出雲のことばと生活 6
出雲弁は暮らしの中で使われ継承されてきました。
貴方の出雲弁を綴ってみませんか。
【ソーダ村の村長さんが・・】
悪童の会話の中で、だれかが「そげだ(そうだ)」というと、その言葉尻を直ぐとって、この地口歌(語呂合わせの歌)を一斉に高唱した。 ソーダ村の 村長さんが ソーダ飲んで 死んだー そーだ そーしきまんじー(葬式饅頭) まかった(美味かった)そーだ 子供にとってはこれがなによりもうれしく、葬式の済むのを今か今かと待ちわびたものだった。 f-k[加茂]
f−kさんよくごぞんじでしたね。60年前のこと そーだ そーだ ソーダ村の 村長さんが ソーダ飲んで 死んだー そーだ あんましおかして ぽん(へ)がぬけた 平田ではこういってました。なつかしいいですね。 岡[平田]
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「たないけ」 たないけは 小さな池 野良帰りの農具を洗ったり、種籾の浸漬等に使いました。 森山[湖陵]
中山[大社]
共通語での説明が難しいのですが、強いて言えば「籾種を浸すなどのために、家周りに設けた小池、堀り池」とでも言えるのでしょうか。 これも出雲の【たないけ】と同じものであろうと考えられます。 f-k[加茂]
雨水を溜めたような池は種籾を「かやかし」たり、鍬や手足を洗ったりします。 きれいな湧き水は野菜など洗いました。いずれも屋敷内か近くにあるので防火用水も兼ねたとおもいます。 私の生まれ育ったのは中山間部で、山からの湧水に恵まれていて、隣近所みな井戸は「たないけ」のようなもので、「たないけ」と違うのは落ち葉が入らないよう簡単な屋根がしてありました。釣瓶で汲み上げる堀井戸にたいして【ぼつけえど(未確認)】と言います。 水道の普及で利用されなくなりましたが、水質がよく今もお茶用に利用されているところもあります (参考) 森山[湖陵]
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「くちのついたもんは かたくちもえらん」 終戦前後、この頃のようにペットとしてでは無く、子供たちの小遣い稼ぎにウサギの飼育が流行りました。 軒下に石炭箱(リンゴ箱)を横にして並べ、前に開き戸と割り竹か金網を張った飼育箱で飼いました。 雌を飼い繁殖させて育て毛皮(戦時中は飛行兵の防寒用)や食肉用にします。 ときたま我が家の鍋にもはいりましたが、結構な小遣いになりました。 当時の農家は農耕用として牛を飼っており、年中休みも無く朝昼晩とその世話は大変なことで、これ以上に増えると困るからです。 結局一切の飼養管理は子供の仕事で許可が出ました。 【かたくち】 森山[湖陵]
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【さえならさんかくまたきてしかく・・・】
悪童たちが遊び疲れて家路につくとき、誰かが「さえなら(さよなら)」といった途端、お別れの挨拶代わりに、みんなでこの歌を高唱しました。
全国的な連想あそび歌で、「ウサギ」または「カエル」まではほぼ一緒ですが、その後は土地柄、時代背景によって様々なバージョンに変化します。 f-k[加茂]
「〜青いはバナナ バナナはもげる もげるは(放送禁止用語)」 「〜青いはバナナ バナナは高い 高いは二階 二階はおぞい おぞいは先生 先生は偉い 偉いは天皇陛下 ばんざーい」 児玉[横田]
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「おーつけ」 今日,母と茶のん話のなかで,ちけもんの話になり,「おおつけ(おおちけ)」という言葉がでました。 意味は浅漬けの反対でしっかりと漬かったものという感じです。 坂本[加茂]
4斗樽に米ぬか・塩、それに丸ごとの大根を敷き詰めて、はで木の先に重し石をぶら下げた、梃子(てこ)の原理を利用した重しで漬け込みました。 f-k[加茂]
