援助ルート(ビルマ・ルート)、いわゆる 援蒋ルートの要衝、 龍陵での攻防戦で戦った53師団の平田敏夫氏によると、「支那兵は三日攻撃し三日休んだ。 指揮する米兵の休暇に合わせていた」、 「二万の支那兵が我々の守る山に取りついた。 十分引き付けて撃った。 見る間に彼らは死体の山を築いた」。  浮足立つ支那兵に後方から米士官の「突っ込め」 という声が聞こえ、軽機関銃の発射音が続いた。 「督戦隊が逃げる兵を撃つ音だった。  支那兵はほとんど子供だった」としています。

 日本は日中戦争で米国と戦ったのであり、蒋介石も毛沢東も単に米国の現地兵の一人だったのです。  戦勝国は戦後一貫して、 すべての戦争責任を日本に押し付けてきました。   日本人も学校で習う近代史の授業は、せいぜい1940年はじめぐらいまでで、しかも「残りは読んでおいて」で終わっているのが実情です。

 したがって、東洋の島国・日本は、有色人種が白人によって植民地支配され牛馬のように使役されていた時代、 獅子奮迅の働き欧米諸国の植民地を次々解放し、 「白人国家による植民地支配の世界をブッ壊す」 という歴史の痛快物語を成し遂げ、欧米は日本のせいで植民地を失った という歴史の痛快物語を日本人が教わることはありません。

 東京裁判の判事レーリンクは 、 「太平洋戦争は人種差別が主因のひとつだった」としています。   日本批判で有名な経済学者ジャン=ピエール・レーマンは「日本と西洋」の中で 「先の戦争で日本を叩き飲めたのは米国だけだった。  英、仏、オランダは有色人種の捕虜にされたという屈辱を晴らせなかったし、日本のせいですべての植民地を失って再び欧州の貧しい小国に追い落とされた。   その恨みは深い」と本音を披露しています。

 白人が日本に向ける「差別」と「嫉妬」の根は深いのです。  日本人は敗戦以来ずっと、中国・朝鮮は被害者であり、日本は加害者であるから、大人しく黙って謝罪を続けていろ、 と戦勝国によって躾けられ、またそれを守らされてきました。  こんな白人国家の身勝手勝手な評価に、日本はこれまで牛耳られてきたわけで、日本人はもっともっと真実の歴史を学び、白人に毅然と反論しなければ、 いつまで経っても本当の独立国家にはなりません。

 一連の記事は髙山正之氏の「変見自在」を引用させてもらっていますが、髙山正之氏ような、洋の東西を問わず秘された歴史の逸話を、 面白おかしく教えてくれ、他からは絶対得られない「教養」と「見識」と「驚き」の世界にいざなってくれる知識人が、もっともっと日本に増えてくれば、 戦後の「日本悪者説」に惑わされ、 戦勝国の歴史の言いなりになっている現状も随分変わるはずです。

 しかし、残念ながら髙山氏のようなレベルは、ごく少数派どころかほとんど見かけません。  痛快髙山ワールドの歴史の逸話が、これからもまだまだ続くことを祈るばかりです。(2025.8.26)

 
   

二度と「村山談話」の過ちは犯してはならない

 村山は日本を「アジアの解放者」から「侵略国」へ変えた首相であり、 村山によって日本は「侵略国家」の汚名を着せられたのです。  このように、 驚くべきことに日本は首相からして「我が国は侵略国家」と宣言し、 総理大臣が嬉々として犯罪国アピールする国なのです。  ただ、 幸いなことに村山談話は参議院では自民党が過半数割れしていなかったため、 断乎として参議院は「村山談話」を拒否し国会決議とはなりませんでした。

 しかし、日本を「侵略国家」にした元凶の「村山談話の呪い」は強力で、 この談話以降、日本は新しい首相の所信表明で村山談話を継承することを誓わせられ 何度も謝罪を強いられてきました。 故安倍首相はこの悪癖を打破するため 『...村山さんの個人的な歴史観に日本がいつまでも縛られることはない』として当時の国際情勢と日本の立場から日本の歩みをたどり、 100年先を見据えた未来志向の総理談話を打ち出し 日本の謝罪外交からの脱却と名誉回復を目指しました。 日本国民も安倍談話に同意しています、    これからの日本国首相にはこのコンセンサスを未来の日本に受け継いでいく責任があります。   もう二度と日本の首相は 村山談話のような無定見な謝罪談話を出して歴史認識問題を再燃させることは許されません。

 ところが、与党内野党と言われる石破も村山のように「戦勝国側の一方的な史観」に騙されたまま「懺悔一色の80年談話発出」 に拘っています。  偏向史観の持ち主で「国賊的無知」を発揮する政治家の一人石破は、 そもそも故安倍首相のような日本国はどうあるべきかといった国家観など持ち合わせていません。  そして、自身の偏狭な史観をベースにした80年談話とやらで、再び中韓に日本叩きのネタを提供し、 またしても寝た子を起こして謝罪を繰り返す愚 を繰り返そうとしています。  石破はただただ70年談話をだした名宰相・安倍晋三首相に張り合いたいという理由だけで、 日本を三度目の敗戦国の立場に陥れようとしているのです。

 村山同様、石破も戦後80年談話発出によってさらに日本をダメにしようとしています。     80年談話のタイミングとなる2025年は、自民党は衆参いずれも過半数割れとなっており、ヘタすると石破80年談が国会通過という凶事が起こるかもしれません。   しかも、保守本流の自民党の総理大臣が、せっかく中韓が「日本の戦争責任論」を持ち出さなくなってきたこのタイミングで、ワザワザ「新たな懺悔談話」 を出し、寝た子を起こしてまで中韓の日本叩きを誘引しようとしているのです。  この国の総理大臣は油断も隙も無いのです。

 戦後の日本は長い間、戦勝国側に都合のいい歴史に騙された政治家や残留進歩的文化人たちの 「偏向戦後史観」に振り回されてきました。 しかし、もういい加減 「戦勝国側の歴史」に踊らされ騙されたまま、当時世界中の有色人国家が列強によって 植民地支配されていた宿命を解放した自分の祖国を 戦争犯罪国扱いしている愚に気付くべきで、一刻も早く 「真実の歴史」に目覚めるべきです。(2025.8.2)

