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平和は突然破られる....ウクライナへの軍事侵攻

 2022年2月24日、ロシアがウクライナへの軍事侵攻に突如踏み切るという驚愕の事態が勃発します。 NATOに加盟しておらず軍事同盟を結ぶ国もなかったウクライナは、 西側から多少の武器援助は受けたものの、孤立無援の防衛戦で必死に抵抗しますが、国内のインフラは破壊され、一般市民が無差別に殺戮されるという、 これが本当に21世紀の世界なのかと驚くとんでもない悲劇が起きたのです。

 国際秩序も何もあったものではなかった昔ならイザ知らず、我々は今、現代においても独裁国家による「力を背景にした現状変更」 という蛮行を、 躊躇なくやってしまう国家が存在しているのだ、という世界を目の当たりにしているわけです。  しかも、国際社会は自分の身に危機が及ばない限り、「当事者同士で解決すべきこと」と距離を置くだけで、 誰もそれを止めてはくれない冷徹な現実をハッキリ理解しました。

 唯一の被爆国である日本は、戦争とは無縁の世界が永遠に続くと考え「核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まない」という非核三原則を掲げ、 日本の歴代首相はこれを「国是」として堅持することを誓ってきました。  そして、幸いなことに日本はこれまで戦争に巻き込まれることはありませんでした。  しかし、今回のウクライナ情勢に見られるように、 国防が手薄な国はある日突然他国の侵略を受ける、という事実を見せつけられたのです。

 すぐ隣に独裁国家の中国、北朝鮮、そしてロシアという暴走国家を抱える日本は、ウクライナ同様いつ何時戦争に巻き込まれるか分かったものではアリマセン。     野党や公明党が主張する、「なにをせずとも平和は維持できる」世界は、今回の戦争により単なる幻想であり非現実的なまやかしだとはっきり判明しました。    今回のロシアの暴挙を目の当たりにした我々は、もはや「話し合いで平和が守れる」というお花畑理論の上に胡坐をかいている場合ではないゾ、 ということに気付かされたのです。

 国家と国民の生命を守るため、「強力な抑止力」は絶対必要です。  日本国民も安全保障について「見ざる・言わざる・聞かざる」の態度は見直し、 もうそろそろ本気で国防に関心を持つべき時期にきたようです。  安倍晋三元首相はこの事態を受け、 米国の核兵器を自国で共同運用する「ニュークリア・シェアリング」(核共有)について日本も議論すべきとの考えを示します。

 安倍元首相のように、従来から非核三原則が「議論もしてはならない」という4原則になっていることを懸念する向きは少なくアリマセン。      しかし、残念ながら現在の首相は「鈍牛・岸田首相」です。     彼はこの期に及んでも『非核三原則の堅持という我が国の立場から考えて認められるものではない」と安倍氏の発言をキッパリ否定しています。

 抑止力の観点からすれば、侵略国家が「日本に侵略する気を起こさせない」よう、日本国の首相は安全保障上の軽々しい発言は避けるべきです。    ところが安全保障の責任者が一番肝心な時に、『我が国は丸腰を永遠に貫きます』と堂々と宣言したわけです。   この発言が侵略国にとってどういう意味を持つか、 考えもしないのです。  やっぱりこの首相は「空気を読めない」鈍感で困ったヒトで、 有事に対応できる度量の持ち主ではないのです。(2022.3.9 YAHOOニュース 引用)

 リベラルな国際秩序では世界平和は守れず、より大きな紛争を生む、という現実が目の前で起きている今、相手に武力行使に踏み切る余地を僅かでも与えないようにするためにも、 せめてお得意の曖昧戦略で、『現時点では考えていない』、 『今すぐに検討するつもりはない』ぐらいに留めておけばよかったのです。

 ところがこの人物は、普段は『検討する』のが口癖なはずなのに、 こんな切羽詰まった時に限って、言わなくてもいいことを言い切ってしまったのです。  日本国民の生命と財産を守ることに全責任を持つべき立場にある首相がこの体たらくなのですから、 平和ボケ日本もここに極まれりということなのでしょう。  日本人の 「先を見通すのが苦手な外交オンチぶり」には呆れるばかりです。(2022.3.20)


ウクライナ戦争に見る、「侵略された側にも責任」とする人

 日本人の中にはウクライナ戦争について、「侵略された側にも責任がある」とする人達が、多数派ではありませんが一定数見られます。     その一人、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は、ウクライナを侵略の被害者だとは捉えていないようで、 ゼレンスキー大統領について、「所詮紛争の一方の当事者」だと断じたうえで、日本の国会で演説させるなど「とんでもないよー!」とツイッター(現X)で発信しています。

 一方的に侵略したロシアと、「自衛」のために戦っているウクライナは、同列であると決めつけ、 だからどちらか一方の肩を持つ気はないよ、という論理なのでしょう。  仲が良くない隣同士で、ある日突然一方が石を投げつけ爆竹を放り込んできても、どっちもどっちなのだから、放っておけばよい、 「喧嘩両成敗」なのだから、と物事を自分の頭で理解できる範囲で単純に捉え、意見しているわけです。

 これは、「互いにケンカしている」のだから、理由の如何は問わずよくないことであり、だから自分はどちらにも組みしないよ、というスタンスであり、中庸な立場に身を置く素振りをしながら、 どうでもいいような自己満足のご高説をタレながす評論家的やり方でもあります。  つまり、自分は当事者でもないので、子供や一般市民が何百、何千人殺されようが 自分には無関係であり「知った事ではない」のです。

 ルーピー鳩山由紀夫元首相も、ゼレンスキー大統領について 「なぜ彼はロシアの侵攻を止める外交努力をしなかったのか」とツイートしました。    まるで「外交努力が足りないから侵略された」のだと言わんばかりの発言です。  国会議員の鈴木宗男も 「ウクライナにも責任がある」と、鳩山に似たような主張をメディア等で展開します。

 また橋下徹元大阪市長も、「一般市民に被害が及ぶことを強く懸念し、被害を小さくするためには早期の妥結、あるいはウクライナの譲歩やむなし」 と主張します。  「一般市民第一」という主張は、一見正当な意見に感じますが、その「一般市民」がロシアに支配され悲惨な運命に落とされようが、 命さえあれば奴隷にされてもいいじゃないかとする思考は、とてもまともとは思えません。

 中には、テリー伊藤氏のように出演したラジオ番組で「ウクライナ人に対して早期降伏を呼び掛ける」ような発言をして、物議を醸したものもいます。  「一般市民は逃げろ」としているわけですが、どこに逃げろというのでしょうか。  また、逃げたその後はいったいどんな運命が待ち構えているかまで想像して、 そんな無責任な暴論を吐いているのでしょうか。

 日本以外の国では「今は平和で、戦争の可能性なんかないのだから、ムダな労力と犠牲を払うのはやめよう」などとは考えません。  日本以上に侵略を受け、戦争を経験してきた彼らは、 日本人以上に戦争を嫌い、平和を愛し、その尊さを知っています。 そして、「十分な抑止力がなかったために戦争に巻き込まれてしまった」ということをイヤというほど体験してきました。

 だから彼らは「戦争を防ぐために戦争の準備を怠ってはならない」と考え行動しているのです。  日本人の「戦争はしたくないので、 戦争には備えない」として現実から目を背け、自分に火の粉がかかってこない限り、最悪の事態を考えようともしない民族の考え方とは真逆なのです。

 いまの日本は、あまりに長い期間、戦争に巻き込まれず平和が続いたため、戦力を持たないことによって平和が保てると信じ込む、 「平和念仏主義」がまかり通る国と化しています。     「人類皆兄弟」、「話し合えば戦争は起きない」とする「お花畑思考」に完全に囚われてしまって、 「いざという時には何らかの形で祖国防衛に尽力する」という考えが完全に欠落している民族になり果てているのです。    しかも、日本の外交オンチぶりは筋金入りです。

 それに輪をかけているのが、戦後の悪しき「祖国を否定する反日教育」のせいで、自衛戦争もいけないし、それも悪である、侵略されたら大人しく降伏せよ、 「とにかく戦争はダメ」としか考えないオメデタイ日本人たちの存在です。  始末の悪いことに、この連中は戦争には 「侵略戦争」と「防衛戦争」があるという区別もつけられず、 自分たちの生命と財産を侵略者から守る防衛戦争でさえ悪と捉えているのです。

  日本のメディアも「戦力を持ってもいけない」ことが正しく当たり前のことだとして、国民を洗脳しています。  これが行き過ぎると、 「敵対する国が戦争を仕掛けてこないよう抑止するための戦力を持ってもいけない」と主張する左巻きになるわけです。  そして、こういう国民が多ければ多いほど、 侵略する側にとっては好都合なのだ、ということに考えが至らないのです。  世界から見ると日本人の「労せず平和が維持できる」という思考は、 きわめて異常である、ということは知りません。  日本は ダチョウの平和を貪っている国なのです。

 誰しも「戦争は絶対反対」なのは当然ですが、ヒトラーやプーチンのように突然「侵略戦争」を仕掛けてくる危険人物も存在するのが人類の歴史です。  中国もいつ日本に牙をむいてくるか分かりません。    日本人以外、自国を守るためには戦うしかないというのは世界の常識なのです。    だからこそ、当初すぐロシアに征服されてしまうだろうと見なされたウクライナ市民は、 市民の頑張りと欧米の軍事支援を受け、苦しみながらも「祖国を守るため戦って」、開戦から3年経った時点でも、 なんとか踏みとどまっています。

 戦争誘因の要素にパシフィズム(平和主義)があります。 「オオカミは空腹だから乱暴するのであって、エサを与えておけば悪さはしない」 としてしまうと戦争は防げません。  第二次世界大戦勃発も「宥和政策」が主因とされます。    また、歴史を振り返ると、戦争準備を怠った国ほど戦争に巻き込まれ、ひどい目に遭ってきました。

 日本はロシア、北朝鮮、中国に囲まれています。 そしてどの国も核兵器を持ち、ミサイルは日本の重要都市を容易に標的にできます。  彼らが一発でも核ミサイルを撃てば、 日本は数千万人以上の犠牲者が出て壊滅してしまいます。 そうならないよう、 日本以外の「普通の国」は、できるだけ強力な軍事力を手に入れたいと思っています。

 日本は米国に守ってもらっているわけではありません。  米国に 莫大な駐留費を支払ってはいますが、米軍は決して 日本の用心棒ではありません。  そもそもアメリカ軍が日本を守るために核兵器を使う決断を、議会および大統領がするはずはありません。   イザとなったら大金持ち以外の日本人には「逃げられる場所」などどこにもありません。    自ら戦うしか手段はないのです。  「所詮は他人事」としか考えず、高みの見物意識に凝り固まり、「侵略戦争」と「自衛戦争」の区別も出来ない愚か者たちのタワ言を、 真に受けている場合ではないのです。

 「戦争反対のスローガン」だけ唱え、現実逃避の平和主義を訴えても平和は守れませんし、 この手の発言をする人間ほど、イザというときには本性をさらけ出します。  その昔、安保法制反対運動が姦しかったとき、 「進歩的文化人教授」たちは、東大の学生たちから 《いつもは非武装中立論なんか書いて稼いどいてサ、テメエの学校に問題がおこったら、さっさと学校側について 警察の力を借りてやがる。  非武装中立でなんとか解決してみたらどうだ》と嘲笑されました。    すっかり平和ボケしてしまい危機が身近に迫ろうと見て見ぬふりしていたら、 必ずいつかそのツケは廻ってきます。(2025.10.22)


  

「望まない戦争」はなぜ起きるのか

 米国トランプ政権が ベネズエラに軍事攻撃を仕掛けた理由として、 《ベネズエラが習政権の拡大経済圏構想「一帯一路」の中南米の橋頭堡》と化しており、 中国の行動をこのまま放置していては、いずれ自国の弊害となるのは確実という危機感を抱いたから、 としています。  一方、 「ベネズエラ攻撃」が中国による台湾侵攻 を招くのでは、という懸念もあります。

 突然他国に軍事侵攻するという話は、「強い民族が弱い民族を征服していた」 19世紀だったら当たり前に起きていた話ですが、21世紀にこのリクツが通じるのは、 ウクライナに軍事侵攻したロシアと、 台湾侵攻を着々と窺う中国くらいのものです。  21世紀のいま、 自由主義の大国アメリカまでもが、 世界の警察を返上し、他国に問答無用で軍事攻撃してしまったら、又しても 世界は無法地帯と化し、 生き残るため戦わなければなりません。

 日本人は誰しも戦争など望みません。  日本が米国との戦争へ巻き込まれたのも、 激動の時代に曝された日本が、 自衛の権利を行使し 生き残るため戦わなければならなかったからであって、 日本は好き好んで「勝ち目のない戦い」に突き進んだわけではありません。

 「戦争のボタン」を押したのはアメリカであり、 「ハルノート」で「日本を生き残るための戦い」 へと追い込んだのは米国なのですが、敗戦国となった日本は 「戦争犯罪国家」とされてしまった挙句、 日本人は先の戦争の本当の姿を知らされていません。   そして今では「どこの国と戦ったのか知らない日本人」さえいます。

 戦争は遠い歴史の彼方の出来事となっていたのですが、それから80年後の今、世界は《正義よりディール》、《平和よりビジネス》、《同盟より利益》を優先させる トランプ大統領という狂人の登場により、またしてもキナ臭くなりつつあります。  必要とあらば軍事攻撃さえ厭わないトランプ大統領のやり方は、 覇権主義をむき出しにして台湾はおろか、東シナ海、尖閣諸島の支配を目論む中国に対し、 《台湾や日本は中国の好きにして》と言っているようなものであり、このままではますます日本周辺は一触即発の危機に陥ってしまいます。

