4月頭頃に出たこの最終巻、実は手にしたのはそれからしばらくたってからのことであった。丁度その頃、私は仕事が修羅場+はじめての子育てに追われていて、気がつけば『諸王の冠』は本屋の棚から消えてしまっていたのだ。
始めは第二版が出たら買えばいいや、今冗談でなく忙しいしとか思っていた私であったが、やがてストレスからか、「ある品が入手したくなる病」にかかってしまったのであった。それからはちょっとしたヒマを見つけては本屋へ走った。黄色い潜水艦へも行ったし、古本屋にもいった。だがこれがなかなか見つからない。症状は「なにがなんでも欲しくなってしまう病」まで発展し、連れに呆れられたりしたものだ。私という人間は、いざ欲しくなったものが運悪くその時に手に入らないと、その執着が強まるのである。つくづく高価な品に興味のある人間でなくてよかったと思う。(大抵その対象になるのは本だ。)
さて、話を戻そう。結局のところを言えば、とある大型書店で私は一冊だけ残っていた『諸王の冠』を手に入れた。7月頭のことである。
いよいよ最終巻、新訳が完結となった。流石に四巻目ともなると浅羽訳も淀みなく馴染み、個人的には全く問題無いどころか非常に質の高いシリーズとなったと思う。(赤目の質問「スランの聖人の名前はなんだ?」の選択肢の訳に関しては少々残念ではあるが。)やはり、(人間と思っていた)大魔法使い→冥府の魔王という展開は好みである。最終巻の表紙は冥府の魔王であるが、魔法使いではなく正体のほうで来たかというのが正直な感想である。その姿は某映画版指輪物語のアレに近い。本文中の描写・イラストとは多少趣が異なる。これはこれでありかもしれない。だが、これなら鼻息でなくとも黒焦げになるだろう。
創土社による復刊が成されたことにより、これまでこの雑記であれこれと揚げ足をとってきた事象も、ひとまずは全て目の前に揃ったことになる。未だ謎として残るものがあるならば、おそらく永遠に謎のままとなるだろう。そういった事象をこねくりまわすのも悪くはない。そういう部分を想像で埋めてみるのも、私にとっては『ソーサリー!』を楽しむ方法の一つなのだから。
まぁ当たり前だが、旧訳や原文と大幅にパラグラフ構成が変わったわけではないので、ネクロマンシーの効果やスログの食物倉が相変わらずもったいないのは変わっていない。神頭ヒドラは容赦ないし、一撃君も相変わらずの腕っ節を見せてくれた。その一方で、個人的に最大の疑問点であった黄色い果実の皮の出所は謎のまま残った。
逆に先の雑記であげた槍をはじめ、新たに判ったことも多い。新訳主人公の性別は原文と同じく不明であった。盲目の聖人コレトゥスに関する「クリスタタンティの伝説」は新訳では「伝統」となっている。クリスタタンティにいた盲目の乞食は、確かにコレトゥスと同じように目に墨を塗っていた。
収録されたイラストも創元版とは異なっている。さらし台の男のイラストが削られ、その代わりに物見のイラストが加わっている。話はそれるが、先年イギリスで復刻されたWizard Books版では第二巻・ヴラダの賭博場のイラストが無かった。全てのイラストがそろっているのは最初のシリーズのみなのだろうか? …まぁ日本語以外の翻訳版にはあるかもだが。流石にそっち方面には手が出せないし、今のところ出す予定もないですが。
当『カーカバードの歩き方』はもともと創土版のゲームブック復刊が始まる前から存在するコンテンツである。今回の復刊完結はネタ元が増えたということであって、コンテンツのネタがなくなったというわけではない。まだまだ『ソーサリー!』は掘り下げどころ・つっこみどころの多い作品であり、私に楽しみを提供し続けてくれるだろう。
【追記】
先日ちょっとした手違いで、第四巻についていたカバーを取ることに。本来のカバーの話ではなく、書店がつけてくれる紙のやつです。「オレはメインの体(ボディ)のうえに、オーバー体(ボディ)というのを着ているのだ」ってやつです(違う)。
そんなこんなで久々に『諸王の冠』の表紙と再会した私。あれ? なんか買った時と印象が違うよ?
