上原元秀(うえはら・もとひで) ?〜1493

細川政元の内衆(近臣)。上原賢家の嫡男。通称は神六。別称を物部元秀。左衛門尉・左衛門大夫。
文明14年(1482)、細川政元の守護領国である丹波国の守護代となる。
長享元年(1487)9月、父・賢家と共に9代将軍・足利義尚の令した近江六角高頼征伐(鈎の陣)の先陣を勤める。
明応2年(1493)閏4月、足利義澄の擁立を目論む政元の命を受け、10代将軍・足利義稙を奉じて畠山義豊(基家)征伐に出陣していた畠山政長を討ち、義稙を捕えて帰京し監禁した(明応の政変)。
これらの功績に政元は元秀に細川名字(姓)を与えて報いようとしたが、他の内衆の反発によって撤回されたという。
同年10月、京都細川邸の門前で政元の内衆・長塩弥六と喧嘩を起こし、弥六を討ち果たしたが自らも重傷を負い、11月18日に死去した。