 100年前、揺れ動く東アジア情勢の只中に置かれた日本は、 日本の安全保障の要だった「朝鮮半島」 に列強の力が及ばぬよう、近代化推進と国交樹立の提案を行います。   しかし、李氏朝鮮政府はこの申し出を相手にせず、日本使節を追い返します。    清国の冊封体制下に甘んじる朝鮮は、西洋に倣って開国した日本を蔑視し、 日本からの国書の中に中華王朝の皇帝にのみ許される称号である「皇」の文字が入っていることを理由に、なんと8年にわたり国書の受け取りを拒否したのです。

 万が一、朝鮮半島が列強に軍事支配されてしまえば、日本はいつその侵略を受けるか常に怯えなければなりません。  言い換えれば、 弱者が強者に支配されるのが当然だった帝国主義時代の朝鮮半島は、日本に突き付けられた凶器でもあったのです。  業を煮やした日本は、 この書契問題を背景に一時は朝鮮出兵を求める征韓論争など出兵問題が政治問題化するようになります。

 この朝鮮をめぐる対立が日清・日露戦争を招き日清戦争に勝利した日本は、 下関条約により清国に朝鮮が自主独立国であることを認めさせ、 清国に対する朝鮮国(李氏朝鮮)からの貢献・臣下の典礼等を廃止させます。     その後紆余曲折があり、日本は韓国を併合せざるを得なくなって 行くわけです。  日本に敗れた清国は、 その後中国大陸を巡る列強の利権争いに蹂躙され、 列強によって「半植民地支配」されていきました。

 そんな当時の中国は、今では信じられませんが、 新興国日本を手本とし、互いに手を握ろうかというマコトに友好的な関係にあったのです。     日本は孫文の辛亥革命に尽力し、 中国近代化を推し進めた国であり、 列強が中国に介入してくるまで、物心両面で中国独立に貢献していたのです。  やがて、 日支連携と阻む列強の妨害に遭い、 孫文に欺かれ あっさり梯子を外され、用済み とされてしまいます。  しかし、いまさら引くに引けない日本は、 第一次世界大戦でドイツに勝利したことを契機として、 当時の列強の作法に従い、 中国に介入、 その後日本と中国は対立が本格化し、 いよいよ日中戦争へと突入していきます。

 ただ、日中戦争は「日米戦争」であり、 蒋介石も毛沢東も、米国現地兵の一人だったという史実を知る日本人は、 ますます少数派となっています。  日本の行動は、いまの平和な時代ならば非難されますが、当時の《生き残るには、戦うか、奴隷になるしかない》 という《弱肉強食の時代》では、日本の選択肢は限られていたのです。

 日本は戦後80年間、戦争と無縁の平和を享受してきたわけですが、自由主義国の守護神だったはずの米国トランプ大統領は、 《モンロー主義ならぬドンロー主義》を振りかざし、西半球は自国が好き勝手に支配すると宣言しました。     つまり、東アジアから太平洋の半分は、中国が好きにやってくれ、と同盟国・日本を見放したのです。    これで、中国という時代錯誤の超侵略国家が、 今後ますます、東シナ海で我が物顔で猛威を振るい、周辺国を恫喝していくことでしょう。

 このままでは、人類は再び《弱肉強食の時代》に戻ろうとしています。   《「望まない戦争」はなぜ起きるのか》は、 突如オーストリアを併合したヒトラーや ベネズエラを軍事攻撃したトランプ、 ウクライナに軍事侵攻したプーチン習近平といった、 自制心の欠如している狂人たちの暴走によって、いとも簡単に引き起こされるのだ、 という現実を我々は今目撃しているわけです。

 戦争誘因の要素にパシフィズム(平和主義)があるとされます。    第二次世界大戦は、イギリス・フランスによる 「宥和政策」によって引き起こされた ともいわれます。   イギリスの首相チェンバレンは、ウィーンに進撃したドイツを 「オオカミは空腹だから乱暴するのであって、エサを与えておけば悪さはしない」として、 傍観するだけで戦争に訴えることは出来ずにいました。  結局フランスもこれに追随します。

 チェンバレンはチェコスロバキアを犠牲にしても、ヒトラードイツを容認しておけば、ソ連の脅威(共産化の脅威)から 自国を守ることができると考えた「宥和政策者」でしたが、 イギリスの世論もこの策に賛成するほうが多かったといいます。   これを現在に当てはめれば《トランプは中国の横暴に干渉しない代わりに、米国の西半球支配に口出しさせない》という レトリック(中身が伴っていない主張)を振りかざし、中国と権益を分け合うことを選択したのです。  つまり、同盟国・日本のことなど無関心であり、 あくまでもトランプの関心はディール(取引)でしかなく、自身が大統領職を退任した後のビジネス環境を整えようとしているのです。

 結局、戦争危機の遠因は、大国同士のエゴイズム(自分の利益だけ追求する考え方)であり、 この訴求欲望が深い人間が大国の指導者に選ばれてしまうと、戦争の危険性が一気に高まるという現実を、 21世紀の今、我々は見せつけられているわけです。  先の大戦から100年も経つと、 悲惨な経験も薄れてしまい、「またぞろ」力任せの強奪意識が芽生えてしまったのでしょう。   やはり人間と言う生き物は、《縄張り争いが本性》なのです。(2026.1.7)


 

平和を守る最も重要な手段とは

 パシフィズム(平和主義)だったイギリス首相ネヴィル・チェンバレン(*1)は、 ヨーロッパにおけるナチス=ヒトラーの台頭を放置しドイツに譲歩し過ぎた結果、 第二次世界大戦を防げなかった人物と評価されていますが、チェンバレンとしても、当時軍備増強が出来ておらず、ドイツと戦っても勝ち目はないと考えていたとされます。    力の信奉国家には、力でしか対抗できないのです。

 イギリスのチャーチルはチェンバレンの宥和政策(ゆうわせいさく・譲歩することで摩擦を回避していく外交政策)を厳しく非難、 ヒトラーとの対決を主張していましたが、チェンバレンの妥協と譲歩による弱腰外交により、結局はヨーロッパはじめ世界中が戦争への道を突き進んでいく結果となりました。

 ただ、チェンバレンは決して無能な愚か者ではなく、ヒトラーが約束した「これ以上の領土は求めない」は嘘だと見抜いていたとされます。  歴史家は 「もし英仏が強固な態度をとったらヒトラーは領土拡張を断念しただろう」としますが、現実問題としてそれは不可能でした。  ドイツは1938年の段階で多数の機甲師団を整備し、 数千機の最新鋭戦闘機を揃えていたのに対し、連合国側は軽装甲師団が主流であり、さらに戦闘機もイギリスの新鋭機は数は少なく、フランスに至っては時代遅れのシロモノが大部分だったとされます。

 これではドイツに太刀打ちできるはずはありません。 このような状況に置かれていたチェンバレンは、仕方なくドイツに膝を屈したわけで、当時のチェンバレンは軍司令官たちに 「空からのドイツの攻撃に対し、現在のイギリスに防ぎきれる力はない」と伝えていたとされます  しかし、その後ヒトラーがポーランドの一部割譲を要求してきたとき、 チェンバレンはヒトラーに宣戦布告し戦争に突入しています。

 そのときには、最新鋭のハリケーンとスピットファイヤ数百機が勢ぞろいし、対空監視レーダーも整備されていたのです。 チェンバレンを批判したとされるチャーチルも、首相の立場となったら戦争の経過を逐次チェンバレンに伝え、 外交問題について助言を求めたとされます。   戦争を抑止するためには、敵が容易に攻撃を仕掛けてこないよう強固な軍備が不可欠です。 2025年、 トランプに恫喝され北大西洋条約機構(NATO)は加盟国の国防費を「10年後にGDP比5%」にすることに合意します。

 2022年12月、日本は戦前の軍国主義への反省から戦後70年余り続けてきた、専守防衛に徹する「基盤的防衛力」から、反撃能力を保有する「脅威対抗政策」に切り替わるという、 安全保障政策の歴史的な変更に舵を切ります。   これは「無謀な戦争への反省でもあった基盤的防衛力構想の呪縛」から抜け出した、歴史的転換の瞬間でもありました。

 この背景には、着々と軍事力を拡大している中国の脅威があります。  以前であれば「憲法9条信徒」たちがこぞってこの転換に猛反発したはずですが、 今回は大多数の日本国民が反撃能力保有に「賛成」と考えたわけです。   アメリカがマッカッサー憲法の破棄を求めたという史実があります。

 『戦争は悪であり、戦争廃止を熱望し広く啓蒙すれば戦争はなくなる』と信じ、 『覇権主義をちらつかせる相手に宥和政策』をとろうとするパシフィズム(平和主義)は、 独裁者ヒトラーのような狂信者が登場すれば、いともアッサリと打ち破られてしまう、 という第二次世界大戦の教訓があります。

 リベラルを前面にだすタイプが指導者になると、 世界のアチコチに紛争が起こり、混沌さが増すといわれます。  世界の警察を返上した米国・オバマ前政権は、 北朝鮮の核ミサイル開発を阻止せず無策に終始し批判を浴びました。  中東でも目を覆うばかりの失策のヤマを築き上げるオバマの“戦略”を、 米紙のある著名コラムニストが 《抑制ドクトリン(ドクトリンは教義・主義)》と表現しました。  オバマは2014年のロシアによるクリミア半島への軍事侵略でも傍観政策をとり、 それが2022年2月24日のロシアのウクライナ侵略へとつながったとされます。

 その後共和党トランプ政権では世界に大きな混乱は起こりませんでしたが、民主党バイデンが政権を握った途端、2001年から20年間アフガンに駐留していた米軍は、 2021年8月大量の最新武器を放棄したまま完全撤退。  高性能な武器がそっくりタリバンの手に渡り、世界中のテロで使われています。  さらにロシアのウクライナ侵攻が噂されているとき、 「アメリカは手出ししない」と宣言、2022年2月24日にロシアが安心して軍事侵攻できるチャンスを与えます。

 バイデンはオバマ政権の副大統領だったときも、オバマでさえ許可した国際テロ組織「アルカイダ」のウサマ・ビンラディン容疑者の斬首作戦に、 中東が混乱するからという理由で反対した人物でした。  安全保障面でことごとく失敗しているのです。  お人好しでは一国の指導者は務まらない見本のような人物なのです。

 結局、絶対に戦争などを招かぬよう平和を守る最も重要な手段は、相手にわが国に戦いを挑もうとしてもムダだぞ、 と思いとどませる備えを普段から整えておくことです。   だからこそ国家、 国民の安全を確保する「国家安全保障」が国家の大事な戦略となるわけです。(2018.9.17)


 

「平和念仏主義」の日本

 司馬遼太郎氏は、憲法九条を守れば平和が続くと信じ込むことを「平和念仏主義」と呼びました。   「戦争はしない」という現在の平和憲法を守りさえすれば、日本はいつまでも平和な国でいられると頑なに信じ込む勢力が、21世紀の時代でも日本にはまだまだ多いのが現状です。

 しかし、自分の周りに「平和」というお札を張り、結界をめぐらしておけば外界からの災いから逃れられる、と考えている現状の日本の姿勢は、 日本の安全保障に神経質な国・中国を隣人とする日本にとっては、非現実的すぎます。    ロシアがウクライナに軍事侵攻したり、中国が台湾侵攻の機会を窺う現実世界では、「平和念仏」をいくら唱えようが、 「憲法9条は世界の宝」というプラカードを何本掲げようが、ご利益は期待できません。     平和を守るためには政治・外交・軍事全般にわたり、現実に立脚した施策が必要です。

 井沢元彦氏はこのような日本人の思考は「言霊信仰」が関係しているとしています。  ある出来事や事象を「口に出して」具体的な言葉にして発してしまうと、 実際にそれが実現するという信仰です。  日本人には昔から言葉の持つそのような作用を「言霊(ことだま)」と呼んでいました。    「口にしてしまうと実現する」わけですから、「口にさえしなければ実現はしない」。  したがって、 「起こって欲しくないことは言わない」ことで禍から逃れられると信じているわけです。

 日本の憲法は「平和というものは当たり前のものである。 もしくは、平和であり続けるハズである」ことを前提としています。  したがって「言霊信仰」民族としては、 非戦を謳う憲法に懐疑的だったり、悪口を言うということは、すなわち「平和を乱す行為であり、絶対許せない」となります。   「触らぬ神に祟りなし」というわけです。   だから、テレビで見かける 「憲法」を神のご宣託とする「護憲派」ともいうべきリベラル・コメンテーターたちは、 「口にしない限り面倒なことに巻き込まれることはない」というスタイルをとっていることを、別におかしいとは考えないのです。

 この手の連中が、《クマ被害多発、自衛隊出動でも憲法9条の規定もあり銃で駆除難しく 火器使用に厳しい制限》などと、わざわざ憲法9条を持ち出し、自衛隊を蚊帳の外に置こうとするのです。  そもそも、 9条は他国との関係においての不戦を規定しているだけですし、災害対策には自衛隊の活用が適用されます。  したがって《クマの駆除に関わる自衛隊の武器使用と、憲法9条の縛り》 はまったく関係ない話です。  それなのに、 日経新聞は「熊対策」にワザワザ憲法9条を持ち出し、 《自衛隊の武器使用を巡っては、憲法9条の規定もあり厳しく制限されています。  犠牲者数が過去最悪となるなか、どのような対応が可能なのでしょうか》 というリード文を投稿しています。

 このように、戦後の日本人に罪悪感を刷り込んだ「WGIP」による思想教育によって、 日本人の一部にはいまだに《武器使用・争い》といった名がつくものには病的に反発し、「起こって欲しくないこと」は、祈りで封じ込めようとするイデオロギーが染み付いているものがいます。  この行き過ぎた思想が 「口にしない限り面倒なことに巻き込まれることはない」という考えになってしまい、《中国サマには逆らってはイカン》という行き過ぎた非戦思考となり、 中国サマの顔色を窺う外交スタイル からいつまで経っても脱却できないのです。

