渡来人秦氏の末裔の苗字
- 佐藤 姓を名乗る人は、全国で183万人で、日本の人口の1.5%です。日本の名字で1位。
- 秦 姓を名乗る人(秦氏の末裔)は、全国で3万人で、日本の人口の0.02%です。日本の名字で667位。
佐藤さんは秦さんの70倍の人数です。
秦 姓は現在、どの県に多いか
名字由来netの数字を使って、都道府県別の「名字が秦」の人の割合とその県内の秦の名字の順位 をまとめました。
現在、県の人口に対する「名字が秦」の人の割合が一番高いのは、大分県です。また、その大分県で使われている名字の中で、秦は81位です。全国順位が2位の鈴木は、大分県では127位です。大分県 名字ランキング/名字由来net
県名 | 県人口に対する名字が秦の人の割合 | 全国順位 |
---|---|---|
大分県 | 0.185 | 1 |
島根県 | 0.138 | 2 |
愛媛県 | 0.082 | 3 |
福岡県 | 0.069 | 4 |
徳島県 | 0.054 | 5 |
富山県 | 0.003 | 44 |
鹿児島 | 0.003 | 45 |
岩手県 | 0.002 | 46 |
青森県 | 0.002 | 47 |
県名 | 県内の中の秦の名字の順位 | 順位 |
---|---|---|
大分県 | 81 | 1 |
島根県 | 143 | 2 |
愛媛県 | 246 | 3 |
福岡県 | 265 | 4 |
徳島県 | 361 | 5 |
青森県 | 3114 | 44 |
岩手県 | 3675 | 45 |
富山県 | 4094 | 46 |
鹿児島 | 4354 | 47 |
全国的にみた秦氏の分布
秦氏の分布を都道府県別に表したのが下の図です。「名字が秦」の人の割合を、0.002%〜0.004%〜0.006%〜0.011%〜0.014%〜0.018%〜0.028%〜0.033%〜0.046%〜0.138%〜の10段階に分け、県ごとに色分けをしました。
現代の秦氏は、九州・中国・四国・関西地方に多く分布しています。これは、秦氏の祖先が西にある大陸から日本に来た事を示唆しています。
秦氏の末裔で有名な人物
- 羽田 孜(はた つとむ)。第80代内閣総理大臣。長野県出身。
- 畑 和(はた やわら)。社会党衆議院議員から埼玉県知事(1972年)。
- 秦 真司。元プロ野球選手(ヤクルト)。徳島県鳴門市出身
- 東儀 秀樹。雅楽師、作曲家。秦 河勝の子孫と言われる。
4世紀、弓月君が日本に帰化し5世紀に波多の姓を賜って以来、1600年の月日が経ち、よみが同じ羽田や畑 、秦などの子孫がいます。また、東儀などの全く別の姓の子孫もいます。秦姓の日本人は3万人いますが、傍系の人は、どのくらいいるかわかりません。
秦 酒公から始まる秦氏の系図。日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 秦氏
秦氏の先祖の活躍
- 飛鳥時代、秦 河勝は、聖徳太子を支えました。
708年 和同開珎が発行されたのは、秩父で銅鉱山が発見されたのがきっかけですが、この発見には秦氏が関係しているそうです。秩父の隣の比企郡周辺には今でも秦氏の末裔、「秦」姓の人が多い。埼玉県での秦の名字ランキングは818位。
比企郡を源流とする高麗川(こまがわ)は、渡来人が多く住んでいた事を物語っています。高麗(こうらい)はKoreaの語源で、1000年ぐらい前の朝鮮半島の国です。
- 奈良時代から、雅楽を世襲してきた東儀家は秦氏出身だそうです。秦氏と神道の関係を推察させます。
- 784年に遷都された長岡京の造営長官 秦 足長。
- 平安京の造成は秦氏の財力、技術力によるものです。
秦氏に関するメモ
- 「名字が秦」の人の割合ランキングでは、徳島県は5位です。倭大国魂神社がある徳島県美馬市付近には秦氏の末裔「秦」姓が多い。美馬市の北20kmの所にソロモンの秘宝があるという剣山があります。秦氏は鉱山を掘る技術、金属を精錬する技術なども伝えたようです。古代、秦氏が剣山の奥に分け入り、鉱山を発見しようとした時、鍾乳洞を見つけて、そこに、ソロモンの秘宝を隠したという事があっても不思議ではありません。
- 秦氏の末裔が多く住む美馬市付近には栗枝渡神社(くりすど神社)があります。この付近には古代ユダヤと関連がある風習が残っていると、みのもんたの日本ミステリーで紹介されました。ソロモンの秘宝が噂される剣山も近くにあります。
- 群馬県太田市の世良田東照宮には徳川家の三つ葉葵の紋があります。二葉葵は賀茂氏の家紋です。徳川家の葵紋は、徳川家が賀茂氏の末裔ではないかと推測させます。 賀茂氏と秦氏は、二葉葵でつながっています。
- 秦氏に関する遺跡が秩父から群馬県に多い。「和同開珎」に関わった金上无は新羅からの渡来人で、多治比真人三宅麻呂は、「多胡碑」に名が刻まれています。「多胡碑」のある吉井町には羊太夫の伝説があります。羊太夫は馬で秩父の銅を運び、羊太夫の女房ら7人が「七輿山」で自害し、輿に乗せ、葬ったと伝えられています。「群馬」の字には「羊」と「馬」があります。七輿山古墳の隣にはピラミッド型の伊勢塚古墳があります。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。