 
   

リベラル政治家が知っておくべき「戦争の舞台ウラ」

 日本は白人列強が「夢中で有色人種の国を植民地支配する競争」に明け暮れ、 宗主国気取りで現地の人たちを奴隷とし牛馬のように使役していた時代、 植民地支配の破壊という「歴史的偉業」を成し遂げた国です。    アジア・アフリカ を植民地支配してきた西洋人は無敵で神のような存在と信じられてきましたが、日本によって 植民地喪失という大損害を被り、戦後は大航海前の貧乏国に戻されてしまったのです。

 当時の日本が置かれた時代は、強い民族が弱い民族を征服するのが当然とされた弱肉強食の世界でした。    弱小国家は有無を言わせず強国の支配下におかれ白人列強は奴隷制度と植民地化政策は自分たちの当然の権利であるとして、 我が物顔で有色人種を奴隷にしていたのです。  東南アジアにおいても日本以外のほとんどの国が 白人列強の植民地とされていたのです。 アメリカはフィリピンを支配するため 「サマール島とレイテ島の島民10万人を皆殺し」にしています。

 そんな中、日本は世界中の有色人種国家の中でただ一国、「世界の一等国(列強)の仲間入り」を果たし、 世界政治に関与できる国となり、 人種差別撤廃を主張します。  ただ、 アジア地域を植民地支配している列強にとって日本は邪魔者以外の何ものでもありません。  特に 満州が「喉から手が出るほど」欲しかった米国は、 「ワシントン会議」で日本が手にしたアジア権益を全て奪い取り日本抹殺の機会を窺います。

 この背景を知れば、米国が中国大陸から日本を追い出すため、蒋介石を裏切らせ支那軍に日本人居留区を襲わせ 日中対立を演出した構図も見えてきます。 そもそも「満州事変」は日中戦争の引き金 などではアリマセン。 米国は自分の手は汚さず先住民であるインディアンを互いに争わせ滅亡させたように 支那軍を使って日本と戦わせたのです。 その際に起こった通州事件では、中国人部隊と支那人学生が日本人居留民を襲撃し、 猟奇的な殺害、処刑方法で、 女性・子供全員が殺戮されています。

 日本に大東亜戦争(太平洋戦争)開戦を決意させたのも、当時米国民の85%が第二次世界大戦に参戦反対だったため、ルーズベルトは 「ABCD包囲網で日本を兵糧攻めにしつつ、絶対に 日本側が飲めない「ハル・ノート」を突きつけ日本に戦争を決意させ、 真珠湾奇襲作戦に誘い込み、 最初の一発を撃たせたのです。  これは 「アラモの戦い」でも使った「敵に先に手を出させ、少々の自国民を犠牲にし、自国民を奮い立たせる」という 邪魔者は潰すアメリカの常套手段なのです。

 このように、日中戦争から 大東亜戦争(太平洋戦争)へと続く日本の戦争の歴史の背後には、 常に有色人種日本を邪魔者と看做すアメリカの横やりがあったのです。    もし日本が大国アメリカの 「中国・東南アジアから手を引け」という脅しに屈し大人しくしていたら、 いまでも日本は白人列強の支配下に置かれたままであり今の繁栄も無かったでしょう。  それどころか白人国家による有色人国家の植民地支配という歴史は途切れず、 いまだに続いていたかもしれません。

 日本は「力があるものだけが生き残れた」時代、 西洋国家と正々堂々と渡り合い過酷な生存競争を生き抜き、 一歩も引かなかった国です。  大東亜戦争(太平洋戦争)は 横暴な白人列強に抗った日本の独立戦争であり、 日本はその戦いにおいて「白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、さらには人種差別というものに終止符を打つという、 スペクタキュラー(目を見張る)な偉業をなしとげたのです。(藤原正彦 日本人の誇り)」

 かくして、米国の挑発により、 やむに已まれず戦争への道へ突き進んだ日本は、半年間の短い期間ではありましたが、 アジア各地を植民地支配していた連合国軍との戦いで連戦連勝を続け、 破竹の勢いで勝ち進み、欧米諸国の植民地を次々に解放し 独立の後押しをしていきます。   日本の獅子奮迅の働きによって、 「白人国家による植民地支配の世界がブッ壊され」、 「白人列強による植民地支配は終止符を打たされた」のです。

 しかし、この歴史の痛快物語は近現代史に堂々と載ることはありません。  それどころか、日中戦争や大東亜戦争を語る本にも なぜかこの部分はスッポリ外されています。  その理由は「歴史は常に勝者のもの」であり、 「真相を書いたら、日本だけ悪者説が成り立たなくなってしまう」 からです。

 白人支配を断ち切ったアジアの解放者・日本は、戦後は 「戦勝国側の歴史」を押し付けられ、 「列強の犯罪隠し」のスケープゴートにされ 日本にだけ戦争責任を押し付けられ、 なんでも「悪者」にされた挙句、 祖国を否定させられ永遠の謝罪国家として生きる道を歩まされています。    「戦勝国の歴史」を押し付けられ、「戦争を起こした悪い国」にされたまま、 21世紀の今も戦勝国側のウソ話に騙されているのです。(2025.8.2)

 
  

なぜ日本軍の蛮行が検証されないのか

 記者クラブ方式に甘える日本のメディアは、「記事を書くとき、一方の意見だけで記事を書くな」、「双方の意見を聞け」、 「そして得られた情報は必ず検証しろ」といった報道する側が当然持つべき掟を、いまや忘れているようです。    朝日新聞のスター記者・本多勝一は、旧日本軍による「残虐行為の証拠」 として様々な嘘を並べ立てました。 日本のメディアは中国側のいいなりに「日本軍の蛮行」を受け入れてきたのです。

 昔から強国はメディアを利用し国民を戦争へ駆り立てる方法を多用してきた歴史があります。  第一次世界大戦において、イギリスの新聞は 「ベルギーに侵攻したドイツ軍は占領した街で子供を見つけ次第、その手首を切り落とした。  彼らが大きくなっても鉄砲を撃てないようにするためだ」と書きたてました。  この残虐なドイツ兵の行為は米国の世論を掻き立て、 米富豪は手首を切られた子供をみな引き取ると発表します。