…あー、どうやら私、この赤っぽい毛を見て、全身炎っぽい印象をもってしまっていたようです。思い込みって怖いね。ってお話でした。
『ソーサリー!』を含めたFFシリーズの重要なシステムに、「運試し」がある。冒険中指示された場合に行う、強運点というステータスを使って判断される文字通りの運試しだ。吉と判断されれば不幸な結果を回避することができ、逆に凶と出ればその結果は推して知るべしだ。
ところがここに吉とでたのにデッドエンドになってしまうという個所がある。なんとこれが決して誤訳ではない。直面の罠を回避したのだが、それにより第二の罠を作動させてしまって死んでしまうという、かなりどぎついジョークである。ちなみに凶だった場合は、窮地に立たされるものの冒険を続けることができる。リブラを呼ぶしかないが、それでもデッドエンドよりは遥かにましというものだ。
この冗談めいた運試しは、さらに冗談が上乗せされている。なんと、この運試しが発生する個所は第一巻、しかもアナランドを出発して最初となる運試しなのだ!(戦闘での運試しを除く)それも、かなり確率の高い道筋に仕掛けられている。二股→二股と別れていく道の、二箇所がここへ繋がっているのだ。5割である。ここまで徹底していると、逆に清清しい気がしてくるw
ところで、この悪ふざけだが、流石にFFシリーズ第一弾『火吹き山の魔法使い』では許されなかったに違いない。当然ジャクソンも仕掛ける気など起きなかっただろう。数冊のFFシリーズが世に出ていたからこその冗談である。
一連の描写から判る事がある。それは、運試しの結果は瞬間的にしか適応されないということだ。先のデストラップで言えば、落とし穴に落ちることは「幸運にも」回避できたが、そのために即死級の罠を作動させてしまうのである。ゲーム的に救済方法を考えると、再び運試しをするということになるだろう。現状の運試しの結果を入れ替えればよいというわけではないのだ。
よくよく考えてみれば、戦闘中の運試しが「運試しが瞬間的なものである」ことを示していることに気がつく。戦闘中の運試しはラウンドごとにダメージを増減させるのであるが、もしも運試しが少し先の未来を含めた判定であるならば、吉と出れば戦闘に勝利してしまうはずなのだから。つまり、例の二重罠は何も不当な描写ではなく、執筆ルールに乗っ取った運試しだったのだ。
…とはいっても、やはりこれは強烈な冗談であると思う。個人的には好感すら感じるが、「運良く」はまった人はたまらんだろうな。
【追記】
同じような逆転運試しが他にもあったので紹介しておこう。第三巻のスロフ神殿の碑文解読がそれだ。信者でない者がこの女神の名を神殿で唱えれば、神罰が下るであろうというのがその内容であり、運試しで吉と出て解読に成功することで罰せられてしまうことになるのだ。首狩り族の罠と違って即死ではなく、死か棄教かの選択となるが、リブラ信仰を捨てると第四巻のクリアは不可能になるので詰みには違いない。凶だった場合には解読ができず、当然神罰が下ることもない。
私が『ソーサリー!』と出あったのは、大分昔。中学生の頃でした。(年がばれるなw だが隠すほどのことでもない)当時私はゲームブックなるものを知ってニ年ほどたったころだった。ちなみに馴初めは『チベットの秘宝』『謎のピラミッドパワー』『地底のブラックホール』(ちとうろ覚えですが)といったところで、これらにはアドベンチャーシートも戦闘も無かった。その後友達が学校に持ってきた『バルサスの要塞』で完全にはまったのである。円盤人、三人の魔女、洗濯女の幽霊…。ここらへんを当時の記憶として刻み込み、さらに一年後には私は『ドルアーガの塔』三部作に手を出していた。元になったゲームが好きだったのと、なによりマッピングが面白かったのだ。
さて、『ソーサリー!』であるが、こちらは弟が買っていた。何故か当時はお互いの本をタダで見せるという習慣が無かったため、私は『ソーサリー!』をプレイするためにドルアーガの第三巻を差し出した覚えがある。(もちろん彼は第三巻から遊ぶことになるw)今思うとかなり酷い行いではあるが、向こうが出してきたのもカーレだったのでお互い様というものだろう。こちらももちろん第二巻からのスタートとなったので、フランカーもヴィクも知らず、カーカバードでの私の初冒険は赤目の牢獄で終わった。(ちなみに私は『ドルアーガ』三部作も好きだ。サイトでは扱ってないけど)
時は流れ流れて大学に入った私は、旭川の古本屋で一冊の赤い背表紙の本を見つけた。『七匹の大蛇』である。一冊50円ぐらいだったと記憶しているが、かなりボロボロになったその本がえらく懐かしく思えて手にとったのであった。今でもその本は手元にあるが、それから数年かけて4冊をそろえることに成功した。その後ブックオフなどで比較的見るようになるのだが、その時はなかなか『王たちの冠』が手に入らなかった。新宿の古本市で劇的な発見をするまでに3年ぐらいかかった。(その時もなかなか見つからず、ひょいと二重になっていた後ろの列を除いてみたら、そこに居たのである。これで無かったらもう新宿を去らねばという時間ギリギリの出会いだった。)
で、サイトに『ソーサリー!』のことをツラツラと書き始めたのが2000年のこと。何気にシャムタンティのマッピングをしてみたのがきっかけであった。それまではただカーカバードを旅していただけの私であったが、その時ゲームとして結構いい感じにできていることを知ったのだ。まずは首狩り族の村。銀の鍵とロケットの取捨選択。ジャンとフランカーの存在。マンパン砦のスログの食料庫は残念だったけど、いつのまにか物語とは別の魅力のとりこになってしまっていた。元々創元訳が織り成していたストーリーは好みだったので、ここで一気にサイトにコーナーを作ってしまった。あれから5年が経ち、気がつけば今こんな感じである。