 争いごとは避けたい「平和念仏主義」の日本人たちは、先の戦争の後遺症や戦後の左翼色の強い時代も関係し、つい最近まで 「自衛隊=軍隊」として「表に出てほしくないもの」というマイナスのイメージを持っていました。    それが数々の災害で自衛隊の献身的な働きを見せつけられていくうちに、左翼勢力の衰退もあってか、現在では日本にも自衛隊のような国を守る組織が必要不可欠である、 という現実路線の風潮になってきたのは喜ばしいことです。

 ところが、いまでもごく一部に「自衛隊は平和の障害となるので廃止すべき」などと主張する勢力がいます。   こういう連中は自分の周りに「平和」というお札を張り、 「平和という念仏を唱えてさえいれば、外界からの災いから逃れられる」といまだに本気で考えている「強固な言霊信仰信者」であり、 悪徳宗教団体に洗脳されてしまった信者のようなもので、救いようがありません。  そして、自分が住む地区が大災害に遭い、命の危険にさらされ、自衛隊が駆け付け救助してもらう体験をしない限り、 平和を守るにはどんな努力・体制が必要なのかという現実を認識できないのです。

 2025年11月7日、衆院予算委員会で高市早苗首相が、 『(中国が)戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうる』と答弁したことに、 中国が腹を立てる事態となりますが、例によって朝日新聞はまたしても日中対立を煽り、 日本の一部勢力は、《中国サマを怒らせる発言は慎め》、《踏み込んだ答弁を行うことはイカン》と 中国サマの顔色とご機嫌を窺い大騒ぎする事態が勃発します。

 平和憲法を守りさえすれば、日本は平和な国でいられると頑なに信じ込み、痛い目に遭わないと目が覚めない連中が、メディアや政治の世界に幅を利かしている現状では、 ある日突然ロシアに軍事侵攻されたウクライナのような立場に追い込まれない限り、 日本を自分の身は自分で守る普通の国にするための憲法改正など、夢のまた夢ということです。(2025.11.28)


「平和を望む」だけでは平和は守れない

 一昔前までの日本においては、野党はナントカの一つ覚えのように「安保反対」、「自衛隊は違憲」と唱え、テレビではコメンテーターと称するヒダリマキたちによる「平和を守れ」、「そのためには武器は不要」、「話し合えば分かる」とする 「平和念仏主義」が幅を利かせていました。  この勢力は「平和は何もせずとも訪れる」と信じ込んでいる 「憲法9条信徒」ともいえます。

 この手の「お花畑論者」たちは、日本は戦後何十年も争いとは無縁でこれたため、何もせずとも平和は維持できるものと勘違いし、 「平和は何よりも尊い」として国家を守る自衛隊さえ不要としていたのです。  ところが、近年では北朝鮮は核ミサイルを装備し何度も日本海に恫喝のミサイルをぶっ放し、 中国は尖閣諸島は自国領と主張して周辺を徘徊するようになり、さらには南シナ海も武力によって支配しようと、虎視眈々と機会をうかがう物騒な状況となり、 挙句の果てには、ロシアがウクライナへの軍事侵攻に突如踏み切るという驚愕の事態まで勃発します。

 サスガに、こんな事態となっては「お花畑論者」たちも、 これまでのような能天気な平和論を振りかざすわけにも行かなくなり、「自衛隊は不要」と正面切って唱えるオロカ者は、メデタイことにテレビからも放逐されるようになりました。    その昔、日本はごく一部を除き外国と交易することなく、300年も 「ダチョウの平和」を貪っていましたが、嘉永6年(1853年)の黒船来航によって、 明治維新へと大きく運命が転換していきます。

 当初は「攘夷(外国人排撃)」だとか「外国船を打ち払え」などと威勢だけは良かったものの、その後「馬関戦争【下関戦争・文久3年5月(1863年)と元治元年(1864年)】」や、 「薩英戦争【文久3年7月〈新暦: 1863年8月15日】」において、自分たちが到底太刀打ちできない西洋文明の力を目の当たりにして、 やっと自分たちが考えていた「攘夷」は無理だということに気づかされたのです。

 アメリカの歴史教科書のなかには、 「日本は二度アメリカに降伏した」と書いてあるものがあるといいます。   一つは1945年8月15日の大東亜戦争の敗戦ですが、 もう一つは1853年(嘉永6年)のペリーの黒船来航です。  ペリーの目的はアメリカ合衆国大統領国書を幕府に渡すことでした。  一度目は大人しく引き揚げていますが、二度めの1854年2月13日(嘉永7年1月16日)には、砲門を陸に向けいつでも火を噴けるようにしていました。   ペリーは日本の回答が得られなかった場合「祖国が侮辱されたもの」とみなし、いかなる結果を招こうがすべて日本側に責任があると言明しています。  まさに 「砲艦外交」の見本のような恫喝ぶりを示したのです。

 アメリカは優柔不断でノラリクラリと交渉を先延ばしする日本に言うことを聞かせるには、 話し合いではなく武力で威嚇して交渉すべきだと学んでいたのです。 ペリーの言い分を受け入れるしかなかった日本は、 関税の額や割合を独自にきめることもできず、外国人の犯罪を日本側で裁くこともできない不平等な条約を結ばざるを得ませんでした。 これは「最初の降伏」でした。

 薩摩と長州も外国との戦争で初めて、文明の差、つまり軍事力の圧倒的な違いという現実を突きつけられたのです。  薩摩はそれ以降、多くの留学生をイギリスに派遣し、 イギリス商人グラバーなどを通じ、戦艦や兵器の買い入れを行います。 長州も薩摩ほどてはなかったものの、やはり外国に留学生を送り関係を深めていきました。

 戦争と言う経験を通じて、やっと「このままではダメだ」という意識が強く植え付けられたわけで、それまで空理空論で突っ走っていたのが、 現実の前に理想論は完全にペシャンコにされたことで、 初めて己の限界に目覚め、ヒステリックな「攘夷論」ではどうしようもないことに気付き、対応策を考えるようになったのです。(2025.11.28)


 

日本人の「先を見通すのが苦手」な外交オンチぶり

 江戸幕府(1603〜1868年)は外国からの侵略を受けることなく265年間「時間が止まったまま」、天下泰平の平穏な時代が続きましたが、世界は 「植民地争奪戦」時代を迎え、白人国が虎視眈々とアジアに目を向け始め日本周辺にもキナ臭さが漂い始めます。

 そんな中、『海国兵談』の著者・林子平は、「海は世界中に繋がっており、外国がその気になればいつでも攻めてくる」と警告しますが、 相変わらず天下泰平の夢をむさぼる幕府は、「地方の学者風情が幕府に意見することなどけしからん」、「そんなことが起こるはずがない」と一蹴。   林子平は1792年に処罰されています。

 1792年、ロシア艦が日本人漂流者を返還するという名目で根室にやってきます。  当時のロシアはイギリスやフランスとの植民地争奪戦に後れを取っていました。   一説には当時のロシアは日本を植民地化するというより、シベリア開発のため日本を「食料調達」先として取引相手国にしたかったとされます。  これに対し老中・松平定信は、貿易の話は長崎で、 と体よく追い払います。  それまで幕府はオランダ・中国以外の外国船は受け入れなかったのですが、特別に長崎の入港許可を与えたため、気を良くしたロシアは一定の使命を果たしたとして引き上げていきます。

 しかし、その後松平定信が失脚。  幕府は再び外国船受け入れ拒否の態度に戻ってしまいます。  12年後、 再びロシア艦でレザノフがやってきますが、幕府にリーダーシップを取れる者はおらず、ロシアが持参した高価なプレゼントなどはチャッカリ受け取っておきながら、 半年間も長崎で待たせた挙句、ロシア皇帝の正式に友好関係を結びたいという丁重な国書を突っ返したのです。    さすがにロシアも失礼極まりない幕府の対応に腹を立て、根室周辺に放火したり暴れ回ったりして帰っていきます。  これは幕府の大失態でありロシアだけ責められません。

 その4年後の1808年、イギリス艦が長崎・出島に乱入するという事件が勃発します。  当時の日本は中国以外はオランダのみ貿易を許されていましたが、当時のヨーロッパは イギリス対オランダ・フランス連合という対立構造がありました。 そんな中、長崎港付近を航行していたイギリス艦フェートン号が、 なにを血迷ったかオランダ船から物資を略奪しようと、オランダの国旗を掲揚し堂々と長崎・出島に入港。    オランダ人を人質にして「飲食物を提供しないと人質を殺す」と幕府を脅したのです。

 イギリス艦と戦っても勝ち目のなかった長崎奉行・松平康英は、仕方なく要求に応じた結果、フェートン号は悠々と日本を後にします。  康英は幕府の面目を潰し申し訳ないと切腹しています。   これもあって1825年に「異国船打払令」が出されますが、それまでは不慮の事情がある限り日本に救助を求めれば、上陸は認めないが必要な物資などは与えるという人道的な対応はしていたのですが、 幕府はこのフェートン号事件がきっかけとなり、以降外国船に厳しい態度で臨むようになります。

 アメリカのモリソン号が来たのは、間の悪いことに「異国船打払令」が出された後でした。   当時のアメリカは太平洋で大規模な捕鯨漁を行っており、 来航目的は捕鯨の補給基地としての開港という穏やかなものだったのですが、幕府はこれを追い払ったのです。  この辺りが先を見通せない日本人の悪いところで、 そもそも、アメリカとイギリスは別な国であり、幕府もオランダ商館を通じアメリカがどんな国なのか情報は上がっていました。    当時のアメリカはイギリスの植民地から独立したばかりであり、アメリカはイギリスに対抗するため隣国である日本と友好的な関係を築こうとしていたのです。

 日本側としては、「日本の軍備が整うまでアメリカの力で乱暴なイギリスに対抗してもらう」ため、友好的態度のアメリカと仲良くするという手だてもあったはずだったのですが、 例によって先を見通すのが苦手で、前任者が決めたことは変えられない日本は、愚かにも大砲をぶっ放してモリソン号を追い払ってしまったのです。

 ところが、その後お隣中国がイギリスとのアヘン戦争で大敗し散々な目に遭ったことを目の当たりにした日本は、「異国船打払令」を急遽撤回、 補給を頼ってきたら必要なものを与える「薪水給与令(しんすいきゅうよれい)」を出したのです。  決められないのに変わり身だけは早いのです。

 そうこうするうちに、日本の浦賀(神奈川県)に見たこともない黒船が姿を現します。   この鋼鉄船2隻と木造の帆走船2隻の不気味な黒船艦隊は、 アメリカのペリー提督が友好通商、石炭と食糧の供給、難破民の保護を求める米国大統領フィルモアの国書を携えて来航したものでした。

 平和ボケしていた当時の日本人は、たった4隻、しかも最大の船でも2450トンというちっぽけな軍艦と、それに積んでいた小さな大砲に震え上がり怖気づき右往左往するばかりで、 海辺の人々は荷物をまとめ逃げ出す有様となり大変な騒ぎとなります。 先送りがお家芸の日本は、来年には必ずよい返事をするからとぺりーを誤魔化し、 なんとか帰ってもらったのです。

 幕末の1861(文久元)年、ロシアの軍艦「ポサドニック号」が対馬に侵攻し、芋崎半島に勝手に上陸して兵舎や工場、練兵場などを建て、略奪・拉致などの乱暴を働いた揚句、 芋崎の租借を要求してきます。 ロシアは優勢な武力をもって日本側を脅し、住民を懐柔したり、木材・牛馬・食糧・薪炭を強奪または買収して、着々と居座る準備を整えます。  これは「ポサドニック号事件」と呼ばれます。

 対馬藩内では対応を巡って、武力での排撃を主張する攘夷派と、紛争を避けようとする穏健派で論争が起こり藩内は混乱します。   幕府も外国奉行・小栗忠順を咸臨丸で対馬に急派して事態の収拾に当たらせますが、 ロシア側は一向に引く気配は見せず、武力では圧倒的に差がある日本側は為す術もありません。  この事件は最終的に、強大な海軍力を持つ英国が イギリス海軍の圧力による「ポサドニック号」退去を幕府に提案。  ロシアも形勢不利と判断し「ポサドニック号」はやっと対馬から退去したのです。

 この事件の背景には、ロシアとしては当時アジア一帯に広大な植民地を持っていたイギリスに先を越され、 対馬を租借されるのを恐れたことがあったわけです。 アジアを支配する英国にとっても、対馬にロシアが居座ることは看過できなかったのです。

 この事件は日本に侵略国家の軍事的脅威の恐ろしさを思い知らせた大事件でした。 弱小国家が侵略国家に一旦狙われたら最後、誰かの助けを借りなければ、 アッと言う間に強国の支配下に置かれてしまう、という現実を見せつけられたのです。

 後年日本はアメリカやロシアと「不平等条約」を結ぶことになるわけですが、当初ロシアもアメリカも日本を敵対視して開港を迫ったわけではなく、 あくまで対等な関係で友好を結ぼうとしたのであり、もし日本に知恵者がいれば、日本にとって有利なかたちで通商条約を結ぶ方策もあったのです。   それを大砲をぶっ放し追い払ったりしたから、「そっちがその気ならやってやろう」とアメリカ・ロシアが怒り、その後に長崎、下田、箱館、横浜などの開港や在留外国人の治外法権を認めるなどの 「日米和親条約」や「日米修好通商条約」、いわゆる不平等条約を結ばされる羽目になったのです。

 明治政府はこの「不平等条約」解消に苦労しますが、日清戦争後、日本の力を認識した西洋諸国は、もはや日本に対して不平等条約を結び続けることは不可能 であるとみなし大部分が無効となったのです。  また、朝鮮に対して欧米各国が結んでいた数多くの不平等条約も、1910年の日本による韓国併合によって大部分が無効となります。   力は不公平を解決する唯一の手段なのです。(2023.10.3 井沢元彦・『学校では教えてくれない 日本史の授業』参考)


 