 米政府はこの世論に押されてドイツに宣戦布告し、参戦しています。  このアメリカの参戦がなかったら、第一次世界大戦の帰趨(きすう・行きつく先)は史実と異なっていたかもしれません。  戦後、 米国に参戦を決意させたドイツ軍の蛮行を裁くためにも、様々な報道について真剣な検証が行われます。

 とくに米国の富豪のたっての想いもあって、「手首を切られた子供の調査」がベルギー全土で行われますが、該当者は一人もいませんでした。(ポンソンビー・「戦争の嘘」)     この話は、米国参戦を実現するため、米国と英政府が捏造し、それに新聞が協力して生み出したガセネタだったのです。

 このような陰謀は、第二次世界大戦でも起こっています。 欧州ではナチス・ドイツによる電撃作戦で各国が蹂躙され、イギリスも劣勢に追い込まれていたため、チャーチルはルーズベルトに 一刻も早く第二次大戦に参戦してもらおうとしていました。  当時米国市民の85%が参戦反対だったため、「日本憎し」のルーズベルトは大戦への参加口実を作るため、 チャーチルと結託して「即座に日本を粉みじん(チャーチル回顧録)」にする企みを仕掛けます。

 邪魔者日本を潰そうとしたルーズベルトは、まず「ABCD包囲網」で日本を兵糧攻めにしつつ、 米国が仕掛けた外交上の暴挙ともいうべき、 「日本を開戦に追い込んだハル・ノート」を突き付け挑発し、しぶる日本を戦争へ誘い込み、 日本に最初の一発を撃たせ、アメリカとの戦争へ誘い込んだのです。

 ルーズベルトは米国市民を戦争へ駆り立てる手段として、「アラモの戦い」 でも使った「敵に先に手を出させ、少々の自国民を犠牲にし、自国民を奮い立たせる」手法を用いて、参戦反対だった米国市民を怒らせ、米国参戦を決定づけようとしたのです。    ちなみに、「ハル・ノートの存在は米国でも秘密」でした。  表ざたになれば自分たちの悪だくみがバレバレとなると考えたわけで、 サスガに無茶苦茶な要求であることは米側も判っていたのです。

 「病院を故意に爆撃する」、「こどもを銃剣で突き殺す」、「女性を集団暴行する」などといった「 日本軍の蛮行」は、すべて過去の戦争で用いられてきたプロパガンダと同じものです。 そして、 そのいずれも検証した結果嘘だと判定されています。   報道する側が「掟」を守り、双方の当事者によく聞き込み確認し、歴史をよく検証していれば、こんないい加減な捏造は生まれません。      朝日新聞始めとするメディアがまともな報道をすれば、戦勝国側の歴史に染まり「戦争犯罪国家」扱いされている日本もまともになるのです。(2025.8.11)

 
   

長期戦では日本に勝ち目はないのは皆判っていた

 当時の日本もアメリカとの長期戦になれば勝ち目は無いことはわきまえており、 初期の電撃作戦を成功させ アメリカとの講和に持ち込むというかすかな希望で、国力差何十倍という、まさにアリが像に挑むような戦いをやむなく挑んだのであり、 なにも好き好んで戦争に突き進んだわけではありません。

 1941年(昭和16年)初秋、近衛首相は山本五十六(やまもといそろく)連合艦隊司令長官に対し、日本海軍が英米と戦争して勝算があるかと問うた際、 『...一年間なら十分暴れて見せましょう。 それから先は保障できません』と答えたとされます。  山本も「長期戦では日本の勝ち目はない」ことは自覚していたのです。

 いまさら当時を振り返り、ああすれば良かった、こうすれば戦争は回避できた、どっちが強かった、などと言っても仕方ありません。    当時も今も、日本人の誰もが悲惨な結果を招く戦いなど望みませんが、 当時は当時なりの国際情勢や歴史の流れがあり、 日本が明治維新を経て近代国家へと邁進してきた中で、必然的に白人列強と対峙する立場となり、やむなく 生き残るための戦争への道を進まざるを得なかったのです。

 独立主権国家は自衛権として「国権の発動たる戦争権」を有しており独立国家は戦争権を持つ とされます。  それまで独立自尊を貫いてきた日本が、横暴なアメリカの軍門にくだることなく、正々堂々と立ち向かったことを、 「大人しく米国の言うとおりにしていればよかったのだ」と簡単に切り捨ててしまっては、 植民地支配からの解放と言う人類史に残る偉業をなしとげた日本を、戦勝国の都合で否定するということです。  それでは 勝者側につき祖国を喜んで悪者にし、 インチキ歴史を捏造する反日的日本人たちと大差ありません。

 日本は中国を支配するため軍事侵攻したとされていますが、日中戦争の中身をザックリ言えば 満州が「喉から手が出るほど」欲しかったアメリカによる 日本潰しです。    大東亜戦争(太平洋戦争)にしても、 第二次世界大戦に参戦反対だった米国市民を怒らせ米国参戦を決定づけようとしたルーズベルトが、日本が絶対飲めない条件を羅列した 「ハル・ノート」を突きつけ、日本に戦争を決意させて 日本軍を真珠湾に誘い込み 日本に最初の一弾を撃たせ、 「敵に先に手を出させ、少々の自国民を犠牲にし、自国民を奮い立たせ」たのです。    「先に戦争のボタン」を押したのはアメリカなのです。

 ルーズベルトは日本を挑発し「生き残るための戦い」へと追い込んだわけですが、 しかし、ルーズベルトの思惑は無残に外れ、 アメリカを返り討ちにした日本は 「白人列強による植民地支配に終止符を打った」わけで、 その点でルーズベルトは「リッパな政治を行った」のです。   その逆恨みか、欧米は戦後も次々に日本にイジワルを仕掛けてくるのです。   米国がいかに横暴であるかは2025年にトランプが関税を好き勝手にかけまくっていることでもわかります。