というのも、梃子(てこ)の原理で大根つけを作っているを見たら、つけもんだるの中におながじがわいとって、それ以来もうまったくすべてのつけもん、および付けもんくせものがくえんのです。 おーつけならぬ、おーがつくもんでした。 遠藤[大東]
あるいは、浅漬に対して[手間隙かけて漬け込んだ漬物]程度の意味かも知れません。 f-k[加茂]
本格的につけることを おおつけ と言っていた と思います。 たくさんの干した宮重大根を一冬越すための食料として漬けるわけですから それこそ母も本気で やることも いつものつけものより 大仕掛けだったように記憶しています。 児玉[横田]
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「ごろたの木」 出雲大社の裏山に沢山植えられており、戦時中その実から油をしぼっていました。 北島さん(出雲国造家の一つ)の山には油を採るため 沢山植えられていたそうです。 ごろたの木から採取した実から油を絞って 番傘や提灯に塗り、紙の強度を高めました。 松井[大社]
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「かまとり」(カラスガイ) 「かまとり」は川にいる黒い大きな2枚貝です。どべちゃのなかにいるので手でほぜくって取りよく吐かせてから煮て子供の頃食べました。うまかったです。いまでも沼地によくいます。 岡[平田] 子供の頃、醤油麹をつくるため、大量の大豆や麦を大きな釜で煎りました。 煎りあがると「かまとり」と言う道具で取り込みます。 「かまとり」=道具と言っても大きなアワビかカラスガイです。 農作業で手指が節くれだった、グローブのような手を「かまとーみたいな手しちょうな」と言われたものです。 六十年ぶりに聞き、思い出した言葉です。 最近は見ませんが神西湖周辺や、山間部の溜池にはバカデカイのがいましたが、カラスガイと言いますが同種ではないでしょうか。 カラスガイで検索していて開いたページが、偶然に県のホームページでした。 驚いたことに、島根県及び環境省の「準絶滅危惧種」に指定されていました。 当地でも最近見ませんね。 森山[湖陵]
以前話題になったと思いますが、私も、十数センチのを焼いて食べたことがあります。 焼ける臭いは、まことに良いし味も悪くないですが、とにかくしわかったと記憶しています。 ゴムを噛んでいるような食感でしたから、あまり食べられなかったのかもしれませんね。 松尾[湖陵]
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「出産・育児」
<妊娠〜出産> 【まごごしらえ】孫拵え。祖父母が孫のために用意するさまざまな贈り物 【おびえわぇ】帯祝い。妊娠5ヶ月目に安産を祈って岩田帯をするときの祝いごと 【めやしんなる】見易くなる。容易になる。転じて出産する・安産する 【おぼぎ】うぶぎ(産着) 【できた】途端に嫁の実家では【まごごしらえ】の準備が始まる。 その初っぱなが【おびえわぇ】に贈る祝い餅や晒し布。 晒し布は岩田帯として、犬の安産にあやかって、戌の日に巻いた。 当時の出産は嫁ぎ先で行うのが一般的で、産室は【なんど・納戸】を充て、産気づくと産婆さんを呼んで一切を委ねた。 出産を終えると「めやしん なった」と、安産をよろこんだ。【おぼぎ】も【まごごしらえ】の一つであった。 f-k[加茂] 【おとどまり】《名》出産前の里帰り 金本[東出雲]