「憲法」を神のご宣託とする「護憲派」

 日本は独立国家でありながら、憲法では「...戦力は、これを保持しない」として、非武装を規定している国です。  自衛隊は軍艦を持ちミサイルも戦闘機も有していて、 2025年版世界の防衛力ランキングではフランスに次いで8位となっています。 自衛隊が軍隊ではないというのはどう考えても詭弁なのです。

 つまり、現行憲法が現状と乖離しているのに、その異常な憲法を改正もせず、既成事実を無理やり現行憲法にあてはめようとしてきたのです。   しかし、 「憲法」を神のご宣託と捉えている「護憲派」は、「憲法改正」の"け"と言った途端、目の色変えて封じようとします。   まさにイスラム原理主義者を彷彿させる信仰心に凝り固まっているのです。

 この宗教的信念の根拠として、戦後、日本の惨憺たる敗戦を経て二度と戦争は起こさせないという国民の合意があり憲法が制定された、 という歴史背景があることは理解できますが、だからといって占領軍が無理やり押し付けた「アメリカに都合のいい平和憲法」を後生大事にし、 現状に合わせた変更さえもまかりならんとするのは、どうかしています。

 「護憲派」と呼ばれる勢力は、武器を持つことは許されず、相手が仕掛けてこない限り手も足も出してはならないと規定しているおかしな憲法を、 中国による海洋侵出によって日本の領土が脅かされている現状においても、一字一句も変えては成らぬと叫び、日本国民の安全より憲法を守ることを大事にしているのです。     本気で憲法は米国が与えてくれた理想の贈り物であり、戦争は話し合いで防げると信じ込んでいるのです。

 かつて日本社会党は「...日本が紛争の原因を作らない限り、他国から侵略される恐れはない...」と「非武装中立論」を唱え、それはいまだに「護憲信者」たちの聖書と化しています。  これは「反日的日本人」が最大の拠り所とした「反日的日本人の聖典、 三十二年テーゼ」とそっくり同じ構図で、人間は変わらない愚かな生き物であることを見せつけています。

 太平の夢を貪っていた日本が、明治維新に突っ走るきっかけとなったのは、武力で恫喝する黒船が来航したからです。  平和は突然破られるものであって、なんら根拠のない「非武装中立論」を、 いまだに信じ込む人間がいるというのは、到底信じられません。  ところがこの連中は、争いごとを避けるには「とげとげしい関係にならないよう、ひたすら服従外交に精を出して」 相手の言いなりになれと言うのです。

 1999年に社会党の村山富市を団長とした訪朝団は、拉致事件や不審船侵入、核ミサイル開発疑惑といった日本の安全に関わる問題には一切触れず、 ただ北朝鮮のいうがままに大量のコメを提供する約束をするという、とんでもない国辱をやらかしました。  これが「非武装中立論者」が唱える外交スタイルなのです。  2025年10月、高市早苗氏が総理大臣になり、それまで中国・韓国の顔色を窺うばかりだった日本も、やっと毅然とした態度を示す国に変わるチャンスが訪れます。

 面白いのが、中国に逆らうはずのない岸田や石破が総理に就任した時には、中国はすぐ祝いのメッセージを寄こしたのに、高市総理には無視します。  いかに 中国にとって手強い日本の指導者が誕生したかが知れる出来事です。

 中国と喧嘩腰で向き合う必要はありませんが、靖国参拝は認めないなどとおかしな言いがかりをつけてくる国に、唯々諾々と従っているようでは、いつまで経っても対等な関係は構築できません。    堂々とものを言える国になるためには、「非武装中立論」とか「平和憲法さえあれば戦争に巻き込まれない」とするオメデタイ勢力をのさばらせないことです。   そのためには高市氏のような当たり前のことを主張できる強いリーダーが必要なのです。(2025.10.30)


 

もう目を覚ませ、平和ボケ日本

 戦後、長い間戦争と無縁でいられた日本は、それは平和憲法に守られてきたからと勘違いし、そのため、すっかり平和ボケしてしまい、北朝鮮がミサイルを日本めがけぶっ放そうが、 尖閣諸島、小笠原諸島に中国の海賊漁船数百隻が押しかけ恫喝しようが、国会では安全保障などそっちのけで、ヤレ誰が金をもらっただの、口利きがどうのという、 国民の血税で給与を得ながら、どうでもいいことに時間を費やすという、 ばかばかしい漫画のような日本の政治と社会となっています。

 しかし、昨今は中国による東シナ海・尖閣諸島への進出や、台湾侵攻、南シナ海の実行支配を目指す動きが活発となり、 地域の安定を破壊しようとする動きを強めており、いまや一触即発の事態となりつつあります。  こんな中で、日本も従来通り日中の経済関係を維持しつつ中国で稼がせてもらいながら、 アメリカの軍事力に一方的に頼るという虫のいい態度が、いつまでも通用するはずはありません。

 日本はいままでのような中途半端な立ち位置でお茶を濁すような行動は、そろそろ許されなくなり、旗幟は鮮明にしなければならなくなったのです。  ただ、すっかり平和ボケしている日本は、 安全保障体制を現実的なものに転換しようとしても、さまざまな分野で制度欠陥が露呈し、まっとうな国防体制を整えるには、まだまだハードルが高そうです。

 その事例の一つに、「日本学術会議」の存在があります。  2020年10月、 「学者の国会」と呼ばれる首相所轄の特別機関「日本学術会議」において、推薦した新会員候補者105人のうち、 政府に批判的な立場をとり、「安全保障法制」や「共謀罪」に反対する学者6人を、 政府が任命から除外するという出来事が起こり、これにマスコミが一斉に批判する事態となります。

 しかし、平和を守る研究にブレーキをかけ中国には協力的(山谷えり子元拉致問題担当相)な学術会議は、 国民の血税10億円もの資金を使いながら、日本国内の安全保障分野の研究を否定する一方で、 2015年(平成27年)には中国の科学技術協会と相互協力の覚書を交わすという組織なのです。    平和ボケ日本は、根本からおかしなことになってしまっているのです。(2020.10.24)

 日本では交通事故で死亡者が出てやっと信号機設置などといった対策を行います。   ダメージコントロールが苦手であり、 「事が起きない限り予防処置にカネは出さない」のが日本民族の性格でもあります。

 いまはやっとメディアにも「自衛隊は廃止せよ」などと主張するノー天気な左巻きは見当たらなくなりましたが、「憲法改正は絶対反対」を唱える勢力は、いまだに少なくなく、 その連中は中国には逆らうな、韓国には優しく向き合えと叫び、日本がイザと言うときの反撃能力を備えることに反対し、名実ともに独立国家となることを阻止しています。

 しかし、いずれ台湾に中国が軍事侵攻し、沖縄まで戦争に巻き込まれる事態になったときになってやっと、ヒステリックな「中国には逆らうな論」ではどうしようもないことに気付き、 「平和を望むだけでは平和は守れない」という現実を突きつけられて、初めて国防意識に目覚めるのです。

 2022年2月24日、ナント、ロシアがウクライナに軍事侵攻するという驚愕の戦争が勃発します。  挙句の果てに、 なかなか首都キエフを陥落出来ないプーチンは核兵器使用までほのめかし、あわや第三次世界大戦の始まりかと世界を恐怖に陥れました。  現実の国際社会は、 とても日本共産党やヒダリマキが主張する「憲法9条があるから日本は安全」、などというお花畑理論が通用する世界ではないことを見せつけたのです。(2022.3.1)

 誰しも戦争など望みませんが、「戦争反対を唱えるだけでは平和は守れない」のも冷徹な現実です。  「左派」と呼ばれる人々は、誰かが 国防の強化を説けば「軍国主義への回帰だ」と非難しますし、 「右派」は「左派」を「平和ボケ」していると非難する......。   両者の間には埋めがたい断絶があります。    アメリカ合衆国初代大統領、ジョージ・ワシントンは、「戦争に備えることは、平和を守る最も有効な手段の一つである」、と唱えました。   平和は何もせずとも与えられるものではなく、果敢に作り出すもの、というのが現実なのです。(2025.10.28)


 

「熊対策」に憲法9条を持ち出す日経新聞

 2025年10月、クマによる被害が全国各地で相次いでいる中、秋田県の鈴木健太知事は防衛省に自衛隊の支援を要請します。  それについて日経新聞は 《クマ被害多発、自衛隊出動でも銃で駆除難しく 火器使用に厳しい制限》と題した記事を配信。 記事のURLと共に、《自衛隊の武器使用を巡っては、憲法9条の規定もあり厳しく制限されています。  犠牲者数が過去最悪となるなか、どのような対応が可能なのでしょうか》というリード文を投稿します。

 これに対し、《なんでクマに対して9条が出てくるんですか?まったく関係ないでしょう。 9条は他国との関係において不戦を規定しているだけで、災害対策には自衛隊法が適用されることくらい、 まさか知らないとでも言うんですか?》とする多くの声が寄せられます。 自衛隊元1等陸佐で、自民党の佐藤正久元衆院議員も、《クマの駆除に関わる武器使用と憲法9条は関係ない。  武力の行使と武器使用の整理がついていない》とします。

 日経は「憲法9条が獣害対策の妨げになっている」とわざわざ憲法9条を持ち出したわけですが、憲法9条と獣害対策における武器使用は全く別次元の話です。   たしかに憲法9条では“武力行使”は日本の存立危機が生じた場合、として厳しく制限されていますが、獣害対策を目的に武器を使用することは想定されていません。

 現行憲法を「神からのご宣託」、 「憲法九条は世界の宝」でもあるかのように擁護し、「熊対策」にもねじ曲がったイデオロギーぶりを発揮する 「憲法護憲派」ですが、彼らの主張は理想主義といえば聞こえがいいですが、その正体は排他的な子供っぽい、人類皆兄弟とする「お花畑論者」 たちが唱える現実を無視したタワ言です。 その昔、 「反日的日本人」が最大の拠り所としたものが 「反日的日本人の聖典、三十二年テーゼ」でした。 谷沢永一氏は 『三十二年テーゼは、日本人よ弱くなれ、とスターリンが日本にかけた呪いである』としています。    左翼日本人には「三十二年テーゼ」の毒はよく効いたのです。

 「護憲派」は現行憲法は善意の米国が日本人にくれた最高の贈り物だと信じ切っています。 朝日新聞など護憲マスコミも、日本国憲法は当時アメリカ軍のスタッフの中にいた 平和主義者たちが熱心に作ってくれたものと頭から思い込んでいるのです。 ところが、日本の平和憲法が理想なら、 米国憲法も戦争の放棄、武力は持たないと謳っているはずですが、決してそうはなっておらず世界一の軍事大国です。

 井沢元彦氏は、憲法第九条戦争放棄条項は、 マッカーサーが米国政府を騙して成立させたとします。 氏によれば、『...マッカーサーは日本という国を骨抜きにするために、 まず当時首相であった猪原に、完全非武装、武器を持つな(これは言うまでもなく武器を持っているアメリカの言うことを聞け、絶対逆らうなという意味です)と、強引に説得。 そのうえで本国には、 日本人がこれを望んでいるんだからしょうがないじゃないかということで、ペンタゴン(国防総省)つまりアメリカ軍ですら、 これはちょっとひどいんじゃないかと評価した丸腰憲法を、日本人に押し付けたということです)』、としています。

 これにワシントンも渋々従ったというわけです。 たしかに、マッカーサーは1942年3月、 日本軍に包囲されたフィリピンのコレヒドール島から命からがら脱出しており、 決して日本に融和的な人物ではなさそうで、 そのマッカーサーがプロデュースした『日本の「平和憲法」』なるものの正体は、 マッカーサーの「悪意」が込められている(井沢元彦 攘夷と護憲・幕末が教えてくれた日本人の大欠陥)』、のも当然かもしれません。

 というわけで、日本国憲法の成立過程からみても、 『現憲法を「平和憲法」と信じるに足る根拠などどこにもない』のです。 作家の百田尚樹氏は『....昭和60年代の終わりに、 ある日本の憲法学者がアメリカで当時の(GHQの民政局の24人の)メンバーを訪ねたところ、 生き残った十数人は「君らはまだあの憲法を使っているのか」と一様に言ったという。   草案をつくった本人たちが、あくまでも占領時の暫定的なものであるという認識で、まさか自分たち素人がつくったものを 40年間そのまま使っていたというのは驚きだったのだろう』、と述べています。

 そのアメリカが、「朝鮮戦争」勃発の際、「国際秩序を脅かす勢力を力で倒すことが日本人の責務」などとヌケヌケと言い放ち、 急ぎ再軍備して朝鮮戦争を戦えと命令した史実があります。 つまり、日本の丸腰憲法ではアメリカにとっても都合が悪いことが早速露呈したわけです。   しかし、硬骨漢・吉田茂は、「ヘンな憲法を押し付けておいて、今さら何を言う」とソッポを向き、現在の陸上自衛隊の前身に当たる 保安隊を発足させただけでお茶を濁しています。

 この際のウラ話として、当時、在日朝鮮人が連合国人になり、日本国内でやりたい放題の無法をやっていたため、 吉田茂は思い余ってマッカーサーに「全朝鮮人の強制送還」を頼みますが拒否されます。  それで吉田も反発したわけです。 さらに、ベナム戦争の直前、アメリカ副大統領ニクソンは、 「日本の非武装化を強いたのは米国だった。 過ちを素直に認める」と 「平和憲法」はアメリカが押し付けたことを明言し、 マッカーサー憲法の破棄を求めますが、この時も日本は拒否しています。

 現行憲法はアメリカの都合で作られた暫定版だった、という正体を知ってしまうと、「善意の米国が日本人にくれた最高の贈り物」などという発想は思い浮かびません。   護憲マスコミら護憲派がこのことを知っていながら、我が国の自衛権を放棄し、いつまでも丸腰のままにして、日本民族の独立を危うくする危険がある現行憲法について、 集団的自衛権の行使さえもまかりならんと問題視して、絶対に改正は許さないとしているのなら、マッカーサーの「悪意」と同様、 明確な「独立国家・日本つぶし」です。