 植民地を奪われ日本に怨み骨髄の戦勝国側は、その後は敗戦国となった日本を貶めるため、見てきたような嘘を尤もらしく流しまくり、日本は 戦勝国側による悪質なプロパガンダに悩まされ、 さらに政治家からして敗戦国・日本ではなく戦争の勝者側に付き日本の国益を毀損する発言を繰り返す、 ということを戦後連綿と続いてきたのです。

 その日本に止めを刺したのが「教科書誤報事件」です。 これで「100年前の出来事」が過去史から次々と引っ張り出され、 悪意に捻じ曲げられ脚色された「日本悪玉説」がデッチあげられ、 「日本軍残虐説」が次々生み出され、現代日本社会には いまだに「日本悪玉論」が蔓延り、21世紀になっても 「戦勝国の歴史」を押し付けられたままでいます。   しかし、 もうそろそろ戦勝国が押し付けた「日本悪玉論のまやかし」の呪縛から目覚めるべきです。(2025.8.2)


 

中国・朝鮮の手先と化したエセ知識人たち

 中国には、旧日本軍が行ったとする根拠のない残虐行為を展示する施設・「南京市の南京大虐殺記念館」があり、 世界中に日本への憎悪を育ませることを目的に、根拠のない誇張された虚偽の展示物が並べられていますが、 ここを2018年6月ノコノコ訪問した福田康夫元首相は、バカ丸出しで「過去の事実を正確に理解しなければならない。   もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と語りました。  サスガ、中国、韓国がその誕生を大喜びした首相です。

 この記念館は「南京攻略戦で、6週間で30万人虐殺したとか、1カ月に2万件近い強姦事件が発生した」などと、 旧日本軍が戦争中いかに残虐非道な行為を行ったかを、ウソで塗り固めた内容でアピールするプロパガンダ(特定思想へ誘導する)施設ですが、福田氏はこのことを理解した上で訪れたのでしょうか。

 髙山氏によればそこのガイド、載国偉は その目で見てきたように日本軍の「虐殺の模様」を日本語で語ったといいます。 ただ話している彼もその荒唐無稽さに気付いているようで、 その辺を指摘すると、彼は唖然とした顔つきで髙山氏を見ますが、それあのパーティでの米国人スタッフの表情と同じだたそうです。 しかし載某は開き直ります。  「私はここを訪れた日本の立派なジャーナリストのガイドを務めました。 みんな納得しています。 疑う声はないのです」。

 髙山氏はどんな連中か聞きます。   「朝日新聞の本多勝一」に「筑紫哲也」、 「久米宏」... 本多勝一はともかく、筑紫や久米は確かジャーナリストの端くれを自負しているはずですが、それが中国側の言い分を検証もせず調査もせず、あたかも真実 のように中国側の嘘をメディアにタレ流してきたのです。 例の米国人スタッフに言わせると「日本人に先の戦争話」を振ると平伏して許しを乞うといいますが、 それと大差ない対応をしてきたのです。(2025.8.7)


   

戦勝国側の仕打ち

 「日本のせいで植民地を失った」ルーズベルトは、 その腹いせに1942年8月から原爆開発計画(マンハッタン計画)を進め、日本に原爆を投下しようとします。  ルーズベルトは1945年4月に死去したため、日本に原爆投下を命令したのは トルーマン大統領ですが、そのトルーマンにしても 原爆を使うためわざと日本を降伏させなかった人物で、 米国歴代大統領は有色人種の命など歯牙にもかけない恐ろしい虐殺者たちなのです。

 日本軍が品行方正な軍隊だったなどと言うつもりはありませんが、「日本だけ残虐国家扱いして一方的に悪者」 にするなら、ユダヤ人はナチス・ドイツのユダヤ人虐殺(ホロコースト)によって600万人以上が犠牲となっています。  アメリカも、木と紙で造られた東京の家屋に焼夷爆弾で無差別絨毯爆撃を行い一晩で死者約10万、罹災者百万以上という被害を与え、 そのうえ究極の殺戮兵器である原爆を2発も投下し何の罪のない何十万人という一般市民の命を一瞬で奪っています。

 日本軍を非道と批判するなら、アメリカはナチス・ドイツのユダヤ人虐殺に匹敵する、日本軍以上の残虐国家です。  にもかかわらず、敗戦国日本は戦勝国側によって 「戦勝国の歴史」を押し付けられ、 「日本軍は侵略戦争を行い数々の残虐行為を働いた」というプロパガンダに曝され、 「日本=悪者」とされ、 なんでも「悪者」にされる国へと陥ってしまいました。

 「日本は戦争を惹き起こした悪い国」として、日本軍の行為にだけ戦争犯罪のスポットが当てられ、針小棒大に取り上げられ、 捻じ曲げられ大袈裟に批判されてきたわけですが、戦争は人間同士が殺し合うわけで、 戦闘が激しければ激しいほど、殺し合いの中身もルール無用の殺戮合戦となっていき、人道的な軍隊など存在しません。

 大戦中、日本軍はオランダがインドネシアを350年も植民統治し「オランダ女王の首飾り」 といわれた豊かな植民地を抱えていたのを、たった9日間で喪失・解放させ、多くのオランダ兵を捕虜とします。    その立場は敗戦により逆転し、連合国軍の中で最も人的被害が少なかったはずのオランダは、戦犯裁判で敗戦国への集団リンチともいえる濡れ衣のでっち上げ罪状日本軍将兵236人を死刑にする復讐を行っています。

 ここでは先の大戦中における現時点で判明している各国軍隊の 数々の残虐話のほんの一部を見ていきますが、これらは全体のごく一部であり、歴史の表に出ていない残虐話はまだまだあります。    「歴史は常に勝者のもの」であり、勝者の不都合な話は表に出ないのです。

 そもそも、戦争で捕虜を虐殺するのは、激戦であればあるほどいわば必然となります。  カナダ軍は1943年7月のシチリアの戦いの際、捕虜としたドイツ将兵を殺害しています。   ソビエト赤軍も「ジュネーブ条約」に調印しておらず、何十万名もの捕虜の命を奪っています。 戦後もシベリアに抑留された60万人 の日本兵捕虜のうち約34万人が過酷な労働と飢餓のため命を奪われています。

