千葉勝胤(ちば・かつたね) 1471〜1532?

下総国佐倉千葉氏。千葉孝胤の子。千葉介。下総国本佐倉城主。
延徳4年(=明応元年:1492)頃に父・孝胤より家督を譲られた。
千葉氏は享徳の乱に連動した内訌において、庶流の馬加康胤が古河公方・足利成氏の支援を得て千葉氏嫡流の千葉胤直を圧してより成氏との友好的関係を維持していたが、文明9年(1477)に孝胤が成氏の政策に反発して長尾景春と結んだことから不和となっていたが、勝胤は成氏の孫である足利高基足利政氏足利義明の分裂抗争(永正の乱)を機として古河公方との関係修復へ転換を図り、重臣で岳父の原胤隆が、足利義明を推戴して上総国に勢力を伸ばしていた武田恕鑑と対立していたことを受けて、足利高基派に与した。
永正6年(1509)頃、輪覚と号す。鷺山城(別称:公津城)に隠居したと伝わる。
享禄5年(=天文元年:1532)5月21日に死去。62歳。没年を天文2年(1533)、享年63ともいわれる。