【ちーけやき】ちりけ(身柱)焼き。小児の「ひきつけ・かん(癇)の虫」封じのお灸 【しちや】七夜。出産後7日目の名づけ日 【なびらき】名開き。名づけの祝い。【しちや】に行うのが一般的 【みやみゃー】宮参り。忌明けに行う初宮(氏神)参り 【くいぞめ】食初め。生後100日目に行うのが一般的 【す】語源は「巣・栖」か。赤ん坊を三角形のおむすび状に布団でくるみ座らせた 【こおい】子負い着物。赤ん坊を背負った上に羽織る着物。 昔の出雲では生後2〜3日目に、赤ん坊の頭のギリギリ(つむじ)に【ちーけやき】をする慣わしがあったようだ。 2日目なら2つ、3日目なら3つの灸をすえたという。 しかし、1943年生まれの弟には行わなかったから、その頃には生後直ぐの【ちーけやき】の習慣は薄れ、子供のしつけ矯正兼用のお灸に代わり、すえる場所も背中や尻の上部に代わったようだ。 【しちや】には、子の名前を記した和紙を床の間に張り出し、実家の両親や産婆さんを招いて【なびらき】のお祝いを行った。 男の子31日、女の子33日の忌みが明けると氏神様に【みやみゃー】をして、氏子の仲間入りをした。 【くいぞめ】には、新しい箸と食器を用意し、米粒1粒を赤ん坊の口に運んだ。 赤ん坊の首が据わるころともなると、【す】と称して赤ん坊を布団で三角形のおむすび状に紐でくくり、座らせておくことが多かった。 農繁期には【す】を田畑に持ち出し、赤ん坊を見守りながら農作業を続ける母親も見かけた。 子守はもっぱら子供の仕事で、赤ん坊を無理矢理背中に括り付けられ【こおい】を羽織られると、「かけやこ(駈け合いこ)」もままならず、随分情けない思いをしたものだった。 f-k[加茂] 【こおいぎ】子どもを負うときに親と一緒に一番上に羽織る着物 児玉[横田]
森田[仁多]
森山[湖陵]
【てんじんさん】天神さん。粘土製の泥天神 【でこ】でく(木偶)。人形のこと。人物画も「でこを描く」という言い方をした 【えっしょもち】一升餅。誕生日に子に背負わせる、もち米一升分の大きな餅 【しごとあて】仕事あて。子の将来の職業占い
昭和1桁生まれの兄も私も、母方の祖父から【てんじんさん】をもらっているから、昭和初期まではこの慣わしが残っていたものと思われる。 泥天神には道真像以外に、金太郎像など子の健やかな成長を願う【でこ(人形)】もあった。泥天神の製作所を「でこや」と呼び、松江(横浜)、加茂(加茂中・大竹)、斐川(沖洲)、出雲(今市・知井宮)、浜田(長浜)などの【でこ】が有名だったという。 【てんじんさん】は一生節供に出して飾り、用済みになると「荒神さん」、または「サエの神さん」に納めた。 初誕生日には嫁の両親、親戚・知人、産婆さんを招いて小宴を催した。 この日には【えっしょもち】を搗き、これを風呂敷に包んで子に背負わせて成長を願った。また、座敷にお米、そろばん、筆、大工道具、女の子の場合は裁縫用具などを加えて並べ、これを子に選び取らせ、お米を選べば百姓、そろばんなら商人といった具合に、その子の将来の職業を占った。 これを【しごとあて】といっていたように思うが、記憶が定かでない。 ご存知の方、ご教示ください。 f-k[加茂]
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「タバコ談義」 金鵄あがって十五銭 栄えある光三十銭 翼を連ねた鵬翼が これまたあがって六十銭 まだまだあがるこの煙草 紀元は二千六百年 ああ一億の民は泣く 「金鵄」は戦前の最も安かった大衆タバコ「ゴールデンバット」が衣替えしたものです。 「鵬翼(ほうよく)」は二十本入り、「金鵄(きんし)」「光(ひかり)」は十本入りでした。 この歌が密かに流行った時、私服の警察が雑賀小学校にきて、たまたま歌が上手とされていた私(小6)が尋問をうけました。 金沢[松江]
f-k[加茂]
戦後、タバコは貴重品でしばらくは配給でしたよね。 あの時の「バラ配給の手巻きタバコの名前」は「のぞみ」でした。 オヤジの紙巻き作業を手伝いながら2〜3本くすねてみんなと吸い回しました。 あの紙巻き用の紙は「ライスペーパー」と呼ばれる特殊な紙でしたが。 何故かそのライスペーパーは極めて品薄でした。 他のどんな紙でも紙臭くてタバコにならなかったその頃、唯一の代用品は英語辞書のコンサイスでした。 金沢[松江]