 アメリカ軍捕虜を取らなかったのは有名な話で、「カニカッティの虐殺」、「ダッハウの虐殺」、 「ビスケーの虐殺」などでも降伏した親衛隊将兵やドイツ将兵捕虜を殺害しています。  太平洋戦争においても、連合国側は降伏しようとした、もしくは降伏した日本軍将兵を殺害 するのは日常茶飯事でした。    そもそもアメリカ軍は有色人種日本を劣等人種と見なし人間扱いせず 「アメリカ軍将兵にアイスクリームと3日間の休暇を約束するだけで...降伏した日本将兵を殺害しないよう説得することができた」とされていたほどです。  沖縄戦においても 捕虜とせず殺害することは黙認していたとされ捕虜の9割が処刑されたといいます。(2025.8.7)


   

異常な殺戮行為さえ正当化される戦争の恐ろしさ

 もともとアメリカは第一次大戦前までインディアンの虐殺を続け、騎兵隊は抵抗する力の弱い女子供の頭髪を剥ぎ、 女性の性器をえぐり取って鞍頭に張りつけた民族ですから、米兵は太平洋戦争の初期から殺害した日本軍将兵の身体部位コレクションを行っていました。    戦後、マリアナ諸島から日本軍戦死者の遺体が日本に送還された際、約60%が頭部を失っていたといいます。  さすがに見かねた米軍は1942年9月に この行為に対し懲戒処分とする命令まで出したほどです。

 また米軍といえば強姦です。  沖縄戦の際、海兵隊員は「残った民間人女性を捜し」強姦しています。 また敗戦後の占領開始から10日間で、 神奈川県だけでも1,336件の強姦行為が報告されています。  米軍はいまだに日本に居座っていますから、全国では戦後からこれまでいったい 何十万人の日本人女性が被害に遭ったことでしょう。

 中国戦線においては、国民革命軍の捕虜とされたら最後日本軍捕虜は残虐な手段で切り刻まれました。 それは中国民間人についても同様で、中国の農民たちは 「日本兵よりも自国の兵士を恐れなければならなかった」とされます。  「黄河決壊事件」では、 黄河堤防を決壊させ九州と四国を合わせた広さの下流域を氾濫させたため、100万が死亡し数百万人が命の危機に晒されました。 「通州虐殺事件」でも日本の民間人260名を残虐な方法で殺戮しています。

 義和団事件は、ドイツ人宣教師が強引な布教活動の果てに、 軍を動員して反抗した村落を焼き討ちにするなど、ほとんど侵略ともいえる行為に及んだことが端緒です。  このときドイツ軍司令官ワルデルゼーは殺害されたドイツ公使の報復して、 劣等民族の蛮行を罰する名目で部下に3日間、 北京市街での略奪と殺戮を認めたため、恐怖となった北京市民が街区に非難してきます。 そして押し寄せる義和団を阻止し 北京籠城戦を守り抜いたのが日本軍です。  ちなみに、特に慰安婦問題の当事国でもないドイツは、 第一次世界大戦の 青島攻略戦でわずか1週間で日本により降伏させられた恨みか、 慰安婦像を欧州で初めて2020年9月に建てています。

 戦争終結後捕虜となった日本兵は、 連合国側による非人道的扱いを受けています。  旧オランダ領リアウ諸島のレンパン島 に送られた日本軍捕虜達は、飢餓に苦しめられました。  南方抑留体験記で最も多いのはこの流刑地・レンパン島に関するもので、戦後は南方徴用作家たちによって 生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた日本兵捕虜たちの様子が生々しく描写されています。

 イギリス軍も降伏した日本軍に対し数々の虐待行為を行いますが、さすがに日本側は「英軍の我が作業隊に対する取扱は余りに残酷であるから何とか緩和してくれ」と抗議しますが、 イギリス軍参謀長のブラウニング中将は、「英軍の日本軍に対する取扱の状態は自分もよく承知して居る。 しかし、あの程度は日本軍が吾々英軍に対して取った扱いよりひどいとは思わないので改める意志はない」としています。

 日本兵は「戦勝国の行動は日本軍に対する報復」であることを身に染みて知ったわけですが、それも無理からぬことで、 それまで白人は有色人種を植民地支配し、奴隷にして牛馬のように使役していたのに、その有色人種日本が、 自分たちを叩き潰し植民地を解放させたのですから、怒り心頭であり戦勝国側が憎っくき日本に復讐したのは当然だったのです。(2025.8.2)


  

昔、正論、今、妄言

 拡散元の朝日新聞がやっと「あれは捏造だった」と認めた「慰安婦強制連行」は、朝日新聞が「下関の労務報国会の職員、 吉田清治が陸軍兵士を指揮して昭和18年5月、済州島に上陸し250人の若い女を強制連行した。   女たちは中国と戦う皇軍兵士の慰安婦にされ、最後はみな殺された」という、日本軍の記録にもない、他の誰も知らない戦時悲話をスクープしたものです。

 これに続き松井やよりは「釜山でも若い女が日本人警官に拉致された」と報じ、 植村隆も 「ソウルでも日本軍が若い女を戦場に連れ去った」と畳掛けます。 この戦時中の恥ずべき行為は、以降30年間、 実際あった話として世界中に拡散されていきます。  朝日の、まさに他社の追随を許さない独走スクープだったのです。

 報道機関・朝日の強さを示す数々の特ダネにより、これにすっかり騙された日本人は 歴史学者からして「イデオロギーの宣伝屋」と化し、 30年間信じ込んでいたのですが、案の定、そのどれもが記者と編集局が創作した 「何の根拠もない嘘っぱち記事」であることがバレます。    そもそも当初からこの慰安婦記事に疑問を抱き、調査してきた日本人もおり、 その人たちの努力でやっと朝日のウソが暴かれたのです。 結果、朝日は2014年(平成26年)9月にやっと観念し 慰安婦報道の誤報を認めます。

 しかし、時すでに遅しで、多くの日本人が朝日新聞の捏造話に騙され洗脳され、「慰安婦強制連行」はあったと信じ込み、これを 日本の悪口をメシのタネにする日本人が目をつけ、 インチキ歴史を捏造していったのが戦後の日本なのです。  このように、 敗戦国となった日本には朝日新聞を始めとするいわゆる、「ソ連や支那などの社会主義・共産主義を信奉し、アメリカなど西側諸国の資本主義・自由主義を敵視する」 進歩的日本人がボウフラのように湧いて出て、 事実を捻じ曲げ針小棒大に膨らませ、あることないことデッチあげ、嬉々として日本を戦争犯罪国家に仕立て ていったのです。

