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HAPPY、HAPPY、LOVELY ! − summer festival −






「悪い、竜」
部屋にシズカが見たこともない歪んだ表情で入ってきた。
まるで、うまく笑えなくなってしまったかのような引き攣れた顔をしている。
「なんだ?」
椅子を回転させて訊く。
英語命令が出されてから、シズカは日本語を発したことなどなかった。
今はそんなことに構っている余裕はないようだ。
「バイク貸してくれ」
「? 車があるだろ?」
18の誕生日を迎えたシズカは大金を惜しげなく使い、自分の車を買っていた。
「今の時間帯は渋滞してて、車は、」
じれるように続ける。
はやくしてくれ、鍵を、と切羽詰った様子で出された指はかすかに震えていて、咄嗟に、これは事故を起こすと思った。
「俺が乗せてく」
「…え?」
「確実に事故るぞ お前」
乱暴に棚にあるキーを掴んだ。
バイクは事故れば高い確率で死ぬ。
知り合いも死んだ。 テツの友人が死んだのも記憶に新しい。
この危ないまま行かせて死なれるよりマシだ、仕方がない。
「………悪い」
珍しく殊勝な様子に片眉を上げてみせた。

どこだ、と訊くと、俺が入院していた病院名が返ってきた。

「静くん…っ」
病室に入ると、ベッド脇のパイプ椅子に座っていた女性が立ち上がった。
「ごめんなさいね、大丈夫、もちなおしたみたいなの」
やつれてはいたが、安堵した表情が浮かんでいる。
ベッドには中学生くらいの細い女の子が呼吸器をつけて眠っていた。
「あの…?」
シズカの後について侵入した部外者には当然の反応で、訝しげな顔を向けられた。
「シズカの友達です」
無難にそう答えた。
廊下を早足で進むシズカに問い掛ける隙はなく、病室についてきてしまったのだ。
おそらくこの人は少女の母親だろう。
シズカはすでに女の子の指を握ってその寝顔を眺めていて、俺のことは全く意識から外れているようだ。

夏の長い陽も傾いて、夕焼けが病室に入り込んでいた。
白いシーツが赤く染まっている。

この調子だとしばらくは帰らないだろう。
俺はそう判断した。
ここのところシズカは家に居なかった。
たまに着替えを取りに帰ってくる程度だった。
女のところにいるのかと思っていたが、 きっと、病院周辺に泊り込んでいたのだ。

少女を見つめるシズカの目はひどく穏やかだったが、何の感情も読み取ることはできなかった。

息をついて、俺は帰ることにした。
どうにも事情が掴めなかったが、まあ関係ない。
家に戻るときはタクシーでも運転手を呼ぶでもするだろう。
シズカには声を掛けず、立ったままの女性に軽く会釈をして、扉を開いた。
「あ…」
人に当たりそうになる。
「すみませ…」
「いえ…」
肩口あたりにある顔が上げられて、 目が合う。


「…イチ…?」

「…月子(つきこ)さん…?」


数年ぶりのその人は、驚きに目を開いて、俺を見上げた。




「そう、入院してた静くんの友達ってイチだったの」
やたら開放的で窓の多い談話室は、薄赤く染まって長い影を作っていた。
シズカは、俺の見舞いに来てたときにあの子と会ったらしい。
「チカちゃんがそう言ってたわ」
チカというのが、さっき眠っていた女の子の名前だった。
恐らくこの夏を越せない、と月子さんは静かに告げた。

(ああ、それで)
俺は納得がいった。
シズカは、その子の最期に付き合うつもりなのだろう。
そういうことをするのが、シズカという男だった。
伊集院という重みを力むことなく受容する性質は、その『出会い』も受け入れたのだ。

「前にね、入院していたときにチカちゃんと会ったの」

なんて綺麗な女の子なんだろうと思ったわ。

月子さんはそう言って、短く揃えられた黒髪を耳に掛けた。
それこそ常に綺麗と表されるだろう月子さんは、 以前 腰ほどまであった髪をバッサリと切っていた。


あの夜の街で。

迷子のような目をした彼女に出会った。

彼女に魅せられた男は数知れず、 憂いのある儚さはひどく妖しく艶やかで、彼女の意思を無視して男を誘った。
脆さを嫌う俺には、それは何の意味もなかったけれど。


その目に惹かれた。








つづく








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