 そんな、日本を中国に歯向かえない国にしておきたい勢力の思う壺にならぬよう、 政治家は憲法改正の必要性を国民に分かりやすく、道理を尽くして辛抱強く説明すべきです。  そのためには、いつまでも中国が押し付ける 「歴史認識」に支配された自虐史観に縛られず、払拭する必要があります。

 世界には軍隊を持たない国はありますが、それらはいずれも大国に牛耳られているか、周辺に安全保障上、脅威になるような国がない弱小国家であり、 そもそも軍備など持てない(持たされない)国です。 独立国家で日本のように憲法に「非武装中立」、「武力の放棄」を謳う国は存在しません。 「攻めない・加わらない」とする「永世中立国」のスイスも、 非武装どころか徴兵制度のある軍事強国です。

 もうそろそろ、日本人は戦勝国が押し付けた「日本悪玉論のまやかし」の呪縛から目覚めるべきで、 何も知らぬまま戦勝国の手先となって 「植民地支配という悪行に歯止めをかけた祖国・日本」 を批判しているバカバカしさに、もういい加減、気付いてもいい頃です。(2025.11.1)


「元寇」に見る、戦う力の必要性.....「文永の役」

 日本が他国により侵略され領土を奪われたのは、有史以来、大東亜戦争(太平洋戦争)における沖縄戦のみです。   侵略されたものの撃退したのは、 古くは元による侵略「元寇」、 近年では大東亜戦争終結後の1945年8月18日未明、無条件降伏を受け入れた日本に対し、 ソ連軍が日本領土の千島列島に上陸作戦を強行した2件のみです。

 元寇は1274年の「文永の役」と1281年の「弘安の役」2度ありましたが、追い払えたのは「神風」といわれる台風のおかげだ、 という説が一般的ですが、そもそも、「文永の役」は新暦11月後半の出来事であり、台風の影響はどうもなさそうです。   「弘安の役」においても、「神風」はあくまで「最後の一押し」に過ぎず、 いずれにせよ、向かうところ敵なしのモンゴル帝国の来襲を二度も撃退したということは、決して天祐でもまぐれでもなく、 蒙古人、漢人(中国人)、高麗人(朝鮮人)の寄せ集め部隊だった元軍(モンゴル軍)より、 戦いのプロである鎌倉武士の戦闘力が上回っていたことや、 台風を待ち決して上陸させない作戦を展開した北条時宗の戦略が勝因、という説が正鵠を得ているでしょう。

 「文永の役」では、九州に向かう元軍は途中で対馬・壱岐に上陸し、島民を虐殺したとされますが、男性のほとんどは殺され、さらに女性や子供は手に穴を開け、そこにヒモを通して船に鎖のように結ばせた(八幡愚童訓)、 というものから、「....殺害された人が18人。 連れ去られた人は116人である」というものまで被害規模は諸説あるようです。  対馬や壱岐に襲い掛かったのはもっぱら高麗人とされます。

 「文永の役」の戦いでは、結果として元軍を追い払ったわけですが、日本軍の一族郎党による小集団ごとに戦うやり方では、元軍が用いる一糸乱れぬ集団戦には不向きで、大分苦戦したようです。  また、 元側が使った武器で有名なのが手榴弾のように投げつける「てつはう」です。   鉄製あるいは陶器の器の中に火薬を詰め、つながった導火線に火をつけ投げ込み爆破させるものだったようです。

 「てつはう」は破壊力で敵を倒すというより、爆発の音で相手や馬を委縮させる程度の威力だったようで、中に金属片を入れたものもあったといいます。  実物は21世紀になり長崎県の鷹島(たかしま)海底遺跡から元軍船が見つかり、 「てつはう」の実物が3つ発見されています。  重さが約4kgといいますから手投げではそう遠くまで届かなかったはずで、被害についても不明ですが、日本軍は最初は相当驚いたことでしょう。

 戦況不利となった日本軍は、太宰府まで後退し反撃体制を整えようとしますが、ここでターニングポイントとなったのが博多湾沿いの平地を二分する「赤坂高地」です。    高地の確保は戦場における重要なポイントとされますが、ここの一部を日本軍が死守したため、博多正面に上陸した蒙古・漢軍と、 今津正面に上陸した高麗軍は戦力を統合できず、さらにこの高地をめぐる熾烈な攻防戦で矢を消費したため、元軍お得意の「圧倒的な矢数戦法」も使えなくなります。

 もともとユーラシア大陸を短期間で席巻した元軍の強さは、騎馬による機動力と一会戦で百万本単位の本数を消費 (一人の騎馬戦士が携行する矢は、遠射用72本近接用3本)するという圧倒的な矢の威力とされます。(真実の「日本戦史」家村和幸)  弓矢の威力については、モンゴル軍が用いたとされる短弓(長さ1.5m程度)は速射性に優れるものの貫通力が弱いため毒矢を用いたという説もあります。    対する日本側の長弓(2m以上)は、平安時代以降、弓の本体(弓幹・ゆがら)の表裏面に竹材を張り補強した伏竹弓(ふせだけゆみ)が作られるようになり、 強度が上がり威力は増したとされます。  弦を張るのも強弓は複数の人間の力が必要となり、 「二人張り」や「三人張り」が強弓の代名詞となっていきます。(武器で読み解く日本史 PHP文庫)

 一般的な長弓を引くため必要な力は30〜70sであるのに対し、弦掛けに3、4人必要な超強弓では100〜110s必要と推察され、こうなると威力と射程距離はかなりのものだったでしょう。   元軍の攻勢により退却した際、殿軍(しんがり)を務めた少弐影資(しょうにかげすけ)の放った矢は、追撃してきた元軍副司令官の胸を射抜いたといいます。

 もともと、鎌倉時代は弓と乗馬の技術が非常に重視され、武士の嗜(たしな)みとして騎射の技術を鍛える「騎射三物」を奨励していたとされます。  多数の犬を放し何匹射たか競う 「犬追物(いぬおうもの)」、馬を全力疾走させながら進行方向左手に置かれた3つの的を連続して射抜く「流鏑馬(やぶさめ)」、 左右、高低、大小と変化をつけた複数の的を馬で疾走させながら射抜く「笠懸(かさがけ)」の訓練を日々行っていたわけで、 決してモンゴル軍に引けを取るような弱い軍勢ではなかったのです。

 「文永の役」では元軍の運んできた軍馬の数は、軍船の数から1200頭ほどとされますが、船による侵攻作戦ではこうした軍馬の輸送や矢の補給は限界があり、 矢が尽きてしまえば元軍の継戦能力もそこまでです。    対する鎌倉武士は「重装長弓騎兵」であり、元軍も集団で突撃してくる重武装の日本軍を、 「騎兵は結束す」、「人は即ち勇敢にして死をみることを畏れず」と評しています。  元寇の戦況は書かれた書物により違いますが、 「文永の役」については騎馬兵なのに足場が悪く馬を下り戦った蒙古軍と、いやいや出陣させられた漢・高麗軍の寄せ集め部隊が、 日本軍による度重なる夜襲の脅威や、元軍副司令官が討たれたことで戦意を失い軍船に戻り、ついでに暴風雨を理由にして撤退した、というのが真相に近いのでしょう。(2022.3.9)

 モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハンとその子孫や部下たちは、中国全土を支配しただけでなく、北はモスクワ、南はベトナム、そして西はポーランドまで版図(はんと)を拡大。  一時はドイツとフランスに攻め込み、 これを領土にしかねない勢いで世界地図を塗り替えたのです。  西洋の騎士たちが団結してモンゴル帝国に立ち向かうものの、完膚なきまでに叩きのめされました。

 その後、モンゴル帝国の後裔(こうえい)の一国である元は東側にも侵略を試み海を渡って日本に上陸作戦を仕掛けたわけですが、なにより特筆すべきは、日本はそんな強大な敵を二度にわたり徹底的に叩きのめし、 追い払った唯一の国だという点です。   当時の日本の軍事力が世界的に見て高い水準にあったことがわかります。  その後時代は下り、日本は 日清戦争で「眠れる獅子」と呼ばれた清を瞬殺し、 日露戦争では「世界最強の陸軍国家」と恐れられたロシアに勝利したのです。   大東亜戦争においても、 連合国相手に戦争を開始して半年間は陸上戦では連戦連勝し、海戦 においても相手を凌駕していたのです。(2023.9.13 プレジデントオンライン 引用)


「弘安の役」.....鎌倉武士の勇猛果敢な戦いぶり

 「文永の役」のあと、北条時宗は、博多湾の沿岸に「元寇防塁(石築地)」という石の防塁を作らせ、さらに、博多湾などの沿岸を警備する「異国警固番役」を九州の御家人に任じ、 元軍上陸を簡単に許さぬよう十分な防衛体制をとり、元軍の再来襲に備えます。

 「文永の役」から7年後の1281年5月、とうとう東路軍(高麗軍が中心で、兵船900隻、総勢4万余)と、江南軍(旧南宋軍が中心で兵船3500隻、総勢10万余)が、 二手に分かれ日本に押し寄せる蒙古襲来となります。  これは「弘安の役」と呼ばれます。

 先陣の東路軍は5月21日、途中対馬・壱岐を襲撃し島全体を制圧します。  本来であれば東路軍は壱岐島で江南軍の到着を待ち、合流して九州へ侵攻する予定でした。  ところが、 江南軍は諸事情により5月下旬時点では出航すらしていなかったのです。

痺れを切らせた東路軍は、江南軍を待ちきれず、6月6日単独で博多湾侵入を試みます。

しかし、砂浜に沿って延々と続く高さ2〜3mほどの石累(せきるい)は、馬では簡単に越えられず、日本軍の待ち構える正面へ上陸したごく一部の兵は、たちまち撃退されてしまいます。

結局元軍は正面突破を断念し、湾の外れ、陸と繋がっている志賀島の南側に上陸し、香椎(かしい)、箱崎方面へ進出しようとしますが、 隘路の海の中道で日本軍との遭遇戦となります。

 日本軍は「文永の役」での戦いで元軍の集団戦にも慣れ、既に元軍の戦法はある程度理解しており、正確な弓射で次々に元軍兵を射抜きます。  しかも、 元軍が使う諸刃の剣と比較にならない鋭い切れ味の日本刀を振りかざし突撃してくる日本軍の勇猛果敢さに、動員され決して戦意の高くなかった高麗兵や漢人兵は圧倒されます。

 ここで二日間の激戦となりますが、元軍は撃退され船上に逃げ帰り、そこで江南軍の到着を待ちます。  が、江南軍はなかなか到着しません。     一方、報奨金目当てでやる気満々の鎌倉武士たちは、元軍が一向に上陸しようとしないため、小舟をしつらえ次々に湾内の元軍軍船に切り込み攻撃を仕掛けます。

 鎌倉武士たちは投鉤や打鉤を投げ帆柱を倒し、敵船に雪崩込み、片っ端から元軍兵を切りまくったといいます。   この日本軍の執拗で勇敢な昼夜に渡る洋上襲撃による白兵戦は、 元軍兵に底知れぬ恐怖心を与えます。

 元寇で戦った日本刀は実戦ではあまり有効ではなかった、などという話もあるようですが、鎌倉時代は「日本刀の黄金期」とされますし、 また元側の史料にも身を守る防具を簡単に断ち切る日本刀の威力を「倭刀はきわめて鋭い」としています。  そもそも、 近接戦闘で最も有効とされる日本刀が使えなかったら、元軍が恐れた奇襲攻撃は誰もやらなかったでしょう。

 散々な目にあった元軍は壱岐まで非難しますが、ここでも日本軍追撃部隊による船団急襲を受けてやむなく平戸まで逃げ、7月2日になってやっと到着した江南軍と合流します。     10万とも言われる江南軍の合流により日本軍は不利な立場に追い込まれたわけですが、江南軍はなかなか攻撃行動に移らず、 およそ一ヶ月ほど膠着状態が続きます。

 これを見た日本軍は、洋上夜襲や船舶焼き討ちを執拗に繰り返します。  船に何十日も閉じ込められた挙句、襲い掛かる日本軍に対し狭い船上では「弓」も「てつはう」も使えず、 集団戦法も使えないとあっては、「一騎打ちが得意の鎌倉武士」が、恐ろしい日本刀で切りまくってくる白兵戦で、元軍に到底勝ち目はありません。     さらに元軍の船では疫病も流行り、3000人あまりの死者を出す始末です。

 いずれにせよ、広大な大地で縦横無尽に暴れまわり陸上戦では敵なしだった元軍ですが、慣れぬ長期航海と長い洋上待機で気力・体力はすっかり失っていました。    たとえ上陸できたとしても日本の複雑な地形では得意の大規模な騎兵戦は封印されてしまったわけで、果たしてどれほどの機動力を発揮できたかは疑問です。

 元の連合軍は食料も尽きつつあり、このまま座して死を待つよりは、と悲壮な決意を固め、閏8月1日に総攻撃をかけようとします。  が、その前日(1281年7月30日)夜に暴風雨が発生し、 港をうめつくしていた4千艘以上の元軍船は、砦の代わりとして船同士を繋げていた為にぶつかり遭い、あらかた沈没するという大打撃を受けたわけです。   かろうじて生き残った元船に対しても、 日本軍は小船で乗りつけ徹底的な残敵掃討を繰り返します。

 その結果、「弘安の役」では14万の元軍が押し寄せたとされますが、高麗史では元軍の死亡率は8割以上、生き残り兵2万足らずという無残な敗北を喫したのです。   迎え撃つ日本軍兵力は、 「文永の役」では来なかった関東からの助っ人御家人も加わり、総勢6万5千人くらいとされますが、直接対決した博多防衛軍は4万ほどで、残り2万5千は中国地方に回されています。