 かくして、戦後日本はこのような反日的日本人によって「日本悪者説が全て正論」とされ、 国民もそれを信じ日本は朝日新聞によって非人道国家にされてしまったのです。  しかし、 客観性を失った嫌日媚中韓一辺倒の偏向報道姿勢をとってきた朝日は、いまや 大嘘つきの新聞であることは白日の下に晒されています。    一時期メディアに幅を利かせて中国・ロシア・北朝鮮を擁護していた残留進歩的文化人も、 「スターリンの呪い・三十二年テーゼ」に操られた 動く呪術人形と化し、 わが国を徹底的に罵倒する放言に熱意を燃やしているだけという正体がバレました。

 このヒダリまき文化人たちは、最近ではメディアから追放されすっかり見かけなくなりました。  やっと日本社会も「左翼の正論は妄言」であることに気付いたようで、 自称リベラルの凋落は顕著となっています。  ただ「隠れヒダリまき」は爪を隠し、隙を窺っていますから要注意です。(2025.8.6)


 

昔、妄言、今、正論

 室町幕府の三代将軍、足利義満が天皇になろうとしたことは、いまでこそ日本史の常識になっていますが、戦前はひた隠しにされていました。    そんなことを事実として認めれば「万世一系」の天皇家という概念が崩れるからです。  正確に言えば義満は最愛の息子・義嗣を天皇とし、自分は上皇となろうとしたわけですが、 以前であれば「天皇になりたかった足利義満説」は「妄言」とされていたわけです。

 このように、時代背景によってはたとえ「正論」でも、「妄言」として握りつぶされてしまうのは日常茶飯事です。    1986年、藤尾正行文部大臣が文藝春秋10月号に 『日韓併合には韓国(朝鮮)の責任もあり、これについて韓国も考えてみないといけないだろう』と書いたことで大騒ぎとなります。

 これはいまでなら大部分の日本人は「正論」と捉えるでしょうが、当時の暴走自虐史観華やかし頃は、現在の視点は望むべくもなく、例によって朝日新聞がこの談話を目の敵にし騒いだため、 藤尾氏は文藝春秋が発売される直前に辞任させられます。  当時も朝日新聞のお気に召さない発言をしようものなら、容赦なく葬られたのです。   この自由であるべき言論を封殺する悪癖は21世紀の日本でもまかり通っています。

 このように日本国内にはいまだに反日思想が蔓延っているのも確かで、 このなんでも日本が悪いと考える勢力は、2019年9月2日に発売された「週刊ポスト」の 「韓国なんて要らない」記事をやり玉にあげ批判し、 「表現の不自由展」でも自分たちの主張を振りかざし問題を起こしています。  まだまだ油断はできないのです。

 かくして、朝日は首相の靖国参拝を止めさせ、 「日本への反発を噴出させた「教科書誤報事件」」を徹底的に利用し、 ひたすら日本を悪者扱いして貶めてきたわけです。  しかし、 近年になり朝日の体質がバレ、やっと日本も贖罪意識一色だった戦後史観から脱却しつつあります。  さらに中国・韓国の正体に日本人もやっと気付いてきたようで、 現在であれば藤尾氏の考えを頭から否定するのはごく一部の「デュープス」 だけでしょう。

 というわけで、昔は数々の「正論」が妄言とされ葬られてきたわけですが、それがやっと「正論」は「正論」として通用する時代が訪れつつあるようです。  ただ、油断ならないのが 反日メディアの急先鋒・朝日新聞による祖国否定運動に操られている日本人です。    この勢力はいまだに「勝利した側の言い分」を鵜呑みにして 浅はかな歴史認識を振りかざしているのです。

 テレビを持っているという理由だけで、年金生活者だろうが生活困窮者であろうが、日本国民から強制的に受信料を取り立て、 自分たちはチャッカリ1000万円以上の超高額報酬を手にしている「皆様のNHK」も、 戦時中に軍艦島で強制徴用された朝鮮人の姿であるとするフィルムをわざわざ韓国の公営放送KBSに提供し、日本叩きの応援をしていた組織なのですから、 もう公共放送からして油断もスキもないのです。

 ただ、実はそのフィルムは昭和30年製、つまり『戦後に撮影されたもの』だったという事実がNHK幹部の証言で明らかになっています。    いずれにせよ、韓国において強制労働のイメージが流布する一因になったNHK番組の映像は、 「皆様のNHK」が自ら進んで韓国メディアに提供したものであり、韓国はその映像を日本叩きのツールとして大いに利用してきた、というのが現在の 「韓国人元徴用工問題」のルーツなのです。  もうNHKは必要ないのです。(2025.8.6)


 

旅順要塞攻略戦のウソ

 遼東半島先端部の旅順にある旅順要塞は、日本の脇腹に突き付けた匕首(あいくち・つばのない短刀)と見なされてきた大陸の要衝であり、日清・日露戦争でも常に攻略戦が繰り広げられました。    日露戦争ではロシア側が旅順要塞を強固な要塞に仕立てたため、落とすまで4カ月余もかかっています。

 しかし、その10年前の日清戦争ではたった一日で旅順要塞を攻略しています。 攻略後、日本軍は旅順市街に突入します。    住民たちはその前に市街に非難していましたが、軍服を脱ぎ捨てた便衣兵、つまりゲリラとなった支那兵たちが、 民家に潜んでいました。  そこを日本兵は一戸ずつあらためていき、抵抗すれば掃討し、降伏した支那兵355人を捕虜にします。

 この話は、当時最前線にいたフランス人観戦武官ラブリ子爵から聞いた駐日ベルギー公使アルベール・ダネタンが、本国に送った報告書に書かれています。 しかし、 ラブリ子爵のいた最前線の遥か後方にいたニューヨーク・ワールド紙ジェームズ・クリルマンは、 「日本軍は旅順市街に入ると冷酷にほとんどの市民を虐殺した」、「無防備で非武装の住民たちは自分の家で殺され、死体は言い表す言葉もないくらいに切り刻まれていた」、 「2000人は殺されたはずだ」などと嘘八百を報じます。