手巻き煙草はからかった。 紙巻たばこは しまいには 便利な道具が出来たりして 紙に糊をつけて 巻いたりしたことを覚えています。 コンサイスなどを使って端っこは鋏で切りそろえたりしなければなりませんでした。 なお 10銭が15銭に 20銭が30銭になったと記憶しています。 児玉[横田]
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「天気占い」
【アシタン テンキ テンノカンサンネ キーテコエ】 なにしろ、松江地方気象台の業務開始が昭和15年(1940年)ですし、ラジオの登場は、昭和7年(1932年)の松江放送局開局以降、一般家庭にまで普及したのは、昭和15年前後ではないでしょうか。 それに、戦中には気象情報自体が「軍事機密」になっていたように思います。 【 蛇が木に登ると大水が出る】 【 猫が顔を洗うと雨】 【 ヨジク(フクロウ)が鳴くと天気になる】 【 雀が夕方騒ぐと翌日は天気】 【 鶏が夕方、早く止まり木に止まると明日は晴れ。遅ければ雨】 【 夕方コバエが舞うと明日は雨】 【 ミミズが地表に出ると雨】 【 鼠がいなくなると異変が起こる】 f-k[加茂]
【夏の夕焼け錨あげ】 まもなく荒れる 【秋の夕焼け鎌を研げ】 明日は晴れ 【朝ほだれ蓑傘いらず】 朝の小雨は後晴れる 【朝がんなー(雷)となー(隣)歩きもするな】 大荒れの前兆 【一つがんなー 雪起こし】 大雪の前ぶれ 【きたやまが くらん】 間もなく雨になる 森山[湖陵]
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「こめえなえこ」 俵に詰めたお米を、どれだけ多く担ぐことが出来るのかを競う力比べ競技です。 加茂町南加茂では昭和初期から続いた伝統行事で、その日の米担会の宿では、近所の人々を招待し、老若男女がにぎやかに見物する中で、若者は力を競い合い、汗を流しました。 米担会は、一冬に10回程度開催されました。 午後7時半ごろに始まり、午前1〜2時に終わる催しでしたから、子供にとっては親公認の夜遊びの機会でもありました。 郷土誌の記録によると、おおよそ6斗から最高8斗5升(1斗は約15キロ)を担ぎ、2俵(8斗・120キロ)を担ぐと祝い餅を搗いて団員に配って喜びを分かち合ったといいます。 昭和30年台になると、時代の流れや青年団員の減少で開催が困難になり、昭和34年の米担会が最後となったと記録されています。 f-k[加茂]
仰るように青年団の年中行事の一つで、地区対抗の団体戦と個人戦がありました。 練習を兼ね地区ごとに、団員の家を持ち回りで夜遅くまでやりました。 友が数人が二俵を「えなった」ので大きな紅白の祝い餅を貰いました。 私は非力で( 最高七斗まで)で祝い餅は貰うだけで配ることはありませんでした。 見た事はありませんが、昔はこんな競技もあったそうです。 【さし】 四斗俵を頭上高くさし上げる 今の重量挙げ 【枡のり】一升枡を伏せた上にのり俵を担ぐ 森山[湖陵]
私は見たことも経験したこともありませんが・・・・。 【ぼーおし(棒押し)】麺棒や竹棒など、太い棒を押し合う競争。 【まくらびき(枕引き)】箱枕(箱型の枕)を両方から引っ張り合う競技 f-k[加茂]
昔 土方の飯場で、仕事中に程よい石があると、「ほねがかいてえけん」ので休憩に力自慢にしたそうです。 五斗(75K)までは 一俵に詰めます。 読んで字のごとく肩に担ぎあげます。 六斗(90K)以上は 二俵に詰め一つに絡みます。 胸だいらまで持ち上げ、腕と頭で背中え横回しに移動させ、最後は俵の上端を持って背中へ負ぶったようにして成功です。 力だけではなくコツがありました。 「二俵えない」の経験者がコーチとして迎えられ、腰の切り方 背中へ回すコツなどを教え叱咤激励されました。 森山[湖陵]
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