 この時期2か月も台風の通り道の海上に留まっていたら、台風の一つや二つは確実にやってくるのは当然だったわけですが、結局、台風が来なかろうが 防塁は元軍得意の騎兵戦を封印するのに非常に効果的であり、上陸を許さなかった作戦と鎌倉武士の奮戦ぶりを見ると、結果は同じだったでしょう。    なにせ船による侵攻作戦では、上陸して確保しない限りいずれ積み込んだ食料は尽きるのですから。(2022.3.9)


 

イザとなったら相手を蹴散らす「強力な抑止力」

 戦争は誰しも望まぬ愚かな行為であり「良い戦争」などあるはずもないのは確かです。 ただし、暴走国家による国家主権や国民生命の危険から断固守り抜くため、 やむを得ない「正しい戦争」はありえます。

 なぜ戦争になるのか.....それは脅威となる相手との勢力均衡が破綻したときです。 中国の軍事費は1988年比で約50倍、2007年比でも3倍に膨張しているといわれます。 「隠れ軍事費」ともいえる科学・先端技術開発費を含めれば、驚異的な増強といえます。

 21世紀初頭において、中国はこの莫大な軍事費を背景に南沙諸島数カ所の環礁を埋め立て、いくつもの海洋基地を軍事拠点とし、 言論・経済の支配力を強めつつ、いずれアジア全域はおろか全世界を中国共産党の影響下に置くことを目指しています。

 このような情勢の中、国際社会は拱手傍観(きょうしゅぼうかん・手をこまねいて何もせず、ただそばで見ていること)しているだけです。  この事態を放置したままでは、 いずれナチス=ヒトラーのような、力で他国を侵略するならずもの国家の台頭を招き、第三次世界大戦の悪夢が現実となるかもしれません。

 年収の高い人も家族が増え資産が増え、護るべきものが多くなれば、家のセキュリティにお金をかけるようになっていきます。  国家も「国の資産と安全を守るため軍事を発展させる」、 ことが必然です。

 強力な抑止力を備えているからこそ他国から侵略される危険を回避できます。 日本は「戦争がしたい国」でも、 「戦争をする国」でもない、 イザとなったとき相手を蹴散らすことが出来る「戦争ができる国」に進化しなければなりません。(2018.9.17)


   

力の信奉国家には、力でしか対抗できない

 1995年、フィリピンで米軍が撤退しようとしたとたん、中国はフィリピンの領土であるミスチーフ礁という島に上陸し、中国漁民を守るためと家を強引に建て、 南シナ海はわが領海と宣言しました。  2013年、オバマ大統領は「アメリカは世界の警察ではない」と発言しました。 その数か月後、クリミア半島はロシアの手に落ちます。

 2015年9月、習近平国家主席は米中首脳会談後の共同記者会見で、中国が南シナ海で進めていた人工島建設に関して、「軍事化の意図はない」と発言します。  しかし、オバマ大統領の弱腰ぶりに乗じ、 中国はその後、人工島を軍事拠点化していったのです。

 当時、オバマ大統領との「約束を破った」との声が米政府内で高まり、中国に対する信用度は大きく損なわれましたが、米国が中国に強く抗議することはありませんでした。 現大統領のバイデン氏は、 オバマ政権で副大統領を務めていました。  そのバイデン氏の、今後の対中政策が注目されます。

 歴史に学べと言われますが、力を信奉する国家は、相手が引くと見るや、かならず侵略してくる、というのは世界の常識です。 だから血で血を争う長い戦争の歴史を持つ欧州各国は、 抑止力としての軍隊の重要性は骨の髄までしみ込んでおり、どんな小国にも必ず軍隊は存在します。

 わが日本も、隣国に力の信奉国家・中国という暴走国家が存在しています。 その中国が、今猛烈な勢いで周辺各国の領土・領海を侵略しつつあります。 日本周辺でも、東シナ海の尖閣諸島において中国は、 ガス田開発にかこつけた海上プラットホームの建設を行い、ミサイル発射装置を配備し、無人機を含む航空機の離着陸が可能な「洋上基地」を計画しているとされます。

 2027年は中国軍創設100周年ですが、中国人民解放軍はそれまでにアジア太平洋地域で米軍と均衡する軍事力を確保することが目標とされています。  そうなれば、 いよいよ中国による台湾侵攻は、確実とされます。  日本にとっても、そんな事態となれば、マラッカ海峡が閉鎖されて中東の石油が入ってこなくなり、タダでは済まなくなります。(2021.3.23)

 
  

毅然とした対応が抑止力となる

 実は、過去にも中国と同じように、国際ルールを無視した独裁国家が一方的に領海を宣言し、一触即発の事態となった事件が起きました。     1981年と1989年に起きた《シドラ湾事件》です。

 リビア北部には地中海に面して広大な湾(シドラ湾)が広がりますが、リビアは1973年以降、この湾全域を自国の「領海」と一方的に定めます。

 しかし、米国はリビア「領海」は22キロ圏内であり、他の海域は公海として航行の自由が認められると譲らず、 リビアに圧力を加える目的で空母機動部隊を当該海域に派遣して演習を行ないます。     1981年8月19日、その挑発に乗ったリビアは、米軍部隊に空軍機を接近させます。

 上空には、敵機を早期に要撃すべく米海軍機2機が《戦闘空中哨戒》で待ち構え、空中戦がおきます。 リビア軍機は2機とも撃墜され、米軍機は無傷でした。

 1989年1月4日にも同じ戦いが起こりましたが、又しても米軍機の損害ゼロ、リビア軍機は全2機が撃ち落とされます。 これにより、リビアは領海宣言を撤回することになります......
(当時の米国大統領・ロナルド・ウィルソン・レーガン 任期1981年1月20日〜1989年1月20日)


世界の警察を返上した米国

 世界中から非難を浴びようと、南シナ海を自国領海であると強弁し海洋基地建設に突き進む中国ですが、 2015年10月、やっとアメリカも重い腰を上げ、たった1隻ですがイージス駆逐艦「ラッセン」(9200トン)を 中国が「領海」と主張する人工島の12カイリ(約22キロ)内に派遣したと報じました。

しかし、1隻ではそれほどの効果はないでしょうし、ほとんど島が要塞化されつつある現状では遅すぎた感があります。

 やはり、オバマ大統領の弱腰外交がここまで事態が拡大してしまった遠因なのでしょう。
これで、オバマ氏が遺す最大の政治的遺産は、「アメリカが世界の警察官」だった栄光の歴史を返上し、「海洋強国建設」→「中華民族の偉大なる復興の実現」という 中国の野望を加速させた張本人、ということになりました。

 中国の覇権主義が最大に膨張したときに、たまたまアメリカ大統領がオバマ氏だったことは、のちのち東アジアの不安定化が拡大したとき、大いに悔やまれるべき歴史のめぐり合わせだった、 苦い記憶となるでしょう。      もしオバマ氏が強力なリーダーシップがとれる指導者だったら、 今度の中国海洋進出をアメリカはやすやすと許さなかったかもしれません。  中国の野望を加速させたオバマ大統領の責任は重大です。

 オバマ氏の弱腰外交はそれだけに留まりません。 2013年、内戦が激化したシリアのアサド政権が、化学兵器を使えば「レッドライン」を越えたと見なし、 断固たる懲罰軍事行動を加える、とタンカを切りました。

 ところが、オバマ氏はイザとなったら、「アメリカは世界の警察ではない」、「軍事介入はしない」、と演説し、議会に対シリア攻撃権限の承認を求めたのです。   米軍最高司令官たる大統領の政治決断の責任を、議会にも負わせる、というオバマ流弱腰外交姿勢を晒してしまったわけです。   これは米国大統領による近代稀な戦略的失敗とされ、ロシアによるシリア介入を招きました。

 リベラルを前面にだすタイプが指導者になると、世界のアチコチに紛争が起こり、混沌さが増す、というのは真実のようです。

 米紙のある著名コラムニストが、中東でも目を覆うばかりの失策のヤマを築き上げるオバマ氏の“戦略”を、 《抑制ドクトリン(ドクトリンは教義・主義)》と表現しました。


軍事大国化する中国にどう対峙していくか

 2018年現在、中国は経済力を背景に多額の軍事費により中国空母戦力や潜水艦戦力を着々と増強させ、 日本にプレッシャーを与えています。

 ロイターは、日本が現在直面する軍事的脅威は直接的には北朝鮮のミサイルかもしれないが、中長期的な視点に立てば、 急速に軍事力を強化している中国こそが最大の仮想敵国だとしました。

 これに対し日本政府も「いずも型護衛艦」の空母化や艦載機F35Bの導入などに加え、水陸両用装備やドローン偵察機の導入、より長距離から目標を叩くことのできる武器弾薬の装備などが急務としています。

 しかし、急拡大する中国の軍事力に追従して真正面から軍拡競争をするのは現実的には無謀ですし財政的にも不可能です。 やはり米軍と連携しつつ、 中国がいずれは内部対立や経済の低調によって弱体するのを待つしか道はないでしょう。

 先の太平洋戦争では、強大な米国から経済戦争を仕掛けられた日本が、生き残るためやむにやまれず戦いに打って出て、 やがて敗れていく運命を辿りました。   軍事力を備えた中国が、あの時の米国のように、この先いつ日本に対し無理難題を突きつけてくるかわかりません。

 軍事大国化する中国にどう対峙していくのか、ジッと我慢して脅威が過ぎ去るのを待つ、といった精神論では、現実の脅威に対抗しきれないのは先の戦争の教訓でも明らかです。   はたして、日本はどこまで耐えられるでしょうか。(2018.8.7)


  

南シナ海での米中紛争は起こらない

 「サラミ戦術」によって中国が南沙諸島を強固な軍事拠点としてしまった今、 もはや世界は中国に強力な軍事的圧迫を加えるどころか、中国が着々と手にしてしまった東アジア地域、とりわけ南シナ海での軍事的優勢を切り崩すことは容易ではない状況になっています。

 いまや、米海軍が南シナ海でFONOP(Freedom Of Navigation OPeration:「航行の自由作戦」)を実施すると、 それに対して中国は「アメリカの軍事的脅威からの自衛」を口実にして、 ますます西沙諸島や南沙人工島の軍備を強化する、というイタチごっこが続いている状況です。

 米軍関係者の間でも、中国が巨費を投じて創り出した人工島海洋基地から中国軍を撤収させるには、米中戦争に打ち勝つしか選択肢はない、 ということがもはや常識となっているとされます。

 トランプ政権や米連邦議会、それに米軍当局が、アメリカの領土ではない、取るに足らない極東アジアの「ちっぽけな環礁」(それもほとんどのアメリカ人が知らない場所) を巡る紛争に介入して、 米中戦争に突入する意思決定を下す公算などゼロに近いわけです。 米中戦争の危険を冒してまで南シナ海にアメリカが本格的に軍事介入する可能性は ゼロと考えねばならないのです。

 日本の国防関係者の一部には、「いったん敵に島嶼(とうしょ《島・は大きなしま、嶼・は小さなしまの意》大小のしまじま)を取らせて、 しかる後にその島嶼を奪還する」というアイデアを口にする向きがあるといいます。

 しかし、いったん占領されてしまったら、多数の長射程ミサイルが日本を射程に収め、日本全土に降り注ぐ状況下となります。 いったん取られた島嶼を取り戻す方策は存在しない、 と考えるべきです。(2018.8.8 msnニュース 【南シナ海の教訓、中国に取られたらもう取り返せない】 引用)


  

変化する米国の対中国政策

 第二次世界大戦後、マッカーサーは米上院聴聞会での証言で、「過去100年に米国が太平洋地域で犯した最大の政治的過ちは 共産勢力を中国で増大させたことだ。  次の100年で代償を払わなければならないだろう」と述べたそうです。

 過去アメリカの戦略は西太平洋を米国のコントロール下に置くため、中国に対して南シナ海に防衛ラインを築き、 南シナ海を中国が支配しようとすれば断固これを叩くべき、というものでした。

 しかし、近年中国は西太平洋とくに中国近海において猛烈な勢いで海軍力を増強し、対艦ミサイルなどの配備を強化しています。   このままアメリカ軍がそれらを上回る軍事力、防衛力を維持しようとするならば、膨大なコストを負担しなければならなくなる、という従来の防衛政策とは異なる見方が米国内に出ています。

 中国がアメリカ本土に攻撃を仕掛けてくると思うアメリカ人はほとんどいないわけで、こんな中、なぜアメリカ軍は多額の負担をかかえ西太平洋でプレゼンス(軍事的な"存在")を維持する必要があるのか、 世界第二位の経済大国・中国を挑発せずビジネスパートナーとしてうまく中国とつき合っていけばよいではないか、と米国民が考えるのは当然です。

 習近平主席は、「アジア人のためのアジア」を標榜し、アジアからアメリカを排除すべきと主張しています。    2017年トランプ大統領訪中の際、中国ビジネスで巨利を得たキッシンジャー氏は、もっと中国の立場に寄り添って考えろと トランプ氏にアドバイスしたと言われます。

 大統領も含めアメリカの国益よりビジネスの利益を優先する勢力が実権を握る米国内の現状では、いつまでも米国頼りのままでは日本はいずれ中国に抗えない国になってしまいます。    中華民族復興を掲げる習近平は、日本民族の評判を落とすため日本悪辣説(櫻井よしこ氏)を今後もますます周知徹底させてくるはずです。(2017.12)

 米国はしたたかな国ですから、中国が力をつけてきた現状ではいたずらに刺激せず、日本をアメリカの被保護国のまま中国への警戒砦とする一方、 中国と米国はユーラシア大陸の同盟国として、仲良く発展していく方向でアジアをコントロールしていくはずです。

ブレデンスキー氏は米中同盟論を唱え、米国を「グローバルパワー」、中国を「地域的パワー」と位置づけ、 米中両国はともにユーラシアでお互いを必要とする関係を構築し、いずれ自然と相手同士を同盟国とみなすに至る、と述べたそうです。

そのため、日本は「文民国家」としてこの先もずっと米国の被保護国となり、おとなしく平和を唱えていればいいのであって、中国と対抗する軍事パワーを持つような動きは困る、 と氏は考えているようです。