 アメリカは第一次大戦前までインディアンの虐殺を続け、騎兵隊は抵抗する力の弱い女子供を襲い、頭髪を剥ぎ、 女性の性器をえぐり取って鞍頭に張りつけたとされますが、クリルマンは日本人は野蛮だから自分たち以上に残虐だろうと想像したのでしょう。

 このウソッぱち記事をもとに、従軍記者など出してもいないリース・アメリカン・レヴュー誌は「6万人の住民のうち36人だけが生き残った」と、 まるで見て来たかのような嘘を記事にして世界中に流しまくります。     そして近現代史本には「日本軍が占領したとき旅順の市民を多数殺害し、外国の新聞がそれを報じて、世界的な非難を浴びる事件が起こっている」という内容で語られます。(2025.8.2)


 

南京事件のウソ

 戦後の日本は、「教科書誤報事件」によって日中韓の対立構図が生み出され、日本を戦争犯罪国家に仕立てるため 様々な日本貶め話が生み出されました。  この騒動で韓国が手にしたのが 「慰安婦問題」であり、中国の最強日本叩きツールとなったのが、 1937年(昭和12年)に起きた「南京攻略戦(南京事件)」です。 いまでこそ 「南京事件」とややトーンダウンした呼び名になりましたが、 1980年代の日本の高校の歴史教科書には『南京大虐殺』などという血なまぐさい言葉で表記され、 世界中に 根も葉もない日本軍の残虐性が拡散されていったのです。    ところが、当の中国からして中国国内の戦後の学校教育においても、 1975年版の教科書『新編中国史』の「歴史年表」にも虐殺について記載など全く無いのです。    南京事件とやらは1975年以降に突如起こったのでしょうか。

 日中戦争において、 満州が喉から手が出るほど欲しかったアメリカは、 少しは日本に未練があった蒋介石を手なづけようと、武器とタップリのカネを与え裏切らせます。    そして支那軍に日本人居留区を襲わせて日本軍を怒らせます。  支那軍はドイツの最新兵器を装備し 日本軍守備隊の十倍する兵力で侵入してきましたが、この戦いで支那を返り討ちにした日本軍は、逃げる支那軍を追って 南京へ進軍(南京攻略戦)します。  すでにほとんどの支那軍は逃げ出しており 場内はもぬけの殻で、入城式を済ませた日本軍本隊は一週間後には 逃げた蒋介石軍を追撃するため長江を遡行していきます。

 つまり、日本軍は1937年12月12日に南門から攻撃をかけ、13日の昼過ぎに戦闘をほぼ収束させ、 「南京攻略戦」を3日足らずで終了させたわけです。   17日には盛大なバレード「入城式」を挙行し、その直後に本隊は蒋介石軍追撃のため南京を出発したというのですから、とても悠長に「南京市民30万人を虐殺する時間」などありません。    そもそも「人口20万人」とされる南京市民をどうやって30万殺したのでしょう。  さらに、日本軍の入城により南京の治安が回復したため、 20万だった人口がすぐに25万に増えたとされます。 日本軍が駐留したことで安心した周辺の大勢の中国人が入城してきたのです。

 しかし、例によってこの南京攻略戦においても外国人プレスによるプロパガンダ記事が乱発されます。    南京にはニューヨーク・タイムズ紙のティルマン・ダーディンがいましたが、 この人物は南京に日本軍が入って2日後には上海に逃げていますが、まるですべてを見ていたかのように「日本軍は民間人も捕虜もみな処刑した」、「難民も身ぐるみ剥がれた」、 「支那人の女が拉致され強姦された」などと書きまくったのです。

 さらに、米国人宣教師たちも大ウソを並べ立て 東京裁判で30万人が虐殺されたと脚色しています。  中国戦線における戦いでは 日本軍兵士や日本人ジャーナリストによる捏造告白が相次ぎますが、 これら日本人が持ち出した日本軍残虐説を、 多数の事実誤認や写真の誤用が指摘される中国系米国人作家、アイリス・チャンが自身の著書 「ザ・レイプ・オブ・南京」に掲載したことで、 世界中に「日本軍残虐説」が流布されていったのです。(2025.8.2)


 

慰安婦強制連行のウソ

 日本軍が朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にしたという捏造話は、ずっと後になり朝日新聞が捏造と認め、当時の木村伊量(ただかず)社長が記者会見を開き、「事実を旨とする報道であるべきでした。  誤った報道と謝罪が遅れたことに、おわび申し上げます」、と従軍慰安婦に関する一連の報道は全て虚偽であることを認め正式に謝罪しました。

 つまり、この捏造話を拡散させた張本人が、正式にアレは大ウソであると認めた話です、  ところが、それを米マグロウヒル社が高校向け教科書に「日本軍は20万人の女を攫い、天皇からの贈り物として兵士に与えた。  女はみな殺された」と載せます。

 この嘘八百に対して、日本の外務省は執筆したいい加減な米人学者に抗議しますが、これに対しニューヨーク・タイムズ紙は「日本政府が歴史改竄に圧力」と批判したのです。  それどころか、 この新聞は今度は釜山領事館前の慰安婦像騒ぎも社説で取り上げ、「日本は何万ものアジアの女を性奴隷にしたことに真正面から謝罪していない」と書いています。

 朝日新聞の謝罪で慰安婦問題はウソと承知していながら、いまだに世界に向けて迎いに向けて日本叩きの記事を垂れ流しているのです。

 (2025.8.2)


 

731部隊と済南事件のウソ

 江沢民は愛国教育の教材に日本軍の731部隊を取り上げ、「人間を真空の中において爆発させた」などと、現代医学ではとっくに否定されている大嘘を並べ立て、教科書には若い女の乳房と胸と腕を切り落とし、 局部に棒を突っ込んだ「人体実験の模様」と称する写真まで載せています。