 2016年11月の米国大統領選挙で共和党のドナルド・トランプ候補が大方の予想を裏切って勝利を飾りました。  オバマ政権下で政治膠着(こうちゃく)と腐敗に失望していた米国民でしたが、不満が高まり過ぎると、人々は独裁的要素を持った主導者を待望するようになる、 という過去の例にもれず既存の政治家にない実行力を期待し、創造的破壊者としてトランプ氏を選んだわけです。

 日本はそのような動きを捉え、アメリカのプレゼンス低下は自分たち自身で補っていくという選択に迫られます。   そのためには、過去の日米二国間同盟から、中国に対峙するアジア周辺各国と連携した多国間連携という新たな防衛体制を構築するとともに、中国や北朝鮮の動向次第では 軍事支出の大幅な増大を迫られることになっていくでしょう。(2016.11.13)


パシフィズム(平和主義)の危険性

 2018年5月に来日したフランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッド氏は、「なぜ戦争になるのか。 それは勢力均衡が破綻したときだ」として 日本の核武装の必要性に言及しています。

 氏はソ連崩壊や米大統領選のトランプ氏勝利などを「予言」したことで世界的に著名な方で、自らを「フランス人の左派かつ平和主義者で、戦争は嫌い」としていますが、 「再武装をしないことが戦争の近道になる」のだから「隣に拡大する勢力があるのなら、再武装するしかない」という考えです。

 北朝鮮はいくら世界中が止めろと叫ぼうが、核を搭載できるミサイル開発を止めず、何度も日本周辺にミサイルをぶっ放しています。  核ミサイル戦の脅威は、2国とも壊滅するとの考え方(相互確証破壊)が基礎にあり、そのため互いは容易に核戦争に踏み込めないわけです。  北朝鮮は一刻も早くその手段を手に入れアメリカと対等の立場になろうと必死なのです。

 中国は、いくらわが国の領海だと警告しても無視し、尖閣諸島や日本周辺の海域において領海侵犯を繰り返し、一触即発の事態が続いています。   いくら話し合いが大切だと唱えようが、無法者は相手が弱いと見なせば武力で襲い掛かってきます。  元寇でモンゴル帝国をはねつけた北条時宗のような、 毅然とした対応をとれる国家だけが独立国として生き残れるのです。

 いま囁かれているのは北朝鮮が核弾頭搭載の弾道ミサイルを実戦配備するなど核兵器による攻撃能力を持つ前に、軍事的攻撃で核を無力化しようという「予防戦争」です。   「米国の政策の目標は、今後より強力になる北朝鮮による偶発的核戦争のリスクを除去すること」、という声が日増しに高まっています。(2017.12.19)

 2018年5月、何を仕出かすか予測不能のトランプ大統領に空爆されるのを恐れたか、 北朝鮮は突然米朝対話の用意があると言い出しました。   6月12日にシンガポールで首脳会談の予定とのことですが、 ただし金正恩のこの動きは決して平和のためのものではないことを知っておく必要があります。

 案の定、16日には北朝鮮は米韓合同軍事演習「マックス・サンダー(Max Thunder)」を理由に、同日予定されていた南北高官級会談も中止。  首脳会談を中止する可能性があると警告します。

 例によってお得意の揺さぶりをかけ会談を有利に運ぶ腹つもりでしょうが、お調子者のトランプ大統領と「東京をミサイルで火の海にする」と脅かす冷酷な独裁者の話し合いから、 本当の平和実現に向けた道筋がみつかるのでしょうか。(2018.5.16)....その後、米朝首脳会談は一旦中止になりましたが、無事(?)開催されています。


 

日本は中国に蓋をする防波堤

 この地図で一目瞭然ですが、ユーラシア大陸側の中国、ロシア、北朝鮮から見た日本列島は、太平洋に進出しようとする共産主義国家に対し砦・防波堤の役目を果たしています。
海洋進出を図る国からすれば日本列島が長い壁として存在しているわけです。

 2017年、北朝鮮による核ミサイル連続発射実験の際、北朝鮮に対し世界中が制裁処置で石油輸出停止などの経済封鎖をかけましたが、中国は裏でこっそりと石油を提供し続け、 北朝鮮から物資を買い続け、支援は止めませんでした。

 中国にとって北朝鮮は身内であり、アメリカにとって砦の役目となっている日本と同様に、中国の防波堤は北朝鮮なのですから手放す気など無いわけです。

もし現状(2015)でアメリカが日本・沖縄から撤退してしまえば、虎視眈々と東アジア・西太平洋地域支配を企てている中国が、恫喝外交のキバを剥き始め、 あらゆる手段で地域の主導権を握ろうとするのは間違いありません。   周辺諸国に暗雲が立ち込めつつあります。

 米国がこの地域から手を引けば、日本も中国の動きに対応するため、社会保障費を削り軍備の拡充に努めざるを得なくなります。     そうなるとロシアや韓国も、中国や日本がこの地域の覇権を確立するのを黙認するはずはありませんから、極東で大変な軍拡競争が起き、 必ず一触即発の事態が勃発します。

こんな悪夢を回避するには、やはりアメリカが地域安全の重石となっている、 という現実を受け入れ安全保障のパートナーとして米国とはこれからも仲良くする道が最善なわけです。

在日米軍の存在は、極東地域の紛争予防にとって今や必要不可欠となっており、
もし日本から米軍がいなくなる事態になれば、極東が新たな紛争地域になってしまう........
という悪夢のシナリオも決して夢物語ではなくなります。


イザというとき、アメリカに助けてもらえる?

 中国が東アジア地域を支配しようと虎視眈々と日本周辺にも食指を伸ばしつつある昨今、我々日本人にはナゼか、いざ日本が他国から侵略攻撃を受けそうになったとしても、 アメリカ軍が日本を守るため前面に出て戦ってくれる、というイメージがあります。

 しかし残念ながらそんな甘い考えは通用しないようで、イザというときに後方支援ぐらいはしてくれるかも知れませんが、あくまで正面で受けて戦い血を流すのは日本国民、 ということは覚悟しておかなければなりません。 もし同盟解体となれば軍事バランスの均衡は崩れ「米軍が日本から撤退すれば、 すぐにでも中国は尖閣に上陸する」事態も起こりえます。

 さらに、激動する世界情勢の最中、アメリカがこの先いつまでも嫌中親日の立場をとり続けるかは誰も分かりません。   いつ米国が日本を見限り、対中国政策を見直すかは予測不可能なのです。

 中国がアメリカ本土に攻撃を仕掛けてくると本気で考えるアメリカ人はほとんどいないわけで、なぜアメリカ軍は多額の負担をかかえ西太平洋でプレゼンス(軍事的な"存在")を維持する必要があるのか、 それより世界第二位の経済大国・中国を挑発せずビジネスパートナーとしてうまく中国とつき合っていけばよいではないか、と米国民が考えるのも無理はないのです。

 日本人の誰しもが争い事は好みません。 ましてや戦争に結びつく他国との争いなど毛頭望みません。  戦争などもってのほかですが、 しかしいずれ尖閣諸島や沖縄を日本から奪おうと跋扈する中国に対して、「武力行使」が禁じられたままの現行憲法がそれに対処していないのなら、 紛争拡大前に手を打てるよう憲法改正しよう、という動きが出るのは当然のことです。

 付和雷同型で他人任せの好きな日本人は、『戦うより外交努力で話し合えばいいじゃないか...』、などと発言する能天気な輩もいますが、外交とは片手に棍棒(武力)を持った話し合いであり、 相手と同等以上の強い棍棒がなかったら、相手は好き勝手に自分のやりたいようにやるだけだ、というのが国際常識です。

 『そのために日本はアメリカと安保条約を結び、用心棒代も払っているからドンパチはまかせておけば』、という意見も楽観的過ぎます。     どこに自分で戦おうともしないヨソの国の民族のために、真っ先に自分たちの血を流す軍隊があるでしょうか。   そもそもアメリカは日本を防衛するため日本に駐留しているわけではないのですから。


日米安保条約......瓶の蓋理論

 「瓶の蓋理論」とは、米国の一部で安保条約の必要性を相手に訴える際にしばしば言及される言葉です。 かといってこれは安保条約の恩恵を受けている日本を利する意味で使われるわけではありません。  敵対する相手に日米安保条約を納得させるための都合のいい論法なのです。

 この言葉の背景には、『もし米軍が撤退したら日本は軍備を強化する。  日米安保条約はその日本の軍国主義化を封じ込む蓋である』、という考えがあります。

 沖縄は1972年(昭和47年)5月15日に日本に返還されましたが、日本に返還される前の沖縄には米軍の核兵器が配備されていました。

 1971年7月、中国を極秘訪問したキッシンジャーは、周恩来首相から『沖縄から核兵器が撤廃されたら、今度は日本が核武装するのでは』と問われた際、 『日本に核武装させるわけはない。 我々が日米安保条約を堅持する理由は、この条約によって日本の軍国主義化を封じ込めるためだ』、と米国の都合のいい論法で煙にまいたとされます。

 周恩来首相は、『米国が沖縄を日本に返還すると、米軍は沖縄から撤退するのでは』、と本気で心配していたといいます。  平和国家の我々日本人には不可解なことに、 当時中国は日本が再び軍国主義化することを極度に恐れていたわけです。  この考えは日本の軍事力に敏感な今の中国でも根強い考えかも........。

 たしかに、アメリカでさえ日本の敗戦後、アジアにおいて欧米列強国が繰り広げていた帝国主義の終焉を早めさせたこの忌々しい日本に対し、 この島国の連中が再び戦いの場に出て来れないよう武力を持つことすら禁じる、新日本国憲法を作ったほどですから、 日本という国は油断ならない相手だったのでしょう。(2018.7.9)


武力行使できなかった日本

 日本の敗戦後、アメリカの思惑で作られた憲法により制定された、 「戦力は保持せず....国の交戦権は、これを認めない」、というシバリのため、たとえ中国・北朝鮮から武力攻撃を受けようが、 自衛隊を保有していても余程のことが無い限り抵抗は一切出来ずにいました。

 2017年現在、尖閣諸島周辺の東シナ海においても、「尖閣諸島領有権問題」、「ガス田の権益確保」などで中国軍と自衛隊がにらみ合っており、 中国軍が海上自衛隊のP3C哨戒機に速射砲の照準を合わせ、撃墜の威嚇行動を取るなど、 本来なら即交戦状態となる挑発行為を平気で仕掛けてきています。

あの連中は、日本の自衛隊が法整備の不備により武器の使用が制限され、自分たちに絶対手出し出来ないことを承知の上で、 やりたい放題のフザケタ行動をしています。

自衛隊員たちは、自分が撃たれてからでないと応戦出来ない、という現行憲法の縛りで、 命の危険に晒されながら危険任務に従事している現状にあるわけです。 (現代戦では、先に相手から攻撃されてしまえば、生き延びるチャンスはまずありません.....)

このまま中国に好き勝手な挑発行為を許しておくと、いずれ調子に乗った連中の行動がますますエスカレートし、やがて偶発的な発砲騒動から戦いの火蓋が切られていく、 という恐ろしいシナリオが現実味を帯びてきます。

「日本を自主独立の強い国にさせない」、というアメリカの目論みで作られた、世界に誇る平和主義憲法の金科玉条である「国の交戦権否定」、「武力行使は出来ない」規則が、 回りまわって中国の脅威に対する手かせ足かせとなり、「集団的自衛権」の問題がアメリカとの共同作戦に影を落す、というホントに困った現状になっているのです。

せっかく優秀な装備を持った自衛隊なのに、領土領海を脅かす中国軍のやりたい放題の横暴に何の対抗処置も取れない、という今の情けない現状を打開し、 一触即発の事態を起こさせないためにも、一刻も早い憲法の見直しと法整備が必要なのではないでしょうか。   日本もやっと、徐々にではありますが有事立法の整備が整備されつつあります。

国際貢献のため海外に派遣されるようなった自衛隊ですが、徐々に現実に対応できるよう法整備が進んでいます。       テロ特措法武器の使用基準も、自分や自衛隊員を守るためだけでなく「自己の管理の下に入った者」にまで広がりました。


ご都合主義の政治家が多すぎる

 自民、社会、さきがけの"自社さ政権"が成立し、首相となった社会党の村山富市氏は、 野党時代には自衛隊は憲法違反と散々訴えておきながら、首相に就いたとたん党の憲法解釈をひっくり返し、 自衛隊は合憲だと明言しました。(平成6年7月の衆院本会議)

 立憲民主党は、2018年12月から工事に着手した米軍普天間飛行場の移設先である名護市辺野古埋め立てに反対しています。  しかし、枝野氏は旧民主党菅直人政権時代、官房長官・沖縄北方担当相として途中入閣し、「内閣としての(辺野古移設の)方針はしっかり進める」、 と記者会見などで繰り返し表明し辺野古移設を容認していたはずです。

 枝野氏は23年2月14日の記者会見でも、「高い機動性や即応性を持った海兵隊が沖縄にいることが抑止力につながっている」、との認識を示していました。   平成26年11月の沖縄県知事選では辺野古埋め立て承認への評価が争点となりましたが、その際民主党県連代表だった喜納昌吉氏が承認撤回を掲げて出馬したのに、 「県民を混乱させ、党の信用を失墜させた」などとして除名処分の手続きを取り仕切ったのは当時の枝野幹事長でした。  辺野古移設に反対したものは許さなかったのです。

 そんな枝野氏ですが、彼は2018年8月29日の党沖縄県連の設立以降「辺野古反対」を政策の重要な柱と位置づけ、「このまま基地建設を続行する状況ではないという判断に至った」と明言し、 「辺野古反対」に豹変(ひょうへん)していきます。

 その枝野氏がいまでは、「安倍政権になってから沖縄の理解を得る努力も進んでいない」、と大見得を切り、国民民主党の玉木雄一郎代表は「民意を踏みにじるもので、強い憤りを感じる」と主張し、 辺野古沿岸部の埋め立てに抗戦を続ける構えをみせています。  枝野氏は那覇市で会見し過去との整合性について「立憲民主党は新しい政党だ」と開き直っています。

 自分達が政権を握っていた鳩山由紀夫政権では、無責任な約束で沖縄県民の感情を振り回した沖縄の信頼を取り戻すことはできず、普天間移設や、 それと事実上セットになった他の米軍基地・施設の返還はまったく進みませんでした。   そんなことは棚に上げ、「安倍政権になってから沖縄の理解を得る努力も進んでいない」、と主張しています。

 旧民主党政権下で辺野古移設を容認した面々も、いまではシャアシャアと沖縄県に歩調を合わせているわけですが、政権担当時の自分たちの無策を棚に上げて政権批判ができるのはどういう神経でしょうか。

 現安倍政権は沖縄との関係を修復し、慎重に手順を踏んで仲井真氏による埋め立て承認を導いています。  移設計画の前進に伴い、米海兵隊北部訓練場(東村、国頭村)の半分以上にあたる約4千ヘクタールの返還など沖縄の基地負担軽減も進んでいます。

 ところが枝野氏は現在では「海兵隊の役割がこの5年で大きく変化した」とし、米国との交渉次第で辺野古の工事を止めつつ普天間返還が可能になると説くのですから、 ご都合主義もいいかげんにしてもらいたいものです。(2018.12.24 THE SANKEI NEWS 引用)

 変わり身の速さだけがミゴトな政治家は日本国に必要ありません。  風雲急を告げる中国との関係や、老齢化社会への対応が急がれる昨今、日本の安全保障について真剣に政策を考える真っ当な政治家の出現が望まれます。


本土決戦による一億総玉砕への道

 万が一の戦いに備えるといっても、平和ボケたちのいう専守防衛では意味がありません。  一億総玉砕を唱えた大東亜戦争のときでさえ、 米軍上陸が計画され日本本土が戦場となる寸前、 それを回避するため日本はアメリカに無条件降伏しました。

 日本国内で戦ういわゆる「本土決戦」の事態になってしまえば、本当に「一億総玉砕」の事態に陥る恐れがあるからこそ、 軍人たちの猛反対があっても天皇陛下の英断で「本土決戦」を避けたのです。   日本という国が地球上から消えることを恐れたのです。

 万が一の戦いにおいて、敵を迎撃・殲滅するのに国内まで黙って誘い込むバカはいません。  敵は可能な限り本土より遠方で迎撃するというスタンドオフ攻撃(後述)が戦いの常識であり、 国民の被害を最小限に食い止めるやりかたです。  「本土決戦」=「一億総玉砕」は絶対に避けなければならないからです。

 2015年4月に改定された、日米防衛協力のための指針=新ガイドラインでは、《自衛隊は、日本を防衛するため、弾道ミサイル防衛作戦を主体的に実施する。 米軍は自衛隊の作戦を支援し補完するための作戦を実施する》  とされています。  全面戦争を除く《弾道ミサイル防衛作戦》においては、日米《共同作戦》の下、自衛隊が《主体》となる、というわけです。  もう米軍は日本の代わりに敵基地攻撃する役目は放棄したのです。

 これで日本国土を守るのは日本の自衛隊しかいない、という現状に日本は立たされました。  安全を他人任せにすることはもう許されず、自分の身は自分で守るしかなくなったのです。

 平和ボケが続く日本では、今回の安保法制改正は、"日本を戦争のできる国にする"ことに繋がる、と反対する勢力がいますが、平和ボケたちと無理心中する気はありません。

 中国の侵攻意図を未然にくじき、海洋国家として生き残るためにも、日本国民の安全を確保するため安全保障には大いに力を注いでもらいたいものです。(2017.12)


国際貢献に不可欠な軍事力

 従来、日本は戦争の放棄・戦力の不保持という平和憲法に守られ、世界中で繰り広げられている紛争とは無縁の世界で生きてこれました。

 しかし、1991年の湾岸戦争勃発の際、各国が多国籍軍として人員や資金供出で貢献した中、日本は自衛隊を派遣しなかったことが世界から非難されます。     さらに日本が約130億ドルもの財政支援をしたにも関わらず、戦後クウェート政府が出した感謝広告、「クウェート解放のために努力してくれた国々」、 の中にjapanの名前はありませんでした。

 「金を出すだけでは世界は認めてくれない」、「自分の国さえ平和であればよいとの一国平和主義の考え方では、わが国の平和を守ることができない」、 という厳しい現実に直面した日本は、以後、国連の平和維持活動に積極的に参加していきます。

 後方支援・復興支援としては、1991年(平成3年)ペルシャ湾に自衛隊派遣したことを皮切りに、 2001年(平成13年)燃料補給などの後方支援に自衛隊派遣を可能とする法律、「テロ対策特措法」が成立しインド洋へ派遣。

  2004年(平成16年)〜2008年(平成20年)はイラク復興支援。  2010年(平成22年)までは「新テロ対策特措法」により再びインド洋派遣されるなど、 海外派遣を徐々に拡大してきました。

 国際連合平和維持活動(PKO)としては、1992年(平成4年)自衛隊をカンボジア派遣。   1993年(平成4年)モザンビークなどその後も世界各地に派遣を拡大します。   また、難民救援活動として、ルワンダ紛争、アフガニスタン紛争、イラク戦争などに空輸部隊も派遣しています。

 それ以外にも、国際緊急援助隊在外邦人輸送海賊対処災害派遣などの様々な活動を展開。  いつの間にか自衛隊は世界各地に派遣されるようになりました。    ただし、いまのところ戦闘行為は行わない、武力紛争に巻き込まれてはいけないという前提のため、戦闘地帯には入らないことになっています。

 外交のルーツとしても不可欠な軍隊ですが、政府や外務省の中にも当然、「外交のツールとして自衛隊を使いたい」という考えはあるわけです。    2015年、歴代内閣の憲法解釈を変更する形で集団的自衛権の行使を容認する法案が成立することになりました。


  

海外派遣で自衛隊員が戦闘に巻き込まれる?

 昨今は、国際情勢の変化により、自衛隊が国際援助の名目で戦闘地域に派遣されるケースが増えて来ました。
(国連平和維持活動(United Nations Peacekeeping Operations:国連PKO)

平和ボケ、当事者意識欠如、事なかれ主義の政治家がまだまだ日本には大勢いるようで、一昔前なら日の丸を掲げ武器を携行した自衛隊が海外で活躍するなど、 左巻きの連中などは想像もできなかったでしょう。

   気がかりなのは、「武力行使は出来ない」、という現行憲法をヘタにいじってしまったら、普通の軍隊と同じになり、 国際協力で戦闘地域に海外派遣された場合、自衛隊も戦闘に巻き込まれてしまうのが当たり前になりはしないか?、という懸念が出てきます。

今まで、「武力行使」を放棄していたからこそ、海外派遣では日本の自衛隊は武力紛争に巻き込まれる恐れが少ない地域を中心にして、 救難、輸送、土木工事などの後方支援(兵站)業務だけを担ってこれました。

 憲法の縛りにより、武力を行使できない平和主義憲法で守られていたからこそ、自衛隊は過去国際紛争の戦闘に巻き込まれることもなく、 幸いなことに誰一人戦闘による死者を出さない(残念ながら、自衛隊員以外のPKO要員の尊い命が失われてしまいましたが....)、 という世界でもまれな軍隊組織でした。

他国の侵略を受けた場合、日本が防衛するためには足かせになってしまう現行憲法も、自衛隊の海外派遣任務に関しては、戦闘に巻き込まれる危険性を回避できる、 それなりに有意義な憲法でもあるわけです。

 それはともかく、問題なのは「日本を自主独立の強い国にさせない」ため「軍事力行使」 が厳しく制限された平和主義憲法により、派遣される隊員たちの生命が危険にさらされていることです。

昔、自衛のための機関銃を持たせるか、持たせないかで大騒ぎした政党がありましたが、こんな不毛な議論を大真面目にやっている国は日本だけでしょう。
憲法の制限と、愚かな政治家たちの思惑のため、万が一の戦闘に巻き込まれた場合にも、対応できる十分な自衛装備を持たせられないまま、 隊員たちが危険地域に派遣されている現実があるわけです。

 軽武装、貧弱な装備で派遣されるため、万が一敵の攻撃を受けた場合、自分たちの身を守れるか不安を感じた隊員もいたかもしれません。
自衛のため、身の安全を確保させるためにも、憲法を整備し十分な武装を与えて派遣させることが必要ではないでしょうか。


  

これからは当たり前になる?............「駆け付け警護」

 駆け付け警護についても内閣法制局はこれまで認めてきませんでしたが、このところ風向きが変わってきたようです。(2015.3)

自衛隊から離れた場所にいる他国部隊や国連職員が襲撃された場合に救援する、というのが「駆け付け警護」ですが自衛隊が駆け付けた先に「国家に準ずる組織」がいれば、 憲法が禁じる「海外での武力行使」に当たる恐れがある、という理屈で認められてこなかったわけです。

しかし、駆け付け警護ができなければ自衛隊を守ることもある他国軍が襲撃された場合であっても、自衛隊は知らぬ顔をしなければならないことになり、 国際社会からみても信頼が失われることになる、ということで「駆け付け警護容認は当然の判断」、とされてきたようです。

 ただ、「駆け付け警護」を一旦認めてしまったら、紛争地域では一歩間違えば自衛隊員たちが激しい戦闘に巻き込まれる危険性が一気に高まります。
 2016年7月、南スーダンの首都ジュバで発生した大規模な戦闘への対応で、現地に展開する国連平和維持活動(PKO)部隊のオンディエキ軍司令官が、 市民保護の任務を果たさなかったとの理由で更迭される事態が起こりました。

この事件は政府軍兵士が宿泊施設に侵入し、約70人の国連職員や援助関係者らに対し略奪や暴行、レイプなどを行い、現地人ジャーナリスト1人が殺害されたというもので、 救援要請を受けたPKO司令部は繰り返し部隊の出動を求めたが、PKO幹部の指揮命令系統の乱れや部隊のリスク回避の姿勢によって適切な対応を取ることができず、 「各部隊は手いっぱいだとして要請を拒否」したことで被害が拡大したようです。

 もし「駆け付け警護」が自衛隊に認められてしまったら、救援要請があれば隊員たちはこんな場面に勇猛果敢に飛び込んでいくしかないわけで、 恐ろしいことですがこれからはPKOで派遣される自衛隊たちから犠牲者が出るのが当たり前、という世界になるかもしれません。

  
  

日本式の国際貢献を

 「日本は、文民や他国部隊の警護等といった、他国部隊であれば国連PKOにおいて当然実施できることすらできない」、という意見もありますが、 武力行使だけが国際貢献ではありませんし、他国の軍隊に真似出来ない優れた技術力があります。

1993年(平成5年)9月、カンボジアに派遣された「日本施設大隊」は、優秀な技術と真面目な態度から、カンボジア国民やUNTAC、関係諸国から高く評価されました。

ある国の内乱が収束後、世界各国にはODAで道路や橋など社会インフラの整備が割り当てられるそうですが、日本が造った道路は揺れが少ないのですぐわかるのだとか。
やはり我々日本人にはどんな場面でも一切手抜きしない、というもって生まれた優れた国民性があるのです。

 1994年(平成6年)9月から12月までの間、ザイール共和国のゴマなどに派遣された自衛隊の医療部隊は、2ヶ月間に延べ2100人の治療と、約70件の手術を行ないました。 治療を受けた住民からは、『日本人は患者を親切に迎え、丁寧に治療してくれます。 医薬品についての知識も豊富で、とても効果的な医療品や設備を持っていて信頼できます』 と感謝されました。

海外派遣任務といっても、日本は武力行使の前面に立ち戦闘行動で国土を荒廃させるより、無政府状態で荒廃した地域の秩序を回復し、 道路整備や医療支援をして経済を復興させるくれるほうが、その国の国民にとってよほど有難いはずで、そのための手伝いに汗を流すべきです。

日本は武力を使わず人を傷つけない』、『日本はインフラ整備など平和的な方法で貢献してくれる』、 というイメージが広がれば、「不戦の平和主義憲法を持つ日本ならではの国際貢献」、が世界中から評価されるでしょう。

 中国の進出が危険視されている現状で安保体制の見直しを急ピッチで進めようとしていますが、敗戦直後には「日本は敗れたが、これを復興するには科学技術をおいてほかはない。  科学技術をもって人類に貢献し、世界の人々が日本を抹殺してしまわないでよかったと思うような日本に立ちなおろうではないか」と当時の賢人たちは考えました。

日本は当時列強による植民地支配が横行していた世界を一変させる、という人類史上でまれに見る偉業を成し遂げた国で、敗戦後は平和主義を頑なに堅持してきました。  敗戦直後の日本人たちは誰しも「戦闘が日常化するような国には絶対にしてはいけない」、と考えたはずです。

自衛のための戦闘といいつつ、いつのまにか米国に軍隊パートナーとして取り込まれてしまい、やがて世界各地の紛争地域に自衛隊が進出していくのが日常茶飯事になってしまう、 という悪夢は絶対に避けなければなりません。


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(*1).....チェンバレンの宥和政策の是非

チャーチルは著書『第二次世界大戦回顧録』の中で、「第二次世界大戦は防ぐことができた。宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、 その後のホロコーストもなかっただろう」と宥和政策の失敗を述べている。

一方、近年のイギリスでは「チェンバレンは宥和政策で稼いだ時間を、軍備増強のために最大限有効活用した。これがなければ、イギリスは史実よりさらに不十分な軍備のまま開戦し、 ドイツを叩き潰すどころか史実よりもさらに苦境に追い込まれ、極言すればスピットファイアなしでバトル・オブ・ブリテンを戦う(そして敗れる)ことになっていただろう」という肯定的な意見もある。 (Wikipedia)



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