 写真は本物です。  なぜなら、それは1928年(昭和3年)5月3日、中国山東省の済南において日本軍と蒋介石率いる国民革命軍(南軍)との間に起きた武力衝突事件(済南事件)の際、 中国人暴徒ないし南軍兵士による日本人居留民の惨殺が起こり、蒋介石軍が済南で日本人女性を切り刻んだ時の検視の模様を撮ったものだからです。

 (2025.8.2)


 

バターン死の行進

 日本陸軍は真珠湾攻撃直後の1941年(昭和16年)12月22日にルソン島に上陸し、翌年1月2日には首都マニラを占領。   さらに、 1942年4月から5月にかけてバターン半島とコレヒドール島に立て篭もっていたアメリカ軍を降伏させます。   これにより フィリピンは欧米からの支配下を逃れられたのです。  また、 フィリピン人を皆殺しにしようとしたアーサー・マッカーサーの息子で、 アメリカ極東陸軍部隊・司令官ダグラス・マッカーサーは、このときフィリピンからかろうじて脱出しています。

 この際に日本軍の捕虜となったアメリカ軍やフィリピン軍が、 約83kmの距離を3日間歩かせられる「バターン死の行進」が起こったとされ 「日本軍残虐説」の一つにされていますが、 日本軍でさえろくに食べられない状況下において、8万人もの捕虜がいきなり統制下に入ったわけで、食うや食わずだった日本軍 が捕虜に十分な食糧を与えられる余裕などあるはずは無かったのです。

 日本軍は捕虜を2泊3日で約80kmの行程を歩かせたわけですが、決して捕虜を虐待するためではなく、比較的食糧などを補給しやすい地域に移動するためという事情があり、 いわば「生かすための行進」だったのです。   当時の司令官・本間雅晴中将は出来る限りの措置を行うよう通達したとされ、また暑さを避ける為、捕虜を夕方と早朝だけ移動 させるといった配慮が行われたとされます。 日本軍も捕虜もほぼ同じ食事を取ったという証言もあります。  この出来事も「戦争で引き起こされた不幸な話」の一つなのです。

 そもそもトラックなどなくひたすら歩くのが日本軍の常であり、一部はトラックで移動させていますが、 ほとんどの日本兵も歩いていたわけで、誰もこれを虐待だとは思わなかったのです。  83kmを3日かけて歩いたということは1日平均27kmですが、笹幸恵女史は実際「バターン死の行進ルート」を歩いてみたそうで、 負傷し衰弱した捕虜もいた状況とは異なるでしょうが「風邪気味でも歩けた」と文芸春秋に書いています。

 この行進での死者は約7千人から1万人がマラリアや飢え、疲労などで死亡したなどとされますが、米軍の死亡者は2300人と記録され、おそらく戦いでの死傷者を含め、この辺りが実数と見られます。   そもそも、監視の日本兵は少なく脱走は容易で、フィリピン人の場合は現地の民衆の間に紛れ込めばわからないわけで、報告は死亡と報告されていてもほとんど脱走者だったとされます。   戦争の負傷で衰弱したため多数の死者が出たのは確かでしょうが、厖大な人数の捕虜がいたため日本軍側も手が回らななかった側面もあったのです。

 しかし、戦後、本間雅晴中将は「バターン死の行進」の責任を取らされ、マニラ裁判で死刑になっています。  これは日本軍にフィリピンから追い出されたマッカーサーの復讐でもあったのです。   この行進を虐殺というなら、アメリカは先住民であるインディアンを 「互いに争わせる方法で殺しまくった」国ですが、そのひとつにチェロキー・インディアン1万5千人をジョージアからオクラホマまで、 2千キロ・半年間の過酷な旅で歩かせ、その死者は8千人を数えています。  米国ではこれを「Trail of Tears(涙の旅路)」などと呼びますが、 これこそ「本物の死の行進」です。(2025.7.31)


 

「日本悪者説」の背後にあった本当の話し

   

起こった出来事 その概略
オランダに復讐された堀内海軍大佐 1942年(昭和17年)1月、オランダの領有するインドネシアのセレベス島北部、 メナドに日本軍初の落下傘部隊を指揮し降下、オランダ軍を降伏させた落下傘隊長・堀内海軍中佐(のち大佐)は、 350年にわたりオランダの支配下にあえいでいた過酷な生活から現地の人を解放し、住民が驚くほどの大幅な減税を行いますが...
(死の鉄道)と名付けられてしまった泰緬鉄道工事 13万5000人の技術者・専門職で行った難しい工事が、捕虜収容所に収容されていた多数の連合軍捕虜を使って行われたとされ、しかも熱帯病と栄養不足で大勢犠牲になったとされているが.....
「東京裁判」における「南京事件」判決 中国が手にした日本叩きの鉄板ネタが、「南京大虐殺で30万人が殺された」 とされる「南京事件」ですが、その真相とは...
「慰安婦問題」も「教科書誤報事件」から始まった 吉田清治のウソ話から始まり朝日新聞へとバトンタッチされた「慰安婦問題」は、その後捏造と判明したものの、すでに手遅れとなり...
韓国人元徴用工問題 自分で応募しておきながら「強制的に働かされた」として、1995年から騒いでいる「韓国人元徴用工問題」は、 中韓を反日国家へ変貌させた「教科書誤報事件」から生み出された 「従軍慰安婦問題」同様、事実を捻じ曲げた日本叩きの捏造話なのですが...
平頂山事件、万人坑、南京事件、三光政策 中国は日本を攻撃するための隠し玉、 いわゆる「新たな日本軍による残虐話」をまだまだ用意しています。 その一つが「万人坑問題」で、もう一つが「731部隊問題」です。 もちろん、 事と次第によっては中韓はでっち上げの日本叩き話 を捏造するのは訳無いことですから、彼らがその気になれば、なんだって・いつだって日本叩きのツールは生み出されます。     何と言っても、これまでの数々の 「日本から受けた虐待・虐殺話」の出所は、 すべて反日的日本人と朝日新聞の仕業なのですから...
「皆様のNHK」が作り上げた「朝鮮人虐待労働説」 「皆様のNHK」が韓国サマに献上した「朝鮮半島出身者への虐待労働があったとする主張を補完するデータ」が、実は福岡・筑豊で働く日本人の写真で、NHK=反日が決定づけられちゃった話...
 (2025.8.2)


 

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